「おはようウヴァ、布仏さん」
「おう」
「おはよう、おりむー、篠ノ之さん」
「ああ、おはよう」
『甲龍』のチビと戦った翌朝、布仏と共に食堂で朝食を摂っていると織斑に声を掛けられた。隣には篠ノ之の姿もある。
「おりむー、ほっぺた腫れてるよ。どうしたの?」
「鈴に、ちょっとな」
布仏の言う通り、織斑の左の頬は赤く腫れている。
あのチビと何かあったらしいが、どうしたのだろうか?
昨日の様子を見る限り、仲は良いようだったが。
「なんだ、あのチビと何かあったのか?」
俺達と同じテーブルに座った織斑に問いかける。すると織斑は口を尖らせて答えた。
「ああ。鈴のやつ、女の子との約束を覚えてないなんて最低だ、なんて言っていきなり怒り出したんだよ。それでひっぱたかれた。俺はきちんと覚えていたのに」
「約束? なんのだ?」
「鈴の料理の腕が上がったら、毎日メシをおごってくれるって約束。小学生のころかな、約束したのは」
毎日メシをおごる?
料理の腕が上がったら、ということは手料理を振舞うという意味だろう。
いわゆる愛の告白の類だが、織斑は理解していないのか?
そう思い篠ノ之に目を向けると、不機嫌そうに織斑を見ていた。そういうことなのだろう。
「おりむー……」
俺と同じ結論に至ったらしい布仏が、織斑に残念なモノを見るような視線を向ける。俺も同じような目をしているだろう。
「な、なんだよ二人とも!? 言っとくけど、俺はきちんと約束を覚えてたんだぞ?急におかしくなったのは鈴なんだからな!」
織斑が焦ったように弁解する。
社交的な男だと思っていたが、意外にも言葉の裏側を読み取るのが苦手らしい。ふむ、これで少し煽ってみるか。
「そうだ織斑、あのチビが悪い。きっと、代表候補生になって天狗になっているのだろう。ちょうどクラス対抗戦もあることだ。一度叩きのめして反省させた方がいい。」
「いやいや、叩きのめせって……それに鈴は立場が変わったからって威張ったりするやつじゃないぞ。でもまぁ、そうだな。訳も無くひっぱたかれたままってのは、なんか情けないな。試合、勝ちに行こう」
「そうだ。そのための特訓ならいくらでも手伝ってやる」
織斑はクラス対抗戦へ向けて意欲的になってくれたようだ。これでいい。こいつには、デザートパスのために勝ってもらわないと困るからな。
「ウヴァっち……」
何故か布仏が先ほど織斑に向けていたのと同じ視線を向けてきた。
なぜだ。俺はなにもおかしなことは言ってないぞ。
なんとなく居心地が悪く感じられたので、布仏から目をそらし篠ノ之に声をかける。
「篠ノ之、お前剣士なんだろう? 放課後、織斑を鍛えるから手伝え」
「いいだろう。私もそのつもりだったからな」
♢
「織斑! 何をへばっている!」
「そうだ一夏! この程度で音を上げるなど情けないぞ!」
「ふざけんな! だいたい、二対一なんて卑怯だろ!」
放課後。アリーナで篠ノ之と共に織斑に稽古を付けてやっている。俺と篠ノ之の攻撃を同時に捌かせているのだが、十秒と持たない。こんなことでは『甲龍』にはあっさりと落とされるだろう。
「ああもう、休憩だ!」
そう言って織斑は息を切らしながらピットへと戻っていった。体力も切れかけていたようだし仕方がない。
俺と学園の『打鉄』を纏った篠ノ之も、織斑の後を追ってピットへと帰投した。
「おつかれ~」
「皆さん、お疲れ様です」
ピットへ帰ると、布仏とオルコットに出迎えられた。
オルコットは練習を始めた時点ではアリーナにいなかったはずだ。練習を手伝いに来たのだろうか。
「お前ら無茶苦茶過ぎだろ! 二人の攻撃を同時に受けろなんて!」
俺がISを解除すると、汗だくの織斑が詰め寄ってきた。
馬鹿が、それぐらいできなければ『甲龍』に勝てるわけがないだろう。
「織斑、お前も俺とあのチビの戦いを見ていただろう。あの『甲龍』のパワーで振るわれる剣と『見えない砲撃』の両方を攻略しなければ奴には勝てん。勝つ気があるなら『打鉄』二機の斬撃ぐらい防いでみせろ」
「そんな無茶な……」
「そうですわね、あまり効率の良い訓練とは言えませんわ」
俺が織斑に訓練内容の必然性を説明していると、オルコットが口を挟んできた。
「データを拝見させていただきましたが、対応しなければならないのは『格闘と特殊砲撃』であって『IS二機による格闘攻撃』ではないのでは?」
「セシリア……」
なにやら甘いことを言いだしたオルコットに織斑が縋るような目を向けている。馬鹿め、篠ノ之の機嫌がまた悪くなったぞ。
織斑の視線を気にせずにオルコットは言葉を続けた。
「ですから、ウヴァさんか篠ノ之さんのどちらかと格闘しながら、わたくしの『ブルー・ティアーズ』を避ける。そういった訓練はどうでしょう」
ニコニコと笑いながらオルコットはそう提案した。織斑は話をよく理解できないらしくポカンとしている。
「確かに理にかなっている、決まりだな」
「ウヴァ、最初は私が出る。いくぞ一夏」
「へ? いやっ、それも無茶苦茶だって! なんでセシリアまでそんな厳しいの!?」
「あら? わたくしは織斑さんに無様な姿を晒してほしくないだけですわ。そんなことになれば織斑先生も悲しむでしょうし」
オルコットの言葉を理解した織斑がオロオロしだす。
特訓が楽になることを期待していたらしい。
当てが外れた織斑は布仏に縋り付いた。
「の、布仏さん、助けてくれ! なんか俺殺されそう!?」
「んー、私もデザートパスほしいからな~」
「そんな!」
「一夏、お前という奴は……来い! その根性、叩き直してやる!」
特訓はアリーナの閉鎖時間ギリギリまで続いた。
織斑はボロボロになっていたが、訓練を続ける間にその動きは目に見えて良くなった。
世界最強を姉に持つというのも頷ける。一月訓練を続ければ、あのチビに『零落白夜』の一太刀を浴びせて打ち倒せる可能性はある。
デザートパス入手の目途が立ったことで、俺は上機嫌に訓練を終えることができた。
♢
「あ、凰さんだ~」
「ヌッ」
「え?」
アリーナから部屋へ帰りシャワーを浴びた後、布仏と共に食堂へ行くと、受け取り口で『甲龍』のチビと鉢合わせした。
せっかく気分の良い飯時だというのに嫌な奴と一緒になってしまったな。む、そうだ――
「フッ」
俺は、こちらに不機嫌そうな視線を向けるチビを見下ろしながら鼻で笑った。
少々唐突ではあるが、昨日の仕返しを思いついたからだ。
「なによ?」
「なに、男にフられて傷ついている生意気な小娘を笑っただけだ」
「っ!?」
チビは唇を噛みしめてワナワナと震えだした。予想通りだ。
織斑が約束の意味を理解していなかった事。それが原因で仲違いしている事。両方とも、ひどく堪えているようだ。
「クックック……ずいぶんと落ち込んでいるぁっが!?」
俺は嘲りの言葉を続けようとしたが、出来なかった。
布仏に殴り飛ばされたからだ。完璧な不意打ちに俺は倒れた。
突然の出来事に周囲がざわめく。
「布仏! 何をする!」
「ウヴァっち最低っ! 凰さんに謝って!」
混乱しながら起き上がり、布仏を問い詰めた。布仏は一歩も引かずに怒鳴り返してくる。
「ぬぅぅっ、しかしっ」
「はやくっ!」
ッ! 今度は足の甲を踵で勢いよく踏まれた。痛い。そんなにも怒っているのか?
「ぐぅ……すまなかったな」
「…………」
仕方がないので俺が謝ると、『甲龍』のチビは無言で立ち去った。
それから後、布仏は一切口を利かなくなった。この日の夕食は、人間の体を手に入れてから一番味気ない食事だった。布仏が発する重たい空気のせいだ。感覚とは、周囲の雰囲気にこうまで左右されるものなのかと驚いた。
学園に来てから一緒に暮らしてきたが、布仏が怒ったり、不機嫌になる姿は初めて見た。
終始無言な布仏が嫌で、俺は逃げ出したい気分だった。
クソ、あのチビさえいなければ……
この日は食堂から帰った後、俺も布仏もすぐにベッドに潜り込んだ。
♢
翌朝になっても布仏の様子は変わっていなかった。
起床すると、すぐに着替えて無言で部屋を出ていってしまった。
「おはよう、ウヴァ」
「……織斑か」
食堂で一人ぼんやりとしていると織斑が現れた。
「お前が一人でいるなんて珍しいな。布仏さんはどうしたんだ?」
「少し、怒らせてしまってな……」
「布仏さんを怒らせるって、お前何やったんだよ?」
「どうでもいいだろ」
俺の隣に座りながら、織斑が呆れた声音で言った。
こいつがあのチビの言葉の意図を理解していれば、こんなことにはならなかったというのに。
そんなことを思ったが、言っても八つ当たりにしかならないので黙っておく。
それに、差し迫った事案に対応するため、織斑に頼まなければいけないことがあった。
「それより織斑、金を貸せ」
「お金? 財布落としたのか?」
「違う。金はあるがヌエボ・ソルしか手元にない」
「ヌエボ……なんだって?」
「ヌエボ・ソル、ペルーの通貨だ」
「ああ、日本円切らしたのか。そのペルーのお金、全部両替しといていいんじゃないか? ここじゃ使えないんだし」
織斑が財布を取り出しながらそんなことを言う。
「ソルを両替できる施設など、そうそうないぞ」
「え、どうするんだ? というか、これまではどうしてたんだ?」
「ここでの支払いは全て布仏に任せていた」
「マジか……」
織斑が千円札を差し出しながら、情けないモノを見る目を向けてくる。
冷静に考えればおかしな話だが、今朝までそういうものだと思っていたんだ。
仕方がないだろう? 最初に布仏に食堂に連れていかれたとき『私が払うよ、ウヴァっちのお世話係だからね~』なんて言われたんだから。
織斑から借りた金で俺はビターチョコレートのケーキを注文した。やはり、その味は色褪せて感じられた。
♢
俺は布仏のせいで授業に集中できずにいた。
朝食の後、教室で話しかけてみたが完全に無視された。無表情な布仏の顔を思い出すと腹が立ってくる。
お前、いつまそあのままでいるつもりなんだ?
お前のせいで俺は無一文なんだぞ?
そう言ってやりたいとも思うが、今以上に関係が悪化するのが怖いので実行に移せずいる。
しかし、どうしたものか。
今日の昼までは織斑に借りた金で乗り切れるだろうがそれから先はどうする? いつまでも織斑に頼ることもできまい。
ペルー政府へ連絡を入れれば金の工面ぐらいしてくれるだろう。だが、時間がかかるだろうし、絶対に面倒な手続きが絡む。
だいたい、なぜあのチビでなく布仏が怒っているんだ!?
「ウヴァ、答えは?」
「あぁん?」
苛立ちでまとまらない思考に埋もれていると、突然名前を呼ばれた。
顔を上げると織斑千冬が目の前にいる。何の用だろうか?
「答えは?」
答え? 何の答えだ?
「おい、お前、何を言っているっだぁ!?」
「……授業に集中しろ。あと、お前ではない。織斑先生だ」
教師は俺を出席簿で殴り、溜息を吐いて俺の前から立ち去った。クソ、ムカつく女だ……
♢
「布仏。いい加減、機嫌を直せ」
昼休み、食堂で昼飯を食っている布仏に俺は話かけた。
俺から布仏に声をかけるのは、今日になってから何度目だろうか?
「……もうあんなことしない?」
「ああ」
数拍の間をおいて、布仏が口を開いた。ようやくか。俺は布仏の問いに反射的に肯定を返す。
「後でもう一回、きちんと凰さんに謝って」
「いいだろう」
あのチビにまた謝るというのも癪だが、今の気まずい雰囲気のまま過ごすよりはマシだ。
「今度の日曜日、頼みたいことがあるんだけど聞いてくれる?」
「ああ、構わんぞ」
クラス対抗戦に向けて織斑を鍛えなければならないが、一日くらいなら篠ノ之に任せて問題ないだろう。
「うん! じゃあ許してあげる~」
俺の答えから一呼吸おいて、布仏はいつもの調子に戻った。
少し面食らった。
許すもなにも、別に俺はお前には何もしていないんだがな。
そう思いもしたが口には出さないでおいた。ようやく重い空気から解放されたのだから、余計なことは言わなくていいだろう。
しかし、日曜に頼み事か。わざわざ休日を指定したということは一日潰れるようなことなのだろうが、何をさせる気だ?
そういった事を考えていると布仏がまた呼びかけてきた。
「ああ、そうだウヴァっち」
「なんだ」
まだ何かあるのか?
「名前」
「名前がどうした?」
「そろそろね、名前、布仏じゃなくて、本音って呼んで欲しいな」
「いいぞ。好きなように呼んでやる」
どうでもいいことだ。今は昼食の時間だ。
俺は織斑から借りた金で注文したビターチョコレートのケーキに手を伸ばした。
うん、美味い。俺が一番好きな味だ。
のほほんさん激怒からのスピード和解でした。
今回はいつもより短いです。
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4月23日
読み返して、和解があまりにハイスピード過ぎると感じたので後ろの方書き直しました。