「ほえ~、そんなことがねぇー」
「凰が悪いんだよ、凰が」
「でも、無理は駄目……」
臨海学校初日の正午過ぎ。俺は旅館の食堂で昼食を摂りながら、午前中の騒動の事を簪と共に本音に話していた。
「鈴ちゃん助けようとしたのは偉いけど、かんちゃんの言う通り、無茶は駄目だよ?」
「ああ、もう絶対に足の届かない水場には入らん」
本音の戒めの言葉に同意を返す。あんな思いは二度としたくないからな。水場には極力近寄らないようにしよう。
「それは極端すぎるような……まぁいっか」
そんな呟きを聞きながらテーブルに並んだ昼食に手を伸ばす。新鮮な海の幸、らしい。
様々な種類の鮮やかな料理に迷いながら、俺は本音に訊ねた。
「午後は何をするんだ?」
「二組とビーチバレー対決だよ~。 ウヴァっちも入る?」
「俺が参加すると勝負が決まってしまうぞ」
「あ~確かに」
「勝ち負け以前に、危険……」
会話を続けつつ、刺身を口に運ぶ。美味い。あっさりとした味だが、確かな風味があり箸が進む。
「ウヴァっちはこれからどうするの?」
「まぁ、俺は部屋でおとなしくしとくよ」
本音の問いにそう答えた。少し疲れているし、なにより今日は海に近付きたくないからな。
「んー、そっか。あ、そういえばさっき、かなりんがね――」
それから食事が終わるまで俺と簪は、笑顔で午前中の出来事を語る本音の声に耳を傾けた。
♢
本音や簪と別れた俺は旅館の自室――正確には俺と織斑、そして織斑千冬が宿泊する部屋――に戻っていた。とりあえず、締め切られたカーテンと窓を開けてみる。
午後一時の眩しい日差しに、田舎の風景が浮かび上がる。旅館は海沿いに立っているのだが、この部屋の窓は陸向きに付いていた。
少し残念な気もするが、この窓から見える景色も風情があってよいものだ。
里山を背景に様々な植物が乱れる萌黄色の平原と、そこを走る荒れたアスファルトの道。少し離れた場所には民家や小さな商店も見える。全体として緑が目立つこの土地は、青い空とのコントラストが鮮やかで気持ち良い。
窓枠を叩いてリズムをとりながら景色を楽しんでいると、コンコンとドアをノックする音が響いた。来客のようだ。
「誰だ?」
「ウヴァ、私……入っていい?」
簪の声だ。何の用だろうか。
「かまわんぞ、入れ。ああ、ドアは開けっ放しにしといてくれ。通気が良くなるからな。」
「うん、わかった……おじゃまします……」
お辞儀をしながら部屋に上がる浴衣姿の簪。
「どうしたんだ?」
「ん、私ものんびりしようかなって思ったから……」
「そうか。椅子とかは好きに使え」
「ありがとう」
どうやら暇潰しに俺の部屋を訪れただけのようだ。俺の言葉を聞き、和室の中央に、ちゃぶ台と共に設置されている座椅子に腰を下ろす。割と遠慮のない様子。
こいつも変わったものだ。初めて会った時は、俺に対して露骨に怯えていたというのに。
「ウヴァ、何してたの……?」
「外を見ていた。中々のものだ」
質問にそう答えながら、一歩横に動く。これで簪の座っている位置からでも見えるだろう。
「そうだね、天気もいいし……ウヴァ、お茶入れていい?」
「いいぞ。せっかくだ、俺の分も頼む」
「うん……」
部屋の備品で茶を入れる簪。俺はテーブルを挟んだ向かい側に座った。
湯気を立てる湯呑みが差し出される。よい匂いだが、まだかなり熱い。少しだけ啜る。
簪を見ると、ふぅふぅと息を吹きかけて茶を冷まそうとしていた。可愛らしいしぐさだな、と思った。
しばらく二人でチビチビと茶をのむ。静かで穏やかな空気だ。
ふと、あることが気にかかり、俺は口を開いた。
「なぁ、簪」
「ん……?」
「お前、今日はずっと俺と一緒にいるが、いいのか? お前にも付き合いとかあるだろ」
もしかしたら、簪がここに来たのは、こんな日に宿の客室に引きこもる俺に気を使ってのことかもしれない。
そう考えての質問だったのだが、簪からは予想と違う反応が返ってきた。
「……私……クラスに、友達いないから……」
自嘲するように寂しげな笑みを浮かべる簪。これは触れてはいけないところだったかもしれない。
いないのか、友達。まぁ、普段から暗い顔で陰気な雰囲気を纏っているからな。おまけに人見知りで口下手ときている。どうあがいても人気者にはなれないタイプだ。
そんなことを考えていると、簪が不機嫌そうな顔で問いただしてきた。
「ウヴァ、失礼なこと考えてない……?」
何故か考えを見透かされた。適当に誤魔化そう。
「アレだ、お前はもう少し明るい感じになった方がいいんじゃないか?」
オブラートに包んだ言葉を選んだつもりだったのだが、失敗した。皮肉とも取れる発言をしてしまう。
つむじを曲げた様子の簪は口を尖らせてボソボソと言った。
「ウヴァだって、どうせ友達ほとんどいない癖に……」
少しムッとした。確かに簪の言う通り友達なんていないのだが、知ったような口を利かれるのは気にいらなかった。なので、高圧的に棘のある言葉を返す。
「フン、友達? 俺にはそんなもの必要ない」
俺がそう言うと、簪は短く呟いた。
「ウヴァのこと、友達だと思っていたのに……」
それっきり物悲しい顔で俯く簪。これはバツが悪い。本当に落ち込んでいる様子で、見ているだけで心臓がキリキリ痛む。
「まぁ、あれだ。思うだけなら好きにしろ。文句は言わん。だから、な?」
歯切れの悪いフォローが口をついて出た。俺は動揺しているのか? 落ち着きのない自分に気付く。
そんな俺に対し、簪は顔を上げた。
「うん、じゃあ友達だね」
そう言ってクスクス笑う。
おい、ちょっと待て。お前、すごく落ち込んでいたじゃないか。俺をからかうための芝居だったのか?
手玉に取られ弄ばれたという事実に愕然とする。こいつ、人を心配させておいて。なんて酷い女だ。
「ちょっと思いついちゃったから……ゴメンね?」
憮然とする俺に簪は手を合わせながら言った。
微妙に茶目っ気を含んだ態度で投げかけられる謝罪。余計に腹が立つ。
俺が拗ねて顔をしかめると、簪は困ったように頬を掻きながら口を開いた。
「ええと、怒ってる……?」
当前だろう。無言の仏頂面で視線を返し、そう伝える。ソワソワしだす簪。だが、ここで簡単に許すのは負けのような気がするので威圧的な姿勢を維持した。
そして一分弱の気まずい沈黙の後、簪はおずおずと口を開いた。
「今度、シャルモンのケーキ奢るから……」
そう言ってチラリとこちらの様子を伺う。仕方がない、今日はこの辺で勘弁してやろう。
「いいだろう。ただし、一つや二つじゃ俺は満足せんぞ」
「……うん」
態度を軟化させた俺に、簪はホッと胸を撫で下ろす。その様子を見ながら、俺は湯呑みを手に取った。口をつけると大分ぬるくなっている。一息に飲み干した。
空になった湯呑をテーブルに置くと、簪が問いを投げかけてきた。
「ねえウヴァ……今の生活は楽しい?」
少し唐突で漠然とした質問。意図が読めないので、頭に浮かんだ答えを素直に口に出す。
「楽しい、というより気楽だな」
「どういうこと?」
首をかしげる簪に対し、補足するように付け足した。
「学園に来るまでが酷かったからな」
「あ……」
俺の境遇に思い至ったのか、視線を落とす簪。同情してくれているのだろう、優しいな。
しかし、ペルーで目覚めてからの数年間、俺は本当にもったいないことをしていたな。怪我の功名でまともな体を手に入れたというのに、あんな小汚いスラムに閉じこもっていたとは。
そういった意味のない後悔が脳裏に走る。俺はそれを振り払うように立ち上がった。窓際へと移り、外を眺めながら簪に話かける。
「学園での生活は、嫌いじゃない」
「そう……」
浮かない相槌が打たれた。辛気臭いのは苦手だ。俺は冗談めかして大仰な口調で言葉を続けた。
「風呂は広いし、空調は完璧。何より飯が美味い。考えてみると素晴らしいじゃないか、IS学園」
意識しておどけるなんて初めてのことだ。少し気恥ずかしい。だが、その甲斐あって簪の声も少し明るくなった。
「それに、本音もいるし?」
軽い口調で尋ねられた。つられるように肯定を返す。
「そうだな。あいつにはいろんなことを教わった。あいつと出会うまで俺は何も知らなかった。それこそ、空が青いということさえも」
俺らしくない言い回しがスラスラと口から出た。
空の色が何色か知らなかったなんて、大袈裟だと思われただろうか。だが、事実だ。
グリードだから色を識別できなかったとか、そういう話じゃない。そんな問題はとっくの昔に解決していた。
本音と出会うまで俺は、どんな物が目に入っても、それを通して己の欲望だけを見て、満たされぬことに苛立っていた。
それがいつの間にか世界を味わうことを覚え、美しい景色で心を満たせるようになっている。不思議なものだ。
青い空を見上げながら感慨に浸っていると、簪が確認するように呟いた。
「だからウヴァは、本音が大好きなんだね……」
「フン、まあな」
実に恥ずかしい台詞だったが、機嫌が良いので突っ込まずに同意してやる。
すると、この場にいないはずの声が返事をした。
「いや~照れるなぁ~ えへへ、大好き?」
「っ!? 本音!?」
いつの間にか部屋に本音が入ってきていた。つまり、先ほどの答えを聞かれた。顔から火が出そうな程の羞恥が湧く。クソ、外を眺めていたせいで気付けなかった!
とりあえず、照れ隠しに簪を睨む。が、どこ吹く風といった様子で爆笑し続けている。コイツ、人を欺くようなマネをしておいて! それも今日二度目だぞ!?
「まあまあ~ ウヴァっちが幸せそうで私は嬉しいよ~?」
怒りのタガが外れそうになった俺に、本音が駆け寄って抱き着いた。そしてワシャワシャとその手で髪をかき混ぜる。
「ええいやめろ、髪が乱れる! それに暑苦しいから離れろ! だいたい何の用だ!?」
恥ずかしさでパニックを起こしながら俺は怒鳴った。だが本音は、抱き着くことも俺の頭をグシャグシャにすることも止めずに言葉を返した。
「もう、つれないな~。えーとね、ビーチフラッグス大会やるから誘いに来たんだよ?」
「お、俺が出ると優勝が決まってしまうぞ?」
なんとか心を鎮めながらそう返す。ああ、顔が熱い、どうなっているんだ。
「大丈夫! 織斑先生も誘ったからね~ どっちが速いかみんな興味津々だよ~」
俺の背中にぶらさがり、嬉しそうに言う本音。ウム、そうか。織斑千冬か。面白いな。ぜひ、早速、競争しにいこう。大きく頷いた。
「それは行かなければならないな。相手は世界最強だ。待たせるのも失礼だ。急ごう」
俺はそう言って、脱兎の如く部屋から逃げ出し海へ向かった。
「わわっ! そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに~」
笑いを含んだ楽しそうな本音の声が廊下に響いた。
おまけ 深夜のウヴァさんと教育呑み
「よせ、これ以上はいい……俺は酔いつぶれる気はなぃ……」
「見苦しいですよ、ウヴァくんっ! 織斑先生の志を見習ってほしいですよっ、先生は! はいイッキ! イッキ!」
「はっはっはっ! 真耶、あまりイジメてやるなよ? 一夏、肴はまだかぁ!」
「はい、千冬姉……俺、明日があるからもう寝るよ……廊下で」
眩暈がする。吐き気もだ。気分が悪い。苦痛に苛まれながら、紙コップになみなみと注がれた酎ハイを口に運んだ。
深夜一時の居室。俺は織斑千冬と山田真耶によるアルコールハラスメントに晒されていた。
なぜこうなったのかはわからない。確か九時頃だろうか、晩酌を始めた織斑千冬に酒を強請ったことまでは覚えているのだが。
ゴクリゴクリと甘い酒を嚥下しながら、記憶をたどる。頭痛と共に断片的なイメージが浮かび上がった。
何かの書類を持って来た山田真耶。
俺の手からビールを奪う山田真耶。
ボストンバッグから火酒を取り出す織斑千冬。
浴びるように酒を飲む二人の教師。
俺の口に突き立てられる酒瓶。
大量の酒を部屋に運びこむウサ耳をつけた女。
ウサ耳女を部屋から蹴り出す織斑千冬。
再び俺の口に突き立てられる酒瓶。
……ダメだ、意味がわからない。コップを握った拳を机に叩きつけると、隣で山田真耶が吠えた。
「ウヴァくんっ! ウヴァくんの言う通り、やらしい水着買ったのに、一夏くんは押し倒してくれませんでしたよ! どういうことですか!」
突然、怒りをぶつけられた。なるほど、大体わかった。つまり、織斑がこいつを押し倒していればこんなことにならなかったのか。おのれ織斑め……
呻きながら怒りに震えていると、織斑千冬が俺のコップにまた酒を注ぎだした。おい、やめろ、やめてくれ。
「ほう……ウヴァ、お前、一夏を誘惑するよう真耶をけしかけたのかどういうつもりだ?なにがねらいだ?ふざけているのか?あそびじゃないんだよ、こたえろごきぶりあたま」
昏い目で何かブツブツと問い詰めてくる織斑千冬。先ほどまで陽気に笑っていたのにどうしたのだ? 酒で回らない頭では何を言っているのかも分からない。
なのでコップの琥珀色を一息に飲み干した。視界が歪む、気持ち悪い、意識がもうろうとする。腹も酷く痛む。
平衡感覚を失った俺は畳の上に倒れた。だめだ、もう瞼を開けていられない。
織斑千冬の手が俺のこめかみを掴んだという認識を最後に、俺は意識を失ってしまった。これから酒は控えよう。
教育学部の学生や教職に就いている方々の飲み会って、すごいらしいですね。
ここ数話のっぺりした話が続き、読んでいて退屈に思った方も多いと思いますが、次回から話を動かしていきます。
クロスオーバー展開も本格的に始める予定です。