東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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邂逅編 第壱章 流れ着いた子
0 始まりの刻


「霊夢ー! 早くー!」

 

 雪が降り積もって、冬の匂いが風に乗って広がる雪原を歩く私から見て少し前のところで、一人の男の子が手を振っている。男の子は白い巫女服に似てる服を着て、女の子のように伸ばした長い黒髪を一本結びにしてるっていう男の子としては変わった髪型をして、藍色の瞳を持つ特徴的な子。

 

「待ちなさいー」

 

 機嫌よさそうに言って、私はその子を追いかけるように歩みを進める。男の子との距離が縮まると、男の子はくるりと雪原の奥に身体を向け、走り出す。もう歩くだけじゃあの子に追いつく事は出来ない。

 

「待ちなさいって!」

 

 得意げに笑むと、男の子のように私もまた走り出した。雪は結構積もっていて、ちょっと気を緩めただけで足を取られて転びそうになるが、私は大して気にしようとせずに、男の子の後を追って走った。男の子はあまり速く走ろうとは考えていなかったのか、距離がぐんぐんと縮まっていく。そして走り出してからわずか数秒程度で、男の子のすぐ後ろに追いついた。男の子は気付いていないのか、じっと前を見たまま走り続けている。今背中に手を当てられたら、それは驚く事だろう。

 

「追いついた……あっ」

 

 男の子の背中に両手で触れた瞬間、足が雪に引っかかり、つんのめった。ぐらりと身体が前のめりになり、真っ白な雪で視界が埋まる。転ばないように何とか踏みとどまろうしたけれど、全く無意味で、私の身体は冷たい雪の中に飛び込んだ。

 ぼふっという柔らかい音が聞こえて、全身に雪の冷たさが走ったかと思えば、近くでもう一度ぼふっという音が聞こえた。雪の中から顔を上げて、首を横に何度も振って顔にこびり付いた雪を払い落としてから、周囲を見渡した。さっきまで追いかけていた男の子の姿がどこにもない。

 

「あれ?」

 

 どこいったのかなと思いきや、すぐ目の前で男の子が身体を起こした。私と一緒に転んでしまったんだ。男の子は私に顔を向けて、不機嫌そうな表情を浮かべる。

 

「もう、どついて転ばせる必要ないじゃない。服の中に雪が入っちゃったよ」

 

「貴方が急に走り出すからよ。でも、巻き込んじゃったわね。ごめん」

 

 男の子の顔を見た途端、思わず吹き出した。男の子の顔と髪の毛の至る所に雪がくっついていて、肌色と黒色と合わさって斑模様になっていた。それを見た途端、瞬く間に笑いが込み上げて来て、耐えようとしても耐え切れず、お腹を抱えて大笑いした。

 

「ちょ、何でいきなり笑うの?」

 

「だって貴方ったら、顔が、斑模様になってるんだもん」

 

 男の子は吃驚して自分の顔を頻りに触ったが、そのすぐ後に私の顔に目を向けてきて、指を差した。

 

「っていうけど、霊夢だって同じような事になってる」

 

「えぇっ!?」

 

 顔を触ってみたら、ぼろぼろと雪が落ちるのを感じた。顔を振った時に墜ちたと思っていたけれど、全くと言っていいほど雪は落ちずに私の顔にへばり付いていた。

 思わず本当だと言って、男の子と顔を合わせると、もう一度笑いが込み上げて来て、私は大きな声を出して笑った。男の子もそれに触発されたのか、とても大きな声で笑い出した。私達の声が誰もいない雪原に木霊する中、私は途中で笑うのをやめて、目の前で笑い続けている男の子を見つめた。

 男の子は視線を感じたのか、笑うのをやめて、私と目を合わせた。

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと、こっち来てくれる?」

 

 手招きすると、男の子はゆっくりと私に寄ってきた。男の子がすぐ目の前まで来たところで、私はそっと男の子の身体に差し伸べて、すっぽりと抱き締めた。

 

「霊夢?」

 

 私はどれだけこの子に助けられただろう。

 こんなふうに誰かを抱き締めたり、さっきみたいにおいかけっこをしたり、大笑いしたりするのは、あの時、あの日までの私ではあり得なかった。

 

「何でもないわ。ただ、貴方と出会った時もこんな日だったなって思ってね」

 

「そういえばそうだったね。あの時もこんなふうに雪が降ってて」

 

「そうそう。それから、とても色んな事があったわね」

 

 本当に、色んな事があった。あの日から、あの時から、本当に、色々な事が起きた―――。

 

 

 

 

           *

 

 

「お前さ、寂しくないのか」

 

 黒い服を身に纏い、黒い典型的な魔女のそれとの形をした帽子を被った友人、霧雨魔理沙の問いかけに、博麗霊夢は首を傾げる。

 

「どういう意味よ」

 

 テーブルに肘をつきながら、魔理沙はもう一度問う。

 

「そのままの意味だよ。お前、あんな神社に一人で住んでて寂しくないのかって」

 

 霊夢は顔を顰めた。どうしてそんな事を聞いてくるのか、わからない。

 

「唐突に何を聞くのよ」

 

 魔理沙の隣に座り、紅茶を啜っている金髪の少女、アリス・マーガトロイドが紅茶の入ったカップを皿の上に置き、霊夢に問う。

 

「私も思ってたわ。霊夢、貴方はあんな神社に一人で暮らしていて寂しくないの」

 

 どうしてそんな質問をしてくるのかという自分の問いかけに答えない二人に霊夢は苛立ちを感じて、腕組みをして、椅子の背もたれに寄りかかる。

 

「だぁかぁら、何でそんな事を唐突に私に問うのよ。何かあったの」

 

「いや、お前の事を見てるとたまに思うんだよ。あんなところにたった一人で住んでいて寂しくないのかって」

 

 目の前のカップに手を伸ばし、中に入った紅茶を啜った後、答える。

 

「あんた達も似たようなもんじゃない。変な森に住居を立てて一人で暮らしてる。私とほとんど同じ状況じゃないのよ」

 

 アリスは手製の人形をテーブルの上に置いた。

 

「私には人形がいるから寂しくない」

 

 魔理沙は辺りを見回してから、霊夢に目を戻した。

 

「私の場合は辺り一面に散らばる道具達がいるから寂しくないぜ」

 

 霊夢が呆れたように声を出す。

 

「そんなのがあって寂しくないんなら、じゃあ私も寂しくないわ。神社にもたくさんものがあるし、あんた達の家にはない酒造も書庫もあるからね」

 

 霊夢はテーブルに肘をつき、両手を頬に当てた。

 

「それで、何でこんな事を聞いてくるのよ。いい加減私の質問にも答えてくれるかしら」

 

 魔理沙は椅子の背もたれに寄りかかり、手を頭の後ろで組んだ。

 

「いや、何となく気になったんだよ。あんな何もない神社にずっと暮らしていて、寂しくないのかなって」

 

 アリスがもう一度紅茶を啜った後、霊夢へ視線を向ける。

 

「その様子だと、問題なさそうね。流石霊夢と言ったところかしら」

 

「流石私って、どういう意味よ」

 

「そのままの意味よ。いついかなる時も揺るぎ無い心を持っている博麗霊夢だわって言ったのよ」

 

「そうでなきゃ、博麗の巫女なんか勤まらないわ」

 

 魔理沙が霊夢の手に、自らの手を静かに置いた。

 

「だけどさ、たまにこうして、誰かと遊んだり、他人と話をしたりするのは大切だと思うぜ」

 

 霊夢はきょとんとして、今日こうしてアリスの家に招待された理由が理解出来たような気がした。

 

「もしかして、私を呼んだ理由って、私に話をさせるため?」

 

 アリスがふふんと笑う。

 

「半分正解で半分外れってところかしらね。貴方をここに呼んだ理由は、大体が魔理沙よ」

 

 霊夢が「はぁ?」と言って魔理沙を見つめると、魔理沙はにっと笑った。

 

「お前をここに呼んだのは、お前に話をさせるためだ。というか、私がお前と話がしたかったからだぜ」

 

 こんな事を言っているが、魔理沙はしょっちゅう博麗神社に来て自分と話をしている。だから、話がしたいという欲求は満たされているはずだ。霊夢が首を傾げて、魔理沙にこの事を話すと、魔理沙は首を横に振った。

 

「そうだけどさ、いつも神社にいる時のお前は私の話を聞くばっかりで、自分から何かを話そうとしないじゃないか。だから、外に出ればちょっとは口が軽くなるんじゃないかと思ったんだ」

 

 アリスが呆れたような表情を浮かべる。

 

「でも、貴方は通常運転だったわね」

 

 霊夢は魔理沙の手を離して、もう片方の手を振った。

 

「結構よ。そもそも、何を話せっていうのよ。話す事なんか、お金の話と、妖怪退治と、お酒の作り方の話くらいしかないわ」

 

「そういえばお前お酒作ってるんだっけ。未成年のくせに」

 

 霊夢は溜め息を吐くように言う。

 

「そうよ。そうでもしなきゃお金は入ってこないからね。まぁでも、街の人々の間じゃかなり人気らしくてね。売りにいくとこれまたがんがん売れるわけよ。おかげで生活費には全く困らないわ」

 

 アリスが両掌を上に向けた。

 

「その代わり、お賽銭の方は全くもらえてないみたいだけど」

 

 霊夢は溜め息を吐いた。

 

「そうよ。生活費が増えてくれるのはすごく嬉しいけど、お賽銭が増えないのは痛いわ。誰かお賽銭箱がいっぱいになるくらいにお賽銭を入れてくれないかしら」

 

 霊夢が話を続けている最中、魔理沙は気付いていた。人は興味がある事の話をする時には能弁になる事が多いのだが、霊夢は金の話を始めた途端に能弁になる。これは金の話こそが、霊夢が最も興味を持っている話である事を意味するが、同時に金の話くらいしか興味がない事を意味する。現に霊夢は金以外の話にはほとんど興味を示さず、能弁になる事もない。

 

「金の話をするのはいいが、もうちょっと他の話に興味を持てるようになった方がいいぜ、霊夢」

 

「え、何で? 何でそんな事をしなくちゃいけないの」

 

「何でって……お前からすれば楽しい話かもしれないけれど、私達からすれば金の話なんか面白くないぜ。そして今日ここに来てから、お前は何だかずっと退屈そうにしてる」

 

 アリスが腕組みをする。

 

「珍しく魔理沙に同感だわ。貴方は物事に興味を持たな過ぎよ。だからどんなところに行っても退屈そうにしてるんだわ」

 

 霊夢は顰め面をした。

 

「なんて言われてもねぇ。実際私からすれば、正直な話、毎日お茶でも飲んでだらだらして、たまに異変解決に出かけるっていう日常が送れていれば、それでいいのよ。だから他の事にはあまり興味が湧かないわ」

 

 魔理沙が眉を寄せる。

 

「お前なぁ……」

 

 霊夢は視線を窓の方へ向けた。空は晴れて、太陽に照らされて雪が虹色に輝いている。

 

「まぁ、よっぽど大きくて危険な異変が起きた時には、あんた達に協力を頼み込むかもしれないから、その時はお願いね」

 

「それ、こっち見ないで言う言葉か?」

 

 霊夢は魔理沙の言葉に何も答えずに、椅子から降りた。そして出口の方まで向かうと、魔理沙が声をかけてきた。

 

「ちょ、霊夢帰るのかよ!?」

 

 霊夢は振り向いた。魔理沙とアリスの二人は揃って驚いたような顔をしていた。

 

「えぇ帰るわよ。結構重要な相談とかがあって呼ばれたと思って来たんだけど、そうじゃないみたいだしね。話す事も特にないから、もうお暇させてもらうわ」

 

 冷たい言葉を吐いて、霊夢はアリスの家の出入り口の戸を開き、外へ出た。雪が太陽の日を浴びて眩い光を放ち、木に積もった雪はばたばたと音を立てて地面へと落ちている。太陽が出ているせいか、少しだけ暖かく感じた。……でも、神社の居間にあるこたつの方がもっと暖かいし、気持ちがいい。どちらかを選びなさいと言われたら、一目瞭然だ。

 

「さてと、帰るとしますか」

 

 とん、と地面を軽く蹴って霊夢は空へ舞い上がり、魔法の森の上空まで身体を持って行くと、博麗神社の方へ身体を向けて、飛び立った。冬の冷たい風を浴びながら空を駆け、博麗神社へ向かおうとしたその時、霊夢はふと思い出して、その場に停止した。……そうだ、アリスの家に行った後に、昼食の食材を買うために街へ寄ろうと考えていたのだった。危うく、忘れてそのまま帰ってしまうところだった。

 

「いけない、いけない」

 

 霊夢はくるりと身体を街の方に向け直すと、そのままびゅんっと加速して空を駆けた。

 そして、街の前まで来たところで降下し、音をたてないように静かに着地。少し遠くにいるにもかかわらず、すぐ近くにあるかのような人々の賑わうの音を聞きながら、街の中へと入りこんだ。街の中はまだ十時であるにもかかわらず真昼間や夕暮れ時のように賑わっており、活気のある人々や妖怪達が、ある者は忙しそうに、ある者は楽しそうにのんびりと行き交っている。

 

(相も変わらず、賑わう街だ事)

 

 霊夢は心の中で呟くと、行き交う人々の中へと入りこみ、間を縫うようにして目的地へ歩んだ。

 目的地は八百屋と肉屋だ。最近あまり彩のあるものを食べていないから、たまにはそういったものを食べようという気になったのだ。それに、今日はいつもよりも多めに金を財布に入れてきた。若干多めに買っておけば、昼間だけではなく夕食の材料にする事だって出来るからだ。

 

 買い物はすぐに終わった。買った肉と野菜が入った買い物袋を腕にぶら下げた時、いつもよりも重く感じられたが、霊夢はそれがどこか嬉しくて、少し心を弾ませいた。そんな事を考えながら帰路へ向かおうとしたその時だった。

 

「―――、早く――!」

 

「待ってよお姉ちゃん、お母さん――!」

 

 ざわめきの中から特徴的な声が聞こえて来て、霊夢は思わず振り返り、目を向けた。その方向には七、八歳くらいと思われる小さな男の子が姉と思われる十、十一歳くらいの女の子と、二人の母親と思わしき三十代くらいの女性の元へ駆けている光景があった。男の子はすぐに姉と母の元へたどり着き、母親は顔に笑みを浮かべて、やってきた息子の頭を軽く撫でた後、息子、娘と手を繋いだ。

 

「ほら、帰るわよ」

 

 母親の言葉に男の子と女の子は元気よく「はーい!」と答え、母親、姉弟と手を繋いだまま、人混みの中へと歩き出し、消えていった。どこにでもいるような幸せそうな親子の様子を釘付けになって見ていたが、親子の姿が見えなくなったところで、霊夢は胸の中がひんやりとしたような気がして、耳の中で先程の魔理沙の言葉が響き渡ったのを感じた。

 

―――お前は寂しくないのか。あんな何もない神社で暮らしていて、寂しくないのか。

 

 確かに自分は何もない博麗神社に孤独で暮らしているが、これまでその生活に寂しさを感じた事はない。一人でいる事にも、慣れきっているようなものだ。だからどうという事もないはずなのだが、あの誰もいない、森閑とした博麗神社とその風景を思い出し、これからそこへ帰ると考えた途端、親子を見た時と同じように胸の中がひんやりしてきた。……もしかして、今自分は寂しさを感じているのだろうか。

 

(……寂しくなんか、ないんだから)

 

 霊夢はくるりと振り返り、我が家へ足を進めた。

 

 

    *

 

 

 街を出て、博麗神社に戻ってくると、霊夢は神社の前に設置されている賽銭箱に近付いた。出かけたり、朝早く起きた時には賽銭が入っていないかどうか、賽銭箱の中を確認するのが霊夢の日課であり、特に期待する事のない日常生活の中で唯一期待を寄せる事の出来る瞬間だ。しかし、どんなに期待を寄せて中を確認したところで、賽銭が山のように入っている事など早々ない。寧ろいつもは、賽銭が全く入っていないか、完全に空っぽかのどちらかだ。最近は空っぽである事が続いており、霊夢の中にも賽銭箱の中身なんてどうせ空だという思いが生じているが、それでも尚、開ける時には賽銭が沢山入っている事をついつい期待してしまう。

 

「入ってなさいよ……!」

 

 期待を寄せながらそう呟いて、霊夢は溶けた雪によって若干濡れている賽銭箱の蓋を開いた。……中は予想通り空で、銭はなかった。――参拝客がいない証拠だ。そもそも、こんなに雪が降っている中だ、客足が遠のくのは当然と言えば当然だった。まぁ、悪天候であろうがそうでなかろうが、この神社に参拝にやってくる客など皆無に等しいのだが。

 

「収穫……なし」

 

 溜息を吐くように呟いて賽銭箱の蓋を閉め、神社の中へと入りこもうとしたその時、霊夢は気付いた。賽銭箱の横に、妙な盛り上がり方をした雪がある。まるで、雪以外の何かが雪に埋もれているかのような、そんな盛り上がり方だ。しかも、よく見ればかなり大きい。出かける時にも賽銭箱の近くを通ったが、全く気付かなかった。

 

(なにこれ)

 

 霊夢は買い物袋を近くに置くと、雪を手で掘り始めた。鋭い冷たさが指を包み込んだが、雪の下に埋まっているものが気になって、霊夢は構わず掘り進めた。そして、雪をある程度掘って見えたものに、霊夢は思わずぎょっとした。雪の隙間から出てきたのは、人の肌だった。雪の下に埋まっていたせいか、青白く変色している。

 霊夢はごくりと息を呑み、雪の下に埋まっているものの全容を確認しようと、雪を掘り進めた。そして、全ての雪を退けたところで、それから離れた。――雪の中から出てきたものは人だった。しかもそれは大人ではなく、九歳くらいの歳の子供だった。ボロボロの布きれのような服を身に纏い、あちこちから肌が露出しているが、どれも血の気が感じられない青白い色になっていた。

 

「これは……」

 

 この寒さの中、厚い雪の下に埋まっていたのだ。生きているはずがない。

 霊夢は溜息を吐いた。

 

「……お賽銭じゃなくて子供の遺体か」

 

 だがこんなところにあるのだ、放っては置けない。何かで包み、街に運んで行って火葬してもらおうか。そう思いながら屈みこみ、死体を眺めた。……何かがあって神社まで来て、力尽き、雪の下に埋もれたのだろう。身体には雪がこびり付いているが、顔は比較的綺麗だった。立ちはどこか女の子に似ているが、よく見れば男の子だとわかる整った顔立ちだ。

 血の気のない真っ白な肌と顔色を見ていると、霊夢は先程の親子の弟を思い出し、顔を顰めた。

 

「可哀想にねぇ……こんな小さいのに……」

 

 うつ伏せになって倒れ、顔を左に向けている少年の口は微かに開いていた。口が開いてはいるものの、呼吸している様子は見られない。血の気のない真っ白い少年の顔を一通り見ると、身体の方に目を向けた。――やはり、動いていない。

 そして、いつまでもこんなふうにしておくわけにはいかない。早くどうにかしなければ。

 

「やれやれ仕方ない。死体なんか、触りたくないけれど……」

 

 横たわる少年の身体に手を伸ばし、背中に軽く触れた。

 

「……げほっ!!」

 

 その時、死体が突然びくんと動き、開いていた口から思い切り空気を出した。霊夢はその場に尻餅をついた。何が起こったのか理解できず、心臓が早く脈打ち始めた。突然、死体が動き出したように見えたが、いったい何が起きたのだろうか。

 

「って、あれ」

 

 霊夢は自分の目を疑った。……死体にこびりついていた雪が、見る見るうちに溶け始めている。それだけではない、少年の背の辺りが、膨らんだり縮んだりを繰り返しているような気がする。一瞬目の錯覚かと思って目を擦って改めて少年の背の辺りを見た。――少年の背は、確かに膨らんだり縮んだりを繰り返している。

 霊夢はそっと少年の口元に顔を近付けた。頬の辺りに息がかかった。

 

「……生きてる!!?」

 

 怒鳴るや否、霊夢は少年の顔をぱしぱしと叩いた。

 

「ちょっと、貴方! 大丈夫!?」

 

 

 

 

――そう、あの時。あの時から、全てが変わって、全てが始まっていったんだわ。

 


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