彼と父帝の間に決定的な亀裂の入る前――兄を殺害するという事件の起こる以前にも、彼の異常はささやかれていた。
マイナスの異常ではなかったために大事を起こすことはなかったが、それはやはり異常であった。
天孫の伝説を一度で覚えてしまい、すぐさま暗誦ができるようになる。一度耳にしたことは忘れない。武術においても、十にも満たぬ齢で並み居る大の男を皆倒し切ってしまう。帝には多くの子がいたが、他の子よりも頭二つ以上抜けた力を見せる。
――この皇子はあまりに、出来過ぎているのではないか?
初めはほめそやしていた周囲も、徐々にその力を恐れるようになった。
出来が悪ければ陰で謗るが、あまりに度を越した場合は恐れる。
褒められたことではないが誰もが了解する心の動きを、その出来の良い皇子は全く知らず――できればできるほどよいのだろうと一途に信じ、力の研鑽に励んでいた時分の話だった。
大和の国を一望できる丘に、帝が彼やその兄、従者を引き連れてお出ましになった。新緑が香しい季節で少々暑かったが、外を散歩するには最適の気候である。
行幸ではあるが、気心の知れた従者や親族だけを連れた和やかなものだった。
その丘からは、青々と茂る木々、畝を作る畑、まだ実をつけぬ緑の稲穂――人々が今まさに暮らしている光景を一望できる。そして、帝は目を細めながら遠くを眺めていた。
「この大和が、何物にも脅かされず、皆が健やかでありつづければよいな――」
少年よりもよっぽど人間であった天皇が、誰に伝えるのでもなくそうつぶやいた。もとより誰に聞かせるつもりでもなく、聞かれているとも思ってはいなかったのだろう。
国を愛し、守ろうという心は本来自然なものだ。己が生まれ育ち、己を愛し育んでくれた人々が暮らす土地。今まで生きてきた年だけ、共にあった己が人生の片割れが人々であり土地であり――国である。
国を愛する根源はその程度の話であり、国が発展しているから優れているから愛するのではない。ただ己と共にあったから、国――人を愛するのだ。
それは敵を討つ際には「いかに大和が優れた国か」を述べる帝がふと漏らした、素直な心であり、願い。天孫の子孫の支配を伝え続ける帝という立場を一時離れた、ただ大和にくらす一人の人間としてつぶやかれた言葉だった。
少年の父である帝は素朴に己の生まれ育った国を愛し、護りたいと願い、その国の長たる立場に生まれ、在ることに誇りを持っている――人間であったのだ。
その時、傍らに侍っていた少年はその父帝のつぶやきを聞き届けた。少年にとって父帝は、現人神として崇めるべき存在であり、尊敬すべき存在であると教えられてきていた。
そういう存在だから、敬意を払い続けていた。現代の父親像と、少年の生きていた時代の父親は違い、まして王の一族であり天孫の子孫である。尊敬すべき対象ではあったが、親愛の対象とは違うのだ。
今まで少年が見てきた父帝の姿とは、誠心誠意公務に励み、神々の末裔として国の運営に力を尽くす立派な天皇だった。
だから、誰にともなくつぶやかれたその言葉に――少年は我知らず衝撃を受けた。知らず知らずのうちに、父帝の眺める方向に目をやり――同じ景色を見た。
帝として責務を果たそうとする気持ちも、全ては素朴なその願いから湧き出でたもの。父帝は天孫の子孫だから責務に励んでいると教えられ、そう信じてきた少年は見たものを即座に信じられなかった。
天皇という現人神である前に、父帝はただの人間だった。
口に出せば不敬と断じられるその思い。しかし彼は言語化できるほどにその正体を掴めていたかったため、口にすることはなかった。
それでも受けた衝撃は、人間と呼ぶにはあまりに歪に過ぎた少年の想いを変えた。
自分も父帝のように――天孫だからではなく、ただただ人の為に責務を果たせるだろうか。育ててくれた人々の為に、共にいてくれた人々の為に、力を尽くせるだろうか。
彼が父帝を本当に尊敬した――憧憬を抱いたのは、きっとこの時。
尊崇すべき天孫の子孫、現人神であるからではなく――ただ自然に国を人を愛した姿。誰に強制されたわけでもなく、自然に愛した人の心。
――自分もそうなれるのだろうか。
――この人のように、自然に愛して、そのものの為に戦えるのだろうか。
――人の、誰かの願いを――
景行天皇が己の知らぬままに残した最大の呪いは、このことにつきる。
人ではないものが、人と同じ夢を見ていた。
景行天皇は、彼の力を恐れたから小碓命を遠ざけたという理解は正しい。ただしそれは我が身可愛さよりも、「此度は兄一人だったが、この人ならざるモノを国内においておいた場合、今後大和にどのような禍が起こるかわからない」と恐れたためだった。
親子としての情は、それなりにあった。しかしそれよりも、子の中にある神の影を恐れた。神代を離れても、神の血を引く
持っている力が違う。見ているモノが違う。
神は崇めるモノだが――共に生きることはできないと。
*
確かに彼は、神に愛されているのだろう。
しかしその神の愛は決して人と人とが思いあうそれではない。例えるならば、屈強な武人が己が武器である剣を誇る気持ちが最も近かろう。
「自分は多くの戦功を重ねた。その自分に振るわれて敵を殺してきた武器は素晴らしい武器だ」と自慢する――それが、彼が神に愛されているという意味だった。
――人の外装を纏う神の剣。
その神の愛なるものを、女は知らない。それでも、女は気づいてしまった。
大和という国の為にその力を振るい続けた英雄はその実、大和の為に戦ったことなど一度もなかったのだ。
それなのに何故「大和の為に戦った」と思われているのか。
理由は簡単――彼の尊敬し憧れた人間が、大和を心から愛していたからだ。
彼は尊敬する人の愛するものを愛そうとした。
尊敬する人の護りたいものを護ろうとした。
「大和を護れば、大和の為に戦えば、きっと――はお喜びになるだろう」
西の最強へと挑んだ時の彼は、本当にそれだけを想っていた。
「お前ならばきっと成し遂げられる」と信じられていると、信じていた。
ゆえに「敵を殺し、大和の国を安んずる」ことは彼にとって目標ではなく「手段」でしかなかった。
「そうすれば、きっと喜んでくれる」
ただほんの僅か、尊敬する人、憧れる人、愛する人を喜ばせたかっただけだった。
その凡百が描くような、些細な夢を後生大事に願い続けていた。
しかし空前絶後の、ただ人には打ち立てられぬほどの偉業を打ち立てても、その願いは叶わない。むしろそれほどの偉業を成せるがゆえに、その夢は絶対に叶わなかった。
かつて、その身をかけて世界を斬った彼の妻は今わの際、「あなたはこの国で一番強い、日本武尊」と告げた。
しかし、彼のもう一人の妻は、それとは全く異なることを口にする。
「貴方は、日本武尊になるべきではなかったのです」
*
東征の帰り道、彼にも喜ばしいことが一つあった。東征の行路、尾張で東征が終わったのちに結婚を約束した女――美夜受媛との再会である。
ただ、東征の旅路に於いて彼女の兄である武稲種命が水死していたため、手放しでの喜びとはならなかった。
尾張にて美夜受媛と結婚した日本武尊は、なかなか尾張を離れようとしなかった。
ここで羽休めをしているとか、他にまつろわぬ者がいるとか、結婚した美夜受媛を甚く気に入っているなど話は流れたが、実際日本武尊は大和に帰りたくなかったのだ。
また遠くに行かされるくらいなら、この尾張で過ごした方がよっぽどましだと――そう思った。
けれど、尾張に居ても少しも楽にならない。何を食べても味がしない。何を見ても楽しいと思えない。時間は無味乾燥に過ぎていき、世界のなにもかもが色を失くす。
日本武尊は、そっと部屋の片隅に置いてある剣を見やった。尾張に着いてからは一度も使っていないため、手入れも怠っている。
叔母の倭姫命から剣を受け取って以来、叔母の言いつけを守るように彼は片時も剣を離すことはなかった。それは今でも変わっていないが、剣を見る彼の目には今や怨望にも似た色があった。
この剣は、確かに日本武尊を護る剣だった。彼は深手を負ったとしても何事もなかったかのように治癒した。しかしそれは彼だけの話で、他の仲間は傷つき、死んでいった。
剣は、真実『日本武尊』を護る剣だった。
これまでは東征を成すという命のために、それでいいと彼自身も思っていた。しかし。
これ以上自分だけが残ってどうする――彼がその念に駆られていたこともまた、真実であった。
そして幾月を尾張にて過ごした頃か、日本武尊の元に父帝から新たなる、そして最後の命令が届けられた。
「伊吹山の神を討伐せよ」
日本武尊は此度の神は神剣を使わずに、自分の身ひとつで倒すと宣言した。当然旅の仲間は猛反対した。日本武尊はその体だけで神を殺せる。殺すだけなら神剣は要らない。
しかし神剣が絶対必要とされる理由は、その守護の力が不可欠であるがゆえ。異形の神がもたらす呪いを防ぎ異界から脱出するためには、剣の加護に頼るしかないのだ。
それを知っていたからこそ、これまで日本武尊は肌身離さず剣を持っていたはずなのだ。
にも拘らず此度は置いていくとは――いくら太陽の皇子といえど、神剣の守護を失うのはあまりにも危険だと誰も彼もが咎めた。それでも日本武尊は頑として剣を手に取ろうとしなった。
その姿を「東征を終えて増長している」と見る者も多かったが、日本武尊はそのような増長とは無縁だった。
*
日本武尊が伊吹山に、一人で向かうその前日。美夜受媛は尾張にある寂れた神社の一つへと急いでいた。
既に日が暮れかけており、山は夜に染まりつある。
彼女の夫は、その神社の本殿の中にいるはずだ。如何な皇子といえど、本来神を奉る場所に無遠慮に立ち入る真似はよくないが、不思議と彼とこの場所は溶け合っていた。
神域。神の坐す場所。崇め奉られるべきモノの座。人から離れ、高みにあるもの。
斯様な場所が似つかわしい彼女の夫は、きっと死後、遠き未来に置いて彼自身も崇め奉られるモノになる。たった一人で日本を平定するモノが、只人のはずはありえない。
「――何だ、お前か」
美夜受媛が扉を開く前に、中からその声が聞こえてきた。同時に寝転がっていたのか、木の板がぎしりと音を立て、剣を持ち上げる音も聞こえた。
直ぐに中から扉が開き、日本武尊は顔を出した。やはり眠っていたのか、少し気だるそうだった。
「日が暮れます。帰りましょう」
夕暮れにここへ彼を迎えにくることは、既に美夜受媛の日課になっていた。日本武尊は朝起き、朝餉の後――食べないときもままあるが、この神社へと向かい日中をすごし、美夜受媛の迎えで夜に帰り少しだけ夕餉を食べて寝る。
基本はその繰り返しである。神社で何をしているのかと問えば簡単に「寝ている」とだけ返ってきて、実際その通りのように見えた。
傍から見ればぐうたらな生活だろうが、長い戦の骨休めだと思われているのか、誰一人目くじらを立てる者はいなかった。美夜受媛も最初はそうだと思っていた。
されど、その実――人を避けるように、彼はもう全てに倦んでいたのだ。
しかしその長閑で閑散とした日々は、今日で終わりを告げる。明日、彼は一人で伊吹山に向かい神を殺しに出かけるのだ。
二人で山を下る。その最中、日本武尊は美夜受媛に腰に下げていた剣を渡した。渡した、というよりは押し付けたと言う方が正しい。
「それは今からお前のものだ。取っておいてくれ」
「しかし、ミコト」
「取っておいてくれ」
彼は決して剣を取ろうとせず、先導して山を下りていく。
剣を持たずに神を殺すと、彼は言った。その言葉は決して傲慢や慢心から発せられたものではないことを、美夜受媛は知っている。
先日、何故そのような危険な事を望むのかと既に問うているのだ。
死ぬかもしれないのに、何故、と。
「仮に俺が死んだとしても、東征はほぼ成っている。問題はなく、俺に残された役目はない――だから、此度、俺は俺の運命を尋ねたい」
もし素手で神に向かい打ち取ることができたのならば、まだ自分の生には成すべきことがあるということ。もし叶わず死ぬのならば、それだけのことだと。
その意味を、美夜受媛は理解していた。
日本武尊。その名は東国の誰も彼もが知る、神がかった強さの大和の皇子。しかし、その彼の故郷である大和においては、彼の名は半ば忘れ去られたも同然だった。
東征にて従えた国々を放置するわけにもいかず、統治の為に人が置かれ、同時に大和との連絡もある程度図られる。
日本武尊は戦の最前線に立っていた為、そのあたりの事情には疎いかったが――とにかくここ尾張も大和からの使者と交流が図られており、美夜受媛もその使者と世間話をしたことがある。
その使者は、驚くほど日本武尊の成したことを知らなかったのだ。平定の連絡・使者ゆえにどこを平定した等の情報は知っていたがそれだけだ。彼の妻の弟橘媛が亡くなっていたことすら知らなかった。
使者でさえこれなのだから、大和に暮らす人々は推して知るべしである。
元々が父に忌まれて死刑宣告代わりに出された旅だ。その大和への帰着は、絶対に華々しいものではありえない。
しかし、それさえも本質的な問題ではない。たとえ凱旋という誉れになくても、彼自身が自分の成したことに自信を持ち、自分で自分を誇っていれば大した問題ではないのだ。
美夜受媛も、彼の成したことは空前絶後の事業であり誇るべきことであると思っている。
されど、その偉業をなした英雄は、むしろ自らを蔑むが如く振り返って、言った。
「その剣は良いものだ。俺よりも遥かに役に立つ。大事にしてくれ」
彼は本当にその名の通り「日本最強」だった。彼以外の人物が同じ命を任されたら、一瞬にしてその命を散らしていたことだろう。
その体に宿った力は、神の剣――まさにこの国に蔓延る叛乱の芽と悪神を全て刈り取る為のもの。
人の外装を纏う神の剣。
彼はその役目に相応しいだけの力を持っていたから、誰も気づかない。
彼の辿った運命は、彼の望む在り方を踏みにじるものでしかないことに。
日本武尊は、最強の誉れや遠き未来に名を残す栄誉など、一かけらの興味もない。
彼が叶えたかった願いは、あまりにも些細過ぎた。
自分の運命を試したい、と彼は言うが、そんなことを言う時点で先は見えている。
彼はもう、帰ってこない。
それなのに引き留める言葉が見つからない。美夜受媛は、夫の幸せを願っている。それでも、今の彼を止める術がどうしても思い浮かばなかった。
「いっそ、貴方に血も涙もなければよかったのかもしれません」
橙色の薄暮が逆光となり、振り返った日本武尊の表情は伺えなかった。その読み取れない表情のまま、彼は静かに問うた。
「美夜受」
「何でしょうか」
「――俺はどこか、人として壊れているのだろうか」
人の心が分からないと、誰かが言う。それを壊れていると評するか否かは人それぞれだが、きっと彼は昔から変わっていないのだ。生まれた時からそうなのだ。
美夜受媛は、うわべの言葉で取り繕うこともできた。だが、本当に彼が求めるものを与えるのであれば例え苦くとも、本当に思っていることを言わねばらない。
遠回しに言っても、彼には通じない。
「――壊れているのではなく、あまりにも歪だったのです。あなたは、日本武尊になどなるべきではなかったのです」
「……何故、お前がそんな顔をする」
無礼とも取れる発言にも怒りを見せることなく、むしろ日本武尊は美夜受媛の様子を訝った。自分は泣きそうな顔をしているのだと、美夜受媛はわかった。
彼はあまりにも歪な魂を持ちながら、悲しいほどに――それこそ剣の如く――真っ直ぐであり過ぎた。
美夜受媛は日本武尊の意志をくみ取っていたが、若干の差異があった。
本当に雀の涙ほどの思いだったが、それでも彼はまだ、全てを諦めたわけではなかったのだ。
剣を持たぬ自分は、人により近くなる。生身の体だけでは蔓延る悪神の力に抗しえぬから、倭姫命を通じて神剣が与えられた。
だから全うに考えれば、剣なしで悪神を相手取ればは自分は死ぬ。
だが、そこでもし、剣なしで神を殺すことができたのならば――この定められたかの如き運命を、超えられる気がしたのだ。
されど結果は知っての通り。神剣を持たずして伊吹山に向かった日本武尊は、途中で見かけた山の神の大蛇を神の使いと勘違いし、無礼な発言をして怒りを買った。
神に降らされた雹によって呪われ病を得てしまった日本武尊は、熱にうなされながら山を下るという這う這うの体となってしまったのだ。
――決死の覚悟で挑んだ伊吹山の戦いにおいて、彼のわずかな希望もついに空しくなった。
結局神の加護なき、戦う気のなき日本武尊、勝てない日本武尊――ただの小碓命はもういらぬと、最後通牒を突き付けられたに等しかった。
ここに至り、本当に心の底から彼は、自分の命などどうでもよくなったのだ。
病は確実に日本武尊を蝕んでいく。
杖を突きながら、意識がもうろうとしながらも足が止まらない。もう行く当てなどないのだから、さっさと倒れてじっと死ぬのを待てばよい。
それなのに一体自分はどこに向かおうとしているのかと、ロクに働かない頭で彼は考え続けた。
どれくらい歩いたか、どれくらいの時が経ったか。
五感も時間の感触さえも失い始めたころに、日本武尊はようやく気付いた。
「――帰りたいのか。たとえ何もなくても、誰も待っていなくとも」
もしかしたら兄の件がなくとも、最初から父帝は自分を疎んでいたのかもしれなかった。何も知らず何も気づかず何も考えていなかったがゆえに、自分は幸せだったのかもしれなかった。それでも、かつて、彼の幸せは確かに故郷に在った。
今の大和に日本武尊が望むものがないことくらい、彼は知っている。
もう誰も彼も自分のことを忘れているかもしれない。それでも。
――――――俺は、何でも気づくのが遅いな。
これだけ切羽詰まらないと、帰りたいという気持すらわからない。歩けなくなるまで弱り果てて、彼は木に身を寄せて空を見上げた。
降りゆく白いモノは雪か、桜か。日本武尊にはわからなかった。
体は重く、悪寒がずっと止まらない。視界は薄れていくが、何故か空が果てしなく青く澄んでいることはわかった。
青い空に、一点の白が見える。不思議とその点は徐々に大きくなっていく。それは白い鳥。鳥は高度を落として、日本武尊の足の上にふわりと羽を休めた。
世の穢れを知らぬような純白を宿した鳥は、そっと彼に身を寄せている。
彼はもう、長く時を置かず自分の命が消えることを知っている。
――この魂くらいは、大和は拒まないだろうか。
そのような
甲高い鳴き声を上げて、白鳥は死にもの狂いでその体を震わせる。日本武尊は凄惨ともいえる笑みを浮かべて立ち上がる。
その足は既に彼の体を支えるに足る強ささえないにも関わらず、血が噴き出して溜まっていくにも拘らず、日本武尊は立つ。
「―――俺の名前を言ってみろ」
地を這うような低い声。呪詛にも似た響きは、そのまま日本武尊に跳ね返る。
日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊日本武尊――――――――――――その名の意味は、「大和で最も強き者」
何もなくなった、など嘘である。日本武尊という名が、まだここにある。
人の気持ちなどわかるものか。
人の助け方などわかるものか。
人の救い方などわかるものか。
そんなこと、生きてきて一度もしたこともなくできもしなかった。
同じ人間でも大和の人々と、自分の間にはきっと恐ろしく深い断絶がある。同じような見た目をしているけれど確実に何かが違う。
だから父帝は自分を疎んだのかもしれない。ゆえに大和は自分を拒んだかもしれない。
いる場所など、もうないのだ。自分は大和にとって、この世界にとって場違いな邪魔者なのだ。もう、死んだ方がいい。
――
己が生き残って、共に戦った仲間や妻は死んでいった。その彼らがこの名を称え、信じ、願うのならば、日本武尊はのうのうと死んでいる場合ではない。
自分が何者かに敗れたまま死んでは、彼らの願いが報われない。ゆえに自分から死を望む傲慢は許されない。日本武尊は誓っていたのだ。
「俺は、お前たちの望む俺であろう」と。
「俺は、未来永劫、この国で「
ゆえに、今わの際になって、彼はこのまま訪れる死を――大和へ帰る道を――拒んだ。
「俺の魂が欲しいか!ならば磨り潰れるまで好きにすればいい―――――その代わり」
日本武尊は戦いが得意だったが、自ら望んだことはない。必要でないならしない。ただその才能が他と冠絶していたから、戦うことが使命となり戦い続けてきただけだ。
流石に彼とて、わかっている――もしその力さえなければ、別の生き方ができたのかと思いながらも。
それ以外に、何もないから。助けたことも、救ったことも、ないから。
ただ願いを叶える為に、縋りつけるものが戦以外になかったのだ。
「俺に戦いを与えろ!未来永劫、この国で最も強き者は俺であると証明させろ!」
その願いは、未来永劫この国に現れるであろう英雄豪傑怪物の類をも乗り越え打ち勝つ
彼が死と言う安息を得るのは、彼以外に立つ者が居ない世界に至った後の話だ。
「世界」は彼の願いを聞届ける。死後英霊の座に招かれることが約束されている日本武尊は、魂を世界に引き渡すことと引き換えに戦場を得る。
それは、聖杯戦争に限らず、英霊を呼び戦い合わせる儀式の際には優先的に呼び出されることを意味する。
願いが「聖杯を得る」というものではないために、彼は聖杯を得ようと戦いを止め、本当の死を迎えることはない。
一度生を諦めた者は、今一度この日本と言う国が消滅するまで、永劫に戦いつづける。
「最強」の名に偽りのないことを証明する、その為だけに。
大分前に投げたものですがヤマタケ補足話マンガ再掲 ヘタレ絵
ヤマタケと同行した仲間たちの余談 数少ない部下はヤマタケを助けるためにいるのではなく、むしろヤマタケの行き過ぎ(殺し過ぎ)を止めるために存在している
「人の外装を纏う神の剣」http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=47805004