先週の相棒は学園が舞台でしたね。なんというか、この作品的には非常にタイムリーな内容で楽しめました。
今回のエピソードもいよいよ佳境に入ります。勘のいい読者の方なら、事件の真相が見えてきたのではないでしょうか?
曾根崎育江が社会人になったばかりのころ、世は男性のものだった。
東北の田舎町を出て東京にある大学の経済学部を優秀な成績で卒業し、全国でも名の売れた大手出版社に就職した曾根崎には夢があった。就職した出版社が長年にわたり自社の看板商品として売り出していた文芸雑誌、その編集に携わる事である。
入社当初の彼女に上司が与えた仕事はお茶くみとコピーなどであった。それを彼女は新人なら仕方のないことだと割り切って行った。
様子がおかしいと感じ始めたのは入社して3か月が経とうとした頃である。彼女と同時期に入社した男性新人社員たちは先輩たちに連れられて会社が抱える作家たちのところへあいさつ回りをさせられていた。しかし、彼女は相変わらずお茶くみをしていた。
入社して1年がたってもそれは変わらず、同輩たちがそれぞれ担当の作家に付くようになった頃、曾根崎は思い切って直属の上司へ直談判を行った。
自分にも、もっと実のある仕事をさせてください。自分はお茶くみ以外の仕事ができます。
彼女の言葉は切実であった。自分の能力には贔屓目に見ても自信があったし、同輩たちが順調にステップアップしていく様子を眺めるのはとても歯がゆいもので焦る気持ちは自然と湧き上がっていた。だからこそ、無礼であることを承知で上司に対し自分を売り込むような真似をしたのだ。
しかし、その上司は必死な様相の曾根崎に対し、嘲笑するようにただ一言吐き捨てた。
君には期待していない。女に任せられる仕事なんてお茶くみくらいしかないだろ。
上司の言った言葉は曾根崎の心を鋭く、そして深く傷つけた。それが彼女が初めて経験した明確な意思を持った女性差別であった。
その1年後、曾根崎はようやくまともに仕事のできる部署へと転属することが出来たが、その事がより彼女を苦しませることになる。
新しく上司になった男は典型的な前時代型の男であり、女性社員をセクハラの対象としてしか見ていなかった。
曾根崎も例外ではなく、その男からのセクハラに耐えながら仕事をする毎日だった。それでも、上に訴えることなく我慢し続けたのは入社した当時の夢を持ち続けていたからだ。
今に見ていろ。
そう自分を鼓舞し、目の前にある夢に集中することで彼女は耐え続けることが出来たのだ。?
あの日が来るまでは…
その日は所属していた部署での飲み会が行われることになっていた。飲み会でさえ、曽根崎達女性社員は男性社員たちのお酌をしたりと忙しく動き回らなければならず、ようやく落ち着けるかと思えば先輩たちから酒を強要されたりと心休まる瞬間はなかった。
そうして2時間が立ったころには疲労とアルコールによって曽根崎は歩くのさえ困難な状況になっていた。そんな彼女を家まで送ろうと申し出たのは普段からセクハラをしてくる上司であったが、もはや正常な判断力さえ怪しくなっていた曾根崎にはそれを断る事さえできない。
あとはもうお決まりのコースである。少し休憩していこうとラブホテルが密集する路地まで連れていかれ、ようやくそこで意識を取り戻すことが出来た。このままではこの男に汚されてしまうと思い、曾根崎は必死に上司から逃れようとした。上司の方もここまで来て何もなしでは終われないと思ったのか、曾根崎の腕をつかみ無理やりにでもホテルの中に連れて行こうとした。
もはや恐怖以外の感情がなかった曾根崎は気づけば空いている方の手で上司の顔に強烈なビンタを食らわせていた。そして、尻餅をついた上司の方も見ることもせず、涙ながらに家に帰ると急いでシャワーを浴び上司につかまれた場所を洗ったのだった。
もう我慢できない。今度という今度は上に訴えってあの男をどうにかしてもらおう。
そんな決意を胸に月曜日に出勤した会社には、彼女の席がなくなっていた。
報復人事
その後、彼女はその会社でまともな仕事をもらえるどころか、名前を呼ばれることさえそのなかった。
あれから20年が経つ。世の有様はISの登場によって大きく変わり、今や職場で女性にセクハラをしようとする男は全滅したといってよい。
曽根崎のように辛い思いをして夢を諦めなければならない女性もいない。
一部では議員席や企業の重役に女性が多く登用されていることを女尊男碑の蔓延と指摘する声もあるが、曽根崎から言わせれば、今まで男というだけで親や先代からポスト譲り受けていただけの無能な者たちに代わり、能力を正当に評価された女性が新たに着任しただけなのだ。
そもそも、今まで散々女性の社会進出の障害となっていた老害たちが男女差別を訴えること自体チャンチャラおかしい。確かに、ISの力を自分たちのものだと勘違いしている輩もいるが、それもほんの一部。社会全体が女性は男性より下だとみなしていた時代よりかはずっと男女平等に近づいて来ている。
だからこそ、ここで歩みを止めてはいけない。今ここでISの存在価値に疑問が持たれれば、今の世に不満を持つ男たちの反発がある事は必定。最悪、またあの時代に逆戻りしてしまうこともあり得る。
それだけは阻止しなくてはならない。若き日の自分の様に惨めな思いをする女性が生まれないようにするために、曾根崎育江は暁の党の代表として手段を選んでられないのだ。彼女の正義のために…
男子教官室と廊下を挟んで向かい側にはIS学園を訪問してきた人と対応するための応接室がある。
そこで杉下をはじめとした4人は小倉と名乗る男性と対面していた。
「えーと、あなたが小倉啓二さん?」
「はい、私が小倉です。」
低い声で答える男は、ある意味で亀山達の予想を超えていた。確かに真耶は小倉のことを大柄な男だと言っていた
しかし、まさか身長2m近く、体重は100キロを超えているであろう強面の巨漢だとは思っていなかった。
初見の人はまず間違いなくこの男が看護師だとは思わないだろう。亀山自身、何も知らなければ小倉のことをプロレスラーか何かだと判断する自信がある。
自然と相手への対応も下手からになってしまう。
「…一応確認なんすけど、うちの生徒の更識楯無に用があるとか?」
「はい、芝浦さんが生前の時、自分の身に何かあった時にどうしても更識さんに渡してほしいものがあると言っていたので、本日は来訪した次第です。」
「どうしても渡してほしいもの?」
「これです。」
そう言って小倉は懐からブレスレットを一つ取り出した。そのブレスレットに亀山は見覚えがあった。
「これって確か織斑先生もつけてた…」
そのブレスレットは亀山達がIS学園を初めて訪れた日に千冬と芝浦がつけていたものだ。桜の趣向がされたそれは第1回『モンド・グロッソ』において政府が日本選手団に送ったもので、千冬や芝浦たちにとっては思い出の品でもある。
「芝浦さんが言うには織斑さんは有名人だから直接会おうとしても難しいだろうと。でも更識さんになら職員を通せば会えるだろうし、事情を察してこれを織村さんに渡してくれるだろうと…。」
「そう…だったんだですか…」
更識は複雑な表情でブレスレットを手に取る。更識にはこの小倉の話すことにはどうも引っかかりがあった。
確かに故人の願いをかなえてやりたいというのは人の情としてあるかもしれない。しかし、芝浦が死んでまだ3日しかたっていない。病院もその対応をしなければならないはずだ。もっと日にちが立ち落ち着いてから渡しに来ればいいのではないかと、更識は小倉に対し表面上は沈痛な面持ちを崩さないものの、内心では疑いの目を向けていた。
すると、更識の横から杉下がふらりと前に出る。
「今のお話聞いていると、小倉さんは芝浦さんと随分と近しい位置にいたようですが。」
「ええ、芝浦さんの世話係を担当してましたけど…あなたはいったい?」
「IS学園で教師を務めています杉下です。という事は、芝浦さんが亡くなっている現場を最初に発見したというのはあなたの事だったんですね。」
「ええ、そうですが…なぜ、IS学園の先生がそれを?」
「実はとある事情があって僕たちも芝浦さんが亡くなった事件を調べているんです。ところで小倉さん、あなたは日ごろから仕事熱心ですか?」
「はあ?」
それまで杉下の質問に戸惑うように答えていた小倉だが、流石にこの質問の意図は分からず完全に困惑してしまったようだ。亀山達も同様だ。普段から杉下の突飛な行動には慣れているが、この質問の意味はすぐに判断できなかった。
それに構わず杉下は質問を続ける。
「事件のあった日、あなたは朝の6時に芝浦さんの部屋を除き、彼女が部屋にいないことを確認した。間違いないですね?」
「え、ええ、それであってます。」
「それは毎日のことですか?」
「え?」
「朝の6時というと今の時期は日もまだ上りませんからねえ。いくら病院の業務とはいえ、入院患者の様子を確認するには少々早すぎる時間のような気がしたもので。普段からその時間に芝浦さんの様子を確認しているのですか?」
「それは…その日は偶々…」
「なるほど。それではもう一つ。小倉さん、あなたは芝浦さんが部屋にいないことを確認するとすぐにほかの職員の方々と手分けして捜索を開始し、中庭の掃除用具入れの陰で血を流して倒れている芝浦さんを発見したそうですねえ。」
「……はい。」
「なぜそこを最初に捜索しようと思ったのでしょうか?入院患者が姿を消したのなら、まずは病院の建物の中を探すのが定石と思うのですが。この季節ですし、朝方かかなり冷え込みますから態々外に出るとは考えにくいですがねえ。」
「…私たちが普段相手にしている患者さんは精神に失調を抱えた方たちです。突飛な行動をする方も多々いますので今回もそのケースかと思って…」
「おや?先ほどあなたは芝浦さんにブレスレットを更識さんに渡してくれと頼まれたと仰っていましたが、それでも芝浦さんは精神に失調を抱えていると判断したのでしょうか?僕にはそうは思えませんが。」
「………」
小倉は杉下に返す言葉を失い、黙って目を逸らせた。ここにきて杉下以外の3人も小倉に対して完全に不信を抱いている。この男が被害者の世話を担当していたという以外で事件に関わっていることは明白であろう。
「偶々普段より早く職場につき、担当している患者がいなくなっていることに気づき、普通であればあまり人が寄り付かないところで倒れているのを真っ先に見つける。ハッキリ言って、あなたの行動は不自然という以外の言葉が見つかりません。」
「待ってください。杉下さんは私のことを疑っているんですか?」
「いいえ、とんでもない。しかし、あなたは芝浦さんを自室から出るように誘導できる立場にいた。また、病院関係者であれば誰の目につかないように職員用の出入り口から外部の人間を病院内に入れることが出来たはずです。つまり、小倉さん、あなたは事件のあった夜、芝浦さんを部屋から連れ出しとともに外部の人間を病院内に招き入れ人気のない中庭の掃除道具入れの陰で芝浦さんと対面させた。しかし、その外部から入ってきた人間は芝浦さんをナイフで刺し殺害した。その現場にあなたはいたはずです。だからこそ、あなたは翌朝、真っ先に芝浦さんを見つけることが出来たんです。」
「…全部…あなたの憶測じゃないですか。」
「ええ、しかし、芝浦さんの行方を追っていた人物がいたことは確かです。前田由紀さん。帝都新聞の記者だという彼女は探偵を雇い芝浦さんがいる病院を探していたそうですよ。芝浦さんの居場所を探り当てた前田さんは、次に直接芝浦さんに会おうとしたのではないでしょうか。ただ、芝浦さんは名目上精神の失調で入院している身。親族でもない前田さんが正規の手段で芝浦さんに会うのは非常に難しいと言わざるを得ませんねえ。
となれば、後は裏ワザに頼るほかありません。彼女が雇った探偵の報告書には入院当時の芝浦さんの情報が事細かに載っていました。そこには当然、彼女の担当看護師であるあなたの名もあります。それを見た前田さんはまずはあなたと接触し、芝浦さんと遭う算段をつけて貰おうとしたはずです。芝浦さんの世話をしていたあなたなら芝浦さんを外部の人間と接触できるように取り計らう事もできたはずなのですから。」
「そ、それなら、その前田とかいう記者に話を聞けば…」
「その前田さんですが、今朝早くお亡くなりになったそうですよ。」
「………へ?」
「自殺だそうです。遺書はなかったそうですが…」
しばしの間、小倉は杉下の言ったことが理解できないような様子で呆けていた。やがて崩れ落ちるかのように椅子の背もたれに背を預けると、手で顔を多い嗚咽を漏らし始める。
「なんで…何でこんなことに…」
「その様子だと、やはりあなたは前田さんのことを知っていたのですね。どうか、すべてを話していただけないでしょうか?今、それができる之小倉さん、あなただけです。」
杉下は体を折り、項垂れる小倉の眼をまっすぐに見つめ語り掛ける。
小倉は救いを求める目をに向けると両膝を床に付け杉下に縋り付いた。
「私は…芝浦さんを助けてあげたかっただけなんです…」
それからポツリ、ポツリと小倉はあの夜、いったい何があったのかを語り始める。
その話の途中から、亀山は体の震えを抑えるのに必死だった。立場上、感情を表に出さないことに長けた楯無でさえ顔を蒼くし、千冬もまた普段以上に険しい表情をし、爪が食い込むほど拳を強く握っている。小倉が語ったのはあまりにも残酷で救いのない悲劇でしかなかった。もし、この話が本当なら、この事件には被害者しかいない。ISの生み出した歪んだ世界の被害者しか…
「私たちは、ただ芝浦さんたちの力になりたかった…でも、もうどうしたらいいのかわかりません!お願いします…助けてください。」
「……分かりました。必ず全てを明らかにし、この事件を終わらせます。」
そう小倉に答えた杉下の表情はいつになく真剣なものだった。そこに秘められているのは犯罪に対する怒りと、わずかな悲しみだ。こうなった以上、杉下はいかなる手を使ってでも真相を明らかにする。彼自身の正義のために…
「終わらせましょう。これ以上、悲劇を繰り返さないためにも。」
当たり前のことですけど、正義って人によりけりなんですよね。
自分にとっての正義が他社にとっての正義というわけではない。反対に悪の場合もある。
だからこそ、人は互いに争い合うわけで、結局のところ正義があるからこそ人は憎み合うのをやめないわけです。