「えぇと…この次の角を曲がれば……」
ゴキブリ型偵察機…助六のコントロールとリンクさせた隠し部屋のパソコンを操作して、彼は助六越しにIS学園の校内を練り歩いていた。
以前、オランジュは彼女たちがゴキブリと邂逅した瞬間を見たことがある。鈴は大して動揺していなかったが、その時のセシリアとシャルロット、そしてラウラの反応はかなり新鮮なものであった。何せあの金髪コンビは泣き叫びながら逃げ惑い、ラウラはゴキの動きにビビッて鈴にからかわれるという、いつもの彼女らの姿からは想像もできない光景だったのだ。二人の悲鳴を耳にして山田先生も駆けつけたのだが、原因がゴキブリであると知った途端に目を回して倒れてしまい、全員に『やっぱり頼りにならない…』と呆れられる始末だ……まぁ、逆に山田先生らしいとも言えるが…。
結局その当時は、真顔で日本刀を使おうとした箒を抑えながら、一夏が丸めた雑誌でゴキブリを瞬殺したことにより事なきを得た。しかし、その時に撮影することが出来た彼女らの姿はファンクラブの連中に莫大な需要を生み、今までの中で三指に入る売り上げ記録を樹立した。
「出来ることなら限界まで盗撮して、最後にゴキブリの姿を見せて驚かしてみるとすっか…」
一応姿を見せないことを前提にしたコンセプトで開発させた事ものなのだが、本末転倒も良いとこだ。しかし彼にとっての優先順位は寂しくなった財布の中身を増やす事であり、その資金源の為にもIS少女のレアシーンは必須である。それにこれは自分の欲望を満たすための行いでもあり、この退屈な時間に光明をさす為の行いなのだ。何かそれっぽい事言ったが、要は迷惑でタチの悪い暇つぶしと金稼ぎである。
「よし、ここだな…」
そんな折、助六に搭載されているカメラから送られてくる現場の映像が、オランジュにとっての一つ目の目的地を映し出す。助六に最初に向かわせたそこは、IS学園本校舎の入り口前だった。彼の予想が正しければ、そろそろその場所に目当ての人物の一人が来る筈なのだ。そして案の定、予想通り…
「お、来た来た……なんか、いつもより目つき悪いな…」
---専用機『甲龍』の調整の打ち合わせを終わらせ、小さい身体に不釣合いな怒気を纏った凰鈴音がやって来た…
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あぁもう…何だって言うのよ……!!」
鈴は苛立っていた。この上なく苛立っていた。唯でさえ自分はクラスが違うせいで、他のライバルよりチャンスが圧倒的に少ない。だからせめて、今回のタッグトーナメントだけでもどうにかしようと思い、先手を打つべく誰よりも早くペアの申請を強要…もとい、話を持ち掛けにいった。ところがどうした訳か、一夏は既に組む相手を決めていたのである。これが箒とかセシリアとか、馴染みの連中だったらまだ良かったが……いや良くないが、無理やり納得したかもしれない…
「なんでよりによって見ず知らずの女なのよ、馬鹿一夏あああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
あろうことか一夏が選んだのは、更識簪という彼とも自分達とも全く面識の無い相手だった。苗字から察するにあの生徒会長の妹なのだろうが、それにしたって納得できない。あの朴念仁が本気で誰かに一目惚れするとかいう展開は有り得ないと思うが、これで落ち着けというのは無理な話だ。
「どうしてこういつもいつもこんな事になるのよ!! それとも何!? そんなに私の事が嫌いなのかああああぁぁぁぁ!!」
どの道、タッグペアトーナメントでのアピールチャンスは全てパァである。ペア申請の話を持ちかけたのがその簪であろうが一夏であろうが、最早この彼に対する苛立ちは収まりそうに無い。頭の中では一夏に対して憤るのは筋違いであるという事は理解しているのだが、心の方が納得してくれないのだ。
「……はぁ…もうやめた…この鬱憤は、タッグトーナメントまでとっとこ…」
いつの間にか周囲からの視線を集めていたことに気付き、彼女は気まずそうにしながらそそくさと校舎の中に入る形でその場を離れた。あれだけ大空に向かって声を荒げれば当然の事だが、それだけイライラが溜まっているのだろう…
「ん?……て、うわわっ…」
唐突に何かの気配を感じ、横を向く。すると自分の目の前で、一匹のゴキブリが壁に張り付いていた。半ば不意打ちするかの如く視界に入ってきたので少し驚いたが、生憎と普通の女子より肝が据わってる…ましてや機嫌の悪い今の鈴にとっては屁でも無い。しかし目の前のゴキブリは、あっちへチョロチョロ、こっちへチョロチョロと鬱陶しいぐらいに動き回り、それでいて鈴の視界に留まり続ける。暫くその動きをジーッと眺めていた鈴だったが、最終的に…
「鬱陶しいわああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
---問答無用で殴りつけた……素手で…
「チッ、逃げられた…」
間一髪で鈴の右ストレートを回避したゴキブリは、本能的にヤバいと思ったのか怯える様にして彼女の元から逃げ出した。相当恐怖したのかゴキブリの癖に逃げ去る途中、障害物にガンガン衝突していたが、その姿が妙に人間臭かった気がする。なんて思ったときには既に、そのゴキブリは壁の隙間に入り込んで居なくなってしまった…
「……帰ろ…」
何だか変なものを見てしまって余計に疲れた気がするが、鈴は再び自室へと歩き出す。今の彼女は忙しいのだ……一夏をボコボコにする為の、脳内シミュレーションで…
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……こ、殺されるかと思った…!!」
隠し部屋で冷や汗を掻きながら、オランジュは一人呟いた。鈴がゴキブリをそんなに怖がらないのは知っていたが、問答無用で…それも素手で殴りかかってくるのは予想外だった。あんなサイズの虫を素手で潰したら間違いなく気持ち悪い思いをするから普通は躊躇うものなので、少し舐めていた。しかもその鈴の様子に焦るあまり、操作をミスって助六を何度か壁や物に衝突させてしまったが、大丈夫だろうか?
だがあのマジで怖い顔でさえ、ファンクラブの連中にとってはむしろ御褒美なのだ。彼女が泣き叫びながら慌てふためく姿は撮れなかったが、これはこれで良い収穫である。
「まぁ、最初はこんなもんか……さて、次は…」
校内の監視カメラに目をやり、目ぼしい人物の現在地を確認する。そして丁度良い感じに、ターゲット候補の内の一人を見つけることが出来た。先ほどのやけに沸点の低い鈴と違い、こっちの方は幾らか安心して良さそうだ。何せこっちは、彼女がゴキブリが苦手な者の一人だという事を既に知っている。
「よっしゃ、良いリアクションを期待しますぜ、セシリア嬢…」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ハァ…」
恐ろしく深い溜め息を吐きながら、セシリアはフォーク片手にケーキを突く。今は昼過ぎとあって食堂は全体的に賑やかな状態なのだが、彼女の座るテーブルだけやたら暗い。暗いだけならまだ良いが彼女の場合、その空気に冷たい怒気を混ぜているので、近づくだけで胃がキリキリしてくる。その原因は大体、先ほどの鈴と一緒だ。ここ最近の専用機持ちの機嫌の悪さを薄々感じている他の生徒達は、彼女らの爆弾のような雰囲気を恐れて敬遠気味になっている。その為、現在セシリアの周りには人っ子一人居なかった。所謂、隔離状態というものである。もっとも…セシリアは勿論のこと、彼女と同じような状態になって同じような扱いを受けている専用機持ちの面々は、その事を全くもって気にしてなかったが……
---今の自分達にとって重要なのは、如何にして一夏に、自分を選ばなかった事を後悔させるかなのだ…
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「で、出たーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」
「だ、誰かどうにかしてえええええぇぇぇぇ!!」
聴いたら周りがドン引きしそうな事をセシリアが考えていたその時、唐突に誰かが叫び、それに合わせるかのようにして食堂に次々と生徒達の悲鳴が上がった。
「あら、何かしら…?」
騒ぎは段々と大きくなり、悲鳴だけではなくドタバタと慌しく走り回る音まで聞こえてくる。超私的な事であるとはいえ、考え事をしていたセシリアにとってこの騒音はあまり気分がいい物では無い。この騒ぎの原因を突き止め、それを作った者に文句の一つでも言ってやろうと席を立った調度その時だった…
「……は…?」
最も騒ぎが大きかった方から何か黒い影が飛んできたと思ったら、それは一直線にセシリアが食べていたケーキに着弾した。良く見ると手のひらサイズなそれは、とても見覚えのある形をしていた。割と最近シャルロット達と一緒に遭遇してしまい、ガラにも無く大騒ぎしてしまったのはまだ記憶に新しい。その時の慌てっぷりは、さっきまで食堂で騒いでいた他の生徒達に負けず劣らずだった思う。
---この黒光りする、六本の足と二本の触覚を持った昆虫……ゴキブリに出会った時は…
「ッ……」
彼女は震えた。このゴキブリが着地した場所は、自分が食べている最中だったケーキ…それも、普段から間食を控えている自分が、一夏の件で憂鬱になっている気分を少しでも良くしようと思って奮発した、割高で特別なケーキの上。ただでさえ、その事に関して勘違いをし、ぬか喜びをした挙句に騒いだせいで織斑先生に罰則を食らうというトラブルに見舞われたばかりである。おまけに一夏がペアを申請した相手は、全く持って知らない相手ときた。故に、彼女は震えた…
---怒りで…
「…フ、フフ……ウフフフフフフ……」
ケーキが台無しになった事を皮切りに、最近の主な出来事が連鎖反応の如く思い出だされていき、セシリアの何かがプッツンと切れた。気が付いた時には、神速に近い動きでケーキの上に乗ったゴキブリを、空になったティーカップを被せて捕獲していた。そして閉じ込められたゴキブリが乗ったケーキの皿を持ちながら、彼女は席を立ちながらテクテクと食堂に備え付けられたバルコニーへと歩いていく。余談だがその最中、彼女はずっと無表情で笑うという無駄に器用で怖い表情を浮かべていたせいで、一部の生徒達のトラウマとして残ってしまった…
「ウフフフフフ……飛んで火に入る夏の虫という言葉がありますが、あなたが入ったのはそんな生ぬるいものでなくてよ…?」
いつの間にかバルコニーの端に辿り着いた彼女は、ゾッとするような冷たい声でそう言った。カップを被せられたゴキブリが身の危険を感じて必死に暴れまわっていたが、虫如きの力では到底脱出は不可能である。そして無情にも、その時はやって来た…
「虫には少々勿体無い気がしますが、今の私の機嫌は最高潮ですわ(怒りで)。だからせめて鎮魂歌くらいは奏でてあげましょう……私とブルーティアーズで…」
その言葉と同時に、彼女はゴキブリを閉じ込めたカップとケーキ皿を空へと放り投げた。それと同時に、自分の周囲にブルーティアーズのビットを全て展開した。やがて…
「生まれ直して空気ぐらい読めるようになってから出直してきなさいッ!!」
---ビットから放たれた無数の閃光が、カップとケーキ皿を跡形も無く消し去った…
先に言っておきますが、助六はまだ健在です……一応は…