真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束- 作:chemi
「大和君、こっちとこっちなら、どっちが似合うと思う?」
燕はカラフルなそれらを自分の胸元にあて、真正面にいる大和へ問いかけた。
場所は七浜にある百貨店のとある店舗。入ってすぐの場所には今季の流行水着を着せられたマネキン2体並んでおり、壁際にもペイスリー柄、フラワー柄、ドット柄などのデザインに合わせた鮮やかな色の水着が、所狭しと陳列されている。人目見るだけでも季節を感じさせる光景だった。
客のほぼ9割が女性であり、数人いる男はどれも付き添いで一緒にいるようだ。所在なさげに、彼女のあとをついて回っている。それに反して、水着を自らの肢体にあてがい、会話を交わす女の子達は皆楽しそうである。
その店内にいる2人――大和が顎に手をやりながら、持ち上げられた水着を真剣に見つめる。
「どっちも似合いそうだけど、こっちかな?」
「ほうほう。じゃあね――」
燕は楽しそうに次の水着を手に持った。
そんな彼らを遠巻きに見つめる影が2つ。男は薄いイエローのロックTシャツに、トーンを合わせたダメージジーンズ。女は、フリルのある紺のキャミソール――ホルターネック(肩ではなく、首の後ろでつながっているもの)で肩と背中を大胆に見せる――と膝下までロールアップしたデニムに、白のベルトを合わせている。手首には2,3の小物をあしらい、黒く長い髪は、毛先に近いところをシュシュでまとめている。両者ともシンプルな装いだが、それがとてもよく似合っていた。その証拠に、通り過ぎる客などは、チラチラと彼らを窺っている。
「今日は燕姉か……」
凛は思わず呟いた。
――――昨日は、京の水着選びに行ったって聞いたけど、大変そうだな。
マルギッテは数日ドイツに戻っており、その間、燕と京の一騎打ちが繰り広げられているといった感じだった。
凛は手すりに腕を乗っけて、隣に立つ百代に話しかける。
「百代。あそこに大和と燕姉がいる」
その声に反応して、百代はくくっているシュシュから慌てて手を離す。このシュシュは、今日出会って早々、凛がプレゼントしたものだった。
「お、本当だ。そういえば、旅行には燕も一緒なんだってな」
「うん。決勝で敗れたとはいえ、普通なら準優勝だからね。景品も出て、その中に旅行も含まれてたらしい」
元々は小雪が提案したことであり、凛がそのことを話すと、彼女は二つ返事でOKを出した。
「燕の水着姿か……これはかなり期待できそうだ」
「相変わらずだなー。まぁ今度の旅行は、俺も期待せざるを得ない!」
凛が語尾を強めたのは、百代の水着姿が見られるからだろう。ついでに、旅行に行く女の子達は、川神学園でもトップクラスの美少女であり、そんな彼女らの水着である。この条件で、テンションが上がらないはずはない。
それを聞いた百代が凛に軽く釘をさす。
「だよなぁ……でも、お前はあんまり余所見をするなよ」
「えぇー」
凛はわざとらしく口を尖らせた。言葉の意味を理解していないわけではない。自分を放っておいて、他の女の子にデレデレしていたら、気分が悪いのは当たり前だ。彼のこれは、ただ会話を楽しむためのフリであった。
「私だけじゃ不満か?」
「滅相もない。百代に、穴が空くほどガン見することをここに誓う」
「そこまで言ってない。それに……そ、そんなに見られたら恥ずかしいだろ?」
百代はそのときのことを想像し、顔を赤らめた。
――――これですよ、奥さん。
付き合う前なら、百代も「どんどん見ろ」くらいの強気できていただろう。実際、水上体育祭のときはそうであった。しかし、付き合い始めてから、彼女は恥らうようになった。その姿が凛にとっては、とても可愛く見えるのである。加えて、彼女は彼の前でのみ、こういった態度をとるので、男としても嬉しくなった。
だからなのか、今では立場が逆転して、凛が強気にでることもある。
「それより! 早く私の水着を選びに行くぞ」
照れ隠しのためか、話を強引に切り上げた百代が、凛の腕をとった。2人の初デートは、彼女の水着選びからスタートする。
――――すっかり慣れたみたいだな。
凛は待ち合わせのときの百代を思い出して、一人笑った。そのときにも、彼女は大いに恥じらいを見せたのだ。
□
2人の記念すべき初デート――それに合わせて、百代はオシャレをかなり頑張ったらしい。凛は、彼女のTシャツにジーンズという格好をよく見かけていたので、今回もそれで来るのだと思っていたが、その予想は大きく外れていた。しかし、それは悪いほうにではない。
現れた百代は、着慣れない服装のためか、はたまた彼氏が気に入ってくれるかどうかわからないためか、いつもの鷹揚とした態度ではなく、恥ずかしそうに頬を染め、目線も彼に合わせなかった。そして、両手はモジモジさせながら、遠慮がちに問うのだ。
「ど……どうだ?」
ズキュン。もしも、凛が漫画の中にいたら、背景にこの文字が躍り出て、ハートは矢で打ち抜かれていただろう。
――――こんなモモ先輩が見られるとは……。
凛は、可愛さのあまりニヤける口元を咄嗟に右手で隠した。頬に熱を帯びるのが自分でもよくわかった。百代もその態度で、なんとなく察したようだが、それでも直接の言葉を待っている。
「可愛すぎます……」
凛は何とか言葉を発した。
「あ……そうか、よかった」
百代はそこでようやく笑顔を見せた。胸元に手をあて、ふぅと息を吐く。
凛は、そんな百代の一挙手一投足から目が離せなかった。彼女の制服姿も可愛いが、いつもと違うと私服姿というのは、燕で慣れていたつもりの彼にとっても、新鮮であり、とてつもない威力を誇っていたようだ。
――――その笑顔は反則! キs……。
公共の場――駅構内というのを思い出した凛は、理性をフル稼働させる。
「……抱きしめてもいいですか?」
その結果が、この言葉だった。
「え? 今なんて――」
百代が聞き返そうとする時間も与えない。彼女の体が一瞬フワリと浮き上がる。
「あ……凛。み、みんなが見てる」
ファミリーの前での抱擁では何も言わなかった百代だが、慣れない私服と突然の抱擁に驚き、周りの目が非常に気になったらしい。
凛の耳元で囁くように声をかけた。加えて、しおらしい言葉である。いよいよ彼は百代が愛しく思えた。
――――『この人、俺の彼女なんです』って叫びたい。なにこの子……前も思ったけど、俺を殺す気か!?
そんな2人を目撃した人らは、様々な反応を返した。大人の大半は温かい眼差しを向け、その残りと同年代の男は、舌打ちやら顔を引きつらせている。女性たちはチラチラと横目で見ているし、子供は指を指しながら母親に話しかけ、母親はそれに笑顔で答えるといった具合だ。
可愛い百代を十分堪能した凛は、ようやく正気に戻った。
「す、すいません! そのあまりにもモモ先輩が可愛くて……つい」
いやまだテンパっていた。本音が口をついて出ている。
「い、いやいいぞ。なんたって……わ、私は美少女だからな。凛がそういう気持ちになっても仕方がない」
一方の百代もしどろもどろだった。凛が「モモ先輩」と言ったことも訂正しないし、しきりに自身の髪を胸元に引き寄せ、梳かす仕草をとっている。
その態度が、また凛を刺激するのだが、2度目はさすがに我慢した。このままでは、悪循環――いや好循環かもしれないが、いずれにしても抜け出せなくなりそうだった。
凛はゆっくりと深呼吸を繰り返す。百代もその少しの間で落ち着きを取り戻し、今は彼の慌てる姿を思い出してクスクスと笑っていた。
「本当にすいません。こんな場で……」
「そんなに気にすることないぞ。確かに……まぁ恥ずかしかったが、それ以上に私は嬉しかったしな」
百代の本音だった。なんせ、あの凛がファミリーの前でならともかく、他人の目がある場所で思い切り抱きしめたのである。それほどまでに、自分の服装を気に入ってくれたことを嬉しく思わないはずがない。
燕に教わった甲斐があった。百代は密かに思う。如何に武神といえども、彼女も女の子。彼氏に自分を良く見せたいのは当たり前である。だからこそ、今日のために新しい服装にもチャレンジしたのだ。
そして、そのとき力を貸してくれたのが燕であった。彼女はデートに行くことを聞くと、すぐさま『オシャレしないと!』と自らのってきてくれた。その後、すぐに店へ直行し、2人であれこれ試し、今の成果が得られたのだ。
「うーん……でも」
凛は落ち着いてから、もう一度じっくり百代の姿を眺めた。
「な、なんだ? やっぱり変か?」
「いや……俺の彼女可愛いなと思って。俺のテンションがおかしくなるほど可愛いなと」
凛は可愛いを連発する。しまいには、百代の周りを一周した。彼女はそんな彼を目で追いかける。
「も、もうわかったから、あまりジロジロ見るな」
その視線が妙にくすぐったい。好きな人だからだろう。他の男がやれば、ドスを効かせた声に黒い笑みを浮かべ、殴り――いや追い払ったはずだ。
――――今日は色んな百代が見れて、嬉しいな。
そこで、凛は一つ思いついたことがあった。
「あ、そうだ。水着見に行く前に、ちょっと寄って行きたいところがあるんだ」
「え? どこだ?」
「いいから、いいから」
凛は百代の手を握ると、嬉しそうに先を歩いていく。そして、たどり着いた先は、小物を取り扱ってる店――ここでシュシュを買い、彼女にプレゼントした。肩が露出しているキャミソールでは、髪が当たって鬱陶しいだろうと思ったからだ。当の本人はあまり気にしていなかったが、その一方で、思いがけない初のプレゼントに喜んでいた。
その後、凛がなぜこの店を知っているのか問い詰めた結果、燕と来たことが判明し、百代が少し拗ねてしまうのだが、それも彼にとっては可愛く映るだけだった。
◇
話は戻って、水着売り場。
凛と百代の2人は、仲良く手を繋いで入店した。それにいち早く気づいたのは、やはり燕だった。
「モモちゃんに凛ちゃん、やほー」
「燕も今日水着買いに行くんだったら、私に言ってくれたらよかったのに……」
「初デートのお邪魔するわけにはいかないでしょ。それで……どうだった?」
燕が百代に耳打ちした。服装を気に入ってくれたかどうかだろう。
百代はそのときのことを簡潔に話し、燕に礼を言った。その間、凛と大和は男同士で何やら話し込んでいる。
「そっかそっか。凛ちゃんが喜んでくれたなら、私も一肌脱いだ甲斐があったよ。……でも凛ちゃんがそんな行動とるなんて――」
燕はそこで一度凛を見てから、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「よっぽどモモちゃんのことが好きなんだねぇ」
「そう、かな……」
「またまたぁとぼけちゃって! モモちゃん顔赤くなってるよ。熱でもあるのかな?」
燕はそう言って、百代のおでこに手を当てた。
「お前がそんなこと言うからだろ!」
「そんなこと?」
「……燕、私をからかってるな?」
百代はむぐぐと唸った。それを見て、燕はカラカラと笑う。ふと男たちの方を見れば、ビキニの中でもさらに布面積の少ないデザインを手に持って、真剣に話し合っていた。
「ごめんごめん。モモちゃんがあんまりにも可愛いからさ。それより、そろそろお馬鹿な2人を相手しにいこうか?」
「……ふぅ。そうだな。その……月並みだけど、燕も上手くいくといいな。私もお前の力になってやりたいんだけど……」
百代はそこで少し言いよどむ。燕の恋敵は、ファミリーの一員である京である。もしこれがマルギッテ一人なら、また違ったかもしれない。とにかく、えこひいきはできなかった。
「そんなの気にすることないよん。恋は駆け引き……私にも十分勝ち目はあるでしょ」
「燕は私に劣らない美少女だからな」
「んふふ。大和君が私に骨抜きにされても怒らないでね」
燕はいつもの朗らかな笑顔ではなく、戦いのときのような鋭い目を一瞬チラと覗かせた。
その奥では、ビキニを横に置き、マネキンに着せてあるキャミソールの水着を見て、談義する凛と大和がいる。
「あれで弟は中々やり手だ。でも、燕なら本当にできそうで少し怖いな」
「あはは。まぁとにかく、本当に気にしないで。モモちゃんは、凛ちゃんと甘い生活を楽しんでて。そのうち、恋人報告させてもらうから」
「わかった。じゃあ、そうさせてもらう」
2人はそこで話を打ち切った。
「凛! 私の選ぶから、こっち来い」
「大和君もおいで」
そんな彼女たちに対して、男2人の反応は――。
「こうやって2人が並んでるトコ見ると、本当にタイプが違うな」
「どっちも綺麗なお姉様なのにな……で、大和はこれ着せるの?」
「できるだけ売り込む! 凛もガンガンいけ!」
大和は一着のビキニを手にとると、勇ましく燕の元へと歩いていった。
――――全くしょうがない奴だな……。
手のかかる弟を見るような目で、大和の後を追う凛の手には、しっかりと一着のビキニが収まっていた。端から見れば、どちらもそう変わらない。
その後、凛と百代は、パレオ付の上品なビキニから派手な赤のビキニといった様々な水着を見て回ったが、彼女が最終的に選んだのは、彼が持ってきたビキニだった。しかし、彼は彼女がそれを着たところを見せてもらえなかった。
百代曰く。
「これは当日のお楽しみだ」
そう言われては、凛も待つしかない。待つといっても、せいぜいあと数日である。彼はその数日を悶々と過ごすことになるのだった。
□
その後、ウィンドウショッピング、映画を見て時間を潰し、夕食を食べたあと、2人が訪れたのは動物園だった。辺りは街灯が灯り、暑さも和らいでいる。
「おおー。夜の動物園とか初めてだぞ」
「俺もです。なんかワクワクしますね」
2人はチケットを係員に手渡し、いざ中へ入る。そんな彼らを迎えてくれた広場では、早速動物を象った照明があり、そこから続く道は、木や柵に取り付けられた青黄緑などのLEDライトが目を楽しませてくれる。傍らでは、その様子を取材しているテレビ局があった。
「凛! あれ見ろ! キリンだ」
百代もテンションがあがってるのか、凛の腕をグイグイ引っ張った。キリンのいるところは、刺激が少ない暗緑色のライトで静かに照らされている。キリンはその中をゆったりと歩き、あるいは葉を啄ばんでいる。
「あ、フラミンゴ!」
フラミンゴは少し明るめのライトで照らされているため、水面にその姿が映し出されて、幻想的に見える。他にも、カバ、ライオン、サイ、象、チンパンジー、カンガルー、豹などを見て回る。どの動物も昼間より活発に動き回っており、その度に子供たちが嬉しそうに声をあげた。
「ちょ! なんだあれ!? 可愛い! 持って帰りたいぞ」
百代が声をあげた先にいるのは、レッサーパンダだった。ムッタ君と名づけられたレッサーパンダは、自分の胴体ほどの太さがある木に、手足を投げ出して、ぐでーっと寝そべっている。
ムッタは木の上にいるため、人間を少し見下ろしていた。つぶらな瞳が愛くるしい。
そのうち、どこからともなくレッサーパンダが現れ、2人の元へ近寄ってきた。
たまらず、凛も感想を述べる。
「これは……可愛い」
「だよなぁ。ぬいぐるみみたいだ。モフモフしたい」
「こっちの2匹は兄弟じゃないですか?」
「確かに同じ顔してるな。こっちおいでー」
その声に導かれるように2匹が寄ってくる。
「キスしてるみたいに見える」
「私たちも対抗するか?」
「人前だから……それはさすがに。またあとで」
凛が百代の耳元で囁いた。それに、彼女は笑顔を浮かべるだけだった。
そうこうしてると、レッサーパンダはじゃれ合いを始め、また奥へと走っていった。その間、ムッタはというと――。
「……あいつ、ずっと私達を見下ろしてるぞ」
「ふてぶてしいですね。まぁ可愛いから許す!」
「可愛いは正義!」
2人はそんなことを言って笑った。
そこへかなり慌てた様子の係員の声が響く。
『園内にいらっしゃるお客様! 至急、近くにいる係員の指示に――』
突然のことに戸惑う客。当然、凛たちも同じだった。
「なにかあったんですかね?」
「まぁそうだろうな。動物でも逃げ出したんじゃないか?」
2人が辺りを見渡している間にも、客の多くは係員を探して、歩き出していく。しかし、中には子供がぐずったりして、中々足を動かせない客もいた。
「一応……最後に動きますか」
「ん、そうだな。私たちなら、何が来ても対処できるし」
その言葉が引き金になったのか、奥の暗闇から雄たけびが聞こえてきた。そして、それはどんどんこちらへ近づいてくる。
百代は凛の腕にすがった。姿が見えないため、幽霊かと思ったのだ。彼はそんな彼女の頭を撫でると、同じく恐怖で動けない客たちの前に立つ。
「うおおぉぉぉー!」
出てきたのは、長髪のイケメン。脇には一人の女性を抱え込んでいる。その後ろから追いかけてくるのは、白い獣。
「あれって……龍造寺君?」
凛が呟いた。そして、近づくにつれ、それは確信に変わった。
龍造寺も凛たちに気がつく。爽やかなイケメンも、今ばかりは必死だった。額に汗を浮かべ、人を抱えて走ったせいで息も切れかけている。
「ハァ……な、夏目凛! ……と、かわい子ちゃん! ハァハァッ……ちょうどよかった! 助けてくれ! トラに追われてる!」
「ちょ、ちょっと寺チャン! 私がいるのに、他の女に声かけるの!?」
脇に抱えられていたのは、雪広アナだった。途中でクルー達と離れ離れになったらしい。
――――龍造寺クンも懲りないなぁ……。
百代は凛に話しかける。
「一回、アイツ締めておくか……」
「それは、手を出してきたときにしよう。龍造寺君のは、最早どうしようもないだろうし。そんときになったら、俺が恐怖を刻み込んじゃう!」
明るい口調で恐ろしいことを口にする凛。その顔は笑みを貼り付けてはいるが、目は少しも笑っていない。その言葉は龍造寺にも届いたようだった。
「ヒィ! 冗談だ、夏目。と……とにかく、あれを何とかしてくれ!」
「そうだね……まさかホワイトタイガーと対面することになろうとは」
凛が一歩踏み出すと、ホワイトタイガーは足を止めた。そのまま距離を保ちながら、右へ左へ移動を繰り返し、彼らを窺っている。
「なぁ凛……ホワイトタイガー触れないかな?」
隣にいた百代が、少しワクワクした様子で尋ねてきた。
「どうだろう? とりあえず……試してみます? こんなチャンス滅多にないだろうし」
「係員が来るまでが勝負だな」
百代がよしと気合を入れた瞬間、ホワイトタイガーは唸り声を大きくした。
「百代……気が凄い漏れてるから、抑えて抑えて」
「む? こ、こんな感じか?」
「……いい感じ。それじゃあまずは、上からガツンといきましょうか」
そう言うや否や、凛はホワイトタイガーと目を合わせる。刹那、周囲の空気が重くなった。加えて、彼の威圧感がホワイトタイガーを飲み込む。先ほどまで騒いでいた動物たちの鳴き声もやみ、遠くで係員の声が聞こえてきた。
「おい! 凛! このままじゃ逃げちゃうぞ。その作戦中止!」
百代の焦った声が木霊した。事実、ホワイトタイガーの尻尾は、足に絡ませるようにして、体にくっつけている。唸り声もあげていない。
百代は言葉を続ける。
「凛はそのまま目を合わせておいてくれ。その間に、私が手懐ける」
「どうやるんですか?」
「……撫でてみよう」
――――そこらへんにいる野良猫じゃないんだから。
それでも、凛は百代の好きにさせる。彼女は一歩一歩ホワイトタイガーに歩み寄っていく。
じっとしている凛に、後ろから声がかかった。
「おい、夏目! いいのか? 女の子を一人で行かせて……」
龍造寺だ。
「俺が近寄ったら、きっと逃げちゃうだろうし」
「いやしかし……」
「武神とも呼ばれる女の子が早々危険には陥らないでしょ。それに、いざとなればちゃんと止めるから」
そこで百代の嬉しそうな声がする。
「凛! 見てみろ! モフモフだ! 可愛すぎる。お前も触ったらどうだ?」
「成功した! 触ります触ります!」
百代は、ホワイトタイガーの顎やら頭やら胴体を撫でる。それに合わせて、ホワイトタイガーが目を細めたり、尻尾をゆらゆらとさせたり、喉を鳴らしたりと気持ち良さそうにしていた。
しかし、凛が近づくと、目をパッチリと開き、僅かに牙を覗かせる。
「俺……やっぱり嫌われてません?」
「怖がってるんだ。大丈夫だぞ……あれは私の彼氏だ」
安心させるかのように、ゆっくりと撫でる百代。
その成果が出たのか、それとも敵意はないと判断したのか、ホワイトタイガーは大人しくしており、口元に差し出された凛の右手を嗅ぎ、そして頭を摺り寄せた。
凛はゆっくりとホワイトタイガーを撫でる。
「おお、手触り最高。ペットとして連れて帰りたい」
「でも、凛は寮だから飼えないだろ?」
「百代の川神院に置いてもらうという手もある」
「というか、九鬼に頼めば何とかしてくれるんじゃないか?」
「でも確か、ホワイトタイガーってかなり希少だから――」
2人はそんなとりとめもないことを話し合った。もちろん、ホワイトタイガーを撫でながら。
残っていた客と龍造寺たちは、その光景を呆然と眺めていた。
そこへ係員たちが駆けつける。その手には刺又や大型の網、吹き矢などを持っていた。
「大丈夫で! ……す、か?」
意気込んでいた係員も、凛たちの光景を見て尻すぼみになった。
その後、凛と百代が付き添ったホワイトタイガーは、傷つくことなく住処へと移された。脱走した原因は掃除をしていた係員の不注意だったらしいが、ともあれ客にケガ人がでなかったことに、凛たちは安堵した。
◇
帰り道の途中で、百代が携帯を開く。そこには、ホワイトタイガーを挟んで彼女と凛が写っていた。住処へ帰される際に、ダメ元で頼んでみた結果、了承されたのだ。
百代はそれを見て、笑みをこぼす。
「今日は楽しかったな、凛」
「ハプニングもあったけどね」
「あんなハプニングなら大歓迎だ。新しい思い出もできたし」
凛は百代の指と自分の指を絡める。彼女もそれに気づいて、絡めてきた。
「次は旅行だ。百代の水着が、楽しみで仕方がない」
「今度こそ凛を悩殺してやる」
「今でも十分メロメロなのに、困ったな」
「困ってるのは私のほうだ。好きだって気持ちがいっぱいすぎて、どうしたらいいのかわからないんだぞ」
「それなら――」
凛は言葉を切ると、百代の唇を奪う。
「これでちょっとは、どうにかなった?」
凛は優しく微笑み、百代を抱きしめた。それに対して、彼女は彼のシャツを軽く掴みながら呟く。
「馬鹿……余計に困る」
初デートは甘い余韻を残して終わる――。
なんか甘甘展開ですいません。
でも、ペンが止まらない!
次回は、多数のキャラが出る予定です。
騒ぎたいと思います。