台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題   作:まかみつきと

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楽俊・六太・朱衡◆だから、逃げる


||5|| 嫌なモンは嫌なの。 (雁の麒麟が逃げるものとは)

 

「どけ楽俊!!」

 押し殺した鋭い声に、灰茶の鼠は目をむいてとびすさった。

 宵の口、暖かい陽気に開け放たれた窓から、一陣の風が飛びこむ。

 否、風のような勢いの、それは獣。

「台輔?!」

 舞い散った紙を慌ててまとめながらこちらも可聴ぎりぎりの声で問い返せば、雌黄の鬣が流れるように揺れた。

「なんか着るもんくれ」

「……はあ」

 いくら友人知人に王のいる彼でも滅多に見ることのない神獣の姿に、返事も曖昧になる。

 とりあえず手近な部屋着をその肩にかけてやると、優美な獣はやんわりとその姿を変え、あとには見たこともない渋面をした子供が立っていた。

「転変なさっておいでになるとは、なにか火急の御用でも?」

 通常使令に騎乗して訪なう延麒が、獣身で現れたのだ。楽俊の懸念は当然のことである。

 世に十二しかいないこの霊獣は、転変すれば風にも追いつけぬ脚の持ち主。その脚力を使わねばならないほどの事態とはなんだろう。

ことが雁の件であれば、自分のところには来ないはず。よもや慶の女王に変異が、と顔色を変えた部屋の主に、ぶかぶかの着物を着こんだ雁の台輔は首を振った。

「陽子になにかあったわけじゃねーよ。焦んなくていい」

 簡潔な言葉に楽俊は胸をなでおろしたが、いまだ延麒の顔色は晴れない。

「いったい、なにがあったんですか?」

 心配そうに聞かれ、少年は音を立てて牀榻に座り込んだ。

「……来るんだ」

「え」

「奴等が、来るんだ」

 日頃快活な笑顔を浮かべる口元は真一文字に引き結ばれ、眉間の皺は鑿で削ったように深い。顔色さえも酷悪いように見える。

「台輔、お加減が」

「大丈夫、それは大丈夫だ。……なあ、楽俊」

「はい」

 精彩を欠いた紫の瞳に見上げられて、楽俊も硬い声を返す。

「迷惑はかけないようにする。だから、幾日か匿って欲しいんだ」

「匿うって」

「勉強で忙しいのはわかってる。オレに構う必要なんかないし、もちろん気なんか使わなくっていい。お願いだ!」

 延麒の切羽詰った様子に、半獣の青年は眉をひそめた。

「台輔、最初から話していただけませんか? なにをそんなに……」

「そんなに、範の方々のおもてなしがお嫌ですか、台輔」

 至極冷静、かつ威厳ある声に、部屋の二人が飛びあがった。

「朱衡!」

「秋官長殿?!」

 鬣だの尻尾だのを逆毛立てた両人にかまわず、目立たぬ下官服を身につけた壮年の男が窓から降り立つ。きっちりと鍵を閉め、しみじみと首を振った。

「よくまぁあなたがたは、こんなところから出入りしますね。もし他の人に見つかったら楽俊殿がどれだけ迷惑をこうむるか……」

「帰らねーからな!」

 秋官長の説教を遮って、延麒が言い放った。それを見返した目は、陽光をはねかえした刀剣の光よりも鋭い。

「まだそんな駄々をこねていらっしゃるんですか」

「駄々って言うな!あいつらの接待なんて、オレは、絶対嫌だかんな!」

「……セッ、タイ?」

 ぽかんと口をあけた鼠の青年に、秋官長が軽く首肯した。

「左様です。明日から数日、範の方々がお見えになるので、そのおもてなしをせねばならないのですが、わが国の主上と宰輔はお二方ともあちら方々といまひとつ折り合いが」

「……範というと、西方の大国の?」

「ええ」

「方々、と仰るからには……」

「はい、氾王と氾麟がおいでになります」

 遥か目下にも礼儀正しい雁の秋官長の説明に、楽俊は自分の牀榻を振り返った。

 とするとこの貴人、公務嫌さに王宮から逃げ出してきた、ということになるのか?

「--台輔?」

 それはそれは不審げな黒い目に、延麒がかみつく。

「いいか、王ってものを尚隆や陽子を基準に考えんなよ? フツー王同士の歓待ってのは、ずるずるべったな服着て、はてしなーく長い装飾過多の美辞麗句並べ立てて挨拶して、食ってんだか食ってないんだかわかんねー飯食いながら、お上品にじっと座ったっきり、てれーんとした歌舞音曲観たり聞いたりするんだぞ! お前、これに耐えられるか?!」

「いや、おいらは王でも麒麟でも……」

「だから、もしこれをやれといわれたらどうだって言ってんの!」

 暫しの沈黙の後、銀の髭と長い尻尾が垂れ下がるのを見て、延麒がえらそうに腕を組んだ。

「ほらみろ、お前だってやだろうが。オレだって、もうちょっと気心の知れた奴との軽い会食なら喜んで同席するけど、よりによって範だぞ! あんな奴等と気色わりぃ芸術バナシするくらいなら、罰則覚悟でトンズラしてやらぁ!」

 鼻息も荒くまくしたてた延麒の前に、音もなく秋官長が立つ。

「なるほど。それで、ここへいらしたわけですね」

 踏まれた蛙のような悲鳴が、高貴な獣の喉から零れた。

 楽俊との会話に熱中する余り、この人の存在を忘れていたらしい。

 顔面蒼白の小さな主に構わず、秋官長は落ち着き払って顎に手を当てている。 

「ですが台輔、範からは王と台輔おそろいでお迎えいただけますよう、との言伝なのですがねえ」

「や、やだったらやだったらやだ!」

 駄々っ子というより最早怯える子供の風情だが、当然相手の攻勢が弱まるわけもない。

「麒麟の本性は仁でございましょう。でありながら、準備に奔走し、あまつさえこの忙しいなか行方不明になった台輔を探しまわったこの拙めに、台輔は憐れみをかけてはくださいませなんだか」

「憐れみってそういうモンじゃねえだろ!」

 わざとらしく溜息をつく秋官長と、仁獣にはとても見えない形相の台輔。

 ここまでくると、ほとんど朱旌の芸を見ている気分である。

 主導権が秋官長に渡ったと見た楽俊は、被害を免れるついでに見物を決め込んで椅子によじのぼった。

「困りましたねえ……」

 切れ者ぞろいの雁の朝にあって、五百年の永きにわたり王の傍に仕えつづける能吏は、やれやれと首を振る。

「本当はこのようなことはしたくないのですが、ことは国交外交ですからね。致し方有りません、最後の手段をとらせて頂きましょう」

 不穏な言葉に、延麒の肩が強張った。

 どんな手段かわからないが、いざとなったら遁甲して逃げてやるという顔で相手を盗み見る。

 無論その程度のことはお見通しのはずの秋官長が、おもむろに部屋の主をかえりみた。

「楽俊殿、ここは石壁づくりの部屋ですから、外には余り音が漏れないのでしょうね?」

「え? ええ、まあ」

 いきなり話を振られた楽俊が、中途半端に頷く。その目に、どこか冷たいものを潜ませた笑みが映った。

「ですが、扉を開ければ声は筒抜け。どうでしょう、台輔?」

 たい、ほ、と音を明確に呼ばれた少年が、顔色を変えて牀榻から跳ね降りた。

「朱衡!」

「王だの台輔だのと外に聞こえたら、他の学生が何ごとかと集まってくるでしょうねえ。彼の部屋に王や台輔が出入りしていると知れたら」

「てめえ、楽俊を盾に取る気か!」

 小声ながら怒気を露わにして仁王立ちになった延麒に、秋官長が慇懃に頭を下げた。

「お嫌でしたら、玄英宮へ戻りお迎えの準備をなさってくださいませ」

 ち、と舌打ちして横を向く麒麟を、鋭い目が睨む。

「我が王も台輔も、他人に気安いのはよろしい。そんなものはこの五百年で慣れております。ですが、まだ人の寝静まらぬ刻限に獣形で楽俊殿を(おと)なうなど、もし人目についたら如何なさいます。それも公務が気に入らぬなどという我侭で。台輔がどうではなく、楽俊殿がいわれない中傷を浴びかねないのですよ」

 口を尖らせていた少年が、その唇を噛み締めて俯いた。

「親しい御友人をお尋ねになりたいのはわかります。ですが、最低限の気遣いはなさってください。それがお互いの為というものでしょう」

「……悪かった」

 しょんぼりと肩を落した延麒は、心配そうに成り行きを見守っていた楽俊に向き直った。

「ごめんな、オレの考えなしのせいで迷惑かけた」

「そんな、台輔のせいじゃ」

「いや、確かに朱衡の言うとおりだよ。騒がせて悪かった。……その」

 言いづらそうに指をひねくりまわしながら、上目遣いで楽俊を見る。 

「また来ても、いいかな」

 黒い目を瞬かせた楽俊は、ふっくりと笑った。

「公務放り出してくるんじゃなけりゃ、いつでも歓迎しますよ」

 少年がいささか照れたような顔で、おう、と笑い返し、自分の着ている着物の襟をつまむ。

「これ、ちょっと借りてくな。今度来るとき返すんでもいいか?」

「ええ、いつでもいいですよ」

 わりぃな、と拝んだ延麒を、秋官長が窓を開けて促した。

「台輔、外にたまがおります。お先にどうぞ」

「ん。じゃな、楽俊」

「はい」

 延麒が手を振ってひらりと窓枠を乗り越えていく。主を見送った秋官長が、楽俊に向き直った。

「楽俊殿。さきほどは、緊急の手段とはいえ御無礼を致しました。よもや本意(ほい)などではありませんが、あのような脅しを使いましたこと、お許し下さい」

 深々と頭を下げた男に、楽俊が慌てて首を振る。

「とんでもない。そんな、おいらに頭なんて下げないでくださいませんか」

 大国雁の高官が一介の大学生に頭を下げるなど、聞いたこともない。

「秋官長様が御心配なさるのは当然のことです。おいらに謝っていただかなきゃならないことなんて、ありませんよ」

 手だけでなく髭や尻尾まであわあわと持ち上がるのを見て、男が意外に人好きのする笑みを浮かべた。

「……あなたはよい資質をお持ちのようだ。これからもうちの主従がご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します」

 微笑んで窓から出て行く秋官長を拱手して送り、楽俊は安堵の息をついた。

 なんとまあ、騒がしい夜だ。

 はちゃめちゃにちらばってしまった書きかけの草稿に戻りながら、くつくつと笑いがこみ上げてくる。

 幾日かしたら、「借りた着物を返しに」という口実つきで、また誰かが窓から入ってくるだろう。

 きっと「ごめん」から始まって、しち面倒くさい迎賓の宴の一部始終を語ってくれるに違いない。

 その時の事を想像して、この顛末を内緒で陽子に教えてやろうかな、と楽俊は笑いを噛み殺した。

 

 

「楽俊、この間はこの馬鹿がすまなかったな」

「なんでお前が先に入ってんだ! よ、楽俊この間はほんっとにごめん! それとこれ、ありがとな。でさ、聞いてくれよー!」

 




また長くなっちまった・・・。
朱衡さん悪役みたいでごめんなさい。でも好きなんですよ~
嘘じゃないよ~
「にっこりわらって百年でも二百年でも厭味言い続ける」
ようなこの御仁は、拙めのツボでございます。
あ、慶の冢宰も好き。
頭脳派が好きなんですね、どうやら。
ホラ本人馬鹿だから・
そんでもって、微かに楽陽。微かに・・・

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