極東の騎士と乙女   作:SIS

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code:00 避け得ぬ運命への警鐘(4)

 

 

 

 第二回世界大会モンドグロッソ会場。

 

 将来的にはある学習施設へと姿を変える事になるその建物には、非常に広大な離発着場が設けられている。

 

 ジャンボジェットも余裕で複数台修める事のできるそのスペースは、大会開始時に各国家代表選手の入場セレモニーに使われ、今現在もなお、多数の戦闘機や戦車が整列して並び、まるで兵器展覧会のようにも見える。

 

 そんな兵器の群れの中、ドイツ代表一向に与えられたスペースの中に、それはあった。

 

 フォッケウルフトリープフリューゲル66。

 

 かつて設計だけ行われたトリープフリューゲルを基に、IS解析技術のフィードバックを行って製造されたワンオフものの戦闘機である。ドイツはIS技術のうち、特に繊細な調整が必要とされるPIC関連への理解度が高く、それはこの機体にも採用されている。結果、無音での垂直離陸や高機動旋回能力等を得るに至り、現状の通常兵器では最高クラスの性能を持っているとされる。が、そもそもそれはISの技術的フィードバックがあってこその性能で有り、肝心のISには遥か遠く及ばない。結局のところ、あくまでドイツの技術力のアピールの為に作られたものでしかなく、二機目以降が作られる事もない。

 

 張りぼての虎、というのがこの機体の正体といってもよいだろう。ましてや、早々にドイツ代表機が敗退した今となっては、虚しい虚勢のシンボルでしかなかった。

 

 しかしながら、大会が終わるまでパレード参加機体はこの展示場ともいえるスペースに残る事が決められているため、観客の誹謗中傷やカメラ小僧のフラッシュの光を疎ましく思いながらも、漆黒の機体はたたずみ続けていた。

 

 そして、機体がそうならパイロットも、また。

 

「……そろそろ決勝戦が始まるころね」

 

 トリープフリューゲル66のタラップの影。一目を避けるようにして書類に目を通していた女性士官が、独り言のように呟く。彼女の言葉通り、時計の時刻はモンドグロッソ決勝戦の開始時間を示している。

 

 記憶によれば、決勝戦を争うのは前大会優勝者であり再優勝候補であった日本代表織斑千冬。刀一本というシンプルすぎる武装の専用IS暮桜を操る、ヴァルキリーの称号を持つ歴戦の勇士だ。一説によれば、IS開発者である篠ノ之束博士とは幼馴染の友人であり、ISの開発にも関わっていたという噂がある。

 

 その戦闘力は圧倒無比。特に、準決勝戦でのイギリス代表のシェリー・アビントン戦でみせたライフル弾の狙撃を切り払ったシーンは今大会における彼女の新たな伝説として耳に新しい。そしてその超絶的な剣の腕前に加え、同時に愛機である暮桜もまた反則的な能力を持っている事でも有名だ。

 

 単一仕様能力というものがある。

 

 ISに搭載されている中枢コアと、搭乗者の相性が最高になった時に発動する一種の特殊能力だ。何を持って相性と呼ぶのかはいまだ不明であるが、それによって発動する能力は文字通りワンオフもので、同じ能力が発動することは無いとされる。そしてその発動する能力もまた、不可解な場合が多い。かつてある人物が発達し過ぎた科学は魔法と変わらない、という意味の事をいっていたが、単一仕様能力ことワンオフアビリティはまさにそれ。ISコアという解析すら不可能な超集積体とISエネルギーという分類不可能な未知のエネルギーをフルにつかって算出されたその回答は、傍目には物理法則すら無視する超常の理に他ならない。

 

 そして暮桜のワンオフアビリティは、零落白夜という物である。零に落とす白夜、と書いて零落白夜と読むこの能力の実体は、あらゆるエネルギーの一対零交換である。そこに運動、熱量の差異は無く、接触した物体のエネルギーを根こそぎ暮桜自身のエネルギーと対消滅させるというこの能力は、ISが必ず持っている絶対防御機構の原理を攻撃的に発生させるものとされているが、そもそもあらゆるエネルギーを対消滅させる絶対防御そのものも結果として再現できたものの原理は完全に不明であるため、本当にこの考察があっているかも不明だ。とにかく結果として、この能力にさらされたISは一撃で保有するシールドバリアのエネルギーを根こそぎ奪われ、システムダウンを起こし機能停止する。発動時に大量のエネルギーを要求するため、シールドバリアの規定値すら満たせなくなる事で暮桜側のシールドバリアのエネルギーも減少するという欠点があるが、それと引き換えに暮桜はこの地上……否、宇宙に存在するあらゆる事象・存在に致命的なダメージを与える手段をもっているという事なのだ。

 

 そしてその能力に合わせるかのように、暮桜は現状確認できる準第二世代型で最も軽量かつ、機体重量に比して規格外ともいえる出力のスラスターを備えている。最高速度や巡航能力では量産型ISにすら劣るが、瞬発力と運動性能において現在でも並ぶものはいないとされる。

 

 そんな二つの最強が合わさった日本代表と呼ばれる化け物はまさに最強。決勝戦を前に会場は盛り上がりをみせてはいるものの、どちからが勝つか観客に本音を聞いてみた処百人が百人同じ選手の名を上げるに違いない。

 

 それは大会運営委員もわかっているのであろうが、それだと威信的にも興行的にも戴けない。なので解説が先ほどから会話を盛り上げようと努力しているのが会場からは聞こえてくるが、女性士官はやれやれ、と同情するような溜息をついて書類に目を通す作業に戻った。

 

 その時だった。

 

「失礼。少しよろしいか」

 

 冷たい、刃物のような怜悧さを帯びた声だった。だが同時に、女性らしい柔らかい響きも秘めていた。

 

 聞き覚えのある、声だった。

 

「え」

 

 顔を上げる。

 

 目の前には、二十歳半ばと思われる女性が一人。体にはぴっちりと張り付いたパイロットスーツを身にまとい、それを隠すようにフライトジャケットを上からはおっている。長い黒髪は良く整えられてはいるものの、束ねる事はなく流れるに任せている。まるで誰かに髪の管理をまかせっきりにしているようだな、と女性士官は場違いな感想を抱いた。

 

 何より特徴的なのは、その相貌。モンゴロイド系にしては白い肌やきりりとととのったモデルのような顔の造りも眼を引くが、眼光のそれにはかなわない。まるで刃物のような、体にみなぎる覇気がそこからあふれ出しているかのような、強い、強い眼光。自分に絶対の自信と自負を持ち、そうでなければならないと常に重圧を自ら背負いにいく人間の目だ。

 

 例えば。

 

 唯一人、国家という看板を引っ提げて、豪火渦巻く戦場に刀一振りで切り込んでいくような、そんな人間の。

 

「織斑、千冬……?!」

 

 ここにいるはずのない人間、ここにいてはいけないはずの人間。それを目の当たりにしてたじろぐ女性士官の動揺をよそに、千冬はふむ、となにやら頷きながら何かを見上げている。その視線の先には、女性士官が寄りかかっていた、試作戦闘機だ。

 

「な、なぜあなたがここに……決勝戦は?! 大会はどうなされたのです!?」

 

「ああ、その事なんだが……少しあける。それと、この機体なんだが」

 

 とん、と織斑千冬が戦闘機のライディングギア、その支柱にこん、と手を当てる。

 

 その時、女性士官は彼女の腰に何かが存在している事に気がついた。

 

 一振りの、日本刀。鞘に納められたままの武器。だが、それは一見してわかるように、現代風に大きくアレンジされたものだった。柄の部分は軍用ナイフと同じような構造で、鍔の構造も幾何学的な六華を模した形状。鞘全体の構造も、複合セラミックスを思わせる無機質な光沢を放っている。

 

 その刀が、独りでに刀身を抜き放った。

 

 光が、千冬の体を包み込む。眼を思わずかばった女性士官の耳に、怜悧な響きがそっと触れた。

 

「良い機体だ。少し、借りるぞ」

 

 そして。

 

 数秒後、そこにはがらんと広がったスペースに、茫然とする女性士官の姿だけがあった。

 

 がやがやと同様にざわめく周囲に、高空から空を裂く残響だけが遠く耳に響く。ややあって、ざわめきが騒動に成長した頃になってようやく女性士官は我に帰ると、

 

「ど………泥棒?」

 

 ぼんやりと、そんな間の抜けた問いをこぼすのが精いっぱいなのだった。

 

 

 

 一方。

 

 追撃者と銃火を交えるシェリーは。

 

「くっ……!」

 

 言葉通りに、追い詰められていた。

 

 当然の事。いくらシェリーの戦闘者としての技能が隔絶していようと、物理的に倒せない相手は倒せない。陳腐な例えだが、一匹のクロヤマアリがどうやったところで、インドゾウは殺せない。現実の質量の前には、どんな執念も押しつぶされるだけだ。

 

 それでも、彼女はあきらめない。

 

 全身全霊、自信の持つ技量の全てを込めて、効かないと分かっている銃を放ち続ける。

 

 ライフルを放つ。その一撃を最後に、マガジンの残量が底をつき、ケースが排出される。排出されたケースは煙を引きながら宙を舞い、直後、機関砲の直撃を受けて木端微塵に粉砕された。

 

 一方、放たれたライフル弾は、その砲弾の雨の中をかいくぐっていく。一発の砲弾を潜り抜け、二発目の砲弾と浅く接触、軌道を変更。コンマ数ミリ傾いたそれはISの射線予測を超えて飛翔し、射手の狙い通りに標的を撃ち抜いた。

 

 撃ち抜いたのは、敵の副腕、その一つ。ムーバブルフレームで構成され、先端に近接戦闘用のクローと射撃戦に対応した大口径機関砲をそなえたそれの、銃口をライフル弾が狙いたがわず、撃ち抜く。

 

 いくらISといえど、本体でもない外部装備、それも射撃武器の銃口にまではシールドバリアを展開できない。故に、通常の物理法則にしたがった強度しかもたない機関砲をライフルは紙くずのように撃ち抜き、内部に装填されていた弾に誘爆。乾いた音を立てて、クローの先端がはじけ飛ぶ。

 

 魔弾、としかいいようがない神技だった。撃たれた方の追跡者も、罵声を上げるとか罵るとかを通り過ぎてきょとんとするありさまだった。

 

「………文句も出てこねえ。化け物だよ、あんた」

 

 それは、素直な称賛だった。ひねくれた性根をもった追跡者をして、シェリー・アビントンの技量は、想像を絶するものであったが故に。

 

 だが。その魔弾とて、状況を変えるには値しなかった。

 

 確かに、シェリーの攻撃は通った。だがそれは、八つあるサブアームの一つを吹き飛ばした、ただそれだけに過ぎない。そして、シールドバリアの展開されていない部分を抜いたという事は、結局のところ、敵のシールドバリア総量は少し足りとて減っていないという事だ。

 

 つまり。

 

 窮地は依然として、変わりなく。

 

「………」

 

 それでも、一撃を放った見返りはあった。

 

 流石にアームの一つを粉砕されて警戒したのか、敵の追撃が緩む。その隙に、シェリーは思考を巡らせる事が出来た。

 

(……無理だ。このままでは)

 

 勝ち目等ない。スナイパーライフルを全弾ぶちこめばあるいは、という希望は、残り1マガジンしか残されていないという現実と以前衰えを見せない敵のエネルギー残量に否定された。

 

 残り全てを撃ちこんだ処で、相手は落とせない。その後にまっているのは、唯のなぶり殺しだ。

 

「せめて、一夏君が逃げ切ってくれればいいんだけど……」

 

 そうすれば、シェリーも離脱を試みる事ができる。先ほどはスピード勝負で負けたが、戦闘状態を維持したまま、大会会場まで引く、というのなら不可能ではない。今までの戦闘で敵はシェリーの実力を肌で感じ取っている。いくら軍事用といっても、もしかするとシェリーが奥の手を隠している可能性も考慮すれば不用意に距離をつめるのは得策ではない……そう思わせるに値する被害を、シェリーは間違いなく与えていた。

 

 だがこれも却下だ。

 

 何せ、一夏はまだ子供だ。超高速戦闘が可能なISの想定する戦闘範囲を、その子供の足で踏破しきれる筈もない。ましてや土地勘もない。いくら上空からの俯瞰データでコースを教えているとはいえ、無理な話だ。事実、必死にこの場を離れようとしているはずの一夏の反応は、今もすぐそこにある。

 

 文字通りの手詰まり。

 

 どうすればよい、そう歯噛みする彼女の視界に、ひとつのウィンドゥがポップアップしてきた。

 

 この忙しい戦闘中に、いちいちウィンドゥを開いている余裕はない。また、通信もまた、ここらいったいにかかっている妨害電波で不可能なのはだいぶん前に確認した。ならば、そのウィンドウは、そこに表示された文字は、誰からの物か。

 

 

 

『単一仕様の発動を推奨します。 byPor』

 

 

 

 それを目の当たりにした瞬間、シェリーは思わず忘我しかけた。

 

 単一仕様。Porの、ワンオフアビリティの発動、その意味を知っているが故に。そしてよりによってそれを、Porそのものが提案してきたことに。

 

「………正気なの!? あんな……あんなモノを、私達に使えと?! プリンセス・オーダー!?」

 

 それは怒りであり、恐怖であり、拒絶であった。

 

 ワンオフアビリティー。原理不明の特殊能力だが、不明なのは原理だけではない。発生する経緯も、そもも『何が発生するのか』さえも完全に不明。結果として、機体のコンセプトと全く合わなかったり、とうてい搭乗者にも使いこなせないような妙なものが発生する可能性もある。他にも、致命的な二次被害を周囲にもたらすような、そんなものも。

 

『しかしそれ以外に方法はありません』

 

「駄目よ。勝てばいい、生き残ればいい。そういう戦いを、私達はしているんじゃない……!」

 

 再び迫りくる機関砲弾。それをかいくぐりながらも、シェリーは相棒の提案を一蹴した。

 

 あれは。

 

 あれだけは、使ってはならない。

 

 致命的、等と言う言葉ではすまない。確かに使えば、一夏を助けシェリーは生き残り、敵を撃退することが可能だろう。だが、その結果にまっているのは破滅的な二次災害だ。水爆や原爆の汚染など生ぬるい。現在の人間の科学では消せない傷跡を、この世界に刻み込むことになる。いやそもそも、シェリーにはあの単一仕様能力がもたらす被害の詳細を明確に思い浮かべる事すらできないのだ。

 

 プリンセス・オーダーの単一仕様能力。

 

 ――――『Which Dreamed It(夢を見たのはどっち)』とは、そういうものだ。

 

 だが。

 

『このままでは、敗北は避けられません』

 

 何よりも、主の存在こそを最上とする”彼女”には、そんな理屈はどうでもよかった。

 

『ご決断を』

 

 主のいない世界よりも。

 

 主のいる、傷つき汚れた世界を望む。

 

「………気持ちは嬉しいわ、プリンセス・オーダー。でもね、私はそれを望まない。この世界に、この星に。私は譲れないモノを幾つも見出しているから。貴女の提案には、乗れないわ」

 

『しかし』

 

「それに、ひょっとしたら、必要ないかもしれないわよ」

 

 レーダーに、以前変化は無い。まっさらなフラットのまま。

 

 それでも、シェリーの直感は。この空域に接近しつつある、何かを捉えていた。

 

 この、迸るような殺気と気合、一度剣ならぬ銃を交えたのなら、多分数万キロ先からだって感じ取れる自信が彼女にはある。

 

「でも、今は決勝戦はじまってもいないはずよね?」

 

『超高速で接近する機影を確認。…………質量が巨大です。ISではありません』

 

「……え?」

 

 AIの報告に、きょとんとして反応のあった方に眼を向ける。追跡者も接近する何かに気がついたのだろう。攻撃の手を止めて、視線をシェリーと同じ方向に向けていた。

 

 その、視線の先。

 

 蒼穹を突き破って、接近する影が一つ。

 

 それを望遠カメラで捉えて、シェリーは唖然、と口を開いた。

 

「………無茶するわー」

 

 それは、確かにISではあった。

 

 だが、その背中に本来展開されるアンロック式の浮遊スラスターはなく。代わりに、どっかで見た事のあるような戦闘機の機首が、無理やりワイヤーかなにかでくくりつけられている。挙句、その戦闘機の翼は何やらやたら鋭い刃物かなにかでぶった切られたように消失しており、唯一残った推進機関であるブースターからは、どう見てもリミッター解除しているとしか思えない勢いで噴射炎が伸びていた。

 

 そして。

 

 その無茶苦茶を実行した張本人は、大型戦闘機の推力の生みだす圧力の中、平然と腕組をしたまま、こちらを見据えていた。

 

 織斑千冬。

 

 今は遠く世界大会決勝戦で戦っている筈の女剣士の、あまりにも予想外な形での乱入であった。

 

「というかなんで戦闘機……?」

 

 混乱するシェリー。無理もない。

 

 無理もない、が。しかし実のところとても合理的な判断であったと言えよう。

 

 織斑千冬の暮桜は、それこそ有視界戦闘の距離においては超絶的な機動力を誇るが、超音速巡航能力等の長距離移動能力が壊滅的に低いという欠点を抱えている。そんな機体に乗っている彼女としては、何らかの方法で出力を上乗せする必要がありその為、会場にあった一番推力の高いエンジンを搭載していた機体を強引にひっつかんできたにすぎない。翼が切り落とされているのはPICで重力を無視できるISの加速と飛行に揚力が不要だったからだ。

 

 そんな事情をシェリーと追撃者は知る由もないが、しかし、織斑千冬がこの場に現れたという事実、それだけははっきりとしていた。

 

 特に慌てたのは追撃者だ。せっかく根回しをして確実に任務を遂行できる状況を整えたのに、そこへまさかのブリュンヒルデ直々のご登場だ。しかも、競技用だろうがなんだろうが、暮桜は一撃であらゆるISを機能停止に追い込める必殺の能力を備えている。まさに、とんでもないイレギュラーの登場に、追跡者の対応は早かった。

 

 咄嗟に眼前のPorを無視して機動を変更。そのまま、突っ込んでくる暮桜の迎撃に写る。大きく広げた七つの補助腕、その先端に転送されるのは七つの対空ミサイル。それらが、一斉に放たれ、暮桜を狙う。

 

 暮桜は、よけない。よけられない。ただ機体を固定しての超音速巡航中の機体が、機敏に動けるはずもない。そのままあっさりと、炸裂した対空ミサイルから放たれたニードルがブースター代わりの戦闘機を撃ち貫き、一種おいて爆発させる。

 

 空に、爆発の華が咲き。

 

 直後。

 

「……篠ノ之流合戦礼法、壱の型が一つ」

 

 追跡者は見た。

 

 振り仰いだ視線の先、太陽を背に唯一振りの刀を振りかざす戦神の姿を。

 

 爆発の勢いをむしろ利用して暮桜が踏みこんできたとか、明らかに暮桜がスペック上よりもはるかに高い機動力を見せたとか、そんな事は一切頭の中になかったが、しかし、はっきりと追跡者は理解していた。

 

 よけなければ、死ぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「不知火」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここで、ISの近接武器について話をしよう。

 

 ISは基本的にシールドバリアによる防御を行う。この防御はほぼ完ぺきと言ってよく、銃弾のような単純物理攻撃からレーザーのような非実体攻撃まで防御可能ととそれまで人類が保有していたあらゆる兵器をしのぐ防御性能を持つ。この防御力は、シールドバリアが三種類の層で構成されている事から生まれる。総合的な防御を行う磁場フィールド、物理攻撃に対しIC(イナーシャルコントロール)を用いて防御を行う停止防御結界、熱戦や紫外線等を防御するエネルギースクリーンの事だ。軽い攻撃は磁場フィールドで相殺し、それを突破してくるレベルの攻撃に対しては運動エネルギーを停止防御結界によって低下させ無力化し、熱量兵器等であるのならエネルギースクリーンが相殺する。これは非常に複雑に重なり合う形で多重に存在しており、突破するには供給されているシールドバリアエネルギーの容量を奪う程の攻撃をしかけなければならない。

 

 普通に考えればこれほどの防御力を持つシールドバリアに、たかだか数トンレベルのパワーアシストを受けた人間の振るう武器が効果的とは思わない。だが、現実に近接武器は、対IS戦闘において非常に優秀な武器として知られている。

 

 理由は二つある。

 

 一つは、近接武器それそのものがISの一部と見なされる事にある。つまり、近接武器はISの持つベクトル操作能力を発揮する端末としても機能するのである。これがシールドバリアに接触した場合、それに対し運動エネルギーを拡散させて受け流そうとする防御側のICと、運動エネルギーを収束させて攻撃を通そうとする攻撃側のIC同士で、エネルギーの争奪が行われる。この時点で、防御側のシールドバリアはその防御力の一柱である”停止防御結界の防御力”が大きく損なわれる事となる。その結果、他の防御システムがその穴を埋める必要が発生し必要以上に大量のシールドエネルギーが失われる。これが近接武器がISに対し有効な理由の一つ。

 

 もう一つが、ISという兵器の特性そのものである。

 

 例えば、凄腕の達人は斬鉄、というものをやってのける。鋼鉄の塊である鎧兜を、一振りにして両断してみせる魔技だ。これは、達人が腕力だけでなく、全身の稼働関節をフルに使い、さらに踏み込みという加速を損なう事なく人体の発生しうる運動エネルギーを完全に制御、刀身に注ぎ込む事がまず大前提として存在する。そして、ISに搭乗した人間はさらにそれに加え、踏みこみは音速という桁違いの加速となり、関節で僅かに失われてしまうはずの運動エネルギーの伝達ロスすら、慣性制御によって完全に打ち消す事ができる。それに加え、生身ではありえない反作用の相殺・逆用。

 

 その結果生み出される破壊力は、生身のそれとは比較にならない。

 

 ましてや熟練したIS乗りは、さらに斬撃に乗せた運動エネルギーの方向性を絞り込み、さらなる破壊力を一撃に持たせることができる。そんなものが実際に放たれれば、どうなるのか。

 

 それが今、現実になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大地が、裂けていた。

 

 空が、裂けていた。

 

 抜刀である。剣術である。刃からビームが出る事はないし、刀身が伸びたわけでもない。

 

 ただ、刀を振っただけである。

 

 だが現実として、雲は吹き散らされ、大地には深い溝が穿たれた。

 

 恐る恐る、追跡者は己の機体に備わったサブアームに眼をやる。

 

 七本あったサブアーム、それが四本になっていた。

 

 回避には成功した。だが、遅れたサブアームが斬撃に巻き込まれる形で切り飛ばされていた。断面は、まるで鏡のように滑らかで、むしろ最初からそう造ってさらにコンパウンドで磨いたかのようだった。

 

 繰り返すが、今のは唯の斬撃である。単一仕様能力ではない。その気になれば何度でも放てる、ただの一撃である。

 

 結論。

 

「……やって、られるかぁああ!!!」

 

 そして追跡者は逃走した。

 

 残りのサブアームすら切り離し、あらゆる余計な重量を放り出して、恥も外聞もなくフルブースト。身体や機体にかかるあらゆる負荷を完全に無視して、瞬時加速を続けて繰り返し、追跡者の自己ベストを遥かに凌駕する勢いで加速、そのまま巡航に切り替えてこの場を飛びさる。

 

 見事なまでの逃走だった。横で置いてけぼりにされていたシェリーが眼を剥くほどの。

 

 だが、千冬にとってはどうでもよかった。

 

 敵が戦闘を放棄したのならそれでよい。本当なら追い付いていって細切れにしてやりたいが、それよりも彼女には優先すべき事情があった。

 

「一夏!」

 

 拡声器で叫び、眼下の森へと降りていく。その姿は先ほどまでの魔王もかくや、というものではなく。むしろ、母親を見失った子供のようですらあった。

 

「一夏、一夏! どこだ、一夏!!」

 

 必死な呼び声。

 

 それに、答える小さな声。はじかれたように、そちらへ飛び込んでいく千冬。ややあって、木々に隠れた大地からお互いを呼ぶ、二人の声があった。

 

 感動的な、姉弟の再会の様子。

 

 その様子をこっそりうかがいながら、シェリーはやれやれ、と溜息をついた。

 

「………私、何の為にここにいるんだったっけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、始まり。

 

 来るべき未来への警鐘が轟いた、まさにその瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が動き出す。

 

 世界は眠らない。

 

 ……世界は、一匹の怪物である。

 

 

 


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