IS学園潜入任務~壁の裏でリア充観察記録~   作:四季の歓喜

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大変お待たせしました、続きの更新です……また終わりませんでした…;


アイカワラズ~愛、変わらず~

 

 

 

 

―――初めまして、私はシェリー・クラーク、今日からあなたの先生よ。よろしくね、NO.6―――

 

 

 不死身の化物に人間の知性を与える。次の段階に進む為の新たな課題として、日頃の耐久試験と並行しながら開始された勉強会。初めて出逢った彼女は、親しげな文面の割には随分と棒読みで無表情だったのを覚えている。

 

 

―――ちょっと、あなた本当に産まれてから3年しか経ってないの? それで、この物覚えの良さって…―――

 

 

 自分の年を初めて知ったのは、この時だった。

 

 

―――凄いわ、あなたは良い子ね、NO.6―――

 

 

 そして誰かに褒められたのと、彼女が笑うとこを見たのも、この時が初めてだった。

 

 

―――あなたと出会ってから、そこそこ時間が経ったけど、いい加減に番号で呼ぶのも飽きてきたわね―――

 

 

 Artificial・Life・NO.6。一応、それが自分に与えられた名前。けれど、その簡単な名前さえ、この施設の人間はまともに呼んでくれない。大体が侮蔑と嘲りと共に化物だの、ゴミ屑だの、サンドバッグだの、一番マシな『NO.6』でさえ、彼女以外の人間は悪感情を籠めて自分を呼ぶ。

 

 

―――Artificial・Life・NO.6…A・L・six……『アルクス』なんてどうかしら?…―――

 

 

 そんな自分に、まともな呼び名を初めてくれたのも、彼女だった。

 

 

―――あら、気に入ってくれたみたいね。じゃあ、これからもよろしくね、アルクス―――

 

 

 楽しかった。

 

 嬉しかった。

 

 苦痛しかないこの世界で、彼女だけが様々なものを自分に与えてくれた。

 

 彼女との触れ合いだけが、心の支えだった。

 

 だからこそ、だからこそ俺は…

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「少し、二人だけにしてちょうだい」

 

 そう言ってオコーネル社の傭兵達を下がらせ、シェリー・クラークは3メートルと離れていない距離から、仰向けに倒れて動けないセイスと目を合わせた。実に十年振りとなる対面に何を思っているのか、能面のような無表情で彼女はセイスのことを静かにジッと見つめていた。対してセイスもまた、どうにか首と目を動かして彼女の姿を視界に収め、自身に向けられる彼女の瞳を黙って見つめ返していた。

 言いたい事は山程あった、今度会ったら確実に殺すと決めていた。だが、まさか今日、このような場所で出会うことになるなんて想像だにしていなかった。突然の再会に感情の処理が追い付かず、傷つき血を流したせいで頭が回らないことも加わり、彼もまた、様々な感情が籠められた視線を彼女に向ける事しかできなかった。

 そして、硝煙と血の臭いに包まれた沈黙の中、先に口を開いたのはシェリーの方だった。

 

「あの日以来、あなたを忘れたことは一度たりとも無かったわ。だって、あの日からずっと、あなたの夢を毎晩のように見ていたんだもの」

 

 無そのものだった彼女の表情に、一つの感情が浮かんだ。セイスに向けて嘲るような笑みを浮かべているが、そこに籠められていたのは、決して短くない年月を経て蓄積されていった激情だった。

 

「私の手でコンテナに放り込まれたあなたは、泣きそうな顔をして、震えた声で『先生』って呼んで来るの。毎日毎日、まるで怨嗟のように、ずっと、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も先生先生先生先生先生先生ってしつこいくらいにねッ!!」

 

 静かだった筈の声音を段々と大きく、荒々しいものへと変貌させ、笑って、哂って、嗤って、目の前で倒れ伏す少年目掛け、あらゆる感情を込めた言葉を、まるで呪詛のように投げつける。

 

「もう、うんざりなのよ!! 見た目だけは人間そっくりの薄気味悪い化け物が、仕事で少し優しく接しただけで簡単に懐いてきて!! どうして、あの時に死んでくれなかったの!? あなたが死んだ、その報せさえ届けば、あんな下らない夢に魘される事も無かったのに!!」

 

 それらの言葉を、セイスはただただ黙って聞いていた。身じろぎすらせず、一切口を開かず、静かに彼女の言葉を受け止めていた。けれど彼の瞳に段々と、シェリーのように感情の色が宿り始めていた。しかし、すっかり日も沈んで暗いせいもあり、彼女はそのことに気付かず、言葉を続ける。

 

「しかもあなた、私が悪夢に魘されている間に、ちゃっかり自分は新しい居場所を見つけて、幸せそうにしているだなんて冗談じゃないわ!! どうして私だけがこんな目に遭わなければいけないの、どうしてあなただけが幸せそうにしているの、ねぇ、どうして!?」

 

 まるで慟哭の様に声を荒げ、遂にはゼェゼェと息を切らしながら言葉を途切れさすシェリー。一方のセイスはと言うと、ここまで言われても尚、ただ静かにシェリーの事を見つめ続けるだけで、実質の無反応だった。その様子にシェリーは激しい苛立ちを覚え、忌々しそうにギリギリと歯を鳴らす。そして…

 

「何か言いなさいよ、アルクス!!」

「……うるせぇ…」

 

 ただ一言、心底鬱陶しそうに、そして同時に鼻で嗤いながら、彼女の言葉を一蹴したセイス。彼のその反応に面食らい、今度はシェリーが黙る番になった。

 

「俺は、テメェらに復讐する、その一心で生き延びてきた。なのにテメェらと来たら、俺が会いに行く前に勝手におっ死にやがって、不完全燃焼も良いとこだ。そして唯一生き残ってたテメェは、そのザマかよ…」

 

 そこまで言って彼はクツクツと、やがて大きく口を開け、空にまで届きそうな位に大きな声で、耳にした者の心を抉るような狂笑を上げた。その歪な笑い声にシェリーは一瞬怯むも、その笑いが何に向けられたものなのか分かった途端、顔を憤怒の赤に染め声を荒げた。

 

「何が可笑しいの!?」

「こ、これが笑わずにいられるかよ、ひひひっ。一番苦しめてやりたかった奴が、お、俺が復讐を誓うよりもずっと前から、俺自身が勝手に復讐を実行していたなんて、それも、そんなバカみたいな形で。こんなもん、笑う以外どうしろってんだよぉははははははッ!!」

 

 彼は笑う、先程のシェリーのように、あらん限りの感情を籠めて笑う。ずっと復讐したいと思っていた女が、自分の夢を見て苦しんでいた。自分が力を手に入れるずっと前から、自分の幻影で苦しんでいた。あんな思いしてまで自らが手を下さなくても、この女は勝手に苦しんで、終いに果てていた筈だった。その事を、今の今まで知らなかった。そんな現実が、たまらなく可笑しかった、涙が出る程に笑った。だが、何よりも…

 

「ちょっとでも期待していた、自分自身のバカさ加減が一番笑える!!」

 

 フォレスト一派で様々な人間と出会い、複雑怪奇な人間模様を数多く目の当たりにしてきた。人と人との間には、当人達には思いもよらない裏がある、そんな光景を幾つも見てきた。故に、これまで何度も淡い夢を見た。

 あの忌々しい施設時代の中、僅かに存在した優しい思い出。そこで見た彼女の優しい姿が本物であったと、本当は心のどこかで期待していたのだ。自身をコンテナにぶち込み、明確な拒絶を見せた彼女だったが、実は彼女なりに何か理由があったのではないか、当時の自分では気付けない何かがあったのではないかと。そう思ったことが、これまで何度かあった。

 

―――だって、あの時、自分が見た彼女は初めて…―――

 

 しかし、その度にそんな訳は無いと、彼女こそが最も憎むべき人間であると、自身に言い聞かせてきた。そうでなければ、これまで自分が心に抱き続けたこの感情が、積み重ねてきた憎悪が無意味なものになる。だが何よりも、見当違いな相手を憎み続け、死を願い続けて生きてきたと言う事実、それを突きつけられるのが恐かった。

 尤も、その心配は杞憂に終わった。だって今、彼女は言ったじゃないか、自分のことを『化物』と、仕事の為に優しくしていただけだと。何より、彼女は自分の死を願っている。やっぱり、あの時の行動こそが、彼女の本心なんだ。自分は、間違っていなかった。安心して、彼女の事を殺すことができる。

 

 

 だからこれは、安堵の涙だ。決して、悲しくて泣いている訳じゃないんだ。悲しい訳、無いじゃないか。だから、早く止まってくれよ…

 

 

「ハハッ、アハハハハハハッ!! アッハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 手で涙を拭いたくても相変わらず身体は動かず、セイスはただ笑い続けた。そうするしか、涙を誤魔化す方法が思いつかなかった。そんな彼を前にして一層の苛立ちを覚えたのか、シェリーの握った拳に血が滲みそうになるまでの力が込められる。だが、やがて、ふと何かを思い出したのか、拳から力が抜かれると同時に、彼女の顔に再び笑みが浮かんだ。そして…

 

「確か、マドカと言ったかしら?」

 

 その一言は、セイスを一瞬で凍りつかせた。彼のその反応を前にして、逆にシェリーの顔には歪んだ笑みが浮かぶ。

 

「あんなに大きな声で名前を叫ぶぐらいだもの、さぞかし大切な娘なのでしょうね」

 

 シェリーとオコーネル社の傭兵達は、スコール率いるモノクローム・アバターとIS学園の専用機持ち達による戦いを遠くからずっと見ていた。そして、マドカが白騎士に墜とされ、それを見たセイスが慟哭の様な叫びを上げた姿も。故にシェリーは気付く、白騎士に敗れ、あらん限りの声でセイスが名を呼んだその少女こそが、今の彼の心の拠り所。彼にとって、とても大切な存在であると。だからこそ、彼女は宣言する。

 

「一人だけじゃ寂しいでしょう、後で彼女も一緒に送ってあげるわ」

「テメえええええええええええぇぇぇぇぇぇッ!!!!」

 

 本来なら鼻で嗤ったところだが、今は事情が違い過ぎる。今のシェリーはオコーネル社と契約を結んでおり、そしてオコーネル社の実力はフォレスト一派と渡り合える程のもの。こと人殺しに関して、彼らはISよりも遥かに恐ろしい存在だ。そんな輩に命を本気で狙われたとすれば、マドカといえど…

 

「ぅあああああああああああああああああああああああああああああああぁッ!!」

 

 火事場の馬鹿力とでも言うべきか、既に動けない筈のセイスの身体が跳ね起きた。瀕死の身とは思えない力強さと勢いで、咆哮を上げながら四肢を使わずに身体を起こしたセイスはシェリーに飛び掛かる。狙うは彼女の喉笛、そこに喰らいつき、これ以上ふざけたこと抜かす前に食い千切ろうと、大口を開けて彼女に迫る。

 

(え…)

 

 その刹那、シェリーと目が合った。持ち前の動体視力に加え、怒りと興奮でアドレナリンが大放出されたせいもあって、その一瞬がやけに長く感じた。おかげで、その時に浮かべていた彼女の表情も良く見えた。彼女の顔からは、先程までの歪んだ笑みは消えており、代わりに穏やかで、それでいて泣きそうな儚い微笑を浮かべていた。セイスは、泣くのを無理やり堪えているような、彼女のその表情をどこかで見たような気がした。それはずっと昔、亡国機業の一員になるよりも、フォレストに出逢うよりも、もっと前だ。そう、あれは確か…

 

(俺を拒絶して、コンテナに押し込んだ時の…)

 

 思い出した瞬間、シェリーの喉に喰らいつこうとしたセイスは、逆に喉に風穴を空けられ、衝撃でもんどりうつようにして吹き飛んだ。突然のことに驚いたシェリーが振り返ると、下がらせた筈のオコーネル社の傭兵達が銃口をセイスに向けながら、背後にぞろりと整列していた。どうやら、彼女に飛び掛かろうとしたセイスを彼らが撃ち落としたらしい。

 

「何をするの、余計なことをしないで!!」

「余計な事とは随分な言い草ですな、ミス・クラーク。これでも、貴女を守ったつもりなんですがね」

 

 我に返ったシェリーはセイスを撃ったオコーネル社の傭兵、その隊長に食って掛かるが、当の本人は彼女の剣幕などどこ吹く風と言わんばかりに淡々と答える。その彼の態度に、シェリーの苛立ちは更に増す。

 

「それが余計な事だと言っているの、彼は私の手で殺さないと意味が無いのよ!! 要求された報酬はちゃんと用意したし前金も払ったのだから、最後まで言う通りにしてちょうだい!!」

「生憎ですが、依頼内容はこの狂犬を貴女の前に生きたまま連れてくること。言ってしまえば、貴女の前にコレを連れてきた時点で我々の仕事は完了したことになります。だから報酬を渡される前に、貴女に死なれると困るんですよ」

 

 そして、そう言って肩を竦める隊長はセイスにチラリと視線を向けると、そのまま言葉を続けた。

 

「しかし事情が変わった、故に我々も相応の対応をとらせて頂く」

「どういう意味?」

 

 怪訝な表情を浮かべるシェリーに対し、隊長格の男は鼻を鳴らしてこう言い放った。

 

「お前の茶番にはもう付き合いきれない、そう言ったんだ」

 

 

 

 同時に鳴り響く二発の銃声。放たれた二つの弾丸は、シェリーの両足を撃ち抜いた。

 

 

 

「あぁッ!!」

 

 突然のことに反応が遅れてたシェリーは、自分が撃たれたことに気付くと、時間差で襲って来た痛みに耐えきれず、その場に崩れ落ちた。

 

「シェリー・クラーク、こっちで調べさせて貰ったが、お前、前金を払った時点で銀行の口座から財布の中まですっからかんじゃないか」

 

 痛みに蹲る彼女の姿を殆ど表情を変えず、どこか冷めた目で見下ろしながら、隊長の男はそう言った。

 事実、彼女は自身に残ったコネとパイプをフル動員して、オコーネル社とコンタクトを取る事に成功し、前金を払って彼らにセイスの捕獲を依頼した。だが、幾ら政府絡みの訳ありの身とは言え、所詮は最近まで殆ど寝たきりだった病人。そんな女が、実力相応に値の張るオコーネル社に、まともに報酬を用意できるとは思えなかったのである。そして調査の結果、案の定、その時点で彼女の財産は殆ど尽きていたことが分かった。依頼内容に亡国機業、それもあのフォレスト一派のナノマシン人間が絡んで無かったら、とっくに殺していたところだ。

 

「まぁ、この化け物を使えば一攫千金も夢じゃないだろう。何せコイツは、かの米国の闇が作り出したナノマシン人間、例え死体になってもあらゆる面で使い道がある。それを当てにするつもりだったのなら、利息分さえ追加すりゃあ少しは支払いを待っても良かった」

 

 どんな形であれ、利益になるのであれば話は別。それこそが、オコーネル社の信条。後払いになろうが、提示した、あるいはそれ以上の額を用意できるなら、多少のことには目を瞑ってやる。これまで散々仲間を屠ってきた化物が相手でも、研究材料もしくは取引材料としての価値が奴にあるのなら、私怨は一切水に流してやる。

 今回も、そのつもりでシェリー・クラークの茶番に付き合ってやった。途中で逃げ出すようなら半殺しにしてでも捕らえ、未払い分を無理やりにでも払わせるつもりだった。だからこそ逃げる可能性が一番高い今…彼女の目的が達成されたこの瞬間、ずっと目を光らせ続けていたのだがシェリー・クラークの様子を見るに、どうやら彼女の思惑は彼らの予想の斜め上を行っていたようだ。

 

「さっきので確信した、シェリー・クラーク、お前は端から金を払う気が無い。それどころか、ここで死ぬつもりだったな?」

 

 その言葉が投げかけられた瞬間、足元から息を呑む音が聴こえた。

 

「ただコイツを自分の手で殺したいってだけなら別に問題無かったが、自らコイツに殺されるのが目的で、その後の事は知ったこっちゃ無いって言うのなら話は別だ。お前が何を思ってこんなことしてんのか知らないし、興味も無い。だが、これ以上お前の意味の分からん自殺願望に付き合う気も、見す見す報酬を未払いで済ませてやるつもりも無い」

 

 隊長の男が片手を上げると、傍に控えていた二人の部下が蹲っていたシェリーに近付き、両腕を一本ずつ抱える様にして無理矢理立たせた。撃たれた足と、掴まれた腕が痛むのか、彼女は呻くように声を漏らす。

 

「何を…するつもり…?」

「お前の身柄と、そこで死に損なってる金の卵を連れて行く。そして、死ぬまで我が社に貢献して貰うとしよう」

 

 その言葉と同時に、反対側で倒れるセイス達に、更に数名の傭兵達が群がるように近付いて行く。喉を撃たれ倒れたセイスは、まだ動かない。 

 

「私が…あなた達の言いなりに、なるとでも?」

「幸いなことに我が社には、無理矢理にでもYESと言わせるのが得意な奴がゴロゴロ居るんだ。あぁ、それと自決の阻止が得意な奴も居るから妙な気は起こすなよ」

 

 連れて行け…そう最後に付け加えられた一言に従い、シェリーの腕を掴んだ傭兵二人は彼女を引っ張ろうとした。しかし、二人に腕を引っ張られた直後、それを拒むようにシェリーは暴れ出した。元入院患者とは思えない力で一人を突き飛ばし、残ったもう一人に掴みかかる。

 

「おい、抵抗するな」

 

 抵抗されるとは思っていたが、予想よりも力が強い。とは言え所詮は素人の女、そんな奴に簡単に転がされているんじゃねーよと思いながら、掴みかかってくるシェリーを適当に抑えつけ、不甲斐ない同僚に目を向ける。シェリーに突き飛ばされた同僚は既に起き上っており、少し苛立った様子を見せながらこっちに近寄ってきた。

 しかし同僚の足は、何故か途中でピタリと止まる。それどころか、大きく目を見開き、唖然としていた。なんでそんな表情を見せるのか分からないまま、彼は同僚の間抜け面を見下ろす。

 

 

 

 

 見下ろす?

 

 

 

 既に立ち上がり、自分と身長が殆ど変わらない筈の同僚を?

 

 

 

 どうやって? 

 

 

 

「は…?」

 

 

―――自分がシェリー・クラークに胸倉を掴まれて吊し上げられている、その事実をやっと認識した頃には、既に彼の身体は宙を舞っていた―――

 

 

「この女…!!」

「撃て、だが殺すな」

 

 咄嗟に銃を構える傭兵達だったが、直後に投げ飛ばされた仲間がその集団に直撃する。それでも流石と言うべきか、何人かは的確な射撃で数発の弾丸をシェリーに命中させた。その衝撃に数歩後退する彼女に、更なる追撃を与えるべく、最初に彼女に突き飛ばされた傭兵が迫る。急所を避けたとは言え、銃で撃たれた身であるなら取り押さえる事は可能と踏んだのだろう。

 

「あああああああああぁぁぁぁ!!」

「ッ!?」

 

 しかし予想はあっさりと裏切られ、彼女の細い腕が彼に襲い掛かる。素人丸出しの、何の捻りも無いテレフォンパンチ。むしろ、ただ腕を突き出しただけとも形容できた。だがそれは、あの病的な細腕からは欠片も想像できないスピードとパワーを有していた。避けること叶わず、不幸にも真正面から直撃してしまった憐れな男は、先程投げ飛ばされた同僚と同じく、砲弾のような速度で仲間達の元へ吹き飛んだ。

 

「ちッ…随分と見覚えのある光景だな、えぇ化物?」

 

 隊長の男は既に前言を撤回し、部下達にシェリーを殺す許可を与え、彼自身も彼女の眉間に銃の照準を合わせていた。しかし、ふと足元に嫌な気配。視線を向けると、ピンを抜かれた手榴弾が転がっていた。反射的に蹴り飛ばし、更に距離を稼ごうと反対側に飛び退いた刹那、拘束に向かった筈が、一人残らず倒れ伏していた部下に囲まれる形で、奪った銃と手榴弾を抱えながら中指を立てて向けてくるセイスの姿が見えた。

 それとほぼ同時に手榴弾が爆発し、視界が一瞬塞がる。すぐに起き上り周囲を見渡すが、残っているのは爆発の余波と暴れた女と化物によって負傷した部下達のみ。

 

「最近までベッドで寝たきりだった女が、どうして普通に動けるようになったのか疑問だったが、そういうことか。やはり化物の研究に関るような奴は、それ相応に狂ってるようだ…」

 

 その現状に再び舌打ちを漏らすも、隊長の男はすぐさま動ける者達を集めた。向けた視線の先は、茂みへ点々と続く赤い道標。狩りの時間は、まだ終わっていなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

「ふふっ、生まれて初めて銃に撃たれたけど、やっぱり痛いわ…」

「おい…」

 

 茂みを抜け、更に木々が生い茂る森の中へと駆け込み、そのまま走り続けた。

 

「アルクス、あなたは、こんなに痛い思いを…いえ、こんなのとは比べ物にならない苦痛を、毎日のように味わっていたのね…」

「おい…!!」

 

 あの一瞬の隙を突いて腕を掴み、走って、走って、走り続け、そのまま引っ張るようにして連れてきたシェリー・クラーク。その彼女の身体は今、座り込むように一際大きな木に寄り掛かっていた。その顔色は、既に青を通り過ぎて真っ白だ。

 

「あんたは、いったい何を考えてるんだ!?」

 

 そんな彼女の胸倉を掴み、セイスはまだ追跡の手が迫っているにも関わらず、自分でも驚く位の大きな声で彼女を怒鳴りつけた。

 先程オコーネル社の傭兵相手に見せた怪力、銃で撃たれたにも関わらず、この短時間で傷が塞がってしまう程の治癒力。そのどれもが、余りにも見覚えがあった。

 

「それは、俺のナノマシンだろ!! あんた、それを自分に!?」

「あなたのじゃなくて、私達の研究成果よ。それに、ちゃんと改良はしたわ」

 

 何でも無い事のようにそう返してきたシェリーだったが、咳き込むと同時に口から決して少なく無い量の血が零れた。傷が塞がり、あの場から逃げる際も、ずっとこの調子だ。

 

「とは言え、寝たきりで一年後に死ぬのが、元気過ぎる身体で一か月後に死ぬ、に変わっただけなのだけど…」

「ふざけるなッ!!」

 

 セイスの身体を構成するナノマシンはその性能と引き換えに、人体への影響も凄まじい。彼の血を常人に直接注ごうものなら拒絶反応で簡単に死ぬし、事前に他のナノマシンなどで身体を強化していても、大量に摂取すれば人体に大きな負担が掛かる。あのティーガーでさえ、何の調整も改良もされていないセイスのナノマシンを直接注入することだけは避けるのだ。それをただの一般人に過ぎない彼女が、幾ら改良を施したとは言え化物染みた力を得る程の量を身体に注いだら、こうなるのは目に見えた筈だ。

 

「どうして怒ってるの、私を殺したかったのでしょう?」

「それは俺のセリフだ!! 俺に殺されるつもりだったってのは、どういうことだ!?」

 

 オコーネル社の傭兵が言い当てた、彼女の本音。倒れながらも、二人のやり取りをしっかりと聞いていたセイスは最初、比喩でも何でもなく一瞬心臓が止まった。そして彼女の反応を見て、それが本当のことだと悟り、頭が真っ白になった。シェリーが傭兵達相手に抵抗した時点でようやく我に返り、暴れる彼女に気を取られた近くの傭兵を無力化し、奪った装備を用いてどうにか逃げる事に成功した訳だが、走り続けている最中も、ずっと先程のことが頭から離れなかった。

 どうして彼女は、自ら死期を早めるような真似をしてまで、それも自分に殺される為に会いに来たのだろう。どうして、そんな馬鹿な真似を実行したのだろう。どうしてあの時、俺を捨てたのだろう。どうしてあの時、泣きそうな顔をしていたのだろう。ねぇ、どうして?

 そんな疑問の数々が、頭に浮かんでは消えて行った。

 

「あなたにあげられるものが、もうそれくらいしか思いつかなかったの」

 

 シェリーが自嘲気味な笑みを浮かべながら放ったその言葉に、セイスは言葉を失った。煩いくらいに自身の心臓が暴れ、自然と呼吸が荒くなる。この言葉の続きを、自分は決して聞くべきでは無い。もし聞いてしまったら、取り返しのつかない事になる。そんな予感がした。けれど彼は口を開くことも、手を動かすことも出来なかった。彼女の言葉を遮るものは、何も無かった。

 

「彼等の言う通り、あなたの存在価値は計り知れないものよ。あの時、そのまま政府に保護させたところで、いつそれが形骸化して元の実験材料に戻されるか分からなかった。だから…」

 

 

 

―――だから一研究員でしかなかった自分の持てる全てを使い、貴方を逃がそうとした―――

 

 

 

「いつか、必ず私の手で迎えに行くつもりだった。だけど私の身体は、もう既に…」

 

 彼に苦痛しか与えない悪魔の研究を止めるべく、政府や捜査機関に全てを密告した。協力者として、今後の事は確約して貰えたが、セイスの身の安全は最後まで保障されなかった。だからひとまず彼を遠くへと逃がし、全てが終わったら迎えに行くと決めた。しかし事が終わった時には既に、病魔に蝕まれていた身体は彼女の意思に反して言うことを聞いてくれず、遂には動けなくなってしまった。

 

「あなたの夢を見続けたのは本当よ。何せあんな形で別れた挙句、ずっと独りぼっちにさせたのだから絶対に恨まれてると思ったわ。案の定、久し振りに見つかったあなたは、私を誰よりも憎んでいた。そして何より、新しい居場所と、大切な人を見つけたあなたに、もう私なんか必要ないって、思い知ったわ…」

 

 ただの研究員だった自分には、何も無かった。自分が唯一頼った政府は、彼を救うどころか、あの悪魔達と同じようなことをする可能性もあった。だから死に掛けの身体で、死にもの狂いで力を付けた。司法取引で手に入れた政府との繋がりを手始めに、自分の頭に残った研究データを元手にして様々な事に協力し、貸しを作り、伝手とパイプを増やしていった。

 その果てにようやく彼の手がかりを見つけたのだが、その頃にはもう彼は新しい居場所を見つけていた。予想通り、自分の事を憎んでいた。もう、自分が迎えに行く必要は、無かった。

 

「……どうし、て、言って、くれなかった…?」

「全部知った時に、あなたがそんな顔をすると思ったからよ」

 

 そんな顔とはどんな顔なのか、今の自分がどんな表情を浮かべているのか、セイス自身にも分からない。彼女の気持ちを知った今、自分の胸中を埋め尽くそうとしている感情が何なのか、自分でも分からない。

 感情の処理が追い付かず、声を震わせ呆然とするセイスの頬に、彼女の手がそっと添えられる。血を流し過ぎたせいか、彼女の手はすっかり冷たくなっていた。

 

「だからもう、いっそのこと最後まで、あなたにとって復讐すべき最低な女として、あなたに殺されて、ちょっとでもあなたの気晴らしに貢献できたらって、思ったんだけど、やっぱり駄目、ね……私の方が、耐えられなかった…!!」

 

 もう片方の腕がセイスに伸び、そして両腕で彼を抱きしめる様に引き寄せた。姿勢が崩れ、彼女の顔が見えない。けれど震える彼女の身体と声音が、彼女が泣いていることを告げていた。

 

「ごめんなさい、本当にごめんなさい、アルクスッ…!!」

 

 嗚咽混じりに紡がれる謝罪の言葉と、かつての呼び名。懐かしい響きを耳にする度に、セイスの胸に熱い何かが込み上げてきた。

 

「私って、研究以外なにもできないバカだから、あの時も、あんな杜撰な方法でしかあなたを逃がせなくて何もできなかった!! あんなに小さかったあなたを、ずっと独りぼっちにして、結局迎えに行くことさえ出来なかった…!!」

 

 嗚呼、最悪だ、本当に最悪だ。この真実だけは、絶対に知りたくなかった。この人は出逢った時から何一つとして変わっていない、自分にとって大切な恩人で、優しい先生のままだった。そんな人を自分はずっと憎み続け、挙句の果てに殺そうとしていたのか。こんな滑稽なことが、あるものなのか。

 十年分の愚行のツケなのか、胸が張り裂けそうな程の後悔と悲しみの念が、全身を蝕んだ。

 

「さっきはあんなに酷い事を言ってごめんなさい、全部嘘よ。あなたを化け物と思ったことなんて、一度も無いわ。あなたは優しくて強い、私の自慢の生徒で、大切な息子。あなたの幸せが、私の幸せよ。本当に、本当に生きててくれて、良かった…!!」

 

 だけど同時に、実に矛盾したことだけど、悲しいと同時に、嬉しいと言う感情も込み上げてきた。自分は、この人に大切に思われていた。その事実が、ただただ嬉しかった。

 もう自分が、悲しくて泣いているのか、嬉しくて泣いているのか、全然分からなかった。

 

 

「あなたに出逢えて、本当に良かった。愛してるわ、アルクス」

 

 

 

 だから、まずは謝ろう。許して貰えるとか、貰えないとか抜きにして、まずは謝ろう。

 

 

 そして、ありがとうって言おう。

 

 

 出逢ってくれて、ありがとうって。

 

 

 先生になってくれて、ありがとうって。

 

 

 あの地獄から助けてくれて、ありがとうって。

 

 

 喉が枯れるまで、先生がうんざりするまで、ありがとうって、言おう。

 

 

 

 

 そう思ったのに…

 

 

 

「……先生…?」

 

 

 

 ふと、彼女の震えが止まった。

 

 

 僅かに残っていた温もりが、急速に失われていく。

 

 

 

「先生…?」

 

 

 

 返事はもう、返ってこなかった。

 

 

 




○何もかも捨て、ナノマシンを使って寿命を縮めてまでセイスに会いに来た先生
○そんな彼女の願いは贖罪と、彼の明るい未来
○彼の進む道に自分の存在は邪魔にしかならないと思い、同時に自分が彼を救おうとしていたことは知らせない方が良いと感じてしまう
○それでもせめて死ぬ前に彼に何かしてあげたいという彼女自身の願望が…
○その結果が、「彼を連れてきて、そして、(彼に私を)殺させてちょうだい」


○セイスの不器用な面は、先生譲りだったのかもしれない


さて、次回こそ京都編完結です。時間的に厳しいので、次終わったら百話記念零れ話の予定でしたが、保留してクリスマス編に取り掛かるかもしれません…;

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