クマソタケルを下し、返す刀でイズモタケルまでだまし討ちにした小碓命、日本武尊は意気揚々と天皇に復命した。
「きっと父帝は褒めてくださるだろう」と期待に胸を膨らまして大和に帰った彼を待っていたのは――「東方十二国の荒ぶる神、まつろわぬ者どもを平定せよ」という新たな命だった。
お褒めの言葉もなく労いの一言さえもなく与えられた新たな命令に、日本武尊は首を傾げた。報告を申し上げたときも、父帝は全くお喜びの顔を見せなかった。
しかも復命したばかりにも関わらず、「東方十二国を全て平らげる」など、何年かかるか分からない命令を下された。
それでも日本武尊は父帝を疑わなかった。クマソタケルの討伐を遂げて、至難の任務を任せられるほどの者だと判断されたから、自分にお命じになられたのだと信じた。
しかしその思いはすぐに破られた。至難の命令の為に日本武尊に遣わされた軍勢――最早軍勢と呼べるほどではなかったが――は
それでも帝の命は帝の命。日本武尊は少ない軍を引きつれて大和を旅立った。出発前、この旅の成功を祈るため、彼らは伊勢の神宮に参った。
そこにはかつてクマソタケル討伐の際に衣装を貸し与えてくれた巫女である、叔母の倭姫命がいる。
天照大神をまつる社の石段で、旅の別れを惜しんで、日本武尊は倭姫命と暫し談笑をしていた。ふと、話が途切れた。
森に囲まれた宮の緑から、突き抜けるように青い空が広がっていた。ここを離れれば、二度と故郷に帰ってこれるかわからない。頬を撫でる風も、土の匂いも、空を渡る鳥も、東の果てでは別物だろう。そうして、二度と見ることも、嗅ぐことも、聞くことも、触れることもないのかもしれない。
「叔母様」
「何でしょう」
「―――父帝は俺が死ねばいいと思っているのではないでしょうか」
東の十二国全てを、数えるほどの僅かな軍で従えよ。それはもう過酷といえる程度をはるかに超えて、要するに――死ね、と言うことに等しい。
そう、父帝は、日本武尊に死ねと仰せになったのだ。
英雄と呼ばれる者が、人には成せぬことを成し遂げる者たちであっても、彼らは死なぬ神ではない。どんなことでも可能にする存在ではない。
冷たい風が吹き抜けた。
その可能性に思い至った時、日本武尊は正直、どうすればいいかわからなかった。ただ、体の中心に穴が開いて、血ではないがそれに等しい何かが流れ出ていくような、そういう気持ちになった。
この空虚をどう埋めるのか彼には見当がつかず、さらに自分が父帝に疎まれる理由もわからなかった。兄の事を不快にお思いになってたと推しはかり、兄を殺し、命じられた通りクマソを討伐し返す刀でイズモをも討ち取った。
――何が悪かったのか、わからない。それ故に彼は叔母に心から問うたのだ。
「叔母様、俺は何かを間違えましたか」
原因があるのなら直せばいい。日本武尊としては至極まっとうな気持ちで、答えを求めていた。叔母は、直ぐにはその問いに応えず、代わりに一振りの剣を差し出した。
深い黒に沈み蛇行する剣。玲瓏として光る青銅に縁どられた神威の剣と小さな袋に入った石を彼に授けた。
倭姫命は神宮の巫女で神に仕える身。神託により何らかの未来を知ろうと、言えぬことは多い。しかし遠き旅に出る甥を思い、彼女ははっきりと口にした。
「あなたは、人の心がわかっておりません」
「……人の、心」
叔母の言うことを、その時の日本武尊は理解できなかった。そんなことを考えたことさえもなかった彼は、何と返事をするべきが迷い、結局叔母の言葉を待った。
その親愛なる叔母は、はっきりとした言葉を放ったが、その口調は暖かさに満ちたものだった。
「それは、これから知ればよいことです。幸いにも旅は、一人ではありませんから」
森閑とした神宮を後にする。僅かな仲間と共に、ついに旅は始まってしまったのだ。
もう一番初めの願い――父帝が喜ぶ、という願いは叶わない。
だが、透明な空を見上げながら、常に日本武尊は考えていた。
自分は何かを間違えた咎でこの旅路についている。しかし、自分についてくる仲間は、いったい何の咎を犯したのだろうか?
いや、何も犯していない。
そうであるならば、彼らがこの旅で命を落とすことはおかしい。
――帰るのならば、全員でこの大和に帰ろう。
そのためにはどうすればいい。わかりきったことで、方法は一つ。
立ちはだかる全ての敵をなぎ倒し、この東征を完遂することだ。
それこそ日本武尊が本当に「日本武尊」であれば、成し得るに違いない。
それに――父帝が自分を疎んでいても、父帝が大和を愛していることには変わらない。
「絶対に成し遂げられない。失敗して死ぬ」と思われていても、大和の敵を滅ぼすこと自体は、父帝にとって喜ばしいことには違いない。
ゆえに、己が最強となる意味がまだあると、彼は信じた。
*
前日たっぷり寝たことが功を奏したのか、明はこの朝は朝八時半に起床していた。今日こそは大西山のキャスター陣営へ殴り込みに行く日だ。これ以上延ばすことはマイナスしかない。
頭を振って夢の残滓を振り払う。矢張り、冷呪一画分の効力で結びつきを強めてしまった代償で明だけ意識をカットしても無駄だった。セイバーの過去を見てしまう。
一度セイバーにも意識のカットを勧めたが「意識のカット……?」とぽかんとした顔をさせてしまったため諦めた。
「人の気持ちがわからない、ね」
セイバーは人の気持ちが全く分からないわけでもなく、全く空気が読めないわけでもない。自分の言動のせいで「何かがおかしくなった」ことはわかっている。だが「何故その言動がよくなかったのか」がわからない。
そしてその「何故」を理解できるようになったかは、今のセイバーを見れば火を見るよりも明らかだった。倭姫命が見たかもしれない未来の可能性の一つへは、至らなかったのだろう。
明は再び頭を振って、部屋の窓から空を見た。いくつかの千切れ雲が浮かんでいたが概ね晴れており、点けたテレビの予報は、雲は増えるが雨にはならないと告げていた。
(――とりあえず雨は降らなそうだなぁ……ん?)
その時、部屋の窓に何かが当たる音が聞こえた。そちらに目をやれば、何か黒い物体が体当たりをしていた。よくよく見れば、それは教会からの使い魔である。
すっかり定例の報告を忘れていたことを思い出した明は、窓を少し開けて使い魔を入れた。
教会との協力関係はまだ続いていることになっており、神秘の漏えいに気を配る彼らとしては明の動向を気にしているのだ。
だが、サーヴァントはあと五騎だが残ったマスターは実質明、一成、アインツベルン(三体使役)の三人である。そして、その三人は誰も一般人を食い物するつもりも、神秘を他に漏らす気もないと考えられる。
アインツベルンは生粋の魔術師の家系だ。それが神秘の漏えいを成すとは考えにくく、キャスターというサーヴァントで大西山の陣地で戦う気だ。そして明たちに二騎のサーヴァントがいる。
つまり、明はもう「意図的な神秘の漏えい」の危険はほぼないと思っている。
だが、何が起こるかわからないのが聖杯戦争である。このまま丸く終わるとはとても思えない。
『……七代目か。探したぞ』
思った通りこちらを探していようで、神父は前置きなしにそんなことを使い魔越しに言った。
「……すっかり忘れてた。連絡してなくてごめんなさい」
『キャスターの三騎同時使役を受けての行動だろう。碓氷邸がお前の要塞とはいえ、サーヴァント三騎の強襲を受けて耐えきれるとは考えにくい』
「うん。とりあえずキャスターを倒すまではここにいる」
そして明はガンナー……アサシンのサーヴァントと協力関係を結んでいることを伝えた。
同時にマスターが一成となり、元マスターがキャスターの呪いにかかっていることも。神父は驚いて一度息をのんだように黙ったが、すぐに落ち着いたいつもの声に戻った。
『いつの間にそんなことになった』
「……流れに身を任せてたらそんなことに……。とにかく、今日、キャスターを倒しに行くよ」
悟の体の事もある。さらにキャスターは時が経てば経つほど強くなる。このまま長々と放置しておけない。
『大西山か。気づいていると思うが明、大西山には極大の結界が張られている』
昨夜、明はアサシンと一成に偵察を頼んだ。その結果、大西山は予想を超えた人外魔境と化していたことがわかった。大西山には濃い魔力が充満し、妖怪魑魅魍魎の類がうろついている魔物の巣窟と化していた。
推定している真名では彼女はキャスターというよりバーサーカーだが、キャスターで呼ばれた故に生前の同類を召喚する宝具を持っていることが考えられた。
アサシンと一成によれば、結界そのものは大西山を包む大規模なものではあるが、主な機能は外敵の侵入を知らせると同時に山を一般人の目から覆い隠すことであった。結界は本来外と内を区切るものであり、それ自体は無害である。問題はその中でなにをするかであるが、調べた結果としては、明たちが内部に入ったからと言って害を受ける者ではなさそうだ。
残念ながら結界を維持する基点の詳しい場所はつかめなかったそうだ。ただ機能を考えれば、今に至りそれを破壊するだけの意味はないと思われる。
(……大きな結界は、本当にそのためだけにあるのかな)
サーヴァント三騎を同時使役し、かつキャスターは宝具を使っているという。キリエが並外れたマスターだとしても、そこまで自分の魔力でカバーしようとするのだろうか。そこは一級の霊地である大西山に溜まる霊気を活用しているのかもしれない。
大西山は標高四百メートルの山で、一時間半くらいで頂上まで登れる低山である。登山口までは春日駅から車で一時間。だが、周囲は鬱蒼とした森で覆われていて、あまり人の立ち入りが多い地域ではない。
迷った児童が返ってこない、幽霊が出る――原因のわからない事故が多発する、いわくつきの心霊スポット。
霊地としては抜群だが、霊気が濃すぎて逆に魔術行使がうまくいかない場合があるほどのいわくつきである。碓氷は二代目から春日に居を移したが、あえて屋敷を立てるのに大西山周辺を避けたのはこれが理由だ。
別の考えに耽ってしまったが、明は神父の声で我を取り戻す。
『七代目、アサシンを加えたとはいえ勝算はあるのか』
「……ない勝負はしないよ」
膨大な魔力と三騎のサーヴァントを使役するアインツベルンのマスターと、魔術師二人に二騎のサーヴァント。厳しい戦いになることは目に見えている。
『……そういうと思った。では、健闘を祈る。これからも私から使い魔を飛ばす』
落下防止用にわずかしか開かぬ窓の隙間に体を滑り込ませた使い魔が、すっと冬の空の下へと戻り、明の視界から消えた。そのまま窓から外を見れば、清々しく晴れ渡った青空の下に、駅前のビル群が天を衝くように立ち並んでいた。
明はそのままセイバーが使用していたベッドの上に倒れこみ、ごろごろと寝返りを打った。
本当にキャスター・アーチャー(とランサー)に勝てるのだろうか。いや、勝てるかどうかの問題ではない、バーサーカーの時もそうであったが、明は此度の戦いを勝たなければならないのだ。
「……仕方ない、やるしかないしね」
気合を入れて再び起き上がった時に、丁度部屋に戻ってきたのはセイバーだった。
「明、起きたか。食事の時間だ」
「他陣営を皆殺しにする」とのたまわっていたサーヴァントは最高に気の抜けることを言った。
「なんだその顔は」
「いや、すっかり腹ペコ皇子になってしまったなぁと……」
最初の頃は、セイバーはむしろ「サーヴァントに食事は不要」派だったはずだ。そして作るから食べるか、と明が聞いたときには「作ってくれるならばたべる」くらいだったような気がする。それがいつしか「キャスターがランサーを襲った」という教会の知らせに明たちが驚いていた時に、一人黙々と土御門作の夕食を食べるサーヴァントになっていた。
しかし発端は召喚の次の日に明がうなぎを奢ったことであり、そして共に食事をするように勧めたのも明である。いつの間にかセイバーを食道楽に目覚めさせてしまったらしい。
そして当の本人は珍しく口をとがらせていた。
「サーヴァントは食事を要さないが、魔力補充にはなる。また食事の時間と言った件だが、食事は基本定刻通りにすべきだ。しかし戦時においては定刻に拘らずできるときにしておくべきだ。これでも俺は皇子であったから、あまりなかったがそれでも天候等で思うように進めず野営を行うこともあった。その際下賤な賊の襲撃で一日の数少ない楽しみでもある七掬脛の夕餉ディナータイムを台無しにされたこともある――つまりだ、食事の定刻に必ずしも食事をとれるとは限らないのだから食べられるときに食べておかねばならないのだ。しかし現状況を鑑みるに、キャスターは山に引きこもっており襲撃に会う可能性は低い。とすれば定刻通りの食事をとり有事に備え精をつけておかねばらない――そういうわけで俺はお前が起きたことを見計らい声をかけたのであり、常に飢えているわけではない」
明は黙った。何かセイバーの妙なスイッチを押してしまったらしい。というか、若干怖い。というか「一日の数少ない楽しみでもある七掬脛の夕餉ディナータイム」て。というか、その下賤な賊さんたちは大丈夫だったのだろうか。命的な意味で。聞かずとも今までのセイバーの行状を振り返ってみれば、予想はつく。明は静かに冥福を祈った。
「……何か失礼なことを考えていないか?」
「いやセイバーがその下賤な賊さんたちを分割した末にフカのエサにしたんだろうなってこと考えてないよ」
「何を馬鹿な。そんな者の肉を食わされるフカの身にもなってみろ」
「フカのエサにした」以外は否定しないところが実にセイバーである。ウッカリ明が「腹ペコ皇子」と言ったことがお気に召さないのか、いまだに文句ありげだ。
「はいはい、わかったから拗ねないでよ」
「む、拗ねてなどいない」
妙な話をしてしまったが、明も食事をとることに異論はない。セイバーはどこから見つけたのか、後ろ手にデリバリーピザのチラシをチラつかせており、何を食べたいかは割と明白だった。明がそちらに話を変えようとしたが、それより少し窓があいていることを見つけたセイバーの方が早く問いを口にした。
「寒いのに窓を開けて、何かしていたのか?」
「あ、これ。神父に使い魔で連絡をしてた」
「……ああ」
セイバーはふうんというと、何か思うところありげに明を見る。「マスターとあの神父はどういう関係だ」
とりあえず愉快な関係ではないことだけは確かである。明はどう説明すべきか首を捻った。
「どういう関係って、うーん……。私っていうよりは、お父様と御雄神父が知り合いって言うか。教会と協会は一応今は相互不可侵で、かつ「神秘を一般に秘匿する」っていう点では目的が被ることもあるから、管理者である碓氷とは何かと懇意なんだよ」
「つまり、あの神父はマスターの幼い頃からの馴染みというわけか」
「でもあくまで業務上って感じ。何故かお父様とは妙に気が合ってるみたいだけど、私にとっては気安くはないかなぁ。気安い、って意味では美琴の方だね、歳も近いし」
むしろ神父との付き合いは、養女である美琴より明の方が長い。抑々美琴が養女になり春日教会に住むようになったのは十年前である。どういういきさつで養子縁組の運びとなったのか明は知らないが、美琴と御雄の二人の仲は円満である。
美琴は権謀術数渦巻く魔術協会に愛想を尽かし、魔術を断念した。彼女の家は五代の歴史を持つ魔導の家だったが、ある時――一族が一同に霊地へ出かけた際に、列車の横転事故に巻き込まれことごとく一族は死んだ。
唯一生き残った美琴は、これを機会に嫌気の差していた魔導から離れた。彼女は同じくかつて魔術教会に属していたものの、聖堂教会に転身し、第八秘蹟会に身を置く神内御雄神父を頼ったとの話がある。
神父も元魔術師であり、何か力になってくれると感じたのか。
「何か気になる事でもあるの?」
そういえばセイバーは根拠はないが神父の事を良く思っていない。しかし、彼は首を振った。それで話も終わり、ようやくセイバー待望のデリバリーピザの話となった。
*
今更出会ったところで、アーチャーと一成は元の通り主従に戻るわけではない。既にアサシンという刀を得た一成と、キリエと言う依り代を得たアーチャーは戦うのみだ。
それでも、一成にはアーチャーに再び会わなければならない。
――アーチャーは言った。
「私は、聖杯に問うためだけにここにいる。――真なる幸福とは、何であるかと」
アーチャー――いや、この世の栄華を極めた男の考えていることなど、若造の一成にはわからない。彼が何に悩み、思い煩った苦しみなどわかりはしない。
だが、これほどつまらない問いはないと、一成は思う。本当の幸福、絶対の幸せなどない。多くの人々が幸せだと感じる事象はあるだろう。
例えば「大金持ちになる」「天寿を全うする」――だが、これだって万人に共通の望みかと言われれば違う。幸せの形など、人によって全く違う。
人が喜ぶのを幸せと感じる人間がいる反面、人の不幸を愉悦とする人間だっているかもしれない。それだけでも幸せの定型を求めることが無意味かわかる。
そんなことを悟の隣のベッドに寝転がって考えていると、上からいきなり黒雨合羽の大男に覗きこまれた。アサシンだ。「ギャア!!」
「どうした坊ちゃん」
「お前がいきなり覗きこんでくるからだ!」
明かセイバーを交えてアサシンと話したことはあるが、二人だけで話したことはほとんどないと一成は気づいた。あの時は戦うための刀が必要で、藁にもすがる思いで契約をしたが、アサシン――石川五右衛門はどのようなサーヴァントなのだろうか。
元マスターの為に真名まで明らかにして助けを求めてきたサーヴァント。その時点で一成自身はかなり好感を持っているのだが。
「そういや、お前ってなんで俺の事坊ちゃんて呼ぶんだよ」
「なんとなくいいところの坊ちゃんで世間知らずみてーだったから」
「ぐっ」
歯に衣着せる気ゼロのアサシンだが、それが強ち外れていないから質が悪い。土御門家は地元では名家の扱いで、はたから見れば一成は「箱入り息子」である。高校進学時に一人暮らしを始めたばかりの頃、同級生に「ぷれいすてーしょんって何だ?駅で遊べるのか」と聞いて大笑いされたのは今でも恥ずかしい思い出である。
そして魔術師的にも一成は、土御門以外の魔術師と会いまみえることはこの聖杯戦争が初めてである。
「お前さんウソつけねぇやつだな」
「知ってる!悪かったな、いろいろ残念な新マスターで!」
アーチャー召喚後にも残念な力量を即刻指摘された一成である。流石に明の魔術や真凍の魔術を見て、多少は自分の未熟さを知ったつもりだ。
「ん?別にそんなこたぁ言ってねーだろ」
「え?」
「魔術師としての力量はしらねーよ。だが腕を元サーヴァントに持っていかれても気力が萎えてねェ。戦う気力が十分ってのは気に入った」
腕を組んで口角を吊り上げるアサシンは、満足げな様子で一成を見下ろしている。思ってもみなかった好反応に、一成は思わず口元を緩める。
「アサシン」
「それにな、俺は弱きを助け強きを挫くんだぜ?味方は弱い方がテンションあがるんだよ。応援するのはタイガースだ」
「あ、そ」
途中まですごくいい感じの空気だったが、アサシンのいらない一言で色々ぶち壊しにされた。しかし今に始まったことでもないと思い直した時、一成はとあることを思いだした。
五日ほど前に学校へ行った際に、先生に「二週間土御門一成は用事で欠席するという連絡を受けた」という暗示をかけなおした。
しかし一成の暗示のへっぽこぶりは既に証明されている。とはいえ、もう両親は一成が戦争に参加していることを知っている。
もし連絡が行っても、事情を察して口裏を合わせてくれるとは思う。だが、あまり煩わせたくない。一成の携帯に何の連絡もない為おそらく暗示はまだ効いていると思われるが、前科が前科だけに少し不安だ。
その時、丁度明とセイバーがノックをしてきた。中に入れると、明はチラシを手にしていた。
「土御門、アサシン、ピザ頼もうかと思うんだけど、なんか食べる?」
朝九時という食事には妙な時間だが、朝の早くない明は今から食事をとるらしい。そしてピザ屋にしては早い開店時間だが、チラシには確かに九時から営業とあった。
「おっ酒のつまみにうまそーじゃねーか。姉ちゃんのおごりか!!」
アサシンは悟が寝ているベッドを飛び越えて明たちに近づいた。明は反応の悪い一成に首を傾げた。「土御門お腹すいてない?」
「いや腹は減ってるけど、ちょっと気になることがあって」
一成は暗示の件を明とセイバー、アサシンに話した。
すると、明は斜め上の返事を返してきた。
「私がちょっと行ってきつく暗示かけてこようか。土御門の生徒手帳チラ見したけど埋火高校でしょ?近いし」
一成の通う私立埋火高校は駅の南口から徒歩十五分の位置にある。このホテルからも距離は遠くない。偏差値は六十三前後で、一成の頭では入れないところであったのだが入試がマークシート方式によるハイパーラッキーで合格したのである。
何故志望したかといえば、ある程度両親と祖父が学校を絞った中にあり、かつ高校名鑑で見られる「最も学食がおいしい高校ベスト三」に入る学校だからだ。
「学校の場所知ってるし、ちょっと散歩がてらいくよ。ん?そうするとわざわざ配達してもらうより取りに行った方がいいのかな。これ、取りに来るなら一枚サービスってあるし。そうしよう」
明は一人でよしよしと頷き、ピザ屋のチラシを一成に渡した。「土御門とアサシンも好きなの選んで電話して。帰り際に取ってくるからさ」
「昼間とはいえマスターを一人で出歩かせるわけにはいかない。俺も行く」
マスターを護るべく当然セイバーも追行する。ふと、外に出る前に明が振り返った。
「土御門、その手、ちゃんと動いてる?」
今日の夜には戦いに赴く。にも拘らず片手が満足に動かなくては支障をきたす――ゆえに確認の為に明は尋ねたのだ。一成の義手の動きは着けた日よりはずっと良くなっており、戦闘に支障はないはずだ。
「おう、大丈夫だぜ」
「それならよかった」
一成の返事を確認すると、今度こそ明は部屋から出た。ジャケットに半ズボンのセイバーもそれについていった。一成は隣で眠る悟を起こさないようにアサシンにピザの説明をして、あれやこれやと食べたいものを絞ってからやっと電話をかけた。
その間に一成のベッドはアサシンに占領されて、彼は派手にゴロゴロしていた。アーチャーもそうだがアサシンの図々しさもかなりのものがある。
「……ん?」
「どーした。腹でも下したか」
「なんでだよ!や、俺そういや二騎のサーヴァントのマスターやってんだなって思ったんだけど、セイバーってお前のこと結構好きなのかと思った」
「ハァ?」
褞袍から耳かきを取り出して耳糞をほじくりつつ、アサシンはそれはないわと言外に言った。だが、一成から見ればそうなのである。アーチャーと共にセイバーに碓氷邸にて相対した時、セイバーの態度はかなりとげとげしかった。
そしてバーサーカー戦後、一成が目を覚ました後のセイバーの対応を思い出せば、アサシン陣営へのあたりはかなり軟らかい。
「そんなんタイミングのせいだろ。あっちだって三対一なんてやりたくねーだろうし、多少の危険はあっても手を組んだ方がいいって思ってんだろ。現に「三対一は流石に骨が折れる」つってたしな」
「……俺的にはセイバーがそんなことを言ったこと自体が驚きなんだけど」
あのセイバーは弱音とまではいかないまでも、会ったばかりの敵サーヴァントにそんなことを言うとは俄かに考えにくい。何かアサシンに感じ入る事でもあったのかと考えたが、一成からみては心当たりがない。
「俺的にはあんまり仲良くしたくない部類だけどな、皇子サマは」
「そーなのか?」
「そもそも俺は権力とか権威の類がでぇっ嫌いなんだ。今一つ鼻持ちならねェ……まあそういう意味ではお前のアーチャーは最悪だな。半径百メートル以内に近寄りたくねぇし同じ空気を吸いたくネェ」
良く考えなくてもアサシンのいうことはもっともで、権力と富の塊であるアーチャーと庶民の反抗を仮託されたアサシンで相性の良いはずもない。
それ以上話すこともなく、二人してなんとなくダラダラしているうちに部屋の扉が開かれた。予想したとおり、ピザを持って戻ってきた明とセイバーだった。
「ただいま。暗示はばっちりかけてきたよ。食べよ」
流石というべきかつつがなく暗示は完了したらしい。注文したピザをホテルの部屋でセイバー、アサシン、一成、明で食べながら、明が土産話を始めた。話を聞くに学校では「一成が幼女をたぶらかしている」といううわさが蔓延していて恐ろしいことになっているらしい。
一成が一人顔を蒼くしたり白くしたりしている脇で、明は感心したように言った。
「結構土御門って顔広いんだね」
「?そうか?」
「いや、土御門の知り合いを装ったんだけど、学校の人に話しかけたり話しかけたりした時に土御門っていうと大体ああ、って顔されたから。特に先生とか苦笑いしたりしてた」
運動部の助っ人をしたりいけ好かない上級生とケンカをしてしまったり、一人暮らしをいいことに同級生が家に入り浸ったりするなど騒々しい生活をしている自覚はあるが、顔が広いかは一成自身ではわからない。
「人気者っていうよりは問題児って感じだったけど、うん、高校生っぽくていいねぇ」
「?お前も高校生やってたろ」
「まあ、やってたけどね」
妙に他人事のように、かつにこにこしてる明に違和感を覚えたがそれは些細なものだ。一成はアサシンとセイバーに食べつくされる前に、テリヤキチキンのピザを取った。