台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題   作:まかみつきと

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ひとつめの山。


||65|| ほら、根性見せろよ。(楽俊・陽子)

 ひとつめの山は十年目。

 それが、十二の王と麒麟には通説になっている。

 それは厳密に即位から十年なのではなく、新王を迎えた朝と国がひとまずの安定を得、ほかが動き出す余裕の出始めた時期、という意味なのだろう。

 傍目にはひととおりが整った制度。王の采配に従う官吏。妖魔は最早なりをひそめ、大地は命を取り戻し、民に活気が戻った頃。

 だれもかれもが一息ついた、その空白に足を取られる。

 そう思って、青年は手元の書類を抱えなおした。

 慶に新王が立ってから、すでに八年が過ぎた。

 そろそろ幾人かがこの国の先行きを気にとめていることを、彼は知っている。

 隣国の雁からはさりげなく、遥か南の奏は旅人に混じり、それとなく様子を伺われた。

 気分がよくなる筋のことではないが、それも仕方ない。

 芳と巧は今だ新王を得ず、先年には柳が倒れた。舜は相変わらずどことも国交が浅く、王の様子も窺い知れない。

 載のことも気にかかる。

 十二のうち五国が不安定で、三国はまだ十年の山を迎えてもいない。堅実な治世を敷いている四国にしてみれば、どんなささいな噂でも見過ごせはすまい。

 ひときわ豪奢な扉の前で足を止めて二度叩くと、なかからくぐもった声が応えた。

 それを不思議に思いながらなかに入って、なるほどと笑った。

「なんだ、うたたねか?」

「あんまり気持ちがいいから、ちょっとだけね」

 明るい光の射し込む堂の窓辺で、榻に寝そべった少女が照れてちょっと舌を出した。

「あーあ、はしたないところみられちゃった」

 寝転がるのに邪魔だったのか、いつもは後頭部でまとめている髪がほどかれて、錦の上に紅い波をつくっている。

 起きあがろうとするのを、手をあげてとどめた。

「今日は朝から休みなしなんだ、休憩したっていいさ。もうちっと転がってろ」

「はあい」

 いつもならば否と言って机に向かうものを、今日は素直に笑って榻に背を預ける。傍らの卓で茶の用意をしながらそっと覗えば、やはりどこか疲れた顔をしていた。

 国がひとまず落ちついたからといって、問題がなくなるわけではない。

 これまでのようにその場しのぎではなく、すべてに本腰を入れて先の先まで見とおさねばならない。

 法の整備や治水に開墾。

 土地が荒れたせいで生産のおぼつかなくなっていた茶の流通は、特産物の乏しい慶の最重要課題だ。

 そのうえ、それまで奏や雁に流れていた巧の荒民が、慶にも逃げ込みつつある。

 まさか追い返すこともできないが、まだ自力で立つことすら危うい慶には痛い話だ。

「昨夜も遅くまで書類読んでたのか?」

 湯呑を渡しながら聞くと、王である少女は肩をすくめた。

「まあ、ちょっとね」

「朝が早いんだから、夜更かししてると身がもたねえぞ」

「うん」

 頷くだけは頷くのを見て、やれやれと隣に腰を下ろした。

「陽子は、返事はいいけど実際となるとなあ。自分が納得しねえと駄目だもんな」

「う……」

 行儀悪く膝に肘をつきながら横目で見ると、湯呑を抱えながら同じようにこちらを覗っている顔がある。

「よーこ?」

「……はぁい」

 分がないと知って降参の顔になった陽子の髪を軽く撫でた。

「仙だから多少の無理は大丈夫だ、なんて思うなよ。体力はなんとかなっても、気力がついていかなけりゃ調子崩しちまうんだぞ」

「うん、わかってる」

 頷いた陽子が、明るい薫りの花茶に深い息をついた。

「……このさきずっとこれをしつづけなければならないっていうのは、けっこうしんどいものがあるね」

 小さく漏れた言葉と、伏せた睫に落ちた(かげ)に、楽俊はかすかに目を眇めた。

「しんどいか?」

 責めはしない。そのかわり、憐れみもしない。そのどちらも、自分の役目ではないから。

 ただ聞いたというだけの声音に、ん、と頷きが返った。

「ちょっと、ね。そう思うこともある」

 ことりと肩に寄りかかってきた頭を、押し返さず黙って受けとめる。

「ほかの人には言うなよ。心配するから」

「言わないよ。楽俊だけ」

 互いにだけ聞こえる程度の微かな声で交わす、危うい言葉。

 もたれかかる髪を、撫でるように梳いた。さらさらと流れ落ちる感触が、指にひどく甘い。

 王でも民でも、安寧を願う心に違いはない。

 ただ、民は望み祈るだけであっても、王はそうあるよう努めねばならないのだ。

 この先いつまで続くかわからないその道を思い、遼遠を憂いて投げ出す者があるのも無理からんのかも知れない。

 王とは、玉座とは、これほどまでに重い。

 

 王は国を支えるが役目。

 そして、王を支える者も必要なはず。

 民だけでは立てず、国だけでも立てないのなら、王だけが一人でいていいはずがない。

 

「仕事が一段落したら、尭天にでも下りてみるか?」

 唐突な申し出に、翠の瞳がまたたいた。

「紙の上だけで物を考えてたんじゃ視野が狭くなるし、自分の目で見なきゃわからねえこともあるからな。隣にいい見本があるだろ。それに、ずっと王宮にこもりっぱなしじゃあ、陽子自身にもよくねえし」

 怪訝そうな顔をしていた陽子が、ややあってくすぐったそうに笑った。

「やっぱり、楽俊て優しすぎ」

「そうか? ただ一番いいと思うことを言ってるだけなんだけどな」

「だって、わたしにいいようにって考えてくれてるんでしょう? それってすごく嬉しい」

「そりゃあよかった」

 翳の消えた少女に、そうと知られぬよう楽俊は安堵の息をついた。

 

 

初稿・2005.05.06

 




ちょっとあぶなっかしい陽子ちゃん。
彼女は尚隆と違って、投げ出すときは衝動的に行きそうな気がするんだよな。
そのかわり、一気に全部投げ出すから国が荒れるより先に禅譲でカタがつきそう。
小松氏は利広の推測と一緒で、バレないよう黙って計画を練りそう。
気がついたときには誰にも止めようがないってかんじですね。

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