極東の騎士と乙女   作:SIS

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code:27 裏切り者は誰だ

 剛剣一閃。

 

 荒々しさと緻密さを伴った一撃が、闇を切り裂いて白亜の機体を切り裂いた。その一撃は、残り僅かだったシールドバリアの残量を消し飛ばし、白式の活動を停止させた。その搭乗者の意識ごと。

 

 ぐらり、と機体が傾ぐ。PICという魔法が解けた複合プラスチックの塊が、重力のくびきを今になって思い出したかのように墜落する。それを抱き留めたのは、損傷の跡も痛々しい一機の鎧武者だった。

 

 甲龍。

 

 レールガンの掃射を浴びて墜落し、消息を絶っていたその機体はまだ生きていた。分厚い装甲と、何よりも鍛えられた搭乗者の肉体の強度は、あの致命的な攻撃を絶えきったのだ。そして温存していたエネルギーで海中から戦闘直後の白式に奇襲をしかけた。それがすべてだった。

 

 だが、その代償は大きい。

 

 一夏を横抱きにしてかかえる鈴音。彼女は違和感を覚えて、己の額を手甲で拭った。そして拭った手をみれば、それは装甲色以外の赤で真っ赤に汚れていた。

 

 機能停止を免れるために、搭乗者への衝撃緩和を極限まで押さえた影響だ。装甲を貫通させなかったとしても、受けた衝撃はほぼそのまま。いうなれば、鋼鉄のシェイカーに生身でいれられてカクテルされたかのような衝撃を、彼女の生身は受けていた。満身創痍に近い。

 

 それでも、彼女はやらねばならぬ事があった。

 

 鋼鉄の決意で体の不調を押さえ込み、鈴音はきびすを返す。織斑一夏が、白式がその意識、機能を復旧させる前に、急いでここを去らねばならない。この、”超越者を殺すために特化した”何かが自由になる前に。

 

 スラスターを広げ、青い炎を吹き出して加速する。

 

 

 

 その瞬間。一本の鋼鉄の矢が、鈴音の後頭部を打ち抜かんと飛来した。

 

 

 

 反応は危機一髪。裏拳気味に繰り出した一撃が、不意の一撃をはじき返す。火花を散らして明後日にはねとばされる矢の行方を確かめずに、鈴音は血が抜けきって青みがかっている相貌で、薄く微笑んだ。

 

 視線の先には、IS学園。

 

 その、校舎の屋上に。

 

 

 

 一人の少女がいた。

 

 苛烈で、儚い、燃えさかる炎のような少女が。

 

 

 

 篠ノ之箒。織斑一夏の幼なじみにして、篠ノ之流を納めた現代の巴御前。彼女は、IS学園の上着を投げ捨てて下着姿の上半身を雨にさらしたまま、手にした巨大な弓をキリキリと引き絞っている。その手には、今まさに鈴音の後頭部を串刺しにせんとした矢と同じものがつがえられ、いまかいまかと解放の時を待っている。

 

 あり得ない。少女と甲龍の距離は、常識的に考えて弓矢などという武器で狙うには、条件が悪すぎる。ただでさえ距離があるのに、風雨はまだ消えておらず、荒波はIS学園の制御能力をもってしても緩和しきれない。その中で、甲龍をねらえるはずがない。

 

 だが、箒は再度、矢を放ち。

 

 鈴音は、それを真正面から、つかみ取った。

 

 ギャルン! とでもいうべきか、少なくとも鈴音が聞いたことのない類の摩擦音をたてて、甲龍の手につかみ取られた鋼鉄の矢が収まる。それを眼下の海にほうりすてて、鈴音は今度こそ、この領海を離脱した。

 

 青い尾を曳いて駆け上っていく甲龍。その姿が、大気のシェードにかすれて見えなくなるまで見送って、箒はがくり、とその場に膝をついた。

 

 限界を越えて弓矢を引き絞った両手からは、真っ赤な流血。血にまみれた繊手を、しかし傷が開くのもかまわず握りしめて、一度、がつんとコンクリートの床に叩きつけた。

 

 

 

 甲龍は海を渡る。太平洋をゆき、日本列島を大きく迂回して、台湾上空をステルスモードで横断し、中国の領空へ。一般の管制センターにも存在を伝えず、誰にも見咎められないまま、中国奥地のとある場所へ向かう。

 

 そこは、中国にとってのエリア13。存在が認められない、秘密の施設だ。

 

 管制塔も、誘導灯もない滑走路に降りる。航空機ならば死ねといっているようなものだが、ISにとっては、ひどく簡単な作業だ。例え搭乗者が負傷でもはや意識が朦朧としていても、片手間で達成可能なほどに。

 

 ふらりと甲龍が滑走路に着地する。そのまま彼女は一夏を抱えたまま、岩盤に偽装された施設入り口に足をかけた。

 

 ごぅん、と低い音をたてて、扉が開いていく。大きく開いた暗い格納庫内に、鈴音が僅かに浮いたまま滑るように入り込む。

 

 と。

 

 じゃきん、という金属音。気がつけば、甲龍は武装した複数の兵士に取り囲まれていた。ヘルメットで顔を隠した無個性の集団。その奥から、かつかつと床をわざとらしくならして歩み寄ってくる士官の姿があった。

 

「ご苦労、鳳鈴音特尉」

 

「……はい」

 

「早速で悪いが、サンプルはこちらで預かる。君には私から直々に話があるので、司令室まできて頂こう。運べ」

 

「はっ」

 

 士官の指示に、兵士たちが銃を仕舞う。てきぱきと運ばれてきた担架に、鈴音が気を失ったままの一夏を静かに横たえると、兵士たちは速やかに彼の身柄をどこかへ運び去った。

 

「ふむ。ところで鳳鈴音特尉。いつまで武装を展開しているつもりなのかね? ここは同胞の基地内部なのだが」

 

「失礼しました」

 

 ひび割れた装甲が、粒子に転換されて消失する。それはつまり、彼女の体を支えていた鎧を失うという事であり、甲龍の抱擁を失った鈴音の小柄な体が宙に放り出されたかと思うと、彼女は大きくたたらをふんで膝をついた。

 

 そして明らかになる、彼女の詳細な状態。ISスーツはところどころが大きく避け、あちこち血がにじんでいる。これまで生命維持機能で押さえられていた出血が押さえを失って吹き出し、床に赤い斑点を描いた。

 

 周囲を取り囲んでいた兵士がざわめき、何人かがあわてて手をさしのべようとする。だが士官はそれを押さえると、冷徹なまでに変化のない声色で、鈴音に立つよう促した。

 

「負傷の手当もせずに悪いが、事は一時を争う。すぐに司令室にきてくれ」

 

「……わかりました」

 

 ふらつきながらも、自分の足で立つ鈴音。士官はそんな彼女を一顧だにせず、カツカツと足早に司令室に向かう。それを、鈴音はふらつきながらも、遅れる事なく跡を追う。後には、いたたまれない様子の兵士が数人、取り残されていた。

 

 

 

 司令室は、基地の規模に見合った質素なものだった。パソコンも少ししかなく、広いスペースの大半が持て余されている。その正面に配備された大型モニターの前で、士官は鈴音がやってくるのを腕を後ろにまわしての直立姿勢で待っていた。

 

「すまんな、鳳鈴音特尉。事は急を有するのでな」

 

「お気になさらず。それで、話とは?」

 

「うむ、それなのだが。実は君に、緊急の任務が発生した」

 

「任務?」

 

 鈴音は、いぶかしげに眉を潜めた。そして、自分の状態を省みる。ぼろぼろの、歩くだけでも精一杯の状態である自分自身を。甲龍も、ダメージレベルがひどく浮くだけで精一杯のはずだ。そんな状態の兵士に、一体何を期待するというのか。まさか、傷ついた姿を衆目にさらして、哀れみを買おうという訳でもあるまい。

 

「一体、今の私に何を……?」

 

「何、そんな難しい任務ではない。今の君でも十分に果たせる任務だ。いや、今の君だから、というべきかな?」

 

「何を仰って」

 

 シュン、というかすれたような低い音。一瞬遅れて、鈴音は自分自身の腹部に違和感を感じて、左手をあてがった。ぬるり、という真新しい血の感触。

 

「あ、れ……?」

 

 急激におそってくる眠気と目眩に屈して、鈴音は糸の切れた人形のようにその場に倒れ込んだ。ぐちゃり、というやけに粘液質な音が響く。

 

 霞む視界で、なんとか士官を見上げる鈴音。だがすでに彼女には、自分が上を向いてるのか下を向いているのかの判別も曖昧になっていた。

 

「実はな、今回のミッションがIS委員会に察知されていてね。このままでは、我が国の国益に深刻な影響がでかねない。IS委員会が国家解体の権限をもっているなど所詮条約上の話にすぎんが、それでも何らかの形で話をつけなければならない。そこで、君の出番だ」

 

 士官は平坦な口調でかつかつと倒れ伏した鈴音に歩み寄ると、革靴でその頭を押さえつけた。手にした拳銃の狙いを、無抵抗の鈴の頭蓋に定める。

 

「軍の一部が暴走し、独自にサンプルの奪取を計った。中国政府としては、迅速に首謀者と実行犯を確保。だが激しい抵抗を受け、やむを得ず政府は容疑者を射殺。真相は闇の中になってしまう。残念な事だ」

 

「ぐ……」

 

「安心したまえ。君の友人は我々が責任をもって送り届けてあげよう。感謝するといい」

 

 その言葉を聞いた途端、鈴音の目に光が戻った。苛烈な怒りで目を輝かせ、士官の足首をつかみ返す。ほぼ死人とは思えない握力に、顔に出さないまま士官は驚愕する。まだこんな力が、と。

 

「ふ……ざけ……な……」

 

 しかしいくら鈴音が執念を見せても、死に体なのは変わらない。士官は冷徹に、拳銃の引き金に手をかけた。

 

 

 

「さようならだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえがな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ、と士官は首を傾げた。

 

 引き金を曳いたのに、銃が発射されない。いや、それどころか。

 

 手は。自分の手は、どこにいった?

 

「あ、あれ?」

 

 手首から先を失って、士官が混乱にふらついた。その、不抜けた横顔を、横合いから延びてきた手が、全力でぶん殴った。

 

 腰の入った、全力の鉄拳。士官は受け身をとる暇もなく吹き飛ばされると、強かに壁面に叩きつけられ、それきり動かなくなった。

 

 唐突な状況の変化に、鈴音がきょとんとする。と、そんな彼女を、抱き上げる手があった。手の主は優しく彼女を仰向けに、背を支えるようにして、のぞき込むようにして彼女と目を合わせる。

 

 その人物は、鈴音もよく知っている人物だった。

 

「織斑、一夏……?」

 

「っ……喋るな、いいから」

 

 信じられない人物との再開に、きょとんとする鈴音。だが対照的に、一夏は鈴音の傷の状態を目の当たりにして、焦燥と怒りに顔を歪ませた。

 

 一夏は、気を失ってなどいなかった。むろん絶対防御直後は気絶していたが、ものの十分もたたずに意識を取り戻していた。ただ状況から想定して、ここは黙っていた方がいいと判断しただけだ。

 

 そして、基地についた後の士官と鈴音のやりとりに不穏なものを感じて、運び込まれた先で在る程度回復していた白式を展開して兵士達を薙払い、甲龍の反応を追跡したのだ。まさかそこで、鈴音が殺されかけているところに遭遇するなど、考えもせずに。

 

 だが、間に合ったとはいいがたいのも、事実だった。

 

 傷が深い。おまけに、もともとひどく疲労し、傷を負っていたのだ。健全な状態ならともかく、出血があった状態でこの銃傷は、命に関わる。それ以上の事は、素人である一夏にわかるはずもなかったが、それだけわかれば十分でもあった。

 

 このままでは、彼女が死ぬ、という事がわかれば。

 

「いいから、ここでじっとしてろ……。白式でぶっ飛ばせば、近くの適当な町から医者と器具を連れてくる事だって……」

 

「ま、待って」

 

 一夏が離れようとしているのを悟って、鈴音が彼の手をとっさにつかんだ。急ぐ一夏は当然、それを優しく振り払おうとしてその込められた力の強さにたじろいだ。半死人とは思えない膂力。それが、彼女の残された命すべてを振り絞っているようで、これを振り払ったらそのまま死んでしまいそうだったからだ。

 

「待って……貴方に、伝える、事が」

 

「頼む、喋るな、いかせてくれ! このままじゃ君が……!」

 

「それでも……! ここに、ここ、に……鈴ちゃんが、いるのっ」

 

「なっ」

 

 予想外の言葉に、一夏の脳裏が驚愕で漂白される。そんな彼に、畳みかけるように鈴音は続けた。

 

「基地の、最下層、にっ。今しか、ないの。何かあれば、彼女は人質として命の、危険にっ。今だけ、基地内部が、情報封鎖で身動きとれない、今しかっ」

 

 そして、鈴音は、血にまみれた両手で。恐らく、多くの、あまりにも多くのものを捨ててきたその両手で、一夏の襟元にすがりつくように叫んだ。

 

 

 

「鈴ちゃんを……助けて!」

 

 

 

 それは、魂の叫びだった。断末魔にも似た、その人生すべてをかけた言霊。

 

 それを捨て置く事など、一夏には到底、できる訳がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「これで……いいよね……」

 

 一夏が駆け出すのを見送って、鈴音は一人ごちた。廊下から、下層から聞こえてくる兵士の騒ぎと、騎士の怒号を子守歌に、手の中で待機状態の甲龍を意味もなくもてあそんだ。

 

 これまでよくつきあってくれた、と鈴音は甲龍に感謝する。偽りだらけのこの身に、真摯な意志をもって答え続けてくれたこの代え難い相棒とも、しかしこれでお別れだ。

 

「ありがと、甲龍。だから、これからは、本当のご主人様を、守ってあげてね?」

 

 ふれる指先から、泣き叫ぶような否定の感情が伝わってくる。つながり在ったISと搭乗者の間に生じるシンパシー。それをあえて黙殺し、彼女は甲龍の設定を書き換えた。”彼女”と自分との些細な誤差を修正し、自分ではない、本当の鳳鈴音だけにしか甲龍を起動できないように設定を変更する。例えクローン技術を応用した成形手術を彼女のように施したとしても、決して起動できないように。

 

 これでいい。

 

 これで、第三勢力からもたらされた超兵器”龍吼”は、甲龍ごと封印される。それによって、鳳鈴音の他は誰もその機密に触れる事はできなくなった。例え母国がどうなろうと、その存在価値が、彼女を守る盾となるだろう。

 

 それに。きっとあの愚直なまでにまっすぐ在ろうとする少年と、その友人が、守ってくれるはずだ。だって、その名前だけで、得体の知れない自分に、ああまで心を裂いてくれたのだから。

 

 だから。

 

 彼女は……今や、名を持たない”誰か”となった少女は、一切の不安も恐れもなく、ただ安らかにその両目を閉じた。

 

 

「すずちゃん……元気、でね……」

 

 

 

 りぃん、と。

 

 ニ色に輝くブレスレットが、澄んだ音を立てて転がった。

 

 

 

 

 

 どこか遠くで、龍が哭く。

 

 

 




私生活に多大な変化があり、執筆が遅れていました。申し訳ありませんでした。

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