「なあ、まだ昼飯には行かないのか?」
「……まだ、十一時」
「ちょっと早いかな~」
学年別トーナメント三日目、第二整備室。
俺は雨が窓を叩く音を聞きながら、本音と更識が『打鉄弐式』を調整するのを眺めていた。朝からずっとだ。
なんでも、トーナメントのために授業が無いこの期間を利用して、一気に開発を進めるらしい。
本音は二日目で敗退し、更識はもともと大会にエントリーしていないので、トーナメントが終わるまでこいつらはフリーなのだ。朝から晩まで『弐式』をイジり倒すつもりのようだ。
「ウヴァっち、ここにいてもヒマでしょ。アリーナで観戦してきたら?」
「もう飽きた」
退屈そうな様子を見ての本音の提案を、俺は却下した。昨日、一日中アリーナにいたせいでISバトルは見飽きていた。
だが、ここにいてもやることがないのは確かだ。
それに、退屈だからとあまり不機嫌な顔をすると、本音はともかく更識が怯えるかもしれない。それは可哀想だ。
どこか別の場所で時間を潰した方がいいな。
そう考え、俺は椅子代わりに使っていた工具箱から腰を上げた。
「適当にぶらついてくる。お前ら、あまり根を詰め過ぎるなよ」
作業を続ける二人にそう告げて整備室を出る。どこへ行こうか。とりあえず食堂にでも行ってみるか。
♢
昼前の人も疎らな食堂に入ると、珍しい組み合わせが目に入った。
織斑とボーデヴィッヒだ。二人で茶を飲みながら話をしている。
「よう、ここいいか?」
「お前か。かまわんぞ」
「ウヴァ、どうしたんだ? こんな時間に一人で」
テーブルに近付き声をかけると、織斑が訊ね返してきた。
「暇潰しだ。ISバトルは見飽きたし、本音も仕事に掛かりっ切りなのでな」
「そうなのか。のほほんさんの仕事って?」
「日本の代表候補生関係で、少しな」
「ん、そっか」
『打鉄弐式』の件は知らせない方がいいだろう、そう考え俺は言葉を濁した。
織斑はこちらの意図を汲み、適当に相槌を打ちながら紅茶を口に運ぶ。察しが良くて助かる。
しかし、こいつのコミュニケーション能力はよくわからないな。普段のこういった会話の中では、こちらの態度や仕草の意味を敏感に読み取ってくれる。それなのに、なぜか篠ノ之や凰のバレバレな好意には気付かないのだ。
一呼吸の合間に、そんな思考が走る。織斑がテーブルにカップを置くのを見て、俺は二人に訊ねた。
「お前らは、なんでここに?」
この問いには、ボーデヴィッヒが答えた。
「一昨日の試合で損傷したISの点検の帰りだ。話したいことがあったので、私が一夏をここに誘ったのだ」
なるほど。話したいこと、というのは謝罪の類だろうな。
あれほど険悪な関係だったのに、今は二人の間に対立の空気が感じられない。
心の広い織斑が相手だからな。ボーデヴィッヒが突っかからなければこんなものだろう。
「そうか。ところで織斑、これから特に予定はないよな。どこか連れてけ、暇で暇でたまらんのだ」
俺がそう頼むと、織斑は少し考えてから応答した。
「確かに俺もやることないけど、どこか連れてけって言われてもなぁ。学園からは出られないし……敷地内で散歩でもするか?」
「今日、雨だぞ」
「だよなぁ」
晴れた日なら学園内を散策するという案は良いものだった。だが、今日は朝からしとしとと雨が降り続けている。
濡れ鼠にはなりたくないし、傘を用意するのも面倒だ。
だいたい、こんな天気にわざわざ外に出ずとも、ここで織斑たちに相手をさせて時間を潰せばいいか。そんな案が俺の頭に浮かんだとき、ボーデヴィッヒが口を開いた。
「散歩か、ISを展開して行けばいい。スキンバリアーがあるから濡れることはないし、損傷したISの調子を確認するのにも丁度いい。訓練として申請すれば、許可はすぐに下りるはずだ」
なるほど、そんな手があったか。歩行訓練も授業でやったくらいで、あまり経験がないしな。
「いいな、面白そうだ。よし、すぐに行くぞ」
俺はそう言って勢いよく立ち上がった。
そんな俺に織斑が少し困ったような響きで、それでも笑みを浮かべながら応じた。
「ああ、ティーセット片付けるから少し待ってくれよ。ラウラはどうする?」
「同行させてもらおう」
「ん、了解」
♢
「よし、じゃあ行くか」
訓練の申請をした後、事務室のある棟から出たところで、俺は織斑とボーデヴィッヒに言った。
「ああ、来い『白式』」
「散歩だ『レーゲン』」
それぞれの専用機を展開する二人。
大した損傷のなかった『白式』はともかく、自爆まがいの攻撃や二度の『零落白夜』の直撃でボロボロになっていた『シュバルツェア・レーゲン』もすっかり元通りの姿だ。
機体の根幹部位の予備部品も用意されていたのだろう。実に羨ましい。
以前『打鉄』が酷く損傷した時は、再び動かせるようになるまで結構な時間を要した。ペルー共和国の塩辛い財政事情のために、高価な部品は自己修復機能で賄うことになったからだ。
先進国の経済力を羨みながら、俺もISを展開する。
「出ろ、『打鉄』」
俺の意思に応えて、右手の指輪が鎧に姿を変える。
白と黒と鋼色が出揃ったのを見て、ボーデヴィッヒが口を開いた。
「接地してPICを切れ」
指示に従い、わずかに浮遊した状態から着地し、慣性制御装置をオフにする。
「ム……」
「どうしたんだ? ウヴァ?」
ある事実に気付き、つい漏れてしまった俺の声に織斑が反応した。
「いや……お前らのISに比べて『打鉄』は小さいなと思ってな」
「ああ、確かにコンパクトだよな」
そう、『打鉄』は小さい。薄々感じてはいたが、PICを切って地面に並ぶとハッキリとわかる。
『白式』や『シュバルツェア・レーゲン』と比べると本体部分だけでも二回りは小さい。非固定浮遊部位も入れるとさらに差は広がる。なんとなく悔しい。大きければ強いというわけではないのだが。
一年の各専用機と『打鉄』を比べると、バランスの良い武装と強力な第三世代兵装を備えた『シュバルツェア・レーゲン』や『甲龍』には劣るだろう。
だが、ピーキーな『白式』と武装に欠陥を抱える『ブルー・ティアーズ』になら、数値上はともかく実践的な強さでは勝っている。俺はそう考えている。
「性能が同じなら機体サイズは小さい方がいいだろう。さあ、行くぞ」
ボーデヴィッヒに促され、俺達は行進を開始した。
ガシャコンガシャコ、ガシャコガシャコン
機械音を響かせ、生身の倍以上の歩幅で歩く。普段よりも高い視点。いつもと少し違って見える学園を眺めながら、雨のカーテンをくぐる。
なんとなく、愉快な気分だ。
♢
「ウッ……この部屋はなんだ? 織斑」
しばらく校舎に沿って機嫌よく歩いていた俺の目に、奇妙な窓が留まった。
立ち止まって発した俺の問いかけに、織斑が答える。
「美術準備室だろ。なんか気になるのか?」
「ああ。あの、いくつもある白い像はなんなのだ?」
窓からは石膏の像が部屋の中に並んでいるのが見えた。どれも人間を模したものなのだが、手足や頭が省かれているものばかりだ。
何を意味しているのだ? 不気味で不自然で悪趣味だ。
「トルソーだな。どうかしたのか?」
窓を覗きながらボーデヴィッヒが俺の問いに答えた。違う。俺が知りたいのは名前じゃない、アレの用途だ。
「あんなもの、なんに使うんだ?」
「さあな。美術品なのだから、見て楽しむものじゃないのか? 私も詳しくはないが」
俺の問いかけに、ボーデヴィッヒは平然とそう返す。
見て楽しむ? 部品の足りない、不完全なヒトガタを?
理解できないな、かなりキてる発想だ。人間はそんな恐ろしい嗜好を持てるのか? おぞましい。
「そういや、中学の授業でなんか習ったな。ええと、マッスルだったかな?」
「馬鹿者、それを言うならマッスだ」
怯える俺を余所に、織斑が間の抜けた言葉を吐く。そしてそれに被さる凛とした声。
振り返ると、ビニール傘を片手に織斑千冬が佇んでいた。
「教官!」
「千冬姉!」
「学校では織斑先生と呼べ」
お決まりのやり取り。その後、女教師は解説を始めた。
「マッス、日本語には量塊などと訳されているな。ボリュームを感じさせる要素やその様を指す美術用語だ。トルソーは手足が欠けることで体幹の力強さが強調されるからな。織斑はそのことをマッスという単語を使って説明されたんじゃないか?」
「そうそう、そんな感じ」
姉の言葉を肯定する織斑。
俺も説明の内容は分かったが、やはりあの彫像群を美術品とする神経は信じられない。
不審の念に囚われる俺に、織斑千冬は声を向けた。
「顔色が悪いな、ウヴァ。怖いのか?」
「……あ? 怖い? 何がだ?」
「そうか」
投げかけられたのは気に食わない質問。一瞬硬直してしまったが、どうにか否定する。
すると織斑千冬は俺から視線を外し、数秒、空を見上げてから再び口を開いた。
「お前ら、歩行訓練中なのだろう? せっかくだから裏山に登ってこい。平地ばかり歩いてもつまらんだろう」
「ああ、わかったぜ」
「了解です」
教師の言葉を受けて、進み出す織斑とボーデヴィッヒ。
その後を追おうとする俺の背に、織斑千冬が言葉を投げかけてきた。
「欠けてこそ完成する、そういうモノもある」
「…………」
ワケの分からんことを。俺は聞こえないフリをした。
せっかくの散歩だ、この部屋のことは忘れよう。
俺は気分を切り替え、降り注ぐ雨に歩みを進めた。
♢
「どわっ! うおおおぉ!?」
織斑の『白式』がぬかるみに足を取られ転倒し、数メートルほど滑落した。
織斑千冬の指示で裏山の登山道を登り始めてから約二十分。織斑がコケるのはこれで四度目だ。
「大丈夫か?」
「ああ。しっかし、『白式』じゃなくて『打鉄』や『レーゲン』が羨ましいよ。裏山だけに」
起き上がり、冗談めかした口調で弱音を吐く織斑。
実際、雨で緩んだ斜面を慣性制御に頼らずにISで登るというのは非常に骨が折れる。
その上『白式』は三機の中でこの地形に最も不適だ。
『打鉄』のように軽くも小さくもなければ、『シュバルツェア・レーゲン』のようにアイゼンが備えた頑強な脚部を持っているわけでもないからな。
「気持ちは分かるが、どうしようもないだろう」
「男性IS適合者というだけで専用機を用意されているのだ、贅沢を言うんじゃない。軟弱だぞ」
俺の同情の言葉と、やや辛辣なボーデヴィッヒの戒め。
それに対し、織斑は「いや、今のは……」とか「これがカルチャーギャップか……」等とブツブツ言いながら歩を進める。らしくない態度だ。
「どうしたんだ、一夏?」
「なんでもない、忘れてくれ」
妙な様子を心配したボーデヴィッヒの問いに、手をひらひらさせながら返す織斑。まあ、気にしなくていいだろう。
潤い、艶を増した木々の葉。含んだ水の重みで垂れ下がる枝。
そういったものを眺めながら、柔らかくなった地面をガシャリ、ガシャリと慎重に、ゆっくり踏みしめていく。
そういえば、いつの間にか雨が上がったな。
天候の変化に気付くと同時に、五メートルほど先を行くボーデヴィッヒが立ち止まり、こちらを向いた。
「頂上だ」
「ヌ、そうか」
「おお! やっとか!」
ボーデヴィッヒのいる位置まで進む。木々が途切れ開ける視界。
「こりゃすごいな……あ、虹も出てるぞ!」
織斑がはしゃぎ声を上げる。ボーデヴィッヒも珍しく嬉しそうな顔だ。
頂上からは学園が一望できた。その向こうの海には織斑の言う通り、七色の橋が架かっている。
見事な光景だ、これは滅多に見れないだろう。
「ウヴァ、ラウラ。写真撮ろうぜ!」
織斑の提案。写真か、いいな。
「かまわんぞ、良い記念になる」
「どうすればいい?」
「よし、じゃあウヴァもラウラもIS解除してそっち並んでくれ」
指示に従い、ボーデヴィッヒと共に学園を背にして立つ。
織斑は俺達の正面、少し離れた位置で『白式』を屈ませ、抜け出した。そして携帯電話を取り出し、何か設定した後『白式』の上に置く。スタンド代わりらしい。
こちらに駆け寄り、ボーデヴィッヒを挟んで俺と反対側に立つ。
「すぐにシャッター切れるぞ。……3、2、1」
ぱしゃり、という音と共に光を放つ筐体。上手く撮れただろうか。『白式』に駆け寄り写真を確認した織斑が声を上げた。
「うん、ちゃんと撮れてる。完璧だ!」
「そうか。その画像、後で送ってくれ」
「もちろん。二人に送るよ」
それから三人でしばらく景色を眺めていると、くぅ、という音がした。俺の腹が鳴ったのだ。
その音を聞いて、それまで働くのを忘れていた空腹感が目を覚ました。ああ、腹が減ったなあ。
織斑が笑いながら言う。
「お腹空いたのか? ウヴァ」
「ウム……。食堂に戻るぞ。帰りは飛んでいこう」
俺は『打鉄』を呼び出し、浮き上がった。
もう一度、学園を見下ろす。ここから降りるのは、少し名残惜しいな。
♢
「なあ、ウヴァの食費ってラウラが出すことになったんだよな?」
午後二時半の食堂。三人で昼食を注文し、テーブルに着いたところで、織斑が言った。
「ああ、これから一年な。そういう約束になっている」
「大丈夫なのか? ラウラ」
ホットケーキを切り分けながら返した俺の答えを聞いて、こんどはボーデヴィッヒに訊ねる。
「まあ、払えない額ではないな。小さな数字でもないが。こいつは遠慮というものを知らないらしいのでな」
織斑に言葉を返しながら、憮然とした表情をこちらに向けるボーデヴィッヒ。
そういう契約だからな。俺はここ数日、好きなものを好きなだけ食べさせてもらっている。
「いけないか? そもそも、お前が持ちかけてきた話だぞ」
蜂蜜のかかった生地を口に運びながらそう返すと、バツの悪そうな顔をして目を背ける。
そこへ織斑が割り込んだ。
「まあまあ。でもウヴァ、少しケーキ食べる量減らした方がいいぞ。食べ過ぎは体に良くないし、飽きがくるぞ?」
ム…飽きる、か。食堂のメニューは豊富だが、今のペースで毎日食べ続けると、確かにいつか飽きてしまいそうだ。それは嫌だな。
「そうだな、少し食う量を減らすか」
「ああ、そうしろ」
ボーデヴィッヒがぶっきらぼうに賛同した。実は手痛い出費だったんじゃなかろうか。
そんなことを考えながらホクホクのケーキをぱくつく。
そういえば、『打鉄弐式』の調整は上手くいっているのだろうか。食い終わったら見に行こう。
お散歩回でした。二話ぶり、二度目の山登り回でもあります。梅雨入りしたので書きました。
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六月十一日、日刊ランキング一位に掲載されました。
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自分の目が信じられず、三回くらいブラウザバックと次へ進むを繰り返してしまいました。