真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束-   作:chemi

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『夏祭り』

 屋台の並ぶ川原は、食欲をそそるいい香りに包まれ、さらに鉄板の焼ける音が余計に客たちの感覚を刺激した。それに合わせて、威勢のよい声が左右から絶え間なく飛んでいる。

 そこからさらに進むと、今度は一転して涼やかな音が聞こえてきた。夏の風物詩――風鈴である。時折吹く柔らかい風が、面一杯に陳列された色とりどりの柄をもったそれを揺らし、甲高くも心地よい音色を奏で、祭りに華を添える。背面から照らされる光によって、キラキラと光るそれは、耳だけでなく目も楽しませた。立ち止まってその光景に魅入る客も少なくない。そこだけ、人の流れが緩慢になっていた。

 それは凛たちも例外ではない。彼は隣にたつ百代をチラリと見る。

 

「綺麗ですね……」

 

 自然と口をついた。しかし、それは風鈴に向けられたものなのか、それとも百代に向けたものなのか、あるいはその両方か――。

 

「そうだな。あの音を聞くと夏って感じがする」

 

 凛が視線を風鈴に戻したあと、まるで見計らったかのように、今度は百代が彼の横顔をうかがった。

 

「わかります。というか、その隣にどっしりと鎮座した純金製の風鈴……存在感ありすぎませんか?」

 

「ショーケースにまで入れられてるしな。まぁ子供たちは楽しそうだからいいんじゃないか?」

 

 2人はその場をあとにする。ヨーヨー釣りに、輪投げなど昔ながらの屋台も通りすぎていった。

 軽く店をひやかしながら進んでいると、凛に野太い声がかかる。

 

「凛ちゃん! 凛ちゃ~ん! こっちよぉ~ちょっと寄って見ていらっしゃいな」

 

 明らかに男性の声。しかし、その口調はオネエ。2人は声のするほうへ目を向ける。

 そこには、一時期テレビに出ずっぱりだった「どんだけー」の美容家によく似た人が、手際よくクレープを作っていた。身長は凛に並ぶほどでかく、肩幅も広い。しかし、それに似合わず、手先は繊細な動きをしている。

 

「ミッコさん、かなり繁盛しているみたいですね」

 

 彼の名はミッコ。本名は東幹彦(あづま・みきひこ)。この川神で「アントーク 西洋骨董洋菓子店」を営むパティシエである。2人の知り合ったきっかけは、グルメネットワークからの情報で、お菓子作りに力を入れる凛がその情報を逃すこともなく、6月初旬に訪れたのだった。4月にオープンしたこの店は、今では若い女性をメインにその名を知られつつあった。それを象徴するかのように、屋台の客もほとんどが女性である。

 

「おかげさまでね。ところで、そちらの可愛い女の子はどちら様? ……はっ! まさか凛ちゃんのこれ!?」

 

 ミッコは自身のごつい小指をピンと立て、左右にふる。百代はそれを見て、自身の顔が熱を帯びていくのがわかった。

 

「ふふふ。どう見えますか?」

 

 凛はそう言って、百代と肩を寄せ合うように近づいた。そして、自分のとった行動に後悔する。

 ――――あーやってしまった。図々しい奴とか思われたかも。でも、これくらいなら冗談で……。いや強引だったかもしれない!

 凛は平静を装いながらも、さらに言葉を続ける。手も一度そこで離した。

 

「こちらはひとつ先輩の川神百代さんです。ほら……何度かお話したことがあったでしょう?」

 

「この子があの有名な武神ちゃん? 全然そんな風には見えないわねぇ。むしろ乙女って感じじゃない。いいわぁ~。私はミッコよ。よろしくね……百代ちゃんって呼んでいいかしら?」

 

 ミッコは力強いウインクを百代へ飛ばした。

 

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 少し押され気味の百代と苦笑をもらす凛。ミッコは彼らを交互に観察し、彼女の方に向かって手招きする。彼もそれにつられて近づこうとすると、手のひらを向けられた。

 

「凛ちゃんはそこでストップ……いえ、あと一歩下がりなさい。女の子同士の大事なお話があるから」

 

「? 女の子同士……それってモモ先輩と誰ですか?」

 

「んもぅ! 私に決まってるでしょ! 冗談ばっかり言ってると、ブレーンバスターかますわよ!」

 

 ミッコはくねっと体をひねりながら反論した。それから、近づいてきた百代に耳打ちする。彼女は凛を視界にいれたままだったが、途中でかぁっと頬を染め、チラチラと見るように変化した。

 ――――モモ先輩赤くなってる……そんな姿もとても可愛い。俺は本当に重症だと思う。

 凛がしみじみとそんなことを考えている間も、ミッコの耳打ちは続く。百代は2人を交互に見比べるのに忙しそうだった。

 話が終わると、ミッコはこれまた逞しい親指を上げ、風が起こりそうなウインクを飛ばす。百代はそれに頷くと、近づいてきた凛の手をすぐに握った。

 

「は……はぐれたら困るだろ?」

 

 その行動に凛の心臓は大きく跳ねた。

 ――――くっ! 不意打ちだった! やばい……にやけそう。

 一つ頷いた凛は、口元に空いた右手を持ってくると、百代から顔を背けながら必死に耐える。ミッコはそれを微笑ましく見守っていた。

 

「百代ちゃんとは仲良くやっていけそうだわ。今日は記念にお姉さんがサービスしちゃう。確か桃が好きなのよね……凛ちゃんから聞いてるわ。ちょっと待ってて」

 

 ミッコは鉄板に生地を垂らすと、それをヘラで薄く伸ばし、その上にふわふわの生クリーム、瑞々しい桃の果肉とイチゴを乗せ、くるくるとクレープを作っていった。そして、出来上がったものを百代に手渡す。それは、他のものより少し大きく作られたみたいだった。

 凛はそれを見て、ミッコに話しかける。

 

「俺も一つ欲しいんですけど……」

 

「せっかちさんねぇ。ちょっと待ってなさい」

 

 そして、手渡される一つのジュース。凛はミッコの顔を見た。

 

「これ……ジュースですよね?」

 

「そうよ。今度私の店で出す試作品なの。百代ちゃんと飲んで、今度感想聞かせて」

 

「俺のクレープは?」

 

「百代ちゃんが持ってるじゃない」

 

 3人の目が一斉に百代のもつクレープへ向かう。

 ――――なんだ? これはつまり一つのクレープを分け合えということか? このジュースも?

 凛がそれに反論しようとするも、ミッコがそれを許さない。

 

「はぁ~い。お喋りは終わりよ! 次のお客さんいるから、お2人さんはさっさと先に行きなさい。感想ちゃんと教えるのよ! それじゃあね~。百代ちゃんも今度お店に遊びにいらっしゃい。桃は今が旬だから、おいしいケーキごちそうしちゃう」

 

 その言葉通り、2人の後ろには客が並んでおり、それを見た百代が凛の手を引っ張った。

 

「ありがとうございます。次行くぞ」

 

「え? あ、はい」

 

 凛は、百代に引っ張られるがまま、ミッコの出店から離れていく。店が見えなくなると、彼女が「先にもらうぞ」と言って、クレープを食べた。しっとりとした生地の中から、舌触りの良い生クリームとフルーツの程よい甘みが口の中に広がる。彼女から自然と笑みがこぼれた。

 凛は新作のジュースに口をつけて、幸せそうな百代を見る。

 

「おいしいですか?」

 

「これなら何個でも食べれそうだ。ケーキもきっとおいしいんだろうな。凛のジュースはどうなんだ?」

 

「くどくない甘さでおいしいですよ。ピーチとパインのジュースみたいです。飲みますか?」

 

 依然、つながれたままの凛の左手と百代の右手。それが解かれない以上、彼女がジュースを飲むには、彼からの助力が必要である。クレープにも同じことが言えた。要は「はい、あ~ん」ということである。

 ――――これ、もう恋人同士のようになってないか? そう考えると凄いドキドキしてきた。モモ先輩は……凄い楽しそう。

 百代は、凛から差し出されたジュースを一口飲むと、パァッと笑顔が輝いた。そして、「クレープも一つしかないからな……」と小さく呟いて、彼の口元へそれを近づける。

 

 

 ◇

 

 

 百代は、凛がクレープを食べるのをじっと見つめていた。「おいしい」彼はそう言って、彼女に微笑んだ。そんなたわいない一つ一つの行動が、いちいち彼女の胸をときめかせる。つながった右手からは、少しひんやりした彼の体温を感じる。

 こんな風に誰かに引っ張られるなんて、考えたこともなかった。百代は握られた手を見ながら、そう思った。それが全然嫌じゃなくて、むしろ心地良いぐらいだ。手をつなごうと凛から言ってくれてよかった。いきなり、私から言い出したら、絶対変に思われただろうし。でも、凛の奴慌てて可愛かったな。

 思い出し笑いを隠すように、百代はクレープにかじりつく。そして、先ほどミッコに耳打ちされた内容を思い出した。

 凛が私に気があるというのは、本当だろうか。あんな短時間で見抜けるものなのか。いや、私だってそうだといいなと思ってきた。これまでの反応を見る限り、嫌われてはいないだろうけど、好きだと確信がもてるわけでもなかった。私が一人で盛り上がっている可能性もあったから。でももし、凛が私を好きなら――。

 百代の心から温かい何かが溢れ出る。

 

 あの瞳に見つめられる度に。笑顔を向けられる度に。触れ合う度に。話をする度に。どんどん好きになっていく。

 

 百代の視線に気づいた凛が、首をかしげるが、彼女は「なんでもない」と笑ってごまかす。

 ただそれだけのことなのに、どうしようもなく楽しく思う自分がいた。ちょっかいをかけたくなる。もっと色んな表情を見たい。腕を組んでみるのはどうだろうか。ちょっと強めに手を握ったら、反応してくれるだろうか。

 どうでもいい考えが浮かんでは消えを繰り返す。それすらも楽しい。

 弟に何かとくっつきたがる京の気持ちが今ならわかる。百代はいつもの光景を思い浮かべた。

 弟をからかうためにくっつくのとは全然違う。あれはあれでアタフタする様子がおもしろい。でも、今の凛に同じことをしようと考えると、ドキドキしてフワフワする。

 百代はたまらず彼の名を呼んだ。

 

「凛!」

 

 その呼びかけに、凛は周りの風景から百代へと視線を移す。目が合った彼女は言葉を続ける。

 

「楽しいな」

 

「そうですね。時間もまだありますし、他にもなんか食べますか? あ! たこ焼き買っていいですか?」

 

 百代はそれに頷いた。

 どうせだから食べさせてやる。こう言ったら、凛はどんな反応を返してくれるだろう。

 少し前を歩く凛を肩越しに見ながら、百代はくすりといたずらっぽく笑った。

 

 

 □

 

 

「冬馬、冬馬! 次あれ食べていい?」

 

 小雪は、綿菓子の屋台を指差した。冬馬はいつもように微笑みを返す。

 

「ええ、構いませんよ。……それと準、浴衣姿の女の子(※幼女)を見るのはいいですが、気をつけてくださいよ」

 

「わかってるって、若。危ない人物がその周辺にいないか、ちゃーんと俺がチェックしてるから……それにしても、祭りってのはいいもんだ。ハシャいでる姿見てると、心が洗われていくようだぜ。委員長や紋様に出会えねぇかな」

 

 そう言って、準はキョロキョロと辺りを見回す。そして、ある方向に視線を固定させた。

 

「ん? あそこにいるの凛じゃねぇか?」

 

 その言葉を聞いた冬馬もその方向を確認する。

 

「そのようですね。……しかも女の子を連れているようです」

 

「成熟した女に興味はない……が、凛が連れて歩く女ってのは少し興味が湧くな。手なんてつないで、かなり仲良さげじゃないの。風間ファミリーとは一緒じゃないみたいだな」

 

 準は背伸びをして、どうにかその女の正体を見極めようとするが、客も多く迂闊に動くことができない。加えて、綿菓子を買いに行った小雪を待っていなければならなかった。

 冬馬は偶然客の合間を縫って、チラリと見えた横顔を見て一人笑みをこぼす。その隣で、なかなか見ることができない準は、しびれをきらして声をかけようと大きく息を吸う。そして、叫ぼうと口を空けた瞬間、彼の口の中に綿菓子が突っ込まれた。

 

「準と冬馬の分も買ってきたのだ」

 

 小雪は無邪気な笑顔を2人に向けた。準は叫ぶ代わりにため息をつきながら、口の周り全体――鼻までも覆った綿菓子をはずしにかかる。

 

「ユキ、買ってきてくれたのは非常にありがたいが、せめて普通に渡してくれ。マジでびっくりするから……鼻から綿菓子喰うところだったから」

 

「ハゲは太陽拳に加えて、そんな特技があったのか。僕知らなかったな」

 

「言っとくけど、太陽拳も特技じゃないからな……あーあ、口の周りがベタベタするわ」

 

 準はハンカチを取り出して、口の周りを拭った。それをじっと見つめる小雪が問いかける。

 

「よだれ?」

 

「おまえはさっき自分の仕出かしたことをもう忘れたのか!?」

 

 小雪はカラカラと笑いながら、冬馬の背へと逃れる。彼はその様子を見守りながら、もう一度凛たちのいた方向へ目を向けたが、そこに2人の姿はなかった。

 

 

 ◇

 

 

 百代はご機嫌な様子で、凛の隣を歩いていた。彼の右手には、黒と銀の子猫のぬいぐるみが入った袋。もちろん、これは彼のものではない。彼が祭りの記念にと、射的でとった商品を彼女にプレゼントしたものだった。黒と銀なのは、ちょうどその2体がいたからであり、決して彼が意図してとったわけではない。

 そんな2人――いや百代に、後ろから男の声がかかる。

 

「そこの美人なお嬢さん。よければ俺と一緒に祭りを回らないか?」

 

 どこかで聞いたことがある声だった。

 ――――こんな展開、前にもあったような気が……。というか、隣に俺がいるのに、なぜ声をかける!? そんなに俺は頼りなさそうに見えるのか!? そうなのか!? ……なんか悲しくなってきた。

 凛は百代をチラッと確認するが、彼女は「ん?」と首をかしげるだけで、後ろの声は完全に無視しているようだった。

 ――――モモ先輩の行動がいちいち可愛すぎる! どうか天然でありますように。計算ずくでやられてたら、俺は完全に手玉に取られてしまう……それでもいい、か? いやダメだ! しっかりしろ俺!

 深呼吸を繰り返す凛。沈んだ気持ちなど、もうどこかへ吹き飛んでいた。

 しかし、声をかけてきた男も諦めなかった。わざわざ彼らの前に、回りこんでくる。

 

「クールなところもまた君の魅力を引き立たせる。せめて、名前くらい教えて欲しいな」

 

 男はそのまま百代の空いている手を握ろうとする。しかし、その手は簡単にはたかれた。彼女自身の手によって。

 

「私に触ろうとするな。今は機嫌がいいから許してやる。女なら他にもいるだろ。さっさと私たちの前から消えろ」

 

 ――――て、コイツ確かエグゾイルの寺ちゃんだ。どんだけ女好きなんだ。お前の目の前にいるのは武神だぞ。でも、目の付け所は最高だ! なんせ可愛いからな!

 凛が誇らしい気分でいる中、龍造寺と百代のやりとりは続いていた。彼が再度アプローチに出る。

 

「君じゃなきゃダメなんだ!」

 

 しかも今度は肩を抱こうとする。それに反応したのは凛だった。ぬいぐるみの入った袋を足元へ置き、次の行動へ移る。

 

「ちょっと調子乗りすぎです。龍造寺くん」

 

 凛は百代とつないでいた手を解き、そのまま彼女の肩を抱くと、自分の胸に引き寄せる。それと同時に、龍造寺の伸ばされた手を掴み捻りあげると、星が輝く空へと放り投げた。そして、誰に伝えるわけでもなく、少し大きめの声で叫ぶ。

 

「イケメンが空飛んでる!」

 

 それに反応するように、ひとつの影が龍造寺を捕まえ、そのまま暗がりへと消えていく。その影は捕まえた瞬間、「飛んで火にいるイケメンゲット! アタイの色気で骨抜き!」と叫んでいた。その後、暗がりからは「コイツ粗チン系じゃん!」「お前はこの前の!?」と言い合いが聞こえる。

 周りにいる客たちは当然、その一部始終を見ていた。そして、彼らがその奇想天外な光景に見とれているうちに、凛と百代はその場を離れる。ちなみに、それにあまり注意を払わなかったのは、川神の住人たちだった。

 十分に距離をとったところで、百代が凛に話しかける。

 

「アイツ本当になんなんだ? いつもあんな調子なのか?」

 

「かなり手馴れている様子でしたもんね。まぁモモ先輩可愛いから、声を掛けたくなる気持ちもわからないではないですよ」

 

「う……そ、そうか」

 

 百代が言葉を詰まらすのを見て、ハハハと笑っていた凛も自分の言ったことに気づき赤面した。それをごまかすかのように、即座に話題を変える。

 

「で、でも、モモ先輩がビーム打たなくて助かりました」

 

「お前の中では、川神波はビームで決定なのか? あんなところで打ったら、花火どころの騒ぎじゃなくなるだろ」

 

 せっかく2人で見られるチャンスを逃したくないんだ。それが百代の本音だった。

 それを聞いた凛は、その光景を想像して声をあげて笑う。

 

「まぁ花火より目立つでしょうしね。せっかくの花火が可哀想です」

 

「それはもういい! もうすぐ花火だぞ。どうせだから秘密基地で見ないか? 眺めもいいだろう?」

 

「それはいいですけど、歩いている最中に始まりせんか? 先輩は浴衣だし」

 

「凛が走れば間に合うだろ?」

 

 百代は言い終えると、凛に向かって両腕を広げた。彼はそれの示す意味を察し、苦笑をもらしながらも彼女へ近づく。

 ――――役得です! ありがとうございます!

 

「しっかり掴まっててくださいね。あとこの袋も持っててくださいよ、と」

 

 凛は百代をお姫様抱っこすると、足に力を込めて跳んだ。流れる風景を横目に、人気のない道路を走り、時には屋根から屋根へと跳び、廃ビルを目指す。腕の中にいる彼女は、彼の首に手を回しながら、「おぉ」と感嘆の声を上げ、過ぎ行く風景を楽しんでいた。自分で跳ぶときとはまた違うものらしい。

 ――――だからと言って、やってもらいたいとは思わないけど。

 凛は百代の甘い香りの誘惑と戦いながら、先を目指した。

 

 

 □

 

 

 ビルの屋上へ続く扉を百代が勢いよく開いた。2人の目に映るのは、わずかばかりの星の輝きと真っ暗な闇。

 そこにちょうど大輪の花が咲き誇った。そして――。

 ドン。

 少し遅れて腹の底に響く轟音が鳴り響いた。それを合図にして、我も続けと次々に光の筋が空へと上っていく。

 

「ギリギリセーフ」

 

 百代が大きく輝く花火を背にして、凛へと笑いかける。本当ならば、もっと余裕を持って着けたのだが、2人は途中で飲み物などを買っていて、大幅に時間をロスしたのだった。最もその大半のロスは、そのときの店員が嫌がらせかと思うほど、レジ打ちに手間取ったせいだった。

 ――――この笑顔が見られただけで、頑張った甲斐があったな。

 百代が凛の手を引いて、手すりのある場所まで導く。その間も絶え間なく続くそれが、川神の夜を華やかに彩った。刹那の花が散っていくと、光の茎が現れて、新たな花を咲かせる。赤、青、黄、オレンジ、紫、白、水色など、時には大小合わせて10個以上の花火があがった。

 2人は手をつないだまま、花火を見つめる。それほどに圧倒的なものだった。隣にいる相手を確かめるように、百代は少し手を強く握る。凛は、それに握り返すことで応えた。

 

 このまま時が止まってしまえばいい――。

 

 そう思えるほどに美しい光景だが、2人は互いがいるこの瞬間に対して願ったのだった。

 永遠に続くかのように、色鮮やかな花火は上がり続けた。しかし、それにも終わりがくる。最後を締めくくる特大の花火は、一際輝くもすぐに闇へと溶けていった。そして、辺りを静寂が包む。

 どの花火が綺麗だった。ファミリーはどうしているか。岳人はナンパに成功したのか。大和は無事なのか。一通りの話題を話し終わると、屋上はまた静かになった。

 

「いよいよだな」

 

 百代の声が響いた。なにが、とは聞かない。彼女を真正面から見つめて、凛が口を開く。

 

「もう少しだけ辛抱していてくださいね。すぐにそこに行きますから」

 

「私は子供じゃないんだ。でも…………これ以上は待ちたくない」

 

「俺も待たせるつもりはありません。まぁ俺がそこに行ったときには、モモ先輩負けちゃうんですけどね」

 

 凛が意地悪そうに笑った。しかし、百代は自信満々な様子を崩さない。

 

「やれるものならな! そんな大口叩いて、凛が負けたときは盛大にそのネタでイジッてやるから覚悟しろ」

 

 言い終わると共に、百代は左手で拳を作り、ゆっくりと凛に向かって放った。彼はそれを受け止めると、拳を解き、包み込むように握る。

 

「なら、余計頑張らないといけませんね。男として、モモ先輩にカッコイイとこ見せたいし」

 

「え?」

 

 百代の心臓が大きく跳ねる。そして、長い沈黙が訪れた。

 それを破る音が2人の耳に届く。気の早い誰かが、市販の打ち上げ花火を上げたようだ。

 しかし、2人はそんな音を気にも留めない。彼らを普段と違う空気が包んでいた。ソワソワするような、こそばゆいような、それでいて心地よいような――そんな空気だった。

 

 あと10cm。

 

 

 9cm。

 

 

 8cm――。

 

 

 どちらからだろうか。ゆっくりと彼らは距離を詰めていった。その間も目をそらすことはない。互いの存在を感じる手も離さない。

 やがて、2人の距離が埋まる。凛が頭を下げ、それに合わせて百代が少し背伸びした。互いの息遣いがわかるぐらいに、顔を近づけあう。そして、示し合わすように、彼らは瞼を閉じ――。

 

 バタン!

 

 そこで、閉じていた扉が、再び勢いよく開いた。

 

「モモ先輩! 凛! これからみんなで手持ち花火をするぞ! ……ん? 2人ともどうかしたのか?」

 

 クリスだった。百代と凛はすでに一定の距離をとっている。

 何かを誤魔化すように、百代が声をあげた。

 

「花火か! いいな! すぐ行こう! り……凛、私はクリスと先に行ってるから!」

 

「あ、はい。ど、どうぞどうぞ。荷物は俺が持っていきますから」

 

「よ、よし! それじゃあクリス行くぞ。ちゃっちゃと行くぞ」

 

 百代は、頭にハテナマークを浮かべたクリスをグイグイ押すと、屋上から姿を消した。2人の姿が見えなくなってから、凛は手すりにもたれながら、ズルズルとしゃがみこんで頭を抱える。

 

「うわぁ……俺何しようとした? いやわかってる」

 

 ――――なんか我慢できなくなった! これから倒そうってときに、変な空気作ってどうすんだよ! 絶対モモ先輩にバレた! 俺が好きだってことバレたぞ! 叫びたい……悶え転げたい。でも、下にみんないるし、甚平汚れるだろうからできない。

 

「いや、とにかく一旦冷静になろう」

 

 深呼吸を繰り返す。それに続いて、人という字を書いて飲み込んだ。最後に大きく息を吐く。

 

「……もうバレたことは仕方がない。どうせ大会終わったら、告白するつもりだったし。この際、開き直る!」

 

 そこで一つの疑問が持ち上がる。

 ――――そういえば、モモ先輩避けなかったよな? 避けられなかったってことはないだろうし……え? もしかして……。

 そこで、携帯が震えるのに気づいた。着信は大和からだった。

 

「すぐ降りるから、もうちょっと待ってくれ。すぐ行くから!」

 

 ついでにメールを確認すると、何件か未読があった。どうやら、花火が終わった後に送られてきたようだ。内容は、基地にて花火するから集合と書かれていた。携帯を閉じると、結局開けることのなかったジュースの袋やら、ぬいぐるみの袋を持つ。

 

「とにかく勝つ! 全てはそれからだ。恥ずかしいとか言ってられん。何年もかかったチャンスを逃すわけにもいかない。それに――」

 

 ――――中途半端な気持ちで挑むのは、モモ先輩にも失礼だ。

 

 凛は気合を入れると、屋上をあとにした。

 

 

 ◇

 

 

 時間を少し遡り、クリスと共に屋上を出た百代は、「忘れ物がある」と言って、いつも使っている部屋に一人駆け込んだ。そして、扉を閉めると、そのまま背を預けて座り込んだ。心臓が張り裂けそうなほど脈打っている。それを落ち着かせるため、ゆっくりと呼吸を整えた。

 そのまま、百代はゆっくりと唇を人差し指でなぞる。

 

「キス……しようとしてたんだよな? あのまま、クリスが来なかったら……」

 

 その先を想像して、百代は顔を赤くしながら、頭を左右に振った。

 ちなみに、クリスが、百代たちが屋上にいると分かったのは、由紀江がその気を感じ取ったからだったらしい。

 百代は膝に頭を乗っけながら呟く。

 

「好きだから……キス、しようとしたんだよな? 好きだから。凛も」

 

 顔がゆるむのを我慢できない。そこで、百代は大変なことに気づいた。

 

「凛の顔……見れるのか? やばい……自信ないぞ」

 

 凛の顔を思い出しただけで、百代は頬が熱くなるのがわかる。慌てて、両手で冷やそうとするが、あまり効果がなさそうだった。

 嬉しくて、恥ずかしいから仕方ないだろ。そう自分に弁解する。

 

「いや! ここは気合だ! 明後日には凛があがってくるんだ! 私と戦うために……私のために」

 

 そう考えると心がほわっと温かくなり、整えた顔つきが脆くも崩れ去った。それを何度か繰り返した後、ようやく落ち着いた百代だったが、下に向かう途中、バッタリ出会った凛にアタフタしたのは言うまでもない。当然、彼も慌てふためいた。そんな姿を互いに笑いあうと、多少のぎこちなさが残るものの、なんとか表面上を取り繕うことができた。

 大会が終わったら、自分の気持ちを打ち明けよう。百代は照れ笑いする凛を見ながら、そう心に決める。加えて、彼女自身これ以上、長引かせることができそうになかった。

 2人が下へ降りると、もう花火は始まっていた。はしゃぐファミリーも、明日から2日間ライバル同士になる。

 

 若獅子タッグマッチトーナメントがいよいよ幕を開ける――。

 




意外と早くできました。


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