台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
まず最初の感想は、きったない字だな、だった。
いや、広げるまでは、筆を拭くのにでも使った紙かと思ったのだが。
つまりはそれくらいごちゃごちゃとしているものの、一応文字であるらしい。
というか、文章であるらしい。
どこまでも仮定にしかならないのは、むろん自分で書いたものではないからなのだが、それにしてもこれほど読みにくい文面というのも珍しかろう。
あえていうなら、手習いを始めたばかりの子供の字だ。おまけに、書き損じをそのまま練習にあてたのか、いくつかの文字が重なっているうえ、字数にすればたかだか十に欠ける程度の切れっぱしである。読みようがない、というのが正直なところだ。
これが里家や庠序の堂室に転がっていたならなんの変哲もない光景なのだが、あいにくここは王宮のどまんなかである。
「桂桂……じゃないよな。誰だ?」
桂桂はこの環境で唯一の子供だが、歳から言ってももうちょっとましな字を書く。第一、桂桂の書いたものがこんなところに飛んでくるはずもないわけで。
はて、とどっちが文頭だかもわからない小さな紙をためすがめつしていると、後ろから肩を叩かれた。
「虎嘯、こんなところに突っ立って、なにをしてるんだ?」
おう、ちょうどいいところに、と振りかえって、掌の半分ほどの紙を広げて見せる。
「その隅に落ちてたんだがな、桓魋、この字に覚えねえか?」
怪訝そうな顔で覗きこんだ男も、なんだぁ、と眉根を寄せた。
「官のものじゃないな。下士官あたりが手習いでもしたか?」
「それにしちゃえらく汚い字なんだよなあ……」
すぐに捨ててしまえばいいようなものだが、読めそうで読めない、となると、妙に読んでみたくなるもので。
頭を寄せて解読していた二人の目が、一つの文字で止まった。
「……恋……?」
ちょうど切れ目のあたりになるせいで、前後の文字はわからないが、確かにそう読める。
「……するってぇと、これは」
すさまじく胡乱げな表情を互いの顔に見出して、二人は立ちつくした。
「恋文、か……?」
「二人とも、なにやってるの?」
背後からの聞き慣れた声に、大の男が揃って飛びあがる。
「す、鈴?!」
周章狼狽、という言葉の生きた見本になっている男たちに、黒髪の少女が眉をひそめた。
「なあに、そんなに慌てて」
「いっ、いや、別に」
不審そうな視線が、虎嘯の手元の紙に止まる。
「あら、それ」
「これ、鈴の書いたものか?!」
「ちがうわよ。陽子に書き損じの山を捨ててくれって言われたんだけど、途中で籠からこぼれたのね。拾ってくれてありがとう。他の官に見つかったんじゃ、恥ずかしいもの」
「陽子の……?」
鈴の頭上で、虎嘯と桓魋の視線が交差する。
余人に見られては恥ずかしいもの。
では、これはやはり。
「主上の、恋文……?」
「なんですって?」
ことこの宮中では耳慣れぬ言葉に、鈴が面食らった様子で口をぽかんとあけた。
「や、だって」
ここ、と示された箇所を、鈴もまじまじと見る。
穴があきそうなくらい紙を見つめる少女を、息をのんでうかがうことしばし。
「やあね、なに言ってるの!」
盛大に吹き出した鈴が、虎嘯の腕を荒っぽく叩いた。
「こ・れ・は、恋じゃなくて『変』! お変わりありませんか、よ!」
「はあ?!」
頓狂な声で叫ぶ二人に、鈴が腹を抱えて笑う。
「読み間違いよ、二人とも。陽子の字があんまり下手だから、見間違ったんでしょ」
呆れたような少女の説明に、二人は顔を見合わせた。
「なんだ、そうか」
「まったく、人騒がせな」
もとはと言えば自分たちの勘違いなのだが、そこは都合よく忘れて胸をなでおろす。
「しかし、こんなへたくそなんじゃ、読み間違えてもしかたねえか」
「習いはじめなのを考えればマシなほうなんじゃないのか?」
「いやあ、桂桂だってもうちっとしっかりした字を書くんだぜ? こりゃ下手過ぎだ」
「まあなあ」
無駄に笑う二人の腕を、誰かの手ががぽんと叩いた。
「わァるかったな、字が下手で」
「陽子っ?!」
思いきり作り笑いと知れる笑顔のなかに殺気を漂わせ、世にも恐ろしい気配を纏った少女が仁王立ちしている。
その迫力に、勇猛で知られる将軍と元義賊が、揃ってじりとあとじさった。
「桓魋はともかく、虎嘯にこれを笑えるような字が書けるとは、知らなかったなぁ?」
「し、主上……」
「その……なんつーか、えーと、こっちには、言葉のアヤって言葉があってだな……」
「あー、蓬莱にもあるよ。都合の悪いときにはいい言葉だよねえ?」
うわぁ、と天を仰いだのは桓魋で、助けを求めたのは虎嘯である。
「鈴! 助けてくれよ!」
が、振り返った先に、陽子と同郷の少女の姿はない。
「うわ、逃げた?!」
陽子に声をかけられた瞬間に、大柄な男たちを盾にして遁走したのだろう。遥か先の柱の影からちらりとのぞいた袖が、頑張れとばかりにひらひら揺れて引っ込んだ。
「ずるいぞ自分だけ!」
機に聡い少女を恨んでも、種を蒔いたのは自分たちなのだから文句も言えまい。
「さて。桓魋、虎嘯、練兵場へ行こうか。話はそこで聞く」
にっこりと笑む王の言葉に、二人の顔から音を立てて血の気が引いた。
練兵場へ行く。つまりそれは、叩きのめしてやるから覚悟しろということ。
賓満をつけて、かつ本気になった王は強い。
それはもう、妖魔の一群をも蹴散らさんばかりに。
「堪忍っ! 堪忍してくれ陽子!」
「主上、お静まりを……!」
「問答無用!」
荘厳な王宮に、悲鳴と怒号が交差した。
初稿・2005.03.08
バカバナシ。
いやでも、馬鹿話のほうが難しいんです……。