舞台裏の出演者達   作:とうゆき
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安政区露言行録 葵・トーリ編

葵・トーリ
一六四八年度武蔵アリアダスト教導院総長兼生徒会長。

父親は小野・忠明。母親は伊東・一刀斎の弟子であった善鬼。
戦乱が続く当時であっても両親が戦闘系の襲名者というのは珍しく、各国から多くの制限を受けていた武蔵では異例であった。
姉である葵・喜美も非襲名非役職者でありながら副長クラスと相対して戦功を残している(政治的な事情や本人の意思、または後進育成などの目的で襲名や役職に就かない実力者というのは他国にもいたが、それでも特異)
葵・トーリもまた戦場では最前線に立って味方を鼓舞したり少数で敵艦に乗り込んだりしている。多くの戦いに参加したが、重傷を負った事はなかったという。

字名は不可能男。だが、後述する彼の功績を考えればこの字名が甚だ不適格なのは明白である。
これはあからさまに不名誉な字名を与える事で武蔵住民に対し、「自分達は聖連の支配下にある」事を強く印象付ける狙いがあったのだろう。松平・元信の傀儡男なども同様の事情だと考えられる。

容姿については眉目秀麗であり老若男女も魅了したと伝えられる。
契約していた芸能神との制約で定期的に女装を余儀なくされていたが、そんな彼に結婚を申し込んだ者もいた(この時代の極東では歴史再現によって衆道が一般的であり、M.H.R.R.では同性同士による生殖方法が確立されていた事も影響していたのだろうが、それでも稀有な美貌だった事は疑うまでもない)

芸能、特に歌の分野で才能を発揮し、自身が作詞作曲を手がけた「早朝協奏曲」は浅間神社公認の下、若年層を中心に流行した。
生み出すだけでなく目利きにも優れ、彼が批評した作品の多くは高い評価を得ている。
料理の腕も一級品であり、他国との交渉の席では手ずから料理を振る舞ったというエピソードも存在する。

政体についても言及したい。
各国が絶対王政を推し進めていた中で立憲君主的な性質を持つ体制だった事は大変興味深い。
これについては当時の武蔵の情勢がそうさせたという意見もあるが、無能でありながら強権を振るいたがる権力者が歴史上無数に散見される事を鑑みれば、彼自身の得難い資質と言えるだろう。

葵・トーリは自身を着飾る事を嫌う純朴な人物だったと言われている。その性格を示す逸話は多く、彼は独自の人柄で多くの人を惹きつけた。
源・義経や上杉・景勝などは気難しい人物で苦手とした外交官が多かったが、彼は会ってすぐに親交を結んでいる。生来の人たらしだったのだろう。
余談になるが里見・義頼との約束、悲劇的な別離は後年、多数の創作のモチーフとなっている(例えば私が持っているマルチシナリオADV「頼トリ見取り」もそのうちの一つだ)

あえてここに記する必要もない彼の代名詞があるが、敵意がない事を証明する手段だったと考えられる。
これも武蔵が多くの同盟国を得る一助になったのではないだろうか。

葵・トーリが歴史の表舞台に出るきっかけとなった三河消失から極東君主ホライゾン・アリアダスト救出までの一連の流れ(三河争乱)
この戦いで彼はホライゾン・アリアダストに告白にしているが、その後の二人の仲は睦まじく、往来で肉体的接触(過激なので表現をぼかさせてもらう)を行うさまが何度も目撃され、通行人が目を逸らす一幕も見られた。

また三河争乱は彼の才が発露した事件でもあった。
まず注目すべきは的確な人選である。
臨時生徒総会における一戦目に彼が指名したのは会計のシロジロ・ベルトーニ。
相対戦という人々の注目が集まる中で、戦闘力は元より金融の問題を提示した事の意味は大きい。

二戦目は向井・鈴。
当時は何の役職にも就いておらず、また全盲の少女である。
この戦いにおいて騎士連盟は市民革命の前倒し再現を画策していたが、仮にネイト・ミトツダイラが負けを宣言していたとしても、「弱き者との戦いを良しとせず、膝を屈するのは騎士として当然の事」という解釈が成り立ち、市民革命は成立しなかった可能性がある。

またはっきりした資料はないものの、葵・トーリはこの時まず最初に点蔵・クロスユナイトを指名し土下座するよう指示したという話も存在する。
信憑性には疑問が残るが、もしこれが実行されていた場合は当然騎士は市民より上の立場のままとなる。
何故この手段が取られなかったかについては想像するしかないが、諜報担当とはいえ第一特務が敗北する事は以降の戦闘や国際関係に影響が出るからではないだろうか。
生徒総会後の戦闘を想定していただろう葵・トーリとしては総長連合の構成員に不安を与える事は避けたかった筈だ。

三戦目の討論では葵・トーリ自らが本多・正純と相対を行った。
ここで彼はホライゾン救出に反対の立場に立っている。
これは生徒総会の結果がホライゾン・アリアダスト救出になると見越して機転を効かせたのだろう。生徒会と対立した本多・正純に対する反感や敵意を和らげる意図があったと推測される。

四戦目は彼の姉である葵・喜美が本多・二代を下している。
本多・二代は後に副長に任じられた逸材であり、葵姉弟の恐ろしさがよく分かる。

K.P.A.Italiaと三征西班牙の連合軍相手の戦いにおいて能力を伝播させる術式を発動させる。奉納に失敗すれば死ぬという代償を背負って。
この行為を王のする事ではないという否定的な見解もあるが、苦難に喘ぐ仲間を助けるべく我が身を投げ打った気高い姿から彼の人望の理由が垣間見える。
その後の審問艦での宣言は同時代の幾人かに引用され(M.H.R.R.ではあまり評判がよくなかったらしいが)この時より史上初の世界大戦が始まったと見る学者も多い。

またこの一戦で刑場が破壊されるが、これは前例がない。
過去の罪を否定出来たという事だが、葵・トーリは何が起きたのか黙して語らず、今なお歴史家や創作家の間で議論の対象となっている。
彼が抱いた罪とは何だったのか、それとどう向き合って克服したのか。大いなるロマンの一つである。



自分で書いといてあれだけどこれは酷い。
多分後世ではこんな扱い。



上記は17世紀後半に成立した「安政区露言行録」の一部である。
著者は深谷上杉家に仕えていた武将。
一次史料であるが、件の執筆者は小田原の役後は武蔵に移住しており、それ以降に執筆された本書には装飾が加えられている可能性を考慮すべきである。
私は自著「名将言行録」執筆の際に他の史料と比較してみたが、どうにも恣意的な解釈を行ったと思しき部分が散見された(もっとも、三河争乱以前の史料には逆の意味で恣意的な解釈が行われていたのも事実である)
ただ、この著者はサブカルチャーな創作物も出版しており、史料というより三国志演義のような娯楽色の強い作品のつもりだったのかもしれない。

~歴史の趨勢と史料の傾向について~ 著:岡谷・繁実