次回は人気投票記念のセイス過去話です。お楽しみに~
「ほらほらクーちゃん、これも食べてみて~」
「はい、束様」
つい先程、死人が出てもおかしくなかった程の戦闘が起きたばかりだというのに、その当事者達の中で最も猛威を振るった篠ノ之束は、そんなの知った事ではないと言わんばかりにマイペースを貫いている。
オータムを半殺しにしてクロエを救いだし、立て続けにゼフィルスを纏って乱入してきたマドカを瞬時に無力化した彼女はその後、戸惑うスコール達を無視してクロエと共に食事を再開していた。
「そしてマドッちも、はいあーん♪」
「……やめろ…」
そして何故か、その席には迷惑そうにしながらも、心の中では戸惑いっぱなしのマドカの姿もあった。サイレント・ゼフィルスを物理的に分解されてしまい、そのままオータムの二の舞になるかと思ったのだが、篠ノ之束はその予想を大きく裏切った。彼女は自分の本当の名前を言い当てた上に、新型専用機の製作をあっさり了承してくれたのだ。しかも他人には一切関心を示さない事で有名な束博士が、自分に対して明らかな好意的な態度を見せてくる。勘違いでなければ、実の妹である篠ノ之箒、ついさっき感情を露わにしてまで助けたクロエ、そしてあの織斑姉弟と同等の接し方をされているのではないだろうか。
少なくとも束博士は普通の人間に、こんな風に笑顔で肉の塊が刺さったフォークを、相手の口元に差し出したりしない筈だ…
「もう、ノリが悪いなぁ。せっかく料理も美味しいのに…」
そう言って束は諦め、マドカに差し出した肉の欠片を自分の口に放り込んだ。それを横目で見つつも、マドカは思考を張り巡らす。あの篠ノ之博士が専用機の製作を承諾してくれたのは行幸だが、こんなにも態度を変えられると裏があるのではと疑い、むしろ不気味に思える。
いや、そもそも理由もなく篠ノ之束が他人に好意を向ける筈が無い。確実に裏は…というか思惑や都合はあるだのろう。自分の顔を見て本名を言い当てたとなれば、十中八九その名が意味するモノについても知っている筈だ。それでも尚、彼女は新たな専用機を己に与えてくれると言った。
(そうだ、向こうの思惑なんて知ったことか。私のやりたい事は、決まっている…)
もしかしたら利用されるだけ利用され、最後にはゴミのように捨てられてしまうかもしれない。だが、その過程で目的を果たすことが…織斑千冬を殺すことが出来るのであれば、なんら悔いは無い。その為の力をくれると言うのなら、相手が天災だろうが悪魔だろうが関係ない。こんな死に損ないの命と魂でよければ、幾らでも捧げてやる。
(……もっとも、最後は全部奪い返すがな…)
曲がりなりにも、織斑千冬と篠ノ之束は親友同士。これまでIS学園を襲撃し、幾度も被害を出してきた彼女とはいえ、親友が殺されるところを黙って見ている訳がない。何が目的かは分からないし、彼女の中の優先順位がどうなっているのかは分からないが、今日会ったばかりの自分の意思が織斑千冬や一夏の命より優先されるなんてことは無いだろう。
それでも、自分は絶対に目的を果たしてみせる。そして天災"如き"に、この命をくれてやるつもりは無い。自分が目指した場所は、織斑千冬を殺したその先にあるのだから…
「……やってやる…」
「ん?」
改めて決意を固め、それと同時に自然と口角が吊り上り、歪んだ笑みを浮かべる。マドカの雰囲気が変わったことに束は少しだけ不思議そうにしたが、彼女はそれを無視するように近くにあったフォークを手に取った。そして彼女は束に向き直り、フォークを持った腕を高く振り上げ…
「ッ、束様!?」
束を挟んで反対側に座っていたクロエが叫び、主を守るように身を乗り出そうとするが、マドカの腕は無情にも振り下ろされた。直前まで瀕死のオータムを介抱しながら遠巻きに様子を見ていたスコールも、この時ばかりはマドカの突然の強行に面食らい、制止するのも忘れて唖然としてしまった。
そして、マドカの振り下ろしたフォークはダンッと大きな音を立てながら、深々と突き刺さった…
---テーブルの皿に鎮座していた、マッシュルームに…
「……え…」
「なぁんだ、お肉よりキノコが食べたかったんなら、最初から言ってよマドっち~」
「ふん…」
呆然とするクロエと、演技とはいえ本気の殺気をぶつけたにも関わらず、ケロッとしている天災を余所にマドカは突き刺したマッシュルームを口に入れた。横目でチラリとスコールの方に視線を向けると、クロエに負けず劣らずのボケ面を晒しており、目が点になった状態で固まっていた。余程ビックリしたのだろう…
「篠ノ之束…」
「ん、なぁに~?」
思ったより味付けが上手だった冷凍キノコを軽く租借し、飲み込んだ彼女は口を開く。予想外の展開によって戸惑いと疑問だらけだった先程とは違う、まるで何かを決意したかのような、それでいて野望と企みを少しも隠そうとしない鋭い視線を向けられた束は、その彼女の瞳に自身の親友と同じモノを見た…
「専用機に関しては、素直に礼を言わせて貰う。だが私は、簡単にはお前の思い通りに動かない…」
「ふふふ…その瞳と言動、マドッちは本当に……分かった、覚えておくよ…♪」
何かを懐かしむような…まるで昔、同じようなやり取りを何処かでしたことがあるような、そんな表情を見せながら、天才は再び笑みを浮かべる。それに対してマドカは一度だけ鼻を鳴らし、いつもの仏頂面を浮かべながら料理に手を出し始めた。心の整理がついて、尚且つ先程の一口で食欲が戻ったのだろう。もっとも、それも次の瞬間には吹き飛んでしまうのだが…
「失礼します、今晩のメインディッシュをお持ちしました~」
声を聴いて思わず椅子からずり落ち、這い上がって彼の姿を見た瞬間にまたコケた。さっきとは打って変わって再び狼狽えまくるマドカの姿に、流石の束とクロエも目を丸くした。
しかし、当の本人はそれどころではない。セイス達と交流を重ねる過程で、必然とその男とも顔を合せる機会は増えた。スコールが彼と直接手を結んでからは尚更で、合同任務においては何度もお世話になったし、サイレント・ゼフィルスだってこの男の手を借りたからこそ容易に手に入れることが出来たのだ。休暇の申請だってスコールが許さなくても、彼に出せば九割の確率で許可を貰えたので、セイス達と遊ぶ時は必ず彼の元に赴いていた。
(……私の上司、誰だっけ…?)
スコールが聞いたらマジギレしそうな内容の数々を思い浮かべながらも、已む無く現実逃避を中断する。目の前に居るのは白いコック帽と制服を身につけ、そこそこ大きな蓋が被せられた皿を乗せたワゴンをガラガラと引きながら、ニコニコ笑顔で向かってくる中年のイギリス人。
セイスから彼がスコールと共に行動しているとは聞いていたが、まさかこんな形で出てくるとは夢にも思わなかった。というか、やたら出てくるインチキ料理を見た時点で気付くべきだったかもしれない…
(フォレスト…)
---セイス達の上司であり、彼らが忠誠を誓う唯一の男。亡国機業の重鎮達の一角、フォレストだ…
「おぉー、なにそれ大きいね!! 束さん、ちょっとワクワクしてきたよ!!」
「何せ今宵のお客様は、かの有名な天災『篠ノ之束』様です。並のメニューでは、貴方のド肝を抜く事は不可能と思い、全力で取り組ませて頂きました」
レトルトと冷凍食品のフルコースなんて並以下のメニューを出しといて、今更何を言ってやがる…と、心で思っても口には出さない。口に出したら負けな気がするし、向こうで何とも言えない複雑な表情を浮かべてるスコールが我慢しているんだから…
「へぇ~、それは凄い楽しみ!! ね、くーちゃん!!」
「はい」
子供のような期待の眼差しをフォレストと、彼が運んできた皿に向ける天災。流石のクロエも、先程のマドカの凶行から立ち直ったようで、いつもの調子でよどみなく答えていた。そして、そんな二人の様子を前にしながらも、フォレストは笑みを浮かくした。そして…
「それでは御覧下さい、コレが当店の自信作です!!」
そう言って彼は、皿に乗せた蓋を取り外した。
---その瞬間、店から音が消えた…
元から人数が少なかったとは言え、そこには確かに会話と、ものが動く音で溢れていた。しかし、今はどうだ? 誰も彼もが言葉を発することを止め、息をすることすら忘れてしまい、まるで時間が止まってしまったかのように全ての動きを止めた。
静観していたスコールも、動揺していたマドカも、あの天災さえも、フォレストの言った自信作から目を逸らす事が出来ず、ただただ声も出せずに見つめ続けた。
---彼女らの視線の先には、銀色があった…
---その銀色は、赤い液体を滴らせていた…
---その銀色は、二つの金色を持っていた…
---その銀色は、この場に居る誰もが知っていた…
---その銀色の…フォレストが自信作と称した、皿の上に乗っていたものとは……
「……くー、ちゃん…?」
---クロエ・クロニクル……真っ赤な血を滴らせた彼女の生首が、生気の無い金の瞳を此方に向けていた…
消え入りそうな束の呟きと同時に、彼女の隣からドサリと何かが倒れる音が聴こえてきた。マドカが慌てて視線を向けるとそこには、首から上がなくなった彼女の胴体が床に転がり、赤い池を作って…
---その刹那、轟音と共に目の前のテーブルが衝撃で吹き飛んだ…
反射的に顔を守るように一瞬だけ腕で庇ったが、すぐにどけて状況を把握する。床に目を向ければ、先程と変わらずクロエの胴体が転がっていた。しかし、隣に座っていた筈の束が居ない。何処に行ったのかと視線を彷徨わそうとした瞬間、自分の正面から濃密な殺気が飛んできた。
咄嗟に視線を向けるとそこには、感情の抜け落ちた無表情でフォレストに拳を振り抜こうとしている天災と、彼を守るように立ちはだかり、片手で彼女の拳を受け止めるウェイターの制服に身を包んだティーガーの姿があった。
「どいてよ」
「断る」
彼女の口から発せられた言葉は、異様な程に冷たかった。溢れ出る殺気は留まる事を知らず、その濃密さはマドカとスコールにさえ無自覚の内に冷や汗を流させた程である。しかし、そんな天災と真正面から相対するティーガーは一切臆することなく、フォレストも依然として笑みを浮かべたままだ。
「どいて、って…」
「む…」
「言ってるんだよッ!!」
束は拳を引き、勢い良く回し蹴りを放つ。『細胞レベルで天才』と言う自負は伊達ではなく、放たれたそれは余波だけで周りのモノを吹き飛ばした。ティーガーは腕を交差させ、真正面から迎え撃った。
束の蹴りとティーガーの腕が衝突した瞬間、先程とは比べ物にならない衝撃が周囲を襲う。生身の生物が生み出したとは到底思えない威力同士が、店内に小さな嵐を生み出した程だ。店内の備品が幾つも飛び散り、その幾つかが気絶したままのオータムに直撃して追い討ちをかける…
「流石と言うべきか…」
「……目障りだよ、お前…」
そんな嵐の中心で、二人は先程と同じ体勢のまま硬直していた。一見すると力関係が拮抗しているようにも見えるが、良く観察してみるとティーガーの腕から少なくない量の血が流れていた。対して束の方には傷らしい傷は見当たらず、能面のような無表情のまま冷たい殺気を振りまいている。出血はすぐに止まるだろうが、やはり地力は束の方に軍配が上がるようだ。
本来なら生身とはいえ、織斑千冬以外に自分の本気の一撃に耐えてみせた存在が居たことに少なからず興味を抱いていたかもしれないが、今の篠ノ之束は、そんな事に思考を割く気には欠片もなれなかった。とにかく今は目の前の虫けらを蹴散らし、一刻も早くクロエにあのような真似をした男を…
「束様ッ!!」
殺す為に二度目の蹴りを放とうとしたところで、聞き間違えようの無い大切な少女の叫び声が耳に届いた。束は反射的にそちらへと視線を向け、そこに居たモノを見て固まった。そこに居たのは…
「束様、私は無事です!! ですから落ち着いて下さい!!」
---五体満足で、無事な姿を披露するクロエ・クロニクルと…
「いやはや、これは想像以上で御座いますねぇ!! どうやら、ご満足頂けたようで!!」
---いつの間にか彼女の隣へと佇み、『ドッキリ☆大成功!!』の看板を掲げるフォレストの姿があった…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まったくもう、人が悪いなぁ!! この束さんにドッキリを仕掛けるなんて、この店が始めてだよ~」
「それは光栄ですね、当店一番の自慢とさせて頂きましょう!!」
さっきとは打って変わって、随分と和やかに会話する束とフォレスト。クロエの無事を確認した束は何とか落ち着き、店に平穏は戻ったものの、その惨状はとても食事を続けられるようなものでは無かった。なので当然ながら、会談という名目の食事会はお開きとなった。
今フォレストは店の出入り口前で、いつも以上にクロエを大事そうにする束を見送ってる最中である。
「スコール、さっきは何が起きたんだ…?」
「あぁ、貴方達は見えてなかったのね…」
離れた場所に居たことで全てが見えていた彼女曰く、タネ自体は大したことは無かった。作り物であるクロエの生首に全員の意識が向くと同時に、いつの間にか束達の背後に回りこんでいたティーガーが怪力と無駄な精密技術でクロエを音も無く気絶させながら引っ張り上げ、入れ替えるように偽物の首なし死体を彼女の席に置いたのである。しかもリアリティを出す為、ご丁寧に時間差で倒れるようにしながら…
後は天災の猛攻をティーガーが凌いでいる間に、フォレストが店の片隅へと放置されたクロエの元へと向かい、タイミングを見計らって意識を覚醒させたと言う訳だ。
口では言うのは簡単だが、あの天災相手によくもまぁ成功させたと、心の底から思った…
「ねぇねぇマドッち~、聴こえてる~?」
「ッ!!……なんだ…」
ふいに声をかけられ、ハッとして視線を向ければ、フォレストの肩越しに顔を覗かせる天災の姿。仕方なく思考を中断し、彼女の言葉に意識を向ける。
「今日は取りあえず帰るけど、このままマドッちも一緒に来ちゃう?」
「……いや、今日は帰る…」
「そう、分かった。じゃあ適当な時期に連絡するから、その時にね~」
そう言ってニコニコと笑みを向け、自分に手を振ってくる束。その傍らでクロエも手を振ってくれているが、如何せん無表情な点がシュールに感じる。ティーガーの姿が視界に入った瞬間、びくりと身体を震わせるのでは尚更だ…
「それじゃ、今日は楽しかったよ!! じゃあね~」
言うだけ言って、彼女はクロエを伴って店を出た……が、その直後に何を思ったのか立ち止まり、フォレストに背を向ける形のまま、徐に口を開いた…
「そうそう言い忘れてたけど、今日のアレは本当にビックリしたよ。それに免じて、温厚で心の広~い束さんは、素直に拍手を送りたいと思います!! パチパチパチ~」
そう言って彼女はそのまま、静かに拍手を送る。突然の行動にクロエも戸惑う様子を見せたが、すぐにその表情が固まった。それに合せる様にしてマドカの背筋に冷たいものが走り、スコールも身体を強張らせた。店内に再び剣呑な気配を招きながら、束はゆっくりと振り向いた。そして…
「でも次に同じことしたら、殺すよ」
ティーガーと相対した時と同じような絶対零度の無表情で、彼女はそう言い残して扉を乱暴に閉めた…
「えぇ、肝に銘じておきます」
そんな彼女の殺気を真正面から受けた筈のフォレストは特に気にした様子を見せず、最低限の礼儀と言わんばかりに一度だけ扉に向かって御辞儀した途端、いつものお気楽な態度に戻った。
「いやはや、やっぱり天災は怖いねぇ!! 死ぬかと思ったよ!!」
「良く言うわ…」
心なしか、いつもよりテンションが高いように見えなくもないが、あの強烈な殺気を前にしてもフォレストはいつも通りだった。そんな彼の様子を目の当たりにしたスコールは、深いため息をこぼした…
「改めて尋ねるけど、彼女を直接おちょくる必要はあったの?」
「当然。人の本質や根本を理解するには直接顔を合わせて、ある程度やり取りするのが一番だからね~」
天災との対面、それが今回のフォレストの目的の一つだった。フォレストは相手の思考を理解し、予測する事に関しては最早、未来予知の領域に居ると言っても過言では無い。しかし本気で相手の事を理解するには、最低限のコミュニケーションは必要不可欠だ。
相手の人格や思考に関して事前に手に入る情報など、所詮は他人の客観的な意見に過ぎない。人の本質を見極めるには相手と直接顔を合わせ、言葉を交わし、その反応で見せる『感情の高ぶり』、『口調の変化』、『表情の有無』などから全てを読み取り、そうして初めて相手を理解出来るのである。
「……ある程度、ね…」
とは言え常人からしたら、その『ある程度』とは極々僅かなものだ。セイスとエムは、積み重ねてきた交友の中で、お互いの性格と思考を大体は把握出来ている。故に、飽きることなく日常のように嫌がらせの応酬を繰り返し、それでいて互いに相手が本気で怒らないギリギリの境界を分かっている為、二人の仲が本当の意味で険悪になったことは無い。
それに対してフォレストは、初対面の相手ですらこの結果だ。人伝で聞いた話と事前に手に入れた情報を元に、篠ノ之束という人間がどの様な人格を有し、どのような思想の元に行動するのかを予測した彼は、見事に天災の動揺と激昂を引き出した上で、五体満足のまま生存してみせたのである。
クロエ・クロニクルの存在が篠ノ之束の感情に大きく関わる事も、仮初とはいえ彼女の死体を見た天災が冷静でいられないことも、彼女が自分(フォレスト)達のことを碌に調べないで来ることも、どの程度までなら簡単に怒りを沈めてくれるのかも、彼には殆ど予想できていたのだ。
(彼も充分に化け物だわ…)
そんな男が、自身が満足出来るだけの交流を…情報の読み取りを終わらせた時、彼は一体どこまで相手の未来を見通せてしまうのだろうか。殆ど面識の無い人間の行動すら予知してしまう彼に、心を直に覗かれてしまった者は、果たして彼の目から逃げ切ることは出来るのだろうか。
そんなことを想像した瞬間、スコールの背中に悪寒が走った。彼と同盟を組んでから結構な時間が経過したが、自分は亡国機業全体に大きな影響が出るであろう野望を抱き、その計画を秘密裏に進めている。その事を億尾にも出さず、相手も気付く素振りを一切見せないので、碌な警戒もせずに水面下で暗躍を続けてきた。しかし今更ながら、それは大きな間違いだったかもしれない。なにせ相手は人の心を見透かす悪魔、鉄の身体を持っただけの自分とは訳が違う…
---もしかすると、とっくにフォレストは此方の全てを…
「ところでティーガー、初めて天災様とやり合った感想は?」
「……想像以上だった。だが、永遠に届かないとも思わん。いつか必ず、奴を越えてみせる…」
ふと意識を前に向けると、フォレストが店の片づけをしているティーガーに話しかけていた。生身とはいえ、天災の本気の一撃を受けた彼は暫く腕から血を流していたものの、持ち前の治癒力で既に傷口は塞がっていた。
あの時の惨状を思い出すと、オータムは良く死なずに済んだと改めて思った。もしもティーガーに放たれたアレが彼女に向けられていたらと思うと、ゾッとする…
「それは上々。じゃあ、そんな君に御褒美です」
そう言って彼がティーガーに手渡したのは、一本の銀食器。先ほどの衝撃の余波で、店中に何本も飛び散っていたが、その内の数本を何故かフォレストが持っていた。渡されたとあっては取りあえず受け取るが、当然ながら意味が分からないティーガーは怪訝な表情を浮かべる。
「なんだ、このスプーンは?」
「篠ノ之博士の使用済みスプーン」
思わずズッコケるフォレスト派最強の男…
「アホか貴様。そんなもの、ファンクラブのバカ共にでも渡して……」
言うや否や、スプーンをフォレストに投げ返そうとするティーガーだったが、その手が途中で止まる。そして彼の言わんとしていることが分かり、疑問一色だった表情が段々と別の色に染まっていった…
「嗚呼、そういう事か…」
「気に入ってくれたかな、ティーガー?」
久しく見せていなかった、どこまでも鋭く、そして凶悪な笑み。その表情を見て、フォレストもまた嬉しそうに笑みを深くしていった。
何故ならば、これこそが彼の求めた二つ目の本命。敢えて命の危険を冒し、篠ノ之束の怒りを誘うことにより注意を引き付け、誰にも気付かれること無く、あの天災の目を掻い潜って彼はソレを盗んだ。露骨に盗もうものなら黙ってなかったかもしれないが、後で気付いた所で彼女らは特に気にすることは無いだろう。何せ彼女たちは此方のことを完全に舐め切っている、直接干渉しない限りは特に行動しないで放置する筈だ。故に…
「勿論だ。天災のDNA、ありがたく受け取らせて貰おう」
---天災の『情報』と『力』。その欠片二つを、彼らは一夜にして手に入れたのだ…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「と言うことがあった」
「天災相手に旦那も兄貴も無茶するなぁ…」
「無茶に関して、お前だけには言われたくないと思うぞ?」
ところ変わって、ここはIS学園に存在するセイス達の隠し部屋。あの騒乱の後、マドカはそこに足を運んでいた。彼女が隠し部屋に訪れた時、セイス達は大仕事を終えた打ち上げを兼ね、事前に購入していた食材とお手軽キットでミニ鍋パーティを始めようとしていたところだった。色々なことが起こり過ぎて、碌に食事が出来なかったマドカは、そのままソレに参加させて貰う事にしたのである。
そして今は、自分を含めた5人で鍋の乗ったちゃぶ台を囲み、先ほど自分達が体験したことに関して互いに語り合っていた。
「それにしても、まさか篠ノ之束博士がエムをねぇ…」
バンビーノは呟く様にポツリと溢し、隣に座っていたセイスの皿から肉の塊を奪った。
「ということは、暫く気軽には会えなくなるってことか?」
ふと思い出したかのようにセイスがそう言って、予備動作無しでマドカの皿から肉団子をくすねた…
「正直言って、そこら辺は良く分からん。連絡くらいは普通に取らせて貰えると思うが…」
マドカは何を考えているのかサッパリ分からない天災のことを思い浮かべながら、空になった自分の皿と、具を補充したばかりのオランジュの皿を何食わぬ顔ですり替えた。
「何にせよ、忙しくなりそうだな。最近、なんだか姉御も様子がおかしいし…」
そっとアイゼンの皿に箸を忍ばせるが、皿ごと退避されて呆気なく空振りに終わるオランジュ。舌打ちを溢しながら、彼は渋々と新たに鍋から具を掬った。
「ところでアイゼン、さっきから一言も喋ってないが、どうした?」
心配する素振りを見せる言葉とは裏腹に、容赦なくアイゼンの皿から椎茸を掻っ攫うバンビーノ。
「う~ん…実は今日さ、影剣と殺り合ってる時に誰かの視線を感じたんだ。明らかに影剣とは違う、けれど一般人でも無い中途半端な感じの……」
後で周囲を確認したら誰も居なかったけどね…と付け加えながら、オランジュの皿の中身を箸を一閃して全部持っていった。
「学園の生徒だったらアイゼンが気付かない訳ないし、今日は影剣と名無し隊しか居なかったから、楯無の索敵用ナノマシンでも感じたんじゃね?……ぶっちゃけ、心当たりはあるが…」
隠し部屋に立て掛けられた熊の着ぐるみをチラリと見やりながら、マドカの皿に箸を忍ばせる。だが、彼の箸はマドカの領域に侵入した途端、何をどうされたのか真っ二つに圧し折られてしまった。
「おいいいいぃぃぃ!! て言うかテメェら、横着しないで自分の取れえええええぇぇぇぇ!!」
「あ、遂に言っちゃったよコイツ」
「言ったら負けって空気読め、バカ」
「阿呆専門、アウトー」
「なんだ、ケツバットか? 今は釘バットしか無いんだが…」
「やめろクレイジー共ッ!!」
若干涙目になりながらも、普通にキレた阿呆専門。そんな彼に容赦なく追い討ちを掛ける4人は、まさに鬼だ。まぁ5人が揃うこと自体は随分と久しぶりだが、この面子にとっては割といつもの光景だったりする…
「つーか、この大人数のせいで予備の箸も無いってのに、なんてことしやがる…」
「そんじゃ、ホレ」
「……なんだその菜箸は、それで食えってか…?」
「いや、早く次のよそってくれよ」
「知るかボケェ!!」
そのままオランジュはお玉片手に荒ぶり、バンビーノは逃げ始める。そんな二人の様子をのんびり眺めていたマドカだったが、途中で隣に座っていたセイスが肘で小突いてきた。顔を向けると、彼は少しだけ真面目な表情を浮かべており、目を合わせると同時に口を開く。
「既に色々な奴に散々言われたかもしれないが、篠ノ之博士には充分に気をつけろ。彼女が何を考えているのかは分からないが、お前を気に入った理由は確実に…」
どうやら、自分のことを心配してくれているらしい。今までの出来事を経て、セイスが自分の事を大切に思ってくれているのは自覚したが、やはり改めて面と向かって言われると気恥ずかしい。だが同時に嬉しくもあって、自然と頬が緩む。
「安心しろ、私は死なない。精々いつもの借金のように、力を借りるだけ借りて踏み倒してやる」
「いや、金は返せよ」
口ではそう言うが、互いに表情は笑顔だ。しかしマドカは、セイスの笑顔に僅かにだが不安の色を見つけた。だから、彼女は言うことにした…
「私も、約束する」
「え…」
「お前が私に約束したように、私もお前に約束する。例えどんなことが起きようと、お前が望んだモノを…『織斑マドカ』の本当の笑顔をセヴァスに見せるまで、私は絶対に死なない、と…」
口を挟む余裕を与えず、一気に言いたいことを言い切った。そんなマドカの言葉に予想外だったのか、セイスは暫くキョトンとしていた。その余りに薄い彼の反応により、逆に冷静になったマドカは、半ば勢い任せで口にした先程の言葉が段々と照れくさくなったのか、誤魔化す様にそっぽを向きながら言葉を続けた。
「だ…だから、お前も約束は最後まで守れ。幾ら今日みたいに戦い方を変えたからと言って、ISを使えないお前の方が私より死にやすいことに変わりは無いんだからな……」
「……あぁ、分かってる。ありがとう…」
心の中で喜びながらも、なんでお前が礼を口にするんだと言おうと思って顔を向けなおすと、彼は穏かな微笑を浮かべていた。その顔を見たら、これ以上何かを言うのも野暮だと思い、マドカも一度は口を閉じる。そして…
「守れよ、絶対に」
「お前こそ、な」
互いに挑発的な笑みを浮かべる二人に、それ以上の言葉は不要だった。彼らの静かな誓いと、オランジュ達の騒ぎ声が響きながらも、波乱だらけの一日は静かに幕を降ろした…