3
ここはどこかの草原。人ひとりとしていない穴場スポットに、男と女が一人ずついた。
今日はとてもいい天気で、気温も夏にしては心地よい。日陰に入ってしまえば、すこし冷たい風が肌を刺激して気持ちよくしてくれる。
その二人は密かにデート中。
二人は大木の下に座り込み、お互いに手をやさしく握りしめ、寄り添い合っていた。
束はいつもと違ってウサミミ型の謎カチューシャや独特で派手な洋服を身に着けていなかった。白いワンピースと帽子をかぶり、とても清純な女性を思わせるような格好。
正直、服装一つでここまで印象が変わるとは思わなかった春樹は、この白いワンピース姿の束を見て目を離せないでいた。
彼女は春樹の目を見つめて、
「ねぇ春にゃん……私ね、今とっても幸せだよ。こんな気持ちになったの初めて。胸のあたりがドキドキして、だけどそれが気持ちのいい温かさになって、ずっとこうしていたいな」
「はい。俺も、ずっとこうしていたい。束さんを感じていたい。そんなあなたを失たくない。だから、今度こそ、あなたとの約束を果たして見せます」
一度は離れ離れになって果たせなかった『彼女を護る』という約束。だが、今こうやって彼女の前にいる今、その約束を果たすチャンスとなる。一度の失敗がなんだ。もし失敗してもやり直せるならやり直せばいいのだ。それがケジメをつけるというものだろう。
「ありがとう。大好きだよ、春樹」
「はい、俺も大好きです」
二人は軽いキスをした。とても短くて、でも、とても気持ち良い。そこの男女は短いキスを何度も何度も行った。お互いの存在を確かめ合うように、確かにそこにいると感じながら、それぞれの体温を感じながらキスを繰り返す。
束はこの幸せな時間が永遠と続けば良いと思っていた。この夢のような時間が終わってしまえば、また戦いの中に身を投じなければならなくなってしまうから。
現実なんてそんなものだ。いつまでも幸せな時間なんて続かない。
彼女がそういう暗部の世界で過ごしているからじゃない。平和な世界に住む一般の人にもそれは当てはまるのだ。
今のこの世界が平和だと思っているなら、それはとんでもなく頭の中がお花畑のアホだ。
インフィニット・ストラトスによって世界が左右される狂ったような世界。
それを受け入れてしまっている人々。
男女平等とは言われているものの、現実は女の方が優遇されている。
世論がそんな世界を作り上げているのだ。
政治、経済、マスメディア、それらによって考えを動かされている人形がほとんどだ。
そのものを深いところまで知ろうとする者は少ない。だからマスメディアに踊らされる。
特に、最近の十代から二十代はそうだ。政治に関して無頓着。物事の本質を知ろうとしない。だから嘘を嘘だと見抜けない。よって間違った認識のままに生きていくことになる。
実際に、今の政治に女性が大量に進出してきて日本の体質はガラリと変わってしまった。
よく、女性は感情的な生き物だと聞くことがある。とどのつまり、女は共感を求めるかららしい。理論的に考えられない女性が多数なのだ。もちろん、多数なだけであってすべてがそういうわけではない。女性の社会進出が当然となった今の時代では、理論的に考えられる女性も多い。
ただ、この世の中に存在した女性政治家らが、男女差別を軸にしてしか物事を離せない人たちだった。それによって何が生まれたかというと、この今の世の中――女尊男卑の世界なのだ。
こうなったのはその女性政治家たちの力ではない。それを人々に配信するマスメディアによって行われた印象の操作。本来は法律上禁止されている偏向報道による力が大きかったのだ。それを受け止めた国民はその世界をわけの分からないまま受け止めた。一部の反対の言葉など、すべての国民に届かなかったのだ。
そのプロパガンダにより、日本のみならず世界を巻き込む形となった。
そして、今の世の中がある。
(こんな世の中にしてしまったのは私の責任なのかもしれない……。だけど、私は変えて見せる。平和に暮らせるようになった世界で春樹と静かに暮らすんだ)
それが、束の夢。愛する人と添い遂げたいという気持ちが、今の彼女を押し進めている。
それは春樹も同じ。世界が驚愕のスピードで変化していった中で生きてきた一人なのだ。そして、今のこの世界を否定する一人でもある。
元々、束と立ち上げた組織の目的はそこにあった。
――私たちはこの世界を否定する者。
その言葉の下、二人は組織での行動をしてきた。
その成果が実るのか、実らないのか、その結末は誰にも分からない。
「束さん、俺は束どこまでも束さんについていきます。そして――」
その先は、言わなくても分かった。
束は春樹が言い終わる前にキスをして言葉を止める。
「ん……。それ以上言ったらダメだよ。よく映画とかでそういうことを言っちゃうと死んじゃうから。それだけは絶対にダメ。春にゃんは、私と、ず~っと一緒にいるの。分かった?」
「はい。絶対に、一緒にいましょうね」
春樹は自分の気持ちを改めて自覚する。
この愛おしい彼女を絶対に手放さない。彼女を護り続けると誓ったのだ。
ずっと傍にいてあげたい。
今はその感情だけで十分だった。
4
あの日、七月二〇日。鈴音が箒と共に一夏の家に遊びに来たのに、箒の謎の発作によりその集まりがお開きになってしまった。
今日はその埋め合わせを兼ねたお出かけとなる。
鈴音たち一行はIS学園に行き、山田先生に挨拶をした。久しぶりに会ったせいか、ちょっと長く話してしまったが、とにかく荷物は無事全部届けられていたし、問題は特になかったのだ。
ということで、現在、鈴音と箒、一夏の三人は新宿までお買い物に来ていたのだった。
本当なら、この場に春樹も呼びたかったのだが、今の彼の立場上、鈴音の前に姿を現すわけにはいかない。日本に帰ってきていることを世間に知らせるわけにはいかないのだ。このことに、一夏と箒は心苦しく思う。
さて、現在はとある女性用の服屋に訪れていた。一夏は完全に浮いた存在で、気まずさで逃げ出したい気分だった。
女性の買い物に付き合う男性という者は少々退屈だ。特に衣服の買い物となると、一夏は適当に相槌を打つことしか出来ないからだ。女性のファッション事情なんて知らないし、似合うか似合わないかは一夏の完全なる主観でしかものを言えない。
まぁ、一夏が似合うと言うなら、と言って済まされるのは一夏にとって喜ばしい事だった。
「ねぇ、一夏、こんなのはどう?」
鈴音が着替えて試着室から出てきた。それを見た一夏は思わず驚いてしまう。
(なん……だと……。ヘソ出しィ!? 最近はそういうのが流行ってるのか?)
いわゆるチビTと呼ばれる、ヘソが出る服を鈴音は着ていた。下は短いスカートと、少々肌色が多いのでは? と思ってしまうファッションであった。
だが、一夏の好みとしては露出は出来る限り少ない方が良い。肌色が多いと、セクシーと思うより、下品だという想いが強くなってしまうからだ。
「うーん、えーと、少々肌色が多いんじゃないか鈴? まぁ、似合ってるけどさ」
「似合ってるならいいじゃない。ねぇ、箒? そっちはどうしたの?」
そうなのだ。鈴音と同時に試着室に入った箒だったが、未だに出てこない。
「そんなこと言ったって、これは、その……恥ずかしすぎるぞ!」
「大丈夫だって! 箒はセクチーなボディをしている訳だし、それくらいした方が良いって。男どもを悩殺だね」
「あほか! そんな目立つことはしたくない。もうこれは脱ぐぞ、買わんからなこんなものは」
「ちぇー、箒ったら一夏の前じゃ全部さらけ出しちゃってるんでしょ? 何よ今更そんな格好をはずがしがるの?」
思わず一夏と箒は凍り付いてしまった。
なんてことを言うのだこの子は。ここは身内以外の人がたんまりいる場所。そんなところで自分たちの事情を話すんじゃない! と、まったくもって同じことを一夏と箒は思っていた。
「鈴、ちょっとは自重しよう。うん、そうしよう。ね? いったい何の恨みがあるんですかね凰鈴音さん?」
「あはは……。冗談だよ一夏。ちょっと魔が差したというか――」
そのすぐ右横、そこには鬼がいた。いや、試着室から出てきた篠ノ之箒がいたのだ。
それはもう、すごい形相で鈴音をにらんでいる。
「なはは……てへぺろ!」
舌を出しながらとぼけたように誤魔化す鈴音。しかし、それはかえって火に油を注ぐこととなった。
「なにがてへぺろだ! それは私の――じゃなくて! それで許されると思っているのかなぁ!?」
箒はしっかりと鈴音のこめかみを両手で呪縛(ロック)し、グリグリと攻撃を始める。思わず鈴音は絶叫した。ここがお店であることを忘れて。
「痛い痛い痛い痛い!! ごめんごめんごめんってば! ゆ、る、し、てぇ~箒様ぁ!」
「まぁまぁ、鈴も反省していることだし、もういいだろ? ほら、店員さんも迷惑そうな顔をしてるし、このままじゃ追い出されちまうぞ」
鈴音のこめかみを両手でグリグリして制裁を下している箒に対し、一夏は取りあえずなだめた。
「一夏は、鈴の味方なのか? 私というものがありながら、自分の彼女を差し置いてもう一人の幼馴染と――」
「ちょっと! ストップストップ!! なんでそんな事を言うんだ!?」
「ふふふ、冗談だ。さて、買うもの買って、次に行くか。な、一夏」
「おお! そうだな、それが今回のメインだもんな!」
一夏と箒の二人だけで進められる会話。それに鈴音はついていくことが出来なかった。そんな予定は聞いていなかったからだ。
「なになに? どういうことよ一夏」
「内緒だよ。ま、楽しみにしておけよ、期待に胸ふくらませて」
「そうだな。着いてくれば分かる」
一夏と箒はそんな事を言う。それで鈴音は、これから二人がやろうとしていることが何となく分かってしまった。だけど、彼女は決して口には出さない。口に出して聞いてしまえば、それこそ空気を読めない子になってしまうし、雰囲気がぶち壊しだ。
だから黙ってついていくことにした。
買うことにした服をレジに持って行ってお会計を済ます。もちろん、買ったものは一夏が持つことになった。この中で唯一の男だから仕方がない。
店を出て歩くこと十数分、三人はアクセサリーショップまでやってきた。
「さて、俺と箒が好きなもの奢ってやるよ。この前遊びに来た時のお詫びだ」
「え? いいの?」
突然の事にビックリして上手く物事を考えられない鈴音に、箒が答える。
「ああ、私と一夏からプレゼントだ。好きなものを選んでくれ、金額なんて気にしないでな」
とは言うものの、いきなり過ぎて何を選んだらいいか分からない。
だが、せっかくの二人からの好意だ、ありがたく受け取らないと逆に失礼だろう、と鈴音は必死に悩む。
「そーねぇ、何が良いかしら?」
「もしあれだったら、俺たちも一緒に選んでやるか?」
「いや、いいわ。せっかくの二人の好意を無下にしたくないし、ここは私がしっかりと選ぶことにするわ」
一夏の手は借りないと決めた鈴音は、店の中をぐるぐると回る。
その中で、あるものが目に留まった。
それはオレンジ色のバングル。革ベルトの先に銀色の花がついたもの。その花の中心には真鍮製のクリアストーンが輝いている。
正直、一目惚れだった。心から欲しいと思った。
だが、そのお値段二七三〇円。すこしばかり値が張るものだった。
「あのぉ……金額なんて気にしないでって言ったよね?」
「ん? ああ、大丈夫だぞ。諭吉レベルでも大丈夫だ」
一夏はそう言うが、三〇〇〇円近いものは少々気を使って言い出しにくい。気に入ったものの、違うものにしようか、なんて思ってしまうぐらいに遠慮してしまう。
そのとき、気を利かせた箒が鈴音の目に映っているものに気付く。
「鈴、それがいいのか? それくらい、どうってことないぞ。遠慮するな」
「箒……。ありがとね! じゃあ、一夏、箒、これが欲しいな」
一夏と箒は二人して笑顔で頷いてくれた。鈴音はそのことがたまらなく嬉しくて、涙が出そうなぐらいだった。
オレンジ色のバングルを買い、そのまま鈴音の下へ。
お店から一歩出てから一夏は要求する。
「さっそく着けてみろよ」
「うん」
鈴音は小さい紙袋から先ほど買ってもらったオレンジ色のバングルを取り出す。
それを右腕に着ける。銀色の花がアクセントになっていて、スタイリッシュだけどキュートなものだった。
「へへーん。どう? 似合う?」
「うん、いいな。こっちも買ったかいがあったよ」
「一夏、箒、本当にありがとうね! これ、ずっとずっと大切にするからね!」
その時の鈴音は太陽のように温かくて眩しい笑顔だった。
この笑顔は絶対に忘れないだろう。
ほんのちょっとしたプレゼント。それが少し高いものだったからとか、そんな不純な理由ではなく、二人の心からのプレゼントだったから鈴音は笑顔になれる。彼女の笑顔は他の誰よりも輝いていて、その笑顔を見ているとこっちも思わず笑顔になってしまう。
そんな健気で元気な女の子は、その後もずっと笑顔を振りまいていた。
そんな彼女を見るのが、一夏と箒には何よりも楽しかった。
「一夏、箒、次はこっちに行こうよ!」