台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題   作:まかみつきと

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門出です。


||63|| それでいい、それがいい。(楽俊・陽子)

 

「文張」

 静かだが深みのある声に呼ばれて、楽俊は振り返った。

「豊老師」

 美髯をたくわえた老教師の姿をみとめて拱手する。軽く会釈して応えた豊が、楽俊の横に立った。

「名残惜しいかね」

 常と変わらず穏やかに問われて、小さく頷いた。

「そうですね、いろいろ思い出がありますから」

「そうさな。良いも悪いも過ごした年分はあろうが、あとから思えば良いことばかりに見えるから不思議なものだ」

「老師もですか?」

「それはもう。数え切れんほどで、おかげではしから忘れておる」

 冗談めかした軽口に二人で笑った。

 正門前のこの場所は、大学の主な建屋を一望できる。過去、ここを巣立つ学生たちがこうやって立っていたのを、豊は数知れず見てきているのだろう。

「元気でな」

 かけられた言葉に横を向くと、榛色の目がこちらを見ていた。

「そなたには、儂の後継として大学に残って欲しかったのだが、まあ若い者には無理な相談かも知れん」

 好々爺然とした老教師は、返答に困った楽俊の肩を軽く叩いた。

「身体に気をつけてな。たまには顔を見せに来なさい」

「老師も、いつまでも御健勝で」

 深く一礼した楽俊に、豊は笑って頷き背を向けた。それを見送って楽俊も院子をあとにする。そろそろ迎えが来る頃のはずだった。

 なにしろ宴会好きの延王主従が大学卒業などという大きな名目を見逃すはずもなく、「このあいだのは試験の慰労。今度のは卒業祝い」とのこじつけのような理由で、またもや酒席が用意されているという。

 待ち合わせに正門を出たところで、ふと足が止まった。

 薄浅葱の濃淡の襦裙に紅い髪。すらりと伸びた花を思わせる人影が、楽俊を見て微笑む。

「楽俊」

 呼びかけられて、そちらに向けた歩みを速めた。

「陽子、わざわざ来てくれたのか」

「うん。お祝いかねて、迎えに来ました」

 甘い色合いの裳裾をふんわりと揺らした少女が、にこりと笑う。ゆったりした袖を気にしながら、手にしていた色とりどりの花を差し出した。

「あちらでは、卒業や入学とかのお祝いに花束を贈るんだ。というわけで、蓬莱風に。---卒業おめでとう」

 柔らかい布のような色紙(いろがみ)と幾本もの細い飾り紐でまとめられた花は、まだ露に濡れているのかいっそう鮮やかに見える。それを受けとって楽俊は破顔した。

「ありがとうな。なんか、すごく嬉しい」

「そう?よかった」

 嬉しそうに笑った少女の頬を、艶やかな緋色が彩った。長い髪は常とは違って丹念に梳られ、後頭部で結われた一房には小さな銀の飾りがさしてある。丈の長い衣装も、彩りは控えめながら上品な仕立てで彼女の容姿をうまく引き立たせている。

「もしかして、お祝いだから綺麗な恰好してきてくれたのか?」

 普段は簡素が一番と王にあるまじき服でいる少女は、いまさらにそわそわと服をなでつけた。

「だって、せっかくだし、やっぱり卒業式は正装かなあって。でもうっかりそう言ったら、祥瓊がはりきっちゃって」

「祥瓊らしいな」

 日頃からなんとか陽子に見栄えのする恰好をさせようと奮闘しているらしい祥瓊である。こんな好機を逃すはずもない。 

「わたしだって綺麗な服を着るのは嫌いじゃないけど、とても毎日はできないな」

 本気で言っているらしい陽子に、楽俊が笑った。

「女の人はそれが普通なんだぞ。陽子のは男装じゃねえか」

 今の蓬莱では、あまり男女の間に服装の差はないという。ことに女性は男性とたいして変わらぬものも着るそうだが、こちらではそうはいかない。事実、陽子は袍を着て市井を出歩くから、なんの疑問もなく少年扱いされている。

 的確な指摘に、陽子がむうと眉を寄せた。

「祥瓊たちにも言われた。せっかくいいお品がたくさんあるのに、使ってあげなきゃ御物が可哀想だって」

「そりゃあ真理かもしれねえな」

「だけど、こんなの着慣れないから動きにくいし、衣装も飾りも高価なんだから汚したり壊したり出来ないでしょう? そう思うと立ってるだけで気疲れするんだ」

「王様の衣装が高くないわけねえって」

 年に一遍の晴れ着を着た子供のような物言いに、くすくすと笑う。

 十六頃までを育った故国では中流程度の家庭だったようだが、今の彼女の性格はこちらへきてから形成されたようなものらしい。

 たったひとりで異国に放り出され、生きるか死ぬかの瀬戸際で放浪していた数ヶ月は、同時に銭などろくにないような旅でもあった。

 そのころの金銭感覚がまったく抜けていないようで、小さな露店を覗く時でさえちょっと高いとぼやきかねない陽子である。若い娘なら誰でも憬れそうな絢爛たる衣装も、式典だから、義務だからと着ているだけで、本人にはただの有難迷惑でしかないわけだ。

 けして楽ではない暮らしで育った楽俊もあまり着飾りたがらないから、陽子の気持ちもわからないではない。彼女のそういうところはむしろ好ましいが、数ある儀式、各国からの賓客があるたびに陽子を説得しなければならない傍仕えはさぞや気苦労が多いだろう。

「そんなら、それも御庫のものなのか?」

 いま陽子が身につけているのは、それほど豪華なものではない。楽俊に女服の良し悪しはわからないが、ちょっとした富貴の娘ならともかく、女王や王后が着るには質素すぎる。

 絹らしいやんわりとした裙を軽くつまんで、陽子が肩をすくめた。

「さすがに目立ちすぎるから駄目だよ。これは、祥瓊が街でみつくろってきたんだ。これくらいなら妥協できるでしょうって」

「妥協とは、祥瓊も言うなあ」

 複雑そうな陽子に、楽俊は声を上げて笑った。

「たしかにこれくらいなら軽いし動きやすいけど、やっぱり歩き方とか気になるし、着慣れない分だけちょっと照れるね」

「そうか? よく似合ってると思うぞ」

 女王として身につける衣装は、豪奢な分だけ位の重みがある。それに比べると、今の服は軽さと色合いがいかにも若い娘らしい。

 当の陽子は誉められるのがこそばゆいようで、うーんとか言いながら用もなく裾を直したりしている。

「楽俊も、日頃からこういう恰好するべきだと思う?」

 思案顔で聞かれて、つい真面目に考えてしまった。

「べつに、必ずってことはなあ。陽子だって、儀式のときはちゃんとした衣装を着るんだろう? 公務のときは官服で、たまには気分を変えてそういう華やかな恰好もありとか、その時々で使い分ければいいんじゃねえのかな。要は礼儀が保てさえすれば、本人が過ごしやすいのが一番だろ」

「そっか」

 小首を傾げて聞いていた陽子が破顔する。

「楽俊が言うと重みがあるね」

「それを言うなって」

 茶化されて、楽俊は苦笑した。半獣とはいえ、このほうが楽だからと上甲(うわぎ)もなしに王宮に上がったのはきっと楽俊くらいなものだ。

「難しいことは抜きにしても、おいらは陽子の好きでいいと思うぞ。だいたい、陽子はなに着ても似合うんだから」

 ごく自然に言われて、陽子が一瞬詰まった。

「……楽俊て、天然だよね」

「てんねん?」

「なんでもないです」

 意味が通じなかったのを幸い、陽子がほらと楽俊をせかした。

「そろそろ行かなきゃみんな待ってるよ。花菱楼ってお店だって」

「か……え、あそこって、すごいいい店だって話だぞ?」

「大丈夫、お二人が主催なんだから。ちょっといつもより人数多いけど」

「---まて、何人いるんだ?」

 不穏なものを感じて確認すると、陽子は無邪気に指を折った。

「えーと、お二人に、祥瓊と、鈴でしょ。桓魋と、浩瀚と遠甫も来てるよ。あ、それと壁先生も。朱衡さんも来たいって言ってたそうだけど、どうしたかな。景麒は酒席にあわないから留守番」

「……とんでもねえことになりそうだな」

 いつもの顔と友人たちはともかく、一部予想もしていなかった名前に、額を押さえた楽俊だった。

 

 

 はたからみれば充分仲のよさそうな後ろ姿に、鳴賢が深い溜息をつく。

「……玄章。ああいうのを、世間じゃ恋人同士って言うんじゃないのか?」

「気持ちはそりゃもうよくわかるけど、あんまり顔出すと見つかるよ」

 門柱に隠れながらぼやく友人たちの姿に、むろん二人が気づくはずもなかった。

 

 

初稿・2005.04.28




超個人的に、壁先生にはなんとなく今後も縁あって欲しいのであります。
なんたって物語のターニングポイントつくった人だし。
宮廷とは関わって欲しくないが、そうすると寿命が・・・。


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