「一夏の部屋に忍び込みたいだぁ?」
「おうよ、是非とも」
まだ朝日がちっとも見えないほど早い時間、寝起き早々にそんなことを言い出したバンビーノ。人数が増えたことによって交代するペースも大分緩やかになり、さっきまで寝かせて貰ってたセイスは既に眠気から解放されていたが、この言葉のせいで自分の耳、もしくは目の前のバンビーノの正気を疑わざるを得なかった。
「なんでまた急に?」
旦那や姉御達からそれといった指令は来ておらず、懸念されていた自分達以外の勢力による襲撃の気配も今のところは無い。監視カメラや盗聴器も異常は見られないし、わざわざ危険を冒してまで一夏の部屋に行く理由は無い。 しかし今思うと、俺達ってとんでもない部屋を見張っている気がする。ISを持った代表候補生や、学園最強や、世界最強が定期的に足を運んでくるのだから…
「強いて言うなら、リハビリか? ここんとこ簡単な仕事ばかりだったからさ、ちょっと身体が鈍ってる気がしてしょうがないんだよ。そんなんで学園の警備システムやら徘徊するIS所持者たちをやり過ごせる自信がちょっとな…」
「そうか? 俺の本気のドロップキック受けて平気だったし、全然余裕だと思うが…」
「テメェ、やっぱあの時マジで蹴りやがったのか…」
とは言うがこのバンビーノ、フォレスト一派の現場組に所属するだけあって相当な実力を持っている。流石に素の身体能力は人間の領域を出ないが、その他の技量センスに関しては超一級品であり、生身での戦闘能力に至ってはマドカと同等である。元々フォレスト一派現場組は業界トップクラスを誇る実力者集団なのだが、彼の実力はその中でも上位に位置していたりするのだ。
口と態度には意地でも出さないが、優秀な先輩の一人としてそれなりに一目置いている。そういった面もあり、それやった時のリスクを踏まえると、全くもってオススメ出来ないのだが…
「ほほぉ、面白そうな話をしてるじゃねーの」
そこへ、やや遅れて起床してきたオランジュが話に加わってくる。モニター席の方に目をやると、俺に代わって昨夜から一夏を監視していたアイゼンが床でゴソゴソとい寝袋を用意していた。どうやら監視役の順番が回ってきたから、自然と目を覚ましたようだ…
「しかし甘い、甘いぞバンビーノ!! 俺とセイスはいい加減に慣れてきたが、お前らはこの学園の本当の恐ろしさを理解できてい無ぇ!! 警備システム? IS所持者? バッカ野郎、歯を食いしばれ!!」
「危なッ!?」
「どわっじ!?」
妙なハイテンションで力説を始めた後、終わるや否やバンビーノに殴り掛かるオランジュ。謎の奇行に思わず面食らう俺とバンビーノだったが所詮は裏方組、反射的に繰り出されたバンビーノのカウンターが顔面に直撃し、膝から崩れ落ちて痛そうに蹲った……本当に何がしたいのだろうか、このバカは…
「おぉ、痛てて…と、とにかくだ、今のお前は色々と舐め切っている!! そんなんじゃ心配で心配で夜も眠れない!!」
「俺はお前の鼻の方が心配だ……血、出てるぞ…」
景気よく鼻血をダバダバと垂れ流していたので、取り敢えずティッシュ箱を手渡してやった。それを素直に受け取り、鼻に詰めて栓をしながら話を続けるオランジュだったが、幾分テンションは低くなった…
「……まぁ、アレだ。リハビリ自体は別に構わないんだけどよ、この学園はお前が思っている以上に物騒な場所であることは事実だ。だからせめて御守り代わりに、この餞別を持って行け…!!」
そう言ってオランジュは、どこからともなく『あるモノ』を取り出した。その『あるモノ』とは…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「やはり、少し早過ぎただろうか…」
とか言いつつも愛用の竹刀と少量の荷物を抱えながら、毎朝の日課である自己鍛錬をするべく、いつもの武道場へと篠ノ之箒は歩を進めていた。まだ日が昇りきってないせいで外は薄暗く、おまけにさっきから誰とも出くわさない。珍しく普段よりも早く目が醒めてしまい、他にやることもないからと道具一式を持って寮室を出たは良いが、道中に学園の生徒たちはおろか、教員すら見かけないとなると、やはり失敗だったかもと思わずにはいられなかった。
「……うん…?」
ふと、箒は自分の視界に何かを捉えた。自分の進行方向30メートル先にあるT字路の突き当たりに、何かが居たのである。薄暗いせいでよくは見えないが、心なしか人影のようにも見える気がした。
自分のように自主的に早起きして鍛錬する者は決して少なく無いので、そういった輩とたまたま遭遇した可能性もある。だが、この時間帯…それも通路の突き当たりでただ立ち尽くしているだけなんて、怪しいにも程があった。故に自然と箒の手は、竹刀を強く握りしめた。
(空き巣か? だったら、これで…!!)
目の前の人影をいつでも叩きのめせるように、竹刀をしっかり握りしめながら、箒は慎重に歩みを進めた。そして相手を見つけてから3歩進み、人影が何なのか見えてしまったあたりで、彼女の足は再び止まってしまった。というか余程衝撃的だったようで、身体全体が石の様にピシリと固まっていた。
だが、それも仕方の無い事である。何故なら、警戒心を強めた箒の視線の先には…
―――スラリと伸びた、自分より高い身長で…
―――ガッシリとした、立派な体格をもって…
―――此方をジッと見つめながら…
―――腰をクネクネさせて、本格的なカービ○ダンスを踊る″熊の着ぐるみ″が居た…
(な、ななな、何なんだコイツは…!?)
ピクリとも動かない箒だったが、内心では絶賛混乱中である。誰も居ない時間帯、誰も居ない場所で、こんな謎で怪しい行動をしているだけでも充分に怖いが、腹立つ位に上手く踊りつつ、そのつぶらな瞳でずっと此方を見つめ続けてくるのが箒に更なる恐怖を与えていた。色々と不気味過ぎて、まるで金縛りに掛かったかのように目を離すことが出来なかったのである。その結果、目の前の熊が一曲分丸々踊りきるまで彼女は目が離せず、一歩的な睨めっこはそれまでずっと続いた。
そして踊り終わって満足したのか、熊はムーンウォークで曲がり角に消えていった。その最中もずっと箒を見つめ続けていたが…
「ほ、本当に今のは何だったんだ…?」
熊の姿と気配が完全に消えたことを確認した箒は、緊張の糸が切れるや否やほっと胸を撫で下ろした。そして自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返し、息を整える。武道を嗜むだけあり、みるみる内に生気が戻っていく…
「……良し…!!」
謎の熊と遭遇した時の引き攣った表情から一転、気合の籠った凛々しい顔つきに早変わり。彼女はさっきと違う、鋭くも熱い視線を熊が消えた方向へと向け…
「今日は帰ろうッ!!」
―――回れ右すると同時に全力疾走で部屋に戻った…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうよどうよ、超兵器『ランニング・ベア』二号機…通称『ダンシング・ベア』の性能は!!」
『いや~、最高だわコレ!! 見た目こんなだけど、身体が超動くのなんの!!』
通信機から聴こえてくる、バンビーノの御機嫌な声。モニターに目をやると、人が通らない場所に移動して、光学迷彩を起動させながら派手なブレイクダンスを踊る熊の着ぐるみが目に入った。
オランジュが取り出し、手渡してきたなんとも懐かしい例の熊の着ぐるみ…の試作量産タイプだった。またもや技術部が張り切ったらしく、あれを着ると俺に匹敵する身体能力が手に入る上に、いつものステルス機能に加え光学迷彩まで使用可能になるとか。おまけに非常識な外見なせいで、相手は此方を疑うよりも先に自分の正気を疑うと言う優れもの。
人の黒歴史を思い出させる忌々しい見た目と名前だが、性能は間違いなく折り紙つきだろう。デザインがまともになったら、俺も一着欲しいかもしれない。だが、それはともかく…
「超兵器一号ということにされてるらしいが、元々アレは市販のものだから量産もクソも無いし、着ぐるみ自体に何か機能がついている訳でも無いんだが……呪われてるけど…」
「細けえことは気にすんな、元祖ベア」
「殴るぞ?」
『おい、呪われてるってなんだ? 実はこれって、なんかヤバいもんでも憑いてるのか?』
因みに、バンビーノとアイゼンには『のほほん恐怖伝説』の詳細をまだ教えていない。バンビーノは簪ストーキング作戦の時に何か経験したみたいだが、詳しくは覚えていなかったようで、のほほんさんの真の恐ろしさを知らないままでいる。知らぬが仏(知ると布仏)ということもあり、俺とオランジュは敢えて黙っているのだが、それが吉と出るか凶と出るか…
『お~い、聞いてるのか?』
「あぁ、聞いてる聞いてる。それよりもバンビーノ、目的の一夏の部屋まであと少しだぞ。ラヴァーズが来る時間帯になる前に、さっさと行っちまえ」
『む、それもそうか…じゃあ、さっさと行ってくる!!』
さらりとオランジュに誤魔化され、荒ぶる熊は一夏の元へと向かっていった。その後、意気揚々とホップステップジャンプ&ターンを繰り返しながら進むバンビーノの進路を阻むような者は現れず、そのまま何事も無く目的地にたどり着いた。そして持参したピンセットであっさりとドアのロックを解除したバンビーノは、ドアノブに手を掛け、音も無くゆっくりと開いた…
―――悪夢への入り口を…
・オランジュが謎の力説を始めた際、4人ともモニターから目を離してしまいました…
・この話の時系列は八巻の序盤で、ラウラが猫パジャマで朝這いを試みた時のです
・つまり今の一夏の部屋には、あの人が既に居る…