亡国機業幹部の一人であるスコール…その彼女が拠点として使っているアジトは、まるで何処かの高級ホテルを思わせる様な雰囲気を放っている。所々に金が掛けられ、医務室にすら本人が『高かった』と称する壁紙を使う位だ。
「ク、ククク…!!」
そんな場所の一つである医務室のベッドに腰掛けながら、亡国機業のエムことマドカは顔から血を流しながら笑みを浮かべていた。別にその傷は誰かに負わせられたものでは無く、自分で付けたものだ。憎むべき姉にそっくりな自分の顔を傷つけ、それによって悦に浸っていたのだ。
「あぁ…姉さん……いつか…この傷を姉さんにも…」
今夜は思わぬ邪魔が入り失敗してしまったが、やはり織斑千冬に対する復讐の第一歩というのに変わりは無い。実行している最中は、この上無く気分が良かった。未遂故に自分は辛うじて生かされているのは分かっているが、やはり時が来る前に我慢仕切れないかもしれない。
だが、自分はそれでも構わないとも思う。あの織斑千冬に最大の苦痛を味あわせることさえ出来れば、後の事など知った事では無い。先程スコールには『出来る限り亡国機業のエムでいてちょうだい』とか言われたが、ハッキリ言って願い下げだ。時が来たら、躊躇なく立ち去ってやる。そもそもこんな場所に未練など…
「未練など…未練など、無い……筈だ…」
口には出してみたものの、その言葉は段々と弱々しくなっていった。確かにスコールもオータムも鬱陶しい事この上無いが、ここで出会った全員がそうという訳では無かった。少なくとも亡国機業に身を置いたからこそ、自分はセヴァスという最大の理解者と出会えたのでは無かろうか…
そして自分は結果的に失敗したは言え、そんな彼に迷惑を掛けようとした…
「そういえば、今頃アイツは何をしてるんだろうか…」
スコールから聴いた話によれば、昼間にCIAの局員とやり合って負けそうになったらしい。相手は彼の再生機能を阻害する特殊弾を持っていたらしいが、生身の相手にそこまでしてやられるとは情けない。今度会った時は、その事をネタにしてからかってやろう…
「……いや、今度と言わずに今からでも…」
大量に血を流したとも言っていたか、恐らくいつもより腹を空かせている事だろう。確か、極端に血を流したりスタミナが減ると再生能力が劣化すると教えられた。いつも彼に迷惑を掛けてる事だし、今日位は自分が飯を奢ってやるのも良いかもしれない…
そして、その場で今夜の事を謝ろう……勝手な事をした手前、本気で数発殴られる位の覚悟は居るかもしれないが…
「そうと決まれば早速…」
―――ガチャッ…
「チィーッス、来ましたよスコールの姉御~~って、エムか…」
「……何しに来た、阿呆専門…」
ノックも無しに開かれた医務室の扉、そこに立っていたのはオランジュだった。基本的に彼がスコールの元を訪れる様な理由など、殆ど無い筈だが何故ここに…
「何しに来たって、お前……もしかして、何も聞かされてないのか…?」
「ふん…生憎、さっきまでスコールと揉めてそれどころじゃ無かったのでな。しかし、どうした?もしやオータムの奴が、スコールからティーガーに乗り換えたとでも言いに来たか…?」
「……随分と笑えない冗談だ…」
よく考えてみると、大抵セヴァスと一緒に居るコイツともそれなりに長い付き合いになる。センスがあるか無いかはともかく、自分が冗談を言える相手なんてセヴァスとそれに近しい者だけだ…
因みに、その数少ない冗談を言える相手は…
「ちょっと失礼…」
「え…?」
―――マドカが腰かけた簡易ベッドを、彼女ごと蹴り倒した…
「な、何をする…!?」
「うるせぇよこの馬鹿、知らなかったで済むと思うなよ…?」
あまりに唐突な彼の行動に不意を突かれ、受け身も取れずに地べたへと落ちるマドカ。即座に立ち上がり憤慨するが、オランジュはそれを意にも返さず睨みつけてくる。いつもの間抜けな雰囲気を微塵も感じさせない彼のその様子に、流石のマドカも困惑せざるを得なかった…
「い、一体何だと言うんだ!?お前を怒らせる様な真似なんて…」
「俺がここに来たのは、スコールの姉御に呼び出されたセイスを引き取りに来たからだ。そしてセイスが呼び出された理由は、お前がさっき言った姉御と揉めた内容なんだよ…」
「……その事は、すまなかった…」
やはり、少なからず責任を問われる事になったようだ。あの時はドイツの遺伝子強化素体以外の邪魔は入らなかったし、彼は私の行動を止めようとする事さえで出来なかったのだろう。だが私はISを所持しているし、止めようとした所で無理な話だ。それに彼は組織全体で見ても極めて有能な分類に入っており、それなりに大目に見て貰える筈である……だが、しかし…
「……ちょっと待て…何でセヴァスだけが、それもスコールの元に呼び出された…?」
普通なら彼の直属の上司であるフォレストの元に行く筈である。確かに日本と米国はスコールの担当区域だが、IS学園に関することは人材を彼女に貸し出しているフォレストにも指揮権があるのだ。しかもセヴァスと共に任務を全う中のオランジュが、後から『セヴァスを引き取るために』呼び出される意味が分からない…
「やっと気付きやがったか…」
「勿体振らずに早く教えろ!!一体セヴァスに何が……いや、セヴァスは何をしたんだ…!?」
「変だとは思わなかったのか?お前の一番の障害になりかねない、更識の野郎が来なかった事を…」
「ッ…!!」
オランジュの言葉に、マドカは思わず息を呑んだ。この場所、この状況でそれを言う事が何を意味しているのか、否応なく察する事が出来てしまったのである…
「まさか…まさかセヴァスは……!?」
「あ…そうそう、一つ言い忘れたが……厳密に言うと、俺が引き取る事になりそうなのは…」
―――セイスの“死体袋”だ…
その瞬間…マドカは自分以外の全ての時間が、止まったかのような感覚に襲われた…
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さて、何か言い訳はある…?」
「何も無いです」
スコールの部屋で、セイスは彼女と向き合っていた。いや、向き合っているというには少しだけ語弊があるかもしれない。セイスは確かにスコールの方を向いているのだが、対する彼女は彼に背を向ける様な形で夜景が一望できるバルコニーの方を見ていた。しかし、その背中からはハッキリと冷たい怒気が伝わってくる…
「……まさか、あなたがこんな真似をするなんてね…」
「……。」
「一応、信じてたのよ…?」
「……申し訳ありません。だけど、もう俺は決めてしまったので…」
依然としてスコールはセイスと目を合わそうとしないが、その声には些かに落胆が秘められていた。それに気付いた彼も少なくない罪悪感を覚えたものの、言った通り既に覚悟を決めているのだ……今更後戻りする事など出来ない…
「だったら尚更、何でここに戻って来たのよ?その為の準備、してたんでしょ…?」
「エムの命令違反は未遂で終わりました。そうなると、アイツに貴方の説教以外の御咎めは無しの筈です。ましてやアイツは俺と違って、組織内でも貴重なIS操縦者で腕前はトップクラス…上の連中も、そんなに五月蠅くはしない……」
「……。」
「だったらアイツは亡国機業から逃げ出して組織を敵に回すより、ここに残ってた方が安全で有益です……味方が俺みたいな馬鹿一人な状況より、亡国機業の力を借りれる方が彼女も助かるでしょうし…」
「……私が聞きたいのは、そんな言葉じゃ無いのよ…」
スラスラと出てくるセイスの考えてる事を耳にする度に、スコールから放たれてくる怒気の冷たさがどんどん増していく。堅気の人間がこの場に居たら、間違いなく恐怖に駆られて逃げ出した事だろう。だが生憎、この場所には自称大馬鹿野郎の人外しか居ない…
「ここに戻ればどうなるか、それが分からないあなたでも無いでしょうに…それにも関わらず、どうして私の呼び出しに応じたの?」
「それこそ、姉御なら分かるでしょう…?」
「……それもそうね…」
その言葉と共にスコールは振り返り、セイスの方を向く。彼の眼には、何かを決心した者特有の覚悟が宿っていた。それが分かってしまったスコールは、思わず深い溜め息を吐く。しかしセイスはそれに構わず、言葉を続けた…
「俺はマドカと違って未遂でも何でも無い、完全な命令違反及び反逆行為です。もう言い訳は出来ませんし、する気も無いです。そしてマドカを組織から逃がす理由が無くなった今、俺なりに貴方達に恩を仇で返した事への謝罪と、落とし前を着けさせて貰います……だから、その為に姉御…」
―――俺を、殺してください…
此方を見つめてくるスコールの目を真っ直ぐに見つめ返しながら、セイスは彼女にそう懇願した…
先に言っておきます。『愛の逃避行』はやりません…!!