魔槍の姫   作:旅のマテリア売り

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16話 次へ

 時の流れは早い。目に見えず、決して止まることなく、延々と流れ続けるそれは風の様にも、川の様にも考える事が出来るだろう。違う点と言えば、風や川が地形や気候等の状況によってはその流れを変えるのに対し、時の流れは変わらず、常に一定だと言う点だろうか。

 草薙護堂がイタリアより持ち返った神具を求めたアテナが日本に来訪し、和泉咲月との戦闘を経てこの国を去ってから早くも1週間の時間が流れた。女神と神殺しとの戦闘で被害を被った港は石化したままの状態で未だ復旧の目処は立たず、その様相を巨大な墓標の様に風雨に晒している。

 しかし、港が石化し使用不可能となっている事を知っているのは、アテナと戦った魔王当人とその場に居合わせた裏の関係者達以外、ほとんどと言って良い程存在しない。理由は単純だ。情報を封鎖し、さらにその港も、誰も出入りできない様に封鎖しているからだ。

 勿論、完全に封鎖できている訳ではない。当然ながら、港に入れないと知っている人は居るのだ。しかし、その人数は普通に考えても有り得ない程に少ない。

 この様な事を個人や、数人程度の集団で出来る筈がない。当然、情報が拡散しない様に手を尽くしている大多数の者達が居るのだ。

 『正史編纂委員会』。それが情報を封鎖し、石化した港を何とか元に戻そうと苦心している組織の名前だった。咲月とアテナの死闘から1週間、「官」と呼称される委員会所属の呪術師達は休みもせず、港に近付く一般人に対して暗示を掛けながらアテナの権能――石化の呪力を祓おうとしていた。

 

「まあ、随分と時間がかかるだろうけどね。完全解呪まで、一体どれだけ時間がかかる事やら……」

「和泉さんを斃す為にアテナがやった事ですからね、多分ですが、軽く見ても数ヶ月、最悪数年は元に戻らないでしょう。これだともう、別の場所に新しく作った方が早いんじゃないかと思いますが……」

「確かにそうかもしれないけど、それだと建設費用とかで随分とお金がかかるよ。僕たちの懐から出て行く訳じゃないけど、時間がかかっても直せるなら、そっちの方が良いと思うけどね」

 

 咲月とアテナの決戦の舞台である石と化した海と港、クレーンを見ながら二人の男女がそう言いあう。正史編纂委員会東京分室長の沙耶宮馨と、その懐刀である甘粕冬馬だ。彼等の視線の先には、石化解呪に精を出す委員会所属の術者や巫女が大勢居る。

 しかしやはりと言うべきか、神の権能は伊達ではない様で、石化した箇所1㎡を解呪するのに術者9人から10人態勢で、さらに2時間近くかかっている。全体の状態で見れば、20分の1すら解呪出来ていない。それでも解呪のペースは早い方であり、遅い所だと4~5時間はかかっている。

 『禍祓い』を使える媛巫女が居ればもっと早くに解呪出来るかもしれないが、非常に稀有な能力の為、それを使える巫女は、現在確認出来ているのは一人だけである。その一人も見習いである為能力を使いこなせているとは言い難く、さらに消耗が激しい為に、とてもではないが動員する訳にはいかなかったのだ。……その力を使える少女の年齢が、他の巫女に比べて幼すぎる、と言うのもあるが。

 

「しかし、流石カンピオーネと言うべきでしょうか。この港全体をほんの数秒で石化しただろう権能に、魔術で抗うとは」

「カンピオーネの特性と膨大な呪力込みで、だろうけどね。普通の呪術師だったら、抵抗しきれず石になってたろう……もう一週間経ってるのに、まだ強い呪力を感じ取れるよ」

 

 甘粕の言葉にそう返し、馨はある部分に目をやる。その場所は他の部分と違って石化しておらず、コンクリートの色調と質感を円形に保っている。違う部分はそれだけではなく、石となった場所との境目には一見して傷の様にも見え、しかしそれとは違う特徴的な刻印が対角線上に4ヶ所残っている。咲月が刻んだ防御のルーン陣だ。アテナの石化の邪眼を防御する為に込めた呪力が膨大だった所為か、それとも別の要因か、1週間経った現在でも地面に刻まれたルーンに込められた呪力は衰えず、消える気配は見られない。

 

「それで、どうですか。何か見えましたか?」

「……駄目だね。権能の発動に使った呪力ならどうか分からないけど、流石に魔術に使った呪力で霊視をするのは難しい。何も見えないよ」

 

 甘粕の言葉に、馨は咲月のルーン陣を見ながらそう返し、首を振る。馨と甘粕が石化したこの港に居る理由。それはこの地に未だに残っている咲月の呪力の残滓から、彼女の所有する権能の情報を得られないかと思ったからである。馨もまた、祐理程の的中率は誇っていないが霊視を行う事が出来るのだ。

 直接聞きに行かず、この様な方法で咲月の権能の情報を得ようとするのには理由がある。以前甘粕が情報を得ようとしたのだが、情報を得るどころか逆に自分達の持つ情報を奪い取られ、さらに「干渉して来れば容赦なく槍を向ける」と脅迫されたからだ。

 祐理に頼んで霊視して貰うと言う事も考えたが、彼女は咲月の権能の一つを掛けられ、狼の神獣の情報を得ていたがその直後に情報を奪われている。

 咲月の権能の一つが相手から情報を奪い取る力を持っているのは確実だろうが、それだけとは思えない。

 祐理の霊視能力は当代の媛巫女の中でも随一だ。4年もの間、自分の存在を隠し、情報を与えないように行動していただろう魔王が、高い霊視能力を持つ祐理から情報を奪うだけで済ませるとは、どうしても思えないのだ。

 それ以前に彼女はトラウマを刺激され、咲月に対して恐怖心を抱いているのだ。彼女はたおやかな風貌に似合わない強い精神を持ってはいるが、無理に霊視を頼もうものなら、最悪の場合恐怖で錯乱してしまうかもしれない。

 幸い、咲月はこちらが下手に干渉しなければ槍を、権能を向ける事はない様だ。咲月の情報は欲しいが、強い力を持つ貴重な人員を壊してしまう訳にはいかず、委員会を消滅させる訳にもいかない。

 

「…………」

 

 ままならないものだ。石化した港と、それを戻そうと力を奮う巫女達を視界に収め、馨は小さな、しかし深い溜息を吐いた。

 

 ●

 

 イギリス、グリニッジ。

 『賢人議会』が存在するこの地で、議会の元議長であり現特別顧問の女性である欧州魔術界のプリンセス――アリスは豪奢なベッドに横になり、手に持つ書類を食い入るように読んでいた。

 彼女が手に持っている書類は、つい先日『赤銅黒十字』の総帥であるパオロ・ブランデッリから提出された物――正確には、彼の姪からの物――だった。その内容は彼女が最も欲していたと言って良いものだった。即ち、惨殺された老魔術師の手記にも記載されていた七人目の魔王の情報である。

 記されていたのは魔王の名前と年齢、現在住んでいる国の名前。そして王が持つとされる権能の数の予想だ。

 王の名は和泉咲月。国籍は名前が示す通り日本人だが、写真を見ればその容姿は少々東洋人らしくない髪の色をしている。年齢18歳。所有する権能の名と能力は不明だが、おそらく2つか3つの権能を所持しているらしい。

 彼の王は先日、神具を求めて日本に襲来した『まつろわぬアテナ』と血で血を洗う死闘を繰り広げ、瀕死の重傷を負いながら引き分けたらしい。パオロの姪であり、『赤銅黒十字』のシンボルカラーである『紅と黒』を纏う事を許された今代の『赤き悪魔』であり、八人目の王である草薙護堂についている大騎士エリカ・ブランデッリからの情報らしいが、彼女達が王の戦場に着いた頃には戦闘は既に終局に向かっており、権能の全てを見る事は出来なかったようだ。しかし、おそらく二つの権能を彼女から確認できたとも記されていた。巨大な狼の神獣と、現地の巫女から情報を奪い取った能力である。また、権能かどうかは定かではないが、手には大きく破損していたようだが禍々しい紅い槍を持っていたともある。

 アリスとパオロは知り合いである。仲が良いかと聞かれれば微妙ではあるが、主にイギリスの王である『黒王子』アレクが引き起こす事件等の収拾の為に、今までに幾度か協力してもらった事があるのだ。

 

「狼の神獣に、情報の略奪……それに、禍々しい紅い槍……」

 

 権能だろう情報と、王の持つ武装を小さく声に出す。アリスは赤銅黒十字からの情報が記された書類を片手に持ち、もう一方の手で別の書類を持つ。それは以前入手した、惨殺された老魔術師の手記の一部のコピーだ。

 パオロからの書類と老魔術師の手記を読み比べる。読むのは当然、王の権能についての項目だ。

 アリスは非常に聡明な女性である。二つの書類に記された情報から、彼女は咲月の権能の情報にある程度だが察しを付けていた。

 老魔術師の手記には王の権能は3つとあったが、手記に記されていた咲月の権能は『魔槍』と『神託』の2つのみで、その肝心の3つ目は記されていなかった。しかし、その3つ目もパオロからの書類で能力こそ不明だが、狼の神獣だと判明した。

 3つ目の権能が神獣だと断定するのには簡単な理由がある。唯の魔術師に、神獣を召喚する事は出来ても従える事など出来ない。神獣を従える事が出来るのは、その神獣の主人である神か、魔王のみであるからだ。

 

「情報の略奪は『神託』でしょうし、紅い槍は多分、『魔槍』の権能ね……」

 

 狼の能力は分からないが、『魔槍』と『神託』はおそらく合っていると思う。『神託』が情報を奪うと言う事にはやや疑問を覚えるが、カンピオーネが斃した神から簒奪する権能は個々の性格やその他諸々の影響で変質する傾向があるのだ。分かりやすい例で言えば、ヴォバン侯爵の『ソドムの瞳』が良い例だろう。あの権能は侯爵がケルトの魔神バロ―ルから簒奪した物であると言われているが、本来は睨んだ対象を即死させる能力が、対象を塩の柱にして殺すと言う物に変質している。而歳に侯爵がバロールを殺してその権能を簒奪したかは不明だが、おそらく咲月が簒奪した『神託』も侯爵の『ソドムの瞳』の様に、情報を奪うと言う能力に変化したのだろう。

 『魔槍』については、変質しているのかよく分からない。『神託』と同じく弑した神の名は想像できるが、武装その物を簒奪したのか、それとも魔槍の能力『だけ』を簒奪したのか。

 

「どちらにしても、もっと情報を集める必要があるわね」

 

 言って、アリスは御目付役でもあるパトリシア・エリクソンが側に居ない事を良い事に、如何にして日本に行こうかと考え始める。その顔には、魔王と言う存在が居ると言うのに好奇心旺盛な年頃の女性の笑みが浮かんでいた。もしこの場にエリクソンが居たなら、間違いなく苦言――否、説教と言って良いだろう――を彼女に対して呈していただろう。そんな笑みだった。

 

 ●

 

 月が静かに輝き、暗い夜空に浮かぶ。街灯の影響か、それとも別の要因か、薄い金色に輝いて見えるそれは5月も終盤に入っていると言うのに何故か冬の月の様に冷たく見え、見る者の心を固くする。咲月はそんな月を、家の一角に座ってじっと見上げていた。彼女の膝の上には子犬状態のマーナが丸くなり、柔らかな銀灰色の毛並みを撫でられている。

 アテナとの戦いが終わり1週間。完全に精神を落ち着かせた咲月は普段通りの生活に戻り、学校の図書室でいつもの様に本を読んだり、友人達と放課後に買い食いしたり、談笑したりしてアテナ来襲以前の様に日々を平穏に過ごしていた。

 

「良い夜だわ。静かで、月が綺麗に輝いて、よく見える。気分が落ち着く、とても良い夜……あなたもそう思わない、マーナ?」

 

 静かに輝く月にそんな感想を放ち、咲月は膝の上のマーナの毛並みを撫でながら問う。が、当のマーナはそんな事に興味はない様で、咲月に撫でられながらくぁ……と欠伸を一つした。子犬状態でのそれは可愛らしく、咲月は何も言わずに笑みを浮かべ、相棒の毛並みを撫で続ける。

 甘粕を通しての脅しが効いたのか、それとも草薙護堂の方に集中しているのか、正史編纂委員会からの干渉は今の所、無い。時折、微かだが視線や気配を離れた場所から感じるので完全に干渉が無いと言う訳ではないが、それでも直接訪ねて来られたりするよりは良いと咲月は思っていた。鬱陶しいと思う事はやはりあるが、自分の平穏が明確に崩されなければその程度の事は我慢できる。

 草薙護堂とは、あの屋上での一件以来会っては居ない。学年などが違うので当たり前と言えば当たり前なのだが、出会う機会自体が無いのだ。万里谷祐理に対しても同様だ。自分から会う心算はさらさらないと言って良いので、上手く動けば卒業まで会う事も無くなるかもしれない。

 もう一人、名前も知らない金髪の女子の方は良く分からないが、おそらく自分の事を探ろうとしているのだろう。組織に所属しているかは分からないが、魔術師なら魔王の情報を得ようとするのは必然である。

 

(まあ、そう易々と私の権能の情報を与える訳ないけど)

 

 自分の名前や住所など、そう言った物を知られるのは嫌ではあるが、これはもう諦めている。生活していく以上、住所等を知られるのは時間の問題だからだ。正史編纂委員会にも、既に知られていると見て良いだろう。曲がりなりにも彼等は公務員なのだ、調べる事など造作も無いだろう。

 だが、知られるのを諦めているのは住所等だけであって、権能に対しては別である。他の魔王と戦う可能性も低いとは言えあるのに、自分の手札の情報を与えて堪るものか。もし知られようものなら、甘粕や万里谷祐理にしたのと同様に情報を奪い取るのみである。

 幸い、自分にはそれを可能にする『神託』の権能がある。魔王や神ならともかく、魔術師程度に破られる事は無いだろう。奪う事が出来なければ、最終手段として殺してしまえば良い。自分の命に繋がる情報を守る事が出来るのなら、その為に経た過程や方法などはどうでも良いのだ。

 そう思い、咲月はいつの間にか眠ってしまっていた膝の上のマーナから手を離し、側に置いていた湯呑みを持って一口、茶を口に含む。温くなってしまっているが風味の良い茶を飲み下し、再度月を見上げる。アテナとの戦いの直前に見た朧月も趣があって良かったが、やはりハッキリと輪郭が見える月が良い。

 そんな事を考えながら、咲月は室内の壁にかかっている振り子時計を見る。午後9時47分。そろそろ風呂に入り、眠ったほうが良いだろう。

そう思い、咲月は残りの茶を一息に飲み干し空になった湯呑みを台所に置き、片手にマーナを抱えて風呂場へと歩いて行った。

 

 

 

 この数日後、賢人議会から魔術界に対し、草薙護堂が8人目の魔王であったと言う事と、7人目の魔王である和泉咲月の名が正式に公表される事になる。

 それによってある王は興味を示し、ある王は鼻を鳴らし、ある王は新たな同族の出現に笑みを浮かべ、またある王は顰めっ面をさらに顰める事になるのだが、それは別の話である。

 


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