空を見ると、既にだいぶ日が傾いていた。
もうすぐ夕方。
今日は晴れているから夕焼けになるだろう。
「アキ、次はあれに乗らない?」
美波がそう言って指差したのは観覧車だ。
「きっと夕焼けになるわ。そうしたら景色がとっても綺麗に見えるはずよ」
なるほど。夕焼けの景色を観覧車で見たいということか。
さっき暗くなるのを気にしていたのはこれだったんだな。
それにしても観覧車と言えばデートの王道じゃないか。
まさか美波の方から誘ってくるとは思わなかったな……。
「う、うん。行こうか……」
僕は緊張していた。
観覧車って密室で二人っきりになるんだよね……。
そんなことを考えながら足を踏み出した時、美波が呼び止めた。
「ねぇ、アキ」
「うん?」
「あのね、その……腕……いい?」
「腕? 腕が何?」
「だから……その……」
「ん? 何?」
「…………ん~っ! もうっ!」
美波は勢いよく僕の左腕を掴んできた。
この時、僕は唐突に『パブロフの犬』の話しを思い出した。
『パブロフの犬』とは、旧ソ連の生理学者イワン・パブロフが行なった実験の犬だ。
パブロフは犬に餌をやる前に必ずベルを鳴らすという実験を行った。
この実験を毎日繰り返すと、やがて犬はベルを聞くだけでよだれを垂らすようになった。
このように特定の条件下で反射的に行動を起すことを『条件反射』と言う。
普段なら僕がこんなことを覚えているはずもない。
でも僕だって昨日テレビで見たことくらい覚えているさ。
そう。僕の体もその『条件反射』を起こしたのだ。
腕を掴まれたことで全身に緊張が走り、ぐっと目を強く瞑り激痛に備える。
これが僕の『条件反射』だ。
さあ! いつでも来い!
…………
ん? あ、あれ……?
来るはずの痛みが来ない。何故だ……?
僕は顔を引きつらせながら左腕を見てみた。
すると、そこには嬉しそうな美波の笑顔があった。
あれ? 関節技じゃないの?
関節技だと思っていたのは勘違いだった。
美波は僕の腕を掴んだのではなかった。
僕の左肘に右手を添え、美波は体を寄せてきた。
えっ……? こ、これは……。
腕を――組んでいる!?
先程とは別の意味で全身に緊張が走った。
「え、えっと……み、美波?」
「なぁに?」
僕は意図を聞こうと声を掛けてみた。
でも、美波の満面の笑みを見たら何も言えなかった。
「…………いや……なんでも……ない……」
き、緊張で脂汗が出てきた……。
僕は錆びたロボットのようにぎこちなく歩き、観覧車へ向かった。
☆
観覧車の乗車口着くと、そこには結構沢山の人が並んでいた。
でもその並んでいる人達を見ると、男女ペアばっかりだ。
一応僕たちも男女ペアだけど……。
ただ、その……。
周りのペアはすっごいベッタベタにくっついてて……。
すごく……いたたまれない……。
「アキ……」
目のやり場に困っていると美波が呼び掛けてきた。
「な、何? みな────ぐはっ!」
返事をしながら顔を向けた僕は衝撃を受けた。
美波は頬を赤く染め、大きな吊り目を潤ませて僕を見上げていた。
……かっ、可愛い――っ!
この場の雰囲気も手伝ってか、今の美波は最高に可愛く見えた。
僕はそのあまりの衝撃に目眩いのような感覚に襲われた。
こっ……! このままでは僕の身がもたない! 早く! 早く乗せてくれ!
そんな僕の動揺を余所に美波はぎゅっと僕の腕を強く引き、頭をもたれ掛けてきた。
も、もうだめだ……くらくらして……気を失いそうだ……。