電光石火。
そんな言葉が相応しいほど、瞬くまに敵を瞬殺してみせた彼女に言葉が出なかった。
あまりの驚きに先程まで感じていた恐怖も忘れてしまう。
絶体絶命のピンチに颯爽と駆け付けた閃光の女剣士。
スケルトン・マーダーを難無く倒した実力、剣技、上位プレイヤーが放つ威圧的な雰囲気から、彼女は十中八九攻略組の一人だと思われる。
――狂戦士みたいになるな
未だ正常に働かない不安定な思考の中、以前キリトに教えてもらった言葉が脳裏を過ぎった。
確証も無ければ根拠も無い。
だけど俺は彼女がそうだと直感的に察してしまう。
モンスターと対峙した時の彼女には、確かに鬼気迫るモノがあったからだ。
(でも……)
俺から見れば、狂戦士(バーサーカー)じゃなくて戦乙女(ヴァルキリー)の方が似合っていると思う。
容姿と気迫を考慮してみても、それしか思い浮かばない。
「大丈夫……じゃないよね。待ってて。今、解毒ポーションを出してあげるから」
出現させたウィンドウを右手で操作し、ついでに綺麗なロングヘアを靡かせながら歩み寄ってくるお姉さん。
しかし、彼女が近寄る前に駆け寄ってくる小さな影があった。
「――っ!?」
「待っ、……ち……が……っ!?」
俺の叫びは咄嗟にレイピアを抜いて臨戦態勢に入ったお姉さんに対するものなのか、それともHPを危険域に突入させながらも俺を守ろうと彼女に立ち塞がったポチに対するものだったのか。
おそらく両方だ。
痺れて動き辛い身体を無理矢理動かし、震える声で必死に叫ぶ。
そして、ここには出現しないシルバー・ヴォルクを俺の使い魔と判断した彼女がレイピアを収めたのと、両足と腕に力が入らず前方に向って俺の身体が傾いたのは全くの同時だった。
舌打ちをする暇も無い。ポチを巻き込むような形で抵抗空しく倒れこむ。
――その時、一陣の風が吹いた。
「ダメだよ。まだ無理に動いちゃ」
疾風のように走り寄った彼女の敏捷力を見せ付けられ、否応無しにトッププレイヤーとしての実力を見せ付けられる。
幸いな事に地面とキスする寸前に抱きすくめられ、仰向けにされた俺を秀麗な顔が覗き込んだ。
ポチはちゃっかり押し潰されるのを回避しており、安堵している彼女の手には解毒ポーションが握られている。
「大丈夫。もう怖いモンスターはいないから、落ち着いて」
彼女の言葉はどこまでも柔らかい。
鉄仮面みたいな無表情と心地良い優しさが同居するという酷くアンバランスな表情だったけれど、その顔はとても綺麗で、失礼な印象を相殺して尚、お釣りが来る程の優しさと美しさが溢れ出していた。
その女神然とした顔を見て、自然と頬が紅潮する。
しかし、それは二人羽織に似た体勢でポーションを飲まされている現状と、モンスターに襲われてパニクった子供と看做されて、しかも年長者又は保母さん気分で宥められ、まるっきり弱々しい子供扱いされている事に対する恥ずかしさからくるモノだと判断する。
「はい、ゆっくりで大丈夫だから。ね?」
その言葉を無視するように、俺は照れを誤魔化すために荒々しくポーションを呷った。
先生やミナ、姉ちゃんと触れ合う時とはまた違う、このモヤモヤとした理解出来ない恥ずかしさから湧き出る感情を、俺はまだ知らない。
「……助けてくれてありがとうございました」
身体中に浸透しているようだった麻痺の感触が抜け、どう致しましてと言っているような柔和な顔を下から見上げる。
ついでに頭上にあるHPバーから緑の点線が消えたのも確認しつつ、自由に動くようになった右手をポーチにねじ込んだ。
そして、中から取り出したのは結晶アイテム。
但し、色は転移結晶とは似ても似つかないピンク色。
「ヒール」
呟くと手の中のクリスタルは直ぐに砕け散り、HPはゲージいっぱいまで満たされる。
HPを全回復させる回復結晶の効果だ。非常用に準備しておいた自分を褒めて、身近にあった死の足音が遠退いた事に心の底から安堵してしまう。
それから、
「ポチ」
名前と同時に言葉に乗せるのは感謝の想い。
瀕死の状態で勇敢に立ち向かってくれた相棒に最大級の感謝を捧げ、ポチを抱いてフサフサを堪能しながら回復ポーションを飲ませてあげた。
美人にもたれ掛かる子供が愛玩小狼を抱きしめる。
背景が古代遺跡ではなく家の中で、戦闘服や武器が無ければ、かなりほのぼのとした図に見えたに違いない。
「ふふ。その子、可愛いね」
いつの間にかお姉さんの両手が俺のお腹に回される。
先程までの氷のような表情は見事に溶け、どこか満たされるような安らぎの表情を彼女がしている事も、このほのぼの感に拍車を掛けた。
ポチが回復するまでの僅かな時間に訪れた癒しの一時。
お姉さんはほのぼの風景を見て、その雰囲気を肌で感じて、どことなくリラックス状態。
しかし俺が感じているのは全く逆。
(うわ、やばっ、何でっ)
この気持ちは、おそらく緊張。
コート越しに感じる両手の体温。軽量重視で装甲の薄いライトアーマーを飛び越えて、お姉さんの心音が伝わってくる気がする。
所詮は偽物、しかし、どこまでもリアルな『人』を感じ、俺の心臓は早鐘を打ち付けていた。
嬉しいのに恥ずかしい。
今まで感じた事の無い奇妙な体験が身体を支配する。
「あの」
「……っ!? ……ごめんね」
驚き、そして少し名残惜しそうにしながら俺の拘束が解かれる。
その反応を見て、ふと思う。
この狂戦士と呼ばれるお姉さんは俺と同じなのではないかと。
ゲームからの脱出を望み、他人任せにするのは嫌で、誰かのゲームクリアを待っていられないから、過酷なレベリングを自分に課して攻略に励む。
しかし戦い続けるだけの毎日は精神を消耗させて不安になってしまう時があるから、救いを求めようと、この押し寄せてくる恐怖をどうにかしようと、つい安心を得るため人の温もりを欲してしまう。
俺が極限状態に陥っていっぱいいっぱいになった時、助けてくれたのは先生の慈愛に満ちた言葉と触れ合いだった。
誰だって不安や疲労は蓄積する。
だから俺は癒しを求めて家族の下を訪れた。
今、このお姉さんは俺と同じ状態なのではないか。
攻略と戦闘時に感じる不安。精神の疲れ。それらで磨耗した心を癒すために、助けてもらいたいから、人を求める。
おそらく無意識だったのだろう。
自分のしていた行動に驚いているお姉さんからは、どこか同類の匂いがした。
(……まあ、だから何だって話だけどさ……)
同じような不安を感じている人なら沢山いる。
お姉さんも俺も、そんな大勢の中の一人に過ぎない。
名残惜しい気持ちは分かる。
人との触れ合いが多大なセラピー効果をもたらす事も体験済み。
特に子供との触れ合いは母性本能を擽り、女性にとって一番の癒しになる場合がある、というような話をテレビで聞いた事があるので、俺がポチをセラピードックとして扱っているように、お姉さんが俺でメンタルケアを図っていても不思議は無い。不
本意ながら俺の容姿は姉ちゃんやミナ曰く女性受けする顔らしいから。
(だけど……ね)
目先の休息に現を抜かしていられる状況ではない。
確かに少しの間だけ手を繋いであげる事くらいは出来る。
しかし、それを自ら行うのは恥ずかしいし、お姉さんの目的や俺の状況を考えると悠長に構えてもいられない。
今は時間との勝負だからだ。
ゲーム攻略を第一目標に掲げるプレイヤーとして、戦場にいるからには休息よりも目的を優先するのは当然。
「改めて、助けてくれてありがとうございました。俺はシュウ、コイツは使い魔のポチ。本当に、ありがとう」
ポチを抱えた状態で頭を下げている俺に手が乗っかる。
女性特有の柔らかさと、温かさ。
ぎこちない手付きで頭を撫でてくるお姉さんの表情は、やっぱり優しかった。
今の表情と仕草なら、誰も彼女を狂戦士だなんて呼ぶ事は出来ないに違いない。
「私の名前はアスナ。偶然君を見つけたんだけど、間に合って良かった」
アスナ。
この名前は記憶喪失になっても忘れない。なんたって恩人の名前なのだから。
そして自己紹介も簡単に済ましたアスナさんから発せられる、次第に広がっていくのは、強者としての刺すような空気。
「シュウ君。ここには麻痺毒を使うモンスターがいるの?」
アスナさんの目は真剣過ぎて、剣呑さが増して少し怖い。
しかし、それだけ重要な事だからこそ、愛想については二の次。
重要な事を見逃さずに情報提供を求めてくるとは、流石は攻略組と呼ばれるトッププレイヤーなだけの事はある。
「分からない。でもさっきのはプレイヤーからの攻撃」
悔しさに唇を噛み締め、ああなった訳をアスナさんに説明する
話ながら予備のシルバーシャツと無くなった愛剣の代わりとして以前使っていたシルバー・ダガーを装備し、そしてフレンド登録してある情報屋のアルゴという人物にグルガとその一味の情報を送りつける。
その間、話すにつれ心底胸糞悪そうな表情をするアスナさんが印象的だった。
「もし会ったら気を付けて。他に何を持ってるか分からないから」
「うん。……それと、シュウ君はこれからどうするの?」
一応今後の行動予定を聞いてくるアスナさん。
しかし転移結晶を持っているのかとついでに訊ねてくるので、アスナさんは俺が直ぐここから離脱すると決め付けているのは明白だった。
正直言えば、俺もそうしたい気持ちでいっぱいだ。
武器強化を繰り返した特製リーヴァス・ダガーは既に喪失したため攻撃力に不安が残るし、トラウマが蘇った俺が、モンスターと対峙して今まで通りに戦えるかも怪しい。
そう、ここにアスナさんがいなければ、俺はさっさと調整のために最後の転移結晶で下層へ向っていただろう。
「アスナさんを手伝う。ジュエリーラットを狩りに来たんでしょ?」
アイツらの中に索敵スキルを習得している者がいなければジュエリーラットがまだ近辺に潜んでいる可能性がある。
それほどジュエリーラットは素早く、隠蔽スキルは高い。
あの出来事からまだ五分と少ししか経っていない今ならジュエリーラットが近くにいる可能性は充分だ。
それは同時にアイツらが近くにいる事も意味しているが可能性は低いと睨んでいる。
アイツらが言った五分間。
それは麻痺毒の効果持続時間であると同時にアイツらのタイムリミット。
武器を奪った相手が動き出す時間帯に、まだ犯行現場付近に残っているとは考えられないから。
普通ならこれ以上の接触を避けるために逃げる筈。
武器強化済みのリーヴァス・ダガーを売るだけでそれなりの収入になるから、例えジュエリーラットを倒せなくても引くに違いない。
確かに殺人を辞さない人格破綻者なら返り討ちにするため残っている可能性もある。
しかし俺を殺さず麻痺させるに留めたアイツらは、そこまで堕ちていない。
本音を言えば、堕ちているとは考えたくない、が正しいが。
「俺のレベルは18。邪魔にはならない」
攻略組からすればかなり高いとは言えないものの、低いとは言えない俺のレベル。
実際、ここで活動するには充分なレベルだ。
それでも賛同してくれないアスナさんを納得させるため、俺は手持ちのカードを口にした。
「アスナさん、索敵スキルは?」
「……使えない」
「なら役に立てる。俺じゃなくてポチが、だけど」
ポチを地面に下ろし、自発的な索敵を行う前に初めて俺から索敵発動の指示を出す。
広範囲な索敵で近くにいるかもしれない標的を虱潰しに探そうという作戦だ。
そしてポチが反応を示したのは二ヶ所。北東に一匹。南に二匹。
ここは、
「俺はジュエリーラットを見つけて、倒す手助けをするだけ。経験値とかは全部アスナさんにあげる。助けてもらった恩返しがしたいんだ」
向かうのは北東だ。
隠れ、逃げるのに特化したジュエリーラットが他のモンスターと行動するとは考えにくい。
隠蔽スキルの使えない又は精度が低い奴と行動しては、隠れる意味が無いからだ。
「でも……」
「アスナさん。お願い」
困ったように視線を泳がせるアスナさんを真摯な眼差しで見詰める。
結局先に折れたのは、この美しい女剣士の方だった。
仕方が無いというニュアンスを含んだ溜め息を見て、無意識の内に小さくガッツポーズを取ってしまう。
「しょうがないなぁ。うん、分かった。お願いします。正直言うと、一人で来たのは間違いだったかなって思っていたところだったの」
「りょーかい。お願いされました」
先程まで怯えていた子供を戦場に駆り立てさせるのは忍びない、けれどこの子の力を借りるのが一番効率が良いのも事実。
なんて考えが表情に出ているアスナさんは俺達の後を歩いている。
アスナさんの気遣いは嬉しい。けれどもやはり不満は感じてしまう。
しかし心情に惑わされず経験値稼ぎに執着する攻略の前準備であるレベルアップに力を入れる姿には好感が持てるし、親近感が沸いた。
その姿を狂戦士と揶揄する人はいるけれど、その熱意は評価すべきだと思う。
(まあ、それでも無理がたたっているのは明白だから、反面教師の意味合いも強いけど)
どちらにしろ彼女を見て学べる事は多いから、短い間でも一緒に行動するのはメリットがある。
それに、もうちょっと彼女と一緒にいたいという想いもあった。
「アスナさん、隠蔽スキルは?」
「ごめんね。それも持ってないの」
なら作戦は決まった。
隠蔽スキルの使える俺が接近して捕獲。
それをアスナさんに差し出すというシンプルなもの。
ジュエリーラットは弱いので俺が攻撃すると一撃死してしまうから、捕獲という選択肢をとるしかない。
小型で攻撃力が無いモンスターだからこその作戦だ。
小道や袋小路でも無い限り、アスナさんの方に追い込むのは難しい。
脳内で作戦やシミュレートをしている間も歩き続ける。
そして見えてきたのは、
「アスナさん、アイツのこと知ってる?」
「知らないわ。あんなモンスターは見たこと無い」
生憎とポチの索敵にかかったモンスターは目当てのモノではなかった。
朽ちた噴水がある広場内を移動しているのは、大きさが二メートルの金属のような光沢を放つ黒いカマキリ。
身体との対比が可笑しいくらいの大きさを誇る二対のカマを持つ巨大な虫は、まるで杖を付く老人のように石畳を振動させながら歩いている。
アンデッド系モンスターが多い地底街区の中で、コイツのようなそれ以外のモンスターは珍しい。
おそらく情報が広まっていない未知のモンスターを前にして、俺達に緊張が走った。
しかし、
「よし俺一人でやらせて。危なくなったらお願い」
「そんな……っ!?」
レイピアの柄に手を掛けたアスナさんに一言だけ告げて、反論してくる前に一人でカマキリに歩み寄って行く。
ポチの手は借りない。これはリハビリなのだから。
あのような恐怖体験をした後でまともに戦えるか。PTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかっていないかを確かめるための戦闘。
もしこれで支障が発覚したとしても、それでも俺の選択は変わらないだろう。
恐怖を克服するまで戦い続ける、徹底的な荒療治。そうしなければこの先戦っていけない。
これまでの努力が、旅立ちの日に魂に刻んだ決意が、ゲームクリアに掲げる想いが、全て無意味なものになってしまう。
そんな展開は死んでもゴメンだ。
(今なら俺の安全は約束されたようなもの。チャンスは生かさないと)
もし危なくなってもアスナさんなら助けてくれる。
確かにアイツは知らないモンスター。
それでもアスナさんがいるなら二人がかりで何とかなるだろう。
それに今後攻略組として迷宮区で活動する時、未知のモンスターと戦うのが当たり前になってくる。
情報無しモンスターとの初戦闘で、これ以上好条件な舞台は早々無い。
(それにさ、実力を見せたら同行を納得してもらえるし)
そして何よりよりカッコ悪いところを見せるのは死んでもゴメンなので、普通に闘志が漲ってくる。
「勝負っ!」
視線をカマキリに集中してターゲットを自動でロックさせ、対象の名前を視界に表示させる。
《アイゼン・マンティス》。
直訳すれば鉄のカマキリ。
敵が気付いて振り向くと同時に、腰からシルバー・ダガーを引き抜いて地を駆けた。
俺達が交戦状態に入るのに三秒も掛からない。
金属を擦り合わせるような奇声を発するアイゼン・マンティスが右の大鎌を振り被る。
その鋭利な刃物を見て、その場で急停止。
鼻先数センチ前を大鎌が横一文字に放たれ、強風が前髪を凪いだ。
(……くっそっ! 俺の臆病者!)
思わず自分自身を罵倒してしまう。
振り上げられた鎌を見た瞬間にフラッシュバックしたのは、あの時の一コマ。
錆に塗れた大剣。巨大な骸骨。失われ、申し訳程度に残った赤いHP。
急停止したのは狙ってやった事では無い。
一瞬だが恐怖で足が竦み、突進を躊躇ったため、たまたま目の前を大鎌が通過しただけに過ぎない。
ダガーを握る手も震えている。息も荒い。たった一度死に掛けただけで臆病になってしまった自分が憎かった。
命のやり取りという違いはあれど今の自分の不甲斐無さは、現実世界の道場で強面の大人の振るった根や薙刀に平然と立ち向かっていたプライドを深く傷つける。
――過去の思い出を糧に引き篭もり、今に絶望して弱音を吐くだけの弱い心は、《はじまりの街》に置いてきたというのに。
「だぁあああああっ!」
俺はこんなに弱い人間じゃない。
悔しくて流れそうになる涙を堪え、今の自分を否定するために一歩を踏み出す。
体当たりをする勢いで巨大カマキリの懐に潜り込み、半分以上八つ当たりで、握り締めたダガーを胸元に叩きつけた。
鮮血の代わりに紅い光が零れ出す。
その攻撃に怒り、怨敵として補足されたのが雰囲気で分かった。
恨みの奇声を上げているカマキリは宙を薙いだ右鎌を引き戻しつつ左鎌を大きく振り上げている。
そんな攻撃を食らってなんていられない。
左鎌を脳天に叩き込まれる前に、身体を蹴りつけた反動で危険地帯から離脱した。
(やれる……やってやる!)
このシルバー・ダガーは第六層でポチと出会う前に購入したもの。
攻撃力はリーヴァス・ダガーに劣り、今の一撃で削ったHPは全体の一割に過ぎない。
しかし、だから何だ。
ダメージは与えられている。なら相手の攻撃を掻い潜り、攻撃を九回以上当てれば良いだけの話。
ソードスキルを使えば更に倒すのは速くなるだろう。
「俺はお前なんか簡単に倒せるんだ!」
最初の一歩を踏み出した後は思ったよりも楽だった。
湧き上がった恐怖を意地とプライドで消し飛ばし、再度両鎌の攻撃を掻い潜って接近した俺が放つのは、短剣ソードスキルの二連撃技《ラインエッジ》。
敵の胸に漢数字のニのような光が迸り、衝撃で身体を硬直させる。
その隙を逃さず、次に放つのはアッパーにも似た斬撃《ライドスラッシャー》。
その後も続く、ヒット&アウェイが基本スタイルの俺らしからぬ連続攻撃の数々に、アイゼン・マンティスは徐々に命を減らしていった。
キリトの強さ、アスナさんの連続攻撃の速度に憧れた俺は、もしかしたら他人の影響を受けやすいのかもしれない。
思い出したかのように再起動したアイゼン・マンティスのHPは、もう二割も残っていなかった。
「これで終わりだぁああああっ!」
弱い自分と決別するためと、この戦闘の終わり。
二重の意味でしっかりと宣言する。
一度離れて距離を取り、死神の鎌にも似た凶刃が振り下ろされる前に大地を蹴る。
僅かに土埃が舞い、切っ先が石畳を砕く頃にはもう、敵の懐に俺の姿はあった。
単発重突進技《ウィースバルグ》。
得意技を放ち、爆散したモンスターの成れの果てである光の欠片に包まれながら、俺は満足げに勝利の雄叫びを上げた。
◇◇◇
思わぬ敵との遭遇だったが、それが功を成したのか改めて同行を進言してもアスナさんから反対意見は無かった。
上手く実力を示せた事にホッと胸を撫で下ろす。
同時に、ちゃんと戦えた事にも安堵した。
これなら大丈夫。俺はちゃんと戦っていける。俺は強い。
暗示のように言い聞かせることで自信を身に付け、裏付けのようにモンスターを屠る事で根拠に肉付けをする。
その後は約十分の散策で二回ほどモンスターとの戦闘を行い、難無くそれを二人で撃破すると共に俺のレベルも上がって19になった。
そして、ついに大勝負の時が幕を上げる。
「……アスナさん。多分、あそこにいる」
ポチが索敵で示した場所は、俺が助けられた場所から北に五〇〇メートルほどの地点。
俺は目の前にある廃墟を遠巻きに見つめ、側にいるアスナさんが緊張で息を呑む。
廃墟、そう言ってはいるものの、一〇メートル先にあるモノは家の残骸に近い。
屋根は無く、全体の1/4ほどしか残っていない石壁が苔に覆われて聳え立っているだけ。
窓や玄関といった上等なモノも無く、どこからでも入り放題だ。
当然中は丸見え。それなのに、敵の姿は見えない。
一分ほどじっと待っていても、モンスターが徘徊する気配無し。
動かず、丸見えの廃墟の中でボロボロの小さな壁に隠れていられるほどの小さなモンスターなど、体長が一〇センチほどのジュエリーラットしか脳内データに該当する奴は存在しなかった。
という事は、アイツらは狩りに失敗した事になる。
オレンジカーソルの者は《圏内》に入る事を避けるので少なくともグルガは当分フィールドや治安の悪い町で過ごす事になる。いい気味だ。
「行ってきます」
「気をつけて。無理はしなくていいからね」
頷き合ってからゆっくりと身体を物陰から出し、今までで一番の抜き足差し足で忍び寄る。
あくまでジュエリーラットで脅威なのは敏捷力と隠蔽スキル。索敵はそこまで高くない。
あの時ファーストアタックに失敗したのはたまたまだ。
それは分かっていても、同じ失敗は繰り返したくないので歩みも自然と慎重になる。
八、六、四メートル。
近付くにつれ大きくなる心音が耳に絡む。
緊張で喉はカラカラ。
それでも足を止めず残り二メートルまで距離を詰めた時、腰までの高さしかない壁の死角から小さな物体が飛び出した。
「おっと!」
意識してやった事ではない。
視界にカーソルが表示された瞬間、半分以上勘で右に跳び、右手を一閃させる。
予期せぬヘッドスライディングをして石畳を転がって煙を立てた俺の手には、輝く宝石達が散りばめられた綺麗なネズミが握られていた。
「って、ヤバい!?」
ジュエリーラットがもがき、暴れ、掴んでいた長い尾が手の中を滑る。
するり、しゅるり、完全に手から抜ける前に、後方向かって力いっぱい放り投げた。
「アスナさん!」
声をかけるまでもなくアーチ状に宙を舞う獲物を閃光が襲う。
細剣の基本技《リニアー》。
簡単な、しかし鍛えられた敏捷力から繰り出される最速の刺突は、正確無比な精度で小さな身体を串刺しにした。
呆気なく命を散らした小動物は光と化し、続いてレベルアップを告げるファンファーレが鳴り響く。
俺が直接倒した訳ではない。
しかし、ジュエリーラットを倒せた事に確かな達成感を感じていた。
しかもそれがアスナさんのためになったと思えば喜びも倍増だ。
(やった……この層に来て良かった)
確かにこのダンジョンでの狩りは新たなトラウマと言っても良い。
それでも彼女との出会いを、この一時的な共闘を、神に感謝したい。
満足そうな顔を見れば、超貴重な経験値獲得チャンスを逃した事も全然後悔しなかった。
「アスナさん、レベルアップおめでと……う?」
急に出現したウィンドウ画面に面食らい、そこに表示されたものを見て驚愕する。
現れたのはトレード・ウィンドウ。
一方的に贈られてきたのは夢の中でも拝んだことの無い大金と、聞いたことも無い素材アイテムの数々だった。
送り主は、
「アスナさん!?」
獲得ポイントをスキルに振り分けていると思ったのにウィンドウを開いていたのはこのためだったのかと、口を大きく開けながら呆けてしまった。
そんな俺に女神のように美しい声が掛けられる。
その感謝に満ちた言葉が。
「お礼だよ。ジュエリーラットを倒せたのは君のお陰だから」
「でも……っ!」
「私は経験値だけで充分。コルやドロップアイテムはシュウ君が貰って。ね?」
それでは恩返しの意味が無い。
そう咄嗟に飛び出そうになった言葉を無理矢理飲み込む。
彼女の善意を無駄にするのは嫌だという思いもあるけれど、何より頑固そうな笑顔を見せているのでこの問答がループすると理解させられたから、こっちから折れるしかないのだ。
正直言えば、このお金で装備を新調出来るし教会に仕送りをしてもお釣りがくるので不満などある筈が無い。
しかし、これでは恩を返せた気になれないのもまた事実。
(つまり、俺が心の整理を付けるしかないのか……ハァ……)
結局、そう結論付けた。
「……ねえ、シュウ君。私とフレンド登録しない?」
「え? ……まあ、良いけど……」
唐突な申し出に素っ気無い態度を取る俺。
けれど心中では喝采を上げているのは内緒だ。
どう切り出そうか考えていただけに、この展開は望むところ。
攻略組と交流を持つメリットは大きい。
情報だけなら金次第で手に入る。しかし迷宮区での注意事項や場の空気なんかは、直に足を運んだ事のある人しか明確に教えてもらえないからだ。
それに将来的に攻略組に入る者として、入る際にボス戦や会議参加の便宜を図ってもらい、攻略組での暗黙のルールなど、色々な事を訊いて頼れるのが凄く助かる。
なによりアスナさんと個人的な繋がりを持てたというのが嬉しかった。
キリトの時は固執しなかったのに、この嬉しい気持ちは自分でも驚きだ。
「登録完了。それじゃあ、俺はもう行くから。身体には気をつけて、無茶はほどほどに」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
ソロで活動する俺と、心を殺して攻略とレベリングに没頭するアスナさん。
どちらが無理をしているかと訊かれれば、正直、五十歩百歩感が否めない。
俺達は似たもの同士だ。
違うのは自分を追い詰めているかいないかの違いだけ。
しかし精神的な疲労が大きかったのか、最初に比べてアスナさんの表情は柔らかくなっている気がする。
強迫観念に駆られているような硬い表情は、今の所目立たなかった。
「そうだ。ねえ、シュウ君、私達と一緒に行動しない?」
「……遠慮しとく」
――それだけを告げて、俺はポチと一緒に走り去った。
◇◇◇
「悪いことしたなぁ」
ポチと並走しながら先程の冷たい反応を思い出して自己嫌悪に陥ってしまう。
実際、アスナさんと行動するのに問題は無い。不満なんてある筈が無い。
ソロの道を進もうという決心を揺さぶる魔力が彼女の言葉には込められていた。
それでも拒んだのは、
「私『達』だもんな。アスナさん、どっかのギルドに入ってたんだ……」
索敵や隠蔽を持たないのも、それを担当する仲間がいれば納得出来る。
よく考えれば分かる事だった。
一人で行動していたからソロプレイヤーだという固定概念にまんまと踊らされた自分がいる。それが少し情けない。
「………………」
モンスター恐怖症を克服した俺に立ち塞がる新たな壁。
それは対人恐怖症。
アスナさん以外が誰かにいると理解した瞬間、とてつもない不快感と恐怖心が俺を苛ました。
先生達家族を始め、クラインやアスナさん達みたいに、心の底から信用出来る人なら良い。
ボス戦といった大人数の即席混合パーティーを組むのも抵抗は無い。
周囲の眼もあるし、皆がボス戦に集中するから心配は無い。
「でも、それ以外はダメだ」
奥歯を噛み締め、悔しそうに顔を歪ませる。
他のプレイヤーが怖い。
アスナさんは無条件で信用出来る。
しかし、アスナさんが所属するからと言って全てのプレイヤーを信用出来る筈もない。
もし二人きりでフィールドに出て襲われたら。
もし変な所に誘い込まれ、そこに本当の仲間である強盗集団が待ち構えていたら。
考えすぎ。疑心暗鬼にも程がある。それは分かっている。
それでも俺は、人と接するのが怖くなっていた。
「可能性はゼロじゃない……ゼロじゃないんだ」
そう考えるだけで、もうダメだ。
それ程までグルガ達は厄介なモノを残していった。
――チームワークや仲間意識が前提のSAOにおいて、あまりにも致命的な心の傷を。
「……とにかく、後でアスナさんに謝ろう。せっかくフレンド登録したんだから」
俺を勧誘したのは実力を認めてくれたのと、一人で行動する子供が心配だからという意味合いが強いと思う。
なら、無事に帰れたという報告も兼ねてメッセージを送ると決めた。
後でメッセージのやりとりが出来る。
謝罪の内容なのに不謹慎ながら、メッセージを交わす光景を想像したら心の中がポカポカしてくるから不思議だ。
「っと、敵は一体か。行くぞ、ポチ」
転移結晶は使わずに地上への出口へ向う俺達の前にモンスターが出現する。
アスナさんの事を考えてポジティブになろうとした矢先にコレだ。
KYなモンスターを狩るため威嚇しているポチの唸り声を聞きながら正面を駆ける。
そして曲がり角から現れたモンスターは――スケルトン・マーダー。
「――ッ!?」
恐怖で身体が冷たくなる。
しかし、それも一瞬。
恐怖よりも闘争心の方が心の割合を多く占めた。
惨めな気持ちは情けない弱気は、全てコイツにぶつけて発散する。
「リベンジだ、骸骨野郎っ!」
直ぐに敵との距離をゼロまで縮め、小さな身体を懐に潜り込ませる。
シルバー・ダガーを一閃、また一閃。
計二回の連続攻撃。
十字を刻むように放たれたニ連撃ソードスキルの後、骸骨の腕にポチが爪撃をかまし、振り下ろされた大剣が俺の横を通り過ぎた。
石畳と金属が噛み合う音に、石が砕ける破壊音。
それをBGMに繰り出されるのは得意技の《ウィースバルグ》。
その衝撃で二メートルの巨体が後方へ飛び、技後硬直が解けて直ぐ、空いた空間を埋めるように間合いを詰める。
「食らえ!」
再び突進技の《ウィースバルグ》をぶち当てる。
流れるような一連のソードスキル三連発を食らい、スケルトン・マーダーのHPは二割を残して消し飛んだ。
アイゼン・マンティスと違い、コイツの防御は並に毛が生えた程度しか無いのだ。
『グァアアアアアアアアっ!』
化け物が吼える。それが最後の咆哮だ。
そう意気込みながら横薙ぎに振るわれた剛剣をしゃがんでやり過ごす。
大きな隙を見せる骸骨に《ライドスラッシャー》を放った瞬間、
「……え?」
――逆手で振り上げた短剣がスケルトン・マーダーに当たった瞬間、無数の光の欠片となって砕け散った。
(何でっ!? 耐久度はまだ大丈夫な筈なのに!)
武器の整備は怠っていない。
メイン武器をリーヴァス・ダガーに変えた時シルバー・ダガーの耐久度はMAXまで上げていた筈。
ソードスキルを叩き込んだ体勢のまま、周囲がスローモーションになるような刹那の時間で思い当たったのは、一つの可能性だった。
(まさか……あのカマキリっ!?)
思い出されるのは身体が金属で出来ているような黒いカマキリの姿。
ここで思いつくのはIfの可能性。
あの未知のモンスターが、もし触れた武器の耐久度を劇的に落とす厄介な能力を持っていたとすれば。
そう考えれば、複数のドロップアイテムの中に混じって研磨材があった事も頷ける。
今更気付いた衝撃的な事実に、舌打ちをせずにはいられなかった。
「ポチ!」
シルバー・ダガーは砕け散ったが当たり判定は僅かにあったのか、幸いな事に相手のHPが欠損している。
引き戻される大剣が俺の腹に叩き込まれる前に、横から跳びかかったポチの爪がスケルトン・マーダーの首を薙いだ。
爆砕、そして何度聞いたか分からないポリゴン片が飛び散る音を聞き、俺は安堵の表情をしながらその場に座り込む。
予想外の展開に腰が抜けてしまったのだ。
「ポチ、ありが――」
近くに着地したポチに手を伸ばした所で聞こえたのは、背後でナニカが転がる異音だった。
ゴロゴロ、ズズズという、石畳上を転がって僅かに引き摺る音。
明らかにプレイヤーの足音でないそれを聞き、ポチに延ばしていた右手を地面に向け、落ちていた石を咄嗟に拾って背後に投擲していた。
「くっそ! 転移――」
座りながら身体を180°回転させ、振り向きながら転移結晶をポーチから引き抜いた俺の目に飛び込んできたのは、また見たことも無いモンスターだった。
その姿を一言で表すなら玉だ。
大きさはポチよりも更に小さい、全身メタリックな真っ黒玉。
そこに目や口といったパーツは存在しない。
色が銀色だったら完全にパチンコ玉なそれは、俺が投げた石が当たる瞬間に身体の一部を風呂敷のような形状に変化させて石を包み込み、無効化する。
牽制で投げた石の末路見届けた時、俺の言葉は完成した。
「――カルマっ!」
一瞬後。
青い光に包まれて、俺とポチは第九層主街区の転移門へと転移する。
しかし武器を完全に失い、戦える状態に無かったからこそ緊急脱出した俺は、気が動転していたために三つの事に気付かなかった。
一つ目は、モンスターやプレイヤーといった自分を傷付ける可能性を持つ相手を索敵し、威嚇するポチが、全くの無反応だったこと。
二つ目は、包み込んだのが防御行動ではなく、アレが黒パチンコ玉の捕食方法だったこと。
三つ目は、あのモンスターのカーソル表示が黄色だったこと。
――そして俺は、自分のスキル覧に現れたとあるエクストラスキルの存在に、まだ気付いていなかった。