4
彼の中で何もかもがどうでも良くなった気がして、自分が取り返しのつかない事をしでかして、良くわからない感情に支配され、自我を失いそうに――いや、少しの間、自我を失っていた。
――もう、嫌だ。
一夏は逃げ出した。日本に帰った一夏は逃げ出してしまった。この戦いから。春樹を自分たちの下へと取り戻すという目標すらも捨てて。
もう、死ぬような経験もしたくない。殺すような経験もしたくない。
一夏は日本に帰ってから実家の自分の部屋に引きこもったままだ。
千冬の呼びかけも、箒の呼びかけも、
――もう、俺は戦いたくない。俺に構うなよ。俺は自分の命が惜しいんだ。人を殺すだなんて人の道から外れた事なんて、もうやりたくないんだ。やりたく……ないんだよぉ……。
彼は涙を流す。自分の中のもの全てが崩れ去った気分だ。もう、何もやりたくない。何も考えたくない。今は、そんな気持ちでいっぱいいっぱいだった。
――俺は、何のために戦っていたんだっけ?
そんなことを考えたとき、一夏の目には春樹、箒と三人で写っている小学生の頃の写真が目に入った。
――ごめんな、春樹。俺は弱虫だよ。弱虫でとんだクソ野郎だ。やっぱり、俺はお前が居ないと何もできない奴だったんだよ。結局、俺はその程度の奴なんだ。お前の支えがなけりゃ生きていけないような、甘えん坊な気持ち悪い奴だよ。
フランスから日本に帰ってきてから、一夏はずっとこんなネガティブ思考を続けている。飯もろくに食わず、げっそりとした表情でどこを見ている訳でもなく、視点が安定しない状態でいた。いわゆる、心の病、といったところだろう。
そんな彼の前に現れた少女。
彼女が一夏の部屋をノックしたのだ。
「一夏、私だ。入っても……いいか?」
「入るなぁ!! 来るなよ……特にお前にはこんな俺を見て欲しくない……」
「そうか……。なら、用件だけ言う。明日、私の神社でお祭りがあるのは一夏も知っているだろう? そこで私が神楽舞をする。一夏に見て欲しい。だから、明日、祭りに来てくれ。それだけだ。それではな、一夏」
箒であろう人物の足音が遠のいていく。
一夏はすっかり忘れていた。明日には篠ノ之神社のお祭りが開かれる日だ。出店もたくさんあるが、なによりのイベントは箒がやる神楽舞だろう。
神楽とは、アマテラスオオミカミが天の岩戸に隠れたとき、その前でアメノウズメノミコトが神懸り踊ったことを模倣した芸能である。また、神楽では地面から沸き立つ地霊――悪霊――を鎮めるため、跳躍し踏み鎮める動作があり、その準備運動として旋回運動をする。これを神楽舞と言う。
それを箒がやるのだ。
篠ノ之家はここ数年、インフィニット・ストラトスに関する家の問題で祭りもろくにできていなかった。だけど、今年になって箒が神楽舞をすることになったのだ。
(そうか、箒が神楽舞を……。俺も、こんな状態を続けている訳にもいかない。これを機に、外に……出るか?)
一夏は苦悩する。ただ外に出て、お祭りに行く。たったそれだけの行為でここまで頭を抱えて悩んでしまうのは、精神的に追い詰められている証拠だ。物事すべてが苦痛に感じてしまっているのだろう。
そのとき、一夏の携帯電話が鳴った。彼は携帯電話を手に取ると、メールが一通着信していたのだ。その送信者は――葵春樹だった。
「!?」
一夏は思わず口元を押さえてしまい、心臓は高鳴りすぎて張り裂けそうな想いでいっぱいだった。なんていったって、フランスで一瞬会ったと思ったら謝ってそのままどこかへ行ってしまった一番会いたかった春樹なのだから。
一夏は震えている指でメールを開く。
その内容を見た一夏は涙を流した。なんで今の自分の状態を知っているのか。なんでそうも自分が望んでいる言葉を送ってきてくれるのか。
(春樹……。俺、もっと頑張らなくちゃな……。ありがとう、春樹)
そして、一夏は決断する――。
5
一夏は篠ノ之神社に来ていた。周りは夕焼けで赤く染まっている時間帯。ここにはあいかわらずお祭りになると人がたくさん来る。
彼はなんとか部屋を抜け出して外に出ていた。ちょっとした改心なのだろうか、それとも……。まぁ、そんなことは些細な事でしかなく、一夏はもっと重要な事を確認する為にここに来たのだ。箒のことだけじゃない。それよりもっと重要な事だ。
「あー! おりむーだぁ。やっほー!!」
後ろからいきなり幼さを感じさせる声で呼ばれた。おりむー、と呼ぶ人間は彼が知っている中では一人しかいない。
「お、のほほんさんじゃないか。久しぶり、かな?」
そう、のほほんさんこと、
あいかわらず夏だというのに袖丈が非常に長い服を着ていたし、ゆったりとした感じは変わることは無いだろう。
「おりむー一人で来たの?」
「いや、箒と待ち合わせしていてな。箒の仕事が終わるまで待ってるんだ」
「そうなんだー。じゃあ、箒ちゃんが来るまで私たちと一緒に回らない?」
「のほほんさんの友達は?」
「えへへ……。はぐれちゃった」
「あはは……そっか。まぁ、そんな広い場所じゃないし、すぐに合流できるだろうさ」
一夏がそう言ったとき、一夏の前に一人の男が現れた。
「あ、見つけたぞ本音!」
「あ、ゆっきー!」
本音はその“ゆっきー”なる男を見つけたかと思えば、彼の方へと走っていき飛びついた。そして、飛びつかれた男は思わずその場で本音に押し倒されていた。
一夏は大丈夫か、と軽い気持ちで心配して本音とその男の下へと駆け寄る。
「あの、大丈夫ですか?」
一夏はその男に話しかける。
「あ、はい。大丈――」
その男が一夏を見るなり驚いた顔で一夏の顔を見つめていた。
そして、彼は問う。
「あ、貴方は、織斑一夏さん……?」
「そう……だけど……」
そんな二人を見た本音は立ち上がって一夏に説明する。その“ゆっきー”という男のあらましを。
「あのね、おりむー。この人は
彼の名前は剣崎結城。愛越学園に通う高校三年生の男子高校生で、ISに乗ることを夢見ていた人物の一人である。元々は彼と同じ学園に行くはずだった一夏は、この人ともっと早く出会っていたかもしれない。仲良くなっていたかもしれない。と、そう思ったのだ。
本音の話によると、彼女の姉の
(やっぱり、そうだったんだ。春樹の話は本当だった。でも、なんでアイツはそんなことを知っていたんだ……?)
一夏の下に昨日届いた春樹からのメール。その内容は、布仏本音の身が狙われているということについてだったのだ。そして、もう一つ。重要なこともそのメールに記されていた。
どこからその情報を手に入れたのか、少々自分の世界に入って考えてしまう一夏であったが、本音の呼びかけですぐに我に返った彼は結城の話を聞いた。
「へぇ、更識クリエイティブでISを……。じゃあ、簪ちゃんもここに?」
「はい。本音を探しに行く際、俺もみんなとはぐれちゃって。あはは……」
「あ、いたいた。おーい、結城ぃ!」
結城の名前を呼ぶ女の子の声が聞こえた。
「由実か。あ、俺の友達です」
その由実と呼ばれる女の子がこちらへと駆け寄ってくる。それに加えて、結城の友達と思われる人物たちが数人、その由実という女の子の後ろについてきた。その中には、更識楯無の妹である簪の姿もあった。
「あれ? この人は?」
由実と呼ばれていた女の子は一夏の姿を見るなり誰なのか気になったみたいだ。
「あ、ああ。この人はあの織斑一夏だよ。世界で未だ三人しか見つかっていないISを動かせる男の一人」
「あ!! どこかで見たような気がしたら、そうだったのか。貴方があの……」
関心している由実であったが、周りの人たちは大層驚いていた。まさか、あの織斑一夏に会えるとは思わなかった、という風に、まるで芸能人と会ったかのような反応を見せていた。
「あ、あはは……。あ、一応紹介しますね。この関心しているアホが
「え!? なんだよアホって!! 私はアホじゃないですからね!」
霧島由実は結城の幼馴染だそうだ。
黒髪のショートヘアーがとても似合っていて、それでもって元気が良くてテンションが高めの女の子だなぁ、という風な印象を一夏は受けた。
「そして、この馬鹿が
「誰が馬鹿だってぇ!? あぁん、結城よォ!」
「あはは、すまんすまん。ま、こいつも俺の幼馴染ですよ。腐れ縁ってやつですかね」
孝之は一夏に軽く会釈して自己紹介を始めた。
「はじめまして。コイツが言った通り、孝之っていいます。ちょっと聞いてくださいよ織斑さん。この結城の野郎がねぇ、最近どこで知り合ったのか分からん女の子を二人も連れてきて。破廉恥だと思いません?」
「あー。うん。そう……かもね……」
先ほどの話を聞いてしまっては、この話をふざけて返すわけにもいかなくなってしまった。この様子を見ると、結城は本音の身が危ないということを話していないのだろう。だが、それでいいのかもしれない。今回の本音の事は非常に危ない何かが動いているはずなのだ。周りが巻き込まれなようにするためには、普通に友達として接しているだけでいいはずだ。
「で、この小柄な女の子は
「ちょっと、な、何を言っているんですか結城君!? 私と孝之君は……えっと、その、あの……」
こう見ていると、結城の友達はとても個性豊かに感じる。
それこそ、剣崎結城は力強い何かを感じる人物で、何かを持っているかのような雰囲気を醸し出している。とても主人公気質な人なのだろう。周りの人たちを引き付けるような、そんな感じの人物に感じる。
そして、結城の幼馴染である霧島由実は、とても元気が良い女の子。ムードメーカーなのだろうと思わせるような、感じさせるような、みんなに勇気と元気をあげるような、そんな女の子に感じる。
もう一人の結城の幼馴染である小鳥遊孝之は、まるで一夏と春樹を思わせるような仲の良さで、腐れ縁というところまで似ている。となると、由実の立ち位置は箒ということになるだろう。まるで、自分たちを見ているかのような気分。ISの事件が起こらなければ、自分も結城のような状況になっていたのだろう、と思ってしまう。
祇条楓は、鈴音ポジションということになるだろうが、性格はまるで逆だ。楓は気弱で恥ずかしがり屋に見える。
「もう! 結城君のバカー!!」
と、楓は思いっきり結城の顔面を殴った。鼻にクリーンヒットしたようで、鼻血を出しながら、きれいな弧を描き地面にひれ伏した。
そこで一夏は前言撤回することにした。
この祇条楓は鈴音と同じような人物であると。
「あの、一夏さん。ごめんなさい。こんなに騒がしくしなってしまって……」
申し訳なさそうに言う簪に、一夏はそんなことはない、とフォローを入れる。
「大丈夫だよ簪ちゃん。こういう雰囲気は、今の俺にとって一番必要なことだろうからさ……」
今の一夏は、正直言って心が病んでしまっている。だからこそ、そんなことを忘れて笑いあえることが、今の一夏にとってなによりも重要な事だった。
「一夏さん……。ごめんなさい、私、こんな時どうすればいいのか、なんて言ったらいいのか分からなくて」
「ああ、別にいいよ。これは自分の問題なんだ。誰が何を言ったって、結局は自分の問題。それは自分で何とかするしかないんだ。人の心なんて、悲しいけど、他人には分かるはずないんだから」
それを聞いた結城は、
「何の話か分からないけど、それは違うと思います。いや、一夏さんの言っていることは全否定しない。だけど、他人が自分の事を分かってくれないだなんて、それは違う。自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃ、相手は理解してくれるはずないじゃないか。だから、一夏さんも誰かに自分の気持ちをぶつけるべきだ。それができる人物が誰かしらいるでしょう? その人に勇気を持って言うべきですよ」
一夏は考える。はたしてそのような人物は、自分にはいるのだろうか、と思う。はっきり言えば葵春樹が一夏にとって気兼ねなく悩みを相談できる相手だった。だけど、彼はここにはいない。どこか知らない場所へと行ってしまった。昨日届いたメールに返信しても、一向に返ってくる気配がなかった。そして、今も未だにメールの返信がこないのだ。どうやら、連絡を取り合う気はないらしい。
「一夏。待たせたな」
後ろからかけられた声は篠ノ之箒のものだった。浴衣姿がとても似合っていて、さすがはザ・大和撫子というに相応しい振る舞いと容姿を持っている。
「今度は俺から紹介するな。コイツは篠ノ之箒。この神社の巫女さんだ」
結城たちは箒にそれぞれ挨拶と自己紹介を交わしていく。みんなの名前と顔が一致し、これで一夏たちと結城たちは顔見知り、友人となったのだ。
「じゃあ、そろそろ。ではまた」
「はい。では結城さん、また会いましょう」
一夏と結城の二人は挨拶を交わして別れることになった。
「じゃあ、一夏。これから神楽舞だ。ちゃんと見ていてくれ」
「それを言うためだけに会いに来たのか?」
「まぁ、そんな感じだ。一夏が来てくれたことが嬉しくてな。ちゃんとやると一夏に宣言してから行いたかったんだ」
「そっか。じゃあ、しっかり見てるから。頑張ってこいよ、箒」
「ああ、行ってくる」
再び一夏はひとりぼっちになってしまうが、これから箒の神楽舞をしっかり見ておかなければならない。彼女の美しい舞を、しっかりとこの目で。
しばらく待ってたら、箒は神社の前で神楽舞を始めた。
今の箒は先ほどまでの巫女姿ではなく、神楽衣装姿だ。一夏の目には、その姿の箒がいつもより何十倍か分からないくらい綺麗に映ったし、可愛くも映った。神楽を舞う姿はいつもの箒とは違う一面を見せる。こんなに愛おしいものはないとまで一夏は感じてしまっていた。
(箒って、あんなに……)
一夏と箒は彼氏彼女という関係だが、一夏は改めて箒の事を惚れ直してしまっていた。
やがて、神楽舞を終えた箒は浴衣姿に着替え、一夏と合流する。そして――二人は賑やかで人が多いところとは逆方向、人気の少ない方へと歩いて行った。
6
「踊ってた箒さん、とっても綺麗だったね!」
と、先ほど神楽舞を踊っていた箒を褒めちぎっているのは霧島由実である。
「ねえねえ、楓ちゃん、そう思わない?」
「うん、そうだね。スタイルもよくて、可愛くて、綺麗で、なんかああいう人憧れちゃうよね。八方美人っていうのかな?」
すっときょうなことを言う楓に孝之はすかさずツッコミを入れる。
「あー、楓ちゃん。それ意味違うわ。まぁ、たぶんあの箒っていう人はさっきの一夏さんの彼女だろう。十中八九間違いない。そうだろ、簪ちゃん?」
「ええ、まぁ。確かに篠ノ之さんは一夏さんの彼女さんです」
「ほら、やっぱりな。一夏さんいいよなぁ、あんな子とお付き合いできてさ。それに結城よおぉ」
さっきから黙っていた結城の肩に孝之は腕をかける。
「なんだよ孝之」
そして、孝之は小声で囁くようにして結城に聞く。
「で、お前はどうなんだよ?」
「なにが?」
「あの本音ちゃんって子。正直な話、お前と付き合ってんの?」
「な!?」
結城が驚きの声をいきなりあげてしまったものだから、近くにいた本音は反応してしまう。
「う~ん? どうしたのゆっきー、たっきー? 内緒話?」
「ううん。なんでもないよ。それに本音ちゃんには教えない」
「えー、けちんぼたっきー……。ねえねえ、ゆっきー、何の話してたの? 教えてー」
「な、何でもないよ。ほら、またみんなとはぐれちまう」
と、本音の腕をつかんで、少し先に行ってしまったみんなと合流する。そんな結城と本音を見て孝之は思った。
(はぁ……。どうやら、結城は本音ちゃんに恋してるかもしれないな。大変だなぁ、由実は。それに、あの簪ちゃんって子も。何となくだけど、結城に気がある感じがする)
孝之は他人の気持ちには鋭いのだが、いかんせん、自分の事は少々鈍い一面もある。その証拠に、結城とその周りの女の子については冷静にものを考えているのだが、孝之と楓の距離はあの買い物のときから何一つ変わっていないのだ。
さて、孝之側の恋路が先に実るか、はたまた結城の方が先に実るのか。
孝之はみんなの下へと駆け寄った。
7
一夏と箒は祭り会場から少し離れた場所、横浜市が一望できる場所まで来ていた。
祭り会場内の騒がしさとのギャップは凄く、二人のいる場所は虫の鳴き声と、祭り会場からの微かな人々の声だけである。
祭り会場とは相まってとても静かな場所であり、ここから見る横浜市の街の風景は絶景であり、また、海の方にはIS学園がそびえ建っている。
これを見た二人は、つい最近まであそこでISについて学んでいたんだな、という想いに浸りながらも、一夏はこれから話すことで少し沈んだ気持ちになっていた。
「いい眺めだな一夏。それにしてもよく来てくれたな。私は来てくれないんじゃないかと不安だったぞ」
「あ、ああ……。俺も、正直最初は行く気なんてなかったさ。でも、春樹からメールが来たんだよ。しかも、今の俺が分かっているような内容でさ」
「そうか、春樹から……。ちょっと待て、それは本当なのか!?」
「ああ、ほら」
一夏は携帯電話を取り出して、メールの着信履歴を箒に見せつけた。そこには確かに昨日の日付で葵春樹からのメールが来ており、その内容を見せてくれ、という要求を箒はした。
「あ、ああ。いいけどさ、この内容はきっと組織がらみでやらなくちゃいけなくなるようなものだと思う。そこを理解して見てくれ」
箒は静かに頷いて一夏がメールを見せてくれるのを待つ。
メールにはこのようなことが書いてあったのだ。
――布仏本音を守れ。そして、本音の姉である布仏虚を救い出せ。
その指令のような内容だけだった。そのほか詳しいことは一切書いていなかった。ただ、春樹は「これくらいしか書けない」という言葉を添えてメールの文章は終わったのだ。
「布仏本音を守り、姉の虚さんを助け出す? それだけでどうしろって言うんだ。春樹は何を知っている?」
「分からない。でも、春樹は何かを知っている、というのは分かったんだ。もしかしたら、またメールが送られてくるかもしれない」
箒は今の一夏の表情を見て分かったことがある。
一夏は春樹に少々依存しているということ。自分ではなく、春樹に。一夏の気持ちは分かる。幼少期からずっと離れることがなかった兄弟のような存在だ。しかも、一夏はいい兄を持ったと思っていたそうだ。そんな彼がこのタイミングでいなくなったのだ。しかも、生存が確認できた。
箒は春樹に嫉妬した。男だというのに。こういうときこそ、自分に頼ってほしいと思ってしまうのだ。織斑一夏の交際相手として、彼を支えてあげたいという気持ちに駆られている。
だけど、一夏の原動力は葵春樹なのだ。
一夏が元気になってくれるのはうれしい。だけども、同時にその元気になった理由が葵春樹ということに嫉妬する。
だから、箒は行動に出す。ここに私もいるのだ、ということを一夏に理解してもらうために。
「一夏……」
箒は後ろから一夏に抱き付きながら、
「私もいるんだぞ。私も、一夏の支えになりたい。だから、一緒に頑張ろう。春樹がいない間は、私が支えてあげるから」
箒はそう言って更に力強く一夏を抱きしめる。鍛え上げられたゴツゴツした背中を感じながら。
「箒……。ありがとう。箒は俺のパートナーなんだもんな。ごめん、フランスから帰ってきて何もできなくって。でも、もう大丈夫だと思うから」
そう一夏が言った瞬間、異変が起きた。
なんと、五体ものISが一夏たちの頭上を通り過ぎたのだ。
そのISは祭りの会場内へと飛び込んでいく。
一夏は疑問に思ったのだ。篠ノ之神社がISを使ったパフォーマンスなんかするだろうか。いや、ない。ありえない。神社でISを使って出し物をするなど聞いたことが無い。
「箒、あれは!?」
「急ぐぞ一夏、ISを展開しろ!」
この箒の反応を見る限り、少なくともあのISはイベントではないことは確かである。ということは、すなわち狙いはこの祭り会場にいる布仏本音が狙なのだろう。
そう思う理由としては、やはり春樹からのメールの内容に、布仏本音を守れ、という言葉があったからだ。
一夏は
8
突如として目の前に現れたISに驚きを隠せないでいるのは剣崎結城であった。
「何あれ? イベントか何か?」
という悠長な言葉を吐く由実に反して、結城は不安で押しつぶされそうになっていた。いや、不安というよりは絶望だろう。
あれだけ逃げ惑って救い出した布仏本音が、また身の危険に晒されそうになっているのだから。
しかも、今回はなんの躊躇もなくISという存在を投入してきたのだ。ここまでして布仏本音を連れ去る理由とは何なのだろうか、という思考に陥りながらも、結城は本音の腕をしっかりと握りいつでも逃げ出せるようにスタンバイしていた。
「ゆっきー。逃げるの?」
「ああ、そうだ。見つかったらヤバいからな。ここから一刻も早く離れねぇと……」
結城と本音がアイコンアクトで頷きながらその場から逃げだそうとしたとき、祭り会場に降り立ったISは急に動き出す。
奴らの目標はただ一つ。布仏本音、ただ一人である。
こちらに突っ込んでくるISにすくむことなく結城はギリギリのところで横にステップして間一髪の突進を回避するが、相手は世界で最強と謳われているインフィニット・ストラトスなのだ。その慣性の法則を無視した挙動で通常ではありえない旋回を行って再び本音を連れさらおうとこちらに近づいてくる。
しかも、残りの四機もこちらに近づいてくるのだ。
結城は思ったのだ。女の子を抱えた普通の男ごときが、ISの群れを相手に逃げ切れるわけがない。
刹那――。
結城の目の前には二機のISが現れたのだ。一つは白、もう一つは赤色のISだった。
その二機のISは自分たちを襲おうとした奴らを攻撃していく。
周りの人間たちは突然のISの戦闘を目の当たりにして叫びながら逃げ惑う。みんなの憧れのISも、安全性も糞もない場所で戦闘をされたらそれは恐ろしいものだろう。仮にも、世界で最強を謳っている兵器なのだから。
だが、目の前で繰り広げられるIS同士が戦う様は非常に大迫力だった。
白と赤のISのコンビネーションはとても良いと、素人の結城にも分かるぐらいにあの二人の息は合っていた。
赤のISが近距離攻撃と遠距離攻撃を織り交ぜて敵を翻弄し、白いISが青白く光った剣でとどめを刺している。あれを見る限り、赤いISは全距離を対応できるように作られているし、白いISの光っている剣はあの織斑千冬選手が使っていた零落白夜という、シールドエネルギーを切り裂く攻撃と同じか、それと似たものだと剣の攻撃を受けたISの状態から判断できる。
「なんだよあいつら……。どっから湧いて出たんだよ? なんで俺たちを助けてくれる? あいつらはいったい……?」
結城は呟くように言った。ここから逃げ出さなくちゃいけないことを忘れてしまうぐらい、あの二機のISの登場は衝撃的だったのだ。
すると、近くにいた更識簪が聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で囁くようにこう言ったのだ。
「一夏さん……箒さん……」
と。
結城はその簪の呟きを聞き逃さなかった。一夏、箒、という名前を聞いて、思い浮かぶ人物はそれしかない。結城たちが先ほど会って知り合いになった人物。織斑一夏と篠ノ之箒しかいないのだ。
「おい簪さん! 今、一夏さん、箒さん、って言ったよな!?」
結城は簪に近づきながら問いただす。
すると、簪はしまった、という表情をしたと思ったら、結城から視線を話していく。
その行動を見た結城は、今、この現状をしっかりと理解しないと気が済まない気持ちでいっぱいになった。
少し前に本音が襲われているところ助け出して友人になり、ISについて教えてくれることになって簪さんと知り合いになって、この祭り会場で織斑一夏と篠ノ之箒と知り合いになって、それでもってその二人は見たこともないようなISで襲われた本音を助けてくれた。
(じゃあ、あの一夏と箒ってやつは何者なんだよ!? それに……ISをこんな風に使うだなんて……)
結城にとって、ISとは夢の象徴である。それが、こうやって悪事に使われているところを目の前で見てしまったのだ。これほどやるせない気持ちになるものはないだろう。とても嫌な気持ちになってしまう。
それにしても、あの白いISと赤いISは思うように動けずにいた。残るISは四機。しかし、まだ祭り会場には逃げ遅れた人たちが残っているのだ。それを庇いながらの戦闘で、あの二人はうまく動けずにいたのだ。
そこに。
苦戦を強いられている二人に、救世主が現れたのだ。
9
一夏と箒は民間人を庇いながらの戦闘に苛立ちを感じながらも、何とかしてでも本音を襲ったISを撃退し、なおかつその内、一人でもいいからその操縦者を捕獲し、情報を洗いざらい吐いてもらう必要がある。
だが、相手はこの場の人々を人質に取っているようなもの。迂闊に変な行動はとれない。やるならば、相手にやる隙を作らせない必要がある。勝負をつけたいならば一瞬で。それが絶対条件だ。
(どうする……? どうすれば残り四機をを沈ませれる?)
一夏は考える。
箒と一斉に攻撃するか? いや、彼女の攻撃では一撃で相手を沈ませることができない。やるなら、四機同時に攻撃する必要がある。だが、一夏の武器では一対一しかできないし、箒では決定力が足りない。何かいい方法はないのだろうか。
一夏は頭を抱えて悩み、動けないでいた。そんな硬直状態の戦場を変えたのは、とある一機のISだった。
四機の敵ISが複数のレーザーに撃ち抜かれていく。
よく見ると、そこには空中に浮かぶ青いレーザー砲があった。
そんな武器を使う人物は、一人しか考えられない。青いISに身を包んでいる人物、それは……。
「お久しぶりですわね。お顔を隠しているようですけど、私にはあなた方がだれか分かりますわよ?」
このお嬢様口調で、金髪を縦ロールにしている女の子、セシリア・オルコットがそこにいた。
彼女はビット装備を巧みに使い、敵ISを翻弄しながら追い詰めていき、そして、最後には。
「これでフィニッシュですわ!!」
大型のライフルから放たれるレーザーは、四機のISすべてを薙ぎ払った。その四機のISは揃ってシールド・エネルギーを失って活動不能状態に陥っていた。
「さて、洗いざらい話してもらおうか……」
箒は五機のISの内、一機のパイロットを捕獲。そのほかの奴らも一夏とセシリアの手によって捕獲されていた。
だが、やつらは一切話そうと居ない。
「答えろ!! 何をしようとしていた!? 布仏本音を狙う理由は何なんだよ!!」
怒鳴るように問いただす一夏だが、捕獲されたパイロット五人はまったく動じることなく沈黙を続けていた。
と、次の瞬間。
辺り一帯は黒いガスで覆いつくされ、視界が閉ざされてしまった。
これはスモーク・ディスチャージャだろう。敵の視界を奪うことに加え、センサー類を一時的に麻痺させることのできるものである。欠点としては、それは自分にも影響を受けてしまうということ。
だが、この場ではそんな欠点は関係なかった。
だって――
「くそっ、逃げられた!」
逃げることだけを考えればいいだけなのだから。
一夏は吐き捨てるように叫びつつ、急な襲撃に警戒する。
誘拐されそうになった張本人である布仏本音は、剣崎結城と共に屋台の陰から現れる。
「あの……、もう大丈夫ですか?」
結城は一夏たちに尋ねる。
「ああ、もう大丈夫だ。周りに奴らのISはいなくなったからね。布仏本音はこちらで預かるから、君はもう帰っていいよ」
「でも……!!」
「大丈夫だよゆっきー。この人たちは信頼できる人たちだから。ありがとうね、またゆっきーに助けてもらっちゃった」
「そ、そんなこと……。俺は何もできなかったんだ」
「それこそそんなことはないよ! ゆっきーが一緒にいてくれただけで私はすごく安心できたんだから。だから、ゆっきーに感謝したんだよ?」
結城はそれ以上なにも言えなくなってしまった。女の子にそんなことを言われてしまえば、男は反論する言葉を失ってしまう。女の子を安心させることができた。それだけで、平凡な男子高校生は満足してしまった。
「そうか……。分かった。じゃあ、本音のこと、よろしくお願いします!」
「ああ、任せてくれ」
箒は結城のお願いに返事を返す。そして、結城は一人祭り会場を去って行った。
ISの襲撃によって、つい先ほどまで賑やかだった祭り会場には誰一人としていなくなってしまっていた。屋台を出していた人も、客も。
「チェルシー」
セシリアは専属メイドの名前を呼ぶと、奥の方からメイド姿の女性が現れた。
「なんでしょうか?」
「布仏本音さんを送って差し上げて。さきほどのように襲われる可能性もあるから、厳重に注意してね」
「かしこまりました」
チェルシーは丁寧に頭を下げると、布仏本音の事を連れて車に乗り込みどこかへと行ってしまった。
それを見送った三人。
そして、本当にここには三人しかいなくなったとき、箒は口を開いた。
「なぁ、セシリア。私たちの事、分かるのか?」
箒はセシリアに問う。戦闘中、セシリアはあなた方がだれか分かる、と言ったのだ。顔を隠し、声も顔を隠すバイザーの機能によって変声されているのに。
「はい。篠ノ之箒さんと、織斑一夏さんですわよね? 私はあなた方にお願いがあって日本に来ましたの」
「なぜ俺たちの事を知っているんだ? 俺たちの事は分からないようにしているはずだ。それなのになぜ!?」
「うふふ、一夏さん。私には裏に精通しているメイドがいますのよ? しかも、情報収集専門の。それに、私はあなた方と同じ学校で同じクラス。臨海学校が終わってからのあなた方の行動と、最近起こっている事件を照らし合わせて、この結論にたどり着きました。もし間違っていたら、それほど恥ずかしい事はなかったのですけど」
セシリアは夏休み前の一夏たちの行動を見ただけでこの結論に至ったのだ。女の勘ってやつは恐ろしい。
「さて、本題を話します。ぜひ、私に力をお貸しください。『束派』に依頼をしたいのです」
彼女の口から放たれた衝撃的な言葉。まさか、彼女の口から『束派』なんていう暗部組織の名前が出てくるとは思いもしなかった。
初めて会ったときはそんな雰囲気さえも見せなかった明るいお嬢様のような普通の女の子のように見えた。だが、今は違う。今の彼女の眼は、何かを追い求めるかのような、そんな目をしている。
「セシリア、本気か? 暗部組織に依頼するほどの仕事があるというのか?」
一夏は質問する。わざわざ自分たちの事を突き止めてまで依頼したいものがあるというのか、その理由がしりたいからだ。
「ええ。私が依頼したい案件。それは、LOE社が開催するイベントの護衛です。『アベンジャー』という組織がこのイベントを襲撃するという情報を手に入れたのです。だから、その撃墜をお願いしたいのです」
「『アベンジャー』……暗部組織か?」
箒は組織の名前を反復して、その組織が暗部のものなのかセシリアに尋ねた。
「おそらくそうでしょう。それに、その組織は葵春樹を追う手がかりを持っている可能性があります」
「なんだって!?」
驚きの声をあげる一夏。その『アベンジャー』と名乗る組織が葵春樹を追う手がかりになるなど、思いもしなかった。しかし、なぜその組織が葵春樹を追う手がかりになるのか。その理由は分からない。
「でも、なんで春樹を追う手がかりになるんだ?」
「……それはイギリスに向かう飛行機の中で話しましょう。さて、行きましょう、イギリスに。よろしいですね?」
「分かった。ただ、姉さんに一応確認を取る。行動はそれからだ」
「分かりましたわ」
セシリアは頷く。
箒はすぐさま束に連絡を取り、現状を説明した。セシリア・オルコットから依頼があること。そして、その依頼には『アベンジャー』と呼ばれる組織による攻撃の恐れがあるということ。そして、葵春樹を追う手がかりになる可能性があるということを伝えた。
すると、束は依頼を承認。一夏と箒はイギリスへと向かうことになった。
だが、日本にも問題が残っている。布仏本音の事である。
いま彼女は謎の組織に襲われている。今の神社での戦闘では難を逃れたが、これで解決というわけではない。布仏本音の身柄の安全が完全に取れるまで、更識家で保護しなくてはならないのだ。本音は更識家に仕える布仏家の娘だ。ここは更識家で保護する必要がある。
つまり、今回の依頼に更識楯無は出撃できないということだ。
一夏と箒だけで今回の任務を遂行しなくてはならない。その責任感が二人に押し寄せる。
だが、それを見透かすようにセシリアは言う。
「大丈夫です。ISによる戦闘となったとき、この私も参加しますわ。更識会長の分は私が戦います」
一夏と箒はセシリアの言葉に反論しようとしたが、彼女の目にはそれ相当のがあるように感じ、言葉を失ってしまった。
「分かった。じゃあ行くか、セシリア。イギリスに」
一夏は力強く宣言した。
それを見た箒は思う。
あんなにも精神的に追い詰められ、外にも出ようとしなかった一夏をこんなにも早く立ち直らせる葵春樹という存在はなんなのだろうか、と。
正直、今回の任務、一夏は任務に出向くなんてことはありえないと思った。拒むだろうと思っていた。だが、一夏は力強くイギリスに行こう、と宣言した。
やはり、今の一夏には葵春樹の存在は欠かせないものになりつつあるようだ。
そして、箒は更に思う。
もし、葵春樹が死んでしまったら、一夏はどうなってしまうのだろうか、と。
春樹も今、自分たちの知らないところで暗部活動を続けているらしい。ということは、命の危険があるということだ。いつ死んでもおかしくない状態にあるということだ。
本当にそんなことになってしまったらどうなるのだろうかと、箒は心配になったのだ。
今の一夏は、何かの支えがなければ奈落の底にでも落ちていきそうな状態に見えたから。
一夏と箒は神社を後にする。
これから一夏たちが向かうのはイギリス、ロンドン。セシリアが操るブルー・ティアーズを生んだLocus_of_Evolution社によるイベントの護衛任務だ。
10
剣崎結城は更識クリエイティブに来ていた。
彼は荒だたしく社長室の扉を開く。簪に止められていてもお構いなしに、感情に身を任せて。
「更識さんッ!!」
「おお、大丈夫だったか剣崎君! それに簪も。突然のISによる襲撃があったという情報を聞いてね。君たちがどうなったのか心配だったのだよ……。無事でよかった」
心から心配してくれている信鳴に対しても、冷静じゃない結城は感情任せに信鳴に当たる。
「そんなことはどうでもいいんですよ! 何なんですかあれは! あの織斑一夏と篠ノ之箒っていう人物は! なんで簪さんがあのISに乗っているのが一夏さんと箒さんって知っているんですか!? 更識さんも何か知っているんじゃないんですか!?」
結城の問いに信鳴は眼を瞑って何かを考える仕草をしたかと思えば、その口から吐かれた言葉は、
「それは君に教えられない。あのことは君には無関係だ。世の中知らない方がいいことがあるのは、君のような年齢になれば理解できるはずだが?」
という少々キツイ言葉だった。しかし、納得がいかない結城は、自分の気持ちを全部ぶつけることにしたのだ。
だから言う。勇気を持って、自分の気持ちをぶつけてやるのだ。
「でも……でも! 俺はあんな風にISを使っているところを見て何も感じないわけないじゃないですか! ISは人々に夢を与える物なんだ。だけど、あんな人を襲うために使うだなんて間違ってる。それに、一夏さんと箒さんが乗っていたISは、完全に戦闘用のものに見えた。余計なものをそぎ落とし、戦闘に特化したフォルム。なんであんな物を一夏さんたちは身に着けているのか。とても残念な気持ちになりましたよ。悲しかったですよ。すごく嫌な気持ちになりましたよ。知っているんでしょう? 教えて――」
その瞬間、頬を叩く音が社長室に響いた。そう、結城は頬を思いっきり叩かれたのだ。更識簪の手によって。
「落ち着いてくださいよ結城さん……。あなたには教えられないって言っているでしょう……!? 素直に諦めてここから出ていってくださいよ。正直迷惑です」
今の簪の言葉は何よりも、結城の胸に杭を打たれたかのごとく、激痛にも似た痛みを感じた。それゆえ、結城はたじろぎ、何も言えなくなってしまう。
黙ったまま何も言えず、何もできず、ここから出ることすらもできなくなってしまった結城だが、ここで後ろから女性の声が聞こえた。
「大丈夫だよ、剣崎結城君。君は私の下で働いてもらう。これは決定事項だから。拒否は許さないよ……。なんてね」
「正気か、篠ノ之! この子は何の関係もない普通の男の子なんだぞ!」
そこにいたのはISの生みの親である篠ノ之束であった。
結城は本当に目の前にいる人物が篠ノ之束であるかどうか疑問に思ったのだ。この人が本物の篠ノ之束だとしても、なぜこんなところにいるのか、どうしてこのタイミングで現れたのか、私の下で働いてもらうとはいったいどういう意味なのか。正直疑問に思うことが多すぎて整理するには時間が足りなかった。
「はい、信鳴さん。本気ですよ。それに剣崎君は普通の子じゃありませんよ。本物の天才で、私と同じにおいがする。だから私たちの組織に迎え入れるの。彼の想いも十分だしね」
信鳴も、簪も、結城でさえも、このいまの状況に混乱してしまっている。
「さて、剣崎君。君の想いはしっかりと聞かせてもらったよ。君もあんな奴ら許せないよね? ISを悪事に使う奴らを。じゃあさ、私たちと一緒にそいつらを倒さない? みんなに笑顔を振りまいてくれる存在、それがISなんだよね?」
「は、はい……。そ、その通りです! 俺はそう思っています」
「よろしい! じゃあ、いきなりですまないけど、ついてきてくれる? 私たちの組織に案内するよ」
信鳴と簪を社長室に残したまま、束と結城はそのままエレベータに乗り込み、地下の施設へと向かう。
エレベータの中で結城は質問する。
「あなたは、本当に篠ノ之束なんですか?」
「そうだよ」
「あなたの組織って、あの織斑一夏と篠ノ之箒もいるんですか?」
「いるよ。二人ともISの戦闘を担当してくれてる。それに加えて戦闘要員として簪ちゃんの姉の楯無ちゃんもいるよ」
「じゃあ、あんな戦闘特化のISを作ったのもあなたですか?」
「……うん、そうだよ。仕方がないよ、戦わなければ生き残れないんだから」
その時の束は、本当はやりたくない、という気持ちを結城に必死に訴えていた。
それもそうだ。ISの最初の使用用途は宇宙開発の為だ。それを見越して篠ノ之束はISを作ったのに、今ではこの様だ。しかも、それを悪用する輩まででてきた。ならば、どうやってそれをなくす? 戦うしかないのだ。戦って、戦って、戦って。戦って悪事をしでかす輩を消していくしかないのだ。
それに、生き残れない、と束は言った。
「もしかして、篠ノ之さんって、命が危ないんじゃ……?」
「するどいね、剣崎君。そうだよ。私はある組織から命を狙われている。だから迂闊に外も歩けない状態にあるんだよ」
結城は無知だった。無知だったと自覚した。無知は罪だ、とはどこかで聞いたような言葉だが、結城は何も知らない奴なのだと自覚してしまった。
「ははは……。これじゃ、俺、バカみたいじゃないか。相手の気持ちも知らないで適当なこと言いやがって」
結城は悔やんだ。今まで言ったきた言葉たち。一夏に向かって言った言葉、信鳴に言った言葉。ことごとく無知だからこそ言えた言葉だな、と結城は思う。
「剣崎君……。詳しくはよく分からないけど、何も知らなかったんだから、仕方がない事なんだ。問題は、知ってしまったからこそ、この後何ができるかだよ」
「……はい。分かりました。善処します」
やがて、地下の『束派』の施設へとたどり着いた二人は、広くはない施設の各所を周り、一通り施設の説明を終えた二人はブリーフィングルームへとやって来た。
「さて、一通り周ったけど質問はある?」
「この組織ができた経緯を教えてください」
「ほほぅ、そう来ましたか。いいよ、教えてあげる」
篠ノ之束が立ち上げた組織。正式名称はないが、『束派』と呼ばれるようになってから、それが正式名称となった。
組織が生まれるきっかけになったのは二年前のドイツ軍基地の襲撃事件。その目的は、当日ドイツ軍基地にいた篠ノ之束本人だった。
アベンジャーと名乗る奴らは篠ノ之束を殺害しようと行動を起こすが、葵春樹の手によって難を逃れる。
そこで篠ノ之束は決意したのだ。こんな風にISを使うやつらを許せない。だから、そんな奴らを世の中から消し去りたいと思い、葵春樹と共に組織を立ち上げる。
だが、こういった組織を立ち上げるにはお金がいる。そこで頼ったのが、ISの開発にあたり、資金を恵んでくれた更識クリエイティブだった。
社長である更識信鳴は束に恩があるということでこれを了承。組織に必要な施設を手がけ、人員をも収集してくれた。
最初は違法な装備を開発している小さな施設を襲撃し、壊滅させるという仕事ぐらいしかやらなかった。いや、やれなかったのだ。なんていったって、戦闘要員が葵春樹ただ一人だったから。
そして、大きな事件が起きた。
『
それから、葵春樹と更識楯無は強くなっていった。任務をこなす度に強くなっていく。それは傍から見ていた束が一番分かっていた。
やがて、楯無と春樹はIS学園へと入学することになった。この時に織斑一夏をIS学園に導くために動く。そして、織斑一夏をIS学園へと入学させた。それと同時に篠ノ之箒も入学させたのだ。
春樹と楯無の監視の下、一夏と箒の二人、及びその周りの専用機持ちを強くするための訓練を開始する。
そして、七月七日。国際IS委員会の協力を得る権利をかけた任務が開始される。
それを見事に解決した一夏たち。このとき、一夏と箒は正式に組織の一員となる。
一方、別任務を行っていた葵春樹はレイブリックという、男でISを動かせる人物と対峙。行方不明になる。
国際IS委員会の協力を得られることになったのだが、その代償に葵春樹を失ってしまったのだ。
そして、七月二四日。シャルロット・デュノアの誘拐事件が起こる。この事件に対し、束は行動を開始。『
なお、この任務中に、織斑一夏と更識楯無は葵春樹と遭遇する。彼は別の仲間を連れて何かしらの行動を取っていた。
そして、今に至る。
「簡単にまとめたらこんな感じかな」
「そんな……。こんな組織に俺が入っても大丈夫なんでしょうか?」
「うん。大丈夫。この私が目を付けた人物だよ、剣崎君。君の天才を私に分けてください。天才が二人揃えば、一夏たちに良い装備を与えることができて、なおかつ死ぬ可能性を低くすることができる。だから……お願いします」
あの篠ノ之束が結城に対して頭を下げた。結城はそんな恐れ多いことをすぐにやめさせようと声をかける。
「あ、えっと、顔をあげてください! あの、まだ結論を出せないです。でも、明日までには何とか。明日、俺がここに来たら今回のお話を受ける……ということでどうでしょう?」
「うん。分かった。それでいいよ、剣崎君。じゃあ、私待ってるから。ここに来てくれることを期待してね」
「はい……。それではこれで」
結城はエレベータいに乗り込み、帰って行った。
ここに一人残された束は一人物思いに耽っていた。
剣崎結城という男は、とても不思議な人物で、天才と言われている自分も、結局は努力が花を咲かせたに過ぎないのだ。過去の努力があったからこそ、ISというものを完成させることができた。天才と言われることになった。
でも、剣崎結城は違う。
努力という言葉はどこに行ったのか分からなくなるほどに、理解不能なほどに、ISの知識をほんの数十時間で完璧までに体に染み込ませていた。
正直、人間業ではない。
これこそ、これが“天才”というのだろうか。努力もなしにISのほぼすべてを理解するだなんて、考えられないし、信じたくもない。自分の今までの努力が無駄なように感じてしまうからだ。
(剣崎君。正直、君の才能が妬ましいよ)
束はブリーフィングルームでひと眠りすることにした。
11
剣崎結城はひとまず家に帰った。
今日起こったことは、まるで意味が分からず、感情任せに動いた結果、周りに流されて訳の分からない状況になっていた。
ISを悪用する者たちと戦う組織、『束派』。
いきなりそれに入ってくれ、と言われて、はい入ります、だなんて言えるわけがない。あまりの出来事に頭が混乱して周りの出来事に頭の整理が追いつかない状態が続いていたのだ。
「ふざけんなよ……」
結城はひとり帰り道で呟いた。
つい最近まで何の変哲もない普通の男子高校生だった剣崎結城は、とある女の子を助け、夢を語ったばっかりに、今の状態に至ってしまった。こんな、暗部組織だか何だか分からない、映画か漫画か、アニメか分からないような、そんなものと関わることになろうとは。
周りはすっかり日が落ち、真っ暗な周りを街灯が照らしている道を、結城一人で歩く。夏のせいもあってか、夜なのにまったく涼しさを感じさせず、ただジメジメと蒸す夜風を感じながら、結城は空を見上げる。
(夢……か。何なんだろうな、夢って。夢を追いかけただけなのに、こんなことになっちまって。なんでこの俺が、そんな危険な目に合わなくちゃいけないのさ)
なんだかんだで、結城の家はすぐ近くまで迫ってきている。だけど、なかなか家にはたどり着かない。結城が物凄くゆっくり歩いているからだ。
あの先にある角を曲がれば家はすぐそこだ。
結城はその角を曲がる。
すると、ある女の子が結城を見るなり駆け寄ってくる。
「結城! 今まで何してたのよ!! あんな、危険なことがあってもこんな時間まで……」
「ああ、由実か。ごめん……。でも大丈夫だったから安心しろよ。本音も無事だから」
結城は疲れたように言う。だが、その言い方が由実の癇に障ったようで、
「そうよ……その本音って子。あの子いったいなんなの!? 結城もあの子と知り合ってから付き合い悪くなったし、夜遅くまで家にいないし!! それにあのISは何なの!? あきらかにあの本音って子を狙ってたよね!? ねぇ……説明してよ。結城、あんたいったい何をしているの!?」
結城は今まで更識クリエイティブのIS開発に協力していることを由実たちに話していなかったのだ。その理由としては、自分の夢を追いかけていることを、ほかの人に話したくなかったから。そんな、気まぐれだったのだ。
そして、布仏本音については、これは本当に由実たちには話せない内容だ。あの子の身が危ないということを話せば、もしかしたら由実たちにも危害が及ぶ可能性があるのだ。だから、結城は由実たちに話さなかった。話したくても話せなかった。
「ごめんな。俺、疲れてるから、もう寝るわ。おやすみ」
結城はごまかすように冷たく言葉を放ち、自分の家に入って行った。
その場に残された由実は、結城が自分の知らないところへと行ってしまいそうな恐怖を感じていた。