……眠れない。
今この病室にベッドは二つある。もう片方には誰もいない。
この部屋には僕一人。音を立てるものも無い。
慣れないベッド。
慣れない枕。
そして……昨日の出来事……。
静まり返った病室で僕は昨日の出来事を思い出していた。
美波の部屋には僕の写真が飾ってあった。
女の子が自分の部屋に男の子の写真を飾る。
これが意味するのは、好きな相手……?
じゃあ美波は僕のことを?
でも僕は部活に打ち込むわけでもなく、自慢できるような特技も無い。
何よりバカの代名詞である観察処分者だ。
人に好かれるような要素なんて何一つ持ち合わせていない。
そんな僕を好きになってくれるのか?
あのメールの誤解を解いた時だって、僕の問いに対して美波は『そんなワケない』と明確に否定していた。
やっぱり僕の思い違いなんじゃないだろうか……。
……
でも昨日、僕が手を握ったら美波はあんなに嬉しそうな顔を……。
あんなに……。
僕は……。
くそっ……分からない……。
頭を使うと眠くなるものだ。
考えているうちに徐々に眠くなり、僕は眠りに落ちようとしていた。
しかし、その眠りはある声によって妨げられた。
「明久君っ!!」
「ひぁっ!?」
な、なんだなんだ!? 何が起きたんだ!?
僕は突然部屋に響き渡ったその声に驚いて飛び起きた。
えっ? 姫路……さん?
部屋の入り口には息を切らせ、いつものふわっとした髪を乱した姫路さんが立っていた。
「明久君────無事で良かった!!」
姫路さんは涙声でそう言いながら僕に抱きついてきた。
って!!
「いぃ痛たたたたぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
い、痛い! 痛い!! 美波の関節技とは違った痛みが足にっ!!
「明久君! 明久君っ……!!」
「いぃぃ痛い痛い痛い!! 姫路さんっ! そこっ! 足っ! どけてーっ!!」
そんな僕の叫びにはお構いなしに、姫路さんは僕の足に乗りながらボディをぐいぐいと締め付ける。
息が……できない……!
美波ならともかく、なんで姫路さんがこんな力を発揮するんだ!
何か柔らかいものが当っているけど……こ、このままでは殺されてしまうっ……!
「ひ、姫路さんっ……放して……死ぬ……死んで……しまうっ……!」
「明久君っ!! 明久君っ!!」
だっ、ダメだ全然聞いていないっ……!
僕の人生はここで幕を閉じるのか……。
「おい姫路。明久を放してやれ。顔が紫になっているぞ?」
意識が遠のきはじめた時、聞き慣れた声が部屋に入ってきた。
こ、この声は……我が悪友、雄二……。
「えっ……? あっ! ご、ごめんなさい! 私、すっかり気が動転してしまって……」
雄二の言葉で姫路さんはようやく僕を解放してくれた。
ふう……やっと息ができる。
絞め殺されるかと思った……。
僕はやっと気道を確保できて、深呼吸をしていた。
「やれやれ。姫路は明久の事となると異常な力を発揮するのう」
「…………火事場の馬鹿力」
そこへ聞き慣れた声が二つ。
秀吉とムッツリーニだ。
そうか。もう学校も終わっている時間か。
「明久。見舞いに来てやったぞ」
「まさかお主が入院とはのう。正直驚いたのじゃ」
「…………(コクコク)」
皆お見舞いに来てくれたのか。
やっぱり持つべきものは友達だね。
あれ? でも美波がいないな……まだ休んでるのかな。
「明久、姫路はお前の事故を聞いてすぐに学校を飛び出そうとしたんだぞ。鉄人に放課後にしろと止められたがな」
「あの……私、明久君がどこか遠くに行っちゃうような気がしてしまって……いても立ってもいられなくて……。なんとか放課後まで我慢したんですけど……今日は授業にまったく身が入りませんでした……」
雄二の言葉に姫路さんは俯いて小さな声で言う。
そんなに心配してくれたのか。嬉しいなぁ。
さっきは殺されかけたけどそれは気にしないでおこう。
「で、どうなんだ? 明久」
「どうって何が?」
「お前の怪我の具合に決まっているだろう」
「あぁ。頭をちょっと打ったのと足のねんざだって。大したことないよ」
「なんだ大したことないのか。チッ」
「なんだよ雄二。残念そうだね」
「全身包帯巻きのお前を見てみたかったんだがな」
なっ! なんだと!?
人が怪我をして入院しているっていうのになんて言い草だ!
「それは残念だったね! 僕は車に跳ねられたくらいじゃこの程度の怪我にしかならないのさ!」
「ああ、そうらしいな。それも残念だ」
「なんだと貴様っ!? それなら雄二も同じ目にあってみろよ!」
雄二とそんな言い合いをしていると、急に姫路さんが大声を張り上げた。
「明久君っ!! どうしてそんな酷いこと言うんです! どれだけ心配したと思ってるんですか!」
「えっ? あ……ごっ……ごめんなさい……」
この言葉の後、姫路さんは座り込んでぽろぽろと涙を流しはじめてしまった。
ちょっと調子に乗り過ぎちゃったな……。
ど、どうしよう……姫路さんを泣かせてしまった……。
僕が困惑していると、雄二がアイコンタクトを送ってきた。
(おい明久。姫路に謝れ。今のはお前が悪い)
(わ、分かってるよ……)
「ごめんなさい姫路さん……心配してくれたのに酷いこと言っちゃって……」
「……」
姫路さんは返事をしてくれなかった。
こ、困った……どうしたらいいんだろう……。
僕は助けを求めるように雄二に目を向けた。
雄二は僕の視線に気付くと、自分でなんとかしろと言わんばかりにそっぽを向いてしまった。
くそっ薄情な奴め。
でもどうしよう。土下座して謝るか?
と言ってもこの足じゃ土下座なんてできないし……。
うぅん……。
と、僕が悩んでいたらスッと秀吉が前に出てきた。
「姫路よ、この通り明久も反省しておるようじゃ。許してやってくれまいか」
そして姫路さんの肩に手をかけ、こう言ってくれた。
「はい……」
秀吉の言葉で姫路さんは立ち上がり、やっと返事をしてくれた。
こういう時、秀吉は頼りになるな。
「ごめんね姫路さん」
「もう酷いこと言わないでくださいね」
「う、うん。もう二度とこんなこと言わないよ」
「はいっ」
ようやく笑顔をみせてくれた姫路さん。どうやら許してくれたみたいだ。
ふぅ……良かった……。
僕は胸をなで下ろした。
でも確かに姫路さんの言うとおりだな。
先生も僕の怪我は奇跡的だって言っていたし、下手をすれば本当に死んでいたかもしれない。
今度ばかりはちゃんと反省しよう。
「と、ところで明久よ。お主にお土産を持ってきたのじゃ」
「え? なんだろう? 楽しみだな!」
(助かったよ秀吉)
(なんのこれしき)
僕と秀吉はアイコンタクトで会話した。
でも次の台詞で秀吉への感謝は消え去った。
「今日の分の課題じゃ!」
…………この世で最も要らないお土産だ。
「……ありがと秀吉……」
「うむ。友として当然のことをしたまでじゃ」
……全然嬉しくない。
助け船を出してくれたから一応お礼は言っておくけどね。
って、あれ?
そういえばムッツリーニがいないぞ?
「ムッツリーニは?」
僕の問い掛けに雄二が廊下に視線をやって答える。
「ムッツリーニなら本物の看護師を追いかけて行ったぞ」
……
廊下で何かを噴射する音と共に看護師さんの悲鳴が聞こえてくる。
うん。あれは他人。見知らぬ他人さ……。
「と、ところでさ……み、美波はまだ休んでるの?」
「島田か。今日も休んでいたな。だが明日は登校する予定だと鉄人から聞いている」
そっか。美波もやっと治るんだな。良かった。
でも今度は僕がこのザマだし、次に会うのは早くても明後日か……。
「本当ですか? じゃあ私、快気のお祝いにマドレーヌ作ってきますね! 皆でお祝いしましょう!」
雄二と秀吉の顔が一気に青ざめた。
元気な姫路さんに戻ったのはいいけど……。
こ、このままでは美波の命が危ない!
「ひ、姫路よ。病み上がりは食べ物には気を付けねばならぬのじゃ」
「そっ、そうだぞ姫路! 食べ物はまた今度にした方がいい」
秀吉、雄二、ナイスフォローだ。
「そうですか……あ! じゃあ私、これから明久君にお夜食作りますね!」
そう言って部屋を出ようとする姫路さん。
僕の顔が一気に青ざめた。
「ま、待て姫路。病院というのは食事が決められているんだ。勝手に餌を与えてはいけないんだぞ」
「餌を与えないでください。というやつじゃの」
「…………珍獣」
「そうですか……」
雄二が僕を助けてくれた!?
どういう風の吹き回しだ?
そうか! きっと何か裏があるに違いない……!
(助かったよ雄二。でも何か企んでるんだろ?)
(いや。お前のことはどうでもいいが、ここで死人を出したら病院に迷惑が掛かる。それはまずいんだよ。俺も世話になっている病院だからな)
へ……? 雄二が世話に……?
あぁ……霧島さんに病院送りにされた時か。納得だ。
(あ、そういえばムッツリーニおかえり)
僕たちがアイコンタクトでそんな会話していたら、姫路さんからご無体なお言葉が……。
「じゃあ退院してからにしますね。明久君っ」
……退院したら死刑が待っているらしい。
「あら? ずいぶんと賑やかですね?」
「あ、姉さんお帰りなさい」
姉さんが仕事から戻ってきたみたいだ。
「こんばんは。皆さん
ニッコリと微笑んで丁寧にお辞儀をする姉さん。
こうしてると普通の姉なんだけどなぁ。
「アキくん、お医者様から容体を聞いてきました。明後日まで入院して検査結果に異常が無ければ退院だそうです」
「そっか。ありがとう姉さん。明後日で退院できるんだね」
「まだ決まったわけではありませんよ。油断大敵です。明後日までは大人しくしてくださいね」
「大丈夫だよ。僕の回復力を甘く見ないでほしいな」
僕はいつも死線を彷徨い、その度に生還を果たしている。
これくらいの怪我なんてすぐに回復してみせる。
「そんな風に油断してテストで失敗したことがありませんでしたか? アレクサンドロス大王くん?」
「……ごめんなさい」
テストと怪我は違うけど、油断したら痛い目に合うという部分では合っている。
姉さんの言うように大人しくした方がいいかな……。
「「「????」」」
雄二たちは何のことか分からないようで、不思議そうな顔をしていた。
「そういえば今日は美波さんはいらっしゃらないのですね?」
「あ、はい。美波ちゃんは一昨日から風邪で休んでいまして……」
姉さんはいつものメンバーの中に美波の姿が無いことに気付いたみたいだ。
その姉さんの質問には姫路さんが説明してくれた。
「そうでしたか。アキくんの怪我といい美波さんの風邪といい、災難が続きますね。皆さんも注意してくださいね」
「ま、俺はいつも注意してるけどな」
「ご忠告痛み入るのじゃ」
「…………承知」
「はい、わかりました」
姉さんの注意喚起に皆が答える。
一番危なそうなのはムッツリーニかな。
輸血パックが足りなくて……なんてことにならなければいいけど。
「さぁ皆さん、今日はもう遅いですからお帰りください。夜道は危険ですからね」
本当だ。いつの間にかもういい時間だ。
「お? もうこんな時間か。じゃあ帰るとするか」
「明久君、明日も来ますね」
「ありがとう姫路さん。あ、秀吉、明日はお土産はいらないからね?」
「何を言うか。明日もしっかり持参するから楽しみにしておれ!」
秀吉のいたずらな笑顔が可愛い。
だが言っていることは可愛くない……。
「おーいムッツリーニ。帰るぞ」
雄二が看護師の後を追っていたムッツリーニを引きずり、皆は帰って行った。
皆が帰ったら急に眠気が襲ってきた。
あんまり動き回ってはいないんだけどな。
「姉さん、なんだかすごく疲れたから今日はもう寝るよ」
「そうですか。ゆっくり休んでください。アキくん」
そう言って姉さんは布団をかけてくれた。
僕はすぐに深い眠りに落ちていった。