真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束- 作:chemi
百代は凛の話を聞いて、目を見開いた。
「え!? じゃあ凛はあのヒュームのじいさんと……」
「はい。そういうことです。そんなに意外ですか?」
「いやお前意外すぎるだろ? というか……うーん。むしろクラウディオのじいさんって言われたほうがしっくりくるぞ」
百代の指摘に、凛は思わず失笑した――。
そして、次は百代の子供時代の話へと移る。
「モモ先輩、子供のときから戦闘三昧ですね。まぁ容易に想像できますけど」
「し、仕方ないだろ! 強い奴がいなかったんだから……やっとおもしろい奴見つけたと思ったら、そいつ帰っちゃうし。名前もわからなかったから、探しようがなかったしな」
「それを言われると弱いですね。名前かぁ……なんで名前知らなかったんでしょう?」
「私も覚えてないぞ。なんか単純な理由じゃないか? 2人とも小学生だったんだし」
「そんな気がします……なんか、俺が言い出したような気もするけど――」
後に判明するお互いが名前を知らない理由。それは凛が言い出した一言にあった。『俺が勝ったら名前を教えてやる。負かされた奴の名前くらい知っておきたいだろ?』しかし、結局彼は勝つことができなかったため、名前を教えることがなかったのだ。
一方、百代の方は『自分が勝ったのだから』と言い、名前を言おうとするが、凛は頑なにそれを拒否。喚く、耳を塞ぐなどの行為をとり、挙句『俺のルールだから、お前は関係ない』それが彼の言い分だった。それにカチンときた彼女は口より手が先にでる――それが続いて、名前の件は有耶無耶となる。
これを思い出したのは、やはり凛の方だった。それを聞いた百代は深いため息をもらすことになるのだが、それはまだまだ先の話。
凛は言葉を続けた。
「大和達とは、俺が帰ったあとに知り合ったんですか? それよりもっと前から?」
「凛が帰ったあとだな。2週間……いやもっとあとかな。いきなり向こうが訪ねてきてな――」
百代は懐かしみながら、身振り手振りを加え、そのときの様子を話した。そして最後に穏やかに微笑みを浮かべ、締めくくる。
「あいつらには大分救われた……だから感謝してるんだ。会えなかったらと思うとゾッとする」
話題が途切れることはない。
「凛が京都にいたのは、鍛錬の一環なんだよな?」
「ええ。あとは日本に慣れておきたかったっていう理由もありますね」
「海外で暮らしてたとか想像できないぞ――」
高校が始まったばかりの頃。
「高1のとき、揚羽さんとな――」
「やっぱり凄かったんですね。手合わせしてみたかったなぁ」
中学時代。
「燕姉が俺によく構うから、上級生とかから――」
「さすが私とタメをはる美少女だな。燕の苦手な物とかないのか?」
師匠について。
「釈迦堂さんがそのことで私の前髪を――」
「それはモモ先輩が悪くないですか?」
好物のこと。
「京都に四季堂って店があって、そこは桃を使ったデザートが――」
「今度それ取り寄せてくれ。奢ってくれてもいいぞ」
そして、話はお互いの実家のことになったのだが、夏目家のことを聞き始めてから百代の様子がおかしくなる。
「――というのが厄介で、道端、林、家の中とあらゆるところに出現して大変だったらしいです。ご先祖様の中には化け猫を使役して、その妖怪の類を退治したり融和を図ったり、逆にそれらを自分の傘下におさめたりしてた人も……て、モモ先輩聞いてます?」
「も、もちろん聞いてるぞ。ドンと来い!」
百代の声は元気なのだが、その表情は固い。凛がそれに不思議がっていると、突然川原の隅にある茂みが揺れる。しかし、一度揺れたきりで、また静寂が戻ってきた。
凛は、その茂みから隣にいる人物へと目を向ける。2人の距離が明らかに縮まっていた。
「モモ先輩……?」
「な、なん――」
見計らったかのように、先ほどとは別の少し離れたところが揺れる。それと同時に、百代の体も大きくビクついた。
――――なんか今日はいろんな表情が見られるな。
百代はその茂みが気になって仕方がないのか、チラチラと目線を移動させる。しかし、決して凝視はしない。隣にいる凛のことも頭から抜けているようだった。
「モモ先輩って、もしかして幽霊とか苦手?」
「うわっ! そ、そそそんなわけないだろ? この超絶美少女武神の私が! はっはっは」
「そうですよね。あ、そうだ。知ってます? テレビとかで言う、水辺って霊が集まりやすいっていうのは本当なんですよ。水の性質が――」
そこでまたもや茂みが揺れ、さらに月夜に照らされる多馬川で、何かが跳ねた。
凛は自分の服が何かにひっかかったのを感じ、そちらを確認する。いつの間にか、百代が彼の服の端を掴んでいた。
凛は微笑ましく思いながら、端を握って離さない百代へ声をかける。
「別に無理しなくてもいいですよ? 怖がる人なんてたくさんいるんですから」
百代は自分の行動に気がついたのか、服を手放す。
「シワになってたんだ! それが気になったんだ」
「そうですか…………あれ? モモ先輩、あそこ見てください。ほら、あの茂みと川の境のとこ」
凛はその方向を指差しながら、声のトーンを下げた。まるで、そこにいる何かに気づかれないように。川のせせらぎがやけに大きく聞こえるのは、彼らが黙っているからか、それとも――。
百代は凛の顔から目を離さず、気丈に振舞う。
「わ、わかってるぞ! いつもの冗談なんだろ? その手にひっかかるか! …………冗談だよな? ……おぃ……早く冗談だと言ってくれ」
しかし耐え切れず、後半はもう懇願に近かった。この間、百代は一度として指された方向へは、顔を向けていない。若干涙目となり、離されたはずの服が、またひっしと掴まれていた。
凛はこらきれずに肩を震わせる。
「すいません。冗談です。だから泣かないでください。なんでそこまで強がるんですか?」
「ッ! 泣いてない。強がってないぞ」
なかなか認めようとしない百代。凛は少し遠くを眺めながら口を開く。
「これから本番ですよね。怪談とか、幽霊とか、怖い話をすると寄ってくるって言いますし……モモ先輩、帰り一人ですけど、大丈夫ですよね? 俺が付き添わなくても、変質者とか幽霊とか、なんか得体の知れない者とか出てきても、自力で何とかしちゃいますよね。でも一つ忠告を……街灯の近くでなんか気配感じたときは気をつけてください。振り向いちゃダメ」
「…………街灯……う~。だいじょう、ぶ……大丈夫、じゃない。おまえは先輩怖がらせて楽しいのか!?」
遂に百代は逆ギレ。凛は声を出して笑う。
「いやだって、全然認めようとしないから。今だって、服の裾離そうとしてないし。言動が一致してないから、言わせたくなっちゃうんですよ。可愛いなぁ先輩は」
「怖いものは怖いんだ! これで満足か!? あいつら触れないんだぞ! 襲ってきたらどう対処するんだよ!?」
自分が鍛えてきた拳が通用しない。それが百代の霊を怖がる理由だった。彼女はさらに言葉を続ける。
「体がないのに、気配だけあるってなんだ!? わけがわからない! 凛が指差した方向も微かに気配感じるし……」
今まで我慢していたのか、百代はそう言うと、凛の背に回って彼を盾にする。彼女の手は、しっかりと肩を掴んでいた。そして、彼の肩越しに茂みを確認する。そこはまた静かに、風で揺れているだけだった。
「あれはちゃんと生きてますよ。猫か、イタチか、それとも河童か……」
「河童!? いや、それならなんとかなる!」
凛はまたもや吹き出した。
「なんとかなるんだ!? あ、触れるからか。モモ先輩vs河童……おもしろすぎる。まぁ残念ながら、あそこにいるのは河童じゃないですけど」
「笑い事じゃない! こっちは真剣なんだぞ! というか、凛の家系は化け物退治やってたんだよな? 今この辺りは大丈夫か? 意識しだすと、なんか変な気まで感じそうだ……」
百代は弱気になっているのか、しきりに辺りをキョロキョロして警戒する。こうなると、暑さを和らげてくれた風すら、何かよからぬものに思えてくるのだった。
「化け物退治はもう何代も前ですけどね。まぁ軽くは継承されていますけど……周りは大丈夫ですよ。だから、そろそろ俺を盾にするのやめてもらえませんか?」
凛は肩に置かれた百代の手をポンポンと叩いた。しかし、百代は首を縦には振らない。
「いや、まだダメだ! まだ何かいるかもしれない。今日はこのまま帰る!」
「盾にされて帰るなんて、生まれて初めての体験だ」
時刻は11時をとっくに過ぎ、満月は中天にさしかかろうとしていた。2人はそのまま立ち上がり、川原をあとにする。彼らが去ったあと、茂みから顔をだしたのは2匹の猫だった。きっとこの猫が現れても、百代は疑ってかかっただろう。
結局、凛は川神院の中――それも百代の部屋の前まで、連行された。その後、彼女は色々と理由をでっちあげ、寝ぼけ眼の一子と寝ることに成功し、夜を無事乗り切ることができたのだった。
ちなみに、念を入れて部屋の中が平気かどうか、凛に尋ねる百代の姿に、一子は首をかしげていた。
◇
そして次の日――振り替え休日――の朝。寮はとても賑やかなことになっていた。
岳人は、テーブルの上に広げられた物を指差し吼える。
「俺様が総理大臣になった暁には、テストというものを全てなくしてやりたいぜ!」
「まぁ総理になれた頃には、テストなんてものを全て乗り越えた先だから、岳人がそれをなくしても何の利益も得られないだろうけどな。あと……馬鹿なこと言ってないで、さっさと次の問題やれ」
その隣で一子に数学を教えていた大和が、ピシャリと言い放った。その彼女は既にグロッキー寸前である。まだ始まって1時間も経過していない。
岳人はダイニングテーブルのあるほうへと目を向ける。
「俺様、マルギッテに教えてもらえると、今の100倍はかどる気がする」
「私はお嬢様へのケアで忙しい。貴様の相手をしている暇などないと知りなさい。教科書を100回ほど読めば嫌でも頭に入るでしょう」
そこでは、マルギッテがクリス相手に教鞭をとっている。いつも軍服しか着てない彼女ではあるが、さすがに寮ではラフな服装にポニーテールとリラックスモードだった。彼女たちがここで勉強しているのは、大和の作戦でもあった。Sクラスにいる彼女は、彼にとっても効率よく勉強を進められる人物だったからだ。誘いだすのは簡単。クリスを誘い、彼女から声をかけてもらうだけで上手くいった。
また、岳人へ厳しく言うマルギッテだったが、もともと面倒見がよい性格をしているからか、それなりに他のメンバーを見て回るなどしてくれていた。
そして、その正面では学年が違う2人がいる。
百代が恨めしそうに、凛を見た。その彼は、お喋りを続ける岳人へ鞭を打っている最中だった。
「くそぅ。昼ごはん食べさせてくれるって言うから来たのに、テスト勉強をするためとは。おかしいと思ったんだ……集合時間が朝からだったし。しかも燕もいる……」
隣にいた燕が、教科書をパラパラとめくる。
「川神院で修行させてもらってばっかりじゃ悪いと思ってね。そこに大和くんから話がきたから、勉強教えてあげようってことになったのさ。さぁさぁモモちゃん、次の問題だよ」
「弟もグル……やるしかないのか~。2人とも恨むからな」
その視線に気づいた凛が顔をあげる。
「今のうちにやっとけば、あとが楽になりますよ。燕姉はかなりの優等生だから、教え方うまいし。……岳人くーん、逃がしませんよー」
凛に首を掴まれた岳人は、立ち上がることができない。
「凛! 離せ! トイレだよ!」
「10分経っても帰ってこなかったから、麗子さんに即行連絡いれる」
「はっはー。ちゃんと帰ってくるとも! ……って、もうカウント始まってんのか!?」
ドタバタとリビングをあとにする岳人を見送り、凛はしばらく教科書を読み込んだ。そして、大和へと声をかける。
「そういや、モロは呼ばなくていいのか?」
「朝はちょっと用事あるらしい。でも昼はこっち寄って、ご飯食べたいってさ」
「了解。キャップは俺が昼作るって言ったら、何やら外飛び出していったしな」
加えて、由紀江は朝から心の家へと出向いていた。
大和が2人の仲介役を果たしたのが先月――謙虚な由紀江は、心にとって可愛い後輩となり、随分気に入っているようだった。
そして、最後の寮メンバーである忠勝は、バイトに出かけていた。
「まぁあれでも、なぜか平均くらいとるからな。ワンコ! これが解けたら飴玉をやる!」
大和の一言で、グテッとしていた一子がシャッキリする。
「頑張るわ!」
そこに玄関が開く音が響く。リビングに現れたのは、買い物袋を提げた京だった。
「ただいま戻りました、旦那様。それと凛、これ」
片方の白いビニール袋が凛に手渡された。中には、小雪のケーキで使う材料がいくつか入っている。
「おお、ありがとう。悪かったな、昨日確認したんだけど、材料足りてなくて……」
「構わない。私も本買いに行くついでだったし。あと、ケーキ作り少し手伝わせて欲しい」
「もちろんだ。ただし、辛いのはダメ。絶対」
「わかってる。指示に従うから安心して。ついでに大和への愛情たっぷりケーキも作ります。ククク」
「まぁほどほどにな」
そこへ、また慌しく入ってくる岳人。
「凛! お前が10分とか制限時間つけたせいで、でるもんもでなかったじゃねえか! このモヤモヤ感どうすりゃいいんだ!」
「まだ全然時間あるぞ……」
「体感で10分とか計れるか。馬鹿野郎! だいたいウン――」
先を続けようとした岳人だが、女性陣からの冷めた視線を感じ、口をつぐんだ。そのまま、大人しく着席。
そして、時計が11時を指したところで、凛は昼食の準備にとりかかる。岳人の担当は大和、一子の担当は京へとなった。
下準備を始める凛にクリスが話しかける。彼女の勉強はひと段落ついたようだった。
「自分も何か手伝えないか?」
「クリスは料理の経験あるか?」
「いやない! でも自分はやればできる。父様の御言葉だ」
胸を張って答えるクリス。彼女は自信に満ち溢れている。
――――マルギッテさんが何か言うかとも思ったが、別に口をはさむつもりもないみたいだな。
マルギッテは一瞥しただけで、今も大和の質問に答えていた。
「そうか……ならば、クリス隊員! 君には海老の皮むきの任を授ける。任務が完了し次第、次の任を与える」
クリスの前に置かれる解凍された海老。食べる人が多いため、量もそれなりにあった。
「了解した! まかせておけ! ところで、どうやってこれ剥くんだ?」
「ここをこうやって……んで、ここをこうすれば。できあがり」
クリスは凛の手元を見ながら、何度も頷き、見よう見真似でゆっくりと下処理を行った。そこへもう一人――京が加わってくる。テーブルでは一子が真っ白に燃え尽きていた。
「中華なら私におまかせ。めくるめく辛さの世界へみんなをご招待」
凛は調味料を作る手を止めずに、会話をする。
「激辛も悪くないんだけど、食べられないのは困る。麻婆豆腐の辛さを調節して……辛めとあまり辛くない2種類を作ってくれるか?」
「お任せ侍。……デスチリソースは入れてもいいかな? いいとm」
「ダメです。一回、京の胃袋がどうなってるか見てみたいわ」
「いくら凛でもそれは見せられない。私の体は大和だけのもの」
「それは残念……とりあえず、その手に持ってる深紅の液体を置こうか」
凛はそう言って、京の右手に握られたビンを没収した。身長差25センチの壁は厚く、彼女が手を伸ばしても、彼の手に握られたビンに届きそうない。
「あ~。最近、姑の嫁イビりがひどくなってる……」
「大和の母になった覚えは一度としてない」
コントを繰り広げる中、クリスの元気な声が響く。
「凛! できたぞ。見てくれ」
「おっ早いな……マルギッテさんと一緒にやったのか」
クリスの隣には、マルギッテが並んで立っていた。
「お嬢様だけにやらせるわけにはいかない。それで、次はどうするのです?」
「次は背ワタを取り除いて、これで海老を揉んで水洗いを……そのあとはさっと茹で上げてもらえますか? すぐに火が通るので、注意してください……て、クリス! その包丁の持ち方やめろ! 指切り落としそうでハラハラする」
「心配す……うわぁ!」
「お、お嬢様! やはり包丁は――」
料理は賑やかに進んでいった。
□
昼食はさらに大人数となった。卓也は昼の準備が終わる前に顔をだし、同時にワカメと川神貝を持った翔一が帰ってきたのだ。彼の持物は、バイト先の店長からの頂き物らしかった。もちろん、その材料も使われ、最後の一品――海鮮スープへと変貌する。
総勢11人の食卓は、麻婆豆腐、回鍋肉、エビチリ、豚肉のコチュジャン炒め、三色サラダ、棒棒鶏、海鮮スープと中華一色となった。肉類の料理の量が他を圧倒しているのは、川神姉妹が持ち込んだ材料のせいである。
その料理の最中、中華鍋を振ろうとしたクリスが、中身をぶちまけそうになったのも、仕方がないことだった。もし迅速なフォローがなければ、キッチンは回鍋肉の海になっていたにちがいない。
その料理も1時間経たないうちに、空となる。いつか紋白が言っていた言葉『健啖家には強いものが多い』は、間違いなさそうだった。
それから食休みをはさみ、ある者はさらなる勉学へ、ある者は姿を消し、ある者はお菓子作りへと散らばっていった。ちなみに、姿を消した者は、その後ロボットの監視の下、勉強させられることになる。
凛は綺麗に片付いたキッチンにて、助手となる京を横に置き、研修生のクリス、保護者マルギッテを交えて、即席お菓子教室を開いていた。
「では、今回はロールケーキをましゅまろで包んだものを作りたいと思います。材料はこちらで揃えておいたので、失敗を連発しない限り、寮のみんなにもごちそうすることができます。俺は小雪のケーキ作りで、ずっと見てやることができないので、京そしてマルギッテさん、クリスのサポートをよろしくお願いします」
その一言に、クリスが反論。
「自分なら大丈夫だぞ! やり方さえ教えてもらえば、きっとできる」
「そう言って、さっきの料理で『最後の仕上げに』と持ち出したハチミツと練乳の恐ろしさを俺は忘れない」
「ハチミツは甘いんだぞ! 練乳も同じだ。だから、かけたら美味しくなる! 稲荷ジュースと同じ理論だ!」
そこへクリスの援護射撃が入る。マルギッテだ。
「夏目凛! 食べてもないのに、言いがかりをつけるのはやめなさい」
「なるほど……ならば、京!」
「用意はバッチリだよ」
用意されたのは、稲荷が沈められた水。ジュースと呼んでいいのかわからない代物が、テーブルに置かれた。卓也曰く「前衛的」とのこと。正直見るも無残なことになっている。はっきり言って、飲む意欲が1ミリも湧いてこない。
凛がそれを持ち、マルギッテの目の前に差し出した。
「まずは、ぐいっといってみてください。クリスには悪いが、俺にその勇気はでなかった」
「いいでしょう」
マルギッテはそのまま一気にそれを飲み干した。ついでに、稲荷も食べてしまう。そして一言。
「……飲めます」
「美味しいとは言わないんですね」
様子を見守っていたクリスが、マルギッテへと詰め寄る。
「美味しいよな? マルさん」
「もちろん美味しいです。お嬢様」
そのやりとりに、凛はため息をもらす。
「いや……まぁ時間もないからとにかく始める。ただし! クリスは何か投入しようと思ったら、必ず俺に許可を求めにくること!」
「夏目凛! お嬢様の行動を制限する気か!?」
「美味しいものを作るためです!」
場は作る前から、混乱し始めていた。
◇
その後、出来上がったのは仄かにピンクがかったロールケーキと茶色のロールケーキだった。ストロベリー味の方が小雪へ、ココア味は寮にいるメンバーへ振舞われる。クリスの暴挙は未然に防がれたのであった。
しかし、ロールケーキはもう一つあった。一度作り終えてから、余った材料で京が独自に作ったものなのだが、普通に作られたものなのか、それとも別の何かなのかは彼女しか知らなかった。
小雪用のロールケーキには、約束したように砂糖菓子人形が乗っていた。HAPPY BIRTHDAYとチョコレートで書かれた横に、兎耳をつけた小雪、垂れた犬耳の冬馬、最後にライオンの鬣をつけた準の3人が笑顔で座っている。
なぜ鬣をプラスしたのかと問われた凛はこう答えた。
「準になんかの獣耳だけ生やすと、変態チックになってしまう……」
凛の忙しい休日はあっという間に過ぎていった。