そこはひどく気分を悪くするところだった。息苦しく、体が重油に漬け込まれたかのように重く、鈍い。周りは不気味な光が瞬きあちこちから流れる騒音がハヤトの耳を苛む。すぐにでも出たいのに見えない壁が張り巡らされてるせいで逃げようにも逃げられない。もう何時間も同じ状態が続き気力が果てそうになったとき、隔たりの向こうから手が差し出されるのが見えた。思わず握ると優しいが頼もしい力で軽々と引っ張り抱き寄せてくれた。柔らかな温もりに安堵し、恩人の顔を見ようとするとそこにはリョウマの悲しみに満ちた表情があった。
「お前が関わるべきことではない。」
その顔を溶かし崩されながらリョウマが告げる。しまいには腕も発火し、ハヤトを押し包み---
耳に入り込んだチャイムで眠りの薄皮が破れた。もそもそとベッドから這い出し、インターホンに見入るとニット帽が映り込んでいる。
「どうかしたか、コウタ。」
ハヤトはいつの間にか寝汗をかいたアンダーシャツに内心舌打ちしながら来客に尋ねた。
「どうしたじゃねーって。いつまで経っても来ないから呼んでこいってツバキさんに言われたんだよ。相当おかんむりだぜ。」
「っマジか!?すぐ出るから待ってくれ。」
散乱した部屋の中から服を引っ張り出し電光石化で身支度を整える。完了するやいなや部屋を飛び出しロビーに全力疾走した。が、ツバキの姿はなく代わりに驚いたオペレーターの竹田ヒバリが目を丸くしていた。
「ハヤトさん、どうかされましたか?」
「あ、ヒバリさん、ここにツバキさん来なかったか?今めっちゃヤバくてさ。」
「えーと…状況がよく分からないんですけど、まだいらしてませんね。」
「は?」
すると、疑問形のハヤトにコウタが息を切らせながら走り寄ってきた。
「ちょ、ハヤト足速すぎだって。置いていかれちまうかと思ったよ。」
「…オイ、どういうことだこれは。」
「だからちょっとした冗談だって。ああ言わないと起きないかと思ったからさ。」
にこやかに答えたコウタをハヤトは素早く絞め上げた。
「勘弁してくれよコウタ君。オレ昨日からほとんど寝てないんだよ。詫びとしてお前を一生の眠りにつかせてやろうか。」
「悪かった、悪かったって!」
「で?寝てないってどういうこと?」
食堂でコウタがでかいトウモロコシにかぶりつきながら聞いてきた。
「戦闘後の新型のデータを採りたいって榊博士やリッカさんに一日中付き合わされたんだよ。オマケにツバキさんもくっついてきて訓練でみっちりしごかれた。」
「へー大変だったな。」
「それに変な夢も見るし、朝から体力使うし…」
「夢ってどんな?」
そういえば、どんな夢だったんだろう。咄嗟に記憶を探ったが答えられなかった。しかしあの光景には奇妙な既視感が残っていた。どこかで見たことがあるのだろうか。そんなときだった。
「よお、新入りども。」
リンドウが片手を挙げて話しかけてきた。
「おはようございます。」
「二人とも初の任務おめでとさん。まずは第一関門突破だな。」
「いや、まだまだッスよ。もっと経験積まないと。」
「そんなことないわよ。初陣で無傷で帰ってくる人なんてそういないわ。」
突然知らない声がリンドウの後ろから割り込んできた。そこにいたのは大胆な服装の女性だった。
「オウ、サクヤ。早かったな。準備は済んだのか?」
リンドウが挨拶したサクヤという女性は答える代わりに彼の口からタバコを抜き取った。
「そりゃ誰かさんと違ってルーズじゃありませんから。」
『食堂は禁煙』のポスターを指差しながらタバコをゴミ箱に放り投げる。やられたな、とリンドウが頭に手を当てる間にサクヤはハヤトの席に回りこんでいた。
「初めまして。私は橘サクヤ、今日はよろしくね。」
「え?今日はって…」
「あら、リンドウから何も聞いてないの、任務のこと。」
「今からするとこだったんだよ。」
と、リンドウが横合いから説明しだした。
「今回のお仕事はお前さんが遠距離の神機使いをパートナーとしたときの戦術を覚えてもらうことだ。互いの特徴をうまく活用すればアラガミに対して優位に動けるようになる。これは非常に大切なので真面目に取り組むように…っと、オレは用事があるから失礼するわ。」
いまいち締まりのない言葉で打ち切るとリンドウは階段の向こうへ姿を消した。それにサクヤも続き、
「じゃ、私も任務の手続きをしてくるからハヤト君は神機の調整済ませといてね。」
「討伐対象は何です?」
「着いてからのお楽しみ。コウタ君は彼に戦術を教えておいて。現地で二度手間はゴメンだからね。」
「了解ッス!」
コウタは勢いよく立ち上がりサクヤに熱い視線を送りながら敬礼した。軽く手を振りながら去るサクヤを見えなくなるまでそのままだったコウタにハヤトは疑問を投げた。
「えらく張り切ってるみてえだけど熱でもあるのか?」
「バカ、お前サクヤさんを知らないのか。アナグラでも抜群の狙撃手だぜ。オレ、この前あの人と一緒だったんだけどもう戦うお姉さんって感じだったよ。美人だし強いし優しいしその上…」
そこから何故か話はバガラリーまで及びハヤトは2時間も足止めされる羽目になった。