まだ恋だなんて―――ウチには早いって、思ってた。だからこそ、皆からの相談を一歩引いて見れて。
皆が皆、周りが見えないぐらいの恋をしていて。そんな事になるんやろかって、どこか他人事の様に思ってた。
だけどそんな事、どこかに飛んでしまった。みーくんに出会ってから。
底抜けなぐらい優しくて。悩みがあったらいつの間にか聞いてくれてて。すぐに誰かの為に一生懸命になって。
それで自分が傷ついていても、それを隠して笑ってる。自分の事なんか後回しな彼の事が、好き。だからこそ、甘えている自分が嫌になる。
好きだから、傷ついて欲しくない。好きだから、甘えて欲しい。
好きだからこそ、相談して欲しい。好きだからこそ、笑って欲しい。
好きだからもう、隠して欲しくない。好きだからもう、離れて欲しくない。
好きで仕方ないから、嫌なことから、全部守ってあげる。
好きで仕方ないから、ずっと、ずっと。
そんな過保護な、東條 希のお話。
かたり、と音を立てて自分のロッカーを開ける。エリチのロッカーを見ると、どうやらもう先に来ているみたいで。
少し急ぎ気味に、荷物を入れていく。入れていく途中、頭の中に昨日の事が過ぎる。みーくんの事だ。
昨日の事があってから、少ししか眠れなかった。どうして、相談してくれんかったんやろ。ウチは、ううん、皆も同じ気持ちのはずやんね。
だからこそ、一層強く思う。笑みを偽ってまで頑張っていたなんて。そんな事、誰も望んでないのに。
止めていた手を再開させる。筆記用具だけ取り出して、階段を上がる。さっきまで思っていた事を胸に秘めて。
このまま暗い気持ちで行ったら、きっと暗いままやもんね。エリチもそう思ってるはずやし。そう思う。
階段を上がりきり、生徒会室の扉を開ける。
「おはよ……?え?」
「あら、希。おはよう」
「えーと、おはようございます。希先輩」
何時もの席に座っている、エリチと共に隣に座っているみーくんがいた。
理解が追い付かない。いつもなら大抵の事は冷静になれるのに。こうもさっきまで思っていた彼がいるなんて。
「な、なんで、みーくんがおるん?」
「いや、その。まあ、なんと言うかですね。成り行きと言いますか、その」
しどろもどろになっている。みーくんの手が宙に浮いていた。
じっと見つめる。怪しい。何かを隠そうとしてるみたいで。穴が開きそうなほど見つめる。
見つめれば見つめるほど、焦っているみたいだ。視線を合わせようとしなかった。
どんどんと近づいていく。テーブル一つ分の距離から、拳一個分の距離に。そして、吐息がかかる距離へと。
少し鳶色がかった目が潤んでいる。目尻は少し下がっていて。男の子にしては肌がとっても綺麗だ。
頬に赤みが浮いてくる。一秒一秒が、長く感じる。ふと、視線が交差する。瞬間、刹那。ほんの一瞬だけ。
こんなに近くに、みーくんがおるのに。心は、近づいてはくれないんやね。自分の中でそう独り言ちた。
すっと、ウチとみーくんの間に、紙が差し込んでくる。紙が来た方向を辿れば、エリチがこちらを見ていた。
「近付きすぎよ。少し離れなさい」
「んー、しょうがないなぁ」
「ほら、湊も。誤魔化せることじゃないわよ?」
「そうです、よね」
「まったく……じゃあ、私先生に用事が出来たから、少し席外すわよ」
そうエリチが言って、席を立つ。みーくんは、言いづらいのか顔が硬いままだ。
ウチは、みーくんを挟む様に隣に座る。そのまま、みーくんの手を両手で握る。
……暖かい。みーくんの体温がウチに移ってくれて。それがとても嬉しい。
そのまま、みーくんの顔を覗き込みながら話す。
「なぁ、みーくん。なんでか聞かせてもらってもええ?」
「……ええ」
ぽつりぽつりと話し始める。みーくんが生徒会にいる事。今日ここにいる理由も含めて、業者の人と一緒にセットを作っていることも。
皆に内緒にしていたこと。エリチが少し不機嫌だった理由もわかる。そんな事誰も思ってない。
皆が皆、無理をして欲しくない。そう思ってる。みーくんが自分を傷つけている姿を見てられない。昨日の事もあったから。
気付くことが出来なかった自分が不甲斐ない。皆そう思っているから、より一層、強く。
みーくんを見ると、何だか怒られるのを怖がっているように見えて。
……そう、じゃないんやけどなぁ。
全て聞いた後、みーくんの両手を優しく握りしめる。びくりとみーくんの体が震える。
「なぁ、みーくん。ウチは怒らんよ?」
「え?」
「ウチはみーくんが無理して欲しくないし、秘密にしてたことも嫌なんや」
「……」
「でも、それはな?心配もあるけど、ウチらは皆仲間やろ?」
「……ええ」
「仲間として、一人で背負い込んで欲しくない。そうウチは思うんよ」
勿論、みーくんの事が好きだからと言う事もある。でもこれは今言うことじゃない。
皆がそう思って胸に仕舞い込んでいるから。
ウチも我慢しなきゃいけない。
今だけは、そう。今は。
ゆっくり、優しく。両手を包み込むように。親愛も愛情も込めて。
傷ついて欲しくないから。そう思って、握りこむ。
「みーくん、分かった?」
「はい、とっても。絵里先輩も、希先輩も、皆も。僕を案じてくれているんだって、思います」
「……それとμ'sの一員だってことも」
そう、呟くようにして言う。俯いていた顔を、ウチに向けてくれる。いつものみーくんがそこにはいた。
みーくんに笑いかける。吊られて微笑んでくれる。嗚呼、やっぱりみーくんには笑っていて欲しい。眩しいぐらいの純粋な笑みが好き。
好きだから、守ってあげる。誰からもこの笑みを曇らせない。
「でも懐かしいなぁ。初めて会った時もこんな感じに手を握ったやん?」
「ええと。その時は丁度、穂乃果ねぇ達の練習を見に行ったときですよね」
「そうそう、影から見てて、話しかけたのが最初やったよなぁ。心配そうに無理とかしてないですかーって聞いてきたんよね」
「恥ずかしいですよ……もう。でも穂乃果ねぇ達が慣れないことをするんですから、心配だったんですよ。あれから、幾度となく相談に乗ってもらっちゃいましたけど」
「へぇ、その話気になるわね」
音を立てて、扉が開く。
書類を持ったエリチが、少し楽しそうに入ってくる。
聞き耳を立てて居たんだろう。タイミングがぴったりだった。
そのままみーくんの隣に座る。挟む形となった。
「ふふーふ。内緒やんね、みーくん?」
「え、あ、そうですね」
「あら、私には内緒なんてちょっと妬けるわね」
「誰にでも秘密はあるもんやで、エリチ!」
にっこりと、笑みを浮かべる。少し”違う意味”も含めて。
数少ない、みーくんとウチの秘密。二人しか知らない、二人以外知ってはいけない。二人以外知って欲しくない。
だから、笑みにその意味を乗せる。それに気付いたのか、エリチは肩を竦めるようにしてそれ以上聞かなかった。
きっとエリチも、同じ事を思っているだろうから。
「なぁ、みーくん。思うんやけど」
「ん、何でしょうか」
「もし、もしやけど。ウチ等が卒業して、みーくんと今みたいに喋れなくなったとしても」
「……?」
「ウチは、ずっと、ずーっと。みーくんの事、思ってるから。だから、『変わってしまった』なんて思わんといてな?」
「ウチも、エリチも、にこっちも。卒業して、変わることなんてないから、な?」
不思議そうに、こちらを見ているみーくんの手を取る。男の子なのに、肌がきれいで。ウチよりも大きい手をゆっくりと撫でるように。
目を見て、しっかりと伝える。今は、分からなくていいから。分からないままで、いいから。今は聞いて欲しい。
エリチは何かに気付いたようで、ウチに説明して欲しいと目を向ける。
後でと、だけ伝える様に、アイコンタクトをしてウインクする。みーくんの目がぐるぐると渦の様に回っているように見える。
コーヒーにミルクを入れて、混ぜるように。きっと、理解しようとしているんだろう。でも、分かる筈もないから。
ただ、ゆっくりと笑って。
玄関のドアを開ける。ふぅ、と息を吐く。今日は、色々あった。
絵里先輩に見つかってしまい、怒られ。
希先輩には優しく諭されてしまった。
何だか、こうも怒られるとは思ってなかった。
いや、咎められるとは思っていたけれど。
これ程までに問い詰められるなんて。
少しばかり思い違いをしていたんだろうか。
きっと、僕の思いは空回りしていたんだろう。そう納得させて。
玄関から、リビングへと移動する。何時もの様に、カーテンを開ける。
帰ってきたのは、少し日が傾き始めた頃で。
まだ夕暮れには遠い時間だった。雲は出ていて。
湿った空気が流れていた。……、一雨来るだろうか。と、思う。
洗濯物は干していないし、それに。すぐに動けるような状態でもなかった。帰ってきた服もそのままに、ソファーへと横たわる。理由はないけれど、何かを考えたかったからかもしれない。
ソファーの柔らかい弾力とともに、天井が見える。ゆっくりと、目を閉じる。
鼓動が、聞こえてくる。物の軋む音が微かに聞こえて。刻一刻と時計が時間を刻んでいく。
音がまるで、切り取られたように僕の耳に聞こえた。
僕は、ただ目を瞑る。
徐々に、僕の意識は今日のことになって。悲しそうに、顔を歪ませる絵里先輩と、僕に優しく微笑みかけてくれる希先輩が目に浮かぶ。
――――勿論、小悪魔の様な笑みを見せている絵里先輩も浮かんだけれど。僕の心臓には負担をかけたくないので、即刻忘れる。
僕は。あんなに軽々しく認めていいんだろうか。μ'sの一員だなんて事。皆が皆、輝いているのに。僕は。
頭の中でぐるぐると回る。皆が認めてくれているからって、そう軽々しく認めるわけにもいかない。
僕が入ることに、何かを思わないんだろうか。男だし、彼女達とはまた違うわけでもあるのに。
でも。でも、彼女たちは、僕を認めてくれていて。それに、僕も一緒に歩いていきたい。
胸を張って、僕のしている事はμ'sにとってプラスに働いているんだって思いたい。
僕が、僕であるように。僕の存在していることが、少しでもいい。彼女たちの背中を押してあげていられるなら。
二つの思いが巡る。ぐるり、ぐるりと。歯車が軋めきあって。それでもいいと、僕は思えて。
だんだんと、僕の体は宙に浮いているように思えてくる。何時ものことだ。物事を考えると、僕はこういう状態に陥る。
頭の中だけが、メロディラインを奏でるかのように。活発に物事を幾つも幾つも考え始める。
音が僕を導くように、僕はμ'sの一員でいいんだと思わせてくれる。そう、思ったはずなのに。ちくりと、何かが刺してきて。
その、何かに。僕はいつも考えてしまう。
この違和感が何なのだろうかと。
瞬間。ポケットの中から電子音が鳴る。どこかに飛んでいた僕の意識は引っ張り戻されて。
ゆっくりと、目を開ける。音が僕の耳に戻ってくる。しとしとと音が聞こえる。どうやら、降り出したみたいだ。
ポケットの中から、電子音の原因を取り出す。……携帯電話にどうやらメールが来たらしい。差出人は、高坂雪穂と書かれていた。指をフリックしてメールの内容を見る。
どうやら――――、僕に嬉しくないデートのお誘いだった。彼女に、いや彼女たちに、幾らか借りがある僕にとっては避けれないことで。
財布に眠っている紙幣達を思い返して。きっと叩き起こされてしまうんだろうなぁ、と苦笑しながら返信する。
「雨が止んだら」とだけ。