ISを改変して別の物語を作ってみた。   作:加藤あきら

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第三章『発生 ‐Threat_To_The_Company-』《理想との乖離》

  1

 

 シャルロット・デュノアはテロ事件について警察の事情聴取を終えてデュノア社の方へ帰ってきた。

 目の前には父であるセドリック・デュノア、後ろにはシャルロットの世話係が歩いている。

 シャルロットはこれからどんなことを聞かれるのか、どんな仕打ちを受けることになるのか、不安でしょうがなかった。できればここから逃げ出したいと、直前になってまた思ってしまう。

 ついに社長室へとたどり着いた二人はその中へと入って、設置されているソファに二人して腰を下ろした。

 

「久しぶりの再会がこんな形か、シャルロット」

「はい、お父さん……。ごめんなさい、こんなことになってしまって……ごめんなさい……」

 

 謝るシャルロットだが、セドリックは顔色一つ変えずにこう問いかけた。

 

「ラファール・リヴァイヴの方は無事なのか?」

「あ、はい……。無事です。ここに……」

 

 セドリックはシャルロットの手の中にある待機状態にあるISを取り、整備士の方に預ける、と一言言うとそれを胸ポケットにしまう。

 

「それはそうと、例のISを使える男について分かったことはあるのか?」

「あ、はい。一応は……。少なからず分かったこともあります」

「なら、それをレポートにして後日私の方へ提出しろ。いいな?」

「はい……」

 

 それからまた沈黙が続く。親子が久しぶりに対面して、なおかつ目の前にいるのに何のトークもしない。これが久しぶりに対面した親子の絵なのだろうか。普通の父親なら娘というものは『目に入れても痛くない』という言葉があるようにとても可愛いものだろう。

 だが、現状はこれだ。父親は娘に対して冷たく当たっている。そしてシャルロットも父親の事を恐れ、嫌っている。

 だがシャルロットは恐れる気持ちを振り切って、父親と話をしてみることにした。

 

「あの……お父さん。僕になんか、話すことはないのかな? 今まであんまり話したことないし、久しぶりに会ったんだし……」

「そうだな。じゃあ、聞きたいことがある」

 

 彼女はこの返答に驚いた。今まであまり喋ったこともなかったというのに、自分に聞きたいことがあると、話を膨らませたのだ。

 

「日本のIS学園に入学することになった男二人、そいつらはどんな奴らだった? お前が一緒にいて感じたことを聞かせろ」

「はい……。えっと、IS学園に入学した男子の内、織斑一夏はとても優しい人物でした。よく僕の事を気にかけてくれました」

 

 織斑一夏の話をするシャルロットであったが、セドリックは早々に織斑一夏の話はもういい、と言い出した。そして、もう一人の葵春樹について聞かせろ、とシャルロットに命令する。

 

「は、はい。葵春樹も確かに優しい人物でした。よく一夏と共に行動していて……、本当に小さい頃から一緒らしいです。だけど、彼は不思議だと思うことが何度かありました。まるで、私の正体が女だと最初から分かってったみたいに。それに、僕の目の前にISを見せることはほとんどなくて、これまでで精々三、四回程度でした」

 

 セドリックは顎に手を添えて考える素振りをし、少々黙り込んでいた。

 シャルロットはそんな目の前の父親が何を考えているのかとても気になった。今までこんなに自分の話を聞いて、それでこんな反応を示してくれたのは初めてだったからだ。

 それに、織斑一夏より葵春樹の話を優先するように言ったのも気になるところだ。やはり、彼には何かがあるのだ。それに現在は行方不明。その原因もまったく分からない状態で、謎の失踪を遂げた。未だ何の情報も入ってこない。

 あの臨海学校研修のときに、篠ノ之束が無事に帰って来れたことから、恐らく葵春樹は生きていると予想する。だが、どこにいるのか、それは全く分からない状態だ。

 

「なるほどな。分かった。じゃあ、部屋に行け、用意してある。おい」

 

 セドリックは世話係の女の人に部屋に案内しろ、と目で命令する。

 すると、シャルロットの世話係が一歩前に出た。シャルロットは彼女についていき、用意された部屋へと向かう。この社長室を出る直前、一度父の事を見たのだが、相変わらず冷たい表情をしていた。

 珍しく話をしてくれたと思ったらこれだ。結局は自分の目的である織斑一夏と葵春樹の事しか興味がないのだろうか。久しぶりに会った娘には何かお話は無いのだろうか。シャルロットは少し怒りを覚えるとともに、寂しさみたいなものも覚えた。

 しばらく歩いてエレベーターに乗り、部屋が用意されているフロアへと来た二人は、世話係の指示でとある部屋の前にきた。

 鍵を開けて中へ入ると、とても高価そうなベッドとちょっとした机、それに冷蔵庫、バスルームなど、その部屋はIS学園と比べてとても広く感じる。それははここが一人用の部屋なのだからか、それとも部屋自体がそもそも広いのか。

 世話係の女性は部屋を立ち去る前に、一言シャルロットに伝えようと口を開く。

 

「シャルロット様、どうかセドリック様の事を勘違いなさらないでください。あの方は、貴方様を一番に考えてなさるのです」

「……どういうことですか? あの人はこの僕を……この僕を道具のように扱い、久しぶりに会ったというのに抱きしめもしてくれない。そんな人が僕の事を考えてくれている……? そんなわけないでしょう!?」

 

 少し怒り気味に大きな声で言うシャルロット。だが、世話係の女性は何もうろたえることなく、言葉を続ける。

 

「確かに、貴方から見たらそう見えるかもしれませんが、私たちから見れば、あの方はとてもあなたの事を――」

「いいから! もういいから! 出て行ってよ!!」

 

 世話係の女性は何も言わず、一礼をすると部屋を出ていった。

 シャルロットは何十秒かその場でずっと立ちすくんで、ハッと我に返った彼女はベッドに体を委ねる。低反発のベッドがシャルロットの体を受け止めた。

 

(あの人が、私の事を一番に想っている? なんだよ、それ……。あの人の何所をどう見たらそう思えるの? 今の私には理解出来ないよ……)

 

 こんなことを延々と考えていてもしょうがないと思ったシャルロットはベッドから起き上がり、ノートパソコンを取り出すと、レポートをまとめる準備をする。電源を付けた彼女はワードソフトを立ち上げて、一夏、そして春樹のことをレポートにまとめた。

 織斑一夏と葵春樹。この二人は幼少期からの仲の様で、とても仲が良かった。織斑一夏は両親が居らず、姉の織斑千冬と暮らしていた。そこに、これまた両親を失い拠り所の無くなった葵春樹と暮らし始め、現在に至る。だからなのか、この二人は親友と言うにふさわしいものであった。

 ISの操縦については、織斑一夏は操縦自体はとても上手であったが、対ISとなると話は別であった。やはり慣れていないこともあってか、近づいて斬る、という程度のスキルしか持っていなかった。だから、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの多彩な攻撃の前には歯が立たなかった。

 

 それに対し、葵春樹。この人物だけは違った。ISの操縦経験は織斑一夏と同程度のはずだ。一般的な情報によれば、彼ら二人は高校入試の際ISの試験会場に迷い込み、そこでISを動かせてしまったことからこの事態が起こったのだ。

 そこから考えれば、彼ら二人が初めて動かしたのはその時と考えられる。仮に以前から動かすことが出来たとなれば、メディア等も彼ら二人を大きく取り上げるだろう。しかし、そんな情報もないし、その線はまずない。人知れず練習していた、という可能性もあるが、これはとてもじゃないが現実的ではない。まずISという代物を何所で手に入れたのか、という更なる疑問を生むことになる。

 

 では何故、葵春樹だけがずば抜けてISの操縦が出来るのか、という疑問が生まれる。これがただの才能の違い、と言ったらそれでお仕舞いかもしれないが、それで済ませられるほどの腕ではないのだ。才能があったとしても、たかが一ヶ月程度であれほど操縦技術、そして戦闘技術を手に入れることはまず人間業ではない。

 IS学園では数々の事件が起こってきた。それの中心にいたのは葵春樹と織斑一夏ではなかっただろうか。

 自分がIS学園に来る前に謎のISによってアリーナを襲われる事件が起こり、その謎のISを倒したのは葵春樹と聞く。そしてラウラ・ボーデヴィッヒに関する事件も葵春樹自身が実質解決に導いていたではないか。

 臨海学校研修で起こった事件もそうだ。あの事件を解決に導いたのは葵春樹だった。そして、その葵春樹に導かれるように織斑一夏と篠ノ之箒は動き出した。

 あの後彼は行方不明になったが、これらの事件を総括しても、どう考えても葵春樹に何かあるのは見え見えだ。

 

 あれだけの事をしでかして、IS学園の入試試験のときに初めてISを動かしました、という言葉を言われても信じられるわけがない。

 しかも、あの臨海学校のときに居た特別な人物、篠ノ之束こそ葵春樹と共にして何かをしているのではないのか、あれだけの人物が傍にいるのだからそれも可能なのではないか。

 寧ろそう考えるのが自然だろう。

 現在、篠ノ之束は何らかの行動を取っている。それはもう大きな。

 そして、その考えを決定付けることが今日起きたのだ。

 飛行機のテロの時、自分を助けに来た謎の水色のIS。顔が隠れているし、声も少し変だった。変声をしているようなので誰かは分からなかったが、注目すべきはその操縦者ではなく、そのISのデザインだ。あのボディラインを映し出すような薄い装甲のISは、まさしく葵春樹が所持している熾天使(セラフィム)そのものなのだ。

 そしてテロリストの一人が言っていた『束派』という言葉。それはまさしく篠ノ之束を指すのだろう。

 

 だから、彼女は結論を出した。

 『束派』というのはその組織の俗称であろう。その組織に葵春樹は所属しており、暗部で行動をしている。そして、臨海学校の事件発生時に共に避難しなかった織斑一夏と篠ノ之箒の二名はこの『束派』という組織に所属している可能性がある。

 今までの情報をまとめたら当然こうなる。

 

(これくらいのことはセシリアや鈴、ラウラは予測できるだろうね。でもやっぱりわからないことがあるよ……。なんで、あの二人はISを動かすことが出来るんだろう……?)

 

 一夏たちが今何をしているのか、ということは大体は予測をすることが出来る。でも根本的な“男がISを動かすことが出来る”という事についての真相は未だ謎だ。近くにいてもなんら違和感すら感じない。寧ろ、ISを男が動かすことが出来る、ということがあたりまえのように感じられてしまう様になってしまった。

 このレポートは織斑一夏と葵春樹のことについてまとめるものではあるのだが、ここまで書くのが限界だった。これ以上の事はまるで分らない。

 本来、何故ISを起動することが出来るのか、そのことをまとめるレポートだというのに、その真実はまるで見えてこない。

 

(こうやって改めて考えると、春樹って何なんだろう。でも、一つ言えることは、これまで一緒に過ごしてきた日々はたぶん……本当に仲間として一緒に居てくれたということだと思う。一夏、箒、春樹、セシリア、鈴、ラウラ……)

 

 彼女は何故こうなってしまったのだろう、と思ってしまった。日本のIS学園に行って、そして一夏と春樹に接近して、気が付いたらかけがえのない友達になっていて、もちろん他のクラスメイトも友達になっていて……。親友と言えるような友達が出来ていて。

 でもそんな仲間に囲まれた生活は七月七日を境に豹変した。仲間の一人を失い、一夏と箒は不穏な動きを見せるし、セシリアはコソコソと何かを調べているようだった。ラウラもドイツ軍との連絡を頻繁に取るようになった。だが鈴音は唯一いつも通りにしてくれた。これは彼女がまったくこの現状を気にしていないわけではなく、周りの雰囲気が変わってしまったことを気にしたからこそ、いつもと変わらず笑顔でいてくれたのだろう。

 そして自分はその変わってしまった環境に戸惑い、帰国しなくてはいけないこともあり、精神的に安定していなかった。

 

 しかも、好きになってしまった男性に振られてしまったのも一つの要因かもしれない。

 確かに一夏には振られてしまったものの、みんなには自分が女性である事を明かしてそれを受け止めてはくれた。だけど、それとこれとでは話は別だった。

 もう既に一夏には箒という女性がいる。何をどうしてもそれは変わらない。だけど、シャルロットは未だに一夏の事が好きだった。

 彼は自分を包み込んでくれた。女性であることを隠し、調べようとしていたことを彼は許し、そして受け止めてくれた。何より優しい彼なら、自分は何をされても許せると思った。彼にならこの体も心も、捧げてもいいと思ってしまった。

 出会ってまだ二ケ月ほどしか経っていないのに、そんな感情が芽生えてしまった。自分が色々と精神的に追い詰められてしまったときに優しい言葉を投げかけてくれて、それでもって全てを許していつもと変わらず一緒に過ごしてくれる。そんな彼の優しさに惚れてしまったのかもしれない。

 仲間たちは良くない雰囲気になってしまって、好きな男性は他の女性と付き合ってしまって。

 シャルロットは思わず涙を流してしまった。つー、と小さな滴が頬を流れていく。そんな彼女はどうにもできないことを考えていた。

 

――もし過去に何かしら違うことをやっていたら、今この現状は違う物になっていたのかな。

 

 と、そう彼女は考えてしまっていた。

 

 

  2

 

 

 作戦終了後、織斑一夏、篠ノ之箒、更識楯無は更識クリエイティブ本社へと戻ってきた。

 楯無は精神的にも肉体的にも疲れ切った一夏と箒の二人を、それぞれ用意された個室で休むよう命令した。

 そして彼女は真っ先に束の下へと向ったのだ。この現状になってしまった事について問い質すために。

 

「失礼します。作戦より帰還いたしました」

 

 そう言って楯無はモニタリングルームへと踏み入れた。そこには篠ノ之束と織斑千冬が揃っていた。この状況はむしろ好都合だ。元々この二人と話をしなくてはいけないと思ったからだ。

 

「ちょうどよかった。お二方にお話があるんです」

 

 楯無は少し怒り気味な口調でそう言うと、千冬と束の二人は顔色を変えて彼女の事を見る。

 

「現在の織斑一夏、篠ノ之箒の両名は現在精神的に不安定な状態にあります。その事について聞きたいことがあるのですが。まず一つ、この作戦において人を殺める可能性は十二分にありました。そのことについての事前のケアは行ったのでしょうか?」

 千冬と束の二人は黙り込む。それは、一夏と箒が現在、精神的に不安定だと言われたことの不安と、楯無から言われたことについての不甲斐無さのせいである。

 

「確かに、そういった事に気を配らなかった私も悪かったと思います。ですが、貴方たちにとって、あの二人は家族なのでしょう!? そんな二人を戦場に駆り出したんだ、そうなることは予測できただろうし、精神的に危なくなった彼らに対するアフターケアはちゃんと考えてあるんでしょうね?」

 

 ここまで言い終わった楯無に対し、千冬はこう言葉を返した。

 

「すまない。精神面についてはまったく考えていなかった。こちらの考えが甘かったことは素直に認めよう。開き直るみたいになってしまうが、これから二人に対して心のケアを行わなければならない。これは実質一夏の親という立場である私の責務だろうな。束、お前は箒の方を頼みたい。それから更識」

「はい。なんでしょう、織斑先生?」

「二人の心のケアの手助けをしてくれないか? 実際問題、この世界は私よりお前たちの方が長い。言うなれば先輩だ。どうだろうか?」

「別にいいですよ。元よりそのつもりでしたし」

 

 楯無は先ほどの任務が終わった時点で二人の精神状態は悟っていたのだ。これはメンタルケアが必要だと、それを行わなければ、今後の任務に支障が出てしまう。だから、先輩としてこの問題は見逃すわけにはいかなかった。本社に帰って来る前に自らケアを行う事は既に決めていたことであり、やらない理由がない。

 

「束さんは……箒ちゃんのところへ行ってくれますか? あの子、今頃ベッドに蹲って泣いているはずですから」

 

 そう言って千冬と楯無の二人はモニタリングルームを出て行った。

 そこに残った束。先ほどの会話で一言も話していない彼女は何を想っていたのか。それは、こんなことになるとは思わなかったという自分の見誤りが信じられなかったからだ。

 知らなかったのだ。あの二人が、こんなにも辛い目に遭うとは。

 つくづく春樹が特別だということを実感してしまった。

 彼は一三歳の時点でこのような事を繰り返してきた。そして、一夏たちの様な状態になることもなかった。時には人を殺めることもあった。その行為を実際に目で見たことがないが、死者が出たことだけは分かったのだ。

 それなのに春樹は平然と今まで過ごしてきた。いや、もしかしたら心の奥底ではとても嫌な思いをしているのかもしれない。だが、それを表に出すことは決してなかった。

 でもそれは、“篠ノ之束を何があっても守る”という確固たる思念があったからこそなのかもしれない。

 なんにせよ、一夏を含め、箒を今の状態にしておくわけにはいかない。このまま放っておけば、精神崩壊を起こし、人として生きていくことが困難になる可能性だってある。

 

「箒ちゃん。ごめんね……。私が不甲斐無いばっかりに。すぐそばに行くから……!」

 

 篠ノ之束もまた、モニタリングルームを出て箒が居る個室へと向かった。

 

 

  3

 

 

 一夏は地下施設に用意された現在一夏専用となっている個室のベッドの上で小さく蹲っていた。

 

(俺は……俺はどうしたらいいんだよぉ……)

 

 目の前で血を吹き出しながら倒れていく光景は、脳裏に焼き付いて離れてくれない。体の一部が楯無の槍によってISごと肉をえぐられ、白い骨を露出していた。泣き喚き、絶叫しながら散っていく操縦者。

 一夏はその光景を思い出してしまい、吐き気を催した。これで何回目だろうか、作戦が終わって冷静になった頭は残酷にも先ほどの光景を再生してしまう。車の中で吐きかけ、本社に戻ってから二回吐いた。これで三回目だろうか……。作戦から戻ってきてそう時間は経っていない。精々一時間と言ったところだろう。

 現在は二二時三四分。

 一夏は目の前のゴミ箱をとっさに手に取り、口元に持ってくる。

 

「うっ……、オェェェエエエエエエエエエエエエ……、っが、うぇ……がはっ……」

 

 一夏の口から吐き出される嘔吐物はもはや胃液だけだった。胃の中にはもはや何も残っていない。

 身も心も疲れ切った一夏は家に帰らず、ここで寝て一夜過ごすことにした。もっとも、家に帰る気力など今の一夏には持ち合わせていなかったのだ。

 そのまま横になって眠りに着こうとしたとき、ドアが叩かれた。一夏は立ち上がってドアを開けると、そこに立っていたのは更識楯無であった。

 

「ちょっといいかな、一夏?」

 

 よく見ると、その後ろには千冬もいたのだ。

 

「はい……いいですよ」

 

 一夏のその言葉は覇気というものが無かった。精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまっている証拠だろう。心なしか、顔がゲッソリしているように見える。

 部屋に備え付けてある椅子に座る楯無と千冬。そして一夏はベッドに腰をかけた。

 

「さて、一夏。随分とゲッソリしているみたいだけど……。辛いかい?」

 

 一夏は黙り込んだ。

 正直に言えば……非常に辛い……。心が折れて、この現状から逃げ出したいと思うほどだ。自分でこの道を選択しておいて情けないと思う。

 何が『意地があるんだよ、男の子にはな。超えたい壁があるなら、それをよじ登るだけだ』だ。そんな壁に当たる前に逃げようとしている。本当にカッコ悪い。

 

「やっぱりね。一夏、君の今の状況、初めての任務を終えたときの私にそっくりだ。あのね、私も初めて人を殺めようとしたとき、それがたとえ間接的だったとしても、泣き喚きながらゲロを吐いたわよ」

 

 一夏は相変わらず黙り込んだままだ。

 こんな話をしてくれる楯無だが、正直一夏にとってはどうでもいい。ありがたい話なのかもしれないが、今の一夏の心を癒すようなものではない。

 

「ま、こんな事はどうでもよくって。つまり、君の今のその気持ちは私も経験したということ。だから、そんな私から一夏に質問をしたいんだけど、いいかな?」

「はい、いいですよ……」

「ありがとう。一夏は、何で束さんの組織に入ろうと思ったの?」

 

 再び振り返る一夏がこの束の組織に入った理由。

 あの臨海学校で選択を迫られたときの理由は、身近な人たちの幸せと、夢と希望に溢れているISを破壊しようとする人たちが許せなかったからだ。

 だけど、その理由も一日を待たずして変わることになった。

 それこそ、誰よりも仲が良くて家族当然の人が行方不明になった事が大きな理由となった。

 自分の大事な人を取り戻したい。その為には、その人が住んでいた世界に入り込むこと。それが一番大きな理由になった。

 正直に言うと、ISというものは二の次だ。もっと言ってしまうと、束や箒なんかよりも、何よりも一番の優先が春樹なのだ。

 小さい頃から一緒に暮らして、下らない事で競い合ったり、一緒に遊んだり、一緒に飯を食ったり、一緒に寝たり、一緒に勉強したり、風呂に一緒に入って背中を流し合ったことだってある。

 本当に小さい頃から、今までいつでもどこでも一緒だった。高校だって、一緒の高校に入るために受験勉強を頑張ったし、これからも一緒にいるはずだった。

 だけど、それを奪われた。思い出も、何もかも。

 

(春樹……。俺って弱虫だよな……。お前が居ないと俺は弱い。何もできない。逃げ出しそうになる。IS学園に入学することになったときだって、お前が居なければ逃げ続けることになっただろうに……)

 

 一夏は、意を決して口を開く。

 

「俺は……、とんでもなく弱虫な奴です。嫌な事があれば、それから逃げ出しそうになる。それが駄目な事は分かっている。でも、駄目だと分かっていても逃げ出しそうになるんだ……。そんな俺を支えてくれたのは春樹という存在です。同い年だけど、俺にとっては兄のような存在でした。俺は……兄のような存在で、それでもって一番の親友で、そんな親友と過ごした思い出とともに春樹を俺たちの下に取り戻したい。だから、この世界で生きて行こうと思いました。でも、こんなんじゃ駄目ですよね。また逃げ出しそうになる」

 

 そんな一夏の言葉を聞いた楯無は一夏の手を握り締めてあげて彼女はやさしくこう言った。

 

「うん、それだよ。自分が何故この道を選んだのか。それは絶対に忘れちゃいけない。自分は何のために戦っているのか、良く考えて、そしてそれを噛みしめながら生きて行かなくちゃ。人を殺すことは確かに恐ろしい事だし、人としてやってはいけないことだよ。さっきの作戦で平然と殺しているように見えた私だって、実はあんまり平気じゃないんだ。言ったでしょ? 人を殺すことに慣れちゃいけないって。私だって未だにそれは慣れないんだよ。一夏だってそうでしょ? だから、今は落ち着くこと。落ち着いてから、良く考えようよ。ね?」

「はい……。わかりました」

「よし。じゃあ、私はこれで。箒ちゃんのところに向ってみるよ。じゃあ、あとはよろしくお願いしますね、織斑先生」

 

 そう言って楯無はこの場から去った。ここに残ったのは千冬と一夏の二人のみ。

 

「一夏……すまない!」

 

 と、急に謝り、頭を下げだす千冬。一夏はそんな彼女に戸惑ってしまう。

 

「なんだよ急に……」

「いや、姉として、お前の気持ちを理解してやれなかった。こんなにも辛い目に合わせてしまって……本当にすまない!」

 

 再び深く頭を下げる千冬。

 

「頭を上げてくれよ千冬姉。それに、そんな言葉は聞きたくない。言う必要はないだろ。今まで千冬姉は暗部で動いたことがあるか? ないだろ? なら、今回のことは千冬姉でも予測できなかったことなんだ。しかもこれは俺の精神的な事だし、千冬姉がどうこう言う問題じゃない」

 

 千冬は黙り込んでしまう。それに構わず一夏は言葉を続けた。

 

「もう俺は大丈夫だから。ゴメンな千冬姉、一人にしてくれ」

「……わかった。こんなにも無力な私を許してくれ……」

 

 千冬はそういうと素早くこの部屋から出て行った。

 

(だから、謝る必要はないって言ったんじゃんか、千冬姉……)

 

 一夏はベッドに横になった。とりあえず楯無の言葉通り、今は落ち着くことにした。今の精神的状況じゃ、考えること為すことすべてが負の方向に行ってしまいそうな気がしてくる。だから、一夏は一眠りして落ち着くことにしたのだ。

 それに、人と話していくらか気持ちが楽になったのもある。

 一夏はゆっくりとまぶたを閉じて、暗闇の中へと潜っていった。

 

 

  4

 

 

 箒はベッドの中で蹲っていた。彼女もまた、一夏と同じく先ほどの戦闘で人を殺す恐怖に打ち負け、そして動くことすらできなかったのである。

 そんな彼女は思う。

 何故あんなにも一夏はいとも簡単に武器を構えて斬りかかることが出来たのか、それが不思議でたまらない。自分と彼の間にはどういった差があるのか、それもわからない。

 彼が昼食の時に言った言葉の意味も自分にも分からなかった。何故そこまでして春樹に打ち勝とうとしたがるのか、何故そこまでしてやりたいのか、まったくもって理解できない。

 いや、こんなことは自分が戦えなかった理由にもならない。

 あのとき、自分は動けなかった。人を殺すという行為を恐れてしまった。怖気づいてしまった。だから、あのとき自分は戦意を喪失してしまった。

 臨海学校研修で決意したあの意思はどこに行ってしまったのか。『自分の姉の命が危ないからこの組織に入った』という、そんな自分の姉に対する気持ちはどこに行ってしまったのか。

 

(私は……私は……私は……情けない……情けなさ過ぎる……!!)

 

 箒は涙を流しながらそんなことを考えていた。

 すると、ドアがノックされた。

 誰かと思った箒。すると外から束の声が聞こえてきた。

 

「箒ちゃん、中に入って良いかな?」

「姉さん……? はい、い、今開けます」

 

 箒は立ち上がり、目元の涙を拭いてドアの方へと向かう。そしてドアを開けるとそこには束一人だけが立っていた。

 

「お疲れ様、箒ちゃん。大丈夫なの?」

「え……。あ、ああ、はい……大丈夫です」

 

 そんな言葉を交わした後、中に入りドアを閉める。

 箒はベッドに腰掛け、束は部屋にある椅子へと腰かけた。

 

「あのね、箒ちゃん。楯無ちゃんから聞いたんだけど……動けなかったんだって?」

 

 その言葉にハッとする箒。すると急に体が震えだした。

 

「あ、あの! 別に怒っている訳じゃないんだよ箒ちゃん。初陣の箒ちゃんなら当然だし、いっくんだっていま同じように悩んでる。だからそんなに気にする必要はないんだよ?」

「一夏も……? だって、一夏はあの場で迷うことなく剣を振れた。そんなアイツが……悩んでいるだなんて!!」

「……ねえ、箒ちゃん。いっくんが取った行動と、箒ちゃんが取った行動。詳しく教えてもらってもいい?」

 

 そう聞かれた箒は出来るだけ詳しく説明した。

 作戦開始時、自分と一夏、そして楯無は奇襲をかけるために変装して出来るだけ内部まで侵入。そして回収班が突撃を開始した直後、ISを装着。武装倉庫にある武器を破壊した。ここまでは順調だった。

 それからが問題だ。

 ISを装着した戦闘要員が現れたのだ。もちろん、目的を阻害する障害であるのだから、排除しなくてはならない。楯無の命令で一夏は剣を握りしめ、敵に振るった。そして、零落白夜の効果によって相手のシールドエネルギーはなくなる。そして楯無が手にしている槍が敵を貫いた。肉が切り裂かれ、血が噴射する。

 そんな光景を目の当りにして自分は怖じ気ついてしまった。

 目の前で会長が人を殺した、という事実に恐れた。自分は手を出していないが、それでも自分の仲間が人を殺したという事実だけで足が震え、武器を振るう事すらできなくなってしまっていた。

 

「だから、私は何もできなくなってしまったんです……」

「そっか。それなら大丈夫だよ箒ちゃん。そんな事は当たり前。いっくんと箒ちゃんにはちょっとした差はあってもその差は微々たるもので、大して変わらないんだ。いっくんだって、攻撃こそは出来たものの、人を殺すって事までは出来なかった。楯無ちゃんだって、今こそそんな最悪な事が出来ているけども、最初は箒ちゃんと大して変わらなかったんだよ?」

「そう、そんな頃が私にもあったの」

 

 急に聞こえたその声の主は更識楯無だった。

 

「ごめんね、無断で扉開けちゃった。束さんが箒ちゃんと話していると思って。……まぁ、箒ちゃん。今の貴女の悩みは決して駄目な事じゃない。むしろ、悩まない方がおかしい事なんだから。人を殺すってのは、先ほど束さんの言った通り、人として最悪の行為。そんな行為をするというのに、何も感じずに、考えずにできる奴は人間じゃない。むしろ、それが出来るようになってしまった私はもはや人間じゃないのかもね。だから、箒ちゃんは人として当然の考え方をしているの。さっきいっくんにも言ったけど、まずは落ち着いて、そしてそれからよく考えて、悩んでいこうか」

「は、はい……」

 

 箒は小さく、そしてゆっくりと返事を返した。

 

「まぁ、私からはこの一言だけにしておくよ。色々うるさく言うものじゃないしね。あとはゆっくり姉妹で話しているといいよ。なんだかんだで二人でゆっくり話していないでしょ? じゃあ、私はこれで」

 

 そう言って楯無は部屋を出て行った。

 ここに残っているのは束と箒の二人だけ。この二人は何だかんだでゆっくり話すタイミングが無かったのだ。箒は訓練漬け状態だったし、束は国際IS委員会との会議や資料の整理。戦闘要員三人のISの事についての整備や機能の事などのことで忙しかったのだ。

 

「あはははは……。な、なんか改めてこうやって話すのは恥ずかしいね。話すって言っても、仕事の話しかなかったし」

「そうですね。こうやって面と向かって他愛もない話をするのは何年振りか……」

「今こんな話をするのもどうかと思うけど、IS学園の生活は楽しかった?」

「はい! それは楽しかったと断言できます」

「そっか。うふふ……」

 

 なんたってずっと恋していた彼に再会し、かけがえの無い友達もできた。自分と入れ替わるように一夏と春樹の下にやってきて、いつでも笑顔で元気を分けてくれる凰鈴音(ファン・リンイン)。イギリスの代表候補生で、自分たちのスキルアップの手助けをしてくれるセシリア・オルコット。的確なアドバイスで悪い点も、良い点も指摘してくれる淑女であるシャルロット・デュノア。ドイツ軍のIS部隊、シュヴァルツェア・ハーゼの隊長であり、ドイツの代表候補生。持ち前の指揮能力で自分たちを引っ張ってくれるラウラ・ボーデヴィッヒ。

 この人たちは彼女の中でも最も大事な友達だ。もちろん、クラスの他の皆もかけがえのない友達であるのには変わりない。

 

(そうか……! 私はそんな友達の事を守りたいんだ。ISで人の役に立つことをしたい皆の夢を壊さないように、それを悪用する奴らを倒す。そして、自分の家族も守るんだ)

 

 箒はそういった思いを抱いた。自分の中でふらついていた意思が再び一つの塊となり、固定される。滅多な事ではふらつくことのない、確かな想いができたのだ。

 

「あれ、急に顔が明るくなったね、箒ちゃん。何か思うことがあった?」

「自分の中で……、また新しく確かな想いを抱きました。私は決めました。私の友達の、家族の、笑顔を守りたい!」

 

 その言葉を聞いた束は笑顔を箒に返してあげる。

 自分の大切な妹の“心”が、復活した。確かな意思を持って再び立ち上がった。

 それが姉として何よりも嬉しかった。箒のキリッとした顔は、それこそが彼女の顔である。普段は可愛らしいというよりは、麗しい顔つき。でも笑うととても可愛くて、ついこっちまでも笑顔になってしまう。そんな女性。

 

「うん! そういう顔をした方がやっぱり箒ちゃんは良いよ。絶対に」

 

 束は更に箒と会話を続ける。昔の話から今の話。春樹の事や一夏の事など。

 そんな他愛もない話を続けた。

 そして、この姉妹の絆は、今までよりもより強くつながったような気がした。


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