台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題   作:まかみつきと

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進路。
それぞれの道。


||53|| 帰るよ、君の元へ。(楽俊・玄章&悪友s)

 

 丁寧な手つきで文箱を閉じたとき、堂室の扉が叩かれた。騒がしい仲間たちのなかでは割合おとなしいそれで、来訪者が誰だかわかる。

「玄章か、入れよ」

 気安い声にひょこりとのぞいた灰青の頭が、堂室の主を見て軽くさげられた。

「急がしいところに悪いね、文張」

「なに、片付けはあらかたすんださ。気にするな。玄章のほうはいいのか?」

「うん、俺もだいたい終わった」

 にこりと笑って入ってきた同輩は、まだ残っていた踏み台にこしかけながら、閑散とした堂室をぐるりと見まわした。

「ついこのあいだまで、物凄い量の本があったとは思えない堂室だよなあ」

 素直な感想に、楽俊が軽く笑う。

 卒業試験のあいだ、書庫とみまごうばかりのありさまになっていたのは、なにも楽俊のところだけではない。

「そりゃあお互い様だろ。まあ、通り道以外の床が見えたのは久しぶりだけどな」

「俺のところは、ここほど本はなかったです。……鳴賢もすごかったけど、あれは単に散らかってただけか」

「あいつの散らかし癖だけはなあ……」

「入ったら最後、出られなそうだったもんね」

 思い出すのもはばかられる光景に、二人揃って苦笑がこぼれた。

「その鳴賢は?」

「もんのすごい量の紙の束の仕分けで、気が狂いそうだって叫んでたよ。もうちょっとしたら文張に泣きついてくるんじゃないかな?」

 玄章の冷静な推測に、楽俊がやっぱりな、と溜息をつく。

「おいら一人じゃあ、とてもじゃねえけど手が足りねえだろうなあ。最後の付き合いだ、玄章も手伝ってくれな」

「えぇ? やだよ、あんな部屋片付けるの」

「手間賃がわりに、晩飯を奢らせるさ」

「……ならやる」

 本人抜きで勝手に話を進めながら、楽俊は書卓の上のこまごまとしたものを片付けては箱に詰めていく。

 その、人型をとると自分よりやや背の高い後ろ姿を眺めながら、玄章がぽつりと声をかけた。

「慶とは、思わなかったよ」

 しみじみと言われて、振りかえった楽俊が少し笑う。

「玄章は、おいらが巧に帰ると思ってたか?」

「いや、巧はまだあんなだし、半獣の登用もないみたいだから、きっと雁なんだろうと思ってた」

 他国生まれの者が国官になる例は少ないが、ことこの雁であれば、まして首席であれば別格扱いなのは当然である。

「だって、大学卒業すれば国官だろう? 入学からずっと首席の文張なら、引く手あまたじゃないか。曉遠の台詞じゃないけど、雁のほうが待遇もいいだろうに」

 膝の上に両肘をついて、その手の上に顎をのせる。今年で三十二になろうというのに、童顔のせいか彼にはそういう子供じみた恰好が不思議と似合う。

「曉遠は先に卒業したけど、今年は三人一緒で。俺たちみんな専門がばらばらだから、それぞれのところで上のほうまで行ってさ、これからもみんなで顔合わせられたらなあって、なんとなくそんなこと思ってた」

 子供みたいだけどさ、と肩を竦める玄章に、楽俊は少し困ったように顔を曇らせた。

 学内でも特に親しい四人仲間のうち、最年長の曉遠は一足先に一昨年卒業した。希望どおり夏官を拝命し、元々の才能もあって順調に評価を上げているという。

 玄章は春官。おとなしい性格からか全体として目立ちはしないが、そのぶん人柄を見こまれて、小学関係へ任官になる。

 鳴賢は、おおかたの予想どおり地官への着任が決まった。鳴り物入りで入学し、そのあと伝説にしたがって素直に落ちこぼれたものの、最後に入学した楽俊と知り合ってからはそれを挽回したおかげだろう。それまでの不調がたたってか、卒業までに十年以上をかけたことになるが、最終的に上位成績者として名を残したことを考えれば、一度の挫折も悪くない、とは本人の負け惜しみである。

 勉強、特に法令は楽俊が。弓射は鳴賢で、玄章が馬術を。

 それぞれがそれぞれの不得手を補って、これまでやってきた。だから、これからもそうであればいいと、玄章は考えていたのだ。

 そしてそれは、たぶん遠くない未来にあると思っていたのに。

 

 慶へ行く、と楽俊が言ったのは、ほんの数日前のことだった。

 卒業をかけた最後の試験が終わり、曉遠も含めて祝杯がてらくりだした酒場でのこと。

 決まりつつある進路の話を振られて、楽俊は今とおなじに困ったような顔をして少し笑った。

「巧でも雁でもなくて、慶なのか?」

 仰天する友人たちを代表して、なんでまた、と曉遠が問う。

「巧でないのはわかる。希望したって難しいからな。だが、慶ってのはどこから出てきた? あそこは新王が立ってまだ十年にもならない新朝だ。朝も落ちついてないし、なにより国が固い。言っちゃあなんだが半獣差別も巧とたいしてかわらん。どうせ他国で働くなら、雁のほうが遥かに待遇も環境もいいだろうが。大学一の秀才のお前にしては、妙な判断だな」

「秀才はやめろって……まあ、普通はそうなんだろうけどな」

「だろうけど、なんだ」

 年長であるだけに、曉遠の言葉には遠慮がない。それに苦笑しながら、楽俊は手持ち無沙汰に酒盃を揺らしている。

「おいらは、別に出世したいわけじゃねえんだ。勉強がしたいから、大学に通ってた。巧にいたときからそれが目標だったしな。首席だったのだって、それの延長みたいなもんだ。まあ、学資のこととかもあったけども」

 それで主席を取られてはたまらんと三人の眉間に皺が寄って、楽俊が吹き出した。

「お前らの言いたいことはわかるけど、そんな顔すんなって」

「そんなんですまされてたまるか。死に物狂いで勉強して次席に終わった奴等に聞かれたら殴られるぞ」

 口を尖らせる鳴賢を、いつもどおりまあまあと玄章が押さえる。

「お前の姿勢はわかったがな、それでどうして慶なんだ」

 話を戻すのは、曉遠の役目。それも、いつもの光景だった。

 ん、と口篭もった楽俊に、三人が目線だけで問い質す。それを受けて、年少の青年が肩を竦めた。

「約束があるんだ。だから、おいらは慶へ行く」

「約束? 誰と、なんの」

 雁で学ぶ巧生まれの楽俊に、慶へ行くだけの約束をさせる理由がわからず、曉遠が詰め寄る。

 だが、楽俊は首を振った。

「それは言えねえ」

「おい、文張」

「相手があることだからな、おいらの一存では話せねえんだ」

 温厚だが、ここというときは頑として譲らない彼の性格は呑みこんでいるだけに、それ以上のことは聞き出せず、三人は揃って不満の溜息をつくしかなかった。

「よもやとは思うが、結婚を誓った女がいるとか言うんじゃないだろうな?」

 口を曲げて酒を注ぐ曉遠に、目を丸くした楽俊が笑う。

「まさか、曉遠じゃあるめえし」

「おい、そこで俺を引き合いに出すか?」

「そうさ、曉遠がそんなことするもんか。馴染みの(おんな)ってのならともかく」

「あ、そうだね。結婚て言葉は、曉遠が一番似合わないね」

「まぜっかえすなお前ら!」

 四人顔を合わせての、最後の酒宴。

 この国にとどまるならばともかく、隣国とはいえ楽俊が慶に行ってしまえば、全員が会えることなどこの先にはほとんどないだろう。国官とは、それほど気軽いものではありえない。

 そのことが、玄章には思った以上にこたえた。

 

「ごめんな、玄章」

 胸を覆った寂寥が顔に出たのか、楽俊がすまなそうに呟いた。気を使わせたことに苦笑って、首を振る。

「いや。お前が決めたお前の人生だもの、俺たちが口出していいわけないよ。大変だろうけど頑張れよ、文張」

「……ありがとうな」

 穏やかに笑うその顔は、初めて会ったときよりも少し大人びた。

 明朗で温厚で人当たりがよくて、誰よりも賢い他国の半獣。

 目先の勉強や、競争相手を蹴落とすことしか頭にないような意地の悪い連中の中で、彼の存在は異彩を放っていた。

 その性格をあらわすように優しげな顔立ちはそのままで、いまは四年という短期間で卒業を果たすだけの才知が、彼に歳に似合わぬ落ち着きを与えている。

「曉遠とさ、話してたんだ」

 多分、触れられたくはないのだろうけれど。

 なんとなく、言わないで別れるのは気が咎めたから。

 玄章はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

「文張が慶へ行く理由。約束って、言ってたろう?」

 (じっ)と自分を見る黒い目から視線を逸らして、窓の外を眺めた。

 (ひる)を過ぎた空は、まだ(きら)めくように澄んで蒼い。

「その相手って、あの紅い髪の子なんじゃないか?」

「玄章」

「一度、大学に来てたよな。それと、街中で見かけたことがあるんだ」

 ちらりと様子をうかがえば、さっきまでとはうってかわって照れくさそうな顔で耳の後ろをかいている。その指先に絡む、髪を留めた翡翠の紐。

 あの子の目の色だよな、とは、他のニ人と交わした会話だった。

「……別に、曉遠の言ってたようなことじゃねえぞ?」

「それは見ればわかるよ。文張は嘘がつけないもんな。鼠姿のときは特に」

 こともなげに言うと、いまは人の姿をしている鼠がまあなあと笑った。

 これからのこともあってかここのところずっと人の姿でいるが、お互いそれにも慣れた。最初の頃は、背丈だけでも倍ほども違う半獣姿との差に、ずいぶん違和感を覚えたものだが。

「で、いつになったらその理由っての、教えてもらえるのかな?」

 真剣な顔をして見上げた先で、楽俊があのなと笑う。

「曉遠といいお前といい、なんでそんなこと聞きたがるんだ?」

「そりゃもう、超がつくほど真面目な文張が、女の子と約束だなんて洒落た真似をしてるからだな」

「洒落た真似ってなんだ。そんなんじゃねえって言ったろ」

「だって、すごい親しそうだったじゃないか」

「親しそうって……ちょっと待て玄章、お前なにを……?」

 訝しげに眉を寄せる友人に、悪戯心が頭を持ち上げた。わざと満面の笑みをたたえ、彼らしくもなくにやりと笑う。

「いやあ、お似合いもお似合い。あの子といる文張って、大学にいるときと全然雰囲気違うんだもんな。誰かと思ったよ」

「曉遠みてえな言い方するな! なんだよな、声もかけねえで見てたのか?」

「せっかく楽しそうなのを邪魔しちゃ悪いし?」

「そんなんじゃねえって!」

「嘘つくな」

「玄章……」

 どれだけ否定されようが恨めしそうに睨まれようが、耳まで真っ赤になった顔では説得力などないも同然で。

 本当に、楽俊は嘘がつけない。それが彼のいいところなのだろうけれど。

 自然に笑う口元で、とどめをさした。

「ま、言いたくなってからでいいからさ、彼女に許可もらって話してくれよな。そのときは全員で酒の用意して待ってるから」

「だから、なんでそんなことを」

「他人の(つや)話なんて、絶対面白いに決まってるだろう?」

「勘弁してくれって……」

 頭を抱え、床に沈まんばかりにしゃがみこんでしまった楽俊を、今度はさてどうやって浮上させようかと思案していると、堂室の扉が乱暴に連打された。

「……来たな」

 玄章がぼそりと呟く。

 たぶん同じものを想像しただろう楽俊が警戒した顔を上げるのと、堂室に学友が飛び込んでくるのが同時だった。

「文張!! 玄章もここか!」

 髪も袍もみごとに崩れた鳴賢が、堂室の主と客を見て音高く両手をあわせた。

「文張、玄章! 頼む、晩飯奢るからさあ、片付け手伝ってくれ!」

 予想と寸分たがわぬ展開に、それまでの攻防を一時棚に置いた玄章と楽俊が、げんなりと顔を見合わせた。

「……こうなるだろうとは思ってたけどさ」

「実際言われると、また気分が違うなあ」

 はは、と力なく笑った楽俊が、さらにへたりこみそうになった床から立ちあがる。

「しょうがねえ、これもなりゆきだ」

「同窓のよしみで助けてやるかあ」

 よいせと勢いをつけて、玄章も踏み台から腰を上げた。

 

「で、どれだけ片付いたんだと?」

「し……牀榻の上が、見えたかなあ、と……?」

「全然片付いてないじゃないか!」

「明日の晩飯も鳴賢の奢りだな」

「え」

「だって、絶対今日中には終わんねえだろ?」

「明日までかかるってか?! どうやればそんなにちらかるんだよ! つーかなんでこの手間かかって片付かないんだよ!!」

「明日中に終わるといいなあ」

「……明日でも明後日でも、奢らせていただきますです」

「こうなったら、曉遠も呼んでこようか」

「あ、それいいな」

「うわ馬鹿、あんなの呼んだら、晩飯じゃなくて宴会になるだろうが!」

「ほー」

「鳴賢君、誰に言ってるのかな?」

「悪かった、俺が悪かったです! だから助けてくれよぉ・・・!」

 

 

初稿・2005.03.29




大学モノは長くなるなー。
鳴賢だと感情的になりそうだったので、楽俊以上に温和な(という設定の)玄章に登場願いました。
お題の時間軸はそれなりに前後していますので、大学連中はこれでおしまい、というわけではございません。
連中を お好きな方々、どうぞ御安心を。
……多分・笑

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