空飛ぶウヴァさん   作:セミドレス

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第十四話 ウヴァさんと試験飛行

「本音、起きろ。更識もだ。眠るなら部屋にしろ」

「……無理……眠ぃ……運んで……」

「……ん……おはよう」

 

 学年別トーナメントが終わった翌日、土曜日の早朝。

 

 俺は第二整備室を訪れ、テーブルに突っ伏して眠る本音と更識を起こしていた。

 二人は夜を徹して『打鉄弐式』の調整・開発を進めていたのだ。電源の切れた端末がまだ熱を持っているあたり、つい先ほどまで作業を続けていたのだろう。

 声をかけると更識はあっさりと目を開いたが、本音はぐずるばかりだ。立ち上がるのも億劫に見える。

 

「どれくらい進んだんだ?」

 

 本音を抱き上げながら更識に訊ねた。キーボードの上に伏せていたせいで、その額には赤い跡が残っている。

 

「飛行プログラム、完成した……」

 

 充血した目を擦りながら答える更識。眠気のせいか、いつも以上にか細い声だが、確かな達成感を含んでいた。

 控えめな性格のこいつが完成と言うのだ。少なくともシミュレーション上では、『打鉄弐式』は自由に飛べるところまで来ているのだろう。

 

「テストする時、手が必要なら呼んでくれ」

「ありがとう…今日の昼からでも、いい…?」

 

 俺の申し出に、椅子から立ち上がりながら更識は質問で返す。今日の昼からか……

 

「俺は構わんが、体調は大丈夫なのか?」

「問題ない……」

「そうか」

 

 目の下に隈ができた顔はいかにも調子が悪そうだ。徹夜での作業と言うことを考えると、完成したプログラムにも不備があるかもしれない。

 昼までに疲れが取れていないようだったら、テストフライトは中止させよう。

 強靭な精神力には敬服させられるが、だからこそ危ない橋を渡るようなマネをして欲しくないと思う。

 心の中でそんな決定を下したあと、スヤスヤと寝息を立てる本音を抱えて寮への道を進み始めた。フラフラと更識は後を付いてくる。

 そのまま黙々と歩き続け、俺と本音の部屋の前。

 

「ここ、お前の部屋じゃないぞ?」

「……あ」

 

 思考停止状態で俺の後を追っていたらしい。ノックアウト寸前のようだ。

 だが、ここまでついて来てくれたのはありがたい。本音を抱えているせいで扉を開けられないからだ。

 

「更識、ジャケットの右のポケットに鍵がある。それで扉を開けてくれ」

「あ、うん……」

 

 俺の頼みに応じて革ジャンから鍵を取り出し、扉を開ける更識。

 

「お前、ここで寝てけ。そっちが本音のベッドだ」

 

 部屋に入った後、俺はそう提案した。自室まで歩かせるのも酷に思えるくらい、更識が疲れているように見えたからだ。

 本音を俺のベッドに寝かせ布団をかけた後、部屋のカーテンを閉める。更識を見ると、俺とベッドの間で視線を往復させていた。

 迷っているようだ。動きたくない、早く眠りたいという欲求。俺への遠慮と警戒心。ジレンマが読み取れた。

 

「……ごめん」

 

 数拍の間の後、更識は部屋に入った。今回は睡眠欲が勝ったようだ。眼鏡をデスクに置き、ベッドに潜り込んだ。ブラウスのボタンを胸元まで開けて首周りを緩める。

 

「気にするな、俺は朝飯を食いに行く。ゆっくり休め」

「ん……」

 

 目を瞑ったまま小さく頷く更識。俺は本音の髪留めを外して枕元に置いた後、食堂へと向かった。

 

 

 

 

 

 

『かんちゃん、ウヴァっち、おーけー?』

「いつでもいいぞ」

「うん……」

 

 管制室の本音から通信が入る。午後三時、俺達は第六アリーナのピットで『打鉄弐式』の試験飛行を開始しようとしていた。半日眠って二人の体力も回復している。

 

『じゃあ、試験内容の最終確認するね~。カタパルトから発進後、まずは第六アリーナ上空で加速テスト。それから中央タワーまで巡航速度で飛行し、タワーに沿って精密機動のチェック。その後再びアリーナまで巡航試験。ウヴァっちはトラブル発生に備えて『弐式』に追従。『弐式』の方が速いから大変だけど、頑張ってね。念のため、常に瞬時加速の発動準備よろしく』

「おう」

「了解」

 

 更識と共にISを展開し、カタパルトに足を乗せた状態で本音に返事を返す。

 

『じゃあ、始めるね。よ~い……』

 

 本音の声に合わせて、空中に投影される『TRIAL』の文字と三色のスタートシグナル。隣に並ぶ更識をチラリと見ると目があった。小さく頷き合う。

 

『……てっ!』

 

 転灯する青のランプと『GO!』の表示。加速。二機のISが偏向重力によって空へと打ち出された。

 

 

 

 

 

 

「……昇るから、よろしく」

「ああ」

 

 俺と更識は加速試験と巡航試験を終え、中央タワーの根元に滞空していた。これから歪に捻じれたタワーの外壁に沿って飛行することで『打鉄弐式』の精密動作性を確認するのだ。

 スラスターを吹かして上昇を開始する『弐式』。

 やはり、速いな。俺の『打鉄』より一つ先の世代である上に、リソースを防御方面に多く振っている『打鉄』に対し、『打鉄弐式』は速力重視の機体なのだ。機動性が高いのは当然か。

 そんなことを考えながら、更識の後を追う。なかなか大変だ。

 しかし、あいつ飛ぶの上手いな。細かいスラスター操作でスピードを落とすことなく、それどころか加速しながら『弐式』は複雑な軌道でタワーを昇っていく。

 更識は飛行を続けながらも時折、手元にキーボードを投影してリアルタイムで調整を行っている。器用なやつだ。

 そうこうしているうちに、タワーの頂上に到着。

 

「どうだ?」

「大丈夫……」

 

 一旦着地し短く言葉を交わし、第六アリーナへと戻るためにすぐに飛び立つ。

 

「……っ」

「おい、それ」

 

 タワーの頂点から高度を落としていく途中、『打鉄弐式』に異変が生じた。脚部ブースターの炎が不安定にチラつきだしたのだ。

 

「……制御系がおかしい、再起動するから、支えて」

 

 問題が見つかったか。滞空して機体の状態を確認した更識は唇を噛み締めている。ここまで大きなトラブルがなかっただけに、その悔しさも一入だろう。

 気の毒に思いながら、俺は『打鉄』を近づけ、スカートアーマーを持って『弐式』を固定した。

 

「ごめん……」

「気にするな」

 

 気落ちした様子で謝る更識に俺が返答した瞬間。

 

「ヌォッ!?」

「くぅっ!?」

 

 『弐式』の右足の推進器が爆発した。衝撃で弾き飛ばされる。

 急いで姿勢を制御しながら、ハイパーセンサーで更識を確認する。自由落下。今のでPICが死んだか? なんてことだ。だが、フォローは間に合う。

 俺はスラスターを吹かして一気に高度を落とし、回り込んで更識を受け止めた。

 

「流石に肝が冷えたぞ。怪我はないか?」

「…うん…ありがとう……死ぬかと、思った…」

 

 硬い表情で更識はそう言った。震えているようだ。無理もないか。

 

『ウヴァっち、かんちゃんは!? 何が起きたの!? ダメージ表示の後、『弐式』のモニタリングが切断されたんだけど!? 』

 

 管制室の本音から通信が入った。異常を察知し、取り乱している。俺は落ち着かせるように応答した。

 

「本音、更識は大丈夫だ。トラブルが起きたが、怪我はしていない」

『そっか、よかったぁ~』

 

 安堵の声を漏らす本音に、俺は言葉を続けた。

 

「『弐式』のスラスターが駄目になった。歩いてアリーナまで戻る」

『あらら……りょーかい、気をつけてね』

 

 通信を終え、『打鉄弐式』を抱えたままゆっくりと高度を落とし着地する。ISを解除し、俺は更識に問いかけた。

 

「試験は中止だな。何が起きたんだ?」

「……わからない……突然エラーが出て、全てのシステムダウンした……プログラム、全部チェックしないと……」

 

 暗く落ち込んだ声で、そう返された。

 原因不明の機能停止、重大な欠陥だ。修正には時間が掛かるだろうな。

 更識は死んで腐りかけた魚のような目をしている。

 無理もない。一週間、整備室に缶詰になってやったことが無駄になったようなものなのだから。

 

「まあ、そう落ち込むな。怪我がなかったことを幸運としよう」

「……うん……」

「よし、いくぞ」

 

 気の毒に思いながらも更識を促し、俺は第六アリーナへの道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、かんちゃん。そろそろ止めにしよーよぉ」

 

 夕方、五時前の整備室。ハンガーで『打鉄弐式』を展開してプログラムをチェックする更識に、テーブルの上でへばっている本音が問いかけた。

 

「……もう少しだけ」

 

 更識はこちらに顔を向けることもせずに返事をする。

 その両手、そして両足の上下には球状のキーボードが投影されており、二十本の指が弾けるように動いて指令を発し続けている。

 凄まじい技能だが同時にホラーな光景でもある。

 強張った半泣きの顔、変態的な運指、そして視線入力操作のためにグリグリバチバチと動く眼鏡の奥の眼と瞼。子供が見たら泣き出してしまうだろう。

 試験を中止して整備室に移動してから一時間、更識はずっとこの調子だ。無茶をやっているようにしか見えない。

 本音が先ほどから何度も休むように言っているのだが、その度にもう少し、もう少しと返している。ヤケクソになっているようだ。

 本音は溜息を吐き、俺に視線を向ける。

 

「あ~、ウヴァっちぃ~」

 

 気怠い声で名前を呼ばれた。俺に更識を止めろと言いたいのだろう。

 本音も『弐式』の墜落はショックだったらしく元気がない。こんなことでは、こちらの気まで滅入ってしまう。しかたがないな。

 

「おい、更識。そこまでだ」

「まだ、大丈夫……」

 

 近付きながら制止の声を投げかけたのだが、更識は耳を貸そうとしない。

 俺は我慢強く言葉を続けた。

 

「大丈夫じゃない。お前、酷い顔してるぞ? 大体、さっきの事故は徹夜で無茶して組んだプログラムが原因じゃないか。それなのにそんな状態で作業を続けてみろ、また不具合が増えるだけだ。今日はもう休め」

「……わかった」

 

 道理の通った説得を受け、渋々といった調子で作業を止めてISを量子格納する更識。涙の滲んだその瞳はとても悲しい色だ。

 

「かんちゃん、明日からまた頑張ろ? ね?」

「うん……ごめん……」

 

 よたよたと歩み寄る本音。更識の肩を抱き、その乱れた髪に手櫛を通しながら慰める。どうも苦手な雰囲気だ。

 

「お前ら、辛気臭いのはやめろ。そうだな、何か美味いものを食おう。寿司なんてどうだ? 日本人はみんな好きなんだろ? 出前を取ろう、奢ってやるよ」

 

 

 

 

 

 

「こちらがご注文の品です」

「ご苦労」

 

 寮の自室の前。配達人に一万円札二枚を渡し、小銭と飯台を受け取る。

 本音が調べた寿司屋に電話を入れて一時間半、夕飯が届いた。

 部屋に入り、床に並べたクッションに座る本音と更識の前に並べる。

 

「ウヴァっち、ありがと~。ほら、おいしそうだよ、かんちゃん」

「うん……ウヴァ君、ありがとう……」

「気にするな、食うぞ」

 

 本音は高価な夕食を前にわくわくしている。

 更識の表情も心なしか、少しだけ明るくなったように見える。高い金を払った甲斐があった。

 漆塗りの桶に整然と並ぶ寿司。いろいろな種類があるが、どれも瑞々しく輝いている。とても美味しそうだ。

 

「いただきまーす! うまうま♪」

「……いただきます」

 

 箸を動かし始めた二人。

 負けてはいられない、適当な握りをつまんで口へ運んだ。鮮魚の脂の風味と白米に仕込まれた僅かな酸味。二つが合わさりまろやかな甘みを感じた瞬間。

 

「~~~ッ!?!?」

 

 舌に強烈な刺激が走った。次いで鼻腔に激痛。なんだこれは!? 毒か!? 俺に? 何故?

 パニックを起こし、倒れそうになる。涙で視界が滲む。呼吸がうまくできない。

 助けを求めて腕を伸ばすと、手を取られた。本音の手だ。俺は痛みから逃れたい一心で本音に縋り付いた。

 

「ちょっ!? ウヴァっち!?」

「うぅぅ、本音……鼻が、鼻がぁ……」

「は、鼻? えぇと……ああ、山葵か」

 

 苦痛を訴えると、本音はおおよしよしと俺の頭を撫で始めた。

 しばらくすると、痛みが少しだけ和らいだ。本音の腹に埋めていた顔を上げる。

 

「うぅ、すまん。何か妙な物が混じっていたようだ。あの寿司屋、タダでは済まさん……」

 

 憎しみの炎が胸に宿る。クソが。あの刺激、俺でなければ死んでいたぞ! それに、本音と更識に情けない姿を見られてしまったではないか!

 涙を拭いながら怒りに震えていると、本音がおずおずと口を開いた。

 

「あー、それ、山葵。そういうものだからね? 慣れてないと辛いよね。ごめん、言うの忘れてた」

 

 そんな馬鹿な。あれが食い物だというのか? 俺は自分の耳を疑った。驚愕する俺に本音は言葉を続ける。

 

「とりあえず顔、拭こっか。涙と鼻水でひどいことになってるから。ごめん、かんちゃん、ティッシュ……かんちゃん?」

 

 更識への呼びかけを中断する本音。見ると更識は俯いてカタカタと震えている。まさか、こいつもやられたのか?

 同情が生まれた。が、すぐに裏切られる。

 

「かんちゃん、笑い過ぎ。ダメだよ? ウヴァっち、ほんとに苦しかったんだから」

「……ごめん、でも……顔……わさびっ、くくっ……」

 

 更識は俺の苦しむ様を眺めて喜んでいたらしい。なんてひどい女だ。今日はいろいろと助けてやったというのに。

 顔を拭き、憮然とした顔をしていると、更識が頭を下げてきた。

 

「あの……ごめんね、ウヴァ君の顔が面白くてつい……」

 

 ……コイツ、謝ってるつもりか? あんまりな謝罪に睨みつけてしまいそうになるが、抑える。せっかく落ち込んでいた更識が笑ったのだ。見逃してやってもいいだろう。

 

「フン、まあいい……」

 

 溜息を吐いて、寿司の並ぶ飯台に目を向ける。先ほどの苦痛を思い出し身がすくむ。だが、全てに劇物が仕込まれていることはないはずだ。高い金を払ったのだ、食えるものだけでも食わんとな。

 

「本音、さっきの辛いのが入ってないやつを教えろ」

 

 

 

 

 

 

 飯台の中身をあらかた平らげた頃、出前が届いて一時間程が経っただろうかという時間。部屋のドアが叩かれる音が響いた。

 

「ウヴァ、いるか?」

 

 織斑の声だ、何の用だろうか。部屋の入り口まで行きドアを開ける。

 

「どうした?」

「今日、俺らが大浴場使っていいって千冬姉が。ボイラー点検あったんだって」

 

俺の質問に、浴室の物であろう鍵を振りながら答える織斑。朗報だ。

 

「おお、そうか! ちょっとまってろ、すぐに準備する」

 

 ちょうどいい、かっぱ巻きにも飽きてきたところだったからな。部屋に入り、棚からタオルを取り出す。

 

「本音、今日は俺達が浴場を使っていい日らしい。行ってくる」

「あ、うん。いってらっしゃ~い」

 

 

 

 

 

 

「う~ん、やっぱり脚を伸ばせる湯船はいいなあ」

「ああ、そうだな」

「そういえば、今日なんかあったのか? お寿司を食べてたみたいだけど」

「ああ、ちょっとな。ん?」

 

 大浴場に向かった俺と織斑は体を洗った後、浴槽でのんびり寛いでいた。すると、突然ガラガラと引き戸の音が響いた。次いで場違いな声。

 

「やっほ~!」

「…………」

 

 本音が更識の手を引いて浴室に入ってきた。何を考えているんだ? 体にはタオルを巻いているが、それでも公序良俗に反する行いだろう。

 

「えっ、ちょ!? のほほんさん!?」

「まあまあ、よいではないか~」

 

 破廉恥な状況に織斑が焦った声を上げる。だが、本音は気にした様子もなく適当に流した。まあ、本人が気にしてないからいいか。

 

「相手にしなければいいだろう」

「ホントかよ……」

 

 そんなやり取りを小声で終えると、俺達が入っている浴槽に本音が入ってきた。

 更識は浴槽から一番離れた蛇口で身を縮ませて体を洗っている。また本音に無理やり連れてこられたのだろうな。不憫な奴だ。本音が離れた隙に逃げ出さないのは律儀な性格故か。

 

「いやー、人いないと、広く使えていいね~」

 

 本音は俺達が裸であることを気にする風もなく、嬉しそうにそんなことを言った。痴女かお前は。羞恥心はないのか?

 内心呆れながら、適当に言葉を返す。

 

「やっぱり普段は込み合ってるのか?」

「それなりにねー。あ~気持ちいい~」

 

 うーん、と伸びをする本音。深呼吸の後、織斑に顔を向けた。

 

「ねえ、おりむー」

「な、何かな?」

「目がえっちだよぉー?」

「え!? いや、その……」

 

 からかうような調子の本音に、織斑は大慌てだ。図星だったのだろう。

 本音の体つきは起伏に富んだ、非常に男好きするものだ。それと突然混浴することになれば、年頃の男子が興奮してしまうのはしょうがないだろう。不可抗力だ。

 そう考えた俺は、織斑の両眼に指を突き刺した。

 

「痛いっ!? な、何するんだよ、ウヴァ!?」

「なに、学園から性犯罪者が出るのを防いだだけだ」

「性犯罪って、そんなことしないっての!」

 

 正当な理由に基づいた俺の行いに不満を漏らす織斑。

 それに対し、俺は織斑の邪な欲望を追及してやろうと思ったのだが、先に本音が動いた。

 

「ほほ~う?」

「うぇ!? のほほんさん!?」

 

 本音はじゃぶじゃぶと浴槽を進み、織斑の横にぴったりとくっついた。純朴な思春期は顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。色気で惑わして遊ぶつもりのようだ。

 俺が下手なことをするなよ、と睨みつけると、織斑は勢いよく本音から距離を取った。追う本音、逃げる織斑。そんなのを繰り返すうちに織斑は壁際まで追い詰められてしまう。阿呆が。

 目を閉じて、本音のはしゃぎ声を聞きながらボンヤリしていると、チャプリという音がすぐ近くから聞こえた。視線を向けると更識が浴槽に入ってきていた。なんだ?

 

「あ、あの……」

 

 何か言いたいことがあるようだが、恥ずかしさで言葉が出ないらしい。別にここじゃなくてもいいだろうに。

 俺は更識が安心できるように背中を向けて声をかける。

 

「どうしたんだ?」

「あ……今日はいろいろ、ありがとう……」

 

 どうやら礼を言いに来たらしい。生真面目なやつだ。

 

「ああ、感謝しろよ。そしてまた美味いケーキ買ってこい」

「言うと思った……ふふっ」

 

 俺の返答に、小さく笑う更識。少し前から感じているが、こいつ俺のこと侮っていないか?

 頭の片隅にそんな思考を浮かべながら、俺は『打鉄弐式』について話を振った。

 

「フン……おい、この俺が手伝ってやってるんだ。絶対に完成させろよ、『弐式』」

「うん……完成させる……約束する」

 

 強い意思を感じさせる声が帰ってくる。事故のせいで意気消沈といった様子だったが、既に立ち直ったようだ。

 

「そうか」

 

 短い返事を最後に、俺達は口を噤んだ。なんとなく心地よい、穏やかな沈黙。風呂場の端から響く織斑の怯える声が少し邪魔だが。

 

「……ウヴァ君」

 

 ひと時の空白の後、更識が再び口を開いた。

 

「なんだ」

「……名前……簪って呼んでほしい。名字で呼ばれるの、あんまり好きじゃないから」

 

 小さな要求。俺は肯定を返す。

 

「ああ、構わんぞ」

「うん……ありがとう。……じゃあ、私もウヴァって呼ぶね」

「好きにしろ」

 

 そんなやり取りをしていると、本音の慌てた声が聞こえた。

 

「えっ!? おりむー!? わっ、うわっ、ウヴァっち! 助けて~」

 

 助けを求める叫び。穏やかじゃないな。

 声の方に目を向けると、織斑が鼻血をダバダバ垂れ流して倒れていた。本音の体に興奮し過ぎたらしい。去勢した方がいいか?

 

「うわぁ……」

 

 更識が嫌悪の声を漏らす。俺は溜息を吐いて立ち上がった。

 

「何やってんだか、あいつら。俺は織斑を連れて上がる。ゆっくりしてけよ」

 

 

 

 

 この日から三日後、簪はソフトウェアの不備を全て駆逐して再度の飛行試験を成功させ、人間の限界を超えた能力と精神力を示した。

 俺は不覚にも、実に悔しいことに、やり遂げた簪の顔に畏敬の念を抱いてしまった。

 

 

 

 

 

 おまけ ウヴァさんとフィッシング

 

 

「ん……」

「よう、起きたか」

 

 午後一時過ぎ。『打鉄弐式』の調整で徹夜した二人を寝かしつけて半日程が過ぎた時刻。更識が目を覚ました。本音はまだ起きる様子がない。

 

「あ……おはよう」

「腹が減ってるなら、冷蔵庫のサンドイッチ食っていいぞ」

 

 朝から何も食べていない更識に、用意しておいた軽食を勧める。更識の顔色はだいぶ良くなっている。

 

「ありがとう…何してるの?」

「釣りだ」

 

 問いかけに対し、簡潔に答えた。

 俺は先ほどから、本音のパソコンを使い電子掲示板に釣りスレを立てて遊んでいた。

 内容は最近公開された映画のスピンオフ作品が制作される、というものだ。

 朝から数時間かけて作ったポスター風の画像を併用しての渾身の一投である。オーズと戦っていた頃に、カザリから教わった技術をすべて投入した。

 

「……? ……ッ!? Vシネマ、ハカイダーMAXIMUM制作決定!? これ……やった!」

 

 釣りという表現の意味が分からなかったらしい。寝起きで眼鏡をかけていない目を画面に向けた更識が歓喜の声を上げる。こいつ、こういうのが好きなのか? ぬか喜びさせてしまったことに罪悪感が湧く。

 

「デマだぞ、これ。こんなもん発表されてないからな?」

「え? でもこの画像……」

 

 事実を知らせる俺の言葉に、混乱した様子を見せる更識。まあ、仕方ないだろう。画面に表示されている偽ポスターは異様に完成度が高い。作った俺自身も出来の良さに驚くほどだ。

 

「コラージュだ。俺が作った」

 

 俺はパソコンの表示を画像編集ソフトのものに切り替えた。素材となった複数の画像が画面に映る。

 

「え…? ………っ」

 

 それを見た更識は一瞬だけ呆けた後、眉間にしわを寄せ、俺の頭にゲンコツを落とした。痛い。そんなに釣られたことが悔しいのか?

 

「何をする」

「世の中には絶対にやっちゃいけない事がある……わかる?」

 

 唐突な暴力に対し非難を発したのだが、何やら大げさな言葉を返された。その口調からはいつものオドオドした様子が微塵も感じられない。

 

「フン…………嘘は良くないな」

 

 俺は理不尽を感じて反論しようとしたのだが、ギロリとぶつけられた剣呑な視線に負け、適当な謝罪に切り替えた。騙されたことに相当お冠らしい。

 普段とは正反対の強気な態度に怯む俺を余所に、携帯端末を取り出しパソコンに接続し始める更識。

 

「何してるんだ?」

「……このデータ、もらう」

 

 怒ってはいるが、画像自体は気に入ったらしい。やはり好きなのか、こういったものが。意外な一面だ。だが、今は都合がいい。

 

「そうか。他にも作ってるが、いるか?」

「見せて」

 

それから本音が起きるまでのひとしきり、俺は更識の機嫌を取り続けた。




打鉄弐式が墜落する話でした。
感想にウヴァさんがいつ変身するか、という書き込みがいくつかあるのですが、もう少し待ってください。
最初の変身はこう使いたい、というのが自分の中にあるので。

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