影武者華琳様   作:柚子餅

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52.『劉岱、三姉妹による面接に臨むのこと』

 

 済南の大通りにある客入りの良い酒家。入り口横から裏手に回り階段を上った二階は、どうやら張三姉妹の活動拠点の一つであるようだ。昼下がりの、階下の酒家の客足が途絶えた時間に拓実と霞は呼び出されていた。宿屋の主人から伝えられた言付けによると、ここで付き人志願者への面接が行われるようである。

 

「アタシ青州の海の方が地元なんだけどさぁ、今青州つったら黄巾賊とかってんでなにかと評判わりーじゃん?」

「あ、そうですよね。私も済南に来るまではもっと酷いとこだと思ってました」

「だろー? アタシが若い頃に世話になってた文挙オバちゃん……孔融って人もここで刺史やってたんだけど、やってらんねーとかってどっか引っ込んじまったし。うちの実家の方にも黄巾賊やらって名乗ってるのが来てちょっかいかけるようになったんだよ。ま、そこでアタシは腕にちっと自信あったもんだからいっぺん頭張ってる奴をシメてやろうかと思ったワケだ。けど実際に本拠地の済南へ来てみりゃ役人どもよりよっぽどしっかり街を守ってんし、聞いたら筋の通らねーことしてんのは名前を騙ってる奴らってことだから、いっそアタシが本物の黄巾の奴に手ェ貸してやって偽物退治してやろうかと思ったワケよ」

 

 そして何故なのか。霞が面接を受けている間、拓実は先日より一足先に三姉妹の付き人として働いているという女性の身の上話を聞かされていたのだった。

 茶の髪には赤の滅取(メッシュ)が入っており、邪魔にならないようにうなじあたりの高さで一つ結びにしている。膝下までの長さの赤の上着を羽織り、その中には黒色のチューブトップと金属のネックレス。更には赤色の幅広のズボンのようなのを履いてそのだぶつきをブーツに入れているものだから、まるで暴走族が着ているような特攻服のようである。出会った時には拓実も面食らったが、けれどもサラシに下駄に肩掛け羽織姿の霞が横に並ぶとそれほど突飛でもないように見えてしまうものだから不思議なものだ。

 

「えっと、つまり義憤に駆られてってことですよね? すごい立派な志じゃないですか!」

「義憤って、ばっかお前……そんなんじゃねーよ!」

「わあっ!?」

 

 そんな彼女だがどうやら話し好きらしく、熱心に話に聞き入っては大仰に反応する拓実にまんざらでもない様子である。向けられる尊敬の瞳への照れ隠しか、隣に座る拓実の頭をぐしゃぐしゃとかき乱した。

 黄巾党に与しているというだけで悪人かも知れないと危うく色眼鏡で見るところだったが、実際に話してみれば厳つい見た目に反して義理堅く、人情味に溢れている人物のようである。思えば拓実が先日に出会った黄巾党の男たちも、強面ではあったが決して悪い人たちではなかった。とはいえ(エン)州で略奪を働いていた黄巾党は食い詰めた山賊らとなんら変わりがなかったので、張三姉妹のいるこの青州の黄巾党だけが特別なのだろう。

 

「……なぁ、ところで話は変わるんだけどよ。今面接受けてるのとは知り合いなのか? なんか妙な距離感だったけどよ」

 

 幼子扱いされた拓実が頬を膨らませてかき乱された髪を直していると、彼女から声が掛かった。顔つきがいつの間にやら真剣味を帯びていて、声色からもどこか落ち着きが無くなっている。どうやらこちらが本題らしい。話しかけてきたのも、面識のある拓実に霞について訊きたかったからであろう。

 

「え、ええ。まぁ」

 

 しかし、拓実にとってこの話題はやりにくい。というのも霞を相手に、劉岱はどう対応していいものかわからないでいたからだった。

 劉岱は当然女性としての考えを意識の根底に敷いている。けれども霞は役柄を飛び越え、拓実を男として応対してくるものだから演技の上で齟齬が生まれてしまっているのだった。

 拓実は努めて以前と変わらないよう振舞っているつもりだけれど、霞の方がしっかり拓実を意識してしまっているようで、二人きりの間は沈黙を恐れるかように口早に拓実に話しかけて、しかし視線が合えば逃げるように反らし、以前より一歩分距離は近くなったのに何かの折に触れれば静電気が走ったかのように大げさに離れる。やはりというか、そんな拓実と霞の様子は傍目から見てもおかしかったのだろう。

 

「その、霞さんとは同じ邑の出身なんですけど、私一人での行商なんて危ないからって用心棒としてついてきてもらってるんです」

「そうか……んで、あー、なんて言ったらいいもんかな……」

「はい? あっ、霞さん」

「おお、拓実」

 

 噂をすれば、すっきりしない顔つきで霞が部屋から退室してきた。どうやら面接を終えたようで、気疲れした様子の彼女は拓実の姿を見つけるなりに表情をにへらと崩す。

 その装いは少しばかり見慣れたものと違っている。旅の間は多少の寒さだろうとサラシと肩掛け羽織で通していた霞が、今は羽織の下に一枚、キャミソールのようなものを着ているのだ。なんとなく直接尋ねるのはよろしくないような気がして観察してみたところによれば、どうも肌を晒したくない為に厚着するに至った様子である。異性である拓実に全裸を見られたことを引きずっているのだろうか。見当はつけたけれど、拓実に直接確かめてみる勇気はなかった。

 

「面接、どうでした?」

「やー、どないやろ。反応見ると正直あかん感じやも」

 

 拓実の隣の椅子へと腰掛け、背もたれに寄りかかってため息を吐いた後、拓実を挟んで反対側に座る女性を見やる。

 

「んで、うちがおらん間にそっちのとは仲良うやっとったみたいやけど?」

「あ、えっと……」

 

 霞から湿った視線を向けられ、戸惑いながらも拓実が紹介しようと口を開いたところ、しかし肝心の彼女の名前を知らなかったことに気がついた。開いた口を閉じかけて、どうしたものかと視線を惑わせる。

 それを見て取った訳でもないだろうが、女性は椅子からのそりと立ち上がるや歩み出て、座ったままの霞の前に立つとそのまま見下ろした。

 

「あんた、聶遼(じょうりょう)っつったよな?」

「聶……お、おお! せやったな、うちのことや。にしたって、なんや。うちには随分とそっけないやないか自分」

 

 自分を指差し、首を傾げたところでようやく理解に及んだ様子の霞。

 神速の張遼と言えば大陸でもそれなりに知れた通り名である。官軍の看板武将が地方の領主に下るならともかくとして、朝敵にまで定められた黄巾党に参加するとは考えにくい為、拓実と同じく霞も『聶遼』という偽名を名乗り別人ということにしている。呼ばれ慣れない為に自分のことだと遅れて気づいて、慌てての受け答えになっていた。

 

「アタシは子義だ。太史、子義。なぁ、聶遼さんよ。アタシと手合わせしてもらえねーか?」

「……出し抜けになんやねん?」

「わかってんだろ。あんたはきっと、アタシがこれまでに会った誰よりも腕が立つ。強いやつってのは見てなんとなくわかる。けどよ、そん中でもあんたはとびきりなんだ。なぁ、あんたから見てアタシはどう映ってる?」

 

 子義と名乗る少女は挑むように霞を見る。まるで長年恋い焦がれていた相手に出会ったかのように頬を上気させながら、身を乗り出している。

 

「せやなあ……子義って言ったか? うちも同じや。お前さんとやりあって勝てるとは言い切れへん。ま、五分ってとこやろうな」

「ならよ、当然疼いてんだろ! どっちが強えのか、はっきりさせてえってさ!!」

 

 ぎらぎらとした笑みを浮かべる子義。反して武人を前にして珍しく乗り気な様子を見せない霞だったが、ちらと隣りに座る拓実を見やってから深く息を吐き出した。

 

「昨日の今日やったから大人しゅうしとるつもりやったのになぁ。やっぱあかんわ。悪い、拓実。ちょおっと出てくるわ」

「えっ? し、霞さん? 私たち、面接を受けに来たんですからケンカはダメですよ!?」

「ケンカとちゃうって。うちらにとっちゃ軽い自己紹介みたいなもんや」

 

 それだけを言い残すと霞は子義に先導され、さっさと外へと出て行ってしまった。きょろきょろと二人の間で視線を行き来させてどう止めようか逡巡している間に、ぽつんと一人、拓実だけが待合室に残されてしまう。

 

「面接の合否も出てないのについていっちゃう霞さんも霞さんだけど、子義さん付き人なのに勝手に出てっちゃっていいのかなぁ……」

 

 この拠点自体が黄巾党の中でも極秘なのであろうし、さらに言えば腕に自慢がある様子からおそらく子義は三姉妹の護衛も兼ねているのだろう。見回しても近場に誰か詰めている様子はない。

 あの霞をして五分と言わしめるのであれば、春蘭や関羽、呂布らのような規格外が相手でもなければ三姉妹を守り抜くことも可能であるかもしれない。しかし、側を離れてしまっては護衛の意味がない。

 

「子義ー、次を呼んでー」

 

 もし今この瞬間に不心得者が来たりしたら子義は付き人がクビになるだけじゃすまないんじゃ……と拓実が我が事のようにはらはらしていると、個室の扉の向こうから声が届く。当然ながらその声に答えるべき人間はいない。

 

「子義ー! 聞こえないのー!?」

「あ、あのー、子義さんなら今しがた出て行っちゃったんですけど……」

「はぁ!? あいつ、付き人なのに何やってんの!?」

 

 仕方がないので拓実が代わりに答えると、怒気を孕んだ甲高い声が返ってくる。

 向こうからはひっきりなしに文句が聞こえてきたが、しばらくすると扉が薄く開いて眼鏡を掛けた少女が顔だけ覗かせる。

 

「……二人目の人、入ってきて」

「あっ! えっと! はいっ、し、失礼します!」

 

 

 

 その静かな声に従い、拓実はぎくしゃくとした足取りで入室する。そのまま拓実は部屋の真ん中にぽつんと置かれた椅子に座った。長机を挟んだ目の前には、三人の少女の姿がある。

 拓実にはその三人に見覚えがあった。やはり彼女たちは以前に張三姉妹と名乗っていた旅芸人の三人だ。面接の順番を決める際に一通り紹介されていたが、現在彼女たちは別名を名乗っているらしく、張角であった桃色の髪の少女が天和(てんほう)、張宝であった水色の髪の少女は地和(ちいほう)、張梁であった薄紫色の髪に眼鏡を掛けた少女は人和(れんほう)で通しているようである。

 

「あ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよー?」

「は、はい! 大丈夫です!」

 

 椅子に座って腿に手を置き、背筋をぴんと張って強張った様子を見かねての言葉だったのだろう。だが、明らかに上ずった声で返事をする拓実に天和は「うーん……駄目だこりゃ」と苦笑いを浮かべている。

 

「ま、ちぃたちを前に緊張するのは仕方ないわ。けど、運が良いのよ。いい? 本当はちぃたちが面接したりなんてしないんだからね」

「そうね。ちぃ姉さんが前回選考を通った人を、顔が気に食わないとかでクビにしたものだから、二度手間にならないようこうして私たち全員で面接しないとならなくなったのだけど……」

 

 先ほど持ち場を離れた子義に対して文句を垂れていたのは地和だろう。多少苛ついてはいるものの、とりあえず気を持ち直したようだ。眼鏡を掛けた薄紫色の髪の少女、人和は「商家出身で算術も得意って聞いてたのに、もったいない……」と明らかに地和へ向けてぶつぶつ小言を呟いている。

 

「な、なによ! れんほーだって文字の読み書きぐらい出来ないと話にならないとか言って一人落としてたじゃない! 天和姉さんだって汗臭い人ヤダって言ってるし!」

「ちぃ姉さん……私たちの代わりに興行の告知もしてもらわないといけないのだから読み書きは必須でしょう。出来ることなら、衣装代やらの必要経費の管理もお願いしたいのに」

「だってだって、ちーちゃんはあんまりお風呂入らない人とか大丈夫なの? お姉ちゃんはヤダなー」

「ぐ、ちぃもばっちぃのはヤダけど……」

 

 怯んだ様子の地和を目にして、拓実は「ふふっ」とついつい声を漏らしてしまった。あんまりに仲が良くて微笑ましくなってしまったのだ。

 

「ま、まぁ過ぎてしまったことはいいじゃない! さっさと面接を始めましょ!」

 

 三人姉妹の気心の知れたやり取りに思わずという風に拓実が笑みをこぼしていると、それを呆れられていると思ったか地和が無理矢理に話題を戻しに掛かる。

 

「で、えっと、お名前は劉岱さんね。私たちのことは知ってて付き人に志願を?」

「旅芸人の方々ですよね? 名前までは知りませんでしたけど、陳留の城下町に立ち寄った時に一回だけみなさんの舞台を観たことがあります」

 

 人和が手元の竹簡を見ながら質問を投げかけてきたので、素直に初めて三姉妹を見かけた時の、陳留の城下町に視察した時のことを思い返して答える。

 

「へっ、そうなの? 陳留って、兗州よね? ここ最近じゃ立ち寄ってないけど」

「えっと、そっちの天和さん? が箱に入って、開けたら消えちゃってました! どうやったのか帰ってからもずっと考えてたんですけど、結局わからなかったんですよねー」

 

 続いて拓実が「不思議だったなぁ」などとぼんやり呟いていると、地和と人和が顔を強張らせている。

 

「ちょっ!? それって、ちぃたちが活動始めて鳴かず飛ばずだった頃じゃない!!」

「しかも、歌だけじゃお客さんが集まらなくて、何でもいいから目を引くことしたらいいんじゃないかって迷走してた頃……!」

「あー! 懐かしいねぇ。そうだちーちゃん、今度の興行で久々にやってみない?」

「ようやく歌だけでお客さんが集まってくれるようになったのに、あんなのもう二度とやらないわよ!」

 

 彼女にとっては恥ずかしい思い出だったのか、顔を真赤にさせた地和が歯をむき出しにして天和を睨みつけた。

 

「落ち着いて、ちぃ姉さん。……で、劉岱さんはどうしてこの付き人募集に応募したの?」

「その、邑から街へ行き来しながら筵と草鞋の行商をしてたんですけど、そろそろどこかに腰を落ち着けたくて。それで大都市って聞いてた済南にしばらくとどまろうかと思ったんです。でも、こんなおっきな街だと筵も草履も同業者が多くて、酒家とかで下働きするしかないかなーとか思ったんですけど、旅の途中で暴漢に襲われそうになったところで黄巾のお兄さんたちが助けてくれてですね……」

「……行商していたってことは読み書きは当然、算術も出来る?」

「えっ? あ、はい。一通りは、その、出来ると思うんですけど……」

 

 途中で話を遮られて、拓実はうろたえながらもなんとか受け答えをする。

 行商人を名乗っている上、『劉岱』の元となった人物も私塾を出たと聞いていたので、役柄である『劉岱』も算術は修めているということにしている。

 

「はーい、じゃあお姉ちゃんから劉岱ちゃんに問題でーす。一(キン)九両をぜーんぶ(シュ)にしたらいくつになるでしょーか?」

「ちょっと天和姉さん、いくら算術の心得があるにしても急にそんなこと言ったって」

「えー……と……、六百銖、です」

 

 暗算して、それから頭の中でもう一度計算し直して、間違いがないことを確認して答える。

 勘定や計算は政務について回るものだから、荀攸として数をこなしているうちに聖フランチェスカに通っていた時より数段早く出来るようになっていた。この程度の暗算も今となってはお手の物である。

 

「へ? ええと、ねぇ、ちーちゃん、答えは?」

「なんで私!? ちょ、ちょっと待って。ん、一斤が十六両でしょ、でも他にも九両があって、一両が二十四銖で……?」

「ちーちゃん、計算終わったぁ? お姉ちゃん、計算するの苦手だから」

「じゃあなんで問題出したのよ!! ああっ! 天和姉さんの所為でわかんなくなっちゃったじゃない! こんなの何かに書かないと無理よ! どうせ当てずっぽうでしょ!」

「……六百で合ってるわよ、天和姉さん」

「えっ」

 

 遅れて暗算していたらしい人和が告げると、地和は目をぱちぱちと瞬かせている。そんな地和を放って、人和が眼鏡の位置を直しつつ拓実に向き直る。

 

「では、興行の際に観客二人を一()に収めるとして四百人相手の舞台を想定した場合、観客席にはどれだけの土地が必要?」

「四()、だと思います」

「うん、合ってる……。暗算でこれなら、少なくとも私と同じぐらい出来ると見ていいかも。どうやら算術については問題なさそう」

 

 人和の拓実を見る目つきが熱を帯びた。これまでそういった方面は人和一人が請け負っていたのだろう。表情こそ乏しいままだが、即戦力の掘り出し物を見つけた、絶対に逃してなるものかと目線が語っている。

 

「天和姉さん、ちぃ姉さん。彼女、合格でいいのでは?」

「えー、でもれんほーちゃん。私たちに合う舞台衣装とか考えてくれる人も探すって言ってたじゃない。この街の針職人さん、舞台衣装とかを作るのには向いてないみたいだしぃ……」

「あっ、そうよね! 昔みたいにちぃたちが衣装作ってる暇なんてないし、そういうのやってくれる人じゃないと!」

「服作りは付き人にどうしても必要って訳ではないでしょう? 針職人は別に探して、劉岱さんには付き人兼会計事務として……」

 

 天和が思い出したように声を上げると、これ幸いとばかりに地和が追随する。人和が一人で声を張って採用を推しているのだが、二対一ではどうも分が悪そうだ。

 どうもこのままだと雲行きが怪しそうだと感じた拓実は、おずおずと手を挙げる。

 

「あの、私、趣味でよく刺繍とかお裁縫しているので、服ぐらいなら作れますよ。その、あんまり凝ったものは時間が掛かりますし、みなさんが気に入ってくれるかはわかりませんけど」

「そうなの? ……じゃあじゃあ、阿蘇阿蘇の最新号に可愛い上着が出てたんだけど、劉岱ちゃん同じように作れそう?」

 

 机の上に置かれていた雑誌を手に天和が立ち上がると歩き出し、中を捲りながら拓実の椅子の横に腰を下ろした。ちょいちょいと袖を引かれたので拓実が倣って地べたに座ると、お目当ての頁を開いて見せつけてくる。中には奇抜と言って差し支えない、大量生産に向きそうにない一点物だろう衣服を身につけた数人の女性が抜具(バッグ)を手にこちらに微笑む絵が描かれている。

 

「あ! これ可愛いですね! こっちのも!」

「でしょでしょー? あ、劉岱ちゃんこれなんだけど作れそう?」

「んー、ちょっと時間は掛かっちゃうかもしれないですけど、これぐらいなら生地さえあればなんとかなるかなぁ……」

 

 相変わらず三国時代と考えると流行の最先端どころかオーパーツの塊のような意匠だけれど、見たところそれの型紙自体は現代の物と大差ない。以前に読んだ型紙図鑑の記憶から似たものを書き起こして多少直せば問題はなさそうである。

 

「ねぇねぇ、劉岱ちゃん。もしかして、こっちの小物なんかも作れちゃう? あとはー、これの肩をなくしたりとか注文したとおりに作ったりなんかも?」

「まったく同じにはできませんよ? でも、それも付き人の仕事のうちってことでしたら、なんとか作ってみますけど……」

「……地和ちゃん、人和ちゃん。お姉ちゃん、付き人にするなら絶対に劉岱ちゃんがいいと思うなー」

「ええ。そうよね、天和姉さん。私も同じ意見」

「えー……?」

 

 天和がにっこり笑って妹二人に振り返る。同意の声を上げてうんうんと頷く人和に対して、残る地和だけが渋い顔をしている。

 

「逆に、どうしてちぃ姉さんは乗り気じゃないの? すごい好物件だと思うのだけど」

「うーん。別に顔だって悪いわけでもないし、これといって文句があるわけじゃないんだけど、なんか、この子の所為でちぃの追っかけが減る予感がするというか、もう既に減らされたような気がして……」

「何なの、それ」

「ちぃにも何がイヤなのか、よくわかんないの!」

 

 癇癪を起こした風に地和が喚き散らす。謂れのない文句をつけられてしまって、拓実としてもなんと反応したらいいのかわからない。

 

「まぁ、よくわからない地和姉さんは放っておきましょう。三人のうち賛成が二人なので採用とします」

「わーい、劉岱ちゃんこれからよろしくねぇ」

「むー」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 横に座っていた天和に抱きつかれ、そのままの体勢で拓実は頭を下げる。なにやら地和には歓迎されていないようだけれど、第一関門は突破したと見て良さそうだ。

 拓実がほっと息を吐き出すと同時に、入り口の方からどたどたとけたたましく足音が届いた。程なくして音を立てて背後の扉が開かれる。

 

「おおーい! テン、チイ、レン!」

「子義!」

 

 首に回されたままの天和の腕の中からなんとか顔だけそちらに向けると、にこにことご機嫌な子義が、そしてその後ろには霞が立っていた。二人共怪我をした様子はなく、出て行った時の姿となんら変わらない。

 子義の姿が見えるなりにいったん静まっていた怒りが再燃したのか、地和が顔を真赤にさせて勢い良く立ち上がる。

 

「あんたようやく戻ってきたのね! 付き人なのに私たちの側から勝手に離れるとかどういうつもり!」

「あ? ああ、そっかそっか。いやー、悪ぃ! それよりちょっと聞いてくれ! 付き人の話だけど、アタシは聶遼を推すぜ!」

「……?」

 

 謝っている割にまったく悪びれたところがない。いきなりの推薦に、三姉妹全員が怪訝そうに子義を見ている。

 

「聶遼本人から武芸しか取り柄がないって面接で聞いてるんだけど。荒事担当はあんたがいる訳だし、それに募集しているのは付き人であって護衛だってあんたが腕が立つって聞いたから兼任してもらってるだけでしょ? 必要ないじゃない」

「護衛は腕の立つ奴がやらないとダメだろ。それならアタシより聶遼の方が適任だからな。代わりにアタシは全体をまとめりゃいいだろ」

「なんでちぃたちを差し置いてあんたがそんなことを決めてるのよ!?」

 

 引き続いての地和と子義の会話なのだけれど、どうも噛み合ってない。それというのも子義が一人で浮かれていて一方通行になってしまっている。

 

「子義ちゃん、すごい嬉しそうだけど何かあったの?」

「それがさぁ、聶遼とちょっと手合わせしたんだけどよ、こいつ強えのなんのって! いやぁ、惜しいところで負けちまった!」

「へぇー、聶遼ちゃん、子義ちゃんより強いんだぁ。すごーい!」

「だよな! すげーんだ!」

 

 感心している天和に全力で同意する子義。続いて「ははっ」とそれはそれは嬉しそうに笑っている。負けたと言う割に負の感情がまったく見られない。

 子義がそんな風に手放しに褒め称えているものだから、当の霞は居心地が悪そうにしている。珍しく身の置き所に困った様子だ。

 

「負けたのに嬉しそうにしている理由は?」

「そりゃあそうだろ! 生まれてこのかた青州で負けなしのアタシが、初黒星だ! ようやく好敵手ってのが見つかったのに嬉しくないわけがねーだろ!」

「駄目だわ。理由を聞いたはずなのにちょっと意味がわからない」

 

 眉をしかめた人和が眼鏡を外して眉間を揉んでいる。話が一段落したところで、それを見計らっていたらしい霞が声を上げた。

 

「で、面接は終わったんやろ? 結果の方はもう出たんか?」

「ん。まぁ、子義もこう言ってるし、私たちも三人だから付き人だって三人いてもいいのだけれど……」

「いいじゃん、ダメそうだったらクビにすればいいんだしぃー?」

「お姉ちゃんは劉岱ちゃんがいるならなんでもいいよー」

 

 人和が目配せすると、天和・地和ともにどうでも良さそうである。人和の口振りだと、霞は子義と同じ腕っぷし枠だったので不合格の予定だったのかもしれない。

 

「そういうことなので、聶遼さん、劉岱さん。お二人共合格です。早速明日から私たちの付き人として仮採用しますが、ここが事務所になっているので辰の刻までに集まるようにしてください」

「はい、わかりました!」

「ありゃ? うちも採用なんか?」

「うっし、これでまた手合わせ出来るな!」

 

 やんわり天和の腕から逃れ出ると地べたから立ち上がって霞の隣に並ぶ。そうしてかしこまって立っているのは拓実だけで、合格すると思っていなかった霞は気怠そうなのを隠そうともしていないし、子義は付き人のことなんてそっちのけで霞の肩に手を置いて笑っている。

 

「……こうして並ぶと、当たり前のことをしてるだけの劉岱がものすごいまともに見えるわ」

「ん、不思議だねぇ」

「これまでのような農民や盗賊上がりに品性までは求められないわよ。こうして済南で地盤固めが出来るようになるまでは頭脳労働できるような人はほとんど来なかったもの」

 

 人和が漏らした深いため息からは、内務関連を一人で切り盛りしてきたのであろう苦労がにじみ出ている。そんな妹を見て、これまで任せきりにしていた天和と地和はバツが悪そうに視線をそらしていた。

 

 

 

 顔合わせを終えた後、霞と拓実は街へ繰り出した。当座の生活用品の買い出しと、滞在中の宿を決める為だ。

 昨夜の広い浴場に味をしめた相方により風呂付きの宿は大前提と定められ、街へ出て見て回ったものの風呂付きではどうしても高級宿になってしまう。値比べした結果、昨夜世話になった宿がみすぼらしい外観から一番安価で、その上で黄巾党関係者が経営しているために付き人となった拓実と霞に対しては多少の割引をしてくれるということだったので、そのまま落ち着くことになった。

 用事と買い物、早めの夕食を済ませた拓実と霞は、宿へ戻る為にまだまだ明るい大通りを歩いている。

 

「……えっ!? 子義さんって、そんなに!?」

「うちも聞いた時はびっくりしたわ。あの三姉妹かてあんまし強く出とらんかったやろ?」

「あ、言われてみれば、そうでしたよね」

 

 確かに、違和感はあった。拓実が把握する限り、三姉妹は大小あれ『我侭』であった。追っかけの男たちに持ち上げられてか、それとも興行がうまく回るようになって不自由ない生活を送っているからか。三人共に自尊心が人より大きい。ある程度のことは自分たちの思い通りになると考えていて、黄巾党の勢力が強い青州ではあながち間違っていないだけの権力を持っている。

 その中でも特に顕著なのが顔つきが気に入らないという理由だけで付き人一人をクビにしたという次女の地和であるが、その彼女が子義の独行をある程度許容している。そして手合わせから帰ってからの霞も、州牧である華琳相手であってもくだけた態度で接しているというのに、子義に対してだけは妙にやりにくそうにしていたことだ。

 真相を聞けば、子義の口調やその若々しい見た目から霞とは同年代にしか見えないが、十近くも年長だったようなのである。同じく天和と同じぐらいの歳だろうと思い込んで子義を雇った三姉妹も、これまで通りに言いたい放題やりたい放題をして早々に『しつけ』られ、実年齢を知ってこれまでと同じように強く出られないようである。

 

「わかっとったけど大陸も広いもんやなぁ。今回はたまたまウチが勝てたけど、子義やんも恋と手合わせすれば世界変わるやろなー」

「子義さん、そんな強かったんですか?」

「まー、双戟使いがそうおらんからやりにくかったってのもあるけどな。うちとは得物が違うからなんとも言えんけど、惇ちゃんや淵ちゃんともええ勝負するんやないかな」

「へぇー」

 

 彼女は『たいし』と名乗っていた。『たい』が姓で『し』が名だろうか。呼び名になっている『しぎ』の方は字なのだろう。口頭で聞いた拓実にはどういった字を書くのかわからないが、張遼をしてここまで言わせるのであれば間違いなく天稟の武才である。けれども生憎、拓実の記憶の中に思い当たるような武将はいなかった。

 

「ところでー。なぁ~、拓実ぃ? うちなぁ、甘いもの食べたーい」

「えっ」

 

 記憶を掘り返していたところで聞こえてきた、急にしなを作った霞から発された猫なで声に拓実は予想外過ぎて思わず身を固くする。この旅を通して、霞のこんな声は聞いたことがなかった。同じく引きつった拓実の口元は、しかし瞬きする間にほにゃりと崩れた。

 

「あっ、いいですね! それなら宿のそばにあった甘味処に行きましょうよ! 行きがけに聞いたら日が暮れ切るまではやってるみたいだし、私も気になってたんです!」

「お、おお? えー、と、決まりやな」

 

 止まりかけた思考を劉岱に戻して笑顔を浮かべると、何故か言い出しっぺの霞の方が戸惑った様子である。

 拓実は「揚げ饅頭かな、でも夕食後だから軽めに一口ごま団子がいいかなー」などと呟いているうちに、ふと旅の最中にお酒が飲みたい飲みたいと不満を漏らしていた霞との世間話の内容を思い出した。

 

「あれ? でも、霞さんあんまり甘いものは食べないって言ってませんでしたっけ? 嫌いじゃないけど、お酒に合わないとかなんとか……」

「た、たまにはええやん! うちかて女の子やもん! そないな日もあんねや! 文句あっか!?」

「えええぇ!? そんな、文句なんてないですけどぉ……なんで私怒られてるの……?」

 

 わけもわからないままそうして改めて歩き出すと、霞がそろそろと歩み寄って拓実の腕を取る。そのまま身体を寄せてきた。

 

「な、なんです?」

 

 困惑している拓実に構わずそのまま腕を絡ませてきたが、霞の方が背が高いために持ち上げられていくらか引っぱられてしまう。よたよたと数歩ほど歩いたところで離される。

 

「え? え?」

「…………やっぱあかんかぁ。いや、まぁわかっとったけど」

「えっと?」

「拓実。腕、組むか? ほれ」

「はあ……これでいいですか?」

 

 腕を差し出されたので、勢いに押されるまま先ほど霞がしていたように腕を絡ませてみる。拓実の背は霞の口あたりな為、ちょうど男女の身長差に近い。腕を組んでいても少なくとも歩きにくいということはなかった。

 結局何がしたかったのか。拓実が腕を取ったままきょとんとした顔で霞を見上げると、彼女は「うあ」とうめき声を漏らしてのけぞった。

 

「あーあーあー、せやったな。女っぷりは拓実の方が明らかに格上やったわ。うちの付け焼き刃じゃ勝負にすらなっとらんわ。あー、んで、なんやその『こてん』ってのは。うち絶対無理や」

 

 拓実が首を傾げていると、今度はふてくされた。頬を染めて子供のように口を尖らせている。もはや拓実はどう反応していいのかもわからず、霞を見上げたまま曖昧に笑みを浮かべて機嫌を伺うだけである。

 

 そんな噛み合わない拓実と霞だったが、事情を知らぬ第三者にはただならぬ仲の少女二人が腕を組んで人目もはばからずじゃれあっているように見えるらしい。

 男連中からのよからぬ視線を主に、明らかに大通りの注目の的になっていたのだが、いっぱいいっぱいになっている二人は目的地である甘味処にたどり着くまでそれらの視線に気づくことはなかった。

 

 

 


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