台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題 作:まかみつきと
登極直後・暗
それを、折山、という。
目に染みるような青を、倖希はただ霞んだ目で見上げた。
強い光に
乾き果てた里木の下、こときれた父親の脇で、ぼんやりと金茶の瞳に空を映す。
数えで言うなら十七。
もっとも美しい年頃のはずの少女は、だがまるで十の子供のように小さく、あたりに散らばる枯れ枝のような手足を投げ出して寝転んでいた。
生まれてからこれまで、満足に腹を満たしたことも、乾きを癒したことさえない。
生を得たそれ自体が苦行で、
そこには喜楽はなく、怒りすらも存在せず、ただ視界を焼く太陽の光に、時折目から溢れるものが哀なのかと錯覚する。
浅く緩い呼気は、安らぎが遠い証拠。
幸いあれと望んだ両親がつけた名は、他の誰にも呼ばれることなく朽ちるだろう。
物心ついてから今に至るまで、荒廃以外の光景を見たことがない。
赤茶けて続く大地と、青でぬりたくったような、白い染み一つない空。
まばらに倒れる人と動物の死骸。
虚空から落ちるのは、雨ではなく飢えた妖魔。
それが、あたりまえだった。
僥倖などないことを、少女は誰より知っていた。
あとどれくらいかかるかわからないけれど、王とやらが倖希を救う前に、死が彼女を抱き上げるだろう。
それを思うとき、闇はいっそ無上の官能を伴って倖希に安らぎを与えてくれる。
早く来て、と。
上がらない手は、半夢のなかで
---ここへ来て、その暖かい腕に私を抱いて。
風鳴りのような喘鳴が、細い喉を揺らす。
その首が、強い力に持ち上げられた。
「おい」
低い声は、だが荒海にも似た耳鳴りに遮られ遥か遠くで聞こえる。
いつのまにか閉じていた瞼を持ち上げると、黒い影が視界に落ちた。
---誰。
これが死というものならずいぶん現実味があるものだと、奇妙に虚な頭で思った。
「しっかりしろ、生きているのはお前だけか」
生きて?
否、これは生者ではなく、意識のある骸。
舌を動かすのも億劫で、ただゆるゆると首を振ることはできた。
ち、と耳障りな音がして、身体がぐらりと揺れる。
「成笙、この娘も運ぶぞ」
低い男の言葉に、はいと答える声があった。
「他には?」
「駄目だ」
短く言った声音が苦い。
「おい、意識はあるか。名はなんと言う」
肩を揺すられて、ようよう視線を動かす。ぶつかった真摯な眼差しに、何故か酷く安堵した。
---コ、ウキ
粘ついた舌が口蓋に貼りつき、力のない唇ではうまく言葉が紡げない。
喘いだ少女を、男がとどめた。
「倖希、だな。いま少し持ちこたえろ。必ず助けてやる」
ああ。
力強く自分を抱え上げる腕に、ほろりと涙が零れた。
わかってしまった。
---王が。
勢いよく宙に舞いあがる獣の背で男に抱かれながら、倖希は生まれて初めて泣いた。
---これで、雁は救われる。
「尚隆」
背後からかけられた声に、亡国の王は低く笑った。
そのなかにたとえようもないほど冷たいものを感じて、六太がかすかに目を眇める。
それを見ずに、男はただ雲海を眺めた。
「あの娘は」
「なんとかなるそうだ。お前が無理やり仙籍に入れたのが効いたみたいだな」
そうか、と頷いて、尚隆はくつくつと笑った。
「王というのも時にはいいものだな。横車を押すにこれほど便利な権力はない」
そんなことは微塵も思っていないくせに、軽薄ぶったことを言う。
先刻、仮死状態の娘を抱いて
この雁の民は、たとえ生まれたばかりの赤子でも俺の血肉だと。
己が身に等しいものを、官吏でないから切り落とせと言うのかと。
押し殺した声に込められた激情に、官はくずおれるように平伏した。
今は平静を装う尚隆の横顔に、六太はそっと俯いた。
あの、静かな海の上で。
国が欲しいかと聞き、欲しいと言われたから連れてきた。
もしもあのとき、この男が否と言ったら、自分は王として迎えなかったのだろうか。
男の命が消えるのを見取って、あるいはそれすらも見ずに、やがて自分も朽ちたのだろうか。
いや、と首を振る。
自分は麒麟だ。
王を探し、王を選び、王が道を失って倒れるまで傍に仕えるだけの存在。
その主がじきに死ぬとわかっていて、見捨てられるはずもない。
なんて愚かな獣。
いつかまた、この荒廃と同じ光景を雁にもたらす者と知りながら、それでも選ばずにはおれないのだから。
黙って雲海を眺める男からやや離れたところから、共に茫漠たる海原を見つめる。
彼の目に、この光景はどう映っているのだろう。
同胞の血に染まった、あの瀬戸内の
「倖希、と言うそうだ」
唐突に声をかけられて、六太は瞬いた。
「幸いを希む、と」
聞かせる気があるのかないのか、呟く口元が苦く歪む。
「途方もないことだ。天すら見捨てたこの国にあって、まだ僥倖を願えるとは」
傷ついた獣の唸りにも似た低い笑い声に、背筋が粟立った。それを渾身の力で押し殺して、木組みの椅子に近寄る。
ばしん、と景気のいい音を立てて、男の頭が前にのめった。
「なにを……っ」
「気分に浸って、ろくでもねえこと言うな!」
己の主を力いっぱい張り倒して、紫の瞳で睨みつける。
「やるんだろうが。この国を、民を、全力で立てなおすのがお前の役目なんだろうが! それを、もう終わったような口きくな!」
一度滅んだとまで言われる雁の荒廃は、炎に包まれ焼け落ちた故郷を思い起こさせて、そこにあった者たちのことを甦らせて、胸が詰まる。
逃げ出したつもりの先で巡り合った、海の国の惨禍をも。
けれど、目を開けることすらできないほど衰弱した少女の姿に、仁獣の本性が身を裂くほどの悲哀を訴える。
こんな想いでも、こんな苦痛でも、民に与えられた辛酸に比べればなんと甘いものかと。
「お前が、王であるお前がそんなこと言ってて、どうするんだ……!」
民が縋れるのは王だけなのに。
いつ果てるとも知れぬ苦渋のなか、彼らはただただ倖いをもたらしてくれる王を待ち望むしかないのに。
それが怒りなのか慟哭なのか。
突き上げるような感情が入り乱れて、どうしようもない涙が零れた。
「……すまん」
金の鬣を、大きな掌が労わるように撫でる。
「……そう思うんなら、もう馬鹿みたいなこと言うな」
「ああ、わかった」
ここは、御伽噺のなかの夢の国ではない。
幾百万もの人々が生まれ、生き、そして死んでいく。あちらがそうであったように。
そのすべてを、自分たちは背負っていかなければならないのだ。
そのために与えられた、永劫の生。玉座という名の責。
だからこそ。
冴え冴えとした月明かりの水面を、胸に刻む。
永い永い旅路を経て、その先の光明に辿り着くために。
ただ前を向いて歩こう。
初稿・2005.02.02
【倖希・こうき】
むー、お題があさってに飛んでしまいました。
連想ゲームみたいだなァ。(それでもいいらしいので御容赦を)
延王尚隆、登極直後。
重くて暗くてごめんなさい。
でもこういうほうが書きやすいのです……根暗なのか・ソウデス(断言