僕たちは中央通りを歩き、案内板を探している。
……何故だろう。左手の温もりが嬉しい。
こんな風に手を繋ぐのは小さい頃に姉さんに連れられて出掛けた時以来かな。
あの時と似たような嬉しさを感じる。
いや、ちょっと違うかな。
あの時も嬉しかったけど、こんな風にドキドキしなかったと思う。
こんな気持ちになるのはやっぱり隣にいるのが美波だからなのかな。
「無いわね。案内板」
「そうだね。もっと沢山置いてあると思ったんだけどなぁ」
「あっ、そう言えばウチ、ジェットコースターを降りた所で見た気がするわ」
「ん。そうなんだ。よし、じゃあそこへ行ってみようか」
ジェットコースターの乗り場はあっちだったな。
僕たちは脇のちょっと細めの道に入った。
この道の両側には等間隔に樹木が植えてあり、頭上を覆うように枝が迫り出していた。
そんなに長くない道ではあったが、木々に覆われた小道はまるで自然のトンネルのようだった。
この木々のトンネルを歩いていると、道の先で木を見上げている男の子とその母親らしき女性の姿に気付いた。
二人に近づいてみると、どうもその男の子は泣いているようだ。
「ママ~風船~」
「どうしてしっかり持っていなかったのよ。こんなのママにも届かないわよ」
あの親子連れは……確かさっきの汽車で後ろに座っていた親子だ。
この様子からすると、男の子が持っていた風船を放してしまって木に引っかけてしまったといったところだろうか。
放したのが木の下であったことは幸いとも言えるだろう。
あの位置ならジャンプすれば届きそうだな。
よし……。
「美波、ちょっと鞄もってて」
「取ってあげるの?」
「うん。行ってくる」
僕は男の子に駆け寄り、屈んで声を掛けた。
「今、お兄ちゃんが取ってあげるからね。男の子が泣いちゃだめだぞ」
「うん……お兄ちゃんありがとう……」
「すみません。ありがとうございます」
男の子と母親の礼を受けた僕はジャンプして風船の紐に飛びついた。
でも僕のジャンプではその紐には届かなかった。
何度か試みるも、僕の手は無情にも空を切った。
くそっ……全然届かない……。思ったより高いじゃないか。
「うぇぇぇん」
再び泣き出してしまう男の子。
この様子を見かねたのか、美波は男の子に近寄り、僕と同じように声を掛けた。
「大丈夫よ。今度はお姉ちゃんが取ってあげるからね」
「うん……」
僕より身の軽い美波のことだ。きっと取ってくれるだろう。
美波は鞄を足元に置き、勢いをつけて風船に飛びついた。
ところが美波のジャンプも微妙に風船には及ばなかった。
美波の脚力でも届かないのか。
別の方法を考えるしかないな。
うーん……どうするか……。
何か踏み台になるような物があればいいんだけど……。
都合よくそんなものがあるわけがないか。
そうなると木に登って取るのが確実だけど……。
この木、幹が太いし下の方の枝も落とされていて登るのは難しそうだ。
そもそも根本は柵で囲われていて立ち入り禁止の立て札が立っている。
それじゃあ男の子を肩車して……。
この高さだと全然届かないな。
じゃあ美波を肩車して……。
ダメだ。それでも届かない。
そうだ! 男の子を『たかいたかーい』をする感じで放り投げて──
いや……無理だ。
男の子が放り投げられて風船を掴めるとは思えない。
困ったな……。どうしよう……。
美波ならどうするだろう?
万策尽きた僕は隣に目を向けてみた。
僕の横では美波が忌々しそうに風船を見上げている。
まだ諦めていないようだ。
その様子を見ているうちに、美波はフッと不敵な笑みを浮かべた。
「アキ」
僕の方を向いた美波の目は自信に満ちていた。
この目……跳ぶ気だ。
そうか! 男の子を放り投げるのは無理だけど美波なら……!
「うん」
僕は美波のやろうとしていることが、なんとなく分かった。
僕は風船の下で屈んで手の平を上にして両手を組んだ。
美波は僕の行動に少し驚いた様子を見せたが、すぐに凛とした表情に変わり、頷いた。
そして片足の靴を脱ぎ、組んだ僕の両手にその足を乗せた。
「いい? アキ」
「オッケー」
「「せーのっ!」」
掛け声と共に美波が僕の両手に乗せた足に体重を移す。
僕は同時に背筋を使って美波を勢いよく持ち上げる。
美波はその反動を利用して空高く跳んだ。
ポニーテールをなびかせ、美波が華麗に宙を舞う。
一、二秒の後、美波は片足でふわっと着地した。
そしてその手には風船の紐がしっかりと握られていた。
「やったね美波」
「ナイスサポートよアキ」
美波は片目を瞑って誇らしげな表情を見せている。
さすが美波だ。
こんなことができるのは僕の周りじゃ美波かムッツリーニくらいだろう。
僕は足元に置かれていた美波の靴を渡した。
美波はその靴を履くと、男の子の方へ歩いていった。
「はい。もう放しちゃだめよ」
「うん! ありがとうお姉ちゃん!」
美波は微笑むと屈んで男の子の頭を撫でた。
その仕草が僕にはとても慣れた感じに見えた。
きっと昔から葉月ちゃんの面倒を見てきたから小さい子の扱いに慣れているのだろう。
「ありがとうございます。助かりました」
男の子の母親が深々と頭を下げて僕に礼を言う。
「いやぁ。お安い御用です」
「それにしてもあなたたち息ぴったりね。幼馴染みなのかしら?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
「そうなの? でもとっても仲がいいのね。羨ましいわ。まったく、それに比べてうちの主人ときたら────!」
話しているうちに、このお母さんは旦那さんの愚痴を溢しはじめてしまった。
何かのスイッチが入ってしまったみたいだ。
どうやらこの人は旦那さんに今日の約束をすっぽかされてしまったらしい。
はじまってしまった愚痴はとどまる所を知らず、延々と続いた。
止めようにもマシンガンのように喋るので言い出すタイミングが無い。
えっと……。僕に当らないでほしいな……。
「お姉ちゃん、さっき汽車に乗ってたお姉ちゃんだよね?」
「あ、うん。そうね。ボクはお姉ちゃん達の後ろに乗ってた子かな?」
「うん! お姉ちゃんはあのお兄ちゃんのこと好きなの?」
「ふぇっ!? そ、そんなこと──!」
「違うの?」
「……ううん。そうよ。お姉ちゃんはあのお兄ちゃんのことが大好きなの」
「じゃあお姉ちゃんたちもでーとなんだね! ボクもママとでーとなんだよ!」
「そ、そうなの。よかったわね……」
「うん! ボク、ママ大好きなんだ!」
僕の耳にはそんな美波と男の子の会話が微かに入ってきていた。
でも僕の意識はそれには向かず、目の前のマシンガンをどう対処するかに集中していた。
結局、自力ではこの問題を解決できなかった。
このマシンガンは男の子がお腹がすいたと言い出したことでようやく止まった。
なんで僕は遊園地で見ず知らずの人から旦那の愚痴を聞かされているんだろう……。
「お姉ちゃん! お兄ちゃん! ばいばい!」
僕たちは元気に挨拶する男の子に手を振り、この親子連れと別れた。
「ねぇアキ。よくウチが考えてること分かったわね」
「うん。美波ならこうするんじゃないかなって思ったんだ。なんとなくね」
「アキ……」
「それじゃ案内板探そうか」
「うんっ……」
美波は再び僕の手を握ってきた。
やっぱりこの温もりが嬉しい。
自然と笑顔になる。
僕は左手に繋がるその手に指を絡ませた。この温もりを逃がさないように。
僕たちは案内板を探して歩き始めた。