第九層主街区《カルマ》の転移門付近で荒い息を繰り返している俺に視線が集中する。
心配している目。何があったのかという興味本位な視線。様々なプレイヤーが俺を見ている。
しかし特に駆け寄ってくる影は無かった。
この子供は転移結晶で逃げて来ただけ。なら世話を焼く必要が無いと判断されたからだ。
余程のお人好し以外、いちいち見ず知らずの他プレイヤーを助けて面倒を見る物好きはいない。
SAOの基本は相互利益が期待出来るギブ&テイク。
サーシャ先生やクラインみたいなプレイヤーは希少種に分類される。
「武器、買わなくちゃ」
よって俺も薄情な奴らだとは思わなかった。
逆に今の人間不信具合から、遠巻きに様子を窺うだけのプレイヤーに感謝をするくらい心が荒んでいる。
一人でいる事に不快感どころか爽快感すら抱いてしまい――そんな自分が嫌だった。
戦いに明け暮れ、精神が不安定になり、人間不信に陥る。
以前抱いた最悪の展開に恐怖を感じる。
SAOを通してどんどん変わっていく自分が怖かった。
良い変化なら大歓迎、しかし悪い方なら文字通り害悪でしかないのだから。
(先生に会いたい……でもっ)
操られるようにゆっくりと立ち上がり、魅惑的な考えを実行する寸前になんとか踏み止まる。
まだ先生に会って半日も経っていない。
こんな短時間で訪れたら不審に思われてしまうだろう。
これ以上心配をかけるつもりもなければ、俺の体験談を聞かせてリク達の冒険に支障が出るのも困る。
今はまだ、せめて数日は間を置かなければ教会を訪れる事は出来ない。
「転移――」
数十秒の思考の末に呟いたのは、最前線の階層だった。
◇◇◇
基本的に最前線の転移門がある広場は活気に溢れている。
何故ならここはアインクラッドで一・二を争うほど物流が盛んな階層。必然的にプレイヤーが多く集まってくるのは自然の流れと言えた。
即席パーティーの募集をする者。情報収集に励む者。様々な思惑で色々な人が活動している。
その中でも俺が用のあるのは、最前線で戦う人達に装備品を売る鍛冶職人プレイヤーだった。
「やっぱり人が多いなぁ。まだ十層に到達して二日目だから当然だけど」
職人達にしてみれば今のお祭り時が一番の稼ぎ時であり、固定客をゲットする最大のチャンス。
だからこそ、十六時近い夕暮れ時でも露店が多く開かれている。
人混みの中を歩く俺とポチ。当然俺達に目を付ける奴らは大勢いた。
そんな御馴染みなパーティー・ギルド勧誘は一睨みで回避し、嫉妬や羨望の眼差しは徹底的に無視して歩くこと十分。
ポーションや結晶アイテムをスキンヘッドの色黒商人プレイヤーから買い取った俺は、更に歩くこと五分後、一つの店の前でふと足を止めていた。
誘われるかのように、まるで夢遊病者のような足取りで歩く俺の視線は、ある一つの武器から外れる事が無かった。
「い、いらっしゃいませ!」
耐久値を上げるための砥石に、十個くらいの武器が並ぶシートを敷いただけの小さな露店。
そこの店主は珍しい事に女性だった。
ショートヘアの黒に近い茶髪に、そばかすがチャームポイントになっているお姉さん。
歳は多分アスナさん達と同年代。
しかし、もしかしたらそれより下かもしれない。
核心が持てない実年齢よりも幼く見られそうな童顔の店主は、まだ接客に慣れていないのかぎこちなさが目立っている。
なんというか、身体中がカチコチで色々と余裕が無かった。
販売を始めて日が浅い。
もしくは今日が初めてだと当たりを付けた。
「それ、見せてもらっても大丈夫?」
片手用直剣、細剣と並ぶ斬撃武器の中に一つだけ混じっている短剣を指差す。
一目惚れと言って良い。
一つだけ小さいから、という訳ではない異様な存在感を放つ短剣が気になり、気付けば店の前まで歩み寄っていたのだ。
「もちろん大丈夫ですけど……実は、この短剣は筋力要求値が少々高いのですが……」
「大丈夫。見せて」
外見で判断された事が少しだけ癇に障る。
それでも店側からすれば武器の説明をするのは当然。
生まれた不満は直ぐに気合で鎮静化。
「では、どうぞ」
今までの経験から、大半のプレイヤーが一番初めに関心を抱くのはポチである事を知っている。
けれど店主さんは極少数の例外に分類されるようだった。
視線が俺から離れない。
一挙一動。それこそ深層心理すら暴こうと躍起になって俺を観察する店主さんからは、どこか鬼気迫るモノを感じてしまう。
自分の製作した武器がどんな評価を受けるのかだけを気にしている店主の眼は、鍛冶屋としての熱意とプライドでぎらついていた。
そして絶対の自信と僅かばかりの拭いきれない不安が揺らめいている。
様々な感情が見て取れる視線に晒される中、俺の品定めが始まった。
少しだけ責任重大。
しかし、お世辞を言う気は更々無い俺は、勢い良く鞘から短剣を引き抜いた。
――不満を抱く筈が無いと確信を持って。
「おぉ」
まず初めに目に付いたのが、夕焼けの光に反射する、まるでルビーで出来ているような紅の直刃。
視線を下にずらすと柄尻に紅い宝玉が付いた、握り易そうな漆黒の柄が目に飛び込んでくる。
重いながらも振れない事は無い重量感を腕全体で感じ取る。
シンプルなデザインに赤と黒の絶妙な配色も俺好みだ。
刃渡りは二〇センチ。固有名《黒炎》に心を奪われ、感嘆の声が漏れた。
(これが職人プレイヤーの製作した武器か。他とは空気……いや、オーラが違う)
プレイヤーの作製する装備品は時として販売品の性能を上回る。
NPCの店。トレジャーボックス。ドロップアイテム。クエスト品。
これらでは手に入らないプレイヤーメイドの武具があると聞いている。この短剣もその類に感じられた。
まだこのデスゲームが始まって三ヶ月。
プレイヤーメイドの中でも、この短剣はそれほど上位に位置する武器では無いだろう。
そこまでの武器は現段階で作れる筈も無く、今手に入る金属素材や素材アイテムを考慮しても、おそらく全体で見れば中の下がそこそこの武器までしか製作出来ない筈だ。
しかし、それでも充分。
この階層付近では敵無しと思える程の力強さが、まるで極細の針と化して全身を突き刺すような勢いで伝わってくる。
目の前で「初めて売れるかも……」と呟いて感涙しそうな見た目地味な店主は、鍛冶スキル系統の熟練度が高いのかもしれない。
「……如何でしょうか?」
ずっと黙っている俺に最悪の想像をしたのか、自信と不安混じりの微妙に涙ぐんだ眼差しを向け、固唾を飲みながら調子を窺う店主さん。
ちゃんと武器を持てた事に対する驚きは、とっくの昔に忘却の彼方。
今はもう武器の事しか頭に入らない。
そんな目を彼女はしていた。
「うん、気に入った。性能や装備具合を確かめさせてもらっても良い?」
「はい! その短剣は当店で一番の自信作でして、ここから十層上で売られているだろう装備品と比べても遜色無いと自負しています!」
不安が払拭されたためか饒舌になっている店主さんは、心の底から嬉しいという気持ちを前面に出していた。
見ているこっちも嬉しくなる程の、向日葵を連想させる明るくて極上の笑みが眩しい。
「好きなだけ確かめてください!」
プレイヤーの販売しているアイテムは当然ながら販売している本人が所有権を持つ。
ちなみに現在敷いているシートは販売時専用アイテムとして市販されているもので、この上に乗っているアイテムはずっと外に出していてもドロップ扱いにならず耐久値も下がらない。
路上販売では必須アイテムの一つとして数えられている優れものだ。
使用手順としてはシートをオブジェクト化し、その後にシートの重量制限を越えない数のアイテムをシートに登録する事により、シートの効果を売り物に適用させる、というものらしい。
その分シートの耐久値はそんなに高くないため数日間の使用が限界らしいが、それを差し引いても有能な道具である事は言わずもがな。
そして一番重要な点は、シートに登録したアイテムを他プレイヤーが手に持っても所有権が移らないという点だった。
ちなみにアイテムの所有権は基本的に手に持つか拾う事で決定する。
所有権移行は持っていたリーヴァス・ダガーを例にすると『俺が手放した(地面にドロップした)ダガーをアイツらが奪った(拾った)事で所有権が移行した』という経緯があの流れに隠されていた事になる。
本来なら装備品の所有権が移るのに一時間掛かり、その間に《完全オブェクト化》という所持アイテムを手元で全てオブジェクト化する方法を取ればリーヴァス・ダガーを転移させられたのだが、俺はまだそのシステムを知らなかった。
閑話休題
そして実際に装備しての試し切りなどを許すと持ち逃げされる可能性があるけれど、それを警戒している職人・商人達は意外と少ない。
何故なら販売業とは売り手と買い手に信用があってこそ成立するものであり、そもそも盗難とは全ての職人・商人プレイヤーを敵に回す最大級の禁じ手。
彼らのサポートと恩恵を受けられなくなるデメリットを考慮すれば盗難など愚の骨頂。
信用を失う自殺行為に他ならないのだから。
それが分かっているから。店主さんはシートを操作して黒炎の登録を解除すると、素直に短剣を手渡し、攻撃力の上昇値や耐久値等を口頭でも丁寧に教えてくれる。
(……え?)
しかし俺にはその説明がこれっぽっちも耳に入っていなかった。
新規入手欄に黒炎が加えられた事も確認せず、黒炎を握り締めてメニュー画面を開いたまま凍り付く。
視線はメニュー画面のキャラクターデータに現れた『new』に釘付け。
この光景に非常にデジャヴを感じつつ、震える手で使い魔欄をクリックした。
(種族名、メタルハードスライム……もしかして最後の黒玉!? というより道端に落ちていた石で懐くなよ!?)
可能性があるのは最後に出会った黒玉しか無かった。
そして、よくよく考えてみればポチが無警戒だった事を思い出し、少しでも冷静さを取り戻せなかった自分に腹が立つ。
カーソル・カラーを確かめる時間くらいあった筈だ、と。
(ってことは、かなりやばい!)
もしあの黒玉が新しい使い魔なら、俺は仲間を地底街区に置き去りにした事になる。
使い魔だという事はカーソル・カラーで判別可能だからプレイヤーに狩られる可能性は低いだろう。
しかし俺みたいに気付かなかったり心無いプレイヤーと対峙した場合、狩られる確率は決してゼロではない。
(違う、プレイヤー以前に他のモンスターに殺されることだってありえる)
ステータスの敏捷値を見る限り逃走に優れているとも思えない。
高めの筋力値に武器防御という唯一のスキル、それに見た目が金属構成の身体を考えると、コイツは攻撃よりも防御がメインのモンスターなのは明白。
なら、攻撃力に乏しい仲間のために逸早く合流する必要がある。
部下もとい相棒の身を案じるのは、主人どころか仲間として当然の心配と義務だ。
「ごめん! ちょっと急用が出来た!」
そう判断した俺の行動は迅速だった。
何故なら俺は黒炎を預けられたまま、街外めがけて駆け出していたのだから。
「ちょ、待ちなさいよ! お代は!?」
一〇メートル離れた所で背後から怒声が響き渡る。
俺の奇行と店主さんの大声によって周囲の時間が停止したため、切羽詰った返答は難無く彼女の耳に辿り着いた。
「緊急事態なんだ! 直ぐに戻ってくるから待ってて! お代は帰ってから払う!」
今は一分一秒でも時間が惜しい。
代金を払うことを失念していた俺に掛かる言葉は……やはり辛辣。当然だろう。
「どんだけ緊急なのよ!? お金くらい払っていきなさいよ、このガキンチョっ! 私の最高傑作を返せー! ドロボー!」
素の口調に戻ったらしい店主さんに心の底から謝罪しつつ、唖然としている人混みの間をすり抜ける。
今回ばかりは小柄な体型に感謝する俺は五分足らずで街外へと飛び出していた。
「急ぐぞポチ!」
第十層の地上部にモンスターは出現しない。
あるのはどこまでも続く岩だらけの荒野と、北にうっすらと見える上層へと伸びる迷宮区のみ。
だから俺は主街区から一番近い地底街区に降りる洞窟を目指しながら、安心して手元のウィンドウを操作する事が出来る。
元々オブジェクト化してある黒炎を装備フィギュアにセット。
先程入手した結晶アイテムは腰のポーチへ。
耐久値が下がりつつあるフェルザー・コートをはためかせて荒野を駆け抜けると、次第にぽっかりと大口を開ける不気味な洞窟が視界に入ってくる。
入り口の大きさが二〇メートル程の洞窟が地下世界への入り口だ。
「ああ、大丈夫かな、あいつ」
入り口こそ巨大だけれど長さ自体はそうでもない洞窟内を螺旋通路沿いに降下すれば、直ぐに古代遺跡の入り口に辿り着いてしまう。
洞窟に入り、薄暗い通路を駆け抜けて光が射し込む出口に到達するのに、鍛えた敏捷力を駆使すれば十秒も掛からなかった。
「どこだ……どこにいる俺の使い魔っ!?」
地下世界の地面から天井までの高さは僅か二〇メートル程。
低い天井に窮屈さを感じるも、直径一〇キロに及ぶ広大な面積は圧巻の一言に尽きた。
しかし崖下の視界いっぱいに広がる壮大な古代遺跡の姿に感動している場合ではない。
開きっぱなしのメニューウィンドウから使い魔欄をクリックし、未だに空欄になっている新入り使い魔の名前スペースを叩きつけるようにタップする。
するとウィンドウ画面の使い魔欄が変化し、数秒後には地図が画面に表示された。
アルゴから事前に購入しておいた地底街区のマッピングデータだ。
「距離は近い……か。ここなら五分も掛からない」
まだ全体の七割といったくらいの所々が虫食いのような空白が目立つ地図上に、たった一箇所だけ光点が表示されている。
これがメタルハードスライムの現在地であり、俺達の目的地。仕組みとしてはフレンド登録を交わしてあるプレイヤーの現在位置を知る方法に近いのだろう。
同じ階層にいること前提でテイマーは自分の使い魔の現在地を知る事が出来た。
使い魔は自分の後を付いてくるため必要性を疑問視していたサポートシステムに今ほど感謝したことは無い。
転移結晶の範囲に使い魔が漏れた時を想定してのお助けシステムだったのだろうか。
「ここから最短の道は……」
本来なら崖下へ通じている坂道を下って遺跡に降りる所だが、今は回り道をする余裕も無いのが現状。
なら、俺の進む道はたった一つ。
「女は愛嬌、男は度胸っ!」
ポチを抱え、崖から助走を付けて飛び降りる。
いくら崖から地上まで一ニメートル程の高さしか無く、廃墟の屋根に着地すれば七メートルの落下体験で済むにしても、この高さは普通に怖い。
しかし恐怖さえ我慢すれば最上のショートカットを決行出来る。
僅かな空気抵抗と滞空感を全身で感じて気持ち悪くなりながら、俺はレンガ造りの屋根に着地した。
膝を折って衝撃を吸収。落下の勢いを殺さず、勢いを瞬発力に変えてそのまま駆ける。
舞い上がる砂煙とレンガの欠片が脚力の力具合を示していた。
「ポチは索敵スキルを怠らないように!」
言わないでも名狼ポチなら自発的に行うだろう。
口にしたのは気分だ。
いや、周囲の警戒を怠り注意力が散漫となったためにグルガ達の凶行を許した過去があるので、口にする事で索敵下にあると安心したい、という臆病心があるのも事実だった。
敏捷パラメータが許す限りの全力疾走を続け、履いている茶色のブーツが石畳を強く打ち付ける。
周囲の光景も背後に流れる。切れる風の音が耳元でうねり上げる。
そしてアイゼン・マンティスとの戦闘跡地である広場を横切った所で風に混じって聞こえてくるのは――荒々しい、ポチの威嚇。
「邪魔するなぁあああっ!」
路地裏のような一本道を真っ直ぐ進んで立ち塞がるのは赤い体毛をした犬の死骸。
《ブラッディーハウンド》の襲撃に怒りを抑えられなかった。
その怒りに呼応するかのように俺の横を銀色の影が駆け抜ける。
先行したポチは血まみれ犬に飛び掛り、相手もそれに応じる。
一瞬後、空中で爪と爪とが交錯した。
「ナイス!」
ポチは相手に競り勝ち胴体部分へ一撃を食らわす。
それにより動きが止まるモンスター。二匹に追い付いた俺の右手が閃く。
擦れ違う時に《ウィースバルグ》を叩き込まれたブラッディーハウンドは、瞬く間にHPを全損させると音を立てて爆散した。
(マジか……)
青い光の残滓が残る中を走り抜けた俺の表情に浮かぶのは、驚愕と歓喜。
たった一撃で倒せた事に驚くのは当然ながら、圧倒的な力を魅せられて、心の底から湧き上がる高揚感を抑えられない。
自分が強者になったと錯覚してしまう程の武器性能に惹かれる自分がいた。
身体中に広がり、心を侵食してくるこの気持ちの名は――愉悦。
「ただゲーム画面を見て敵を倒すのとは訳が違う……これがフルダイブシステムの醍醐味ってやつか」
強力な武器を持った事で心的余裕が出来たのか。
戦闘において初めて敵を倒す楽しさと、圧倒的な力を振るう爽快感が心を満たす。
数十分前にモンスターを怖がっていた奴と同一人物とは到底思えない。
不謹慎かもしれない。初めて俺は心の底から戦闘が楽しいと感じていた。
最初の頃に抱いていた元々の目的を思い出し、達成出来た事に笑みが零れてしまう。
「けど、何でだろうな。ホント」
しかし、だからこそ残念でならなかった。
SAOがデスゲームでなかったのなら、これほど楽しくて素晴らしいモノは無かっただろうのに、と。
「……って、馬鹿か俺は、今はそんな時じゃないのに」
調子に乗って力に溺れる者は尤も愚かな人種の一人。
それに今はありもしない妄想に耽っている場合では無いと、速やかに意識を切り替える。
途端、ポチの出す七回の鳴き声が消えかけていた目的意識を取り戻した。
「数が七ってことはモンスターの可能性は低い。たぶん」
おそらく近くにいるのはプレイヤー。
この人数だとパーティーを組んでいる集団だろう。
緊張と焦りで鼓動が速くなり、更に走るスピードも加速する。
そうして路地裏を走り抜け、十字路を右折した俺の目に飛び込んできたのは、
「もしかして――クライン!?」
黒パチンコ玉を囲む、風林火山の面々だった。
◇◇◇
逆立った赤毛に後ろ姿でもバンダナを巻いている事が分かる髪型。
先生を除けば唯一信頼出来る大人達が集まるギルドのリーダーは、俺の驚声を聴いて勢い良く振り返る。
「おう、誰かと思ったらシュウじゃねえかっ! 元気だったか!?」
残りの面子も中央にいるスライムから俺に視線を移し、皆が例外無く友人に向ける笑顔を見せてくる。
別れた時から翳りを見せない笑顔。それを喜ぶ自分がいる。
(……うん、大丈夫。大丈夫だ)
彼らに恐怖は感じない。そして戦闘中の雰囲気も感じられなかった。
武器は抜いているけれど、殺気を帯びているものは皆無。
一先ず仲間が殺される心配が無い事に安心し、そして合流出来た嬉しさで俺も微笑む。
警戒心を解いたポチと一緒に近寄る俺に、クラインは足元にいた相棒を掲げた。
「こんな所で奇遇だな! お互い積もる話もあるだろうがよ。とりあえず見てくれよコイツをよぉ!」
そう嬉しそうに眼前へ持ち上げるのは俺の仲間である黒パチンコ玉。
顔が分からなくて判別はし辛い。
手の中で暴れているのは待ち人である俺に会えた喜びからだと思いたい。
尻尾があるなら千切れんばかりに振っているだろう仕草を見れば、どう見ても無機物にしか見えない姿でも愛嬌があって可愛い奴と思ってしまう。
そう思うと、勘違いしているクラインが滑稽で、少し哀れ。
俺の苦笑交じりの笑いをどう判断したのかは定かでは無い。
しかし自分に都合の良い解釈をしたクラインは、やはり嬉しそうだった。
「見てみろシュウの字! コイツのカーソルは黄色。使い魔だぜ、使い魔っ! まだ飼い馴らしに成功してねぇけどよ、それも時間の問題っつーの? 直ぐに成功してやっから、お前ェも世紀の瞬間をその目で見とけ!」
「あ、うん」
ネタばらしをするタイミングを逃してしまった。
そしてSAO内でも稀少な使い魔を自分も持てると喜んでいるクラインに真実を告げるのが忍びなく、同時にバラした時の反応が楽しみで、笑いを堪えるのもそろそろ限界に近い。
オブジェクト化したパンを持つクラインの援護をしたいのか、または単純に俺と一緒に傍観したいのか、手持ち無沙汰に陥った残りの面子は俺の方に近寄ってきた。
「おい坊主。なんかアドバイス的なのって無いか? テイマーの先輩としてさ」
「せめて好物が何か知れれば良いんですけどね。シュウ君は何か心当たりがありませんか?」
「リーダー! そんなパンをソイツが食う筈ないじゃないっスか!」
色々と意見を求める者。クラインをからかって笑う者。そんな楽しそうな面子に俺は笑顔で告げる。
それはもう、面白さを隠しもしない特上の微笑を持って。
「ソイツの好物はその辺に落ちてる石ころ。な、クロマル?」
俺の二匹目となる使い魔――メタルハードスライムのクロマルは、口をあんぐり開いて顎を落としているクラインの手から逃れると、地面に落ちてゴロゴロ転がり、俺の足に体当たりをかましてくる。
そのじゃれている姿?に手を伸ばし、傷一つ無い綺麗な光沢を撫でてひんやりする感触を味わうこと数秒。
俺の発言がようやく一同の脳に浸透した結果、
『えぇええぇえええええええっ!?』
「なん……だとっ!?」
――ショックで両手両膝を付いてうな垂れているクラインを除く総勢六名の大絶叫が、古代遺跡を揺るがした。
◇◇◇
「いっそ殺せ! ちっくしょぉ、これじゃあただのピエロじゃねぇか!?」
これは浮かれ顔から一転、自分の道化ぶりに頭を抱えて悶えているクラインの言葉。
俺を含む風林火山全員が爆笑して例外無く呼吸困難に陥った後、ようやくダメージが抜けた、もしくは今までの流れを全て無かった事にしたクラインは、恨めったらしい視線を俺に向けてくる。
何度も浴びている嫉妬の視線とは訳が違う、全く不快感を感じない視線を向けるクラインのそれは、もはや特殊能力の類ではないだろうか。
「……つ-かよ! 二体目の使い魔とか、どんだけリアルラックが高ェんだよお前ェって奴は!」
「そうですね、僕もちょっと聞いた事がありません」
俺の頬を引っ張るクラインに同意するように頷いている短剣使いのお兄さんの言葉通り、確かに俺も二体以上の飼い馴らしに成功した例を他に知らない。
実はテイマー自体は少数ながらも他に存在し、その中で俺と同じくらいの知名度を誇っている竜使いの少女もおそらく知らないだろう。
クロマルの顔合わせも兼ねて、今度その少女の下を訪れるのも良いかもしれない。
最後に出会って二週間近く経っている。
それなりに仲が良く頻繁にメッセージを交わす間柄でもあるので、タイミング的にはそう外してもいないと思う。
「鬱陶しいなもう! HP減ったらどう責任取ってくれるんだよ!?」
クラインをぬか喜びさせた事に少なからず負い目を感じていたので甘んじて受けていたけれど、流石に許容範囲を超えた。
ゲームシステム上、痛みは無い。
しかし煩わしいにも程があるのでクラインの脛を蹴り飛ばして距離を取った俺は、そこでふと、彼の腰に吊り下げている武器に気が付いた。
「あれ? クライン武器変えた?」
第六層で別れた時の武器は曲刀。
西洋ではシミターと呼称される刃幅の広い歪曲した刃を持つ武器を得物にしていたクラインは、現在違う武器を腰に差していた。
刃に反りがあるのは同じで。曲刀と呼ばれる程の反りは無い。
そして極端に薄い刀身は、誰がどう見ても――。
「それってカタナ?」
誰でも知っている日本を象徴する武器。
日本刀をクラインは所持していた。
「おう、やっと気付いたか。昨日スキル欄に現れてよ。エクストラスキルのカタナだ。この《月下》もプレイヤーメイドで高かったんだぜ」
エクストラスキルとは特別な条件下でのみ発現するスキルの総称。
このカタナは曲刀スキルから派生する武器スキルで、つい最近所々で聞くようになった新スキルの一つだ。
他には特定クエストをクリアする事で修得出来る体術スキル。両手槍スキルの派生である薙刀スキルもあったりする。
(薙刀なぁ……この情報がもっと早く耳に入っていれば……っ!)
この情報が耳に入った時、俺は真剣に両手槍に鞍替えしようかと頭を悩ませた。
今から戦闘スタイルを変えるのは大変。
短剣の癖が染み付いているため間合い等の勘を取り戻すのも一苦労。
それに俺の筋力値では短剣以上に重い武器を装備するのは厳しいという悲しい理由もあったため、お蔵入りになった計画だけれども。
「いやー、ホント、待ってたぜこの時をよ」
「へぇ、おめでとう。目的が叶って良かったじゃん」
おうよ、と鞘からカタナを引き抜くクラインは、本当に嬉しそうな表情でうっとりした眼差しを薄紫の刀身に向けている。
元々侍に憧れているクラインは、このSAOにログインした時点で極めるならカタナだと決めていたらしい。
何でも『漢なら黙って刀。侍は漢の夢』という信条を持っているようで。
薙刀を愛用していた俺と壮絶な討論会を酒場で繰り広げたのは記憶に新しかった。
「スキルか……そういえば」
スキルの話題で思い出した事が一つ。
それは先程レベルアップした時の獲得ポイントをステータスに振り分けていなかったという点だ。
アスナさんと出会い、別れてから、まだ二時間程しか経っていない事実に少し驚きながらメニューウィンドウを呼び出す。
そしてポイントを振り分け、ついでにスキルの熟練度数を確かめようと画面を開いた俺は――後のアイデンティティーとなるスキルと対面を果たした。
「ねえ……クライン」
「あん?」
震える声を漏らした俺の視線と、クラインの怪訝そうな視線が交差する。
俺の声の質からナニカが起きたと判断したメンバーも、ポチ達と戯れるのを止めた。
その只ならぬ雰囲気が漂う中で俺が口にしたのは、
「――《魔物王》ってスキル知ってる?」
未知のスキルの名前だった。
◇◇◇
魔物王。
明らかに異質なスキル名にクライン達も言葉を失った。
しかし、一番驚いているのは俺だ。
数時間前に確認した時点では存在しなかったスキル。
もし以前からあったのなら気付かない俺は脳外科にでも行った方が良いだろう。
そう自虐してしまう程の存在感を放っていた。
「しゅ、出現条件は!?」
「さあ? 何だろ……やっぱりコレもエクストラスキルなん?」
MMO初心者な俺に当たり前だと頷く廃人の人達。
ここ数時間の内に発現したもので。今までの大まかな行動なども全員に説明してから、俺達は大通りのど真ん中で長いシンキングタイムに突入。
ポチが警戒しているからこそ、こうして思考の海にダイブしていられるのだ。
魔物王という名前。
そして俺の今までの行動から考えると、
「おそらく出現条件は二体以上の飼い馴らし成功、というところでしょうね」
「やっぱり?」
風林火山の参謀的存在の短剣使いさんも俺と同じ推理だった。
そう、他に何かこれといったイベントは無かったので、この説が濃厚。
飼い馴らしイベントは小型モンスターにのみ発生するイベントであり、その小型モンスターを殺し過ぎている場合には発生しないと言われている激レアイベントだ。
初対面のモンスター相手に飼い馴らしイベントが発生する確率は〇.一パーセント以下、下手したらそれ以下とも言われているため、二体目の使い魔所持など早々起きないだろう。
つまり確かめる術が現時点で存在しない。
これは面倒な事態だ。
「このスキルの存在はまだ内緒にしといて。……お願い」
「……そーだな。今はそっちの方が良いだろ」
これ以上有名になって嫉妬の対象になるのはゴメンだという意図を正確に察してくれたクラインに、風林火山の人達も同意の言葉を述べてくれる。
本当、持つべき者は友達だ。
しかしその見返りとして、クラインはどうしても気になる事を訊いてくる。
「でもよ、そのスキルの効果くらいは教えてくれんだろうな? このままじゃ気になって夜も眠れねぇ」
「そんな精細な神経してるとは思えない……って馬鹿、手を出すなよ! クラインってば体術スキル修めてるだろ!? 手が光ったぞ手が!?」
「はン! 生意気なガキにお仕置すんのが大人の役目なんだよっ!」
「お仕置きの程度を考えろ馬鹿! オレンジになる気か!?」
このまま口喧嘩に発展しそうになった俺達は周囲の面々に取り押さえられた。
説教を受けたのは俺も同じだけれど、主に大人なクラインが『子供相手にマジになるな』と皆から説教を受ける事になる。
正座をしているクラインを尻目に、左手でクロマルを撫でながら魔物王スキルをワンクリック。
ポップアップメニューからヘルプを選択し、現れた説明文に意識を集中させた。
【このスキルを選択することで、プレイヤーは任意発動技以外で以下の効果を常時受ける事が出来ます】
・飼い馴らしイベント発生確率の上昇
・飼い馴らし可能な小型モンスター32種に中型モンスター28種を加えた、飼い馴らし可能モンスターの増大
・飼い馴らしイベント中の成功補助
俺はSAOに存在するスキルには大別して二種類あると考えている。
ソードスキルのように任意発動するものと、忍び足スキルのような常時発動しているスキルだ。
そして片手用直剣の初期スキルである《スラント》のように魔物王スキルにも初期から使用出来る技があった。
その名は《意思伝達》。
以上の事から、このエクストラスキルは二種類の中間に位置するスキルだと判断出来る。
(意思伝達……名前からして使い魔交信スキルと同じような感じだよな、きっと)
もしかしたら魔物王とは複数ある使い魔専用スキルを複合したスキルなのかもしれない。
その考え通りなら、これはかなり儲けもの。
これ一つで専用スキル全てを賄えるのなら存分に自分自身の強化に努める事が出来る。
しかしこのままでは憶測の域を出ないので、今の使い魔交信スキルを破棄して魔物王スキルをスロットに入れる案は一先ず保留。
レベルが19という事もあり、20に達してスキルスロット上限が増えてから魔物王スキルの意志伝達を確かめる事に決めた。
予想通りなら使い魔交信を破棄して別のモノを入れれば良い。
(ここまでスキルの変動が激しいプレイヤーもいないんだろうな)
優柔不断ではない。
単に巡り合わせの問題だと言い聞かせる。
説教が終わった面々に、俺はスキルの詳細を話した。
「ほう……なんかよ、もういっそのこと、武器を短剣から鞭にでも変えた方が良いんじゃねぇか?」
「魔物使いだからなのかサーカス団をリスペクトしてんのか分かんないぞ、それ」
「まあ、キャラ付けなら既に充分だもんな、ニーヴァのショタっ子」
「そのあだ名は止めろクライン!?」
レアスキルを手に入れた俺に冗談と嫉妬の混じった悪口を浴びせてから、しっかりと秘密を約束してくれたクラインを殴る俺。
その後にこれからどうするのかを訊ねてくるが、答えをもう用意していた。
「しばらく地底街区にいる。早くレベルアップしたいし、クロマルとのコンビネーションや武器の性能も見ないといけないから」
「だったらよ、完全に日が暮れるまで一緒に行動しようぜ。お前ェもジュエリーラットを狩りに来たんだろ?」
やはりクラインに誘われる分には不快感や恐怖を感じない。
ポーションを売ってくれた商人プレイヤーには平常心を保ち、勧誘をしてきた奴らには恐怖を感じてしまった俺の心。
おそらく俺のこの不安定な心は、長期間一緒にいる可能性があり、あちらから近寄ってくる見ず知らずの大人プレイヤーに対してのみ反応するのだろう。
だから自分から近寄って行った商人には何も感じなかったし、黒炎を売ってくれた高校生くらいの店主さんには――。
「――やばい、忘れてた。早く街に戻らないと……」
クロマルとの合流と魔物王スキルという衝撃的な出会いがあったため、綺麗サッパリ頭の中から彼女の事が消えていた。
もしこのまま忘れて数時間経っていたらと思うと目も当てられない。
主街区を出てから一時間くらいしか経っていないので直ぐ戻れば許してくれるだろう。
そうだと思いたい。
「ごめんクライン! 用事を思い出したから直ぐに帰る! 縁があったらまた会おう!」
簡単な挨拶を一方的に告げてから、ポチを侍らせてクロマルを両手で抱えた俺は全力疾走。
陸上選手も真っ青なスピードでモンスターとのポップを回避しつつ主街区に戻る。
そんな俺を待っていたのが、額に青筋を浮かべ、腕を胸の前で組んで仁王立ちをしていた店主さんだったのは言うまでも無い。
本来なら《神聖剣》と《二刀流》以外のユニークスキルは90層からの解禁らしいのですが、この話では違います。
ご了承願います。