Fate/beyond【日本史fate】   作:たたこ

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12月5日⑨ 碓氷の影使い

 碓氷の家の大本は、北欧――フィンランドとスウェーデンの間に本拠を構えた神代からの大家である。大昔は北欧神話の神々に仕えており、神代の遺物を多く受け継いできた。

 似たような家にはフラガ家が挙げられるが、そのフラガと碓氷の本家が異なったのは、今から三百年前ほどに大本の大家が分裂してしまったことである。

 

 その原因は遠くなって久しいが、ともかく大家における争いで分裂し、受け継いできた神代の遺物や技、土地の奪い合いが勃発した。

 

 その魔術合戦に終止符が打たれ、結果として碓氷の一代目となる人物は部分的な土地と神代の遺物を所持する権利を得た。にも拘らず、碓氷の一代目は土地を放り出し遺物のみを手に北欧の地を去った。

 土地は得たが、かつての分裂前の時より遥かに小さくなっており、かつ周囲には元同家の魔術師が渉猟して落ち着かない情勢だった。ならばいっそ新天地を求めようと、魔術協会の監視すら薄い極東の地に身を寄せた。

 

 基本的に西洋の魔術と日本の魔術は相容れぬものだが、春日は陰陽道の思想だが四神相応の加護で護られた霊地である。要するにれっきとした霊地であり、魔力が溜まりやすい優れた土地であることには変わりない。先住していた日本の魔術師を駆逐して春日の管理権を奪い、新たに管理者となったのが碓氷の始まりだった。

 

 幸いにも春日の土地は碓氷の者の血にも合い、彼らはここで魔術の研鑽を重ねてきた。碓氷の体質はこの一代目から続くもので、七代目となる明に至るまで途切れたことはない。

 そしてこれまで二重属性、三重属性の当主もいたことがあるが、アベレージワンや架空元素の跡継ぎを輩出したことはない。かつ強い男系の血筋の為、六代目までの当主は全て男性であった。女子が生れても男子ほどの素質ではなかったり、既に長男がいる場合ばかりであった。

 ゆえに架空元素・虚数を持って生み落された明に、父碓氷影景が驚き、あらゆる意味で期待を抱いたのも無理からぬ話である。

 

「明、お前のような影使いが最も強いときはどのようなときかわかるか」

 

 かつて、父は明にこのようなことを言った。まだ幼かった時分のため明はよくわからず、素直に思った通り「わかりません」と答えた。

 

「影魔術はこの世のモノよりも、この世ならぬ霊体・悪霊の類にこそ有効な魔術だ。お前は魔術師と戦うよりも、そういう怪物と戦う方が向いている。そして影は己の暗黒面を刃と成す禁呪。その暗黒面が濃ければ濃いほど、強くなる。だが己の暗黒が強すぎるとどうなるか、わかるか」

「――自分に、呑み込まれる」

「そうだ。『怪物と戦う者は自らも怪物とならないように気を付けねばならない。汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き込んでいるのだ』という言葉は、魔術師ならなじみ深いものだが、こと影使いには尚更だ」

 

 影を鍛え上げる為に、己の暗黒を覗き込む。一つバランスを誤れば生きながらにして己が己で亡くなる危険さえ孕みながら修練を続ける。それが影使い。されどそれは虚数と言う属性故に多少極端なだけであり、魔術師なら誰もがその危険に瀕していることが日常なのだ。

 其の時、父影景は急に破顔し明の頭を撫でた。

 

「心配するな。たとえお前が己の影に呑み込まれても、俺が何とかしよう」

 

 その微笑は、純粋に愛する娘に向ける、父親としての情であったのか。

 幼いながらも、違うのだろうなと明にはわかった。

 

「できるだけ殺さない。そして決して魔術協会にはやらないさ。きちんとこの碓氷の家でホルマリン漬けにして保管してやる」

 

 お前が跡継ぎとなれなくなっても、北欧の元から養子をもらう手もあるから心配するなと、魔術師たる父はそうにこやかに笑った。

 

 父がおかしいわけではなかった。むしろこの世界において明の方がどうかしている。仮に父が手ずから明を育てたのであれば、明は父と同じ思考に至ったであろう。

 

 しかし影景は明を育てなかった。あくまで父は魔術の師でしかなく、親愛の対象ではない。魔導を継がせるために教えるのは己の仕事だが、「子育て」は己の仕事ではないと見定めていた彼はそういった作業の一切を雇いの家政婦に任せた。彼自身も幼い時に同様になされ、それで困ることもなかったが為にだった。

 

 明とその姉を育てた家政婦は、普通の人間だった。誠実であり、優しく、人に偽らぬ、凡俗の親に足る普通の女。彼女が明を育てたことが真に幸いであったのかどうかは、明自身にもわからない。

 

 ただ、得難い人間だったと、後に彼女は思った。

 その母代りであった女は、もういない。この世のどこにもいない。

 

 死のうとした明を救った女は、その代償に自らの命を奪われたのだ。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 眷属たちは殺しても生き返る。なるほど、セイバーによって殺された星熊童子と虎熊童子が生きているのだからそうだろう。

 セイバーの殺し方は分かりやすく物理的に急所を貫き殺すものだ。眷属たちを成す核や肉が、この世から消えてなくなるわけではない。

 蘇生のなされ方はキャスターのこの結界内で宝具が続く限りであろうし、かつ膨大な魔力で霊核を再構成しているとため。ゆえに粉みじんにしても、この世に肉があるかぎり彼らは蘇る。

 

 明の影は人間そのものよりも、この世ならぬものにこそ最大の効果をもたらす魔術。それに、この異形たちには対魔力はない。明の魔術――影によって殺すことはセイバーの殺し方とは違うのだ。それは殺すと言うよりは、消し去るという表現がふさわしい。影は対象をこの世に肉片一つ残さず、平面世界というこの世ではない世界に引きずりこむ。

 

 さて、肉を、核をこの世界ではない場所に放り込まれた眷属は生き返ることが可能なのだろうか?

 

 ――否。確信とまではいかないまでも、明はそう思った。先ほど茨木童子に影魔術をぶつけたが、彼は「お頭の話と違う」と言っていた。おそらく、蘇生と同じ要領で左腕も回復するはずだったのだ。しかし茨木童子の左腕の傷は治らなかった。

 

 とすれば、むしろこの眷属たちを消し去れるのは明だけ。この眷属たちは、まさしく明が倒すべきもの。この力は人を殺すことよりも、異形、怪物、この世ならぬモノを殺すことに――消し去る為にある。

 

 

「……っ!」

 

 闇を駆ける。異形が追う。明のすぐそばを二本の銀色の筋が通りすぎた。明は横っ飛びに飛んでその軌跡を紙一重で回避した。双剣の女が迫る。纏った紺色の着物の裾がはためき、虎熊童子は余裕の表情で剣を振るう。

 

「……あとから星熊も茨木も蘇る。無駄なあがきよ」

 

 山道に慣れていない女の足と、人ならざる者の足では後者が圧倒的に速いのだが身体強化と影による移動で互角にまで持ち込んでいる。しかし肉体的に時間制限がある。

 虎熊童子が本気になっていないことを明は承知している。ならば、先程と同じように油断しているうちに倒さなければならない。鬼なるものは、人を食料としか見ていない。

 

「……ッ、こういうの、力の無駄遣いっていうんじゃない!?Vetovoima,(引力)……säätö(調整)!」

 

 足元から影を伸ばす。大きな石を超え倒れた木々を超え、伸ばせる限り伸ばす。月と星だけが照らす場所だが、視覚強化と純粋に目が慣れたために視界はある。虎熊童子を迎え撃つ場所を探し、明は人間離れした速さで森を跳ぶ。

 

「……ハハ!あがくな人間!殺しはしない!」

「殺さない、って言っても人間の踊り食いしたいだけでしょう……!」

 

 美しく整った顔はどこへやら、完全に鬼の本性をむき出しにして牙を見せている。足の筋肉だけではなく全身の筋肉をひずませながら、明は木の枝につかまり、跳び、岩に着地する。

 

(……双剣、ってのはやりにくいな)

 

 片方を避けても、もう片方の餌食になる。実際の剣道に置いて二刀流使いはほぼいないそうだが、あれは攻撃よりも防御に優れた使い方だ。今通り過ぎていく道は――道と言うには難があるが――ぼうぼうに木々がおい茂り、通ろうとする場所は定まっていない。そこを虎熊童子は己の庭のごとく木々の間を駆け抜け向かってくる。

 

 今明が持てる武器は足のナイフと魔術のみだ。しかし、影により茨木童子の腕が爛れてナイフは星熊童子の体を貫通したのだから効果はある。セイバーの神剣があれば、遠慮なく接近戦術で特濃の影をぶつけられるが無理な相談だ。

 

 必要なのは純粋に出力。大量の魔力を注ぎ込んだ影にて一気に消し去る。可能は可能だが、この状況で丁寧に魔法陣を刻んで溜めて放つことが許されない。詠唱にも時間がかかる。

 

(……ノタリコンは練習中なんだよなぁ……)

 

 最速の短縮詠唱法とされるノタリコンは、詠唱中の単語の頭文字をとり新しい単語にして詠唱を行う方法である。呪文詠唱はあくまで自らに働きかける鍵であり、術者本人に意味が通じればそれで十分である。

 ゆえに短縮して第三者からすれば意味の分からぬ言葉の羅列となっても、術者がわかっていればいいのだ。だがそれはその特性故に習得(読解)には時間と天稟が要され、明も習得には至っていない。ないスキルを嘆いても仕方がない。

 

 

 月光の下、明と虎熊童子はほぼ同等の速さで森を疾駆している。虎熊童子の双剣は明を狙い、彼女は紙一重のところでそれを躱し、隙を見てガンドを放つ。虎熊童子は嬲ってから生きたまま食うことを目的にしているからか、急所を狙わず四肢を切断する目的を持つ斬撃を繰り出す。明のガンドは飛びながら撃っている為に、なかなか当たらずむやみに樹木を倒していくだけだ。

 

 明は影を伸ばし、今まで逃げてきた方向とは逆――来た道を戻るように体を反転させる。虎熊童子が周囲の木々をなぎ倒しながら追いかけているのと自分のガンドで、自分たちがどこから来たのかはわかる。だが、あまりにも戦いの場から遠ざかりすぎるのはよくない。セイバーの状況も把握にしにくくなり、彼の下に戻るのにも大変骨が折れる。

 

 明は下っていた方向を変え、まずは右に跳んでからUターンするように、今まで下っていた道なき道を登っていく。

 

「これ以上影での移動はまずいな」

 

 既に明の全身は悲鳴を上げ始めている。もう明日一日は絶対に動けないことは確定としても――と思ったその時、背後から空を切る音が肌に刺さった。

 

「――!!」

 

 ブーメランの如く飛来する二つの剣。森の中に陰影だけを残して襲い掛かるそれは、明が反応するより早い。月光で煌めく銀色の刃はその切れ味を誇示して、一本は袈裟に明の右肩を切り裂いた。肩甲骨で止まったのか、骨はいかれていない。

 もう一本は斬る、というよりは突くという方が正しいが、幸いにもこちらも左の太ももを掠めるだけで済んだ。痛みを覚えるより早く刀を投げ捨て、明は魔術の行使を止めない。振り返る事すらなく、木から木へ飛び移っていく。だがもう最初ほどの速度で走ることはできていないようで、濃密な殺意が、すぐ後ろにまで接近している。

 

「良く避けたな、人間!」

「……ち、」

 

 明は自分の傷に指を突っ込み、そのぬるりとした感触を確かめた。それから腿のナイフを一つ手に、取り敵へと投げて闇へ吸い込まれていく。

 そうしている間にも、虎熊童子の剣が再びブーメランとなり襲い掛かってくる。

 

 しかし、飛び道具ならば明も負けはしない。両手でガンドを放ち飛ぶ剣の軌道を無理やりに曲げる。しかし木の太い枝をしならせて飛び掛かる虎熊童子の獰猛な腕が、いや、腕ではなく口から飛んでくる---!!

 危険を感じ、明は渾身の力で影と足を動かした。だが、僅かに遅く――左足の肉が、食われた。

 

「っ!!」

 

 痛みは感じている。明の一瞬見た光景は、左足の脛にかみついている虎熊童子の姿。美しい女性の形をした鬼は、性的興奮にも似た表情で肉を貪る。

 ――捕食者は、獲物を得た瞬間が最も隙ができる。

 

paluu(戻れ)!」

 

 闇より飛来するナイフ。先ほど何もない闇に放り投げたナイフが、明の呼びかけに応じて飛来する。だが、一度星熊童子にむけて放った攻撃であり、虎熊童子は心臓――核ど真ん中に受けるようなヘマはしない。肩にナイフを受けたが気にかけず、彼女は落ちた自分の双剣を引き抜いた。こくりと肉を飲み下し、明を舐めるように見つめている。

 

「……お前、処女だろう?そういう味がする」

「-――Ne, jotka muuttavat muoto(形を変えるもの)!」

 

 明がそう叫ぶが早いか、肩に刺さったナイフから黒い影が噴出し、まるで人のような影が虎熊童子の後ろに張り付く。影故に虎熊童子の体を焼くが、全てを葬り去るほどの力はない。ただ、只管に虎熊童子をその場に足止めするためだけに-――!

 

 明は噴き出る血も構わず、一気に虎熊童子から距離を取る。木の陰に紛れ、大急ぎで詠唱を編み上げる。突き出した両腕の肘まである魔術刻印が激しく鳴動を始める。明の影の分身というべきナイフにも魔力を注ぎ込みながら、かつ今から放つ必殺の一撃の為に全てを注ぐ。五小節からなる長詠唱。

 できるうる限りの高速詠唱を加えても二十秒--!!

 

Suutelen. Palaan. I Kayes.(私は帰す。私は返す。私は還す。)

 Ikuiseen pimeyteen, jotta kuollut sokkelo loppuun.(永遠の闇へ、終わりなき迷路へ)Ghost maailmalle.(幽世へ)Se ei ole paikka tässä maailmassa.(この世ではない場所)

 Kiellän oman olemassaolon..(私はあなたの存在を否定する。)Maailman kieltää sinua.(世界はあなたを否定する)

 

 虎熊童子が影を振り払う。狙うはもちろん明ただ一人。真正面からぶつかりに行く真似はせず、明の照準から横にそれて木に飛び移り上空から迫りくる。

 

 間に合うか否か。悲鳴を上げる魔術回路が、激しくめぐる。空には魔法陣が紫紺の光を放ち、充填の時を待っている。彼女の両手へ集まる光は、光のくせに星の光までも吸い取る暗黒の渦(ブラックホール)の如く。

 

 魔力はセイバーに供給する分を残し、それ以外を注ぎ込んで撃ちだす幽世への特攻弾。ガンドのうちでも強力なものはフィンの一撃といわれる。体調を崩させるという呪いを超えて、それだけで心停止にまで至らせる死の呪い。ならば、さしずめ今明が撃ちだそうとしているものは、フィンの大砲の名が相応しい。

 

Mene takaisin maailmaan niin kuin pitäisi(汝のあるべき世界へ帰れ)

 

 掲げられた両手は真上へ。紫に微光を放つ刻印の補助を受けて、その一撃は撃ちだされる--!!

 

musta pyörre―(黒い渦)!!」

「―――――!!!」

 

 言葉にならぬ叫び。否、言葉を発する暇さえなく虎熊童子は黒い渦に吸い込まれるように、魔弾へと姿を消した。血も肉片も残さず、かの女がいた証は何一つ残っていない。明はあたりを見回し、がくりと膝をついた。

 

「-――ッ、ハァ、」

 

 大量の魔力を注ぎ込んだ疲労が全身を包むが、セイバーへの供給は滞りもなくまだ魔術行使はできる。鬱蒼とした木々に包まれる山を見上げ、其の時。雷に撃たれたかのごとく明はあることを思い出し、そしてその思い出したことそのものが彼女を救った。

 後方斜め後ろに向かって振り返りざまに両手を突出し、ガンドを放つ。鋭い音を立てて呪いは振り下ろされる何かの軌道を逸らした。

 

 紙一重で軌道を変えられたそれは、明を押しつぶすことなく地面へ叩きつけられて木の根や草を巻き上げた。明は重い体を翻し、とっさに距離を取った。

 

「お前、何者だ--」

 

 振り下ろされたのは金剛の金棒。扱う者はセイバーにより粉みじんに砕かれ、明のナイフで脇腹を撃ちぬいた星熊童子の姿。筋骨隆々の益荒男は、訝しげな眼で明を見ている。

 

 その問いが示すところは明もわかっている。これだけに直ぐに姿を見せた星熊童子は、虎熊童子の姿が見えないこと、その死体すらどこにもないことを訝しがっている。

 明は背後の岩に手をつき、立ち上がった。

 

 

 じりじりと距離を取りたいが、この山の中、後ろは岩を乗り越えねばならない。いやそれよりも、星熊童子を消し去るためには先ほどと同等以上のフィンの大砲をぶつけなければならない。再び詠唱時間を稼ごうにも、影の分体ともいえる二本のナイフの魔力は今や空っぽだ。

 

(――というか、魔力が)

 

 フィンの大砲は、あと一撃ならば問題なく撃てるだろう。さらに自分の治癒にも充てる分も残る。しかし問題がある――セイバーだ。

 セイバーに供給する魔力を考慮しなければ、の話だ。だが彼の第二宝具は本人いわく「燃費が悪」くあり、そこへマスターからの魔力が足りなくて中途半端な威力になってしまっては目も当てられない。なにより、魔力の消費を気遣うなと明が言っただけあり、現在進行形でセイバーは景気よく魔力を持って行っている。

 

「答える義理は、ないかな」

 

 静かに答えた明に対し、星熊童子は豪放に笑んだ。

 

「……まあいいさ、生死問わず連れてこいってヤツだし!俺が頂く!」

「……Vahvistaminen, kolminkertainen(強化、三重)!」

 

 明は身体強化をかけなおし、背後の岩を乗り越えた。再び影による移動を再開したが、既に全身の筋肉は悲鳴を上げている。背後から襲い掛かるのは、金棒を遠慮なく振り回して木々をなぎ倒しながら迫る星熊童子の姿。

 

 彼が通ったあとは、その破壊で妙に見晴らしがよくなって山道が見える。

 

 一つだけ思いついた。五小節の詠唱の時間を省いて一撃を見舞う方法を。明は欠けた左足の脛から、いまだにしとどに血が垂れ流されており岩や木に付着していくのを見た。

 

 

「おらぁちょこまかと!!」

「……ッ!」

 

 直ぐ頭上を金棒が通過し、髪の毛が攫われていく。それをよけきれたかと思った時、右腕が強く掴まれた。捩じり切られると思うが早いか、左の人差し指を突き出して至近距離でガンドを放つ。虎熊童子の腹に直撃するが、予想通り効き目が薄く相手が少々驚いただけ――それでも、一瞬の隙をついて掴まれた腕を振りほどくことができた。腕は魔術刻印が刻まれている為に狙われるのはまずい。

 

 狙うなら足にしてほしい――そう明が思った時、その望み通り、左足に激痛が走った。

 この痛みは金棒のそれではない――もっと鋭い、ナイフのような何かで切り裂かれたような。

 目だけで後ろを見れば、金棒を持っていない方の敵の手の爪が――鋭利な刃物のように伸びて、血を滴らせていた。

 

「――ッ、ずいぶんと器用なことで……」

「……もうつまんねぇな」

「……!?」

 

 これまで明と星熊童子はほぼ併走、互角のスピードで攻防を繰り広げてきた。

 だが、明の気付かぬうちに身体強化をしても影の移動に肉体そのものがついていけなくなったのか、いつの間にかスピードが落ちていた。そして星熊童子はご丁寧に明の進行方向へ先に回り込み、その金棒を明の腹に叩き込んだ。

 

 

 眼は、闇の中でも金棒の軌跡をはっきりと映していた。自分の腹に直撃するとわかりながらも、体が追い付かずそのまま直撃を受けてしまった。腹から全てが吹き飛んでいったような衝撃に意識さえもはく奪される。

 明の体は容易く弾かれ、星熊童子が金棒で切り開いた場所に転がった。

 

 幸い、身体強化の魔術のおかげで本当に内臓がごっそり持って行かれるような事態は回避された。明の意識も全身の痛みと共に直ぐに戻ったが、冷たい地面に引き倒された彼女が見た光景は、通常の人間であれば夢かうつつか己の正気を疑うものであった。

 

 己が地面に引き倒され、両足を肩に担がれながら――足を食われている。もったいないのか味わっているのかは知らないが、左脛から流れる血を丁寧になめとりながら、少しずつ肉を齧っているのだ。

 人の肉に夢中なのか、明が暴れないからなのか星熊童子は明の意識が戻ったことにも気づかず足に顔を埋めてしゃぶっている。

 

 それでも明は慌てなかった。むしろ、勝手に足位食っていればいいとさえ思った。本当は自分の血液で大雑に、詠唱の手間を省くためだけの機能に絞った簡素な魔法陣を刻むつもりであった。その完成は水泡に帰してしまったが、人肉を食らっている間に消してみせる。

 魔術回路は激しく鳴動し、再び神秘を成すべく跳ね回る。そして魔力など、そこらじゅうに溢れていると明は知っているのだ。

 

 紫の光が迸り、周囲から同色の燐光が浮かび上がる。ずるずると音を立てて血肉を啜る鬼は、そこでやっと異変に気付いた。しかし時すでに遅し、明の大砲は既に発射秒読みに入っている。

 

Mene takaisin maailmaan niin kuin pitäisi(汝のあるべき世界へ帰れ)dark musta pyörre―(黒い渦)!!」

 

 至近距離で直撃する暗黒の渦。全てを平面世界へ消し去る魔術が鬼へと向かう。星熊童子は先に消えた虎熊童子と同様に毛一本も残さず姿を消す運命にある。

 刹那たくましい腕が明の細い喉を毟るべく伸ばされたが、それは届かない。

 

「き、さま……!!」

 

 鋭い爪が少しだけ皮膚を掠めたが、眷属たる鬼の一人は憤怒の形相を強く残して、何も残さず消滅した。

 

 

「……余裕、ぶってるから、っ、あ、っ……」

 

 明は大きく息を吐き、立ち上がる気力もない。先程までは戦闘の真っただ中で痛覚がマヒしていたのか、今更痛みが強くなっていた。左足が脛から膝の上まで食い荒らされて血まみれになり、目も当てられない。

 だがそれよりも金棒で腹を殴られたことの方が大事で、地面の上で胎児のように丸くなった。

 

 怪我もあるが、其れとは別に体が熱病にかかったように重いのは別の理由がある。セイバーに供給する魔力をとっておくために、この山に充満する魔力をとりいれて魔術を行使したのだ。魔力は魔力でも、この山に渦巻くものは瘴気。

 取り入れれば取り入れるだけ術者に害を成す。だが、軟な魔術回路を持ち合わせていない明は、その選択肢を拒否しなかった。

 

 幸い回路が一時的にショートするような事態には陥っていない。まだ魔術は使える。セイバーへ与える魔力にも滞りはない。足がボロボロだが、この程度は魔術刻印が勝手に修復しにかかるだろう。

 

 この程度、傷のうちには入るまいと明は自分自身を叱咤し無理に立ち上がった。肉体強化を続ければ歩くことくらいはできる。

 治療については血止めは行ったが、残りは全てが終わってからにすることにした。移動もまだ魔術で強制的に体を動かさねばならないし、それにセイバーはまだ戦っている。

 

 とにかく、セイバーの様子を見に行かなければならない。もう明には戦えるだけの体力はない。幸い、投げたナイフの場所は礼装故に場所くらいはわかる。ここから上に登って行けば、セイバー達が戦っている場所にたどり着くだろう。

 

 パスから察するに、今の所セイバーは大ダメージを負ってはいないようである。ひとまず明は安心した。

 

(そういや、アインツベルンのマスターは……?)

 

 キリエは茨木童子に明の相手を命じてから何もしていない。自分が殺すまでもなく彼のサーヴァントの眷属に任せればいいと思っていたのだろう。小聖杯であるキリエの魔術は、「結果そのもの」を引き寄せるものと聞いている。今の自分で太刀打ちできるとはとても思えない――が、その姿はどこにあるのか。

 

 マスターはマスターの気配を感じるが、彼女がこの山にいることしかわからない。

 

 キャスターを倒すには、膨大な魔力による回復が追い付かないほどに一瞬で即死にいたらしめるか、魔力を漏らさぬようにしている結界を壊したうえでキャスターを倒すかだ。前者はキャスターの伝説――首だけになっても戦った――の話からすれば、かなり難しい。

 

 そして後者は、この山に設置された陣地用の基点の半分以上を破壊しなければならないが、セイバーの宝具なら一度に壊すことも可能だ。

 

 だが、いまのキャスターと戦うセイバーにその宝具を放つだけの時間を確保できるのか。そしてもしキャスターが消えていなかった時、対抗する魔力は残っているのか。

 

「戦闘続行」のスキルを持ちうるキャスターが、そのまま消えるとは思えない。そして一成とアサシンたちの戦況はどうなっているのか。

 

「ここで考えてても仕方ないな……」

 

 一息ついて、明は木につかまって歩き始めた。もう厄介な何かが出てこないことを祈りながら、セイバーの元に戻るべく再び山を登り始めた。

 




黒刃影像

明の魔術礼装。明の影の分体。簡単に言えば思うように飛ぶ刃。ただし操り方は視覚に頼っているから、複雑な挙動は視界の良い場所でないと難しい。単に手元に戻すだけなら視界がなくても可能。
動力源は明の魔力の為、ためられた魔力が尽きればただのナイフに戻る。碓氷は宝石魔術のような力の流動を特性とせず、むしろ分解の特性であるために貯められて精々一時間程度。魔力がある間は影の分体でもあるため、ナイフから魔術を放つこともできる。

※明の詠唱、実はもう少し長いんだけど全部書くのはさすがに面倒だったので省略
そのうちどこかに全文載せます。

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