エレベーターで屋上に上がると、そこにはベンチが数個置いてあった。
今は誰もいないみたいだ。
僕と美波はそのうちのひとつに腰かけた。
そして美波はお弁当を取り出すと、卵焼きを箸でつまんで僕の口元へ運んできた。
「はい、あーん」
え……?
えぇぇぇぇ!!
そ、そんな恥ずかしいことできないよ!!
「じ、自分で食べられるよ……!」
「いいの! ウチがしたいんだから!」
「で、でも――――」
「いいから口を開けなさいっ!」
言っても聞きそうにない勢いだ。
仕方ない……誰も見ていないし……。
「あ、あーん」
「素直でよろしいっ」
もぐもぐ……。
お? これは美味いな。
美波の卵焼きは甘くて塩の加減も絶妙だった。
「うん。おいしい」
「ほんと? 良かった!」
美波はとても嬉しそうだ。
僕は……ちょっと恥ずかしい。
「はいっ、あーん」
「あ、あーん」
こんなところを姉さんやクラスのみんなに見られたら殺されるな……。
僕は恥ずかしさに堪えながら美波の運ぶウインナーやミニトマトを口に入れていった。
そしてこの恥ずかしいシーンはお弁当が無くなるまで続いた。
でもホント美味いな、このお弁当。
「ごちそうさま。おいしかったよ。ありがとう美波」
「どういたしまして」
お礼を言うと、美波は満面の笑みで答えた。
どうしよう。美波の笑顔が眩しい。
「一昨日、ウチのためにお料理してくれたから……そのお返し」
美波がとても優しい笑顔で言う。
どうしよう。美波の笑顔がすごく眩しい……。
今日の美波は停学明けのあの時みたいにすごく積極的で、とても優しい。
確かにこれはこれで嬉しいんだけど……。
でもあの時、僕のせいで勘違いさせて美波を傷付けてしまった。
それを思うと素直に喜べない。
それにあの後のDクラスとの交渉に美波を利用したこと、まだちゃんと謝ってないな……。
「アキ? どうかしたの?」
「あ……い、いや、なんでもないよ」
考え込んでいたら弁当箱を鞄に入れながら美波が覗き込んできた。
僕は取り繕うように笑顔を作ってみせた。
……
なんて言って謝ったらいいんだろう。
言葉が思い付かないな……。
「「…………」」
僕は言葉を探して空を眺めた。
ふと横を見ると、美波も空を見上げていた。
その顔はいつもの健康的な美波のものだった。
なんか……不思議だな。
今の美波を見ているとなんだか落ち着く。
さっきまであんなにモヤモヤしていたのに……。
どうしてだろう。
僕はなんだか嬉しさが込み上げてきて、口元に笑みを浮かべながら再び空を見上げた。
屋上には涼しげな風が吹き、頬を撫でる。
その風に美波の髪がふわりと舞い、美波が目を細める。
いつもの騒々しい毎日とは違う、とても静かな時間。
今まであまり無かった美波と二人きりの時間。
なんか……こういうのもいいかもしれないな……。
「ねぇアキ」
不意に声を掛けられ、僕は我に返った。
「あ……な、何?」
「一昨日のことなんだけどね」
「一昨日?」
「うん。あの時、お母さん何か変なこと言ってたりしなかった?」
変なこと? 変なこと……。
一昨日は色々なことがありすぎて、もう忘れていることも多い。
美波のお母さんの言葉を思い出そうとしても思い出せない。
ん? そういえば……。
「そういえば美波のお母さん、僕の顔と名前を知ってたみたいだけど……どうして知ってたのかな。僕は初めて会ったんだけど」
「う。そ、それは……」
僕の問いに美波は言いづらそうに口籠もった。
そして数秒間、真剣な顔をして押し黙った後、意を決したように口を開いた。
「う、ウチの部屋の写真をね、お母さんに見つかって……それでアキのことを言ったの」
写真……。
美波の部屋のぬいぐるみが持っていた写真。
僕の写真……。
……
やっぱり確かめよう。
美波が僕をどう思っているのか。
僕の思い違いの可能性も高い。
それならいつも通り罵倒されてこの件は終わりだ。
でも、もし万が一、僕を思ってくれているのだとしたら……。
横目にちらりと隣を見ると、そこに座る美波は前髪で顔を隠すように俯き、どこかそわそわした様子を見せていた。
……よし。
「あのさ美波」
「えっ? あ……な、何?」
「えっと、その……も、もしかして美波は僕のこ────」
ガタタッ!
「「!!」」
急にエレベーターから音がした。
その音に驚いて背筋を伸ばす僕と美波。
エレベーターの方を見ると、看護師さんがシーツの入ったカートを運び出していた。
看護師さんはこちらに気付くと軽く会釈をして、物干し台へカートを押して行った。
「あはは……。び、びっくりしたね」
「そ、そうね」
「「…………」」
……すごく気まずい。
もう言い直すような雰囲気じゃない。
と、とりあえず何か別の話題で雰囲気を変えよう。
えっと……。
「ちょ、ちょっと寒くなってきたわね。部屋に戻りましょ」
僕が考えるより先に美波が言い出す。
「う、うん。そうだね」
助かった……のかな。
まぁ、いいか。確かにちょっと肌寒くなってきたし、部屋に戻るとしよう。
鞄を持って立ち上がる美波。
同じように僕も立ち上がろうとして――――
「いっててて!」
「きゃっ! ちょっと! アキ!?」
急に足首に痛みを感じて足を跳ね上げ、バランスを失った僕は美波を巻き込んで転んでしまった。
うぅ……いてて……。
足のことすっかり忘れてたよ。
もっと硬く固定してもらったほうがいのかな。
っと、そうだ、美波を巻き込んでしまったんだ。
「ごめん美波。大丈……ぶ……」
今、僕は美波を押し倒している状態になっている。
こ、これは……。
この後展開されるであろうシーンが脳裏でシミュレーションされる。
――飛んでくる鉄拳。
――吹き飛ぶ僕。
――浴びせられる罵声。
ふ……いつも通りさ。
まずは鉄拳の衝撃に備え、僕は目を強く瞑った。
……
?……あれ?
来るべき衝撃が来ない。
不思議に思った僕は恐る恐る目を開けてみた。
すると目の前の美波は鉄拳どころか頬を赤く染め、その大きな吊り目で僕を見つめていた。
「ご、ごめん!」
とりあえず体を起こして美波から離れた。
「「…………」」
なんだ? おかしいぞ? やっぱりいつもの美波じゃない。
それとも僕が意識しすぎているのか?
そんなことないよな?
少なくとも今のは確実に殴られるパターンだったはずだ。
……まさか僕が怪我をしてるから我慢してくれたのか? 美波がそんな気遣いを?
とっ、とにかく場所を変えよう……。
看護師さんも見てるし……。
「も、戻ろうか」
「そ、そうね……」
僕は左足を気にしながら立ち上がった。
すると美波が何も言わずに僕の腕の下に入り込んで来た。
また肩を貸してくれるみたいだ。
「あ、ありがと……」
「うん」
僕は美波に支えられながらエレベーターに向かった。
ホントかっこ悪いな僕……。
やっぱり松葉杖借りよう。