「ようやく追いついたぞ」
オコーネル社の傭兵達、その隊長が最初に目にしたのは、目を閉じて地面に横たわるシェリー・クラーク。そして彼らに背を向けるようにして、膝で座り込みながら彼女のことを見下ろすセイスの姿だった。
「シェリー・クラークの方は死んだのか。人の身であの身体能力を手に入れられるのは魅力的だが、やはり肉体そのものへの負担は大きいようだな」
職業柄、遠目で見ても彼女が死んでいる事は分かった。散々迷惑を掛けられた挙句、勝手に死んだことに思う所はあるが、これ以上邪魔が入らないのは良い事だ。彼が空いた方の手を上げると、それに合わせて部下達が銃を構える。
「ま、その問題もお前を連れ帰って研究すれば解決するだろうが、な」
手を降ろすと同時に、部下達の銃が一斉に火を噴いた。しかし、それでもセイスは無防備な背中を彼らに向けたまま、ただ静かにシェリーのことを見つめていた。
弾丸の嵐が殺到し、対象を蜂の巣にせんとセイスに迫る。だが当たる直前、そんな彼を守るようにB6による血の障壁が展開され、その全てを食い止めた。
「やはり自分が殺された後は、コイツを逃がすつもりだったようだ。抑制弾に細工でも仕込んだか、あるいは、奴が耐性を身に着けるまで三日の猶予があるというのが嘘だったか。どちらにせよ、つくづく狂人の考える事は理解できないな!!」
舌打ちを一つ漏らすと、隊長の男は手榴弾を取り出し、深紅の障壁目掛けて投げつけた。オコーネル社製の手榴弾は障壁に当たると盛大に爆発し、セイスの障壁を弾き飛ばした。
「奴が消耗していることに違いはない、撃ち続けろ!! 動かなくなるまで殺し続けろ!!」
その言葉に合わせ、再び始まる弾幕の嵐。再度B6の障壁が展開され、セイスの身を鉛弾の嵐から守ろうとするが、この状況が続けば長くはもたないだろう。実際、障壁のキレが段々と悪くなってきており、数発の弾丸が障壁をすり抜け、セイスの身体を貫いた。
「先生…」
それでも彼はシェリーから視線を離さなかった、いや、離せなかった。静かに、そして穏やかに目を閉じて沈黙する彼女は、まるで眠っているかのようで、このまま待っていれば、いつか自分から目を開いて起き上ってくるんじゃないか。そう思えてしまう程に、彼女の死に顔は安らかだった。
「先生…」
そう、死んでいる。彼女は、間違いなく死んでいる。亡国機業で培った知識と経験が、彼女の死を否が応でも理解させる。どれだけ否定しようとも、どれだけ彼女のことを呼ぼうとも、彼女が目を開ける事は二度と無い。
「…せいだ……れの、せいだ…」
耳障りな発砲音、鼓膜の破れそうな爆発音。ポタリ、ポタリと熱い何かが頬を伝い、彼女の顔に落ちる。震える声でセイスが呟く。それでも、彼女が彼の呼びかけに応えることは、無い。
「おれの、せいだ…おれが……」
もう二度と、自分の気持ちを彼女に伝える事は、できない。
そうなったのは、何故?
彼女に、こんな決断をさせたのは、何だ?
自分のことを愛してくれた人を、無意味な憎しみでここまで追い込んだのは、誰だ?
俺だ
何もかも、全部、俺のせいだ
先生を憎み続け、苦しめ続け、死を願い続けた
俺が憎んでいると知ったからこそ、彼女はこんな選択をしたんだ
彼女が死んだ原因は、ナノマシンでも、病魔でも、オコーネル社の傭兵でもない
「おれが、せんせいを、ころしたんだ」
そう呟いた直後、背後が障壁越しにも分かる位に眩しい光に包まれ、同時に大きな爆発が巻き起こり、周囲を根こそぎ焼き飛ばしていた。
「掴まりなさい」
何が起きたのか理解するよりも早く、その身は浮遊感に包まれ、一気に地上から空へと昇って行く。咄嗟に手を伸ばすが、横たわるシェリーの亡骸は、あっという間に手の届かない所へと離れてしまった。
「良く生きてたわ、間に合って本当に良かった」
「姉御…」
ゴールデン・ドーンを纏ったスコールに抱えられ、どんどん地上から遠ざかって行くセイス。吹き飛ばされた傭兵達、燃え上がる木々、その中で横たわるシェリーの姿。その全てが、段々と見えなくなる。
「お礼はアイゼンに言いなさい。彼が私達の元に辿り着けたからこそ、あなたを助けに来れたのよ」
「……はい…」
それでも、無意味と分かっていても伸ばされた彼の腕は、暫く虚空を彷徨い続けた。
◇◆◇
「全くもって散々だ、クソッタレが…」
いきなり飛来してきたと思ったら周辺を吹き飛ばし、セイスを抱えると即座に空の彼方へ飛び去っていったゴールデン・ドーンを見やりながら、隊長の男は吐き捨てるようにそう呟いた。
今の爆撃により、残り火のせいもあって、辺り一帯は地獄絵図と化していた。今ので多くの部下が光に焼かれ消滅し、生き残った者も少なからず深手を負っている。満足に動けるのは隊長の彼を含め、10名も居ないだろう。
「まぁ良い、せめてシェリー・クラークの死体だけでも持ち帰ればギリギリ黒字だ」
報酬は踏み倒され、物的及び人的被害は甚大。しかし、その要因となったシェリーの存在が、せめてもの救いになる。死んだとは言え、彼女の身体にはセイスのものと同じナノマシンが含まれており、その性能は彼女自身が立証済みだ。少なくとも、セイスに匹敵する怪力と治癒力は確実に得る事ができる。
無論、目の前の彼女が死んでいることを考えるに、それなりの副作用や身体への反動はあるのだろうが、そんなもの時間を掛けて研究と改良を続ければどうとにでもなる。
「おい、撤収するぞ」
もう見えなくなったゴールデン・ドーンが飛んで行った方角を憎々しげに睨み付けながらも、生き残った部下達にそう指示を出し、彼もまたその場から去る為に動き出した。
「これは良い拾い物をした。まさか、ここに来て彼の心を大きく揺り動かす存在に出逢えるなんて、思いもしなかったよ」
自分のものでも、部下のものでもない、聞き覚えの無い声。
「どの口が言う。彼女がセイスにとってどんな人間なのか、お前が分からない訳が無いだろう」
「いやいや、本当に彼女の人となりを把握したのは最近だよ。流石の僕も直に接触できない相手、ましてやスコールの縄張りに居る人間を調べるのは骨が折れる」
弾かれたように銃を構え、振り向くと同時に視界に入って来たのは、死んだシェリー・クラーク、彼女の傍らでその姿を見下ろす二人の男。
「だが、セイスの話を聞いてある程度は推測できていたのだろう?」
「まーねー」
そして、一人残らず首を跳ね飛ばされた、自分の部下達。
「お前は全てを知った上であの時、セイスをアメリカに…奴の恩人を殺させに向かわせたのか」
「だけど彼は殺さなかった、いや殺せなかっただろう?」
咄嗟に照準を二人に合わせ、引き金を引く…それよりも早く、そして弾丸よりも速く投げられたナイフが、彼の利き腕ごと小銃を粉砕する。
「僕達は悪党だ、欲しいと思った物は全て手に入れるべきだよ。その為なら、躊躇せず遠回りして茨の道を進むぐらいの覚悟は必要さ。そろそろ彼にも、その事を本格的に覚えて貰おうかと思うんだよね」
片腕を失いながらも、残った方の腕で拳銃を取り出し一矢報いようと構えるが、その一瞬の間にナイフを投げた男…ティーガーが既に目の前に立っていた。
「この…化物、どもが……」
その言葉を最後に、傭兵達を率いていた男の首は胴と別れて宙を舞い、やがてドサリと音を立てながら地に落ちた。やがて頭と力を失った彼の身体も、糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちる。
”手刀で”傭兵達を斬首刑に処したティーガーは取るに足らない敵に…あるいはどこまでも性格の悪い上司にして相棒の男の態度に対し、つまらなそうに鼻を鳴らすと、先程傭兵達を仕留めた時と同様、まるで瞬間移動のような目にも留まらない動きで、フォレストの隣に戻った。
「分かった。これまで通り、お前を信じよう」
「感謝するよ相棒、今後もよろしく」
色々と気にくわない部分はあるが、結局最後は全て丸く収め、何もかも手に入れるのが、この男である。逆らって得したことも無ければ、従って損したことも無い。ならば、きっと今回もそうなのだろう。
半ば諦めに近いものも含まれていたが、深い溜め息と共にティーガーがそう言うと、フォレストはいつもの笑みを浮かべながら上機嫌にそう答えた。
「それで、本当にシェリー・クラークだけでセイスの気を惹けるのか?」
「無理だろうね。彼女とエムの隣なら、彼はきっと後者を選ぶ。でもねティーガー、そもそも彼女を使って直接釣り上げるのは、セイスの方じゃないよ」
フォレストはそう言うと、穏やかな表情を浮かべるシェリー・クラークの頬にそっと手を当てた。物言わぬ彼女の体温は、完全にぬくもりを失っており、ひどく冷たい。
「さてさて、まずは整理しようか。今、僕達の持っている手札は?」
―――シェリー・クラーク―――
―――彼女の身体に注ぎ込まれたナノマシン―――
―――亡国機業を遥かに超える頭脳と技術力を持った天災―――
―――その天災に多少の頼み事を聞いて貰えるだけの協力関係―――
「ねぇティーガー、実質セイスって不死身だけど、何度も死んだことあるんだよね?」
「……まさか、可能なのか…?」
静かに発せられたその疑問に、フォレストはただ『このままじゃ無理だけどねー』と一言だけ返し、そしていつものように微笑むだけだった。
「献身的な彼を、命より大事に思ってる彼女のことだ。そんな彼の恩人を救い、彼に再会させてあげられる可能性があると知ったら、彼女はどう思うだろうね?」
しかし、ゴールデン・ドーンによる炎と、傭兵達の死体による血の海に囲まれた今の彼の姿は、地獄に住まう悪魔そのものにしか見えなかった。
◇◆◇
「セヴァスッ!!」
スコールに抱えられたセイスが合流地点に到着するや否や、マドカは誰よりも早くセイスの元へと駆け寄った。当然ながら、スコールのことは眼中に無い。
かつて無い程に傷だらけになったアイゼンが襲撃されたこと、セイスが殿として一人で敵を食い止めていると聞いた時は生きた心地がしなかった。なにせ、あのアイゼンをここまで追い詰めるような奴らが相手なのだ、セイスの身が危険なのは明らかだった。あのまま止められなかったら(と言うかアイゼンが気絶させなかったら)、目の前に居たフォルテを殴り飛ばして専用機を強引に借り、助けに行ったことだろう。
まぁ結局、気絶している間にスコールが彼を救出し、こうして連れ帰ってきてくれた訳だが。とにかく彼が無事で良かった、今はそれに尽きる。本当はこの後、かなり小っ恥ずかしいことをセイスに訊こうと思ったが、それはまた別の機会にしよう。こんな時に『私のこと、愛し…じゃなくて、どう思ってる?』とは、流石に言えない。
「全く、随分と情けないこと、に…ッ!?」
だから、その代わりと言っては何だが、いつもより余計にからかい、いじくり回してやろうと、そう思っていた。そう思って彼の顔を覗き込んだ瞬間、マドカは息を呑んだ。
「セヴァ、ス…お前……」
「……あぁ悪い、心配かけた…」
硬直するマドカに対し、セイスはぎこちない苦笑を浮かべ、そう言った。そして…
「悪いが、今日は疲れた。お前も疲れてるだろうから、とにかく今日はもう休んで、話は明日にしよう」
言うや否や、セイスはマドカの横を通り過ぎ、そのまま行ってしまった。いつもと比べて、随分と淡泊なセイスの態度にスコールは違和感を覚えたが、先の戦闘でそれ程までに消耗していたのだろうと言うことで納得し、特に深刻に考えなかった。
だが、その時の彼の顔を見てしまったマドカは違った。かつて自分は、彼が今のアレと同じ表情を浮かべていたのを見たことがある。もう二度と見る事は無いと、彼があんな表情を浮かべることは無いと、そう思っていたのに。でも間違いない、自分に見られていると分かった途端、すぐに苦笑で隠そうとしたが、さっき彼が浮かべていたあの表情は…
(あの時と…私と初めて会った時と、同じだった……)
絶望に苛まれ、抜け殻のようになった、人の形をした何かの成れの果て。今のセイスは、まさにそれだった。
○後悔と罪悪感と悲しみで死にそうになってますが、マドカの存在が最後の支えになって踏み止まっている感じです
○アイゼンはどうにか追手を振り切り、スコールに救援を乞う事に成功
○お気に入りの危機に姉御、スクランブル発進
○天災に同行していた旦那と兄貴、良い拾い物をする
○因みに、大事な弟分二人を傷つけられたせいか、いつもより容赦無い虎兄貴
○あと、森のレストランで入手したアレで、さり気無く身体能力が強化されつつあります
さて、ようやく終わりました京都編。本編はここで一区切りしまして、少し早いですが外伝のクリスマス編の準備を始めようかと思います。これまでシリアス続きだった反動もありまして、詰め込むだけ詰め込んだカオスな仕上がりになりそうです(笑