Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月7日⑭ 攫われた杯

 明と別れた後、一成はアサシンの宝具『金襴褞袍』に入って碓氷邸に急行した。金襴褞袍に入っている間は、外の様子はアサシンからの念話に頼るしかない。

 

 しかし一成はその念話以外にも、キリエの五感を通じて碓氷邸の様子と神父の発言を聞いていた。『戦争のための戦争』は理解の外であったが、キリエと碓氷の家にあるなにものかを狙っていることは把握した。

 ボロボロのアサシンであっても、素の一成よりは強い。彼らは念話によって、気配遮断で碓氷邸にまで駆け戻り御雄神父を殺してでも止めることを決めた。

 

 その通り電光石火、まさしく最後の力でアサシンは神父を殺そうとした。されどあの人外といえる力を示した修道女に阻まれ、その殺害はならなかった。

 

 アサシン消滅の際、『金襴褞袍』に入っている現世のものは異物として吐き出される。まさに今、一成は強制的に宝具の中から吐き出されてここに至っている。

 

 

「――神父ッ!!」

「久しいな、土御門一成」

 

 まるで仇敵に出会ったかのように、一成は塀の上の神父を睨みつけた。キリエを取り戻さなければならないが、手がない。そもそも一成には遠隔攻撃の魔術は使えない。

 嘲笑うかのように、御雄は微笑む。

 

「待てッ!」

 

 御雄は手のひらを一成、ひいては悟へと向けて遠当てを放つ。一成が呪符で簡易結界を構築することで直撃を防ぐが、こちらから攻める手がない。一成はそっと右目に触れた。キリエは「使うな」と言ったが、いや、それ以前に使い方も判然としていないのだが……。

 

「安心しろ。私は聖杯を使う故に、聖杯は殺さない――」

 

 一成の逡巡を待たずに、御雄はキリエを抱えたまま塀を飛び去り碓氷邸から離脱した。一成は慌てて追いすがり塀へ飛びつきよじ登ると、路地の右手、曲がり角に翻るカソックの裾を見た。

 

「急急如律令ッ!!」

 

 とっさに身体強化をかけ塀から路地に飛び降りて後を追い、素早く角を曲がったが――その先には深夜に沈む家々があるばかりで、御雄の姿も気配もなかった。それでも一成は次の曲がり角まで駆けて周囲を見渡したが、やはり何の気配も感じられなかった。

 

(姿も、魔力の痕跡もない……)

 追跡しようにも、もう当てがない。まさか教会に戻ったとは思えない。一成は気を失ったキリエの姿を思い出し、歯を食いしばる。

 

 忸怩たる思いを抱え、一成は碓氷邸へと戻った。正面の門を押し開いて戻った先に広がっていたのは、庭に残る戦いの残滓だった。爆撃後のように抉られた石畳、土と埃が舞い上がった空気。

 キリエが倒れていた場所にははっきり生乾きの紅血が貼りついて、そして悟のすぐ隣にはこと切れた修道女の姿があった。腹部と胸部を刺されて激しく血潮を流れさせ、この場を鉄臭いものにしていた。

 そして彼女の血と混ざってしまっているが、おそらくアサシンが流したであろうモノも。

 

 今更恐ろしくなったのか傷だらけの悟は腰を抜かして、しかし美琴の死体とアサシンの消えた場所から目を離すこともできず固まっていた。一成は小走りで悟に駆け寄り、手を差し出した。

 

「……悟さん、大丈夫ですか」

「……あ、ああ。す、すまない」

 

 一成は必死で大西山での戦い――千里天眼通を使った時のことを思い出そうとしていた。あの力が使えれば、キリエを追いかけることができる。そもそもキリエとのパスは、万が一一成が眼を使う状況に追い込まれた時、足りない魔力をキリエに補助してもらうこと、それに彼女の魔力操作で「眼」をうまく開閉させるためのものだった。

 大西山、あの時己は一体どうやって目を開いたのか――。

 

 

「つ、土御門君、大丈夫かい?」

「!あ、いや、大丈夫、です」

 

 悟の声で一成は我に返った。焦っても何もいいことはない。アサシンが全力を尽くしてくれたのに、その刃はあとわずかのところで届かなかった。一成はまさにその瞬間宝具の中にいたために目撃していないが、この戦闘跡で予想はつく。

 

 

「すみません、キリエさんが」

「悟さんのせいじゃありません。というか、なんで出て来てるんですか?」

 

 明と同じく、一般人である悟には大人しくしているべきという意見だった一成は首を傾げた。悟は気まずそうな顔をしたが「キリエさんを放っておけなくて」と告げると、人のことを言えない一成は憮然とした顔で頷いた。

 

 庭の惨状を見直し二人が無言になった時に、上空から聞きなれた声が降ってきた。「一成、悟さん!」

 

 その声に、一成と悟は驚きと同時に胸を撫で下ろした。セイバーの飛行で帰ってきたということは、明もセイバーも何とか無事であったということだ。二人は揃って、月と星々の灯る空を振り仰いだ。

 そして、我が目を疑った。

 

「碓氷が二人……いや、違う……か?」

 

 セイバーの右手左手は、それぞれ碓氷明とつながっている。ふわりと着地した三人は普通の顔をしている――否、セイバーと片方の明は複雑な顔をしていた。明が二人いるという常軌を逸した光景に、一成と悟は言葉を失った。

 

 二人の明の差は、髪の毛の長さくらいだ。彼らの驚きを理解している二人の明は、あえてその話を後にして周囲を見渡した。

 

「……屋敷はひどいことになってるけど……中には入られてないみたいだね。そっか……キリエは?」

 

 返事をもらわずとも、二人の表情を見て結果を理解する。庭の惨状に、キリエの姿がどこにもないのだから――。

 

 長い髪の明は沈黙の後、言葉を絞り出した。

 

「とにかく中に入ろう」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ――国を開闢いた男は、遠くから聞こえる、己を呼ぶ声に目を覚ます。膨大な魔力の渦が、座にまします彼を誘う。

 

 公を呼ぶとは、どのような不遜。

 そう思いつつ、そのような不届き者の顔を一目見るべく、国を開闢(ひら)いた男は誘う声に逆らわなかった。

 

 近く、近く。純粋な力の塊の導くまま、世界のこちら側と向こう側の境に近づく。

 普通の英霊ならば気が付かなかっただろう。壊れかけた大聖杯に魔力の溜め込まれた、奥底の淀み。

 また、聖杯が冬木のものと寸分たがわず同じであれば気づかなかっただろう。

 しかし、これはもっと日本という地に慣れさせられた聖杯(ヒジリノサカズキ)だった。ゆえに彼はそれを見た。

 

 そして彼は、現世に誘う声を振り払い、大聖杯の奥深くへと身を沈めて行った。

 

 

 結論から言えば、春日の聖杯は冬木のそれとくらべて不完全な代物であった。神域の天才がいてこそ作られた聖杯戦争というシステムを再度作り直すことは、御三家の一つが残っていようとも簡単ではなかったのだ。

 

 当初五年で魔力が溜まり戦争が始まる公算だったものが三十年の時を要してしまったのは、大聖杯の核がホムンクルスと陰陽道の魔術師という二人の魔術師の回路を繋ぎ合わせたため、僅かな回路の接続ミスから魔力が漏れ出していたからだ。

 

 その漏れだした魔力から、国を開闢いた男は異変を感じ取った。そして大聖杯の魔力に触れたとき、彼は自分の判断が間違っていなかったことを知ったのである。

 

 願いを叶える魔力そのものは無色の力の塊のはずであった。だが、違った。

 

 彼が目にした世界は、黒い泥に塗れていた。

 空に浮かぶのは黒い太陽。生前に彼が加護を得た太陽のそれとは全く違う。

 

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――――。

 

 妬み。恨み。嫉み。僻み。呪詛――圧倒的な人間の負の感情の塊。人間の悪性だけをひたすら詰め込み煮詰めて煮詰めて煮詰めた泥が黒い太陽から漏れ出している。

 

 ――ふむ、これで願いをかなえようとすれば、碌な方法にはならないだろう。

 勝者がそれをよしとするのならばよいが、そうでなければとんだ景品だ。

 

 ならば、彼がとる行動など決まっている。何が大聖杯の魔力を汚したのかは知らず、全容も掴めていなくても決まっている。彼は旅の相棒であった剣神を手に、そして導きの鳥を肩に、東に向かった時と変わらず彼は笑う。

 

 

「穢れた聖杯よ――わが手で浄化が叶うか否や」

 

 彼は、国を守ろうとしたことなど一度もない。彼がしたことは、国を作ることだけ。その後の発展と維持は彼の子孫たちの役目だった。

 彼が生きている間国は彼の所有物であったが、己が死を迎えたら手を離れるのだと。

 

 

「さて悪意の願いよ。それでもお前はヒトから出でたものならば、その生きざまで楽しませてくれ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 碓氷邸の南東、山には足らぬ丘の上。鬱蒼とした林に囲まれた自然豊かな春日市の南はずれに位置する神社が、土御門神社である。丘を登る階段をの先にそびえる朱塗りの鳥居に、三本足の烏が闇にまぎれて留まっていた。

 

 その鳥居をくぐり、両側に燈籠を従えながらまっすぐ伸びる参道の先にはこの神社の拝殿と本殿が連なっている。

 

 神社内に人の気配は全くなく、凄愴な雰囲気すら漂っている。元々はやっている神社ではなかったが、ここ数日は輪をかけて無人である。

 理由は見る者が見れば既に一目瞭然、丘全体にかけられた人払いの結界に加え、神社を中心にあまりにも濃い魔力が立ち込めているからである。

 

 既にサーヴァントが五騎消滅した今、この世の中で完結する願いであれば聖杯を降霊することも可能となった状態に至っている。ゆえに――春日聖杯戦争における大聖杯設置場所であるここ土御門神社における魔力が、異常な濃度に跳ね上がっているのである。

 

 正確に言えば大聖杯は土御門神社の地下に広がる空間に設置されている。その地下にはずっとシグマ・アスガードが籠っており滅多に出てこない。今教会や美玖川で繰り広げられた戦いにも、彼女の本体は顔を出していない。

 

 

「大聖杯の中からではなく外から、かつ浄化ではなく方向の修正――あの草めになしうるかな?」

 

 拝殿の前、賽銭箱の上に腰かけるは白金の男は騎兵、ライダーのサーヴァント。セイバーと繰り広げた戦いの疲労も見せず、じっと鳥居の向こうを見つめていた。

 おそらく彼のマスターである神父は直に帰ってくる――と思ったところで、鳥居から当該の男が姿を現した。

 その小脇には第一目標である小聖杯がかかえられていた。

 

「ほう、聖杯は手に入れたか。さてしかし、シグマが申しておった剣とやらは」

「……存外早く陰陽師と七代目、セイバーが戻ってきてしまってな。早期に戻らざるを得なかった」

 

 第二目標は成らなかったというわけだ。しかしふん、とライダーは鼻をならすと話を変えた。

 

「しかし御雄、公からの呼びかけも答えぬとはどうした?斯様に碓氷邸は楽しかったか?」

 

 言葉は御雄をとがめているようであるが、声音に剣呑の色はない。興味深げにその顔色を眺めている。一方問われた御雄は、今思い出したように考え込んだ。

 

「……それはすまなかった。そうだな……楽しかった、のだろうな」

「傍観者としてではなく、自ら戦いに参ずることが?」

「いや……」

 

 御雄ははじめて、荷物のように抱えていたキリエを眺めた。出血は止めているが、美琴の黒鍵にはしびれ薬を塗り付けていたために、キリエは自分の意志で体を動かすことはできない。ただ今や薬などなくても、内に五騎もの英霊を抱えた少女はまず動けないが――この激しい戦いの跡は、聖杯が生き足掻いた証である。

 

「聖杯の娘――ただ聖杯を得るためだけに生きていた娘は、その枠を超えようとしていた。アサシンの元マスターは、護るために命を懸けていた。陰陽師とは――時間が足りなかった」

 

 彼はあの戦いのさ中で――まさに砂かぶり席で、ヒトの姿を見ていた。これまでも使い魔を駆使し監督の名目で春日の戦いを監視していたが、流石にその場にいることはなかった。そのため、今の感動もひとしおであった。だが己の思う未来のために、陰陽師こと土御門一成とはすれ違いになってしまった。

 

「ほう、あのアサシンを従えていた草か。まぁ、なぁ――」

 

 珍しくもの惜しげな御雄を見て、ライダーは笑って自らの顎を撫でた。「あの草、公としては少々つまらんが、お前とは似合いかも知らん。傍観者を願うお前と、常に己の主役たらんとするあの草では。なあ御雄よ」

 

「何だ」

「お前は何故お前自身を、お前の人生の主役にしないのか、その根本を分かっているか?」

 

 そのことは御雄自身も考えたことはある。ただ人の生きざまを見るだけの欲求は、一体どこから生まれてきたのか。幼少期にトラウマがあったか?そんなことはない。何かひどい目にあったのか?そんなことはない。気が付いたら、こうなっていただけ。

 

 戦争のために戦争をする、願いだけで生きている。沈黙から回答をもたぬことを確信したライダーは然りと笑んだ。

 

「お前は神父としては精々二流だな。隣人は遍く愛しているが、人を導けぬ。ま、公も積極的に人を導いた覚えなどないが」

「ならば私の先達としてのお前に尋ねよう、ライダー。お前が自分を犠牲にしてでも人の過程を愛でるようになったのは、何故か」

 

 ライダーは賽銭箱から腰を上げて、参道の半ばに立つ御雄に歩み寄りながら口を開く。

 

「それは簡単な話よ。公の人生はつまらない人生だからだ。生まれた瞬間に自分の終わりと、人の終焉を知っていたからだ」

 

 初代神の剣。次の神の剣よりも遥か昔に神命を与えられたライダーは、自分の人生の道のりを知っていた。細部まで知らなくとも、東征において誰が犠牲になるかわかっていた。

 

「全てを知る公は、子供の時は絵に描いたような鼻持ちならない(ガキ)だった。もし五瀬兄(あに)がいなかったとしたら、「神日本磐余彦尊(カムヤマトヒワレヒコノミコト)という名の建御雷」がいただけに終わったろうよ。……おっと、そうだ、お前に仕事がある」

 

 元々は御雄に用があって話しかけてきたライダーである。無駄話は案外好きな質なのかやっと話を元に戻しつつ、彼は鳥居に留まっている烏を指さした。

 

 

「その手にある令呪を以て、公にあの烏(宝具)を破棄させよ」

 

 神を(かたど)る宝具は、それ自身が意志をもちライダー本体よりも神霊に近い。ゆえにライダーの意志だけでは、あの宝具を破棄することは不可能だ。それゆえの命令、最後の令呪の使い道。それは決して己の戦力を削ぐものではないと、開闢の帝は笑う。


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