魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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2話 来たるだろう神

 

 午前六時。朝早い時間だからか静かで、人通りも少ない閑静な住宅街の道を、咲月は薄い亜麻色の長髪を涼やかな朝の微風に靡かせながら学校へ向かって歩いていた。すっと伸ばされた背筋と僅かに釣り気味の琥珀の双眸が、見る者に凛々しい印象を与える。

 常に午前四時から五時の間に目を覚ます彼女の朝は、同年代の中でも早い方だと言えよう。しかし彼女は別に、朝練をするような部に所属している訳ではない。単純に、その時間帯に起きれば洗濯物を干したり、朝食や昼食用の弁当を作るのに丁度良いからである。

 何故こんな早い時間から家を出ているかと言うと、生来物静かな性格である彼女は騒々しい事や場所を苦手としており、朝早い時間帯や神社、学校の屋上、そして森の中と言った静かな場所を好んでいるからだ。その為必然的に、騒音や人通りの少ない朝早くに家を出る事になっている。

 静寂の中、朝の爽やかな空気を胸一杯に吸い込みながら咲月は進む。暫くして、彼女の目的地である学校の姿が見えて来た。

 人通りも疎らな道と、開かれた門の向こうに見える、広い敷地の中。鉄筋コンクリートで作られた、広く、高い学舎がある。建てられてからそう長い月日は経っていないのだろう。新築の輝く様な、と言うにはくすんだ色合いの、しかし古すぎる感じでも無い白い壁面の校舎。

 私立城楠学院。進学校としてそれなりに有名なこの学院の高等部三年に、咲月は属していた。

 

「お早うございます、先生」

「おお、和泉か。部活とかをやってないのに、相変わらず朝早いな。もう少し遅く来ても十分間に合うだろうに」

 

 校門の側に立っていた教師を見つけ、挨拶する。いつもの事なのだろう、挨拶された教師も珍しいと思った風も無く、朗らかな笑みを浮かべて返す。

 

「この時間帯に家を出るのが習慣付いていますから。朝の涼しい空気は気持ちいいですし。それに私は……」

「静かなのが好き、だろう? 和泉らしいと言えばらしいんだが、だからと言って、登校後すぐに図書室に向かうのはどうかと思うぞ?」

 

 教師の言葉にそう返し、しかし教師にも返される。

 静寂を好む咲月は、高等部に進学してからの三年間、ほぼ毎日の様に図書室に通ってその蔵書を読んでいた。友人は居ない事は無く、数人だが仲の良い女子は居る。その友人達と談笑したりする事も多いが、それ以上に咲月は図書室へと通っていたのだ。

 花で例えるなら、睡蓮の様な可憐な容貌を持っている彼女は、両親が既に死んでいると言う事もあってすぐさま学校中で有名になり、お近づきになろうとする男子生徒達も多く居た。

 しかし彼女は、一端本を読み始めたらどれだけ周囲で騒ごうとも、耳に入っていないかのように完全に無視して本を読む集中力を持っていた。話しかけようとも、本を読んでいる彼女とはまともに会話する事すら出来ず、その為に付けられた渾名が『沈黙の詠み姫』である。

 何も言わず、ただ黙々と本を読み進める彼女の姿は、図書室ではある意味名物と化している。

 

「借りてから教室で読んでも良いだろうに」

「それはそうなんですけど、ずっと図書室で読んでいたので、あそこの方が落ち着いて読めるんです。他の場所だと、どうしても音が……」

「……言っちゃなんだが、ある意味もう病気だな」

 

 咲月の言葉に小さく溜息を吐きながら教師はそう言う。それを聞き、彼女は苦笑を漏らした。自分でも自覚はあったのだろう。

 それ以外にも少し話をしてから、咲月は校舎の中に入って行った。昇降口に入り、靴を履き替え向かう場所は勿論、図書室だった。

 が、途中で進行方向を変え、鍵を借りる為に職員室へと歩いて行った。

 

 ●

 

 城楠学院の図書室には結構な量の蔵書がある。それは学生に必須の参考書であったり、詩集であったり、翻訳した哲学書であったり、歴史書であったりと様々だ。進学校に相応しく、主に収められている物は勉強や、それに関係ある書物だ。

 しかし中には若者が好む様な――学生は全員若者だが――娯楽用の品もそれなりに存在する。早い話、ライトノベルやマンガと言った物だ。こう言った本は多くの学生に好まれていたりするが、咲月はそう言った本を好んでいないのか、読まないどころか一切手に取らない。

 職員室で鍵を借りた咲月は扉の鍵を開け、図書室の中に入る。本の匂いがする室内には、当然ながら彼女以外の人間は居ない。

 その事に薄く笑みを浮かべながら、咲月は机の一つに鞄を置き、まず室内の掃除を始めた。本来図書委員を始めとした担当者がするべき事だが、自分から進んでやっている。その理由は静かに且つ快適に本を読む為だ。

 箒で埃を掃き集め、塵取で取り、その後雑巾で拭く。流石に本格的にやっては時間が無くなるので軽くしただけだが、元々あまり汚れが無かった事もあってサッパリした感じにはなった。うんと頷き一つ。

 現在の時刻、六時四十分。朝礼が始まるのは八時からなので、一時間二十分は余裕がある。掃除を終えた彼女は適当な本棚――マンガの棚は避けている――から一冊の本を手に取り、鞄を置いていた席に着いて本を開いた。

 おそらく外国の本なのだろう、日本語ではない文字で題名が書かれている。その本を、普通に読めているかのように咲月は結構な速度で読み進めていく。文字を追っている目がかなりの速度で左右を行き来している。何年も本を読むうちに習得した速読術だ。

 何を言うでもなく、咲月はただ一心に文字を読み進める。朝の陽射しが窓から射し込み、彼女の横顔を照らしていた。

 

 ●

 

 どれほどの時間そうしていたのか、ふと我に返った咲月は壁に掛けられている時計を見た。時刻は七時四十分。朝礼の時間まで、あと二十分だ。

 流石にこれ以上読むのは難しいだろう。そう思った彼女は、三分の二ほど読み終えた本を棚に戻し、鞄を手に図書室を出て教室へ向かう。途中で教師の一人に会い挨拶し、鍵を返して廊下を歩く。

 

「うん……?」

 

 廊下を歩き、階段を降りていると何かが感覚に引っかかり、思わず足を止めてしまう。

 ざわざわと、何とも言い難い奇妙な感覚を与えてくるこれは……

 

「呪力……? 何でこんな所で……?」

 

 感じたそれは、自分も戦闘時に使用する力――呪力だった。弱い訳ではないが、しかしそこまで強い訳でもない。カンピオーネとなって引き延ばされた感覚だからこそ捉える事が出来たのだろう。

 この学院に呪術関係者が居る事を咲月は知っている。自分の後輩でもある、一年の万里谷祐理の事だ。

 七雄神社で巫女を務めている彼女は同時に、日本の呪術師を統括する組織、『正史編纂委員会』にも関わりある武蔵野の媛巫女であり、自分がカンピオーネとなった四年前にはバルカン半島のヴォバン侯爵によって何らかの儀式――集めた情報によれば、まつろわぬ神招来の儀――に関わらされ、生き残った数少ない女子の一人だ。あの狼侯爵は、自分の戦闘欲を満たす為に多くの巫女や魔女を利用し、神を呼び寄せたらしい。その儀式で、呼び集めた巫女たちの実に三分の二が犠牲となったとか。

 尤も、それだけの犠牲を払い、苦労して呼び出した『鋼』の英雄神、『まつろわぬジークフリート』は侯爵と戦うことはなく、イタリアの剣の王サルバトーレに、鳶に油揚げを掻っ攫われるが如く横取りされたらしいが。

 

 彼女は霊視と呼ばれる、精神感応系の特殊能力を持っている。霊視と言うのは肉眼では見る事の適わない魔術的・呪術的な存在や繋がりを見る事が出来、また呪力によって歪められた存在の正体を見破る事が出来る能力だ。さらに高位の巫女である『媛』の名を持つ彼女は、そう言った物に加えて天啓や神託を得る事も出来る。

 しかしその的中率は極めて低く、良くて一割に届くかどうかだ。霊視が出来る存在はそれなりに居るが、誰もが的中率一割にも届かない能力者だ。

 そんな良い所がない様に聞こえる能力だが、彼女の霊視の的中率は六割以上と極めて高い。修行によって引き延ばされた事もあるのだろうが、彼女の才の非凡さも窺える。

 ちなみにこれは余談だが、強大な霊視能力を持つ彼女はしかし、咲月がカンピオーネである事には気付いていない。何故かと問われれば簡単だ。単純に学年が違うので出会う機会は少なく、知り合いだと言う訳でも無いのである。咲月が一方的に呪術関係者だと知っているだけだ。

 

 媛巫女と言う、高位の存在である彼女が、呪力をこの様に垂れ流す訳がない。それ以前に、現在感じるこの呪力は彼女の物とは質がまるで違う。

 祐理の呪力は、分かりやすく言うならば穏やかだが強い、春風をイメージさせる。気真面目な彼女らしい呪力だと言えるだろう。

 しかし現在感じている呪力は、微かにだが非常に濃い闇と大地の気配を感じる。まるで今朝方夢で見た、あの銀髪の女神の様な……。自分の中の『鋼』の部分が微かにだが反応している気がする。

 

「……嫌な予感がするわね」

 

 感じる呪力に小さくそう零し、教室に向かう。まだ時間的に余裕はあるから、十分に間に合うだろう。そう思いながらも、一応早足で自分の教室に向かって歩く。

 その途中で、一人の男子の姿を視界に入れた。

 

「っ……?」

 

 感じる違和感。視界に収めた彼は、名は知らないがそれなりに顔立ちの整った男子である。それだけならやや格好いいと言うだけの、何処にでも居る様な普通の少年の筈だ。

 しかし彼からは何か、妙な気配を感じる。自分と近い様な、しかし同時に敵でもある様な、そんな何とも言い難い何かを。

 何なのだろうか。そう思い、咲月は訝しげな眼で男子生徒を見る。集中して見れば、彼からは二種類の呪力を感じ取る事が出来た。

 一つは、イメージで言うなら光。同質でありながら違う方向性を持つ、巨大かつ強大な光が幾つも彼の中に存在している。

 もう一つは闇、そして大地。今現在も感じている、垂れ流しの呪力とまったく同じ物だ。気の所為でなければ、蛇の気配を感じ取れる。

 何もせずに読み取る事が出来たイメージはそれだけである。もっと詳しく知る為には、権能を使う必要があるだろう。

 しかし咲月はその選択をせず、視線を外した。必要最低限とは言え情報を入手したのもあるが、余りに見過ぎたのか、男子生徒の方も咲月の方を向いたからだ。

 ほんの一瞬だけだが、少年の黒い瞳と視線が交差する。彼が僅かにだが目を見開いたのが横目に確認できた。

 しかしそんな事を気にせずに、咲月は教室へと歩いて行った。

 

 ●

 

「あの人……?」

 

 廊下に立ち、少年は階段の方を見る。その理由は誰かの視線を感じたからなのだが、彼の視線の先には誰も居ない。つい先ほどまでは少女が一人居たのだが、彼と目が合う寸前に階段を下りて行ってしまったのだ。薄い亜麻色の髪が特徴的な女子だった。

 

「何だったんだ?」

 

 感じた視線は何と言うか、嫌な感じを与える物だった。動物を観察する様な、何かを見定める様な視線だった、と思う。

 自分は彼女とは初対面である。気に障る様な事や興味を引くような事は、何もしていない筈だ。

 イタリアでの事はあるが、アレは数ヶ月前の事だ。つい先日も自称愛人に呼び出され、半ば押し付けられる形で奇妙なメダル――押し付けてきた彼女はゴルゴネイオンと呼んでいた――を持って帰りはしたが、それも含めて先程の女子が知っているとは思えない。

 ……さすがにコロッセオ崩壊事件は知っているかもしれないが。

 

「おーい護堂。ボーっと立ってたら教室に間に合わねえぞ」

「あ、ああ……」

 

 クラスメイトの声に振りかえり、少年――草薙護堂は自分の教室へと歩いて行った。

 

 ●

 

 午前の授業はつつがなく終わり、昼休み。咲月は弁当を食べながら、午前中に感じた呪力について考えていた。

 あの少年から感じた光の気配と、闇と大地の気配。微かだが非常に濃いあの気配は、まず間違いなく神に関する物だろう。

 おそらく、いやほぼ間違いなく、彼が八人目の魔王なのだろう。万里谷祐理に勘付かれる危険性が高い為、神託の権能は使っていないが、そう直感していた。思い返せば、夢に出て来た少年と色々似通っている部分もあった。

 彼の権能は、予想するに光の気配の方だろう。闇の気配の方は、権能とするには弱い感じがしたからだ。

 だが、それでもしっかりと感じ取れた辺り、呪具に類するものなのかも知れない。下手をすれば、そう言った属性を秘めた神具の可能性もある。

 

(僅かだけど、とても濃い気配だった……もし神具だとしたら、間違いなく地母神に関係があると断言できる程……)

 

 闇と大地は、大地母神を始めとした大地の神に関係深い属性だ。植物は春に芽吹き、夏に葉を生い茂らせ、秋に実りを齎し、そして冬に枯れ、春になれば再び芽吹く。そう言う四季の巡り、生と死、滅びと再生の永遠の円環を大地の神は司っているのだ。故に彼女達は、生と死の両方を司る不死の存在なのだ。

 有名どころで言えば、ギリシア神話のガイアやヘラ、北欧神話のフリッグにフレイヤ、アナトリア神話のキュベレー辺りか。他にも、アルテミスやアプロディテ、イシュタル、ティアマトもいる。意外かもしれないだろうが月の女神アルテミス、愛の女神アプロディテ、そして悪魔として名高いアスタロトも、元は生と死、豊穣を司る大地の女神、大地母神の係累だ。

 大地の女神達と深い関係にある動物は、主に竜蛇を始めとして牝牛、獅子そして鳥が居る。場所や神によっては狼や豚、羊も関係付けられる。狼は闇と大地に属する獣であり、豚や羊はその繁殖力や育てやすさから豊穣に結び付けられるのだ。

 

「………………」

 

 おそらく、彼は大地に関する神の神具を所持している。それがどんな物なのかは分かり得ないが、所持している事だけは間違いがないだろう。

 神具と、それに関係する『まつろわぬ神』は惹かれ合う。互いが己の半身である別たれた存在を求めるのだ。神具は半身である神が眠っている時は眠りより呼び覚まし、起きているのならその神を呼び寄せ、元に戻ろうとする。神もまた同じだ。半身である神具を求め、あるべき姿に戻ろうとする。

 あの少年がどの神の神具を持っているのかは分からない。だが、読み取る事の出来たあの気配の濃さから、非常に強力な神格を持つ神の物だと予想できる。感じる呪力の気配の濃さから、おそらく半身である神は目覚めているのだろう。間違いなく呼んでいる。

 彼が自分と同じカンピオーネなら、その呪力を感じ取れない事は無い筈だ。分からずに持っている、と言う事は有り得ないだろう。……誰にも邪魔されずに戦う為だろうか?

 

(私は、私に危害が及ばなければ別にどうでも良いけれど……)

 

 そう思うが、神と神殺しの戦いは大規模な物になりやすい。互いの力が強力すぎる故に、加減しながら戦うという選択肢が存在しないからだ。一つ判断を誤れば死に直結するのだから、加減すると言う選択肢がないのは当然だが。

 最悪、自分も巻き込まれる可能性がある。戦う事は嫌いではないが、かと言って好きだと言う程でも無い。出来る事なら、戦わずにやり過ごしたい。主に自分の平穏の為に。

 だが相手は神だ。こちらの都合など知った事ではないだろう。『まつろわぬ神』と『神殺し』は、神話の時代からの仇敵同士なのだから。

 

(予知夢で見た内容は、最短五日以内で現実になる。最悪の場合、私が出張る必要があるかしら? だとしたら、情報収集は必要ね。それだけでも、どんな能力や攻撃手段を持っているか、ある程度予測が立てられる)

 

 昼休みの終わりを告げるチャイムを耳にしながら、咲月は権能を使う決意をした。出来る事なら、やって来るだろう神をあの少年が倒してくれる事を望みながら。

 

 ●

 

 一日の授業の全てを終え、放課後。咲月は校舎の屋上で一人、風を感じながら佇んでいた。

 校舎内に生徒の影は、ほぼ無い。殆どの生徒が既に帰宅しているからだ。その中には、自分の正体を見破る危険性を持つ万里谷祐理も居る。これで多少だが、自分がカンピオーネだとばれる危険性が減った。

 紅い夕陽が、校舎と咲月の姿を紅く染め上げる。それにかつての出来事を思い出しつつ、校舎に残った僅かな呪力を感じながら、咲月は権能を発動する為の聖句を口に詠う。

 

「夢より詠え、夢より紡げ。冥府の扉の近くより来れ。敬虔なる者に真実を、愚かなる者に偽りを告げよ、夢を統べる夜の子よ」

 

 言葉に込められた言霊に呼応し、咲月の体から呪力が噴き上がる。同時に、琥珀色の瞳が鮮やかな翡翠色に変色する。望む情報を得る為に、神託の権能が発動した。

 イメージが脳裏に浮かぶ。

 豊穣と死を司る、輪廻する蛇。雷に奪い取られた、無限の叡智。冥府と現世を行き来する鳥、梟。聖なる存在でありながら、醜き化物へと貶しめられた大いなる母。牝牛。獅子。戦争と知恵を司る処女。梟の目を持つとも言われる、英雄達の庇護者。主神の娘。

 知恵の母、不死の蛇、そして戦争と死を担う乙女の三相一体。

 地中海沿岸に広く分布し、しかし元は一柱の女神だった存在。天地、そして現世と冥府を統べる大いなる母の、その原形の一つ。最強の女神の一柱。

 その名は――

 

「……冗談でしょ?」

 

 アテナ。

 


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