台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
主上、と呼ぶ穏やかな声に、陽子は半分だけ顔を上げた。
声の主は書卓の前、常と変わらぬ静かな佇まいで王を見つめている。
「……ごめん」
「なにを謝っておいでですか」
詰問でも溜息でもない。
ごく普通の声音に、だが陽子は俯いた。
「わたしが至らないせいで、皆に迷惑ばかりかける。すまない」
仙で胎果といえど育ちは異国である身には、文字一つ官位一つ取ってもわからないことだらけ。王の威光をもってしても、一癖も二癖もある官吏たちを相手に小娘が出来ることなどたかが知れていて。
補佐してくれる幾つもの手があるからこそなんとかやっていけるのだということは、誰より陽子自身が承知している。
今は深夜。
やることがありすぎるから、こんな時間まで政務につかなければならない。これでも冢宰や宰輔が仕事を引き取ってくれるから、楽になったほうなのに。
おそらくこれが終わってもまだ自分の執務のある冢宰の苦労に比べたら、こんな自己憐憫などみっともないほど馬鹿馬鹿しい。
己の不甲斐なさが、肺腑がねじれるほど悔しかった。
きつく握った両手を額に押し当てて、すまないと呟く。
王の傍らに控えた少女が切なげに声をかけようとするのを、男が制した。
「生まれながらの王など、どこにもおりませんよ」
虚を突かれたように翠の目を上げた主に、男は微笑む。
「王の器量と出自とは、なんの関係もございません。例えば、現在の廉王は農夫でおいででしたね? また在位百年に届かんとする供王は、登極なさったとき御歳十二であらせられた。かの奏国の王は、舎館の主だったとか。そのような方々が、はじめから政を知りましょうか」
「浩瀚……」
「知らぬものは知らぬでよいのですよ。なればこそ、われら官吏がいるのですから。文字が読めなければ覚えるだけのこと。組織の仕組みがわからなければお聞きなさい。そしてそれは容易に身につくものではない。蓬莱でお育ちになった主上が、こちらのことどもを知らぬのは当たり前でございましょう。悪いのはそれ
胸中を読み透かされて、陽子はへたりと笑った。
「……馬鹿でもいいのかな」
「よいと思いますよ。だからこそ松柏をお招きになったのでしょう?」
うん、と頷く陽子に、浩瀚が笑った。
「わからないときはわからない、疲れたら疲れたと仰いませ。己に甘えず見栄を張るのも必要ではございましょうが、迷うとき、不安なとき、主上おひとりで足らぬことを補佐するのは、仕えるわたくしどもの義務であり、喜びでございます」
だいいち、と区切り、敏腕の冢宰はしかつめらしい顔をする。
「たかが二年目の王に楽々と政務をこなされたのでは、わたくしどもの立つ瀬がございません」
目を瞠った陽子の横で、祥瓊が吹き出した。
「さようでございますわね」
軽やかに笑う少女に、陽子が情けなさそうな表情で口をへの字に曲げた。
「……そういうものか?」
「そういうものです」
重々しく言って、浩瀚はさあさあとふたりを促した。
「今日はこのくらいにして、もうお休み下さい。寝不足は美容にもよろしくないでしょう。慶はまだ女性が少ないのですから、御令嬢方に頑張っていただかねば華やぎがございません」
「なんだそれは」
彼にしては珍しい軽口に苦笑しながら、陽子は大きく息をついた。
「じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらう。ありがとう、浩瀚」
恭しく拱手した冢宰が、にっこりと笑う。
「そのかわり、明日もすぱるたとやらで参りますので、お覚悟を」
わざとらしいくらいさわやかな口調に、やっぱりな、と陽子が天を仰いだ。
「余計な言葉教えるんじゃなかったよ」
「あちらは蓬莱以外の言葉があって面白うございますね」
笑いながら書類を片付け、浩瀚は堂室を辞す。
静まりかえった回廊を辿りながら、苦笑した。
王というものは、すべてにおいて秀でていなければならない。
武にあっては巌の如く、政にあっては水面の如く。そして常に悠然と構えていなければ、民は惑うだろう。
だがその反面、己の弱さをさらけ出せる勇気もまた必要なのだ、とも思う。
すべてを内に押しこめては、いつか壊れてしまう。
王とても人であり、人はかくも心弱きもの。
だから、と。
心を許せる者を大事になさい。
弱さを見せてもなお受けとめてくれる相手を愛し、その心を受けとめられるようになりなさい。
それこそが、王として最大の美徳であるだろうから。
初稿・2005.02.04
遠甫と浩瀚が来てくれて、陽子はどれほど助かったことか!・笑
女王を馬鹿にする官吏はまあともかく、一番頼れるはずの麒麟が、もの言う前にまず溜息じゃあ陽子が可哀想過ぎますよね。
それなのに「メモは駄目!」ときた日にゃあ、お前どうしろっつーんだよ!って。
あれじゃあ予王も気の毒だったろうなぁ……。
そんなわけで(?)遠甫は先生兼おじいちゃん、浩瀚は補佐官兼お父さんな自家設定です・カミングアウト
ちなみにこのお父さんは、はやいとこ娘によいお婿さんを迎えたいようです。
自分のお仕事を補佐していただくためにも・笑