「あんた、スコールのお気に入りだからって調子に乗り過ぎなのよ。少しは先輩に対する礼儀ってものを覚えなさい」
「ぐ、うぅ…」
「返事しろっての!!」
痛みに呻くエムに対して追い討ちを掛けるように、彼女の頭を踏みつける足に力が込められる。それに呼応するようにして、エムの口から再び声にならない悲鳴が上がった。僅か8歳の少女に対して行うにはあまりに過剰であることは、傍から見ても一目瞭然である。
「まったく。なんでスコールはコイツと言い、オータムと言い、こんな生意気だけが取り柄みたいな餓鬼ばかり連れてくるのかしら? あんた、何か心当たりある?」
「……知る、か…」
「あ、そう」
言葉と同時に女は…『黄昏(トワイライト)』は、まるで道端の石ころを退けるようにして、エムの頭を蹴り抜いた。緩慢な動作の割には随分と威力のあるそれはエムの意識を奪いかけ、彼女に呻き声を上げさせることすら許さない。
スコールの手により亡国機業へと身を置いて以来、殆ど言葉を交わしていなかった相手の呼び出しに、なんの疑いもなく応じてノコノコと赴いてしまったことを今更になってエムは後悔したが、何もかもが既に手遅れだった。恐らく誰かが介入しない限り、この暴虐の時間はいつまでも続くことだろう。しかし…
「おい、誰か止めろよアレ…」
「じゃあ、お前が行けよ」
「無茶言うな。あの子を嬲ってるの、スコールんとこのトワイライトだ」
どっからどう見ても、良い年した大人が児童虐待をしている様にしか見えないこの状況。施設の外延部とは言え通路は通路、先程から何人かの通りすがりがこの現場を目撃していた。本来ならば全力で止めるべき場面だが、この凶行を働いているのは他でもないトワイライト、つまりはスコールの部下だ。しかも会話(超一方的)の内容から察するに、嬲られている少女も一応はスコールの部下で、言うなればコレは身内同士のいざこざなのだ。部外者が下手に口を出し、後々派閥ごと目を付けられてしまった日にはたまった物じゃない。その為、道行く大半の者がこの二人のやり取りに見て見ぬフリを決め込み、誰も止めようとしなかった。
「そもそも、何なのあんた。いきなり現れた癖に、私を差し置いてスコールにISを回してもらうとか。ただでさえISの支給は私よりオータムが優先されてたってのに、本当に忌々しいったらありゃしないわ…」
そう言ってトワイライトは、八つ当たりをするかのように壁を蹴りつける。彼女の苛立ちが込められた改造シューズは、鈍い音を響かせながら壁に大きな亀裂を刻み込んだ。そんな危ない代物で蹴り続けられたエムはというと、当然ながら無事では済まなかった。身体はピクリとも動かず、呼吸もほぼ虫の息で、既に満身創痍なのは火を見るよりも明らかだ。
「あーあ、本当に嫌になっちゃうわ。ISさえ貰えれば、こんな餓鬼共なんかに遅れを取るなんてことも無いし、ブリュンヒルデだって殺して見せるのに…」
「ッ…」
しかしトワイライトの言葉を耳にした瞬間、瀕死と言っても過言ではないエムの身体に力が再び宿る。全身を駆け巡る激痛に歯を食いしばって耐えながら、非常にゆっくりとした動きで、彼女は自力でその場に立ち上がって見せた。その姿を目の当たりをして、忌々しそうに舌を鳴らすトワイライト。そんな彼女を正面に見据えたエムは、年不相応も良いところな挑発的で、禍々しい歪んだ笑みを浮かべた。
「笑わ、せるな…」
「は?」
「笑わせるなと、そう言った…!!」
ズタボロの身体から発せられたとは思えない、覇気の篭もったエムの声。そんな彼女の様子に、トワイライトの苛立ちは更に増して行く。それに比例してエムに向けていた殺意と憎悪も一層大きなものへと変わっていったが、その全てから目を逸らさずに、彼女は正面から受け止めて見せた。そしてその場の空気の変化を肌で感じ取った野次馬たちは、自然と口を閉じていた…
「お前なん、かに…お前みたいな三下如きに、織斑千冬を殺せる訳ないだろうがッ!!」
「……なんですって…?」
「何度でも言ってやる!! お前程度の雑魚、あの人の足元にすら及ばない!!」
その姿は、これだけは何が何でも譲れないという強い意志と、自分の全てが懸かっているとでも言わんばかりの必死さが滲み出ていた。あらだけ痛めつけられ、息も絶え絶えで身体も震えているが、心だけは決して折れそうにない。だが…
「あの人を殺すのは私だ!! その役目はお前にも、オータムにも、スコールにも渡さない!! あの人は、織斑千冬は…姉さんは、私がこの手で……」
「いい加減に黙りなさいよ、捨て子の分際で」
「ッ!?」
たった一言、それだけで不動と思われたエムの心に皹が入り、彼女から言葉を失わせた。顔には明らかな動揺を浮かべ、血の気を失ったかのように青褪めていった。その姿に少しだけ気を良くしたのか、トワイライトはニヤリと笑みを浮かべ、エムに近づいた。そして接近するや否や、躊躇無く彼女の顔面に裏拳を叩き込んで床に殴り倒した。更に悲鳴をあげさせる暇すら与えず、再度エムをの頭を踏みつけながら、彼女の顔を覗き込むようにして見下ろした。
その小さな身体を再び暴力の嵐に晒す羽目になった彼女は、トワイライトに憤る訳でも無く、痛みに呻くで訳でも無かった。今の彼女はまるで、耐え難いトラウマを思い出させられたかのように、無言でカタカタと身体を震わせ、ただひたすらに絶望していた。
「あーらゴメンナサイ、傷ついちゃった? でも、事実なのよね。あの時、あの場所で、あんたは一人残され、そのまま置いていかれた…」
「やめろ…」
「そして、あんたを置いてった織斑千冬は世界的な存在となり、弟と仲良く平和に暮らしている。まるで、あんたなんか最初から居なかったかのように…!!」
「やめろ…やめ、て……」
エムの変わり様を目にしたトワイライトは、更に笑みを深くする。さっきと打って変わって懇願するかのようなエムの態度に調子を良くして、彼女の心を折るべく、スコールから聞いた話を元に悪意の言葉を吐き続ける。
「始まりは殆ど一緒だったのに、今は全くもって別物ね。片や世界が認めた英雄の如き世界の頂点、片や犯罪組織に拾われ、ゴミ同然の扱いを受ける小娘。栄光と明るい未来と掴んだ女と、日陰者として生きることを強いられたメス餓鬼。大切な友人と家族に囲まれた人間、味方が誰一人として存在しない野良犬。これじゃあ殺したくなる程に妬み恨むのも、無理も無い話よねぇ? ほんと、心から同情するわー」
「お願い…もう、やめて……」
「だからこそ言ってやるわ、この出来損ない。あんた如きが足掻いたところで、全て無駄よ」
そう言って、エムの顔を再び蹴り付けた。打ち所が悪かったのか、それとも心身共に限界なのか、エムから意識と力が失われかける。しかし、トワイライトはそれさえも許さない。彼女が気絶という手段で逃げるよりも早く、とどめの一撃を放った。
「黙って聞いてれば分不相応な夢見ちゃって、ほんと見苦しいったらないわ。出来損ないの人形如きが、あんたがどう足掻いた所で何も変わらないし、変えられない。あんたは永遠に、この薄暗い場所で独りのまま…」
「ッ!!」
何も変わらない…その言葉を聞いて思い浮かべたのは、あの少年の姿。自分が心から望む復讐を、自分よりも先に終わらせたと言う彼。初めて彼の存在を知った時は、ただひたすら会ってみたいという思いに駆られた。自分が求めたモノを手にした彼と会って、とにかく話がしたいと思ったのだ。しかし、現実は悲惨だった。自分と同じ境遇であり、自分の目指す場所に辿り着いた彼は、ただの抜け殻に成り下がっていたのである。その事が、どうしてもエムは…マドカは受け入れることが出来なかった。
あんなものが、自分の未来の姿だとでも言うのか。彼のあの姿こそが、自分が目指した結末の成れの果てだとでも言うのか。そんなもの断じて認めない、認めてなるものか。自分はアレとは違う、自分は…
---何も変わらないし、変えられない…
「……違う、私は…!!」
---永遠に、この薄暗い場所で独りのまま…
「私はッ…!!」
「うるさいっての」
マドカの頭に置かれたトワイライトの足に力が篭り、それに合わせて言葉が途切れる。尚も抵抗しようともがくマドカだったが、ビクともしなかった。そして…
「人形は人形らしく独りで、不様に地べたに這い蹲ってなさい。それでもって…」
「ッ!?」
「アンタなんか、こうやって虫けらみたいに踏み潰されて、惨めに死ぬのがお似合いよ」
さっきまでとは違う、本物の殺意。マドカの頭に置かれたトワイライトの足が、彼女の身体を踏み砕かんとばかりに振り上げられ…
---何故か横に吹っ飛び、壁に顔面から激突した…
「え…?」
一瞬、何が起きたのか理解できず、マドカは呆然とする。しかし、先程までトワイライトが立っていた場所に、別の人物が立っていることに気付く。そして、それが誰なのかを悟り、再び驚愕する。何故なら…
「お前も、俺と同じだったんだ…」
あの時とは違う、強い意思の篭った瞳を向けてくる、セイスがそこに居た…
◆◇◆◇◆◇◆
(そうか、そうだったのか…)
当初セイスはその場から背を向け、立ち去ろうとしていた。エムに用があったとはいえ、あのような状況に首を突っ込むのは少しばかり躊躇う物があった。おまけに、自分はここ暫く彼女に目の仇にされ、碌な扱いを受けていなかった。それ故に、むしろもっと酷い目に遭ってしまえば良いとさえ思ってしまったのだ。
---あの人を殺すのは私だ!! その役目はお前にも、オータムにも、スコールにも渡さない!! あの人は、織斑千冬は…姉さんは、私がこの手で……
しかし、エムのその言葉を耳にして、思わず足を止めて振り返ってしまった。そして立て続けに発せられた彼女と、もう一人の女の言葉で全てを悟った。彼女が心に何を抱いているのか、自分に対して何を感じ、何を思ったのかを理解した。そしたらもう身体が勝手に動いており、気付いたら邪魔者を力ずくでどかし、彼女のことをジッと見つめていた。
「お前も、俺と同じだったんだ…」
思わず口をついて出た言葉は耳に届いたのか、目の前の彼女は目を驚きに見開いた。しかし、そこから先は何をすれば良いのか分からず、互いに暫く無言で見詰め合っていたのだが、唐突に身体に衝撃が走り、勢いよく吹っ飛んだ。床に転がりながら目を向けると、先程裾を掴んでブン投げた女が恐ろしい形相でこちらを睨み付けていた。どうやら、自分はコイツに殴り飛ばされたらしい…
「この餓鬼、いったい何の真似よ!?」
嗚呼、本当にうるさい。何故か分からないけど、せっかく良い気分になっているんだ。これまでの疑問が解消出来たからなのか、自分の同類に会えたからなのか、理由はわからないけれど、今は凄く気分が良いんだ。この気持ちが何なのか知る為にも、自分はエムと話をしなければならない。だから、この気分に余計な水差しと、会話の邪魔をするのはやめて欲しい。
「ちょっと、なんか言ったらどうなの!?」
「や、やめろ…そいつには、手を出すな……!!」
「黙れメス犬が!!」
目の前の女が、エムを殴った。それを見た俺は、反射的に女を殴り飛ばした。見た目からは想像出来ないほどの威力を持ったそれは女の左頬を抉る様に突き刺さり、勢いよく地面にキスをする羽目になった女は驚愕の表情を浮かべた後、遅れてやってきた激痛により悲鳴を上げた。
「お、お前…」
「ん?」
「いや、改めて凄いんだな…」
ふと視線を感じて振り向くと、エムが呆然とした表情でこちらを見ていた。『AL-NO.6』としての力を目にすると大抵の人間がこんな反応をするので今更だが、その表情に恐怖の色が混ざってないことにセイスは驚いた。フォレスト派の者達は違ったが、他の派閥に所属している者達は少なからず自分を化物として見る。しかし派閥が違うにも関わらず、ましてや一度この力を直接向けられたと言うのに、エムは純粋に彼の力に驚いただけのようだ。その事がセイスにとって意外なことに他ならず、彼は益々彼女に対して興味を持った…
「この小僧がああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ッ!?」
再び不意を突くように、倒れていた筈のトワイライトがセイスに飛び掛る。突然の奇襲に反応しきれず、セイスは彼女に押し倒されマウントを取られてしまった。そして、女とは言え大の大人であるトワイライトは、その馬乗り状態のままで拳をセイスの顔面に叩き込んだ。
「うおっ」
「この、餓鬼が、糞餓鬼が!! よくも、私の顔を!! 死ね、死ね、死んじまえ!!」
口と鼻から血を滴らせ、喚きながら何度もセイスの顔に叩き込まれる拳。手加減のテの字も無い、容赦の無い暴力は際限なく彼を遅い、バキボキと彼の骨が砕ける音を何度も響かせた。最早、今のトワイライトには、他所の派閥の人材を殺そうとしていると言う事実さえ認識できない程に錯乱しており、自分から止まることは絶対に有り得ないだろう。
「ッ!?」
しかし、どういう訳か、急にトワイライトが動きを止めた。しかも怒りに染まりきっていた筈のその顔は、段々と恐怖の色を帯びてきた。視線は変わらずセイスに向けているのだが、完全に怯えている…
「痛いなぁ…」
何故なら、暴虐の限りを尽くしていた彼女の片腕は、セイスの小さな手にしっかりと掴まれていたのだ。しかも、どんなに抵抗しようとも、その見た目からは微塵も想像できない握力が決して彼女の腕を放そうとしなかった。今更になって、トワイライトは目の前のセイスが得体の知れない化物のように感じ、恐怖を感じた。しかし、それは本当に今更過ぎた…
「でも昔、こうやって…」
「ちょ、離し…!!」
「腕を潰された時の方が、もっと痛かった」
---バキッ、グシャッ…
「ああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!? 腕が、私の腕がああああぁぁぁ!?」
骨が無残にも潰れる音と、この世のものとは思えないトワイライトの絶叫が周囲に響いた。涙と涎、更には鼻水まで垂らしながら、鮮血を撒き散らして叫び散らし、どうにかセイスから離れようとするが、彼は決して手を離さなかった。それどころか、彼女の腕を引き千切ろうとするべく、更に力を入れ始めた。
「痛い、痛い、痛いいいぃぃ!! 離せ、離せよおおおぉぉぉ!!」
口調は変わり果て、無残に変わり果てるトワイライト。叫びながら暴れ、無事な方の腕でセイスを殴り続けて抵抗を続けるも所詮はトワイライトも人間。化物として産み出され、復讐の為に牙を研ぎ続けたセイスに敵う訳もなく、掴まれた腕はビクともしない。当然ながら、あまりに予想外な状況に周りの野次馬は固まって動けず、誰も助けてくれそうに無い。
「離せって、言ってるだろうが糞餓鬼いいいいぃぃぃぃぃぃ!!」
ついに限界を迎えたのか、とうとう彼女はナイフを取り出した。そして、そのままセイス目掛け、勢い良く振りかぶり…
---ゴキィ!!
「あ…」
ナイフを振り下ろす前に頭を何かで殴られ、そのまま意識を失って倒れてしまった。予想外のことに少しだけ目をパチクリとするセイスだったが、すぐに視界に消火器を振りぬいた姿勢で佇むエムの姿を捉え、彼女が自分を助けてくれたことを悟った。
そのまま先程の繰り返しのように、二人は無言で互いに見つめあった。これまた先程と同じで、後先を考えずに身体が勝手に動いてしまい、何を言えば良いのか分からずに居るのかもしれない。少なくとも、セイスはそうだった。だが、取り合えず…
「ん…」
「……どうも…」
無言で差し出された彼女の手は、何も考えず素直に取るべきだと、彼はそう思った。
○まだセイスのことは一部の者達にしか知られてません
○マドカも同様
○周りから殺し合いと称された二人の喧嘩は、二人にとっては本当に喧嘩レベルだったと言う…
次回、今度こそ過去編終了です。そして、その次は久々ののほほん回を予定してます。