今回は登場人物の感情や性格に原作と差異があります。
まあ、いまさらですが・・・
剣道場にて二人の剣士が正対している。二者の間には張り詰めた空気が流れており、その空間だけが切り取られた一枚の風景としてそこにあった。
両者はお互いに竹刀の切っ先を向け合いながら一歩も動こうとしない。あたかもそれは先に動いたほうが斬られるとでも言うように…
だがそれも長くは続かなかった。極限まで高められた緊張感に当てられたのか、それとも肌に刺すほどの相手からの殺気に当てられたのか、片方の剣士が左足を床から離すと、一気に相手との間合いをつぶす。
「めええええええええええええええんッッ!!!」
強靭な脚力から繰り出された踏み込みは、いとも簡単に相手との距離を縮め、気勢の乗った叫びによって必殺の一撃となる。しかし、乾坤一擲の面打ちは最小限の動きでかわされ、勢いに乗った踏み足には慣性の法則によって全体重がかかる。そしてそれは、体勢の崩れ、すなわち決定的な隙となった。
乾いた打撃音が道場に響く。
「ありがとうございました、フミ先生。やはり先生はお強い。」
面を外し、深々と礼をすると篠ノ之箒は対戦相手にそう告げた。相手も面を外すと箒に笑いかける。
「こちらこそ、箒ちゃん。さすが全中優勝者。見違えるくらい腕を上げたわね。私が超えられるのもそう遠くないんじゃないかしら。」
「そんな、まだまだ先生にはとても及びません。」
箒が恐縮する相手は彼女の父である篠ノ之龍韻の兄弟子に当たる人の道場で師範代を務めているフミだ。ISが世に出る前は箒も他の弟子と共に父に連れられこの道場、『吾妻心聖館』によく出稽古に赴いていたものだ。だがそれも、姉がISを完成させ家族が離れ離れになるまでの話しだった。
「でも箒ちゃんが今日来てくれて本当によかった。あの事件以来道場に来る人はめっきり減っちゃって、昔に比べたらずいぶんと寂しくなってたから…」
「…その、吾妻先生のことはなんと言ってよいか…」
「あ、ごめんなさい。箒ちゃんに聞かせるような話じゃなかったわね。」
「いえ、そんな!」
「…本当にごめんなさいね。でも大丈夫よ。今でも何とか道場は維持できてるし、もうすぐ俊一君も帰って来るんだし。」
「そう…ですね…」
箒はフミの胸中を思う。今日箒がこの道場を訪れたのは出稽古にて自己鍛錬に勤めることのほか、女流剣士として自分が尊敬する人が、今どうしているか確かめるためでもあった。剣聖と慕われた武人を失いながらも彼の残した道場を守り続ける彼女の噂は箒も聞いていた。
強い意志を持って大切なものを守り続ける彼女の真意を箒は知りたかったのだ。そして、自分が抱える悩みも・・・
「何か悩み事でもあるの?箒ちゃん。」
「なっ!」
正座したまま俯いていた箒の顔をフミは覗き込み、箒は思わず身を反らしてしまう。
「さっき試合をしてたときも剣に迷いが、というよりも焦りがあったような気がしたから。」
「そ、その、私にはそんな悩みは・・・」
「ないの?」
「…いえ。あります。」
そういって箒は視線を再び床板に向ける。
「フミ先生。他人の力で強くなることは間違っているでしょうか?」
普段の箒からすればひどくギャップのある弱弱しい声音で彼女は問うた。
ここ数日、箒は葛藤の中にあった。中学時代、家族や幼馴染と離れ離れになり、名前を伏せ全国を点々とする生活を強いられていた箒は、そのストレスを剣道に向けていた。そこまでならばまだよかっただろう。溜め込んだストレスを運動や趣味で発散するのはよくある話だ。しかし彼女は剣道において相手をたたき伏せ、跪かせることに爽快感を得ていた。彼女自身がそれに気づいたのは中学最後の剣道大会で圧勝し、いつものように満足感を得ていたところで泣き崩れる相手選手を目にしたときだ。
その瞬間、箒は自分が剣道家として道を誤りそうになっていたのに気がついた。そして自身の行いを悔やんだ。剣の道とは剣術を高めることではなく、心を強くすることを本懐とする。尊敬する父の教えを忘れ、ただただ相手を叩きのめすことを主眼とする剣をしていたと。
だからこそ箒は2度と道を誤らないと心に誓い、誰かの力になる為の剣を振るうと心に決めたのだ。そして、一夏と再び共にいられると知ったとき思ったのだ。自分の剣で一夏を強くしてやろうと…
だが箒の思いはことごとく空回りしてしまっていた。クラス代表を決める試合において箒は一夏のコーチに志願したが結果は一夏の敗戦。クラス対抗戦の時には何もできなかったばかりか、乱入してきたISを前に軽率な行動をしてしまい自分ばかりか他の生徒たちにも危害を与えるところであった。そして先日のタッグトーナメントでも箒は何もできず、一夏とシャルロットの活躍を隅っこで見ているしかなかった。
そうしている間に一夏はメキメキと力をつけ、それに伴い彼の周りには彼に好意を抱く女生徒が増えていっていた。まるで、箒の力など端から必要ではなかったかのように…
一夏の中でだんだんと自分の存在が小さくなっているような気がしてきた箒は、いてもたってもいられず長年連絡を絶ってきた姉に連絡を入れた。そして頼んだ。自分だけの力が欲しいと。
「私は浅ましくも、あの人の力を借りて自分のために力を得ようとしています。それが父の教えに背き、剣の道に外れることはわかっています。でも嫌なんです!また、一夏が私の前からいなくなるのは・・・」
気がつけば目には涙が溜まっていた。このような醜態、とてもではないが学園の者たちには見せられないなと思いながらも、箒はふみの前で己の心内を吐露するのをやめられなかった。ふみはそんな箒に微笑を向けつつ、黙って話を聞いていた。
やがて箒が溜め込んでいたものを吐き出しつくし、赤くなった目をこするとフミがゆっくりと口を開いた。
「箒ちゃん、人を斬ったとして悪いのは剣かしら?それともそれを振るった人かしら?」
「え?それはもちろん振るった人間に決まって…」
「じゃあ剣とISの違いは何?どちらも人に戦う力を与えるもの。端的にいえば道具よ。道具を手にすることは悪くない。肝心なのはそれをどう使うかよ。」
「ですが私はISを自分のために…」
「それが理解できてるなら箒ちゃんはISを悪いことに使ったりしないわ。それに、あなたにISを送ったのはあの篠ノ之束博士よ。あの子は突飛な事もするけど、妹がつらい目に会うようなことはしないから。」
そう諭されるが箒の胸中はいまいち晴れなかった。確かにあの人は近しい者には無尽蔵の愛情を向けるが、それ以外にはまったくの無関心を貫く。また、箒自身は彼女から与えられる力をうまく使えるか、不安は尽きなかった。
そうしていると道場の入り口がにわかに騒がしくなる。
「勘弁してくださいよ先輩。今日は彼女とデートの約束をしてたんですから。」
「お前そんなこと言ってこの前も俺の誘いを断りやがっただろうが。定期訓練も近いんだし、今日はびしばし鍛えてやるからな。」
しばらくすると、箒とフミの前に二人の男性が姿を現した。二人は神棚に向かって頭を下げると道場に入ってくる。
「お疲れ様です!久しぶりに稽古に来ました!」
「あら、お久しぶりですね。今日は後輩の方も一緒なんですね。」
「ええ、偶には鍛えてやらねえとこいつすぐサボりますから。ん?」
フミと話していた男性は箒に気がつくと彼女に向かって近づいてくる。少々人見知りの気がある箒は僅かに身構えた。
「な、何でしょうか?」
「嬢ちゃんもしかして、篠ノ之先生のところのお嬢ちゃんか?」
「え?」
突然父の名を出され箒は困惑する。するとフミが傍に来て箒に耳打ちをする。
「昔よく稽古に来ていた警視庁の刑事さんよ。箒ちゃん、覚えてない?」
そういわれ、箒は正面に立つ男の顔をよく見る。そして、はっとしたように声を上げる。
「もしかして、伊丹さんですか?」
箒の声を聞いて男は強面の顔をにんまりと笑みを浮かべる。
「おう。本当に久しぶりだな。篠ノ之の嬢ちゃん。」
篠ノ之箒と伊丹憲一、およそ7年ぶりの邂逅だった。
「しかしまあ、あん時の餓鬼がもう高校生になるのか。時が流れるのは早いもんだ。」
「その…伊丹さんは今も警察で?」
「まあな。相も変わらず地べた這いずり回って探し物の毎日だな。」
口では悪態をつくがあまり嫌そうな感じではない。思っている事と逆の事を口にする姿は7年前と変わらず、箒は懐かしさを感じる。
二人は現在、道場の隅に座り伊丹の後輩の芹沢がフミによってしごかれている様子を眺めている。しばらくの間、黙って芹沢とフミの稽古を見ていた伊丹が唐突に口を開く。
「篠ノ之先生は元気か?」
「父は、その…今離れて暮らしてまして、どんな様子なのかは…」
「…そうか、悪い事を聞いたな。」
事情を察し伊丹が黙る。すると再び二人の間に無言が流れる。道場には芹沢の悲鳴が響いているが、二人にはそれが聞こえていないかのように無反応だ。時折箒が何か話しかけようとして伊丹のほうにチラチラと視線を向けるが、彼女が声をかけるよりも早くまた伊丹の口が開く。
「なんつうか、偉大な剣士が最近はめっきり名前を聞かなくなったもんだ。そうだ織斑姉弟はどうしてる?二人ともIS学園にいるんだろ。」
「はい。織斑先生も一夏も元気です。」
「そうか、織斑姉は教師になったんだな。あいつも女の癖して男よりも強かったからな。ISがなきゃ、今頃剣道の女チャンピオンになってただろうに。まあでも、年の離れた弟を抱えて苦労もしてたし、懐具合としてはISのおかげで大分楽になったんだから、これはこれで有りなんだろいうけどな。」
「はい。私も一夏から聞いてます。親に捨てられてから織斑先生には苦労かけっぱなしだって。だから強くなって今度は先生を自分が守りたいとも。」
あのときの一夏お思い出し箒はほんのりと頬を朱に染める。一方で伊丹は怪訝な表情を浮かべていた。
「親に捨てられた?おい、いったい何がどうしてそんな話になってんだ?」
「え?いや、私はそういう風に一夏から聞いていて…」
「あ?あいつがそんなこと言ってるのか。ったく、まあ当事者からすれば捨てられたも同然かも知れねえけどよぉ。」
伊丹は顔を顰めつつもどこか無念そうに言葉を吐き捨てる。その様子に箒は自分と伊丹の認識のずれを感じていた。
「あの、伊丹さん。一夏たちは両親から捨てられたんじゃなかったんですか?」
「…個人的な見解を言うなら、その可能性は低いな。織斑さんたちがいなくなった時、家には現金、通帳、カードなどがそのままの状態で残されていた。つまり、夫妻が別に金銭を用意していない場合、二人は無一文で姿を消したことになる。この時点で織斑さんたちが自分たちから姿を消した線は少なくなったわけだ。」
伊丹の証言に箒は衝撃を受ける。だが考えてみれば納得がいくこともある。現代社会において中学生と小学生にもなっていない子供が二人だけで生活していくことなど不可能に近い。周りの人間からの支援にも限度がある。
だからこそ行政は児童保護の名の下に施設を作っているのだ。だが、一夏たちがそういった施設を利用していたという話を箒は聞いていない。
それはつまり、織斑姉弟は二人っきりで生活し、それができるだけの財産が手元にあったことを意味する。
「それに加え、聞き込みで織斑家の家族仲はよかったという話が聞けたし、失踪直前も夫妻に不審な様子はなかった。だから警察は早い段階で夫妻が事件に巻き込まれた線で捜査をしたんだ。」
「そのことは一夏たちには?」
「まだ小さかった弟にはともかく、姉貴のほうには伝えたよ。同業者だったし子供の交友関係から奥さんの仕事先まで結構調べたんだが、結局何もわからなかった。そうしてるうちに捜査は解散し、織斑夫妻の行方は今もわからない。すでに死亡通知も届いてるはずだ。」
伊丹の話を聞く限り、箒にも子供を捨てたというよりも何かの事件に巻き込まれたように思えてくる。事実、織斑千冬はそう話を聞いてるはずだ。それなのになぜ、千冬は一夏に自分たちは捨てられたなどと教えたのだろう?
箒が悩んでいると、先ほどの伊丹の発言に引っかかりを覚えた。
「あの、伊丹さん。さっき同業者って…」
「うん?ああ、そのことか。言葉のとおりだよ。織斑姉弟の父親の織斑秋歳(おりむら あきとし)は俺たちと同じ、警察官だったんだ。」
フミ先生の苗字がわからん。
『剣聖』は結構好きな話なんですけど。
次回からはこの物語のキーポイントとなる『銀の福音は誰がため』編の開始です。
相変わらず投稿は不定期になりますがよろしくお願いします。