台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題   作:まかみつきと

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黄昏幕間。

※ここからいくつか、アニメ設定です。
・楽俊は慶の大学に留学中。
・あわせて、バイトと実務をかねて金波宮に内豎として出仕。
・あくまで身分は学生なので昇仙はしていない。

というアニメ独自の設定を拝借しております。
原作至上主義の方はご理解のうえご覧ください。



||72|| 目を閉じてるのは自分だけ?(陽子・楽俊)

 黄昏を終えた昏い堂室の中、控えめな香りと茶器の微かな音に、陽子は抱えた膝に埋めていた顔をそろりと上げた。

 覗えば、僅か困ったような笑みを浮かべた青年が、脇の卓子に餡菓子の乗った小さな皿を置くところだった。

「楽俊……」

 名を呼んだものの次が続かない陽子に、楽俊がそっと笑った。

「まあ、茶でも飲んだらどうだ」

「……うん」

 手に取った茶器は指先にほんのりと温かく、口にすれば身体の奥まで柔らかい香りとほどよい熱が伝わっていく。

 同じように促がされた菓子は、しっとりした甘味が舌に沁みた。

 息を吐いて、ようやく強張っていた身体から力が抜ける。同時に、身内の荒れた波が引いて行くのがわかった。

 楽俊は急かすでもなく、榻に座る陽子の足元に黙って腰を下ろした。

 陽子がなにかを悩んでいるとき、彼はそうやってただじっと待っている。

 隣に座るのでも前に立つでもないその姿勢が、まるで自分で歩もうとする幼子を見守る親のようだと気づいたのは、いつだったろう。

 間違っているときは諄々(じゅんじゅん)と諭し、辛いときは慰めてくれるけれど、自分で答えを出さなければならない時には口を挟まない。そのかわり、いつでも手の届くところで待っていてくれるのだ。

 きっと誰かに話を聞いているだろうに、静かな目には責めるふうも呆れる色もない。

 思えば、故国でそんなふうに陽子を見てくれた人はいなかった。しいて言えば祖父母がそうだったのかもしれないが、幼い頃のあやふやな記憶に呑まれてさだかではない。父や母にはそれすらもなかった。

 荒れ狂った感情が鎮まれば、自分の内面はおのずと露わになる。

 それを切り開くのでも掘り起こすのでもなく、ひとつひとつゆっくりと見て廻り考えるのを、静かな時間が助けてくれた。

 どうすればいい、と聞くことは容易いが、彼はそれを許してはくれないだろう。

 悩むことも仕事のひとつ。自分で考えて出した答えでなければ意味がないのだから。

 それでもまとまらなければ声に出してみろ、と楽俊は言う。

 頭のなかだけでおさまらないなら、思いついた事柄を誰かに聞いてもらえ。そうすることで気がつくこともあるし、溜めこむ一方よりはましだから、と。

 だから、陽子はぽつりぽつりと口を開く。

 李斎のこと。載のこと。

 覿面の罪というものがあるということ。

 それによって李斎の望む救援が阻まれること。

 延王や皆の意見、自分の気持ち。

「わたしは、国境はあっても覿面の罪なんていうものはない世界で育ったから、他国に構わない、構えないということが納得できないんだ。たしかに、いまの慶に何ができるわけでもないかもしれない。だけど、いまここで助けを求めている者を見捨てることは、わたしにはできない。したくない」

 片腕を失い、酷い有様で転がり込んできた女。

 仮にも将軍であったのだから、先触れも許可もなく他国の禁門に踏みこむことがどういうことか、知らぬはずもない。

 そうと知りながらなお禁を犯し、血にまみれた身体ですがる者を無碍にすることなど、陽子にはできなかった。

 かつて、人に追われ、妖魔に狙われた自分。

 休む場所も食べるものも、眠ることすらままならなかった日々がある。

 何故と嘆き、どうしてと恨む彷徨のなかで、陽子は一度死にかけた。

 その辛さを同じように辿っている者があると知って見ぬ振りをすることは、過去の己を見殺しにするようなものだ。

「わたしは楽俊に救われた。なのに、わたしが李斎を助けてはいけないという。わたしが王だから? わたしがただの慶の民だったらできて、王だと駄目なのか? 王は民を守るもので、民を見捨てるものじゃないだろう。救いを求める者が自分の国の民ではないから放っておけだなんて、そんなの正しいとは思えない!」

 あの恐怖。

 あの絶望。

 指先から凍えていく血の気配に、自分は死ぬんだと思った。

 雨よりも自分の身体が冷たくなるのを、ただぼんやりと空虚な頭で認識して、こんな死にかたならそれほど悪くないと何もかもを投げ出した。

 助かったあとにそれを思い起こして、異様なまでの恐怖に襲われた。

 死ぬのは怖い。

 そんなものは、仙でもただの民でもかわりはしない。

 自分の味わった絶望にいま幾万の人々がおなじに怯えていると知って、平静でいられなかった。

 わななく両手で、まとめられた髪を掻き毟る。その手首を、温かい掌がひきはがした。

「陽子」

 乱れ落ちた髪の隙間から、夜の色の目がまっすぐに陽子を見ている。

「陽子が納得できねえのは無理もないと思うけど、こっちにはこっちの理屈がある。それは陽子にだってわかるだろ」

「……うん」

「天があって、天の定めた法がある。ここで生きる限り、たとえ王でも仙でも破ってはならないきまりだ。それを踏み越えれば、遵帝のように罰を受ける。どんなに不条理に見えても、それが天の理なんだ」

 落ちついた声音に、だけど、と唇を噛んだ。

「……わたしは、李斎を助けたいと思った。命がけで頼ってきた者を振り払うようなことはしたくないし、彼女の辛苦を知って放っては置けない。だけど、わたしがそれをすれば条理に触れて、罰はわたしだけじゃなく景麒や、引いては慶の民にまで及ぶ。それはわかってる。でも……!」

 慶の王であるなら、関わってはならない。

 けれど、個人としての自分がそれを是としないから、理性と感情が頭のなかで嵐のようにせめぎあって吐き気がする。

「陽子」

 ぐらりとかしいだ頭が、すんでのところで抱きとめられた。

 きつく目を瞑って、支えてくれた肩に額を押し付ける。それを拒絶せず、乱れた髪から紐を梳き頭を撫でてくれる手の温かさに、波は次第に収まっていった。

「---落ちついたか?」

 低い声にこくりと頷くと、楽俊はちいさく笑った。

「あんまり自分を追い詰めすぎるな。なにもかもを手にいれることはできねえけど、全部を諦めちまうのも気が早すぎるだろ」

「楽俊……」

「まだ全部が駄目って決まったわけじゃねえ。王師を派遣するのが無理なら、他の方法を探してみろ。目の前にある壁がどんなに高くてどんなに厚くても、地の果てまで続いてるとはかぎらねえんじゃねえか?」

 うん、と応えてようよう顔を上げる。 

「ほら、ちゃんと髪直して。美人が台無しだぞ」

「またそういってからかう……」

 聞き慣れない賛辞は照れくさいからふくれてごまかし、受け取った紐で手早く髪を結わえた。

 きっちりと髪を束ねるのは、はきと顔を上げて歩むことに似ている。

 ぴしりと背中が伸びるのを感じて、陽子は立ちあがった。

「李斎のところに行ってくる。まだなにができるかわからないけど、少しでも力づけたいし、彼女と話してみたい」

「そうか」

 頷いて同じように立ちあがった楽俊に、陽子は改めて向き直った。

「ありがとう。わたし、楽俊に面倒ばかりかけてるね」

 見上げた黒い目が、すこしくすぐったそうに笑う。

「なに、好きでやってることだ。それに、おいらがおせっかいなだけかもしれねえぞ」

「だったら、わたしはおせっかいなほうがいいな」

「そいつはよかった」

 顔を見合わせてくすりと笑い、陽子はよしとひとつ気合を入れた。

「じゃあ行ってくる。……みんなには、まだ内緒にしてくれるかな?」

「ああ、わかってる」

 笑った楽俊が、陽子の前髪をくしゃりと撫でた。

「いくら悩んだっていいんだ。悩んで悩んで、そのうえで出した答えなら、きっと間違っちゃいねえさ」

「……うん。ありがとう」

 行って来い、という声に背中をおされて、陽子は軽く駆けるように堂室を出た。

 信じてくれる人がいること。

 支えてくれる手があること。

 それを忘れないでいれば、進みつづけるのもそう辛くはないと思えた。

 

 

初稿・2005.06.01




やっちまいました。アニメ設定で「黄昏」幕間です。
うう、楽陽にならんかった・笑
実際やるとしたら、楽俊のポジションてどうなるんだろー。
役職上、官との協議の場には顔出せないだろうし。

まったく関係ないですが、アニメで維竜出撃直前の「新しい慶王がどんだけ美人かいいふらしてくる」という台詞が結構気に入っていたり・笑
原作の楽俊なら絶対言わないでしょうけどね。(絶対と言いきれる自分がちょっと悲しい)
顔の美醜なんざ気にするような人じゃないですし。
あー、黄昏と図南、アニメ化してくんないかな。

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