魔物王の道   作:すー

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第十八話 魔物王Ⅳ

 第四十層には渇いた砂と岩石が蔓延る荒野が広がっている。

 やせ細った大地からは申し訳程度に雑草が生え、点々と潅木が群生する。

 西部劇の舞台、またはサバンナに似たフィールドが、この四十層で一番の特徴だった。

 主街区もそれに相応しい街並みで例えるなら西部開拓時代のアメリカ。

 その街を出て三十分ほどの場所を俺達は歩いている。

 いや、歩いてはいない。何故なら今は、

 

「クロノス!」

 

 

 そう、戦闘の真っ最中なのだから。

 

 

「ラスト一本! きっちり決めろ!」

 

 魔物王スキル《意思伝達》で指示を出しながら叫ぶ。

 それと同時に正面で痙攣している三メートルの大蜥蜴に黒い影が迫った。

 その長身痩躯の信教者が持つ《パウンドフォース》が赤いエフェクトに纏われる。

 戦槌単発技《バーストクラッシュ》。

 筋力補正の付くレアドロップ品を装備した似非聖職者――クロノスの一撃は充分な威力だった。

 膨大な破壊エネルギーを内包する紅のメイスが大蜥蜴の脳天に振り下ろされ、爆発にも似た衝撃音とエフェクトを撒き散らす。

 爆散する大蜥蜴。降り注ぐ虹色のポリゴン欠片。そして、眼前に浮かび上がって獲得品を告げるウィンドウ。

 今、一つの闘いが幕を閉じた。

 

「いや、噂には聞いていたけど凄いね、この子達は」

「でしょ? お陰でだいぶ助かってる」

 

 たった今巨大蜥蜴《ファラングル・リザード》を撲殺したクロノスは、メイスを肩に担ぎながら感嘆した表情でポチ達を――とりわけ新参者であるスーちゃんを褒める。

 

 あれから泣く泣くアスナさんとの繋がりである臨時パーティを脱退し、それから直ぐにクロノスと合流して臨時パーティを組んだ俺は、彼のレベルアップも兼ねながら目的地である洞穴型ダンジョンを目指して進行を続けていた。

 パーティプレイでの獲得経験値は敵に与えたダメージ量に比例するので、攻撃役は専らクロノスが担当。

 ポチで索敵し、クロマルが俺達を守り、タマが予備戦力として後方に控える。使い魔の与えたダメージも俺の経験値判定に入るからだ。

 そしてこのクロノス支援の布陣で一番貢献しているのはサンリーフ・フェアリーのスーちゃんだった。

 太陽葉の妖精固有の麻痺攻撃で相手をパラライズ状態にし、その三秒の間にクロノスが攻撃。麻痺が解けたらスーちゃんが再び攻撃し、彼女とスイッチをしてクロノスが叩く。

 幸いな事に彼女の麻痺攻撃に耐性を持つモンスターはいなかった。やはり各階層のモンスター毎に力関係というものでもあるのだろうか。

 先程のような巨大蜥蜴を始め、《体術》や《強奪》スキルを持つ蜥蜴人間を見敵必殺してきた。

 MVPは間違いなくスーちゃんのものである。

 この約一年にも及ぶ戦闘で魔物王スキルを完全習得した今、俺は自分勝手な行動に走りがちな使い魔達を完全制御下に置く事が出来た。

 

 指示通りにヒット&アウェイを繰り返したスーちゃんを指の腹で撫でてから進行を再開した。

 俺の横をクロノスが歩き、その反対側にはタマが。見晴らしの良い場所なので効果はあまり無いが前方ではポチが索敵を行い、スーちゃんが俺の肩で休憩。

 クロマルは器用にもタマの背中に乗っている。

 重量感のあるメタリックボディに反しクロマルは軽い。この程度の重さは苦にならない様だ。流石は俺を背負って一分近くを走れるタマである。

 

 クロノスの言った様に頼もしい仲間達に囲まれながら、俺とクロノスはフィールドを歩き続けた。

 

「そういやさ、そのダンジョンのマップは無いの?」

「残念ながら、ね。出現するモンスターなら聞きだせたんだけど……いや、力不足ですまない」

 

 そう謝罪するクロノスに仕方が無いと首を振った。

 

 クロノスがそのダンジョンの存在を知ったのは偶然だ。

 たまたま綺麗な紫水晶を友人に見せびらかしているプレイヤーを酒場で発見し、問いかけた所、その場所を教えてもらった。しかし彼が教えてくれたのはそこまで。

 貴重なマップデータから他の情報はオプション料金だったらしい。

 元々その場所を教えてもらうだけで大金を支払っていたクロノスに、これ以上情報を買う金銭的余裕は無かったのだ。

 しかもその金欠理由が教会に寄付をした後だと言うので貧乏野郎と皮肉を言う事も出来ない。

 

 おそらく、俺を誘ったのはマップデータが手に入らなかった事も関係しているのだと思う。

 レベルが足りていないというのもあるが、流石に一人で未知のダンジョンに挑む蛮勇さは持ち合わせていなかったのだ。

 日常的に未開地を練り歩き、かつ信頼も出来る実力者をアドバイザーに欲していたクロノスは、実に堅実的で慎重と言わざるを得ない。

 無駄なプライドも持っておらず、また冷静に物事を判断できる彼には好感が持てた。

 だから俺は先生のためにも、クロノスとの仲をより良い関係にするためにも、粉骨砕身の気持ちで役目を果たす。

 

「ま、そこにいるモンスター次第だけど、多分俺達だけでもなんとかなるでしょ。万が一ダメそうだったら素直に退散。それで良い?」

「勿論。すまないけど、場慣れしているシュウくんを頼らせてもらうよ」

 

 今のクロノスは俺の貸した装備で適正レベルを誤魔化している状態。

 その胡散臭さが満載の法衣は拘りがある様で脱がなかったが、中に仕込んだシャツやブーツは、しっかりと俺の貸した強力な非売品達である。

 クロノスに貸したのは最前線のドロップアイテム。

 対する俺のは四十二層のボス戦で入手したユニーク品《ブーツ・オブ・サイレント》。

 二種類のブーツで荒野を歩く。

 

「それにしても、なんだか機嫌が良いみたいだね」

「……クロノスの気の所為でしょ。俺は至って普通だよ、ふつー」

 

 平然と心中を読み取られて動揺したが、正直誤魔化しきれた自信は無い。

 

 アレだけ俺に攻略組を辞める様に言っていた男が俺を頼っているという事実は優越感に浸らせると同時にチャンスでもあった。

 ここで実力を見せて心配する必要が無いほど頼もしい姿を見せれば、あの煩わしい善意の押し付けも止めてくれるかもしれない。

 これはあまりにも俺に都合の良い考えだ。けれどもありえる未来でもある。

 輝かしい希望に機嫌が良くなるのも当然だった。

 

「僕としては、本当は大人しくしてもらいたいんだけど、ね」

 

 ……どうやら俺の心は読まれやすい様だ。

 いや、この場合はクロノスが鋭すぎるのだろうか。エスパーを疑う察しの良さが憎らしい。

 苦虫を一ダースほど噛み潰した表情をする俺に、眼鏡の奥から、真剣な眼差しを向けられる。

 何度も見た目だ。だからこの後の展開も容易に想像出来た。

 

「シュウくん」

「却下。何度も言わせないでよ」

 

 クロノスが何を言うかは分かっている。そして、俺がどう言ってクロノスの提案を却下するのかも、彼はよく分かっている。

 俺達の会話に言葉はいらない。それを必要としない程このやり取りを繰り返してきた。

 自分の意志を込めた互いの視線が交じり合う。

 

「――どうしても?」

「どうしても」

 

 互いに相手を睨み合う。

 そこからの沈黙は長かった。

 まるで先に視線を逸らした相手が負けだと言うように、周囲の警戒をポチに任せた俺達は、足も止めず荒野の真っ只中で主張を押し付け合う。

 

 それからしばらくして、この無駄に長い緊張を強いた戦いは終わりを告げた。

 先に溜め息を吐き、諦めたのは、クロノスの方だった。

 

「そっか……分かった。もう言わないよ」

 

 肩を竦めたクロノスからは清々しさが感じられた。

 憑き物が落ちた顔。

 嘆息しつつも爽やかさ一切損なわれていない笑み。

 

「クロノス」

 

 そんな彼に今度は俺が真剣な表情で訊ねる。

 

 

 

 

 

 ――自分の気持ちとケリを着けるために。

 

 

 

 

 

「先生のこと、好き?」

「ああ、好きだよ。正直、ここまで誰かを好きになる日が来るとは思わなかった」

 

 呆れる程の即答だった。

 その時の顔、口調、全てから悟る。

 

 ああ、この人は本当に先生の事が好きなのだと。

 

 先生の事を語るクロノスの表情は今までに無いほど誇らしげで輝かしい。

 好きな人の事を話すのが嬉しい。

 そう言っている顔だ。

 

「子供と接する時の、サーシャさんの笑顔が好きだ。子供を保護し、笑顔を守ると言っていた、あの優しくて強い心が好きだ。聞いていて心が温かくなる、あの慈愛に満ちた声が好きだ。教育者として子供を導いている姿は、本当に美しくて、眩しくて、好きだ」

 

 自分の事で精一杯なのに、搾取される対象を保護する気高い精神。

 何人もの子供達を心身共に守ってきた彼女の手腕。

 それを可能とする優しい心。

 その全てが愛しく、力になりたいと思わせる。

 先生は色々な意味で魅力的な女性だ。

 クロノスの評価を俺は全面的に肯定した。

 続く、不謹慎な彼の発言も。

 

「攻略組のシュウくんは怒るかもしれないけど、僕はこのデスゲームに感謝しているんだ。彼女と出会えたからね」

「……その点だけは、俺も同じ。茅場晶彦に感謝してる」

 

 結局、俺とクロノスも似た者同士だった。

 先生を好きになって、先生のために何かしてあげたい。

 

 同族嫌悪、だったのかもしれない。

 

 身の内を曝け出すクロノスの顔は、男なら誰しもがカッコいいと思える漢の顔。

 

「僕は、彼女を守るよ。彼女の笑顔も。当然、教会の子供たちもね。彼女の大事な人は、僕にとっても大事な人だ」

「そう」

 

 力の篭った声に立ち止まる。

 彼は本気だ。今まで以上に充分なほど伝わってきた。

 なら俺が言う事は何も無い。

 

 俯き、立ち止まった俺に訝しげな視線を向けるクロノスは、

 

「――っ!?」

 

 

 盛大に股間を蹴られ、その場で飛び上がった。

 

 

「ふんっ」

「な、ななななっ!?」

 

 この世界では少し衝撃を貰うのみで正真正銘の痛覚というのは存在しない。

 そうでなかったらこうして吃驚顔をしていられないはずだ。普通ならもっと悶絶している。

 痛くはないが、男なら例え無痛でも冷や汗を掻いて当たり前。

 カーソルがオレンジにならないギリギリの力で蹴りを入れた俺は、不機嫌面で鼻を鳴らし、男の性でかなりビビっているクロノスを指差した。

 

「誓え、クロノス! 絶対に先生を悲しませない。絶対に先生を守る。絶対に兄姉達の期待を裏切らない。絶対に――絶対に、先生を幸せにしてみせるって! 約束しろ!」

 

 たかがゲームでのお付き合い、結婚システムに、俺の発言は随分と重いものだろう。

 しかし、そんなものは関係無い。

 このゲームから脱出した暁には結婚を前提にお付き合いする気のクロノスにとっては、このぐらい重みでも何でもないのだ。

 

 俺の気持ちを察したクロノスは戸惑い顔から一転。

 厳格な表情で、スッと背筋を伸ばした。

 

「ああ、誓うよ。――だから、安心してほしい」

「なら良し」

 

 これでは完全に娘を嫁に欲しいと言いに来た彼氏とそれを認めた父親の図。

 我ながら偉そうだと思う。

 胸を張ってふんぞり返る俺に、クロノスは力無く笑った。

 どうやら脱力している様だった。

 

「はは、でも……なんだか不思議な気分だ。シュウくんが子供や弟分じゃなくて彼女の父親みたいに思えてきた」

「先生の父ちゃんの代わりに俺が目を光らせるのは当たり前。寄り付く男の選別ぐらいしないと」

「……前から何度も思っていたけど、シュウくんは本当に十歳児とは思えないね」

「あともうちょいで十一になるんだ。いつまでも子供じゃないよ」

「いや、十歳と十一歳にそこまで差なんて無いから」

 

 苦笑いでツッコミを入れてくるクロノスにそっぽを向き、笑う。

 

 

 ――そう、俺は笑っていた。

 

 

 クロノスの言葉に嘘は無い。

 その真摯な眼差しは、胸を打った彼の言葉は、俺の信頼を得るのに充分だった。

 なら俺はクロノスを認め、先生との仲を祝福しようと思う。

 あの夜、自身に言い聞かせた事を強固なものにする。

 

 先生を大切に思い、幸せにしてあげたいと思う気持ちで言えば、俺とクロノスは全く同類。同志だ。

 俺よりもクロノスが先生を幸せに出来るのなら俺の醜い嫉妬なんて殺すべき。

 我慢して二人の門出を見守るのが、先生の良き理解者として俺が出来る唯一のこと。

 

 そう無理やりに納得する。この無理やりもいつか本心に変わる時がくる。

 そんな覚悟で二人の仲を祝福したのに、心に住まう闇が取っ払われたのは直ぐの事だった。

 

「でも、そうか。あともう少しでシュウくんは誕生日なのか。だからサーシャさんは新しいレシピの開発に勤しんでいたんだね。食べてもらいたい人がいると言っていたから」

「え?」

 

 折角再開した歩みを再び止める。

 空気が読めるのかモンスターの襲来も無い。

 呆然と立ち尽くす俺と、何でもないように教えてくれるクロノスの温度差が酷かった。

 

「サーシャさんは、いつも君のことばかりを話しているよ。君との思い出話とか、色々と聞かせて貰った」

 

 食事の時、巡回の時、そしてデートの時。

 先生は頻繁に俺の事を話題に出していたらしい。

 それを微笑ましいと思うも、大人気ないがその度に心に刺さるモノがあったと、苦笑しながらクロノスは言った。

 

「まったく、君が一番、サーシャさんに愛されているよ。正直、嫉妬した」

 

 

 その時、俺は初めて知った。

 クロノスも俺と同じだった事を。

 同時に理解する。

 今までの無意味な感情を。

 

(……そっか、比べる必要なんて無かったんだ)

 

 俺と先生の間にあるのは家族愛。対してクロノスと先生の間にあるのは男女の恋慕。

 元々愛情の土台が違う。互いに向ける感情が、想いが違うのだ。

 同じ愛情でも比べられる類ではない。

 なら、先生が与えてくれる愛に違いが出るのも当たり前。

 俺とクロノスの扱いに違いが出るのも当たり前だ。

 

 先生の愛に差なんて無かった。

 嫉妬なんて感じる必要も無かった。

 

 俺に向けてくれる愛も、クロノスに向けている愛も、当然、他の教会家族に向ける愛も、全てが限度一杯の、彼女にとって最大級の愛だったのだ。

 その想いに優劣なんて無い。

 

(それにクロノスが俺に嫉妬……ハハ、なーんだ。ピエロじゃん、俺)

 

 俺が抱いていた感情をクロノスも感じていた。

 隣の芝は青く見えるが、なんとも醜くて馬鹿馬鹿しい想いだったのか。

 何故か心がスッと軽くなる。

 

(俺が子供だったんだよな、結局。度し難いぐらいに)

 

 自覚すれば後は楽だ。

 今なら返還されたお金も資金援助をつっぱねられた事も素直に受け入れられる気がする。

 

 俺は先生に助けられ、保護を受けた。

 言ってしまえば俺は先生の子供。そして先生は親。

 それなら子供の稼いだお金に手を付けたくない気持ちも分かる。

 本気で資金援助をごり押しするなら《三界覇王》の三人みたく、何度も何度も先生を説得し、突っぱねられてもその都度お金を渡すべきだったのだ。

 一度返還された程度で絶望し、諦観した俺の心が弱かっただけ。

 先生とクロノスに不満を抱くなど、逆恨みもいいとこ。

 

(そうだよ。そんな子供の寄付より、将来は結婚まで考えてる彼氏の寄付を受け取るのは当然だ。相手は大人なんだから)

 

 その事に、今やっと気付かされた。

 本当の意味で理解した。

 

 大人のプライドを尊重してやれるぐらいには、俺も大人になったのだろう。

 

 俺とクロノスでは役割が違う。

 わざわざクロノスと張り合う必要なんて無かった。

 お互い違う側面から先生を愛し、支えていけば良いのだ。

 

(あー、なんかスカッとした。なに悩んでたんだろ。やっぱ黒歴史確定だ、これ。――けど、楽しみだな、誕生日)

 

 そして俺のために料理のレパートリーを増やし、誕生日会も開いてくれるらしい事に、頭が可笑しくなるほど嬉しくなる。

 ちゃんと先生は俺の事を気に掛けてくれている。

 先生の心に俺は住んでいる。

 それが、本当に、心の底から嬉しかった。

 

「なんだか、初めて見た気がするよ。君の笑顔」

「ふーん。なら今後はもっと見れるんじゃない?」

 

 俺は今、心から笑っているのだろう。

 顔がニヤケるのを抑えきれない。未来への期待を抱かずにはいられない。

 なにより俺は、今度こそ本心から、クロノスと笑い合えそうなのが嬉しかった。

 もう彼を嫌う必要も、原因も無いのだから。

 

 上機嫌にクックと笑う俺を見て、クロノスも魅力的な甘い笑みで応えた。

 

「でも、漸くシュウくんに認められて僕も嬉しいよ。いや、サーシャさんにプロポーズする前に、君との蟠りを消すのが、僕が自分に定めたルールだったから。本当に良かった。早速、指輪を用意しないと」

「…………ふーん、そう」

 

 前言撤回。

 この胸に燻っている感情に従うのなら、クロノスを全面的に肯定する日はまだ遠いらしい。

 やはり俺は結構嫉妬深い様だ。

 けれど今の感情をアスナさんや師匠が知ったのなら、きっとこう言ってくれるだろう。

 ドロドロとしたものでなく、子供らしい可愛げのある嫉妬だと。

 

 しかし、やはりこの宝石採取は指輪作りの一環だった。

 なら帰ったらやる事は決まっている。

 

(とりあえず街に戻ったら一発ぶん殴ってやる)

 

 それから指輪の用意に協力する事を心に決めた所で、俺達は目的地の中間に差し掛かった。

 

「この下?」

「ああ、情報だとそうらしいね」

 

 荒野を歩いた先、俺達の前を塞ぐのは切り立った崖だった。

 この崖は四十層を横に横断している巨大なものだ。

 本来なら東に一キロ行った所にある吊り橋を渡って北上し、迷宮区へと向う道。その道をあえて外れて俺達は進んでいた。

 

 この崖下の渓流を遡った所に目的のダンジョンがあるらしい。

 下を覗き込んで深さを確認。高さはおよそ二〇メートルと推定。

 それでも下の様子がよく分からないのは、沢山の大岩が渓流側に立ち並び、沢山の死角を生んでいるからだ。

 これではモンスターがポップしていても索敵が無ければ不意を突かれるかもしれない。

 不意打ちを心配しながら降下作戦の計画を立てる。

 

 その間、クロノスはオブジェクト化したロープを近くの潅木に結んでいた。

 ロープの重量制限は軒並み高く、また耐久度も高い。

 特に今クロノスが結び付けたのはエギルクラスの巨漢でも数人分を支える事が可能なものだ。

 その登山用のロープの端を握って隣に立ったクロノスは、その先端を崖下に放り投げた。

 長さは充分足りている。

 

「さて、僕が先に降りて安全を確かめてくるよ」

「《索敵》も無くてレベルも足りてない奴がなーに言ってんだか」

 

 先に降りる気だったクロノスはきょとんとしている。

 大丈夫かと言外に告げる目にしっかりと頷き、ポチ達をモンスターボックスに収納した。

 ただ当然、まだモンスターボックスを作りに行く暇が無かったのでスーちゃんだけは周囲を飛んでいるが。

 いつかみたいに回廊結晶を使わなくて良いのは本当に嬉しい。

 

「俺が先に降りるよ。縄が切れないように見てて」

「はは、シュウくんの体重なら心配ないけどね」

 

 クロノスがロープを支えるのは気分的なものだろう。

 確かに、木が支えるだけよりは安心感がある。

 

「スーちゃん、こっちおいで」

 

 崖を背にロープを握り、手招きしたスーちゃんを垂れ下がったフードの中に収納。

 可愛く顔だけ出すのにほっこりして、大地を蹴った。

 その時にパラパラと砂が零れる。

 そして、いつぞやの時と同じ降り方を取ったのは失敗だったらしい。

 あまり勢いをつけると砂が舞うため、仕方なく俺はゆっくりと崖伝いに下へ降りて行った。

 半年近く前、初めて崖下りをした事を思い出す。

 

「なんだかデジャブるな。マーカスのクエを思い出す……ッ!?」

 

 

 

 

 

 それは唐突だった。

 

 

 

 

 

 不意に揺れたロープに回想が中断。

 ロープにしがみ付きながら崖の出っ張りに足を乗せ、揺れに耐える。

 治まったと思ったら再度揺れる。

 三度、四度。何度も何度もロープが大きく揺れる。

 

 断続的に揺れるロープはまるで、張り詰めたロープに何かを叩き付ける様で――、

 

「ちょ、クロノス!? 何この揺れ!?」

 

 頭上を仰ぐ。

 まだ降り始めて数秒だから五メートルほどしか降りていない。

 今思えば、ここで状況確認のために止まらず、直ぐに崖上へと引き返していれば、この後あそこまで苦労する事は無かったのだ。

 

 俺の文句が聞こえたクロノスは顔を出す。

 彼の顔は、いつもと同じで笑顔だった。

 

 今ではもう、寒気を覚えるしかない、氷の笑顔。

 

「クロノ――ッ!?」

 

 クロノスが頭を引っ込め、再度の衝撃がロープを襲った途端、耐久値がゼロになったロープは淡いポリゴン片を撒き散らしながら砕け散る。

 当然そうなった後に待ち受けるのは自然落下。

 混乱する中、気づけば宙に投げ出されていた。

 

「くっ、なんだってんだよ!?」

 

 手を伸ばすが崖に届かない。黒羽を引き抜き、崖に突き刺して失速させようとするも、全ては遅すぎた。

 

「がはっ!?」

 

 そもそも十数メートルの高さでは行動する時間が無い。

 大岩の頂上に背中を打ちつけ、衝撃で空気が吐き出される。

 一瞬、頭の中がスパークした。

 痛みは無いがその衝撃は全身を駆け抜け、思考を停止させるには充分だった。

 

 リアルなら背骨や脊髄の損傷は確実な落下。

 全身を強打し、宙で一回転しながら地面を転がる。

 砂埃が舞った。身体中が汚れた。

 なにもこんな汚れまで再現しなくても良いのにと、こんな時に変な事を考えていた。

 

「ハァ、ハァ……HPは?」

 

 大の字で仰向けに倒れながらHPを確認。

 幸いHPには余裕があった。おそらく多く見積もっても三割ほどしか削れていない。

 その事に安堵し、そして頭上を飛び回っているスーちゃんも確認出来て、ホッと息を吐いた。

 

「…………縄が砕けた。耐久値が低かった?」

 

 たまたま耐久値が低かった。

 そうに違いない。そうに決まっている。あの揺れは、きっと関係無い。

 

 

 ――この必死な理論武装の裏には現実逃避が含まれていた。

 

 

 だって、そうだろう。

 折角クロノスの事を認められそうだったのだ。

 それなのに何故疑わなければならない。

 何故、あの憎きグルガみたいな大人達と同列に貶めなくてはならない。

 

 震える口で必死に言葉を紡ぐ。

 何度も大丈夫だと言い聞かせ、身体を起こす。

 力無く右手を真下に一閃し、メニューウィンドウを出現させ、回復ポーションをオブジェクト化。栓を抜く。

 そして、

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 風切り音を耳が捉えると共に、背後に小さな衝撃が伝わった。

 

 

 

 

 

 手が動かなかった。身体が動かなかった。

 なにより、何故スーちゃんの身体に細いピックが突き刺さっているのだろうか。

 

「ぁ、え?」

 

 声が上手く出ない。手からポーションが零れ落ち、糸の切れたマリオネットの様に身体がうつ伏せに倒れた。

 

 この現象は知っている。この不自由さ。込み上げる不安。

 何より、HPバーの枠に掛かる緑色の点線に見覚えがあり過ぎた。

 

「な……んで……」

 

 スーちゃん、そしておそらく背中に刺さっているだろうピックに思考が停止する。

 地面に伏して動けないスーちゃんは元より、《耐毒》スキルを習得している俺が動けない理由。

 そんなもの今更考える必要も無かった。

 なぜなら、

 

「ハッハー! なんだか懐かしいなぁ、クソガキぃ!」

 

 

 

 

 ――絶望の声と足音が、背後から近付いているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 


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