~征歴1935年 3月11日 ギルランダイオ要塞~
「帰還命令、ですか」
「うむ、そうだ。貴官らは至急ランドグリーズへと帰還し、すぐに首都での再編成を行うようにとの命令が下された」
帝国軍の動きが怪しくなる一方の時期にヴァリウス・ルシア中佐へと下された命令は意図不明の帰還命令だった。今のこの状況下でわざわざ首都まで戻っての部隊再編成など必要性が感じられない。
正直なところその真意を問いただしたい衝動に駆られるが、そこは自制し、呼吸を一度入れてから目の前のギルランダイオ要塞の司令である将軍へと尋ねた。
「失礼ですが、その命令はどなたからのご命令でしょうか?」
「ああ、ダモン将軍からの指令だそうだ」
(あの、無能の中年親父か!!)
ゲオルグ・ダモン
貴族の家柄のおかげで特に何の戦果も上げていないはずなのに大将という地位に上り詰めた男。
そんな彼は部下を自分の駒としか考えていない男で、自らの手柄のためならば平気で部下を犠牲にする。
第一次ヨーロッパ大戦でも多くの部下を無駄に死なせたと言われている人物。
そんな彼と、ヴァリウスは非常に仲が悪く、ダモンは彼を「平民上がりの青二才」と呼び、ヴァリウスはダモンの事を「無能の中年親父」と呼び、互いに忌み嫌っていた。
「今回、ダモン将軍が中部戦線総指揮官に任命されたそうでな。君がいると聞いてこの指令を出したそうだ」
「・・・失礼ながら、上層部は正気ですか?」
「そう言うな。正直な話、私もこの時期に君たちをここから離すなんてどうかしていると思って上に抗議したのだが、ダモン将軍からの要請だと、譲らなくてな。それに、首都で防衛戦力の強化を行いたいそうだ」
なにが中央の防衛戦力の強化だ。
ただ自分たちの安全を守りたいだけの老害どもが。
自分たちの保身しか考えていない老人たちに対し内心吐き捨てながらも、所詮一佐官でしかないヴァリウスはその命令に従うしかなかった。
「・・・司令、肝心なときにお力になれず申し訳ありません」
「そう謝るな。一応ダモン将軍も大部隊を連れてここの戦力を整えるつもりらしい。君たちがいなくなるのは確かに痛いが、何とかしてみせるさ」
力ない顔で笑う司令にヴァリウスは敬礼をとる。
そうして「ご無事で」と呟くと司令から「君もな」と返される。肝心な時に無力なのだと改めて痛感しながら、ヴァリウスは拳を握りしめ部屋を後にした。
「お、隊長!なんだったんすか、司令からの呼び出しって。」
30代後半の顔に傷のある男が彼らの下へと歩いてくるヴァリウスを見て声をかける。その男へとヴァリウスは真剣な顔を見せながら言葉を紡ぐ。
「ギオル、各分隊長を集めてくれ。中央から命令が来た」
ヴァリウスの表情から穏やかな事ではないと察し、小隊の中でも最古参であり、歴戦の戦士である彼、ギオル・アークス曹長は自信もそれまで浮かべていた笑みを消し真剣な表情を浮かべる。
「了解、場所は隊長室でいいんですかい?」
「ああ、頼む」
「了解!」
走り去るギオル。彼の後ろ姿を見ていたヴァリウスは後方から近づいてくる見知った気配に振り向く。
「セリアか、丁度いいところに来たな」
「何か命令が出たのか?」
長年の連れであるセルベリアの問いに苦い顔をしながら、先ほどの命令の事を簡単に伝えた。
「中央からの帰還命令が下された。詳しい事は俺の部屋で話す」
「あまり良い命令ではなさそうだな・・・」
彼の表情から、それが自分たちにとって良くないことだと察しながらも彼の後に続き、執務室への道を辿った。
コンコンッ
「入ってくれ」
ドアからのノックの音に返事をして中に入るように言う。そうして入ってきたのは5人の各分隊長である隊員達だった。
「アリア・マルセリス中尉以下4名、ただ今出頭いたしました」
「ご苦労。悪いがさっそく本題に入る。皆を読んだ理由についてだが・・・中央から帰還命令が下された」
ヴァリウスから語られた内容に、室内に居る全員が眉を顰め、怪訝な表情を見せる。
無理もないとヴァリウスは感じた。自分自身、この命令を聞いたときは「何を考えているんだ」と疑ったのだ。
帝国がこの要塞を攻めてこようかと言うこの時期にいきなりの帰還命令だ。普通の頭の持ち主ならば疑問に思うのも道理。彼らの反応は至極当然のものだ。
「隊長、その命令は誰からなんですか?正直この時期に中央へ戻れなんて普通じゃ考えられない事だと思うんですが・・・」
21歳とまだ若いながらも狙撃特化のホーク分隊隊長を勤め上げるグレイ少尉に問われたヴァリウス。彼は苦い表情で「ダモン将軍だそうだ」と問いに答えた。
「クソッ、またあの中年親父かよ!!何度俺たちの邪魔をすれば気が済むんだ!!」
「落ち着け、ギオル。しかし隊長、自分もギオルと同意です。この状況下でそんな命令に従うなんて、ありえません。受諾する理由が見つからない」
ヴァリウスよりも若干年上であり、偵察、突撃力特化型分隊であるハウンドドッグ分隊隊長のキース・キルヒアス少尉の言葉に「その通りだ」と
戦端が開くだろう場所に既に居るというのに、そこから離れろと命令が出るなど、おかしいにもほどがある。だが、それでも彼はこの命令に従わざる負えなかった。
「・・・ダモン将軍が中部戦線総指揮官に任命され、あと2日程でこのギルランダイオに赴任するそうだ」
「ダモンが中部戦線総指揮官!!?上層部の奴ら、頭が腐ってんじゃねぇのか!!あんな無駄に仲間を犠牲にするようなヤツに総指揮を任せるなんて・・・!!」
第一次大戦の頃からダモン将軍の部下を駒としか見ない行動を目の当たりにしてきた対戦車部隊であるグリズリー分隊長のギオルは上層部の決定に怒りを露わにする。
ヴァリウスとしては彼らと同じく上層部を非難し、このギルランダイオ要塞への駐留を続行したい気持ちで溢れている。だが、それは許されない。組織に所属する以上、自分たちは命令に従う義務があるのだ。
「ダモンがここに来れば、正直な話我々は身動きがとりずらくなってしまう。仮にもあの無能は総指揮官殿なんだ。俺たちがどれだけあがいたところであいつがこちらへ処罰を与える口実を作らせてしまうだけだ。今は、とにかく帰還準備を進めてくれ。シルビア」
「はい」
「戦車の整備進行状況は?」
ダルクス人でありながらも機甲部隊であるジャガー分隊隊長のシルビア少尉に彼らの整備している戦車について尋ね、その問いにシルビアは「問題ありません」と即答する。
「アンスリウム、グラジオラスは今すぐにでも戦闘に入れる状態です。ストレリチアの方はあと2時間もあれば整備が完了します」
「そうか。アリア、物資の補給はどうなっている?」
「武器弾薬の補給は完了。食糧の補給も、あと一時間もあれば終了の予定です」
救護、物資運搬などの支援を主とするラビット分隊隊長、アリア・マルセリス中尉の返答内容に一つ頷いたヴァリウスは室内の面々へと目を向け、指示を下す。
「そうか・・・なら明日の1030に出立する。各員、至急準備に取りかかってくれ」
「「「「了解」」」」
納得は出来ないが、軍にとって命令は絶対。苦々しげな答礼をし、退出するしかしセルベリアだけはその場へ残り、ヴァリウスの顔を見つめる。
「どうした?特にこれと言った用は無いぜ?」
「・・・ヴァン、自分を責めるな」
「・・・ッ!何の事だよ「とぼけるな。自分がもっと上の立場ならば・・・そう考えていたのではないか?」・・・はぁ、やっぱりセリアに隠し事は出来ないか」
椅子の背もたれに寄りかかるヴァリウス。セルベリアは彼へと穏やかな目を向け、横に移動する。
「確かにさ・・・俺が将軍くらいの地位にあったりしたら、こんな理不尽な要求飲まなくて済むのにな、って考えてたよ・・・あのくそオヤジにはいっつも邪魔されてばかりだ・・・そのくせ、平気で部下を見殺しにしやがる。そんなヤツの命令を聞かなきゃならないってのが俺は・・・むぅっ!」
血が滲み出るほどに拳を握りしめるヴァリウス。自身を責めていた彼は、突然顔を両手で挟まれ唇をふさがれる。
突然の事に驚いていたヴァリウスだったがすぐに自分からもセルベリアの唇を求め始め、しばらく二人は無言で口づけを交わす。
「ん・・・、どうだ・・・少しは落ち着いたか?」
そう言って唇を離すセルベリア。
彼女の頬は少し上気したような色になっていた。対するヴァリウスは、セルベリアの行動に驚きながらも若干嬉しそうに頬を緩める。
「あ、ああ・・・でも、珍しいな、セリアが自分からしてくれるなんて」
「た、偶にはそう言うときだってある!・・・それにな、あまり自分を責めるな。今例え従わなければならなくても、二人で力を合わせていこうと、あの時に約束しただろう?つらいのなら、私もその思いを一緒に背負うさ。私たちは、互いに必要、なのだろう?」
「ハハハ、そうだったな・・・ああ、分かったよ。じゃあ、これからも頼むよ、セリア」
「当たり前だ」
笑顔で答え、今度こそ去っていくセルベリア。そんな彼女の後ろ姿を、先程までとは違う、穏やかな表情でヴァリウスは見送った。
~征歴1935年3月12日~
「各分隊、準備完了しました、中佐」
ギルランダイオ要塞出立日、ヴァリウスは短い間駐留していた要塞を見上げていた。
帝国との国境に位置するこの要塞は、恐らく一番最初に攻撃される事になるだろう。
ガリアと帝国の戦端が開かれる。そんな大事な時だというのに、ここから去らなくてはいけない自分に腹が立ち、しかし静かに要塞から視線を外し、報告に来た隊員にご苦労と声をかける。
「では、これより第133独立機動小隊はランドグリーズへ向け進軍する!総員、出発!」
ヴァリウスの合図により隊員達の乗った車が走り出す。
自身もジープに乗り込み、運転席のセルベリアに出してくれと告げ、ギルランダイオを後にした。
(願わくば、最小限の被害で戦いが終わることを祈ろう)
しかし、彼らが去った2日後、帝国はガリア公国に向け突然の宣戦布告。ダモン将軍はギルランダイオにおいて防衛戦を展開。ヴァリウスの願いむなしく、彼は味方をも巻き込みながら、国際条約で禁止されていた毒ガス兵器を使用。甚大な被害を出しながらも、一時的に帝国の侵攻を食い止めたかに思われたが、帝国のとある将兵により即座に防衛線を突破され、ガリア軍はギルランダイオより撤退。ギルランダイオ要塞は帝国軍の手に落ちた。
ガリア、帝国間の防衛拠点であったギルランダイオ要塞は、皮肉にもガリア侵攻の中心拠点として帝国軍に使用されていくこととなる。
後に、ガリア戦役と呼ばれる戦争が、ここに幕を上げた。