台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
御璽を捺し終わった書類を脇にどけて、陽子はその山をしみじみと眺めた。
下心があるときは、どうしてこうも仕事が早いのだろう。
べつにやましい裏なわけではないが、御機嫌取りの意図を感じて自分で苦笑する。
「どうかなさいましたか」
かなりの厚みがある紙の束をまとめながら、浩瀚がちらりと陽子を見た。
それに、なんでもない、と言いかけてやめた。
なんでもないわけがない。
「浩瀚、たのみがあるんだが」
「是と申し上げるにはことと次第が左右致しますが、伺うだけお伺い致しましょう」
顎の下で組んだ手が、がくりと崩れる。
やすやすと許可が出るとは思っていないが、最初から釘を刺されるとも思っていなかった。これだから金波宮の、というか自分の廻りの者たちは油断がならない。
態勢を立て直すために、軽く咳払いなどしてみる。
「えーと。ちょっと、雁に行ってきたいんだけれど」
「主上」
叱咤一歩手前の声は脇に控えていた景麒だが、浩瀚は視線だけでそれをやんわりと制した。
「雁へとはまた唐突な。どのような御用ですか」
沈着冷静が売りの冢宰は、裏を返せば永久氷壁のように攻略が難しい。私事で王宮を出たいときはなんだかうしろめたいものだから、よけいに腰が低くなってしまう。
「延王と六太君が、楽俊の卒業試験が終わったらちょっとした慰労会みたいなのをやるっていうんだ。それで、わたしも顔を出したいなって」
視界のはしで景麒の眉が急角度に上がるのを確認しつつ、あえてそちらは放置する。
遠甫の快諾は貰っているから、あとは浩瀚の許可さえ出れば景麒もあたまから否とは言えまい。
その浩瀚をはいと言わせるのが、けっこう難事なのだが。
はたして、切れ者の冢宰は軽く頷いた。
「成程。一昨日延台輔がお帰りになってから、常にもましてご公務に精を出しておられると思っておりましたが、そういう事情でしたか」
「……まあその、スケジュールを明ける為には前もって準備がいるというか」
「蓬莱の言葉でごまかしても駄目ですよ」
「スケジュールは予定って意味だ!」
現代日本は日常にも英語が溢れているから困る。あちらからこの世界に来た身には、どこまでが翻訳の有効範囲かわからなくてやりづらいのだ。
「……とにかく、行き帰りを入れて三日、休みをくれないかな」
陽子はやったことがないが、小遣いを親にねだる子供の気分とはこういうものかもしれない。
もしくは、言われた用事は全部済ませたからお菓子を買って、だ。
まったく、王様と言ったって中身はそのへんの子供とかわらない。
いつもどおりの穏やかな表情で書類をめくった浩瀚が、軽く頷いた。
「急ぎの案件は片付きましたし、ここしばらくはそれほど忙しくないですから、三日ほどなら大丈夫でしょう」
「本当?」
「浩瀚!」
歓喜と勘気。二人の声が重なって、浩瀚がくすりと笑った。それから、おもむろに居住まいを正す。
「ただし、条件がございます」
え、と見上げる王に、冢宰が怜悧な官吏の目を向けた。
「今期、雁国大学を卒業する張清なる学生に対し、卒業後はこの金波宮に出仕するよう御説得をお願い致します」
「……は?」
翠の目を最大限に開いてぽかんとする王の前で、浩瀚は眉一筋も動かさない。
「これは主上の休暇との交換条件でございますので、雁に御遊行なさる以上、必ず色よい返事をお持ち帰りください。懇願で駄目なら実力行使でも舌先三寸でも---主上には難しいかもしれませんが、つじつま合わせはわたくしのほうで致しますので、どのような方法で篭絡なさっても結構です。是が非でも、御獲得くださいませ」
「で、でも」
一言も挟めなかった陽子が、浩瀚を慌てておしとどめた。
「どこに就職するかなんて、楽俊が決めることだろう。まして、楽俊は巧の生まれなんだし、大学は雁だ。それだけでも悩むかもしれないんだから、わたしがそんな無理は」
「無理でも横車でも、どうぞ御存分に」
「存分と言ったって……わたしだって、怒られたり嫌われるのはいやだよ」
「物事には正があれば負もあるということで、そこは我慢なさってください」
「……わたしが怒られるのは構わないということか?」
「よろしいですか、主上」
そろそろ目つきの険しくなってきた陽子に、すこぶる品のよい笑みが相対する。
その背後に見える、表情とは正反対の反駁は許さんと言わんばかりの気配に、陽子の怒気が脱兎の勢いで逃げ出した。
にっこり笑顔の浩瀚というのがこんなに怖いとは、陽子だけでなく他の者も思わなかったろう。現に、横に立っていたはずの景麒がじりとさがる気配がする。思わずはっしとその袍をつかんだのは、生物の本能のようなものだ。
それを当然見ているだろうに、浩瀚はあいかわらず笑顔のままである。
「王の役目は国を統治することでございますね。ですが実際はそれをひとりで行なえるわけではございません。勅命・勅令をのぞき万事に官との協議が必要であり、またじかに民や土地をまとめるのは、高官下官を問わず官吏の役目。王はそのための采配を振るい、諸官をたばねるが役目でございましょう。百官を手足のように滞りなく使い国土を安寧せしめてこそ、名君といわれるのではございますまいか」
「は、はい」
いつのまにか教師口調の浩瀚に、陽子はただこくこくと頷く。
「ですが、あいにく慶には安心して役を任せられる官がまだ少のうございます。であればこそ、すこしでも見込みがある者なら、招くにやぶさかではない。それにはどんな伝手だろうが活用せねばなりません。まして楽俊殿は、延王ばかりでなく雁の秋官長殿までが折り紙をつけたというではありませんか。どうあっても慶にきていただかねば困ります」
「だけど、本人が否というのを強引にお願いはできないよ。それに、六太君も雁に欲しいって言ってたし」
「そこを無理にでも、と申し上げております。もしも雁から苦情がきたら、構いませんから正直に実情を教えて差し上げなさい。第一、これ以上増やさなくても雁にはよく働く官が揃っているはずでしょうし」
「雁の官はってのは同感だけど、うちの内情まで喋っていいのか?」
「慶の人材不足は切実です。外聞になど構っていられません。それでも駄目と言われたら、氾王に泣きつくとでも言えば少しは考えてくださるでしょう」
「……浩瀚、それは脅しに聞こえるんだが」
「それが交渉というものですよ」
「慶は雁に山ほど借りがあるんだぞ。そんなこと言っていいのか?」
「蓬莱はいざ知らず、こちらには覿面の罪がございますから、怒ったところで攻めては来られますまい。援助をせぬと臍を曲げても、荒民が流れ込めばそれまでですし、大国の面目もございますから無碍にはできないでしょう。このうえまだ借りを増やすかと言われたとて、いまさらもう一つくらい増えたところで雁の身代が傾くわけでなし」
放っておけば延々喋っていそうな浩瀚に、陽子は額を押さえた。
「よくもまあそれだけすらすら出てくるな」
「主上の御参考になればと思っただけでございますが」
しれっと言い放ち、浩瀚はようやく作り笑いをやめた。
「雁の意思はともかく、楽俊殿には主上から率直に伺ってみたらいかがかと存じます。主上も、楽俊殿に来ていただきたいとお思いなのでしょう?」
「それは……そうだけども」
もそもそと口のなかで呟く陽子に、浩瀚がちらりと笑った。
「でしたらそう仰って御覧なさい。相手の意思を尊重なさるのも大事でしょうが、御自分の希望を伝えてみるのも悪くないと存じますよ」
「でも、困らせたりしないかな」
「そのような生半可な御仁ではないとお見受けしておりますがね。それに、王に拝まれたとて易々と意を曲げるような楽俊殿でもありますまい」
「それはまあ」
「優秀な人材を確保するのも王の役目です。才ある人物を多く引き寄せる器量というのも、大事な資質と愚考致しますが」
「浩瀚……」
厭味かとねめつける王に物腰だけは恭しく一礼して、有能な冢宰は堂室を出ていった。それを見送って、陽子がつくづくと溜息をつく。
「……浩瀚があんな無茶を言うとは思わなかった」
「主従は似ると申します。慶はそもそも王が無茶ですから、まわりも皆それに倣うのでは」
袍を掴まれたのでは逃げるに逃げられず、手をひき剥ぐような無慈悲が麒麟に出来るはずもなく、ひと騒動に無理矢理つきあわされて不機嫌な景麒が、むっつりと返す。
それに反論しようとして、陽子は抵抗をあきらめた。
言い返そうとあれこれ思い出した顔は、どれもこれも無茶というより無謀者ばかりな気がする。
「たしかに、金波宮にはそんなのばっかり揃っているな」
じろりと見られた麒麟は、失言に気づいて首をすくめた。
初稿・2005.04.25
前回の前振りがここに・あれー
浩瀚が楽俊を敬称つきで呼んでいるのは、まだ他国の人間だからです。
慶にきたら呼び捨てなんだろう。
篭絡(籠絡)というとなんとなく色仕掛けな気分がするんですが(ヲイ
実は「いいように言いくるめる、まるめこむ」という意味だそうなのであしからず・笑
でもなんか「峰不●子サマが腰までのスリット着て流し目つきで膝に手をのせてくるv」みたいな雰囲気があるのはおいらだけですか?