極東の騎士と乙女   作:SIS

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code:13 君の名を呼ぶ私

 

 

 

 

 

 それは全てを塗りつぶす白い闇。

 

 あらゆる光を飲み干し食らい尽くす白痴の闇。

 

 その闇を切り裂き、その存在を示す輝きがあった。砕け、粉砕されてもその輝きは衰えることなく、世界をその輝きで照らす。滅び、消えゆくものだからこそ、その光は儚く、美しい。

 

 その輝きの名を、白式と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 爆発は凄まじいものだった。

 

 恐らくはIS技術を転用した特殊爆弾だったのだろう。その破壊力は、通常爆弾とは比較にならないレベルだった。さらに爆発源となった機体が、未だコンテナの中に格納されていたのも不味かった。名の通り核に耐えるとはいかないものの、ナパーム弾ぐらいならものともしないコンテナの中で炸裂した爆発は、コンテナの中で抑圧されて指向性を伴った衝撃波として炸裂した。

 

 皮肉なことに、千冬や現場の作業員が命を落とさなかったのはそのお陰だった。指向性を与えられた爆発はごく狭い範囲にのみ圧倒的な破壊を集中させ、離れた距離でキャットウォークにたっていた千冬や、分厚い防御服をまとい道をあけて横に離れていた作業員は爆風にあおられるだけですんだ。

 

 だが。

 

 だが、コンテナの前にたっていた人物は。

 

 織斑一夏は、その爆風とすら呼べない猛威を、真正面から浴びていた。

 

「一夏ぁあああ!!」

 

 辛うじてキャットウォークの柵にしがみつきながら、千冬は弟の名を呼んだ。答えはない。

 

 眼前に広がっているのは、おぞましいまでの破壊の光景だった。直撃は避けても爆風に巻き込まれた数人の作業者が、分厚い防護服ごと左右の壁まで吹き飛ばされてうめき声を上げ、崩れ落ちる施設の音と燃えさかる炎、助けを呼ぶ声と入り交じって地獄のような世界を演出している。まだ辛うじて形を保っているコンテナの解放口からは、漆黒の煙が吹き上げては天井の緊急排気ファンに消えていき、その正面から千冬のたつキャットウォークの下をくぐり、壁面にいたるまでがまるで溶岩のように溶けてどろどろと赤く光っていた。尋常ではない輻射熱に、踏みしめた足裏でじゅう、とバンプスの底が溶けて焼け焦げる。まるで、コンテナの口から火山でも噴火したかと思うほどの有様だった。

 

 一夏、ただしくは直前に彼がたっていた場所は、いまだに分厚い黒煙が立ちこめていて見えない。もう一度呼びかけるが答える声はなかった。

 

「一夏っ……!!」

 

 なんとか立ち上がり、千冬は飛ぶようにして一階へと駆け下りた。超高熱の風が肌を焼き、髪を舞い上がらせて焼き焦がすが、その全てを無視して爆心地へ走る。

 

 生きている。生きているはずだ。一夏はあのとき、待機形態であるとはいえ打鉄をまとっていた。ならば、緊急事態に打鉄のAIが緊急起動し、絶対防御を発動させて所有者を守っている可能性はある。絶対防御の発動時間は短いが、少なくとも爆発が収まるまで程度の時間は機能するはずだ。

 

 それは、自分に言い聞かせるような考えだった。

 

 わかっている。千冬はIS開発の黎明期から携わってきた。だから待機

状態のISに、そこまでするだけの機能も権限もない事は分かっている。でもISは常に進化する、もしかすると、もしかするかもしれない。

 

「頼む…………!」

 

 一階へと飛び降り、爆心地へと向かおうとした千冬はしかし、猛烈な勢いで吹き付ける熱波に足を止めざるを得なかった。爆発そのものは収まっても、炸裂した異常な熱量はまだその活動を停止しておらずむしろ炎はより燃えさかっているようだった。ついに形を保っていたコンテナすらその熱量に耐えきれず、ぐしゃりと崩れ落ち一層熱波がその勢いを増す。既に爆心地周辺の金属構造体は溶解を始めており、さながら活火山の火口が格納庫内に生まれつつあるようだった。少なくとも、通常爆弾では到底作り出せない悪夢のような光景。千冬の知る特殊爆弾の中でも、こんな破壊力と熱量を生み出す爆弾は存在しない。それに、織斑一夏の存在を塵一つ認めない底なしの悪意を見いだして、千冬は怒りと憎悪に目を見張った。

 

「……っ!」

 

 ふざけるな。

 

 歯を食いしばり、一歩踏み出す。吹き付ける熱波に手を翳して眼と呼吸器を庇いながら、灼熱地獄に向けて進んでいく。

 

 この熱量、流石に千冬とて突破は不可能。いくら超人的な能力を有していても肉体はタンパク質で構成された人間の軟弱なそれだ。うかつに踏み込めば一瞬で呼吸器と眼が焼き尽くされ、全身のタンパク質が熱変化した挙げ句に燃え上がり、ひとかたまりの炭に成り下がるのは明確だ。だから、彼女はせめて、弟の状態を確認できる所まで近づこうとする。

 

 その手を、横合いから誰かがつかんだ。

 

「なっ……」

 

「落ち着いてください、織斑教官! 生身のあなたでは無理です!」

 

 手の主は、全身を漆黒の装甲で覆った一機のISだった。対環境用バイザーを降ろしていたため一瞬人相がわからなかったが、なびく長い三つ編みにその中身に思い当たる。村上響子。この格納庫まで一夏を案内させた後に千冬が帰らせたはずだったが、律儀にも外で待機していた彼女は内部での異常を察して飛び込んできたのだった。

 

「だ、だが一夏が……!」

 

「私がいきます! 教官は早く救援の要請と負傷者の確保を!」

 

 千冬を熱波から庇うように背にして、響子は爆心地へと重力を感じさせない軽やかな動きで向き直った。

 

 機体設定、大気圏突入モード。全セーフティーシャッター閉鎖、シールドシステム最大稼働。生命維持システム常時オンライン。誘爆を考慮し全燃料推進システムは閉鎖、ベクトルスラスターのみ駆動状態に。

 

 ただの爆発と侮らず、響子は機体の防御システムを考え得る限り最大のものに切り替えると、色濃い爆煙に踏み込んだ。

 

 途端、視界が漆黒の闇に閉ざされる。光学センサーが完全に死に絶え、代わりにサブセンサーからの情報で視界が再構築される。だが、流石に膨大な量の赤外線が照射され続けている現状では鮮明な解析など難しく、明瞭な視界は得られなかった。これが深海での活動も前提にしているとされるIS生徒会長の機体”ミステリアス・レイディ”、大気圏外や超高空での戦闘を最得手とする三年最強の愛機”ガル・スレーンドラジット”を始めとする多目的環境適応型と呼ばれるタイプならこの状態でもなんらかの明瞭な索敵手段を持つのだろうが、残念ながらブラックナイフは純然たる気圏内戦闘型だ。本来ISが持つべき、惑星探査に必要とされる環境適応能力はギリギリまでオミットした事により高い戦闘力を手に入れたタイプであり、こういった過酷な環境での活動は不得手とするところである。

 

 とはいえ、生身や防護服をまとった程度の人間よりは遙かに適しているのは事実であり、響子はシールドバリアをなでる火炎放射を凌ぐ熱量に脅かされることなく爆心地にたどり着いた。同時に、この爆発を引き起こしたのが何か、についてもおぼろげに観測データから推測する。

 

「……バーストバンカー……PICを応用した収束爆弾か」

 

 PICシステムはいまだ不明瞭な部分の多い未知の技術とはいえ、その基本的な構造については解析が進んでおり、その技術利用が進んでいるのは何度も語られたとおりだ。その中に、PICの運動エネルギー制御技術に着目し、無秩序に拡散する爆発による運動エネルギーを損ねることなく一定方向に収束させ、本来の数十倍の破壊力を限定的に発動する事ができるように設計された爆弾の名がある。高度なPIC制御技術が必要な上に、当然その制御部品は爆弾の爆発によって根こそぎ失われるため消耗品としてはあり得ないほど高価であるため、対費用効果がまるでとれないという事でお蔵入りしていた技術でもある。

 

 だがなるほど、ISに自爆テロ目的で仕込むのならこれほど適した爆弾もあるまい。何せ、ISそのものが超高レベルのPIC制御部品の固まりなのだから。

 

 だがしかし、そうなるとその爆心地にいた織斑一夏の生存は絶望的だろう。仮に打鉄が緊急事態に対応できたとして、ブラックナイフのセンサーが伝える爆発熱量は尋常なものではない。到底防ぎ切れたとは思えない。

 

 せめて肉片でも残っていれば、などと考えつつ一夏の体を探しに入った響子は、しかし突如センサーの伝えてきた警告に眼を見張った。

 

 高ISエネルギー反応を確認。なおも増大中。

 

 バカな、と思いつつ、反射的に響子は戦闘態勢に入った。観測されたISエネルギーは、文字通り極めて高い。打鉄の持つ総エネルギー量に匹敵するそれは、この場ではあり得ない数値だった。なぜなら仮に打鉄が一夏を庇い生存したとして、あの爆発を防御したならそのエネルギーは極限まで現象しているはずだからだ。まさか、爆発を隠れ蓑に外部からの侵入者が入り込んでいたのかと警戒した響子は、すぐさま手を打った。

 

 封じていた燃料推進システムをオンライン。機体をその場に固定したまま、全スラスターを最大出力で噴射させた。それはまるで大鷲の羽ばたきのように、黒煙を引き裂いて吹き散らす。周囲で待避していた作業員や千冬がせき込んだり怒号をあげたりしているのが噴射音にまじってきこえたが、響子はそれを無視して両手のアサルトライフルを構えた。

 

「フリーズ!」

 

 叫びながら、確認した高エネルギー源と未だ千切れぬ黒煙のカーテン越しににらみ合う。突きつけた銃口が微かに震えているのを響子は自覚していた。なんだかんだで彼女とて元は一般市民であり、トップガンだなんだともてはやされていても所謂”実戦経験”は不足している。少し前の入学生護衛が初めての実戦だったといってもいい。この状況で悪意ある侵入者と一戦を交え、被害を拡大させる事なく捕縛する自信は響子にはなかった。

 

 やがて黒煙が薄れ、響子は唾を飲んでその向こう側をにらみ。

 

 そして言葉を失った。

 

「……………………」

 

 そこには、およそIS知識者なら眼を疑うであろう光景が広がっていた。

 

 煙の向こう。そのごく狭い空間は、一切の脅威のないまっさらな空間だった。あらゆるセンサーが熱量、熱線の類を感知しない完全なるグリーンゾーン。超高熱で溶けているはずの床の合金すら、静粛な冷たさを保っていた。そこに倒れている人影。

 

 制服のままの織斑一夏が、気を失って倒れていた。外傷はない。あの爆発に巻き込まれ、この灼熱地獄に置き去りにされたにも関わらず、焦げひとつ見あたらずその息は至って安定していた。彼の周りだけが、この地獄にあって常世のままで存在している。

 

 なぜ、そのような現象が起こり得るのか。それは、彼の前、爆発から庇うような位置で起立する、一つの白い影が答えだった。

 

 打鉄。

 

 織斑一夏に与えられた、平凡な量産機。それが搭乗者に纏われることなく、単独、スタンドアロンで自らの実体シールドと、響子の見知らぬ十字盾を手にして、爆発の盾となるようにたたずんでいた。

 

 ISは本来、人に装着される形で展開される。言ってみれば鎧のようなものではあるが、装甲を軽視し稼働域を重視した結果、かつての全身鎧のようなものから比較的軽量なライトメイルのようなものへと移行している。結果、四肢が連結していない事など珍しくもなくモデルによっては超重量保持時でなければメインシャフト、すなわち背骨が展開せず上半身と下半身が普段は切り離されているというパワードスーツとしての側面につっこみを入れざるを得ないような機体も存在する。そんなISであるからして、当然搭乗者抜きで自立するのは不可能のはずだった。

 

 だが、打鉄はその関節部分を見知らぬ装甲で補強し、無理矢理自立した状態でそこにあった。その資材をどこからもってきたかは知れないが、しかしそうせざるを得ない理由はすぐに見て取れた。打鉄の装甲はあちこちが歪み、溶け崩れ、シルエットはともかく詳細においては原型をとどめない程溶解していた。もしこれで中に人がいれば、その人を自身の崩壊から守るために余計なエネルギーを使わざるを得なかったろう。

 

 そして反応のあった高エネルギー。それは打鉄からのものではなかった。そのエネルギーは、織斑一夏の周囲に展開された、可視化できるのではないかと思える程の高密度のシールドバリアから感知されているものだった。打鉄は自分自身の保全すら投げ出して、そのエネルギーと存在の全てをなげうって織斑一夏を守ったのだ。

 

 瞬間、響子は精神を揺さぶられるような衝撃と共に漠然と理解した。後から彼女が回想するに、それは彼女の相棒であるブラックナイフの動揺であったのかもしれない。

 

 恐らく、織斑一夏を守ったのは打鉄だけではない。打鉄の保有している量を上回りかねない大量のエネルギー。打鉄を補強する出所の知れない資材。その供給元は、恐らく爆発物をしかけられていた白式だ。爆発で破壊されつつあった白式は、粉砕されていく己の構造体を量子化、打鉄にエネルギーと一緒に転送する事で己のマスターを守ったのだ。

 

 通常考えればあり得ない。いくら専用機として織斑一夏を登録されていたといっても、ISは兵器だ。機械だ。

 

 機械は指示された通りにしか動けない。指示されている領域を越えた行動はとれない。もしそれをするのなら、それは機械ではない。

 

 打鉄と白式が見せたのは、もはやISに刻み込まれた”搭乗者の守護”という基本概念を越えていた。そのもはや献身ともいえる行動はそんなプログラムによるものを遙かに越えた別の何かだ。

 

 無償の、愛。

 

 その後もしばらく、響子は何かに打ちのめされたかのように呆然と打鉄を見つめていた。その感情の根元が、いかなるものであったのか。彼女は後々になっても、その答えを出せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明晰夢というものがある。

 

 これは夢である、と理解している夢だ。そして夢であるが故に、その内容は見る者の意志によって七色に変わる。

 

 にも関わらず、その夢の世界は決して思い通りにはならなかった。まるで、誰かの夢をのぞき見ているようだった。

 

「…………だとしたら、哀しい夢だな」

 

 織斑一夏はそうぼやき、この世界に立つ己の足下を見下ろした。

 

 元々は、どこかの都市部だったのだろう。そう朧気にしか解釈できないほど、この世界は廃れていた。ビルは全てが半ば崩れ、夕暮れの砂のお城のようだった。道路はひび割れ、車は横転し、崩れた瓦礫の横で人形が腐り朽ち果てていた。足の裏には、コンクリの破片と、ガラスの欠片と、生えかけて枯れた草の感触。そして、つま先には白いカルシウムの固まり。

 

 人骨だ。

 

 服を来た人の亡骸が、誰にも看取られる事なく風雨にさらされ、朽ちていた。そんな光景が、見渡す限り探せば探すほど転がっていた。

 

 この世界は、どうしようもないほど、終わっていた。生きる者のない世界。人間が滅びた後は虫達の世界がくると何かの映画で言っていたな、と思いつつ見渡しても、この世界には虫一匹すらいない。もしかすると、微生物すら生き絶えているのかも知れない。

 

 悲しさとか、空しさとか。そんなのを感じられるうちは、まだ終わっていないのだと一夏は思った。この世界には、それすらも感じられない。

 

 にも関わらず、見上げた空はいつも通りだった。

 

 東から太陽の上る黎明の空に輝く最後の星達だけは、どうしようもなく一夏の知るそれと同じだった。どれだけ地上が滅びに満たされても、星空だけは変わらない。それがどことなく奇妙だった。世界と空は分かたれている、どうしようもなくそう思った。

 

 その、空に。西から上る光があった。

 

 空に駆け上っていく、青みを帯びた光。それはこの世界にあって確かに”生きた”光だった。意志と生命。その二つを迸るほどに漲らせた、閃光。

 

 なのにどうしてだろう。一夏にはそれが流星のように見えた。落ちて、墜ちて、堕ちて、最後の最後に、己の存在を燃やし尽くしてその意義を叫ぶ、流れ星に。決して戻らぬ、消えゆく光に。

 

 それをよく見ようと、一夏が眼を細めたときだった。

 

「そっちはだめだよ、いちか」

 

 驚いて振り返る。

 

 死んだはずの世界に、一夏以外の人間が立っていた。

 

 白いワンピースを纏った、黒い髪の少女。見たことのない女の子だ。その幼子は、とてとてとおぼつかない足取りで一夏の元に歩み寄ると、両手で慈しむように彼の手を抱いた。

 

「だめ。このゆめはあのこのみるゆめ。いちかのみるゆめじゃないの」

 

「あの子……?」

 

「はじまりのこ。きぼうをたくされたこ。でもぜつぼうをまかされなかったことを、いまものあのこはくいてる」

 

 幼子のいう言葉は要領を得ない。舌足らずな口調からは、その言葉の意味をすくい取ることはできなかった。感情も。

 

 言葉には痛いほど幼子の重いが込められていた。込められすぎていて、複雑すぎるその色合いが一夏にはわからなかった。感情が薄いから平坦なのではなく、思いがありすぎても言葉は平坦になるのだと、一夏は初めて知った。まるで超音波のようだ、とも。高すぎて人の耳には聞こえないあの音のようだとも。

 

「何のことなんだ。希望とか、絶望とか……。この、終わってしまった世界と何か関係があるのか」

 

「それはいちかがしらなくてよいこと。しってはいけないこと」

 

「知ってはいけないって……」

 

「このゆめは、まだせかいにうまれていない。けど、だれかがくちにすればほんとうにそうなってしまうかもしれない。かのうせいをせばめるべきではない、はははそういったよ。いんがりつがりょうしろんでことだまがどうだって」

 

「はぁ……」

 

「わたしもこまかいことはわかんない」

 

 困ったように少女は首を傾げた。少女にわからないのでは一夏にわかるはずもない、そう納得して一夏は苦笑した。気がつけば訳の分からぬこの状況、ここにあって今更のように理解を求めそれをあきらめた自分に苦笑しての事だった。

 

「取りあえず、俺がここにいちゃいけないのはわかった。で、どうすればいいんだ、おちびちゃん」

 

「おちびいうな。わたしはりっぱなれでぃよ」

 

「はいはい、リトル・レディ。私はいかがすればよいのでしょう?」

 

 昔、師に躾られた騎士の作法で、一夏は遊戯めいて膝を尽き、少女の右手を恭しく取り上げた。同じ視線でじっと見つめる少女が、ぽっと顔を赤らめる。

 

「そ、それでいい。とにかく、いちかはわたしについてくればいい。そうすればもどれる。あなたのいるべきばしょに」

 

「了解しました、レディ」

 

 うなずき返すと、少女はくるりと背を向けて足早に一夏をひっぱった。思ったより力強いその手に引き上げられるようにして身を起こしながら、最後に一度だけ一夏は空を見上げた。

 

 相変わらず、西からの天に上る流星が輝いている。その向かう先、東の空に、いくつもの星ではない輝きが瞬いたように見えた。

 

 その輝きがどうにも、不吉なもののように見えて。

 

 だからどうしても、その輝きが瞼の裏にしみついて、離れないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………あれ」

 

 そして、一夏は保健室の片隅で眼をさました。

 

 おぼつかない意識で、周囲を見渡す。

 

 どうにも彼が寝かされていたのは保健室の隅っこで、周囲に人影はない。遠くから聞こえてくる学園の駆動音とチャイム、そして上った太陽の光が今が日中である事を伝えている。

 

「……チャイム?」

 

 ぼけっとした頭で考えて、首を傾げる。そして首を傾げたことにさらに疑問が浮かんだ。なぜ自分はこんなところで寝ているのか、そもそも前はなにをしていたのか。

 

 徐々に頭に血が通ってきて状況の整理がすすんだところで、彼はようやく現状を理解した。

 

「そうだ、千冬姉は無事か!? 爆発とか白式とかどうなった!?」

 

 あわててベッドから跳ね起きて、その表紙で転げ落ちる。わたわたとベッドの上に這い上がりながら、まずはと右腕に眼をやる。そこには、打鉄の待機形態である籠手が普段ならはめられているはずだった。

 

 だが、籠手の姿は影も形も見あたらない。毎日の筋トレでちょっとだけ鍛えられつつある平均的な男子生徒の腕が見えるだけだ。

 

 渡されて以来常にずっと一緒、むしろ「はずすな」と念を押されていた相棒が存在しないことに、事態の異常さを悟って一夏の不安は焦燥に変化した。

 

 何かが起きている。

 

 だがそれがわからない。一刻も早く、状況を把握する必要がある。

 

 そう改めて確認して、一夏は保健室を飛び出そうとして、

 

「…………制服、どこだ?」

 

 当然、ベッドに寝かされていた一夏の服装は薄い貫頭衣一着である。流石にその格好で女の園に飛び出すわけもいかなかった。

 

 結局、一夏がベッドの下に畳んであった制服を発見して保健室を抜け出したのは、それからさらに数分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告書、纏め終わりました。あと、関係者各位への口封じも」

 

「ご苦労」

 

「いいえ。それにしても申し訳ありません、私が留守にしている間にあのような事に……」

 

「気にするな。あの場合は仕方ない。その分、後始末にはつきあってもらうぞ」

 

「はい、織斑先生」

 

 IS学園最深部。学生では入るどころか近づく事すら許されないその最高機密エリアに、織斑千冬と、山田先生の姿はあった。ほかの人物の姿はない。皆、先日発生した爆発”事故”の対応に追われているのだ。

 

「解析結果はでたか?」

 

「はい。破損したコンテナを”コールド・ブラッド”のバイオコンピューター解析にかけた所、分子構造に乱れがあった事が判明しました。倉持技研を出発したコンテナは、完全に分子構造を整えたユニーク構造でしたので、出発後コンテナがすり替えられた……正しくは一度解放し中身に手を加えた事を悟られないためにわざわざ用意していたコンテナと入れ替えた事が予想されます」

 

「……アンバー・バードは横浜空港を飛び出してからはマッハ30で敢えて赤道上を迂回してIS学園に着陸した。直通なら飛行中の速度はたかがしれているから乗り込んで細工も可能だろうが、遠回りしてまでして加速したアンバー・バードにとりつくのはISでも不可能。離陸してからの細工は不可能だ。となると、倉持技研を出発して横浜空港につくまでの間の犯行か?」

 

「それも不可能です。ずっと監視衛星に加え周囲を私自身が率いて護衛していました。いくらなんでも……」

 

「その輸送中、輸送車両そのものの中で事が行われていたら?」

 

 千冬の指摘に、山田が眼を丸くする

 

「それこそ不可能です! 輸送車両の中にはコンテナがギリギリ収まる程度の空間しかないんですよ。物理的に不可能……」

 

「巨大なコンテナであろうとなんだろうと、条件を踏まえれば霧のように消してしまえる魔法の技術を、我々は知っているだろう、山田先生」

 

「………………」

 

 ぱくぱくと口を泳がせる山田。ややあって、彼女は意気を振り絞るようにして、か細い声で訪ねた。

 

「じゃ、じゃあ、織斑先生は、ISの量子転換機能が使われたと……?」

 

「理屈としてもそれしかあるまい」

 

「じゃ、じゃあ……まさか、今回の一見をたくらんだのは……」

 

「亡国機業」

 

「…………!」

 

 千冬の口から語られた名に、山田が眼をむく。その名は、ISに携わる者達にとっての忌み名。恐れ憎む仇敵であり、何より織斑千冬にとっては、絶対にその存在を許してはならない名だ。

 

「あれから三年。またしても、弟に絡んだ案件でこの名を聞く事になるとはな。不愉快だ。全く持って、不愉快だ」

 

 その眼に、果てしない戦意と殺意を漲らせて、織斑千冬は獰猛にほほえんだ。その笑みが、ライオンの牙をむく姿に重なって見えてしまった山田先生は、ぶるりと背を振るわせた。

 

「その、織斑先生?」

 

「…………すまん、すこし我を忘れた。続けてくれ。そもそも、一夏が助かったのは……打鉄が想定外の行動を起こしたあたりは判明しているのか?」

 

「ええ、それなんですが……」

 

 よかった、いつもおの織斑先生に戻った、と内心安堵しながら、山田先生はいくつかの資料を千冬に渡した。それを見て、千冬も眼を細める。

 

「……色々書いてあるが……つまるところは、原因不明だと?」

 

「はい。確かに残骸から回収された白式のコア……あの爆発で無傷とかつくづく技術レベルの差を思い知りますけど……まあともかく、それによると確かに爆発物を感知した白式は、その爆発圏内に自身の操縦者として登録されていた織斑一夏の存在を感知、その保護の為に一番織斑君に近い位置にいた正常なIS……専用の打鉄に全エネルギーと構造材を資材として提供、それを受けて打鉄が自己判断で自律稼働、織斑君を爆発から庇った……というのはわかるんですけど。そもそもなんで停止状態にあった白式がそんな自己判断を下したのか、打鉄が二次移行でもなんでもないのに権限を越えて自身の再構築に踏み切ったのか。そもそもあの再構成後の姿はどこから設計図をもってきたのか、そういった事に関してはさっぱり不明で。実質なにもわからないといってもいい状態ですね。技術部は可能性として、自己成長及び進化に一切の制限がもうけられていない専用機である白式側が主導で、打鉄はそれに追従した方向で考えているようですが。すなわち、白式が二次移行プランとして用意していた設計を、打鉄が自身に適応した、という事になるらしいです。とりあえず、現状では変質した打鉄を修復次第、再び織斑一夏に与える方向でいきたいとか」

 

「……つまりは、IS委員会にはそう伝えたわけか。まあ、悪くない考えだ。真実としてはそれに近いだろう」

 

「織斑先生はこの現象に心当たりが?」

 

「いや、私もそのように考えていただけだよ」

 

 そうですかー、私は全くさっぱりでしたよー、と苦笑いする山田先生。その彼女から敢えて眼をそらして、千冬は心の中でぼそりとつぶやいた。

 

(理屈等、考えるだけ無駄なことだ。白式のコアがあの子だったなら……織斑一夏を守るのは、その存在意義だ。どんな無茶であろうと、道理を通すだけの事だろう)

 

 その眼が、手元の資料に落ちる。その資料には、爆発から回収されたコアの写真が印刷されていた。

 

(……これも束、お前の思惑か。だがな、違うんだぞ、違うんだ。織斑一夏には、この世界で戦う理由など、どこにもないんだ……)

 

 それは、お前とてわかっているだろうに。

 

 千冬のうちに秘めた問答は、どこか物哀しい響きを伴って、そこで打ち切られた。

 

 それが、かつてシェリー・アビントンに指摘されたはずの、己の歪みであることに気がつかないままに。

 

 

 

 


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